「……ゴメン、そういうわけだからもう練習には出られない……と思う」
少女はちょっと俯き、そして強ばった笑みを浮かべた。
「あのさ……私のギター、ここに置いててもいいよね。家に持って帰ったら……捨てられると思うから」
「何言ってんの聡美、アンタは軽音部の部員なんだからいいに決まってるでしょ」
「聡美ちゃん、問題が片づいたらまた一緒にやろうねえ」
「あ、あは…」
少女は3人に慌てて背中を向け、そして上を見た。
「聡美」
「え、な、何…」
それまで黙っていた世羽子の声に、少女は目元を拭いながら振り返った。
「これ、持ってなさい…」
世羽子は少女の手に鍵を置き、包み込むようにそっと握らせた。
「これ…」
「部室のスペアキー」
「それは…」
わかってるけど……と言いたげな少女の頬を世羽子の両手が挟み込む。
「これまでのような練習はできないかも知れないけど……聡美の、音楽を楽しむ権利が奪われたって勘違いをしちゃダメよ」
世羽子は一旦言葉を切り、穏やかに微笑んだ。
「聡美……ギターが弾きたくなったら、ここに来なさい」
「でも…」
「私達と顔を合わせづらいというなら授業中とか……とにかく、あなたにはギターを弾く場所がここにある……だから、両親とか、音楽を憎んだりしちゃダメよ」
「……世羽子」
少女は世羽子の肩口に額を押しあて、ぐすぐすと鼻をすすり始めた。
「ゴメン、ゴメンね、みんな…」
「ああもう、泣き虫なんだから聡美は…」
赤ん坊をあやすように囁きかけ、少女の背中をぽんぽんと鼓動のリズムに合わせて軽く叩き始めた……。
「……現実問題として、もう戻ってこられないよね、聡美」
ため息混じりに呟いた弥生に、世羽子は目を閉じながら答えた。
「でしょうね……最後の最後は本人の問題だから。私達がどうこう言っても……ね」
その言葉だけを聞けば冷たい……と感じるかも知れないが、弥生も温子もそうではないことを知っているし、先ほど別れた聡美もわかっているだろう。
「それはそうと……世羽子ちゃん、ここのスペアキーなんていつ作ったの?」
「秘密」
世羽子に向かって弥生が呆れたように呟く。
「……って言うか、作っちゃダメでしょ」
「あると便利だから」
世羽子は、2人に向かってちょっと微笑んだ。
「……世羽子ちゃんって」
温子はぼそりと呟き、壁に立てかけられた聡美のギターを手に取った。
「……ギターがいないと、練習もちょっとツライよねえ」
「ふふふ、心配無用よ温子」
弥生が不敵な笑い声を上げた。
「……」
「……」
「こんな事もあろうかとこの九条弥生、コツコツとギターの練習をしてたんだからっ!」
芝居がかった動作で自分のギターを構え、じゃん、とかき鳴らしてみせる。
「今日から私は生まれ変わるのよっ!ボーカル兼ギターの九条弥生にっ!」
拳を握りしめ、ぐももーっと盛り上がる弥生をよそに、世羽子と温子はぼそぼそと囁き合った。
「……弥生ちゃんのギターって、あると勘が狂うんだけど」
「雑音に惑わされるのは、集中が足りない証拠よ…」
「ねえっ、人の話を聞いてるっ!?」
じゃじゃんっ、と抗議するように弥生がギターをかき鳴らした瞬間、温子は両手で耳をふさいで首を振った。
「話は聞いてもいいけど、弥生ちゃんのギターは聞きたくない…」
「言ったわねえっ」
じゃんじゃんじゃん……と、温子に近づきながら弥生がギターをかき鳴らす。
「弥生……それってお経?」
「ひきっ…」
世羽子の何気ない一言に心をざっくり貫かれたのか、弥生が固まった。
「……世羽子って、時々キツイよね」
「そう?」
恨みがましい弥生の視線を、世羽子はどこ吹く風と受け流した。
「……じゃあ、世羽子ちゃんがギター?」
「ベースがいなくなるわね……それに私、ベースが好きだから」
くるくるとドラムスティックを回転させながらの温子の提案に、世羽子は申し訳なそうに、それでいて固い拒否の意志を滲ませる。
「そっか……楽しくないと意味ないもんね」
うんうんと頷きながら、温子がハイハットを軽く叩いた。
「それはそうなんだけど、誰でもいいからギターの弾ける人がいないと練習が……ギターの弾ける…」
弥生は何かを思い出したかのように言葉を切り、そして世羽子を見た。
「……何?」
「なんでもない…」
「ねえねえ2人とも、男子校の人ならギターの弾ける人多いんじゃないかな?」
「温子、あたし達、『がーるずばんど』なんだけど?」
「新メンバーとかじゃなくて、ちょっと練習に参加して貰うとか…」
「そりゃ、これだけの美少女が3人も揃ってるんだから、鼻の下伸ばすような男子は来てくれるだろうけど……どうやって、ギターの弾ける人を捜すのよ?」
「温子におまかせ〜♪」
ドラムを叩きながら器用にも1ストローク毎にスティックを回転させる温子は、どことなく嬉しそうである。
「どうしたの世羽子、ため息付いたりなんかして?」
「……なんとなくオチが読めたから」
「……明日って言ってたのにな」
「まあ、どういう思惑があろうと、こちらの頼みを迅速にきいてくれたんだ、素直に感謝しても罰は当たらないと思うぞ」
「青山の言う通りではあるんだが……」
尚斗は一旦言葉を切り、青山の顔をちらっと見た。
「俺の後ろにお前がいることに気付いた瞬間、あの先生ため息ついてたからな……一体何を企んでたんだか…」
尚斗はため息をつき、先ほど綺羅から受け取った資料をちょっと持ち上げた。
「……で、コンビニかなんかでコピーするか?」
「いや、試験は来週でまだ時間あるし…俺が家でコピーしてくるよ」
「そっか、じゃあ頼む」
「ああ」
尚斗に手渡された資料を鞄の中にしまい込み、青山は呟いた。
「で、どうする?このまま素直に帰るか?」
「んー」
尚斗は腕組みし、ちょっと首を傾げた。
「考えてみれば、この学校に来てから一週間……実は、ちょっと出歩いてみたいという気もする」
「……個人的には、ここの図書室はなかなかいいと思うぞ」
「お前の『いい』は判断が難しいからな……まあ、行ってみるか」
尚斗は青山に導かれ、図書室へと歩き始めた。
カラララ…
尚斗としては静かにドアを開けたつもりだったのだが、図書室という空間ではそれでも不作法なレベルだったのか。
入り口近くの席に座っていた女生徒の視線がこちらを向いた。
「おや?」
「奇遇ね…」
尚斗は軽く会釈し、冴子に向かって近づいていった。
「先日はどうも」
「別に何も……」
冴子は読みかけの本を閉じ、そちらは……と、問いかけるような視線を青山に向ける。
「……」
無言の青山に気分を害した風でもなく、冴子は穏やかな微笑みを浮かべた。
「香月よ、よろしく」
「どうも、青山です」
頭は下げず、2人とも目礼……だが、不思議とそれが礼儀正しいように感じてしまう。
「今さらですが、冴子先輩って香月って名字だったんですか」
「ええ…それより、風邪ひかなかった?」
「……風邪はひきませんでしたけど、野良犬に噛まれました」
どことなく強ばった笑みを浮かべた尚斗を見て、冴子は口元に妖しい微笑を浮かべた。
「…ああ、あの事ね」
「ちょっと待ってください」
尚斗的には、今の会話がさっくりと成立してはいけないはずなのである。
「んふふ…そういうのが好きな女の子がはしゃいでたから、ちょっと…ね」
「え…?」
それは一体どういうこと……という表情を浮かべた尚斗の肩をポンと叩き、青山が残念そうに首を振る。
「有崎……気の毒だから黙っていたが、今お前はごく一部で有名人となりつつある」
「……」
「心配するな、ごく一部だ」
「さ、紗智のやろぉ…」
肩をわなわなと震わせる尚斗を面白そうに見つめ、冴子が気楽な口調で囁いた。
「大丈夫、人の噂も13日ぐらいなんでしょ?」
「……あれ?」
尚斗はきょとんとした表情を浮かべ、冴子を見た。
「ひょっとして……冴子先輩は夏樹さんと知り合いだったりします?」
「知り合いも何も、もうすぐここに戻ってくるわよ……ほら」
冴子がすっと指さした先に、小脇に何かを抱えた窮屈な姿勢で本を読みながらこちらに向かって歩いてくる夏樹がいた。
「こんちは」
「……」
「……もしもし?」
本を読みながら、そのまま3人の側を通り過ぎていく夏樹。
「相変わらずすごい集中力よね、夏樹…」
ため息混じりに冴子。
「そういう見方もありますか……じゃなくて、ぶつかるって」
尚斗は今まさに本棚にぶつかろうとしていた夏樹の肩を掴んで引き戻した。
「きゃっ」
その瞬間、既に尚斗は防御態勢を取っていた……が、ちびっこアタックはもちろん、夏樹はただびっくりしたように尚斗を見つめているだけだった。
尚斗は防御姿勢を解き、どことなく残念そうに呟いた。
「……ふむ、ちょっと拍子抜けだな」
「な、何なの一体…?」
ちょっと不快そうに眉をつりあげかけた夏樹に、冴子がからかうように声をかけた。
「夏樹、本棚にぶつかりそうなところを助けてもらったんだから、お礼ぐらい言いなさい…」
「え、あ…」
どういう状況だったのかに気付いたのだろう、夏樹はちょっと頬を赤らめながら頭を下げた。
「あ…ありがとう」
「いや、別に……というか、本を読みながら歩く癖は直した方がいいのでは?」
「わかってるんだけどね……読み始めると夢中になっちゃうのよ」
はにかむような笑みをこぼし、夏樹はぱたんと本を閉じた。
そして、冴子の茶々が飛ぶ。
「はいはい、2人の世界を構築しない……とりあえず、こっちで座ったら?二人して大きな体で図書室の入り口をふさがない」
「……そういや、3年生も冬季テストとやらがあるんですか?」
「ええ、あるわよ……と言っても、内部進学生だけだけど」
「内部進学…」
自信なさそうな尚斗の呟きに、青山がフォローを入れた。
「付属からの持ち上がりのことだよ……当然、それなりの成績じゃないと希望しても認められないがな」
「で、お2人は……?」
「夏樹も私も一応内部進学」
「なるほど……まあ、2人とも頭良さそうですもんね。特に夏樹さんは、全トップらしいし…」
その瞬間、夏樹がちょっと困ったような表情を浮かべた。
「だから……私のはたまたま」
「たまたまで、取れませんって」
「そうじゃなくて…」
ちらっと冴子に視線を向ける。
「冴子に……やる気がないからよ。私は、ずうっと昔からトップを譲って貰ってるのよ……本当なら、万年2位のはず」
「……と言うと?」
尚斗の視線もまた冴子に向いた。
「……別に、馬鹿にしてるわけじゃないんだけど」
冴子はちょっと小首を傾げた。
多分言葉を選んでいたのか……努めて明るい口調で切り出した。
「だって、テストってつまんないじゃない?満点以上取れないんだから」
「……呆れた」
「それに、夏樹がトップだと……ね」
冴子はにっこりと幼い笑みを浮かべ、夏樹の額をつついた。
どうやら、いろんな表情を使い分けることができるらしい。
「まあ……そんな冴子先輩には、青山がいい話し相手になると思います、はい」
そう言って尚斗が青山を指さすと、冴子はちょっと目を細めながら青山を見た。
「……そうね、そんな感じね、あなた」
「……」
「今度、写真のモデルになってくれる?」
「遠慮しますよ……それに、本気じゃないでしょう」
「そうね、お互いツライだけかもね…」
青山と冴子は、お互いに微妙な表情を浮かべた。
「話を戻しますけど……って事は、冴子先輩も幼稚舎からずっとこの学校なんですか?」
「まあね……その頃は、定員が40名だったから」
そこで一旦言葉を切り、冴子は再び夏樹に視線を向けた。
「夏樹とは、その頃からずうっと知り合いだったワケ…」
「なるほど…」
納得したように頷く尚斗に、夏樹がどことなく不服そうな表情を浮かべながら口を開いた。
「ねえ、なんで冴子には『先輩』なの?」
「何でと言われても……夏樹さんって年上の雰囲気が薄いというか、可愛いんですよ、印象が」
「……っ」
夏樹の顔がかーっと赤くなる。
「良かったわね、夏樹。可愛いって思ってくれる男の子がいて」
「かっ、からかわないでっ!」
「この子ね、背が高いって事がコンプレックスなのよ……昔は、ちっちゃく見えるように猫背で歩いたり…」
困ったものよね……とでも言いたげに、横目で夏樹を見やる冴子。
「冴子っ」
「へえ、今の綺麗な立ち姿からは想像できませんけど……演劇と関係があるんですか?」
「わ、私、用事があるからっ!」
顔を真っ赤にしたまま夏樹は図書室を出ていった。
「……からかい甲斐があるでしょ、夏樹って」
冴子は悪戯っぽく片目をつぶってみせた。
「からかったつもりはないんですけどね……ん?」
夏樹が座っていた椅子の下に、何かが落ちている。
書類を入れるような大きな封筒に、びっしりと詰め込まれた何かの束。
「……夏樹さんの忘れ物かな?」
思ったより重かったそれを拾い上げ、青山と冴子に示してみる。
「ああ、さっき脇に抱えてたアレだな…」
と、青山。
「じゃ、冴子先輩……」
「……あなたから返してあげてくれる?」
「は?」
「なんか、その方が面白そうだから」
そう言って、冴子は妖しく微笑む。
「そりゃ構いませんけど……夏樹さんはどこに?」
「さあね…演劇部か、それとも……色々探してみたら?」
「探してみたら……って」
「さて、とりあえず演劇部の部室でも……?」
尚斗は足を止めて前方の床を見た。
水色のピックが落ちている。
「……何故?」
尚斗はとりあえずそれを拾い上げた。
どう考えても学校の廊下には不似合いというか、あまりごろごろと落ちているようなモノではないのだが。
「……はて?」
首をひねりながら歩いていくと、今度は銀色のピックが重なるようにして2枚……それも拾い上げてさらに歩いていくと、今度はピンク色のピックが3枚。
何かのメッセージ性があるとも思えず、それでいて何らかの意図を持ってこんなモノを廊下に落としているのは明らかで。
「……何か、激しくイヤな予感がするのは気のせいか?」
首を振りつつも、尚斗はそれも拾い上げてさらに進んだ。
そして廊下の角に置かれた4枚のピック……はいいのだが、綺麗に磨き上げられた廊下があだとなって、人影がチラチラしているのが見えている。
「……えーと、確か漫画でこんなのがあったよな」
尚斗は銀色のピックを軽く折り曲げ……万が一顔に当たったりすると危険なので、かなり低い位置めがけて投げてみた。
「いたぁーいっ!」
冗談のようだが、ピックはクッと左に曲がって潜んでいた人物を直撃したらしい。
とりあえず、陰に潜んでいるのが女性という事が判明した……が。
「……もしもし」
「にゃ、にゃーお…」
「ふ、不憫だ…」
尚斗はワケもなく熱いモノがこみ上げ、敢えて何もなかったかのように進んで足下のピックに目を向けた。
「おや、こんな所にピックが……(棒読み)」
「隙ありぃっ!」
「ねえよ…」
振り下ろされてきた棒のようなモノをかわし、尚斗は襲撃者の足を引っかける。
「きゃあっ!」
「……しょっ」
スッ転ぶ寸前で女の子の身体を抱え上げた。
「……ふう」
廊下との激突が回避され、女の子が安堵のため息をつく。
「ふう……じゃなくて、何の冗談だ?」
「え、えーとね…し、『七人の侍』って知らない?」
ジャンルを選べ……という言葉をのみ込み、尚斗はため息混じりに呟いた。
「……ドラムスティックで人を襲わないように」
「わっ、やっぱり音楽知ってる人だ……作戦成功っ!温子ちゃん、偉いっ!」
キンキンと耳に響く声をあげながら身体をじたばたと動かして奇妙なガッツポーズをとる女の子のせいでもりもりと気力を失った尚斗は、少女を立たせて自分は壁にもたれかかった。
「ねえねえ、どうしたの?」
「いや、ちょっと人生について考えたくなって…」
「そういう時は、音楽。音楽しかないのっ!楽しいのが一番!」
少女は嬉しそうにドラムスティックをくるくると回転させた。
「……おや?」
「なに?」
「左右逆回転……芸が細かいな」
「ドラムってあんまり目立たないから、色々練習したの」
「……誰も気付いてくれないだろ」
「……わかる?」
しょぼんと、少女は肩を落とした。
「……ま、それはおいといて。えっと、私、香神(こうがみ)温子って言って…」
「軽音部のメンバー…だな?」
「……エスパー?」
「……その独特のテンションでドラムってのもすごいな」
尚斗はため息混じりに呟く。
「あー、馬鹿にしてる…」
温子は頬をプクッと膨らませ、廊下にぺたっと座り込んでドラムスティックを操り始めた。
「おいおい、スティックが傷む……ぞ?」
「……」
床に触れるか触れないかの位置で……1分、2分と正確なストロークを刻み続ける温子の手さばきに尚斗は感心した。
空モーションで長く一定のリズムを刻み続けるのは非常に困難であり、少女が優れたリズム感を持っていることは誰の目にも明らかだった。
「いや、疑って悪かった……が、香神さんとやら、申し訳ないがパンツが見えている」
「えーっ!?」
その瞬間温子が持っていたスティックがすっぽ抜けた。
それはかなりの勢いで無防備だった尚斗の人中(鼻と上唇の間……人体の急所の1つで、正確に打ち抜かれると即座に気を失うとか)をもろに直撃。
「……ぉ」
「あ、あれ……ど、どーしたの?」
「弥生ちゃん、世羽子ちゃん。助っ人を連れてきたよお…」
失神した尚斗の両脚を肩に担いでずるずると部室まで引っ張ってきた温子を見て、世羽子と弥生は同時に顔を覆った。
「どうせ、こんなオチだと思っていたけど…」
「助っ人っていうか、助けを必要としてる人っていうか……一体何したの温子?」
「んーとね、これが顔に当たっちゃったみたいで…」
「当たった……て、有崎ったら完全に白目むいてるし」
「どいて、弥生…」
世羽子はさっと弥生を押しのけ、尚斗の口元にそっと手のひらを近づけた。
「世羽子…?」
「……黙って」
時間にして2、3秒、世羽子はため息をつくと、右手を大きく振りかぶった。
「世羽子ちゃん?」「世羽子、一体何を…?」
温子と弥生の見ている前で、世羽子は失神している尚斗の横っ面を思いっきり張り飛ばした。
「うわ…」「痛そ…」
顔をしかめた2人を振り返り、世羽子は淡々とした口調で呟いた。
「後はよろしく…」
ガラララ…ぴしゃんっ!
世羽子が音高くドアを閉めた瞬間、尚斗の身体が身じろぎした。
「……おや?」
「あ、気が付いた…」
尚斗は首を振りながら上体を起こし、まわりを見渡した。
「……ここは?」
「軽音部の部室だよっ」
「はあ、軽音部の部室ですか…ッ」
尚斗はおそるおそる左頬に指先をのばし、触れた瞬間再び顔をしかめた。
「えーと……なんか、左頬が激しく痛いんだが?」
説明して貰おうか……という視線を、尚斗は弥生に向ける。
「あーいや、ほら、失神した有崎に活を入れるために…その…」
「あれ?弥生ちゃん、この人と知り合い?」
「知り合いと言えば知り合いなんだけど…」
「なんだ、こんな知り合いがいるならさっさと連れてくれば良かったのに…」
「いや、だからね…」
どこからどう見ても被害者である尚斗をほったらかしておしゃべりを始めた2人にため息をつき、尚斗はちょっとばかし不機嫌な口調で言った。
「帰っていいか?」
「えーっ、これからふが…」
「い、いいわよ…」
温子の口をふさいだまま、弥生が強ばった笑みを浮かべる。
「……じゃあな」
「ま、またね…」
部室の外に足を踏み出しかけた、尚斗は振り返った。
「やっぱり一緒に練…ふががっ」
「な、何?」
「その、なんだ…」
尚斗はばつの悪そうな表情を浮かべ言葉を続けた。
「お前にとっちゃ余計なお世話かも知れないけど……妹さんが心配してる」
「……」
弥生の表情は動かない。
動かないからこそ、動いているモノがあると判断して尚斗はそれ以上口にするのはやめた。
「そんだけ、じゃあな…」
「有崎」
「ん?」
「確かに余計なお世話と言えばお世話なんだけど、一応お礼は言っとく」
「そっか……ま、仲良くやれや」
「……尚斗、その頬」
「聞くな」
「しかし…」
「親父、おかわりはいいのか?明日も遅いんだろう、食わなきゃ身体が保たないぞ」
左頬にくっきりと手形をつけた尚斗は、父親にしゃもじを突きつけた。
「確かお前が中学の……2年の頃にも」
「黙れくそ親父。小遣いへらすぞ、弁当つくらんぞ、洗濯してやらんぞ」
「……明日は冷え込むらしいな」
有崎家の食卓は、今日も平和だった……。
「……ったく、明日までに消えるのかこれ?」
ほっぺたに紅葉を貼り付けた姿を他人に見られたくなかったので、コートの襟を立ててこそこそと家に帰ってきた尚斗だったのだが……。
「あっ!」
例の騒動ですっかり忘れていたが、元々夏樹に忘れ物を返しにいく筈だったことを思い出した。
「やっべえ……とはいえ、もう夜も遅いし」
どのみち、夏樹の連絡先を知るはずもない……宮坂あたりなら知ってるかもしれないが。
「緊急を要するモノならやばいよな……でも、大したモノじゃなかったら反対に失礼だし……しゃーねえ」
迷いつつも、尚斗はそれを取りだした……。
完
頑張れマイパソコン…(泣)
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