ゴゥンゴゥン…
 昨日の激しい雨が嘘のように晴れ渡った日曜の朝、有崎家の洗濯機は軽快な音を響かせながら洗濯物を揉みくちゃにしていた。
 それをぼんやりと見つめながら、尚斗はぽつりと呟く。
「洗濯物は洗ったら汚れが落ちるからいいよな…」
 昨日、尚斗は洗面所で30分以上顔(特に右頬)を洗い続けていたのだが、その姿を見た父が首を傾げながら『金竜飛の真似か?』などと口にしたり。もちろん、その言葉の意味は尚斗には分からなかったりするのだが。
 ピン……ポォォンッ!
「……」
 ドアホンのスイッチを必要以上に長く押す来訪者が尚斗は嫌いだった……深い意味はないが、とにかく神経に障るというか不快なのである。
 強いて言えばピンポーン…という軽やかな連続音を否定するかのように、『ピン』で一端音が切れ、『ポォォンッ』という音がやたら無様に聞こえるのがとにかくイヤ。
 ピン……ポォォォンッ!
「……はーい」
 ごく単純に考えると、日曜の朝8時前の来客はあり得ない。そのため、尚斗はちょいと警戒しながら玄関のドアを開けた。
「どちら様で…」
「あ、本人が出て来た…残念」
 紗智は尚斗を見てちょっとため息をついた。
「はい?」
「んー……休みの日の朝にね、自分の息子に年頃の女の子が尋ねてきたときの母親の表情というか、リアクションが結構面白いのよ」
「いや、そうじゃなくて…なんでまた、日曜の朝っぱらから…?」
「あ、それは後で話すから……とりあえず、上がっていい?そっちはそっちで面白そうなリアクションが見られそうだし」
 
「ほらよ…熱いから気をつけろ」
「わ、あったかーい…」
 紗智は自分の前に置かれた湯飲みを両手で包み込み、屈託のない笑みを浮かべながら尚斗を見た。
「でも、湯飲みにココアってのはあんまりじゃない?」
「…さっちゃんよ」
「さっちゃんゆうなってば」
「……昨日の今日で、俺がキミを好意的に迎えることのできる心境かと思うかね?」
「……」
 紗智は尚斗の視線から逃れるように、湯飲みに注がれたココアにちょっとだけ口をつけた。
「えっと……人間の心は所詮ピラミッドであって、てっぺんだけじゃ存在できないんだって。いろんな経験を積む事で心のすそ野をひろげ、広く大きな心のあり方を獲得することができるとかなんとか、誰かが(笑)言ってたのよ」
「俺の目を見て話そうか、さっちゃん」
 尚斗から漂う不穏な気配を悟ったのか、紗智は視線を合わそうとせずにさらによそを向いた。
「えっと……私、『偶然』通りかかっただけだから。で、『偶然』カメラ持ってたから夢中になって撮影しちゃったの……てへっ」
 紗智はぺろっと舌を出し、頭をコツンと叩いた。
「てへっ、じゃねえっ!」
「まあまあ、そんなに怒らない怒らない…」
 紗智は口元にいつもの笑みを浮かべ、尚斗をなだめるようにちょっとだけ頭を下げた。
「にしても……不思議よねえ?」
「…は?」
 紗智はちらりと窺うような視線を尚斗に向けた。
「綺羅先生、ほっぺとはいえなんでホントにキスしたんだか」
「……あの、大騒ぎを引き起こすためだろうが」
「いや、だって……フリだけでいいじゃない?私も、そう言ったし」
「……」
「……あ」
 紗智が慌てて自分の口元を押さえる。
「……さっちゃん、そこに座りなさい」
「いや、もう座ってるし…」
 居直ったのか、紗智はソファーに深々と身体を沈めた。
「昨日のオペレーションについてだが、作戦の企画者はキミ、実行者は藤本先生と宮坂ということで間違いないかね?」
「んー、ホントに作戦を実行するかしないかは、綺羅先生が自分で決めるって言ってたんだけどね……あはは」
 観念したのか、それとも自分には責任がないと思っているのか、紗智は屈託のない笑みを浮かべた。
「……何が悔しかったんだ、あの人は?」
「何か言った?」
「いや……別に」
 尚斗は軽く首を振り、そして思い出したかのように紗智を見た。
「で、今朝は何の用かね?からかいに来た、とか言ったら、本気で殴るぞ」
「ああ、それそれ…」
 紗智はぽんと手を叩き、尚斗の顔を真っ直ぐに見つめながら言った。
「今日はいい天気だし、麻里絵を誘ってデートでもしてくれないかなと思って」
 尚斗は二度ほど瞬きをし、あらためて紗智を見つめた。
「はい?」
「だから…」
 ピピピピッ、ピピピピッ!
「あ、すまん。洗濯終わったから後で……テレビでも見てろ。ほら、イケメンライダーの放送始まるし、あらぬ妄想を勝手にかき立ててくれ」
 尚斗はテレビのリモコンを紗智に渡すと、慌ただしげに居間を出ていった。
 
「……悪い、待たせた」
 30分ほどして居間に現れた尚斗を見て、紗智は素朴な疑問をぶつけた。
「あのさ……家の人、いないの?」
「なんだ、身の危険でも感じたか?」
「全然」
「ちなみに、親父は仕事で、母さんはちょっといない」
「それは残念…」
 母親のリアクションが見られない事がそれほどまでに残念だったのか、紗智は大きくため息をつく。
「じゃあ、今度はお母さんがいるときに来るわね、くふふ…」
「んー…」
 尚斗は、ちょっと困ったなという表情を浮かべ、指先でぽりぽりと頬のあたりをひっかいた。
「どうしたの?」
「いや、紗智ってすごくまわりに気を遣うタイプっぽいから言葉を濁したんだが……とりあえず、言っとく。俺の母さん、死んでるから」
「あ…」
 紗智は床の上に視線を落とした。
「ごめん…って、言っちゃいけないんだよね」
「気にすんな……そういう気遣いは、別に不快じゃないし」
 屈託のない笑みを浮かべた尚斗をじっと見つめ、紗智はぽつりと呟いた。
「……みちろーと違って、尚斗は笑えるんだね」
「は?」
「ううん、なんでもない…」
 紗智はちょっと首を振り、気を取り直したのかいつもの笑みを浮かべた。
「そうだ……この写真を見て欲しいんだけど」
「写真……って、ムガーッ!」
 尚斗は紗智の手から写真をひったくり、あっという間にビリビリに引き裂いた……もちろん、昨日の、あの、真っ最中の写真だ。
「……焼き増ししてるけど?」
「一ノ瀬紗智さん、折り入ってお願いが…」
 物腰低く語りかけた尚斗に向かって、紗智は予備の写真をひらひらと振って見せた。
「……麻里絵とデートしてくれるならネガを含めて進呈するけど」
「……」
「……10秒……20秒、1、2、3…」
「いや、どう言い繕ってもそういうのって麻里絵に失礼だよな」
「その割には、結構悩んだわね」
「悩ませた張本人が何をぬかすか……つーか、なんでそこまで麻里絵のことを気にかける?友達とか、親友とかにしても、ちといきすぎのような気がするが」
 紗智は何も答えずにちょっとだけ笑った。
 
「じゃ、今日はごちそうさま…」
 まだ朝ご飯を食べてないのよ……などと写真をちらつかせた紗智のために、簡単なモノとはいえわざわざ手料理を振る舞った尚斗も尚斗だが、ごく当たり前のように平然と平らげた紗智も相当の剛の者であろう。
「お前、暇なんだな…」
「あはは、忙しくても暇そうに見せるテクニックがあるのよ」
「絶対嘘だ」
「じゃ、また明日ね…」
「あいよ…」
 紗智の後ろ姿が見えなくなった瞬間、尚斗は紗智の荷物から抜き取ったネガと写真に火をつけた。
 料理を作りながら、紗智がそれを食べるのを見守りながらずうっと隙を窺っていたのである。
「ネガを持参するなんざ、まだまだ青いな、さっちゃんよ…」
 昨日、例の騒動を紗智がビデオカメラで撮影していたことを尚斗は知らなかったり。
 
「しかし……昨日の今日で良く晴れたなぁ」
 ビルとビルの隙間にのぞく青空を見上げて尚斗は呟いた。
 自然に囲まれた場所と違って空を身近に感じることは難しいが、空の深さを感じる事だけはできる。
「それにしても、この寒いのに人がいるいる……って、他人のことは言えんが」
 最寄り駅から三駅離れた繁華街は、かなりににぎわいをみせていた。
 私鉄と地下鉄の乗り換えポイントにあたるせいか、この繁華街は近辺で一番のにぎわいを見せるポイントだ。もちろん地元民の尚斗にとっては庭のようなモノで、それだけに休日にぶらぶらと出歩いていると知り合いと顔を合わせる事も多々ある。
 ……とはいえ。
「あれ?」
「……偶然にも程があると思うが」
「まあ……遊び場所って言えば、大体ここだしね」
 曖昧に微笑む尚斗と紗智だったが、最初に口を開いたのは紗智だった。
「ところで……私の荷物からネガを盗むなんてやってくれるじゃない?」
 尚斗はその言葉を予測していたかのように『何を言ってます…?』という表情を浮かべ、一瞬遅れてから猛烈な剣幕で紗智に噛みついた。
「お前っ、無くしたのかっ!?…ってゆーか、落としたっ?盗られたっ!?俺の人権はどうなるっ!?」
「……ふーん」
 尚斗の剣幕をさらりと受け流し、紗智は妖しく微笑んだ。
「ま、そっちがその気なら……くふふ」
「はい?」
「別に……くふふ」
 紗智はくすくすと笑いながら、尚斗に背を向けた。
「じゃ、今度こそまた明日ね…」
「お、おう…」
 紗智の発する黒いオーラに気圧され、尚斗はただ紗智の後ろ姿を見送ったのだった。
 
『あなたの幸せ…』
 何とはなしに耳に飛び込んでくる鈴のような声。ここ2、3日で聞き慣れた声だけに尚斗にはその主がすぐにわかった。
『……って、何でしょう?』
「『祈らせてください』と違うんかいっ!」
 つい反射的にツッコミを入れてしまった尚斗の声に気付いたのか、安寿がすすすっと近寄ってきた。
「偶然ですね、有崎さん〜」
 にっこりと、見る者の心を暖かくするような笑顔が尚斗を見上げてくる。
「……聞いて回らなくても、その笑顔で充分だろ」
「はい…?」
 きょとん、と小首を傾げながら眼鏡のレンズ越しに尚斗を見上げてくる仕草がまたなんとも。
「そういえば、昨日はあれから……」
「聞くな」
「……あの」
「聞くな」
「ろくな目に遭いませんでしたか…」
 しょぼん、と、まるで自分のことのように落ち込む安寿。
「……貴重な体験をさせていただきましたですので、それを糧にして人間的にちょいとレベルアップをしたいと思っておりますです、はい」
「前向きですねえ、有崎さんは…」
「いえ、前向きにならざるを得ないと言うか何というか…」
 尚斗の言葉を聞いているのかいないのか、安寿は再びしょぼんと肩を落として呟いた。
「それに比べて、私はダメです…」
「……ひょっとして、朝からここで?」
「はい…誰にも相手されないと思ったら、私を無理矢理どこかに連れて行こうとする人がいたり…」
「はあ、知らないとはいえ、天……じゃなくて、安寿をナンパしようとは剛の者がいるもんだな…」
 尚斗は安寿を噴水の縁に座らせると、温かい飲み物を買って戻った。
「はいよ…」
「……いいんですか?」
「……俺に、2本とも飲めと?」
「……」
「2本飲むと不幸になります、はい」
「1本だと?」
「飲めばわかります」
「はあ、飲めばわかりますか…」
 安寿はちょっと首を傾げ、尚斗の後を追いかけるように飲んだ。
「……暖かいですねえ」
 ほわん、とした笑みを安寿はこぼした。
「冬だからね。これが夏だとしたら…」
「……あんまり、考えたくないです〜」
 缶を握りしめたまま、安寿は苦笑した。
「そーいうもんじゃないでしょうか、幸せってのは?流れる雲のように、形を変えながら……受け取る人によっていろいろというか」
 安寿はじっと尚斗を見つめ、右手で尚斗の背中をぱたぱたとはたき始める。
「……もしもし?」
「やっぱり、隠してないですよねえ…」
「人間ですので」
「残念です…」
「何で?」
 安寿はちょっと首を傾げた。
「私……何が残念だったんでしょうか?」
「俺に聞かれても」
「変ですねえ…」
 安寿はしきりに首を傾げつつ、尚斗はぼんやりと空を眺めつつ、2人はしばらくそうやって過ごした。
 
「……」
 ファンシーショップの立ち並ぶ通りで、尚斗は足を止めた。
 もちろん男1人で足を止めていいような場所ではないのだが、なんというかショーウインドウにへばりついている女性に見覚えがあったからだが。
 推定身長は尚斗よりやや低い175センチ……ポケットから財布をとりだし、中身と飾られている商品の値札を見比べる仕草がなんとも可愛くて、ちょっと目を離せない。
 とても、絶妙のフェイントをかけて金的蹴りを炸裂させた女性と同一人物とは思えない。
「お、覚悟を決めたか…」
 夏樹が財布を握りしめ、店の中へと入っていく。
 そして数分後……
『ありがとうございました…』という店員の声を背中で受け止めつつ、ウサギの耳がぴょこんと飛び出した紙包みを持って夏樹が出てきた。
「…夏樹さん」
「ひゃいっ!」
 ビクッと身体を硬直させ、油の切れたロボットのような動きで尚斗に視線を向ける。
「ども」
「あ、えーと……」
 夏樹は恥ずかしそうに頬を染め、小さく頷いてから手に持っていたウサギのぬいぐるみを尚斗に向かって突き出した。
「妹のだからっ!」
「あ、はあ……夏樹さん、妹がいたんですか」
「そ、そうなのっ!」
 尚斗は人畜無害の笑みを浮かべ、殊更に穏やかな口調で夏樹の嘘に応えて見せた。
「じゃあ、プレゼントですか。優しいっすね、夏樹さん」
「あ、い、いえっ…その、優しいとかじゃ…」
「俺なんか、一人っ子でして……なんか羨ましいです、そういうの」
「あ、あうう…」
 夏樹は顔を真っ赤にし、ぼそぼそと呟いた。
「う、嘘ってわかって言ってるんでしょう…」
「すぐばれる嘘をつくからですよ」
「似合わないのはわかってるけど、好きなのっ!しょうがないじゃないっ!」
「……」
 周囲の視線が2人に集中した。
 もちろん周囲の視線を気にしないバカップルを見る視線……多少の、好意的な視線が含まれてはいたが。
「あ…」
 状況に気付いたのか、夏樹はますます顔を真っ赤にして俯いてしまう。
「……行きますか、夏樹さん」
「うん…」
 1人ではその場から動けそうもない夏樹の手を引き、その場を立ち去る尚斗。
 2人の背中に、冷やかすような、それでいて励ますような口笛と声が飛んだのだが、夏樹の耳に届いたかどうか。
 
「……落ち着きましたか」
「もう、あのあたりに近づけない……」
 先の場所から少し離れた喫茶店で、夏樹は両手で顔を覆ってテーブルに突っ伏した。
「まあ21世紀ですから……人の噂も、精々13日ぐらいですよ」
「何?その中途半端な数字は…?」
「根拠はないですけどね」
「はあ…」
 夏樹はため息をつきながら上体を起こし、日頃の躾を感じさせる仕草でテーブルの上のグラスを手に取った。
「……ところで夏樹さん、1つお願いがあるのですが」
「何…?」
 ちょっと警戒するような表情で、夏樹は尚斗を見た。
「いや……あそこでガラスにへばりつくようにしてこちらを睨んでるちびっこに、今の状況を正確に説明してやって欲しいなと」
 
「信じてました、夏樹様!私、夏樹様がこんな身の程知らずで恥知らずの……(以下略)……びーだ」
 夏樹の身体にしがみついたまま長広舌を揮い終えると、結花は尚斗に向かってあっかんべーをした。
「相変わらずの滑舌だな」
「そこは、感心するところじゃありません!」
「……ちょっと」
 尚斗は結花の左腕を優しく掴み、テーピングの巻かれたままの手首を指先でなぞっていく。
「な、何するですか…」
「ふむ、腫れもなさそうだし……よしよし、ちゃんと安静にしてたな」
「てい」
 頭を撫でようとした尚斗の手を結花は右手で払いのけた。
「ああ、俺の楽しみがっ」
「変なことを楽しみにしないで下さいっ!」
「いや、お前の頭……なんというか、すっごく手触りいいんだもん」
 汚いモノを見る目つきで、結花が呟く。
「……頭フェチ」
「よろこべちびっこ。キミは選ばれたのだ」
「そんなの、選ばれたくないですっ!」
「くすくす…」
「なんで笑うんですか、夏樹様」
「だ、だって…」
「確かに、このぐらいで笑っていたら、日常生活に支障をきたしかねん」
「そ、そうなの?」
「ああもうっ!夏樹様は幼稚舎からあの学校で育ってきたんですから、世俗にまみれた嘘を教えないでください!」
 尚斗はちらりと結花に視線を向けた。
「……ちびっこは?」
「私ですか?私は、小学校4年からの編入です」
「……ほう」
「……今でも4年生で通用するとか思いませんでしたか?」
「ちびっこ、それは被害妄想だ……見ろ、夏樹さんが必死に笑いを堪えている」
「夏樹様ぁ〜っ!」
 
「さぁ〜ただいまよりタイムサービスっ!タイムサービスの開始でございますっ!」
 夕焼けこやけで日が暮れて、近所のスーパーの鐘が鳴る……とばかりに、カランカランとタイムサービスの開始を告げる鐘が、精肉コーナーで、青果コーナーで、鳴る、鳴る、鳴る!
 尚斗の買い物の基本姿勢は特売での買い溜めで、そして毎日の買い物では足りないモノや必要なモノだけを買っていくスタイルだ。
 ちなみに、有崎家の家計は尚斗が預かっている。
 傷害保険やら、父のための老後の貯蓄、住宅ローン、資産運用(青山のアドバイスあり)……その他いっさいを、母よりも堅実に、賢実に、やりくりしていたりするがそれはまた別のお話。
「ふむ…?」
 何気なく目を留めた醤油が安かった。
 一応買い置きが1本あるが、消費ペースを考えるともう1本買い置きしても問題ないと尚斗は判断し、手を伸ばした……
「あ…」
 お約束だが、指先が触れ合って互いの顔を見合わせた。
「……こういうのって普通、図書室の本なんかでやるもんじゃないのか?」
「そうね」
 醤油に伸ばしていた手を引っ込め、弥生は笑った。
「にしても、偶然ねえ有さ……」
「どうした?」
 弥生は開いたままの口を閉じ、尚斗の背中をバンバンと叩きながら大きな声を出した。
「そーよ、どっかで聞いた名前だと思ったら、有崎尚斗ってアンタじゃないの!」
「はい?」
「いやあ、盲点だったわ……まさかこんな偶然があるとはねぇ」
 1人で納得したように、弥生はうんうんと何度も頷く。
「もしもし?」
「何?アンタの家ってこの近く?」
「……このスーパーには何年も通っているが、出会ったことないよな?」
「ああ、私は最近通いだしたのよ……ま、色々あってね」
「ま、色々あるなら仕方ないよな」
「そうそう、仕方ないのよ……おっと、忘れないうちに」
 弥生は買い物かごを床の上に置くと、きちっと姿勢を正してから尚斗に向かって深々と頭を下げた。
「とりあえずだけど……ありがとう」
「……ワケわかんないんですが」
「いや、それがね……」
 弥生は顔を上げ、何かを言いかけて口を閉じた。
「…?」
「やっぱ……本人に挨拶に行かせるから」
「はい?」
「と言うわけで、住所教えて」
「……???」
 
 夕日を背に受ける人影に向かって、尚斗は声をかけた。
「……で、お前がラスボスか、青山?」
「何をワケのわからん事を…」
 青山は2、3歩、近づき、尚斗が手にぶら下げているスーパーの袋にちらっと目を向けた。
「買い物帰りか?」
「ああ。なんか知らんが、今日は知り合いと良く会う日でな……お前は?」
「ん……学校の現場をちょっとな」
「……建設現場に面白いモノでもあるのかよ?」
 呆れたような尚斗の言葉に、青山はちょっとだけ笑ってみせた。
「有崎……お前は、変と思わなかったか?」
「何が?」
「いや、前々から建設計画が進められていたならともかく、突発的な災害で、しかも年度末……業者の入札もなく、今週の頭から建設工事が始まっている現実とかに」
 尚斗が青山の言葉の意味を理解するまでに数瞬の時間を要した。
「……変だな」
「だろ?」
「言われてみれば、確かに変だ!」
「その、『言われてみれば誰でも気付く明白な事』がだな、全然話題になってないことがこれまた俺には不思議でな」
「むう…」
「ちなみに、工事現場は『前からの計画通りのように』スムーズに進められている」
「……と言うと?」
「年度末に、建設資材や工事に必要な特殊車両を集めるのは大変なんだよ……前から予約してない限り」
「……教育関連施設で、しかも緊急工事だから優先的に回して貰ってるって事は?」
「ま……そのあたりはこれからだな」
 そう言うと、青山は片目をつぶって見せた。
「……やばそーな話には足をつっこむなよ」
「わかってるよ…」
 
 
                     完
 
 
 ……タイトルにあまり深い意味はないです。(笑)

前のページに戻る