「しかし……このガッコって、どうして俺達男子生徒がここまで似合わないんだか」
 校門を通り過ぎる女子生徒……は、なんなく景色に溶け込んでいるのだが、これが男子生徒だったりすると途端に違和感を覚えてしまうと言うか。
「……俺の心の問題か?」
「オッス、有崎」
 この下品な声は紛れもなく宮坂。
「おう、宮さ……」
 宮坂を見た瞬間、尚斗の声は掠れた。
 そして、気を取り直すように首を振って大きくため息をつく。
「……ほんとに仕掛けたのか、あのちびっこ」
 宮坂の頭部を飾る、往年のドリフを連想させるような見事なアフロは道行く人間の注目の的だ。
「……やはり、お前か」
「あ?」
 宮坂は口元にニヒルな笑みを浮かべ、アフロのカツラを取り外した。
「おや?」
「普通の奴なら目をそらすか間違いなくコレにツッコミを入れるはず。ましてや、有崎なら……つまり、お前はコレを見て頷く材料を握ってたに違いない!」
「……宮坂、お前まさかそれを確かめるためだけにそれをかぶって…」
 宮坂と知り合ってもう2年近くになるが、尚斗は未だに宮坂という人間について理解できないでいる。
 そんな尚斗の様子を気にとめるでもなく、宮坂はびしっと尚斗の顔面を指さした。
「有崎…お前、親友である俺を売ったな!?」
「電流アタックを仕掛けるちびっこもちびっこだが、いくら記憶がリセットされたとはいえ前日と同じ行動を取る宮坂も宮坂というか…」
「てめえ、いくら貰った。半分よこせ!」
「……可能なら、お前を警察に売っぱらいたいところなんだが」
 
「おや…」
 教室に足を踏み入れた瞬間、尚斗は教室内の雰囲気がいつもと違うことに気がついた……いつものと言っても、精々一昨日と昨日の2日の話なのだが。
 借りてきたネコというか、落ち着きのないお客様状態だった男子生徒の目が今日は何やらギラギラと輝いている。
「……?」
 首を傾げながら席に着く。
「青山……今日って何かあるのか?」
「……自分達の想像を超えてたから一時的に放心してたが、自分達の置かれた状況に馴れてきたというか目覚めたって所だろ」
「……そう言われてみると、なんか『彼女作るぜコンチキショー』ってなオーラに満ちあふれているような感じだな」
 隙あらば自分の長所をアピールしようと思っているのか、露骨ではないが女子生徒の動きに集中しているように見受けられた。
「……賭けるか、有崎?」
「何を?」
「バレンタインカップルがいくつ成立するか」
「のった」
「面白そうだから私も」
「おう、いい……ぞ?」
 尚斗と青山は、声の主を振り返った。
 ちょっと癖のあるショートヘアーと、口元の妙に力の抜けた笑みが印象的な……
「誰だっけ?」
「あ、風邪治ったの、紗智」
「あ、やっほ麻里絵。いやあ、来るとは聞いてたけどホントに男がいるから間違えちゃったかななんてびっくりしたけど…」
 尚斗と青山の頭上越しに、麻里絵とその少女が会話を始める。
 やがて、放置プレイされていた尚斗達に気付いたのか麻里絵の視線が尚斗に向く。
「あ、尚斗君、この娘が昨日言ってた…」
「なお…と」
 少女はちょっと身構え、ぶしつけな視線で尚斗をじろじろと眺め回した。
「……みちろーのライバル?」
「……麻里絵君。何やら俺の知らないところで噂を1人歩きさせてないか?」
「え、べ、別にそんなことないよう…」
 などと呟きながら、麻里絵の視線はあらぬ方向に。
「なんだ、レベル低いじゃん…」
 ぼそっとつまらなさそうに少女が呟いた。
「おい、さっちゃん」
「さっちゃんゆうな」
 顔面向かって突き出された右拳を尚斗は左手で受け止めた。
「ほう、なかなか……」
「……寸止めするつもりなかったろ、今の」
「このぐらい避けられないようじゃ、男失格でしょ」
「無茶いうな、一ノ瀬さんよ」
「紗智」
「は?」
「紗智って呼んでよ。私、一ノ瀬さんとか呼ばれると背中がむず痒くなるタイプだから」
 にへらっと、口元に奇妙な笑みを浮かべて紗智はそう言った。
「じゃ、俺は尚斗って事で…」
「了解」
「ちなみに、こいつは青山……先に忠告しておくが、男子校の生徒で一番敵にまわしていけない奴だから、注意するように」
「ほほう…」
 紗智の視線が、青山に注がれた。
「悪いが、俺は一ノ瀬って呼ぶぞ……名前を呼ぶのは好きじゃないんでな」
「ふーん……別にいいけど」
 
「……まあ、精々3組だろ。青山は?」
「俺は……5組だな」
「んっふっふー。アンタ達甘い甘い。このガッコ、イベントが欲しいって娘が結構いるからね……見たところ、そっちの生徒も血走ってるみたいだからバレンタインに向けて10組ぐらいは」
「ほう、そういう見方もあるか」
「ま、その後すぐに別れても知った事じゃないけどね」
 喜々としてカップル成立数を予測する3人組に向かって、麻里絵がおそるおそる口を挟んできた。
「それって、不謹慎…」
「何を言うか麻里絵。カップルが別れる予想ならいざ知らず、カップルが成立するのはいいことじゃないか、それを不謹慎とは…」
「そうよ、麻里絵。他人の幸せを願ってどこが悪いの?」
「あうう…」
「……他人の幸せを願うのは結構だけど、ちょっと静かにしてくれない?」
「……?」
 紗智は世羽子を怪訝そうに見つめた。
「どうしたの、秋谷さん?私、いつもこんなだけど…ふが」
「ご、ごめんなさい秋谷さん」
 紗智の口を手のひらで覆った麻里絵を指さしつつ、青山は尚斗を見た。
「ん、知ってる…」
「ふーん…」
 青山は生返事をし、世羽子に向かって声をかけた。
「秋谷も賭けるか?」
「は?」
 冗談でしょ、という目つきで青山を見る世羽子。
「と、言うか……これって何を賭けてるの?」
 と、今さらそんなことを言う紗智。
「ああ、俺と有崎だけならファミレスで奢りとかが定番なんだが……秋谷が賭ければ5人だからな」
「え、ひょっとして私入ってる?」
 狼狽えたように自分を指さす麻里絵だが、全員が無視を決め込んだ。
「青山君……本気で私が賭けると思ってる?」
「さあ……俺の見るところ、確率は0じゃなさそうだが」
「……お断りよ」
 世羽子はそう言い捨てて、窓の外に顔を向けた。
「で、何を賭けるの?」
 青山は世羽子の方に一瞬だけ視線を向け、ごくごく淡々とした口調で切り出した。
「勝った奴が決める……というのはどうかな」
「……と、言うと?」
「例えば、俺が勝ったとして、一ノ瀬、椎名、有崎の3人にそれぞれ別のことを要求する……でも、負けた方はその要求を突っぱねてもいい」
「それじゃあ、賭けにならないじゃない…」
 紗智が口を尖らせるが、青山は穏やかな口調で説明を始めた。
「そうか?俺の見たところ、このメンツは本当に無茶な要求はしそうじゃないし、負けたからって不当に要求を突っぱねるタイプでもなさそうだから面白いと思うんだけど」
 青山が3人の顔を見る。
「相手がどれぐらいまでの要求なら聞いてくれるか……ちょっと興味ない?」
「あの…青山君、何を要求してもいいってことだよね?」
「相手がそれをきいてくれると思うならご自由に」
 少し脅えたようにも見えるが、青山の提案は麻里絵の中の何かをくすぐったようだった。
「……青山、お前何か企んでない?」
「別に」
「ちょっと確認したいんだけど」
 何か楽しいことを考えているような表情で紗智が口を開いた。
「何?」
「例えば私が勝ったとして……その、例えばなんだけど、青山君と尚斗がつき合いなさいってな要求もアリかな?」
「は?俺と青山って男同士だが…?」
 ちょっと日本語わかりません状態に陥った尚斗がぼそりと呟いたが、紗智は楽しげな笑みを浮かべるだけ。
「まあ……2人がそれを受け入れると思うなら」
 さすがの青山も、多少の沈黙を経てそう言った。
「ふっふっふっ」
 不気味に笑い、紗智は目をキラーンと光らせる。
「面白い、受けて立とうじゃないの!」
「こ、この女……何を考えてやがる」
「……という感じだが、秋谷」
「おい、青山…」
 さすがに執拗すぎると思ったのか、尚斗が口を挟む……が、世羽子の口から意外な言葉がこぼれた。
「……面白そうね」
 
「しっかし、青山の奴何企んでやがる…」
 ひっそりと静まりかえった廊下を歩きながら尚斗は呟いた。
 もちろん今は授業中。
 男子生徒の目が生き返ったのはいいのだが授業中はやはりおとなしい……人は環境に順応する生き物だと言うことか。
「……と、すると順応できない俺はなんなんだか」
 ドアを開け、吹きさらしの屋上へと歩を進めた。
「……」
 半ば無意識に例の少女の姿を探してしまったが、今日はいないようだった。
 フェンスにもたれ、空を見上げた。
「麻里絵の予想が6組で、世羽子の予想が1組……か」
 青山が5組、尚斗が3組だから、一桁前半はかなりの激戦区域。
 ただし、紗智の予想がただ1人二桁予想なのが不気味と言えば不気味だった。
 花も咲かない男子校、隠れて咲くはあだ花ばかり……などと、男子校を形容する(笑)言葉があるが、女子校の場合は果たしてどうなのだろう。
 尚斗は朝っぱらから『俺達は幸せになるんだ…』というオーラを漂わせていた男子連中を思い出し、思わず足下に視線を向けた。
「……なんか、この学校から妙な磁場が発生してたりしてな」
「……っ……っ…!」
「……ん?」
 何かが聞こえたように感じて、尚斗はあたりを見回した。
「……っ……わっ……わわっ!」
「……?」
「落ちっ、落ちるっ!」
「……上っ?」
 まさかとは思いながら、尚斗は上空を見上げた。
 引力に逆らうように懸命に羽ばたく真っ白な大きい羽が尚斗の視界を埋め尽くす。
「……え?」
「きゃあっ!」
 空から落下してきた白い物体を、尚斗は反射的に抱きかかえるようにして受け止めた……もちろん、尻もちをつくようにして屋上に叩きつけられはしたが。
「……っ…ぅ…」
 後頭部を打たずにすんだの幸いだが、まともに背中を打ち付けたため息が詰まる。
「(こ…声を…出さなきゃ)」
 悲鳴でもなんでもいい、その一声が呼吸を回復させるきっかけになる。
「……ぁ…がはあっ!」
 新鮮な空気が肺の中に飛び込んできて、文字通りやっと一息つく……が、それと同時に激痛が身体中を走り抜けた。
「わわわ、申し訳ありません……お怪我は」
 尚斗の身体の上で、鈴の音のような声がした。
「わ、わからん……が、俺の上からどいてくれ」
「ど、どいてくれと言われましても…あなたに、その…しっかりと抱きしめられていまして…」
 恥ずかしげに囁かれたその言葉で、尚斗は自分の腕が反射的に受け止めたそれを未だしっかりと抱きしめていることに気付く。
「お、おお…すまん…」
 痛みに強ばる筋肉をなだめすかして、なんとか力を抜いて『それ』を解放した。
「……ぐっぅ…」
 肩、肘、膝、足首、そして指……少しずつ感覚が戻ってくる。
 痛みはひどいが芯に残る残るダメージではなさそうだし、骨折の類はしていないようだった。
「……助かった」
 さすが21世紀、どこで何が起こるかわからない。
 尚斗は痛みを堪えて上体を起こし、そこに立つ……少女を見つめた。
「……アンタは、大丈夫か?」
「おかげさまで…」
 深々と頭を下げた少女を見つめ、尚斗は呟いた。
「羽……ないよな」
 腰まで届きそうなおさげを羽と間違えた……
「……な、わけないよな」
「本当に助かりました……この上空を通りかかったら、すっごい力で引っ張られて…。私、こんなたくさんで強烈な『幸せになりたい』って波動を浴びたの初めてでして…」
「……待て」
 尚斗は右手を突き出して少女の言葉を制した。
「今、『上空を通りかかって…』などと聞き捨てならない台詞を耳にしたような」
「はい……あ」
 コクンと頷いてから、少女はしまったという表情を浮かべて口元を手で隠した。
「もしもし…」
「見られてしまいました……」
「……おい」
「どうしましょう…」
「なんか、少しずつ顔の影が濃くなっていくのが非常にイヤなんだが」
 これが漫画なら、間違いなく口封じされる展開だ。
「うーん、お困りさんですぅ…」
 少女が身に纏っているのはどこかの民族衣装みたいなシロモノで、少なくともこの学校の制服をどう改造してもそうはならないという形状をしている。
「とりあえず……この学校の生徒じゃないよな?」
「……ああ」
 少女がぱちん、と音をたてて手を叩いた。
「それでいきましょう」
「はあ、良くわかりませんが、それでいいならいかれてはどうでしょうか」
「はい、それでいってみます」
 少女は再び頭を深々と下げ、そしてじっと尚斗の顔を見つめた。
「……ところで、お体の方はなんともないのでしょうか?」
「ああ、痛いことは痛いが大したことは……」
 ふわっと、少女の手が尚斗の額に当てられた……というか、目を離したわけでもないのに近づく気配を全く感じなかったことにびっくりする。
「……もしもし?」
 なんだか、身体の痛みがひいていくような気がした。
「おまじないです……これとは別に、今日のお礼は必ず致しますので」
「あ、別に気にしないでいい……よ?」
 少女は額から手を離すと、尚斗の目の前でぱちん、と手を叩いた。
「……はい?」
「では、ごきげんよう…」
 少女の姿がかき消える。
「……え?」
 尚斗はきょろきょろとあたりを見回した。
 誰もいない。
「……ん?」
 制服の胸ポケットに、一枚の白い羽を残して……
 
 昼休み。
「ほほう……」
「人の弁当箱を覗き込んで、何を頷いてやがる」
「いい仕事してますね、その卵焼き」
「……食うか?」
「わ、なんだか催促したみたいで悪いわね」
 尚斗からもらった卵焼きを口に入れ、紗智は幸せそうに呟いた。
「紗智…それは催促したって言うの」
 呆れたように麻里絵はため息をついた。
「それにしても……」
 紗智は教室内を見渡し、興味深そうな顔を浮かべた。
「男女が混ざってるの、ここだけね」
 男子は男子、女子は女子……というか、男子連中で弁当もちの人間が珍しい事も影響しているだろう。
 教室内に残っている男子は尚斗と青山を含めて5人で、そのうち2人はがさがさとパンの袋を開けていたりする。
「……というわけで、モノは相談なんだけど」
「ん?」
「有崎尚斗君、麻里絵とよりを戻すつもりはないかね?」
 ガタッ、と椅子が軋む音が音の大小はあれど左右から響いた。
「紗智っ」
「よりを戻すも何も、つき合ったことがないんだが」
「尚兄ちゃんも、真面目に対応しないのっ!」
「だってこいつマジな話してるようだし、真剣に応えてやらないと失礼だろ」
 尚斗がそう言うと、紗智はちょっと驚いたような表情になり、そして一瞬だけ例の力の抜けた笑みを浮かべた。
「……とはいえ、昼飯時に、しかも教室内でするような話じゃないとは思うが」
「まあ……ね。でも考えておいてよ、麻里絵のこと」
「考えなくていいです!」
「だ、そうだ……」
「……ちなみに」
 いきなり青山が割り込んできた。
「賭のために無理矢理カップルを成立させるのはなしな」
「……」
「……」
 尚斗と麻里絵の視線が紗智に集中する。
「や、やだなー。私、ぜんっぜん、そんなこと考えたりしてないって。私はただ麻里絵のことを心配して…」
「なるほど、俺のことは考えてないってワケだな」
「いやいやお兄さん。麻里絵ってば掘り出し物だって……気だてはいいし、気だてはいいし、気だてはいいし」
「紗智から見て、麻里絵にはいいところが気だてしかないのか」
 紗智は尚斗の視線からちょっと顔を背け、そして呟いた。
「人間って……余分な部分を削ぎ落としたら、それしか残らないと思うけど」
 
「む、ケダモノの仲間発見。夏樹様、引き返しましょう」
 このそこはかとない高周波の声は…
「引き返す必要はないと思うが…」
 でこぼこコンビ……という言葉が浮かんだが、口には出さないことにした。
「こんにちは」
「あ、こんにちは」
 意外にも、背の高い方が挨拶をしてきたので尚斗も慌てて会釈した。
「夏樹様、挨拶なんて必要ないですよ、しっしっ」
「挨拶もろくにできない風に育てた覚えはないんだが…」
「あなたに育てられた覚えはありませんし、挨拶する相手は選べと教えられてきましたから」
「……あまりいい教育とは思えんな」
 尚斗はそう呟き、ちびっこの目線と同じ高さまで腰を折ってあらためて言った。
「こんにちは」
「……イヤミですか、それは?」
 ちびっこはプイッとよそを向き、それでも小さい声でこんにちはと呟いた。
「よしよし…」
 と、ちびっこの頭に無意識に伸ばしかけた手を慌てて引っ込めた。
「ふふ…」
そんな尚斗を見て背の高い方が笑ったが気にしない。
「……で、演劇部の平和は守られたか?」
「……ケダモノが一匹、罠にかかっていたようです」
「ま、悪い奴だが悪い奴じゃないんだ」
「……なんですか、その日本語の裏切り者のような言葉は…」
 怪訝そうにちびっこが尚斗を振り返った。
「奴に頼めば、チョコパン一個で大概の情報は手に入る……奴とはさみは使いようといういい具体例だな」
「ああ、馬鹿なんですね」
「……言うね、結構」
「どっちが…」
「俺はいいんだ、友達だから。向こうは向こうで、俺のことに関して何をやらかしてるか知れたモノじゃないし」
「……友達は選んだ方がいいですよ」
 そっぽを向いたままぼそっと、それでもどこか暖かみのある口調。
「いや、選んだから友人なんだ」
「……」
「結花ちゃん、そろそろ…」
「床?」
「発音がちがーうっ!」
 全身のバネを使って伸び上がるようなアッパーストレート……は、尚斗がのげぞってかわしたために僅かに届かない。
「あ、あぶね…」
「あはは、花を結ぶと書いて結花っていうのよ」
「夏樹様、こんなのに名前を教えたら夜な夜な神社を巡って怪しげな儀式の餌食に……」
「有崎尚斗です…縁があればよろしく」
「縁なんて一生ありませんっ!」
 憤慨したように叫ぶ結花。
 なんというか、本当にいじり甲斐があるというか何というか。
「じゃあ、結花ちゃんと夏樹ちゃんか」
「え…?」
 夏樹の頬のあたりがうっすらと染まった。
「『ちゃん』?『ちゃん』ですと!?」
 再び結花がきーきーと騒ぎ始めた。
「おそれ多くも、夏樹様に向かって『ちゃん』?現実のムサイ男どもに幻滅した私達の心に安らぎと潤いを与える魅惑の麗人にして、学校創立以来最高の才媛、全てを最高レベルで備えた夏樹様に向かって『ちゃん』とはなんですかっ!」
「……」
「ふっ、ご自分の罪深さにおののいて一言もないようですね」
「いや、あの長い台詞をかまずに言い終えるとは……さすが演劇部と思って」
「感心するところがちがーうっ……って、夏樹様、何笑ってるんですかっ!」
「ご、ごめんなさい……だって、あなた達のやりとりを聞いてたら、つい…ね」
 口元を手で隠す夏樹……このぐらいで笑うとは、普段のこの学校の笑いのレベル……というか、夏樹を取り巻く人間の笑いのレベルは相当低いらしかった。
「しかし、創立以来最高の才媛……って、ひょっとして1年と3年にトップ以外取ったことがない人間がいるらしいが、夏樹さんのことか?」
「えっと…」
 夏樹は少し困ったような恥ずかしそうな表情を浮かべた。
「私のはたまたま……その呼び名にふさわしいのはむしろ結花ちゃんね」
「……」
「なんですか、その疑わしそうな視線は……」
「産業革命を成立させる必要条件を思いつく限り述べよ」
「細かく数え上げるときりがありませんから本質的必要条件にとどめますけど、生産性を向上させなければならない内外要素の存在、長期に渡る資本蓄積においていわゆる中産階級が誕生していること……」
「わかった、もういい」
「産業革命と聞くと、それが瞬間的に起こったと錯覚されている方が多いようですが、実際は長期に渡って緩やかに達成された現象ですので、学校の教科書をうのみになさらない方が……」
「もういいと言うに……えらいえらい」
 結花の頭を撫でる……が、うるさそうに払いのけられた。
「足が速いとか、絵が上手とか……勉強ができるできないも、それと同義だと思うんですけどね」
「別に俺は足が速い奴には感心するし、絵が上手な奴にも感心するが?」
「……忘れてください、失言でした」
 そう呟きながら結花は視線を落とした。
「ふむ……良くわからんが一応謝っておくぞ」
「変な人ですね……有崎さんは」
 ちびっこはほんの少しだけ笑い、そして夏樹の手を取った。
「行きましょう、夏樹様…」
「え、あ、うん…じゃあね」
「縁があれば」
「縁なんてありません!」
 そう言って結花はあっかんべーをしながら歩き去った。
 
 
                  第4話 完
 
 
 なんか、日記を書くようなペースでかけますなあ。(笑)
 枠組みだけ考えて、後は高任の思うまま書きつづっているせいもありますが。

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