上空にこの冬一番の大寒気団が居座ったとかで、この地方では珍しい事だが朝から雪が降り続いている。
 天気予報によるとこの雪は明日の朝まで飽きることなく降り続け、交通機関を全て麻痺させる勢いだとか何とか。
「雪見酒か……風流、風流」
「青山……雪見酒ってのは、もう少し情緒のあるモノだと思うんだが」
 花も咲かない某男子校の理科実験室にはもちろん暖房設備はない。
 机の上で日本酒を熱燗にしているアルコールランプ3個、そして酒を飲む3人の男子生徒だけが熱源と言ってもいい。
 窓の外は雪……というか、雪しか見えない。
 雪景色と、時折の飛雪を肴に冷えた身体を内側からじんわりと暖める……ってな、某書物における雪見酒の醍醐味はどこへやら。
「こうして、北国の冬に思いを馳せながらぬるめの熱燗をキュッとあおる青少年……風流だねえ」
「いや、犯罪だろそれ」
「有崎、イギリスでは18歳から飲酒喫煙が認められていてだな…」
「俺ら17だが」
「ふむ、ゲームが発売されてから2年経ったから大丈夫だろ」
「お前が何を言ってるのかさっぱりわからんが、それでも19だぞ」
「あ〜つ〜い〜」
 ビーカーの日本酒を一気にあおると、宮坂はすっかり出来上がったような顔で窓ガラスに貼りついた。
「……青山、アイツ酒弱いのか?」
「まあ、宮坂の場合は素面でも酔っぱらってるからな、あんなもんだろ」
 と、宮坂の3倍ほどのアルコールを摂取しながら顔色1つ変えずにいつもながらの毒舌を吐く青山は別格として。
「んじゃ……宮坂用のランプで、カワハギの乾物でも炙るか」
 宮坂用の日本酒を暖めていたランプに網を載せ、尚斗はカワハギの乾物をセットした。
「おーい、窓がひんやりして気持ちいいぞお……酒さえあれば、冷たい世間もドンと来いって事かぁ?」
「おや、宮坂が珍しくまともな事を」
「……まともか?」
「『酔っぱらいのたわごと』なんて言葉があるが、酔っぱらいの言葉ってのはある種の真実が隠されていることが多く…」
「わかった、いいから飲め、青山」
 ギシ……
「……」
「今、不安気な音がしたな…」
「いいかげんぼろだからな、この校舎……ここに忍びこんだとき、もう屋根に10センチ近く積もってたし」
「……ふっふっふっ」
 窓に貼りついたまま、宮坂が不気味な笑い声を上げた。
「どうした宮坂。アルコールが脳のいらんとこに入ったのか?」
「青山……お前、時々酷いこというよな」
「風が吹いたら桶屋が儲かる……」
「お、カワハギ焼けたぞ……食うか、青山」
「おお、すまんな有崎…」
「聞けよ、お前ら…」
 顔中に水滴を貼り付けたまま、宮坂がずずいっと青山と尚斗の方に顔を寄せてきた。
「わかった、聞いてやる。3、2、1、ハイ……ダメ」
「青山……お前ひょっとして俺のこと嫌いか?」
「酒がまずくなる、さっさと言え」
「……つまりだな、雪が積もれば学校が休みになるんだ」
「そりゃ……今日は土曜だし」
「じゃなくて……わかってないな、有崎」
 宮坂が人差し指を立てて、チッチッチッと舌を鳴らす。
 気がつくと宮坂はすっかり素面の顔をしていて、普段通りの酔っぱらった言動が顔を覗かせ始めていた。
「このまま雪が積もる……すると、このオンボロ校舎が重みで潰れる。うわあ、学校が立入禁止になって授業が休みになっちゃったよってな案配だ」
 それを聞いて尚斗はため息をついたのだが、青山はきらりと瞳を光らせた。
 しかも少々危険な光り方。
「宮坂、それは一押し足りないな」
「むう?」
「ここは、オンボロ校舎を愛する3人の男子生徒によって、校舎が雪の重みで潰れたりしないように、屋根に上がってパトロールをすべきではないだろうか……パトロール中、屋根に穴があくかも知れないが学校を愛するが故の勇み足にすぎん」
「青山、お前はサイコーだ!」
 宮坂が青山の手をギュッと握りしめるのを見ながら、尚斗は心持ち掠れた声で呟いた。
「あ、青山……お前ってヤツは」
「何だよ、反対するのか有崎」
「いや、言ってみただけだ。面白そうだから是非やろう」
 
 30年ぶりの大雪。
 かねてから老朽化が進んでその危険性を指摘されていたオンボロ校舎。
「……ま、不幸な事故だよな」
 青山が、瓦礫の山と化した校舎を前にしてそう呟く。
「この光景を前にして顔色1つ変えずに言えるお前をちょっと尊敬するぞ…」
「心配するな、ここまで壊れたら原因究明なんて不可能だ……ハンマーでたたき壊したワケじゃないし」
 屋根の上にのぼり、もっとも弱いと思われる部分で尚斗達3人が青山の指示に従って足踏みをしただけで屋根を一部崩壊させたのは紛れもない事実だが……
「……どう考えてもおかしいだろ」
「そうだな、こんなオンボロ校舎で授業を受けさせていた責任者はどこかおかしいな」
「いや、そうじゃなくて……」
 その時、それまで黙っていた宮坂が尚斗と青山2人の肘を突っついた。
「ん?」
「どうも……俺達だけじゃなかったようだぞ」
 宮坂が指さす方角に目を向ければ、何やら青い顔をしてぼそぼそと相談しているグループが幾つか。
 『うわあ、ひどい雪だ!』などと叫びながら校舎の各所にダメージを与えていくグループの姿を想像してしまい、尚斗はそれを振り払うように慌てて首を振った。
「……不幸な事故でいい」
「ああ、多分彼らも悲しい科学の犠牲者だったに違いない」
「見ろよ、朝日が昇る…」
 などと、既に昇りきった太陽を指さす宮坂に従い、尚斗と青山は重々しく頷くのであった。
 
「いいのかあっ、本当に、足を踏み入れていいのかあっ!?」
 宮坂が女子校の壁に頬ずりしながら吼えているのを無視して、尚斗は傍らの青山に話し掛けた。
「昨日の今日とはな……1週間は休めると思ったんだが」
「まあ、愛されたくないと思っている汝の隣人の首根っこを掴んで無理矢理愛する宗教の学校だからな…」
「青山……俺の前ならともかく、人前で口にするなよ、それ」
「一応、わきまえてはいるさ」
 『一応』の部分に妙なアクセントをきかせ、青山はさらに言葉を続けた。
「中学の頃とは違う」
「まあ、中学の時の方がすごかったか、お前は……」
「お前らあっ!」
 突然宮坂が2人の首根っこを脇に抱える。
「お前らは、お前らは女子校に足を踏み入れるという偉業に対して感動の涙を流さないのか!?考えるな、感じるんだ!この、あたりに充満する馥郁たる女子高生のかぐわしい香りをっ!」
「感じてどうするんだそんなもん……」
「秘密の花園がっ!秘密の花園が秘密のベールを取り去って俺達だけにその狭き門をひらいたというのにっ!俺達が、俺達があのオンボロ校舎を自ら破壊して切り開いた未踏ルートの気高さに涙せよっ!」
 左右でそれぞれ鈍い音が炸裂し、宮坂は涙を流しながら地面に崩れ落ちた。
「……ったく、この馬鹿は」
「こいつ……何で男子校に来たんだろうな」
「女子校に入学できなかったからじゃないか?」
 尚斗と青山、そして宮坂の反応はそれぞれ両極端ではあるが、8割程度の男子生徒が宮坂よりの態度で今回の女子校を間借りして授業を受けるというはからいに大いに感謝していたと言ってもいい。
 ちなみに残りの2割は、女子校云々以前の問題として彼女持ちの生徒と、部活動なり趣味なりの違う方面に情熱を燃やしていてどうでも良いと思っている生徒達が半々というところか。
「有崎…」
「ん?」
「イヤなこと思い出させるかもしれんが……確か、秋谷って」
「ああ、ここのガッコだよ……毒舌家の青山にしちゃ、歯切れ悪いな」
「ま、たまにはな……」
「女子校の真ん前で、男の友情深めあってどうするかっ!」
 復活した宮坂が吼える。
「ふ、不死身か…宮坂」
「つーか、恥ずかしいからお前あっち行け」
「いいのかあっ!足を踏み入れていいのかあッ!」
「いいぞ」
 青山が頷いた途端、宮坂は周囲にソニックウエーブをまき散らしながら校門内に突入していった。
「あ、そういや…」
「どうかしたのか?」
「いや、このガッコにもう1人……知り合いがいるかも」
「中学ん時のツレ……じゃないよな?」
「ああ、ガキん時の……」
 くい。
「尚兄ちゃん…?」
「そう、こんな感じに服の袖を……」
 尚斗は口をつぐみ、制服の袖を指先で恥ずかしげにちょっとつまんだ少女に目をやった。
「……」
 尚斗の視線は少女の顔から足先へ、そして足先から顔へと戻る。
 まず懐かしさがこみ上げた。
「ちび麻里……は失礼か、もう」
「あはは、おっきくなったもん……」
 ちび麻里と呼ばれた少女は懐かしそうに微笑み、そしてさっきの尚斗がしたように尚斗の顔から足先まで視線を移動させた……が、顔に向かって戻ることなくしばらくそのままで。
「……尚兄ちゃんもおっきくなったね」
「まあ、反抗期だからな」
「あはは、そういうとこ変わらないね……」
 はじけるような笑みを浮かべ、少女は尚斗の顔に視線を戻した。
「それにしても久しぶりだね……」
「……久闊を叙したいのはやまやまだが」
「……久闊を叙し……って?」
 少女は背後にはてなマークを飛ばしながら首を傾げた。
「……お前、良くここに合格できたな」
「えへへ、頑張ったもん……」
 恥ずかしそうに、それでいて誇らしそうに少女は子供っぽい仕草で胸を張った。
 キリがないと判断したのか、尚斗は2人のやりとりを興味深げに見守っていた青山に向き直る。
「青山、この子は俺の幼なじみで麻里絵といって……えーと?」
「……ひょっとして、私の名字忘れてる?」
「自慢じゃないが、お前を名字で呼んだ覚えはない」
 麻里絵は小さくため息をつき、青山に向かってぺこりと頭を下げた。
「椎名麻里絵です、初めまして」
「青山大輔です、よろしく」
「宮坂幸二、幸せな二枚目と書いて幸二です、よろしく」
 突如現れ、ごく自然な動作で右手を麻里絵に向かって突き出す宮坂の額には、冬だというのに汗が浮いていた。
「……どこからわいた、貴様」
「有崎君とは大の親友で……まあ、お互いのためなら命さえ惜しまぬ深い友情で結ばれています」
 麻里絵に対して斜め45度の角度を維持し、宮坂は口元に白い歯を光らせる。
「宮坂……それがお前の考える二の線か」
「まあ、幸せなヤツであることは間違いないが…」
「あ、あはは……」
 俺と青山の呟きを耳にしたのか、麻里絵が乾いた笑い声をあげた。
「まあ、いつまでも校門前でぐだぐだ言ってても仕方ないし……」
「そうだな…」
「よろこべ有崎、そして青山。僕達は同じクラスさ」
 麻里絵の視線を意識しているのか、宮坂の痛すぎる独り芝居は続いている。
「当たり前だろ。女子校の教室を間借りするだけなんだから」
 尚斗、青山、宮坂の3人は男子校で同じクラスなのだから、青山の発言はしごくまっとうかと思われた。
「あ、あれ…ひょっとして知らない…の?」
 おずおずと麻里絵。
「せっかくの機会だからって、ウチの2クラスを2つにわけてそっちの2クラスを2つにわけたのと合流させて4クラスの臨時合同学級に……」
「初耳です」
「まあ……校舎が潰れてそれどころじゃなかったしな」
 それを聞いて、麻里絵が表情を曇らせた。
「大変だよね……いろんな思い出の詰まった校舎だったんでしょ」
「あははのは」
「え?」
 尚斗、青山、宮坂3人揃っての乾いた笑いに、麻里絵は狼狽えた。
 何やら触れてはいけない部分に触れてしまったことを何となく感じたらしい。
「そ、そういえば私のクラスは……」
「椎名麻里絵さん……ですよね」
「は、はい?」
「僕達と同じクラスです、いやあ神様って本当にいるんですねえ」
「え、え?全部メモしてあるんですか?」
「もちろんですとも」
 と、手帳をポケットにしまい込みながら朗らかに笑う宮坂をしりめに、青山が呟く。
「本当に神様がいるなら、多分裏があるだろ……特に俺達には」
「……青山、俺イヤな予感がするんだけど」
「とりあえず有崎の場合、秋谷が同じクラスなのは間違いないだろうな…」
 
「青山……今、俺の中のプロレタリアートの血が騒いで仕方ないんだが」
「世間一般的に、俺はブルジョアジーに属する人間だから知らん」
 壁も廊下もぴっかぴか……もちろん、落書きはおろかゴミの1つも落ちていない。
 というか、壁が、窓枠が、廊下に何気なく置かれた花瓶が……とにかくそのあたりからぷんぷんと高級感が漂ってくるというか。
「やっぱり神様っているぞ、絶対…」
「校舎内を歩くだけでダメージを受けてどうするよ、有崎」
「ついたよ、尚兄ちゃん……ここが私達の教室」
「はあ、着いてしまいましたか……って、さすがに教室の中は……よし、大丈夫だな」
 と、尚斗が教室を見渡してため息をついた。
 見た目は似ているが、人間工学の観点から生徒達の身体を考えた机だったり椅子だったりしてお金がかかっていることに気付かなかった尚斗が納得しているならそれはそれで良いのだろう。
 もちろん青山は何も言わない。
「で、座席は?好きに座って良いのか?それともホームルームとかで……」
 と、尚斗が身近な席に腰を下ろした瞬間
「そこ、私の席なんだけど…」
「あ、悪…い」
 何か挑発的と思える目つきで自分を見下ろす少女の姿を見て、尚斗はなんとも言えない表情を浮かべた。
「……」
「……」
「尚兄ちゃん、そこは秋谷さんの席……」
 麻里絵の声がしりすぼみになった。
 2人の様子にただならぬ何かを感じたのか。
「悪い……二度と顔見せないでって言われてたのを忘れてたわけじゃない」
「ま、仕方ないでしょ……合同授業を言い出したのはここの理事長だし、尚斗がそっちの校舎を壊したわけでも…」
「あははのは」
 尚斗の乾いた笑い声に少女はほんの少し目を細め、そしてため息をついた。
「……不可抗力だから勘弁してあげるわよ」
「助かる」
 尚斗は苦笑し、少女に軽く頭を下げてから背を向けた。
「麻里絵、俺の席どこだって?」
「あ、うん……あの、秋谷さんと知り合い?」
「ああ、同じ中学だったからな……と言っても、世羽子は3年に上がるときここの中等部に編入したから」
「世羽子……」
 尚斗の口からごく自然な感じに少女の名前が出てきたせいか、麻里絵は視線を床の上に落とした。
「……また後で話してやるよ。それより俺の席は?」
「私の左隣……」
「ほう」
「で、秋谷さんの右隣」
「すごいや、神様」
 思わずそう呟いてしまった尚斗をさすがに哀れに思ったのか、青山が心配そうに声をかけてきた。
「……有崎、俺の席と代わってやろうか?」
「お前の席は?」
「お前の1つ前……まあ、青山と有崎じゃあな」
「……『あ』から始まる名字で悪かったわね、青山君」
 ごく淡々とした口調で呟きながら、世羽子は青山に向かって微笑んだ……氷の微笑。
「久しぶりだな、秋谷」
「そうね、青山君も相変わらず元気そうね……少し丸くなったかしら?」
 世羽子の返答に、青山はおやっという表情を浮かべる。
「ああ、おかげさまでな……秋谷は随分とがったみたいだな」
「ええ、おかげさまでね」
 世羽子はそう呟いてちらりと尚斗に目を向ける。
「……ふーん」
 そんな世羽子をしばらく見つめると、青山は小さく頷いて自分の席に腰を下ろした。
 
 その女教師がドアを開けて現れた瞬間、教室内の体感温度が2度ばかり上昇した。
 もちろん、男子生徒による奇跡の結晶である。
 男子生徒の半分が硬く拳を握りしめていた。
 男子生徒の4分の1が涙を流しながらウエーブを始めていた。
 そして、1人の馬鹿が嬉しそうに踊っていたりする。
「皆様方」
 おっとりとした感じの美貌の女教師の声は凛とした気品に満ちていた。
「おはようございます」
「おはようございます」
 女子生徒の声がそれに続くと、男子生徒の大半がぽかんと口を開け、青山は辟易した表情を浮かべてため息をつき、尚斗は身体中を掻きむしりたくなるような衝動を堪え、宮坂は大きな声で何の迷いもなく1人だけタイミングを外しまくった挨拶を返していたりする。
 藤本綺羅と名乗った女教師は現在の状況を端的に説明すると、穏やかな笑みを浮かべて教室内を見渡した。
 その視線が、何故か尚斗の場所でとまる。
「……?」
 ほんの微かに女教師が微笑んだようだった。
「……尚兄ちゃん、藤本先生とも知り合い?」
「いんや、初対面」
 ひそひそと話し掛けてきた麻里絵に向かって首を振ると、反対側の席からぼそりと呟く声がした。
「……どうだか」
 その瞬間、本来のホームルームの始まりを告げる鐘が鳴った……
 
 りーんごーんがーんごーん……
 
 週末の雪が嘘のように晴れ渡った1月15日の朝。
 その鐘の音を祝福と聞く者、呪詛と聞く者、そして何も感じない者……立場は違えと、鐘は全ての人に始まりを告げる。
 
 
                第一話 完
 
 
 チョコキスファンのみなさま、俺が最後の砦だコンチキショー!(笑)
 ……何があったかは聞かないでください。
 
 あ、『偽』だからね。(笑)

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