「へえ、そんなことが…」
 夏樹が柔らかく微笑みながら呟く。
「そうなんですよ…もう、尚斗君ったらひどいんです…」
 と、麻里絵は口をとがらせて……さらに言い募った。
「迷子の幼なじみをほったらかして、別の迷子の女の子の事を構ってるんですよ……しかも『あいつなら、迷子慣れしてるからしばらくは平気だろ』って言ったらしいんですよ、信じられないですよね?」
「ふふ…」
「わ、笑い事じゃないですよ…迷子なんて、何回やっても慣れたりしないんですから…私、すっごく不安で、尚にーちゃんが助けてくれるのを待ってたのに、別の子を助けてるなんて…」
「あ、ごめんなさいね…」
 と、夏樹は一応という感じに謝って……しかし、優しい微笑みを浮かべて言った。
「でも、彼らしい…って、私が言ったらダメかな…」
「……」
「不器用、とか、要領が悪いとか人は言うかも知れないけど……たぶんね、目の前の誰かを、放っておけないんだと思う」
 そういって、夏樹がちらりと麻里絵を見ると……少し恥ずかしげにうつむきながら言った。
「……ダメじゃないです、たぶん…」
 夏樹は何かを懐かしむように目を閉じて。
「でもまあ……女の子としては、特別扱いされたいんだけどね。できれば、いつでも」
「そう、そうなんですっ」
 まさにその通りっと、麻里絵が勢いよく顔を上げた。
「尚斗君っていっつもそうなんです。大体…」
「あー、はいはい。ちょっと待って」
 それまで黙って2人の話をつまらなさそうに聞いていたいた紗智が、ぱんぱんと手を叩きながら言った。
 夏樹と麻里絵が、紗智を見る。
「いやあ、この絵面、どー考えてもおかしいですから……って言うか麻里絵」
「な、なに?」
「あんた、いくら先輩が相手でも……はっきりいって、なめられてるって自覚ある?」
「そうかな?」
 きょとんと、麻里絵。
「えっと、私は別にそんなつもりじゃ…」
 と、困ったように夏樹が首を振った。
「いや、橘先輩……話を聞いてて、薄々はわかりますよね?」
 紗智はぐっと麻里絵の首を抱えるように引き寄せて。
「この娘、尚斗の事好きなんです。そんな相手に尚斗のことを聞きに来るだなんて、挑発行為としか考えられないですよ?」
「紗智、考えすぎだよぉ〜」
 麻里絵は、あはは、と笑って。
「橘先輩は、ただ尚斗君の昔話を聞きたいだけだってば」
「あ、そうなの…椎名さんが、尚斗君の幼なじみだって聞いて…それで…色々聞きたいなって…」
「他の人をあたるのが礼儀だと思いますけど?」
「そ、そうなのかな…」
「だ、大丈夫ですよ橘先輩。私は、全然気になりませんから」
「……なんで、気にならないのよ…」
 わけわかんない、という感じに紗智が呟く。
「だって…」
「だって……何よ?」
「尚斗君の…問題だよ」
 紗智はぐっと麻里絵の耳を引っ張って。
「そういう台詞はね、告ってから言いなさいよ」
 麻里絵と夏樹が二人して、顔を赤くしたのを見て……紗智は、はあああぁっと、深い深いため息をついて。
「私…帰る。相手してらんない…」
 首を振り振り、店を出ていった。
「えっと…怒らせちゃったかな…」
「……大丈夫ですよ」
 店の出口に視線を向けたまま、麻里絵が囁くように言った。
「彼女…紗智は、まだ自分の気持ちが整理できてないだけなんです、きっと」
「えっと……それって…」
 そう呟いて、夏樹の視線もまた麻里絵と同じ方へ。
「一ノ瀬さんも…その…尚斗君のこと…」
 麻里絵が、あははと笑った。
「紗智は…私よりずっと純粋で一途ですから……だから、自分が他の人を好きになったって事を、認めたくなくて必死なんです」
 夏樹は麻里絵を見たが、麻里絵の視線は未だ店の出口に向けられたまま。
「本当は、私のことも認めたくないんです……紗智にとって、誰かを好きになるのは一生に一度の事じゃなければダメですから」
「……複雑なのね」
「ですよね…誰かを好きになるって、もっと単純なことだって、私は思いますけど」
「わ、私はそこまで…悟ったことは言えないかな」
 ちょっと困ったように夏樹。
「私も、最近ですよぉ」
 麻里絵は笑って言った。
「尚斗君と再会して……紗智や、尚斗君と色々あって……ああ、仕方ないのかな、もう…って」
 目を伏せ、さらに言葉を足す。
「諦めたって言うか、受け入れたって言うか……誰かを好きになるんじゃなくて、ただそれに気付いちゃうだけなんだって…」
「それは……よくわかるわ」
 夏樹も、そう言って目を閉じた。
 いつの間にか好きになった。
 いつの間にか、そうなってしまった自分に気付いた。
 麻里絵は、しばらく夏樹を見つめ……おもむろに言った。
「それで、橘先輩は尚斗君に告白しないんですか?」
 がたんっ。
 テーブルに夏樹の膝がぶつかって、カップがかちゃかちゃと音を立てた。
「〜〜っ」
「だ、大丈夫ですか?」
「え、ええ…なんとか…」
 夏樹は、痛む膝をさすりながら、なんとかそう答える。
「す、すいません…びっくりさせるつもりは…」
「い、いいの……びっくりするような自分が、不甲斐ないだけの話よね、きっと」
 そう言って……ようやくに夏樹が笑った。
「椎名さんは?」
「あはは、さっきも言いましたけど……尚斗君の問題ですよぅ」
「……かな」
 夏樹は、苦笑しつつ頷いた。
 誰がいくら好意を寄せようとも、結局は、尚斗が誰を好きになるか。
 そういう意味では、麻里絵も、夏樹も、こちらを振り向かせるために積極的にアタックできる性格ではない。
「あ、でも…」
「なに?」
「誕生日ぐらいは、教えておいた方がいいですよ」
「……」
 夏樹が、麻里絵を見つめる。
「私、尚斗君が聞いてくるまで待ってようと思ったんですけど……結局、6年目に、自分から教える羽目になりましたから」
 麻里絵はちょっと口をとがらせて。
「デリカシーがないって言うか……尚斗君、そういうところ、全然気が回らないんです」
「そ、そう…なんだ」
 と、夏樹がちょっと目をそらせた。
 『そういえば、尚斗君の誕生日はいつなのかな?』などと会話を振り、その後期待しつつ見守ったのだが、見事空振りに終わった記憶がまだ生々しい。
「……別に、橘先輩のことを、何とも思ってないってわけじゃないですよ」
「な、なんで…」
「それは、尚斗君に関しては、私が先輩って事です」
 えへん、と麻里絵が胸を張った。
「自慢になりませんよ、そんなこと…」
 それは、囁くような声だったが……麻里絵と夏樹は、自分たちの背後の席に視線を投げた。
 誰もいない。
 いや、誰もいないのではなく、観葉植物の陰に隠れて見えなかったのだが……長身だけに、腰を少し浮かせた夏樹の目が声の主をとらえた。
 身体を伏せ、口を手で覆っているようだ。
「……」
 夏樹は、声をかけたりせず……そのまま静かに腰を下ろし、麻里絵の顔を見つめて小さく頷いた。
 麻里絵はちょっと首を傾げたが……すぐに、自分の髪の毛を握って子供がするようなツインテールに模して、目で夏樹に問いかけた。
 そして夏樹が、うんうん、と頷く。
 麻里絵は、少し意地悪な表情を浮かべて。
「私のことは気にしなくてもいいですよ」
「え?」
 麻里絵の意図がつかめず、夏樹は戸惑いの言葉を発した。
「私はもう、一度尚斗君に振られてますから」
「……」
 夏樹は、戸惑いを表情に出して麻里絵に問いかけた。
 それは、自分の背後の座席に聞かせるためなのか、それとも自分に聞かせるためなのか、判断が付かなくなったのだ。
 やはり麻里絵は、意地悪そうな表情を崩さない。
『(えっと…やっぱり、結花ちゃんに聞かせるための会話なのよね…)』
 演劇にもアドリブを求められる場面はあるし、最低限の設定だけで、即興の劇を作り上げる練習もする。
 ただ、今の夏樹にはあまりにも情報が足りない。
 もちろん、麻里絵は麻里絵で色々と考えていたのだ。
 いきなり話題を変更したところで、彼女はそれに気付いてしまうだろうから……さりげなくというか、興味をひきそうな話題は必須だよね、などと。
「幼なじみって、結構不自由みたいです……どうも、尚斗君の中で私は、手の掛かる泣き虫の妹分って意識が抜けないみたいで」
「……そう」
 夏樹が曖昧に返事した。
 探りの意味もあったが、麻里絵が嘘の内容を話しているのではないと悟ったからだ。
「……ホント、5年経っても…幼なじみのままなんですよ、私って」
 夏樹は、麻里絵の言葉に乗っかることにした。
「……そういえば、5年ぶりに再会したって」
「はい…」
 麻里絵はちょっと笑って。
「幼なじみのままじゃ、嫌だったんです……だから、会いにいきませんでした」
「……」
「まあ、しばらくして、他の理由で会えませんでしたけど」
 夏樹は、あらためて麻里絵を見つめた。
 幼なじみの3人組。
 もう1人の幼なじみとつきあっていた……その程度の話は夏樹も聞いていた。
「さっきも言いましたけど、私って紗智ほど、純粋でも一途でもないんですよぅ」
「そう…かしら?」
 夏樹は未だ麻里絵の意図をつかめずにいたのだが……話そのものには引き込まれつつあった。
「……みちろーくんって言うんですけど、紗智は、彼と私をくっつけようとしたんです」
「でも、好きだったのよ…ね?」
 だって、つきあい始めたんでしょう…の言葉をのみこむ夏樹。
「え、どっちの話ですか?」
「どっち…って」
 夏樹はしばらく困惑し、あ、と口元を手で押さえた。
 それはつまり…。
「えっ!?」
 思わず声を出し、夏樹は麻里絵の顔を穴が開くほど凝視した。
 今の話は二重、いや三重の構図を持っている……それに気付いたからだ。
「……仲、良いですよね?」
 意地悪そうな表情は、いつの間にか諦めたような表情に変化している。
「もう…尚斗君の問題、としか言えないですよ、私には…」
「え、でも…」
 まさか、結花ちゃんも……?
 夏樹の脳裏を、駆けめぐる記憶。
 あり得る……というか、その疑いは濃い。
 麻里絵に対する紗智の存在、それは夏樹に対する結花の存在と酷似している。
「か、勝手なこと言うなですっ!」
 顔を真っ赤にしたちびっこが、たまりかねて登場だった。
「な、なな、なんで私が有崎さんの事を好きなんですかっ!わけわかんないこと言わないでくださいっ?」
「え?」
 麻里絵は、にこにこと笑いながら首を傾げた。
「何の話?」
「くっ、う…っ」
 顔をさらに赤くして言葉に詰まる結花。
 それと対照的に、夏樹はどこか心の冷えた自分を感じつつ、麻里絵を見つめていた。
「(し、椎名さんって……実は、ものすごく…)」
 
「何が辛いって…」
 夏樹は、ぎんぎんぎらぎら照りつける真夏の太陽を見上げて呟いた。
「会いたいのに、会いに行く口実がないのぉ〜」
 女子校の生徒と男子校の生徒ってだけでも大概だったのに、今や夏樹は大学生だ。
 大学のキャンパスは、中等部高等部のそれとは遠く離れた場所にある。
「やっぱりぃ、やっぱりぃ、劇団結成を口実に、尚斗君を参加させるべきだったのよぉ」
 などと、劇団員には聞かせられないことを口走り……夏樹は、子供のように地団駄を踏んだ。
 もちろん、誘いはしたのだ。
 誘いはしたのだが……自分の気持ちを悟られることを恐れたせいか、どこか冗談っぽく尚斗の耳には響いたのかも知れない。
 『演劇に興味があって、なおかつやる気のある人間だけが参加すべきだと思います。俺みたいに半端な人間がいたら、周りの人間に悪影響与えるんじゃないですかね』
 そう言われたら……自分の中の、純粋ではない部分を指摘された気がして、もう何も言えなかったというか。
 『大道具制作やら、力仕事なら手伝いますんで、声をかけてくださいね』などと尚斗は言ってくれたのだが……劇団には参加してもらえなかった。
 かくして、夏樹主宰でたち上げた劇団は、女性オンリーの(以下略)。
 いや、演劇は楽しいし、やる気もあるし、自分で脚本が書けて、演出まで手がけられること……そのことに、夏樹の不満はない。
 あと……役者である自分が、嫌いではなかった事に気付くこともできた。
 ついでに言えば尚斗の言葉に嘘はなく、夏樹がおそるおそる声をかけると、力仕事やら大道具制作などに、律儀に力を貸してくれたのだ。
「……尚斗君にも、用事とかあったはずなんだけど」
 せっかくの休日を、丸一日つぶして……それでも嫌な顔ひとつ浮かべず、笑ってくれた尚斗に、夏樹はあらためて(以下略)。
 だが、今思えばそれがいけなかった。
 劇団の用事を口実にして連絡をとる……それは、いつしか夏樹の行動を縛るようになってしまった。
 つまり、それ以外の理由で連絡を取ること、会いに行くこと……それが、できない。
「……はぁ」
 照りつける夏の太陽にではなく、自らに敗北して夏樹はため息をついた。
 夏樹は、結局自分は何も変わっていないと思った。
 色んなモノに縛られて、身動きがとれなくなっていた。
 あの時、夏樹を縛り付けていた、その色んなモノを壊してくれた尚斗。
 それ以前……つぶれかけた演劇部で、何もできなかった自分の前に颯爽と現れた結花。
 結花は夏樹の憧れで、尚斗は夏樹の想い人。
「……ふうぅ」
 再度息を吐き、夏樹は太陽を見上げた。
 手をかざし、呟いてみる。
「眩しいなあ…」
 自分の心の中だけの太陽ではないこと……夏樹は、それに誇らしさを感じると同時に不安を覚える。
「……」
 ……非常に不本意だったが、夏樹は何か良い脚本が書けそうな気がした。
「……病気よね、もう」
 ため息。
 でも、ワクワクしている。
 それは仕方がない。
 誰もが、胸の中にもう1人の自分を持っている。
 
「わあんっ、違うの違うのっ……徹夜で脚本(モノ)書きしたかったわけじゃなくて、尚斗君に会いたいのに〜」
 などと、夏樹が我に返ったのは、次の日の朝のこと。(笑)
 
『は、会いたいなら会いに行けばいいじゃないですか?そもそも、それ以外の理由なんて必要ですか?』
「……などと、結花ちゃんなら言いそうよね」
 ため息混じりに呟いてみる。
「……」
 夏樹の心に、黒い影が差した。
「え…実際に…会いに、いくのかな?」
 会いたいなら会いに行く。
 もちろん夏樹は、結花がそんな単純なだけの人間とは思ってはいない。
 でも、そうした人間の心理の壁のようなものを突き抜けられるのが、結花のすごいところだと夏樹は思っているわけで。
 夏樹は、何故だか不意に先日の麻里絵の言葉を思い出した。
『誕生日ぐらいは、教えておいた方がいいですよ』
「……ぁ」
 口実…。
 夏樹は慌てて携帯をとりだして……ふと、首を傾げた。
 10秒ほど悩み、登録したばかりの別の番号を押す。
『……はい?』
「あ、あの椎名さん…橘…です」
『あ、こんにちは』
「……えっと…うまく言えないから、本題だけ聞くね」
 夏樹は、ぐっとお腹に力を入れた。
「なんで、私を応援するの?」
『あはは』
 笑い声。
『だから、尚斗君の問題だからですよぉ』
 夏樹には、その麻里絵の表情まで目に見えるような気がした。
「……」
『……強いて言うなら、橘先輩は、私が尚斗君を好きでいることに対して寛容でいられるような気がしますから』
「それは…だって」
『ええ、私の問題ですもんね』
「……」
『……どうかしました?』
「椎名さんは、色々猫をかぶってる気がする…」
『あ、はい。5、6匹まとめてかぶってますよぉ』
 何でもないことのように、麻里絵は明るく言った。
「すごいなぁ…」
『あはは…そうやって、素直に感心できる橘先輩の方がすごいと思いますよぉ、私は』
「え、なんで…?」
『あはは』
 麻里絵は笑っただけで、答えなかった。
 
「……うん、わかってるの、私の言い方が悪かったって…」
 夕日が赤いのも、郵便ポストが赤いのも、全部自分が悪いせい……夏樹は、やや自虐混じりに自分に言い聞かせる。
 そう、今日は、夏樹の誕生日。
『あ、あのね…ほら、夏休み期間中だから、学校が休みで……私って、家族をのぞけば誕生日を祝ってもらった記憶がないのね』
 夏樹は頑張った。
『今年はね、家族が忙しいみたいで……その、誰もお祝いしてくれないのは寂しいから、誰かに、お祝いして欲しいなあって…』
 少なくとも、夏樹自身はすごく頑張ったと思っていた。
「……夏樹様。そろそろ出番ですよ」
「ああ、うん…そうね…」
 夏樹が死んだ魚の目を向けると、結花がちょっと気まずそうに目を背けた。
 でも、夏樹は結花を責める気にはなれなかった。
 そう、自分が悪いのだ。少なくとも、尚斗君は悪くない。
 そう自分に言い聞かせて、夏樹は素敵な笑顔を浮かべた。
 覚悟を決めて、ステージの上へと飛び出していく。
「みんなー、今日は私のために集まってくれてありがとー」
 半分やけくそで曲まで披露したのだが、会場は異様な盛り上がりをみせて、女子生徒が十数人失神した。
 
「……あー、大盛況でしたね」
 と、目をそらしながら結花。
「そうね、みんな喜んでくれて良かった」
 みんな喜んでくれたのに、何故自分は喜んでいないのだろう……などという素朴な疑問が浮かんだが、夏樹は男物のスーツを脱ぎ捨てた。
 無言で、自分の服に着替える。
「えーと…その…有崎さんは夜の11時頃に帰ってくるそうです」
「……」
 夏樹は何も言わなかった。
 それというのも、今口を開くと、結花に向かってひどい言葉をぶつけてしまいそうだったからだ。
 その代わりに……涙をこぼした。
 結花が凍り付いたのが、気配で分かった。
 長い沈黙を経て、夏樹がようやく口を開く。
「ごめんね…」
「……っ」
「私の問題に…結花ちゃんを巻き込んじゃダメだよね」
 冷たい言葉だが、本当は冷たくない。
 その程度に、人の心は複雑だ。
「わ、私…夏樹様も、有崎さんも…どっちも…とられたく…なくて…」
 今、結花を泣かせているのは、先の言葉ではなく、それまでの自分の態度なのだと……夏樹にはもうわかっていたから。
「ごめんね、結花ちゃん……私、尚斗君が好きなの」
 結花の肩に手を置い……て。
「……結花ちゃん?」
「ぁ」
 嘘泣きだった。
 
「……本当にもう、油断も隙も無いというか」
『あはは、よりによって私にそれを言うんですか?』
 明るく麻里絵。
『この世で一番怖いのは恋する女の子ですよぉ』
「……そうかも」
 夏樹が控えめに同意。
『それで…私は、尚斗君がバイトから帰ってくるまで話し相手になればいいんですか?』
「あ、う…ごめんなさい」
『と、いうか…私の家、尚斗君の家から近いんですけど』
「出されたお茶を飲んだら、次の日の朝だった…とか?」
『あはは。そうですね、そのぐらいでちょうどいいんじゃないですか、橘先輩は』
「……?」
『……嘘泣きのフリをしたって可能性もあると思いますけど』
「え?」
 嘘泣きのフリというと……嘘泣きが、そもそも嘘で…その嘘が演技で…。
「な、何でそんな面倒な…事?」
『橘先輩に、罪悪感を抱かせないためですよ……まあ、嘘泣きだったとすればですけど』
「……」
『元々、今日は尚斗君バイトの予定だったんですよね?ただ不安なまま待たされるのは、辛いですもん。怒りと愚痴は、最高の暇つぶしって言いますし』
「わ、私って…ひょっとして、ものすごく単純なのかしら?」
『だから、みんな橘先輩のこと好きなんですよきっと』
「……」
『……』
「……え、あ、いまのって、怒るところ?」
『あはは…』
 麻里絵は面白そうに笑って言った。
『橘先輩は、尚斗君と似てますね』
「え、ええっ?」
 夏樹は、顔を赤くして。
「そ、そんな…私、尚斗君みたいに、格好良くもないし、頼りにもならないし、優しくもないし…」
『うわあ、重傷だぁ…』
 呆れたように麻里絵が呟いた。
「な、何で?椎名さんだって、わかるでしょ?尚斗君って、本当に優しくて…」
『私、尚斗君が好きですけど、格好いいとか、頼りになるとか思ってないです』
「……」
『……橘先輩もそうですけど、尚斗君の周りって、不思議と人が集まるんですよね』
「……そうね、尚斗君のことを好きな女の子が」
『あはは、女の子だけじゃなくて…です』
「……」
『尚斗君より顔のいい人はいても、尚斗君より頭のいい人はいても、尚斗君より頼りになる人はいても、尚斗君よりスポーツのできる人はいても、尚斗君よりケンカの強い人はいても……それでも、やっぱり尚斗君の周りに、色んな人が集まってくるんです』
「……」
『……』
「……うん」
『時間、かかりましたね』
「なんか、尚斗君の周りにいる女の子全員が、彼のこと好きなんじゃないかって思えてきて…」
『……』
「そこでっ。そこで黙り込むのわぁ〜」
『あはは……男子校に通ってるせいか、本人には自覚なさそうですけど』
「聞いたんだけどぉ〜、調べたんだけどぉ〜、中学の頃は人気無かったってぇ〜」
『……中学生ぐらいだと、顔がいいとか、成績がよいとか、スポーツができるとかってわかりやすい理由で人気が出ますからね』
「そ、そうなの…?」
『まあ、そんな感じでしたよ……中学の時は人気あったのにって男の子は、基本的に人間性に問題があるそうです』
「……」
『年をとると価値観に幅が出るというか、それだけ曖昧なモノを評価しだすってことらしいです、紗智に言わせると』
「あぁ…」
 夏樹が曖昧に返事した。
『まあ、恋愛と違って結婚するときは、シビアに条件を求めるみたいですけどね』
「れ、恋愛の延長に結婚があるんじゃないんだ…」
『何度も言いますけど、女の子って怖い生き物ですよぉ』
「うぅ…私も女の子なのに…」
『……私がつきあってたみちろーくんなんですけど』
「え?」
『顔は結構良くて、成績も良くて、スポーツもできて…』
「えっと…のろけられてるわけじゃ…?」
『あはは、違いますよぉ……まあ、女の子に人気があったってことで』
「……?」
『私、中学の友達は紗智しかいないんです』
「え…」
『みちろーくん、人気ありましたから…もう、嫉妬とねたみと嫉妬とねたみで…学年問わず、女子生徒からもんのすごい嫌がらせを受けて…』
「えっと…それは、なんて言ったらいいのか…」
『…女の子って、怖い生き物なんですよぉ』
「あぁ…はい…」
 夏樹としては、その異様なまでに実感の込められた言葉に頷くしかない。
『まあ、軽くですけど、みんな死んじゃえとか、毎日呪って生きてました』
「……」
『尚斗君は、助けに来てくれませんでした』
「それは…」
『思ってただけじゃ、伝わりませんよね』
「……」
 深刻な話ではあったが、ちょっと悔しくなった夏樹は反撃を試みた。
「その、みちろーくんは助けてくれなかったの?彼氏なのに?」
『両親の不仲というか、結局離婚したんですけどで、中学にあがってからずっと家庭内がぐだぐだでしたから、そんな余裕はなかったですね』
「……」
 カウンターが決まって、夏樹は再び黙った。
『ただ…尚斗君は』
「え?」
『そういう、自分がひどい状況にあっても……私に気をかけて…目に付いた困ってる人のことを助けようとしてしまう……そういう人が、尚斗君なんだと、私は思ってます』
「……うん」
『……できれば、尚斗君のそばにいる人は…それを理解して…支えて上げられる人であって欲しいな…なんて、思ってるんですけどね、あはは…』
「が、頑張る…」
『……ここで、『任せて』なんて無責任に言う人は嫌いなんです、私』
 いきなり、背中に氷のかけらを突っ込まれたような気がしたが……夏樹は、笑って言った。
「私…自分に自信がないもの」
 
 夏の夜。
 西よりの南の空から北の空に向かって……夏の大三角形が形成されている。
 ベガにデネブにアルタイル。
 それぞれ、琴座、白鳥座、わし座を形成する1等星だ。
 ひょっとすると、ベガとアルタイルは、織姫と彦星の方がなじみが深いかも知れない。
 その2つの星の間を白く横切るミルキーウェイ。
 年に一度しか会えない恋人達のお話も……結局は、恋に夢中になって仕事をほっぽりだしたバカップルの失敗談でしかない。
「私は…約束もしてないけど」
 ぽつりと呟く。
 せっかくの、1年に1度の誕生日なのだから……。
 ちらりと時刻を確認。
 ため息をつく。
 もうすぐ、今日が終わる。
「…夏樹さん…ですか?」
「え」
 振り返る……が、真っ暗だ。
 それでも、声でわかる。
「良かった〜」「良かった」
 ほぼ同時に。
「え?」「えっ?」
 顔を上げ、見えない顔を見つめ合い。
「あ、えっと…会えて嬉しいなって…ほら、別に約束もしてなかったから」
「あ、いや…なんか、ちびっこから連絡あって…こんな夜中まで待ってないだろと思ったんですけど、買ったんです、花束…」
 一瞬の間をおいて……尚斗と夏樹は、無性におかしくなって笑い合った。
「あ、あはは…なんだろ…なんか、馬鹿みたい…」
「あー、いや…まあ、誕生日おめでとうございます」
 そう言って尚斗が差し出した花束を受け取って、夏樹は笑った。
「ありがとう」
 
 
 
 
 麻里絵と夏樹は、結構相性が良さそうな気がする……ので、麻里絵の性格だけを、ちょっと『偽』よりにしてみました。
 それでも問題がなさそう。ただ、麻里絵の言う『尚斗君の問題だからですよぅ』の言葉の真意を、夏樹は最後までつかめてないかも知れない。
 まあ、夏樹の性格も『偽』よりにしてしまうと……仮面舞踏会が始まってしまうんですけどね。(笑)
 
 すんません。
 ちょっと、麻里絵と夏樹の掛け合わせの話を書いてみたかっただけなんです。
 たぶん、読み手の間で好みが分かれるのではないかと。

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