「夏樹様、今年のバレンタイン公演は去年以上にしてみせますからね!」
「あ、うん……」
「夏樹様?気分でも悪いんですか…」
 心配げに見上げてくる結花に慌てて首を振った。
「ううん……」
 夏樹は小さくため息をつき、そして窓の外に視線を向けた。
 廃部になりかけてたあの頃とは状況が違う……この春が来れば卒業してしまう私のワンマンショーみたいな公演で終わらせてしまったらまた全てがふりだしに戻ってしまうのではないかと思うと気が重い。
「夏樹様……?」
 うつむき加減に、それでも口調にはどこか頑な雰囲気。
「……去年の歓声を覚えてますか?」
 もちろん、覚えていた……後で聞いた話だが、体育館の窓ガラスが歓声で2枚割れたらしい。
「今年も、みんなが夏樹様の凛々しいお姿を期待して待ってますよ」
 明るく笑う結花。
 確かに、いろんな意味で大人気を博して廃部寸前だった演劇部が立ち直ったのは事実だが……この路線を最後まで貫くと言うことは、自分という存在が卒業してしまえば全てが無に帰すと言うことではないのだろうか。
 もちろん……凛々しいとか格好良いと言われることにも抵抗があるのは事実だ。それもこれも、この一般女子の平均身長を大きく逸脱した……
「きゃっ」
「ぼやっとしてると危ねえぞ…」
 気がつけば目の前は壁。
 ぶつかりそうだった自分を止めてくれたのか。
 夏樹は自分の肩をつかんでいる少年を振り返った。
「へえ、でかいな」
 第一声がそれだった。
「なっ…」
 そういう言葉には慣れていたつもりだったが、いきなりの不意打ちに精神の針が不機嫌に向かって大きく振れた。
「無礼者っ!私達のアイドル、いいえ、アイドルなどという手垢の付いた言葉を使うのもおこがましい夏樹様に向かってなんという無礼な口をきくのですっ!」
「……っと」
 夏樹よりも速く、しかも恥知らずに反撃を開始した結花に気勢をそがれた形になった。普段静かな学校だけに、一体何が起こったのかという感じで視線が集まってくるといたたまれない気持ちになってくる。
 結花と目の前に立っている少年はそんな視線が全く気にならないようだ。自己陶酔入ってる結花はともかくとして、相当神経が太いのだろう。
 延々とまくし立てる結花の言葉も適当に聞き流して、少年はちらりと同情するような視線を夏樹に送ってきた。
 そして、結花の頭にポンと手を乗せて言う。
「……おい、ちびっこ」
「誰がちびっこです!」
「お前以外に誰がいる?」
 すねをめがけて繰り出された結花のつま先を軽やかにかわし、少年は『今のうちにどっか行け』という視線をよこす。
 どうやら、まるっきりの無神経というわけでもなさそうだった。
「……結花ちゃん、ストップ」
「え?」
「もういいから……」
「でも、夏樹様ぁ…」
「いいから…」
 結花は夏樹と少年の顔を交互に見比べて、渋々と矛を収めた。そのかわり、少年に向かって思いっきりあっかんべーをするあたり子供なのか。
「……ただの形容詞だぜ。馬鹿にして言ってるのか、感嘆して言ってるのかぐらいは読みとれよ、ちびっこ」
 結花に喋っているのだが、少年の視線は夏樹に向けられていた。そして、エキサイトするのはまたもや結花。
「ちびっこがただの形容詞ですかっ?」
「心配するな、それは売られたケンカを買っただけだ。お前の感性は間違ってない」
 いい子いい子と呟きながら、少年は結花の頭を撫でた。
 結花の脚が再び空をきる。
 笑い出してしまいそうな衝動を堪え、夏樹は意識的に厳しい表情をつくって少年の顔を見据えた。
「……1ヶ月で、女性に対する礼儀を学んでくれる事を期待するわ。結花ちゃん、行きましょ…」
「びーだ」
 案外結花とは気が合うのかも知れない……そんなことを思いながら、夏樹は少年に背を向けた。
 
「おい、ぶつかるぞ」
「え?」
 クンっと肩を引き戻され、慌てて顔を上げた。
 重々しい本棚が目の前にある。
「……ありがと」
「危ないッ、夏樹お姉さまああぁっ!」
 飼い主の危機を感じた猟犬のように突っ込んでくる結花。自分たちのいる場所が図書室であることに気がついていないのか。
 少年は反射的に身をかわしかけ、そのままおとなしく結花のタックルを受け止めたように夏樹には見えた。
 そして、少年は本棚までぶっ飛ばされる。
「無事ですか、夏樹お姉さま……こんな汚らわしいウジ虫に触れられるとどんな病気をうつされるかわかりませんからね」
「……無茶苦茶言うな、お前」
 悪態をつきながら少年は立ち上がった。
 涼しい顔をしてズボンの裾を払っているあたり、怪我はないらしい。
「ただの形容詞ですわ!」
「ウジ虫ってのは形容詞じゃないぞ…」
「だったら、女性に使っていけない形容詞も貧相な脳味噌に叩き込んでおくとよろしいですわよ、おほほほ…」
「……結花ちゃん」
「はい?」
 目をキラキラさせて夏樹を振り返る姿は、飼い主に誉められることを確信している犬のようだ。
「……この人に謝って」
「えーっ、何でですかぁ?」
 心の底から意外そうな表情を浮かべて抗議する結花。本当ならお礼も言わないといけないかもしれないのだが……そこまでは、買いかぶりかもしれない。
 少年は唐突に結花の頭をなで始めた。
「な、何の真似ですか!」
「いや、どんな病気がうつるのかと思って…」
「殺す気ですかっ!」
「ちびっこ……ここは図書室なんだ。大声を出したり、走ったりしてはいけないと先生に教わらなかったのか?」
「むむ…」
 結花の顔が怒りに赤くなる。
 いくら頭のいい結花でも、この正論を覆すのは困難だったようだ。
「夏樹様ぁっ!こんな失礼な人間に、どうして謝らなきゃいけないんですかっ?」
「……だから大きな声を出すなというのに」
 少年は小柄な結花の身体を小脇に抱えると、もう片方の手で結花の口を押さえてそのまま図書室を出ていこうとする。
「んむーっ!むーっ!」
「……むう、こうしていると我ながら誘拐犯人みたいな気分になってくる」
「ちょ、ちょっと……あなた?」
「図書室から連れ出すだけだ……話がややこしくなる」
 少年の視線を追って周りを見回すと、冷ややかな視線が自分たちを取り巻いているのに気付かされて何も言えない。
「……そうね」
「演劇部ってわりには……羞恥心強そうだな」
「観客の視線を無視するような人間には舞台はつとまらないから……」
 何事もなかったような静かな会話をかわしつつ図書室を出た。そして、存在を蔑ろにされた格好の結花が大爆発する。
「こ、今度という今度は堪忍袋の緒はおろか、袋自体がぶち破れました!」
「それは随分衝動的な人生をおくることになりそうだな。いいか、昔から人生に必要なのは3つの袋と言ってだな…」
「馬鹿にしてる!この人絶対私のこと馬鹿にしてるっ!」
 夏樹と結花のつきあいは長い。
 潰れそうだった高等部の演劇部を、当時中学生でありながらその行動力と頭脳でここまで盛り立てた最大の功労者が遊ばれている光景など滅多に見られるモノではない。
「ふふっ…」
「な、夏樹様ぁ…」
「あ、ごめんね……ただ、結花ちゃんのそんな姿見たこと無かったから」
 その手腕が皆に知れわたっている今は、1年生の結花が演劇部の公演の裏方を全て取りしきる事に異論を唱える人間はいない。
 しかし、廃部寸前の演劇部部室に中学生がずかずかと演劇部再生プランを片手に乗り込んできた2年前はそうではなかった。また演劇部その物を衰退させてしまった先輩達が中学生の指図にきちんと従うわけもない。
 そんな不満分子を涼しい顔をして全て黙らせてきた結花の印象が夏樹には強すぎたのか。
 いかにも女の子らしい風貌と、類い希なるバイタリティを羨ましく思う事は多かったけど……年下と言うことをあまり意識したことはなかった。
「な、な、夏樹様ぁ…?」
 気がつくと頭を撫でていた。
 結花はくすぐったいような、困ったような表情で夏樹の顔を見上げている。
 この娘が演劇部を守ってくれた……感謝の気持ちと同時に、先輩としてあまりに不甲斐ないという気持ちが夏樹の胸に去来する。
 以前、瞳をキラキラさせながら舞台に立つ夢を語ってくれたことがある。
 夏樹のファン云々よりも、本来演劇が好きなのだろう。高等部にあがってからもずっと裏方に回ってくれているが、先輩として最後の舞台ぐらいは本来の希望をかなえてやりたいとも思うし、自分のワンマンショーみたいな公演ではなく演劇部としての公演をしてみたい。
 自分の舞台を楽しみにしている人にとってもそうだが、夏樹自身にとっても演劇部での最後の公演なのだから。
 ただ……バレンタイン公演の準備を進めてくれているみんなを前にして、その言葉が自分に言えるのだろうか……そう悩んでいる間にも時間は過ぎていく。
 
「夏樹様、今度の公演の脚本です。去年にもまして夏樹様の魅力が……」
 そう言いながら脚本を手渡す結花。
 予想通りというか、去年よりも脚本が分厚い。そして、このページ数の半分は夏樹の台詞であることは想像に難くない。
 ページをめくると、これまた予想以上に難解な言い回しのオンパレード。
「(……理想の王子様、か)」
 多分この脚本は夏樹が思うような演劇ではない。
 夏樹というキャラクターをこれでもかとばかりに理想の男性像へと昇華させるためだけのワンマンショーだ。
「……結花ちゃん、ちょっとホンヨミしてくるから」
「はい、頑張ってください」
 脚本を片手に、学校の近くの河原へと向かう。
 鉄橋下のいつもの場所で、脚本を見ながら音読するのが夏樹の常なのだが……
「……あなたの笑顔は、私の中の愛の闇を切り裂く一筋の光となろう…ってこの脚本、いつもよりいやな方向に気合いが入ってるうぅぅっ!」
 脚本をぶんぶん振り回しながら地団駄を踏む夏樹に、後ろから声がかけられた。
「いやなら言えばいいのに……」
 弾かれたように振り返る。
「い、いつから!いつからそこにっ!」
「最初から…」
「きゃああっ!」
 顔を真っ赤にして座り込む夏樹。
 自分の舞台を見にやってくる人間ならともかく、素の人間に聞かれると恥ずかしい以外の何ものでもない。
「……別にまだ読み始めたばっかりなんだろ。ぎこちなくても仕方がない…」
「そういう問題じゃ……え?」
 手に持った脚本を投げつける寸前で動きを止め、少年の顔を見た。そして、自嘲的な笑みを浮かべる。
「ぎこちない……仕方ないじゃない。私だって女の子よ、それも女子校育ちで……王子様の演技なんてわからないにきまってるでしょう」
「公演というのは……ひょっとすると観客が全部女の子か?」
「……」
「なるほど……」
 少年は両手をポケットに突っ込み、暮れてゆく空を見上げた。
「夏樹さんは単なる客寄せの芝居は嫌いなわけだ……」
「……ケルンって知ってる?」
「山なんかで石を積み上げたやつか?」
「私は、一人一人が後輩のために石を積み上げていくのが部活動だと思ってる……でも正直なところ、この1年の演劇部の活動は石を崩してしまってるような気がするの…」
 まともに公演ができないような状態だった演劇部を立て直すのは最初の1年で充分だったのに、部員も部費も集まった部をまわりに流されるようにしてこの1年で迷子にさせてしまった。
「優しいな…」
「……義務よ。それと、後輩達への感謝の気持ち」
 部を立て直した功労者に、また1から石を積み上げさせるのはあまりに忍びない。少なくとも、この最後の公演で最初の石を積み上げてから卒業したいと思っているのに……
「……特にあのちびっこには、か」
「結花ちゃんがいなかったら……演劇部は無くなってたでしょうね。もちろん、あの娘がいて、まわりの人間がいたからなんだけど、きっかけはあの娘だった」
「だったら……こんなとこで悶々としてるよりやることがあるんじゃねえの?」
 事も無げに口にする少年に向かってきつい眼差しを送った。
「今度の公演に向かってみんな一生懸命よ。その段取りを全部壊して公演を中止しろっていうの?」
「……いや、優しいあんたのことだからこっそりと何かを用意してる気がしたんだが、気のせいか?」
 図星を指され、夏樹は少年の視線から慌てて顔を背けた。
「……男の子って、みんなそんなに鋭いわけ?」
「俺に言わせれば、あのちびっ子もかなり鋭いものを持っていると思うが。あんたの気持ちを大事にしたいから口には出さないだろうけど、多分何かしら気付いていると思うぜ…」
「……」
「……部外者が口を出すのも何だが、多分あんたが動かないとどうにもならない」
「わかってるの……」
「だったら…」
「それは……わかってるの…」
 自分の提案がきっかけであの頃の演劇部に後戻りをしたら…そう思うと恐い。
「ちびっこに笑われるぜ」
 そう言われて弾かれたように顔を上げた。
「あんたはちびっこの憧れなんだそうだ……先輩らしく、それらしいところを見せてやれよ」
「……随分とお節介なのね」
 そう呟いて少年に背を向けた。
 もちろん行き先は学校。
「……ありがとう」
 小さな感謝の言葉は風にまぎれて届かなかっただろうか……
 
 部室に残っているのは結花だけだった。
「あ、夏樹お姉さま……ホンヨミ終わりですか?」
「結花ちゃん……」
「夏樹…様?」
 3ねんせいになってから、こつこつと演劇部部員の特性を活かせるように書いて……この一ヶ月、ずっと渡せなかった脚本を震える手で渡す。
 最初の読者は結花、それだけは決めていた。最も感謝しているからだけではなく、夏樹の知る限り、最も厳しく公正な判断ができる少女だから。
 演劇が好きだからこそ、夏樹が書いた本とはいえ出来が悪ければ容赦はしないはずだ。
「あの…これ?」
 封筒に詰まった紙の束を覗き込み、結花は夏樹をうかがうように顔を見上げてきた。
「読んでみて……質問はそれから」
 頷き、読み始めた結花が、弾かれたように顔を上げた。
「続けて……読み終えるまで、何も言わないで」
 そして結花は夏樹よりもずっと速く読み終え、もう一度最初から読み直す。そして、二度目を読み終えた結花は無機質な瞳を夏樹に向けた。
「……夏樹様が書かれたんですよね」
 質問とも確認ともつかない呟き。
「ええ…」
「ふふっ……」
 結花は夏樹の視線から逃れるように背を向けた。その肩が小さく震えている。
「結花…ちゃん?」
「……私のしてきたことは余計なことだったんでしょうか」
「え…」
「人と予算を揃える……最初はそれが全てでした」
「いや…あの……」
 何らかの感想が聞けると思っていたのだが、どうも話が見えない。
「そのためには人が見たいモノを提供する……でも、それはやっぱり夏樹様がやりたいお芝居ではなかったんですね…」
 刹那の沈黙を経て、結花は言葉を続けた。
「……私、勉強が得意なんです。でもそれは絵が上手とかバレーが上手いって言うのと同義な筈なんですけどね……小さな頃から、私はいろんな人からこうあるべき姿を押しつけられました」
「結花ちゃん……」
 少しずつ、話の糸がつながってくる。
「それが凄くイヤで……イヤだったのに、何してたんだろ私」
 そして結花は夏樹を振り返った。
 透明な滴を内側に抱えた瞳が夏樹を見る。
「……私、夏樹様が思ってるような可愛い女の子じゃないですよ。私は……夏樹様のようになりたかった。でも、それは無理だってわかってたから……」
 瞼が震えるたびに滴が頬を伝って落ちた。
「これを読んで気がつきました……私、夏樹様に酷いことしてたんだなって」
「そんなことないっ!それは、違うからッ」
「同じです……私にとっては」
「私、そんなことを望んでこの本を書いたんじゃないっ」
「わかってます……これを読めば、夏樹様が演劇部のみんなをどれだけ見ててくれたかわかりますから。その感謝の気持ちも、何を求めてこれを書いたのかも……」
 結花は手の甲で目元を拭うと俯いた。
「感謝なんて必要ないですよ……私はもちろん演劇が好きですけど、夏樹様の凛々しいお姿を見ることが好きでしたから」
 結花は無理に笑顔を浮かべると、脚本を夏樹に手渡した。
「夏樹様を……ううん、多分いろんな人を犠牲にしてきたんですね。薄々気付いてたのにそれに目をつぶって……私、イヤな女の子ですよね」
 
「何の用……って、その表情見たら聞くまでもないわね」
 結花との会見が物別れに終わってから2日……夏樹は、あれ以来結花と顔を合わせていない。普段はいつも結花から夏樹を探しに来るのだから、避けられているのは明らかだった。
 夏樹はほんの少しだけ疲労を滲ませた表情を故意に浮かべ、投げやりな視線を少年に向けた。
「……で、何をしに来たの?」
「ま、多少の責任感というか何と言うか…」
 困ったな、という感じの曖昧な笑みを浮かべた少年に、夏樹はため息をついた。
「あなたが責任を感じる必要はないでしょう?」
「昔からお節介なもので……ちょっと失礼」
「え?」
 少年は夏樹の肩に手を置いた。
「……さらに失礼」
「えっ?」
 もう一方の手が夏樹の手を取る。
 顔が赤くなるのを感じて夏樹は慌てた。
「ちょ、ちょっと…」
「……むう、こりゃ隠れてるんじゃなくて本格的にいないな」
 そう呟いて左右を見渡す少年の言葉に我を取り戻し、夏樹はあわてて少年の手を払いのけた。
「あ、あなたね!」
「おっと…」
 続けて飛んできた夏樹の手を少年は軽くかわして微笑んだ。
「……もうちょっとちびっこの事を考えてやれよ」
 無責任な一言に、夏樹の血が沸騰しかかった。
「どういうことよ?」
「俺でさえ気になるんだから、あんたが沈んだ表情を浮かべていたら……ちびっこはつらいだろうな。まあ、普段通りに生活されると、それはそれで辛いだろうけど」
「……あなたに、何がわかるって言うの?」
「理解はできないけど……想像はできるんだ」
 少年はそう呟いて一瞬だけ遠い目をした。
「しばらく時間をおこう……なんて考えてると、どんどん顔を合わせづらくなるよ。気がつけば5年経っていた……なんて事になるかもしれない」
 そして少年はおどけるように肩をすくめた。
「……」
「脚本のあるお芝居だって何度も練習するもんだろ?まあ、何度も話すぐらいの努力ぐらいは先輩としてした方がいいんじゃないか?」
「……耳の痛い話ね」
 夏樹はため息をついて視線を床に落とした。
「……中学生が高校生を相手にするのは勇気がいっただろうな」
「結花ちゃんは私とは違うから……痛ッ」
 もちろん手加減はしているのだろうが、女性の脳天にチョップはあんまりだった。自然の表情が険しくなるのがわかる。
「夏樹さんとちびっこが別人なのは当たり前……で、その別人相手に対して一度言葉にしただけで全て理解して貰おうというのは虫が良くないか?」
「結花ちゃんと私はお互いに…」
「ちびっこがあんたに合わせてたんだろうが!」
「っ!?」
「と、悪い……あんたを見てると世話の焼ける幼なじみを思いだして。ただのやつあたりだったな」
 少年は夏樹の視線から顔を背け、小さく息を吐く。
「近すぎると見えなくなるモノがある……距離をおいて初めてわかったけど、わかったときには手遅れに近い」
「……どうして、そんな話を私に?」
 少年は、子供が浮かべるようなはにかんだ笑みを浮かべた。
「1ヶ月間借りさせてもらってるんだ、礼儀知らずでも家賃ぐらいは払いたいと思うし」
「……あなた、そう言う台詞を口にして恥ずかしくない?」
「……」
「演劇部にスカウトしたいぐらいね。結花ちゃんときっといい勝負できるわよ…」
「誉め言葉……なんだろうな、やっぱり」
 夏樹は落ち着きのある笑みを浮かべて言った。
「最高のね…」
 結花にとって夏樹が理想であるように、夏樹にとっては結花がそうだった。いかにも女の子らしい外見もそうだが、あの逞しい行動力とそれを支える能力にも憧れている。
「……さて、結花ちゃんを探しに行くから」
 軽く右手をあげて少年に暇を告げようとすると、少年は白い歯を見せて笑った。
「公園にいる」
 夏樹は二度ほど瞬きをして、そしてため息をついた。
「……お節介ね」
 
「結花ちゃん、もう一度読んで」
「……」
「結花ちゃんに……私の想いの全てが伝わってるとは思えないの」
 渋る結花の手に脚本を握らせる。
「今ですか?」
「家に帰ってからでいいわ…ゆっくりと納得がいくまで読んで」
 少し意外そうな表情で、結花は夏樹の顔を見上げた。
「……どうして?」
「自信があるから……何度も、何度も書き直してやっと仕上げたモノだから。それが、何の保証にならないこともわかってるけど自信があるの……多分口で言うよりも」
「……夏樹様、舞台の上にいるみたいですね」
 結花は小さく頷いて夏樹に手渡されたモノを小脇に抱えた。
「私は……舞台の上の凛々しい夏樹様に憧れてました」
 沈みかけた冬の夕日の光線は弱々しく、結花の表情の機微は読みとれない。
「もちろん普段のお姿も凛々しいですけど、舞台の上の夏樹様は格別でした……いえ、そう思いこんでただけみたいですね…ふふっ」
 結花は小さく笑った。
「ど、どうしたの?」
「いーえ、別に……あの人のおかげなのかなと思うとちょっと複雑で」
「あの人って何のこと?」
「お節介な人のことです」
 結花は少しすねたような表情を浮かべ、夕焼けの赤から蒼く染まりゆく空を見上げた。
「夏樹様がここにいるのはその人のおかげ……違いますか?」
「励まされたのは事実だけど……」
 結花の真意を測りかねて曖昧に頷く夏樹に構わず、少女は呟き続ける。
「……今の凛々しい夏樹様を見て、少し気が楽になりました」
「…?」
「あの日から悩んでたんです……夏樹様は、これまでずっと私達のために普段から凛々しく振る舞っていただけじゃないかって」
「私は普通にしてただけだけど……」
「だから安心したんです……夏樹様は私とは違うって」
 結花の言葉が、どこか遠く感じられた。
「一回しか言いませんよ……」
 結花はそう呟いて完全に夏樹に背を向けた。
「夏樹様は幼年部から完全に女の園の住人でしたからわからないかも知れませんが、あの人は……まあ、いい人だと思います」
「うん、私もそう思うわ」
 結花はくるりと振り返り、夏樹の顔をまじまじと見つめて小さくため息をついた。
「……自覚がないならそれはそれで別に構わないですけど」
「何の自覚?」
「……カラスが鳴いてるから、私、帰りますね」
「ちょ、ちょっと結花ちゃん?」
「心配しなくてもこれはちゃんと読みます」
 結花はそう言って小脇に抱えた本を軽く叩いて走り去った。
 
「……で、上手くいってると」
「結花ちゃんが私に合わせてくれてるのよきっと…」
 そう呟いて夏樹はやわらかく微笑んだ。その表情を見て、少年は少し意外そうに呟く。
「へえ…」
「な、何?」
「いや、そういう表情は初めて見たな…」
「……私ってあなたから見ても凛々しいのかな?」
「すまん、質問の意味が理解できない」
 少年の返答をもっともだと思い、夏樹が先日の結花との会話を話そうした瞬間。
「夏樹様、危なあぁいっ!」
 少年の脇腹を抉るような高速タックル。
「ゆ、結花ちゃん?」
 少年ともつれ合うように転がった結花の身を案じた夏樹が駆け寄ると、結花はすっくと立ち上がった。
「夏樹様、これ以上この人に近づくとご病気になりますよ…」
「……人を病原体にみたいにいいやがって」
「病原体です…しかも、いつ発病してもおかしくない程の」
 唐突に少年の手が結花の頭をなでた。
「な、何をするんですか!」
「いや、何となく……まあ、苦労してるんだろうなって」
 怒りのためか、それとも羞恥からなのかは判断が付かないが、結花の顔が真っ赤になった。
「夏樹様!この人に余計なこと言わないでください……こんなのほほんとした顔してますけど、すっごく鋭いんですから」
「……それは、私が鈍いって事?」
「そ、そうじゃなくて…」
「おい、ちびっこ」
「誰がちびっこですか!」
「おまえ、立ち聞きしてたな?」
「な、何のことかしら?」
 わざとらしく視線を泳がせる結花を見て、少年はキランと目を光らせた。
「そのわざとらしいごまかし方で、本当に大事なことから目を逸らさせる作戦とみた……と言うことは、俺と夏樹さんが会話していたことについて黙認していた事よりも大事なことが…」
「ああもうっ、だからこの人嫌い!」
 と、悲鳴じみた声を上げた結花に夏樹はポンと手を叩いた。
「そうか、あなたといると何故か落ち着くと思ってたんだけど……結花ちゃんと似てるからなのね」
「どこが似てますか!」「俺とちびっこが?」
 同時に抗議の声を上げる二人を見て、楽しそうに笑う夏樹。
 近づく春の足音に合わせるように、自分の中である感情が萌芽しつつあることを、夏樹だけがまだ知らなかった……
 
 
                     完
 
 
 んー、また高任の悪い癖が。(笑)
 ゲームをやりこんでないとわかんない上に、人の行動規範に理由を付けすぎるから文章やストーリーがぎくしゃくして……って、自覚してるなら書き直せよって感じですね。(笑)
 で、夏樹……恥ずかしい台詞ならこのキャラがナンバーワン何ですけど、あのストーリーと台詞をそのまんま持ってくることに抵抗があったのでこんな事に。
 一度出直して、また違う話を書いてみようと思います。

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