子供が、泣いていました。
 助けてあげたかったけど、それはできません。
 なぜなら、私も泣きたいぐらいに困っていたから。
「どうかしたのかい?」
 子供が泣いているのに気付いて、大人が声をかけています。
 たぶん、あの泣いている子供はなんとかなるのでしょう……でも、私は何ともなりそうにありません。
 私も、あの子供のように泣けば、誰か気付いてくれるのでしょうか?
 でも、泣くわけにはいかないのです。
 どんなときも冷静に心を落ち着けて……他人に、自分の取り乱した姿をさらすことは堅く戒められていますから。
 いえ、わかってます。
 さっき泣いている子供に気付いて大人が声をかけたとき、私もそこにいって、自分が今困っていることを告げれば良かったのです。
 ただ、この人混みをすりぬけて、そこにたどりつく自信がありませんでした。
 今も、私の目の前を、大勢の人が通り過ぎていきます。
 声をかければいいのです。
 声をかけて、困っていると告げればいいのです。
 誰でも、とは言いませんが、何人も声をかければ、たぶん困っている私を助けてくれる人が現れるでしょう。
 でも、私にはそれもできません。
 これは、家の教えに反するわけではなく、ただ単に……私が臆病なだけです。
 ごめんなさい。
 私は、きちんと背筋を伸ばして……目の前を通り過ぎていく人を眺めます。
 今日は、お祭りなのです。
 いつもは静かな場所のはずなのに、今日はこんなに人が大勢いて、騒々しくて、少し…怖いです。
 ごめんなさい。
 お祭りは、みんなが楽しみにしている行事なのはわかってます。
 騒々しいとか、怖いとか、言ってはいけないんです、きっと。
 このお祭りには、おねえさまと一緒に来ました。
 いえ、お祭りが目的だったわけではなく、この奥にある神社に用事があったのです。
 そこから帰ろうとしたときに、おねえさまとはぐれてしまいました。
 この神社にやってきたのは初めてで、私1人では帰り道がわかりません。
 おねえさまが悪いわけではありません。
 きっと、全部私が悪いんです。
 おねえさまは、私よりひとつ年上なのですが、とても素敵な方です。
 素敵なだけでなく、素晴らしい方で……私が、尊敬する人なんです。
 おねえさまは、この神社に1度しか来たことがなかったそうですが、ここに来るまでの道筋を全部覚えていました。
 すごいと、思います。
 私がおねえさまなら……たぶんここに来るときの道筋を全部覚えていて、1人で帰ることができるはずなのです。
 あ、いえ……それだと、今、はぐれてしまった私を捜しているに違いないおねえさまが困ってしまいます。
 世の中には、携帯電話という便利な機械があるそうで、それを持っている子供も少なくはないそうですが、生憎、私もおねえさまも、それを持たされていません。
 困っていても、取り乱してはいけません。
 泣くなんてもってのほかです。
 人の邪魔になるようなことをしてはいけません。
 人の楽しみを妨げるようなことをしてはいけません。
 ですから、私はこうして隅っこで背筋を伸ばして、通り過ぎていく人をじっと眺めています。
 私、困ってます。
 泣きたいぐらいに困ってるんです。
「おい、大丈夫か?」
 誰かの、声が聞こえました。
 また、泣いている子供でもいるのでしょうか?
「いやいや、お前だよ、お前…何か困ってるんじゃねえの?」
「…ぇ?」
 子供がいました。
 男の子です…。
 おねえさまも、私も、女の子だけの学校に通っているので、男の子と接する機会はほとんどありません。
 だから、ちょっと怖かったんです。
「なんだよ、なおー。ナンパか?」
 別の男の子が現れました。
 他人様を比較するのは少しお行儀が悪いとは思いましたが、こっちの男の子は、あまり怖く感じませんでした。
「ちげーよ、みちろー。こいつ、さっきから見てたけど、すげー困ってるみたいだから」
「……ぇ」
 なんで、わかったんでしょう。
 いままでずっと、誰もわからなかったのに。
 誰も、気付いてくれなかったのに。
「どこが…別に泣いたりしてないじゃん」
「ばーか。ちび麻里じゃあるまいし、すぐに泣くやつばっかりじゃねえっての…」
 言葉遣いが乱暴で、やっぱりちょっと怖いです……でも、この人は、私が困っていることに気付いてくれました。
「俺達とはぐれて、麻里絵、きっと泣いてるって…ほら、探そうぜ、なおー」
「だから、こいつもほっとけないだろ…ちび麻里はいっつも迷子になるんだから、慣れてる分、しばらくは平気だって」
「だから、この子…別に困ってるわけじゃないって、むしろ、なおーに話しかけられて、迷惑してるっぽいって」
「んなことねえって……おい、困ってるなら助けてやるぞ、言ってみろよ」
「ぁ…ぁ…の」
「ほら、困ってるじゃないか…よせよ、なおー」
「……ぁ」
 声が出ませんでした。
 困ってて、不安で、怖くて……そんな気持ちが胸一杯になって、何をどう話せばいいのか、よくわからなくなって…。
「俺にできることなら、助けてやるぞ…落ち着け、ほら、深呼吸」
 落ち着く…そうでした、冷静にならなければいけません。
 私は、深呼吸しました。
 ゆっくり、大きく……あ、もう1人の男の子が、私を見てちょっといらいらしているのがわかってしまいました。
 ごめんなさい。
 たぶん、この男の子たちも、誰かとはぐれて…その、はぐれた誰かを捜している最中なんです、きっと。
「おい、みちろー」
 男の子が、怖い目で男の子を睨みました。
「……わかったよ…でも、俺は麻里絵を捜す…勝手にナンパでもやってろ」
 目をそらしながら、男の子……みちろーさん(?)は、行ってしまいました。
「……ごめ…んなさい」
「ん、なーにが?」
 頭を下げようとした私を、男の子は手で押しとどめて……笑ってくれました。
 怖く、ありませんでした。
「大丈夫」
 優しく、頭を撫でられました。
「お前、頑張ったな…強かったな…子供ってのは、すぐに泣くもんな」
 同じ子供なのに、そんなことを言う男の子がおかしくて……私は、ようやく、少し笑うことができました。
「よしよし…」
 頭を撫でてくれます。
 それで、この男の子が、私を笑わせるために、わざとおかしな事を言ったのがわかりました。
「それで、お前は何を困ってるんだ?」
「ぇ…ぁ、あの…」
 また、言葉が出なくなりました。
 自分で自分に呆れてしまいました…たぶん、この男の子も呆れてしまうでしょう。
「ふむ…お前、ちび麻里と違って、誰かに助けを求める事に慣れてないんだな」
 そうなんでしょうか…そうかも知れません。
「気に入ったぞ、お前、絶対助けてやるからな」
 ぽん、と肩を軽く叩かれて……また、頭を撫でられました。
 男の子が何を気に入ったのかよくわかりませんでしたが、そうして男の子に頭を撫でられるのはいやじゃありませんでした。
 すこし、はしたないのかも知れません、私。
「落とし物か?それなら、そういうのが届けられてる場所が……と、違うのか?」
 私は何も言わなかったのに、男の子はわかってくれました。
「と、すると…迷子か」
 そう聞かれて、何故声が出なかったのか……その理由が少しわかりました。
 迷子になったことが、恥ずかしかったんです、私。
 そんな恥ずかしいことを、知られたくなかったんです、きっと。
「そっか…不安だったよな。頑張ったな、強いぞ、お前」
「…ぁ」
 またです。
 私は、何も言わなかったのに……男の子には、わかってしまいました。
 頭を撫でられました。
 恥ずかしかったけど、そうされるのはいやじゃなかったので、しばらくそのまま男の子に頭を撫でられてました。
 私、ちょっとはしたなくて、大胆です、今。
「さて、お前は誰と来たんだ、親か?」
 首を振りました。
 声は出せなくても、こうした質問なら、その通りか、違うのかぐらいは伝えられます。
 あ、いや…もう、私が迷子になったことは、この男の子には知られてしまったから、恥ずかしがる必要はないのかも知れません。
「あ、あの…おねえさまと…来ました」
「おねえさま?」
「は、はい…」
 何でしょう…私は今、何かおかしな事を言ったのでしょうか?
「そっか、大変だったな…」
 何故でしょう、頭を撫でられました。
 そして、何が大変なんでしょう?
「姉ちゃんはなあ、うん…姉ちゃんは、大変だよなあ…」
 ……大変なのは、私ではなく、おねえさま…でしょうか?
 そうでした……つい、私は自分のことだけを考えていました。
 おねえさまはきっと、この人混みの中で私のことを捜し続けているに違いないのです。
 見ず知らずだった私のことだけでなく、おねえさまのことまで心配してくださるなんて、この男の子は、とても優しい人なのだと私は思いました。
「すこし、落ち着いたか?」
「……はい」
「こういうお祭りの時はな、迷子とか別に珍しくないからな、迷子になった子供を…えーと、保護してくれる場所があるんだ」
「…そうなのですか?」
「ああ」
 男の子は頷きました。
「迷子は、ここにいる…って目安になるんだな。ほら、誰かと約束するときは、ちゃんと場所を決めるだろ?あれと同じだ」
 同じ…でしょうか?
「その、お前のねーちゃん…」
「おねえさまです」
 声が出ました。
「その…お前の…おねえ…さまもな、お前を捜して、そこにいるかも知れない。だから、まずはそこに移動するぞ」
「はい、わかりました」
「もし、そこにいなくても…えーと、お前が迷子になってるって、放送してくれるから、お前を捜してる、おね…えさま…もな、そこにやってくるはずだ」
「はい」
 自分が何をすればいいのか男の子が教えてくれましたから、もう、不安はありませんでした。
「よし、手を出せ」
「はい」
 私が出した手を、男の子が握りました。
「……ぁ」
「ちょっと恥ずかしいかも知れないが、我慢しろ。ここで俺とお前がはぐれることを、にじゅーそうなんと言うんだ」
「にじゅうそうなん…ですか」
「うん、そしてたいていは、大惨事になる」
「わかりました…」
 私は頷いて、男の子の手をしっかりと握りました。
 ただ、あの時、私はおねえさまの手をしっかりと握っていたのです、それでも…。
「そこまでは、あまり遠くない」
「はい」
「だが、にじゅーそうなんを防ぐため、いくつかルールを決める」
「ルール…?」
「うん……道の端を歩く…えーと、歩く方向に向かって右側だ」
「右側…」
「右ってわかるよな?」
「わ、わかります」
 ちょっと怒ったような言い方になってしまいました。
「あ、すまん…なんつーか、ちび麻里ってのがな、右と左もわからないというか、とんでもなく方向音痴でな…」
 男の子が、遠い目をしました。
「えーと、これはな。俺も、お前も子供で、背が小さい……だから、大人が間にはいると、すぐに見えなくなる」
「はい…」
 そんな風に、男の子は私とはぐれないように、いろんなルールを私に説明してくれたのです。
 でも、そのルールはほとんど必要ありませんでした。
 男の子は、人混みから私をかばうようにして、ゆっくりと、常に私の存在を気にかけて歩いてくれたからです。
「よし、見えたぞ、あそこだ」
 男の子が指さした先から……。
「御子っ!」
 おねえさまが、私の方に走ってきました……あれ、おねえさまじゃない女の子も、こっちにむかって…。
「尚にーちゃぁぁんっ!」
 私はおねえさまに、男の子は女の子に飛びつかれて、私と男の子は、目的地を目の前にして、にじゅうそうなんしてしまいました。
「御子、御子、御子…良かったぁ…」
 おねえさま、そんな取り乱したお姿を他人にさらしては…。
「馬鹿ぁ、尚にーちゃんの馬鹿ぁ…みちろーくんから聞いたんだからねっ…馬鹿ぁ…馬鹿馬鹿ぁっ」
 そうして気がつくと、男の子はいなくなっていたのです。
 名前も、聞けませんでした。
 そして、私の名前も、教えていませんでした。
「……なおにーちゃん」
 あの女の子の呼んだ言葉を、私は呟きました。
 
 
「……」
「…御子」
「おねえ…さま?」
 私は、自分の部屋に寝ていました。
 そうでした、私は雪の降る中、おねえさまをずっと待っていて……。
「さっきまで、有崎がきてたの」
「そう…ですか」
「少し苦しそうだった御子の頭をね、ゆっくり、ゆっくりと撫でてた……そうしたら、御子の様子がすごく落ち着いて」
 おねえさまは、少し笑って。
「ちょっとだけ、嫉妬したわ…」
「……夢を、見ていました」
「え?」
「昔の…ずっと昔の夢です」
「……そう」
 おねえさまは頷いたきり、それ以上は追求してきませんでした。
 その代わりに…。
「ねえ、御子?」
「何ですか?」
「ひとつだけ…聞いていいかしら」
「はい」
「私の…家出のこと、なんで有崎に相談したの?なんで、有崎だったの?」
「……」
「……御子?」
「……秘密…です」
「そう…じゃあ、聞かないわ」
 おねえさまは静かに立ち上がり。
「御子が目を覚ましたって、言ってくるわ…御子、あなたは無理せず、寝てなさい」
「はい、おねえさま」
 おねえさまが部屋を出ていき、私は目を閉じました。
 眠るためではありません。
 
 おねえさまがおとうさまと喧嘩して、ご友人の家にいるとはいえ、プチ家出している現状が不安で、悲しくて。 
 いつもは女子しかいない校舎の中を、男子がうろついているのも少し怖かった。
 何も変わらないように日々を過ごそうとしていたけど、私は困っていました。
 前から、2年生の先輩と男の子が並んで歩いてきたので、私は、さりげなく廊下の端に避けました。
 2人の会話が、聞くともなしに、聞こえてきました。
「あはは、私が尚にーちゃんを案内するなんて、なんか変な感じ」
「麻里絵、尚にーちゃんはやめろって…ちび麻里ってよばれたいか?」
 2人が、私の横を通り過ぎていった後も……私は動けませんでした。
「なおにーちゃん…?」
 そう呟いて、ようやく、私は振り返ることができました。
『尚にーちゃぁぁんっ!』
 あの日の、遠い思い出の中でそう叫んだ女の子と同じ……。
『ちび麻里』
 あの人は…あの時の…。
「なおにーちゃん…」
 
 
              完
 
 
 まあ、このタイトルから、御子を想像した人間は、すごいと言うより、どこかおかしいでしょう。(笑)
 とりあえず、書きたかったから書いてみましたが、原作からすると、まずあり得ない設定ですね。
 
 どーも、語り口調は苦手というか、ちょっと練習したかったというか……まあ、そのあたりの大人なごにょごにょもあって、チャレンジ一発という感じですか。
 まあ、この後日談とか書いても良かったんですが、ここで切り上げる方が読後感はよいかな、と思ったり。
 いや、麻里絵のいる前で御子が言うわけですよ『尚にーちゃん』とか。
 もう、麻里絵の鬼嫉妬とか想像するとわくわくするです。(笑)
 
 最初はもっとひらがなを多用しようかと思ってたのですが、読むときに結構苦痛なのでアレしました。
 一応、九条御子、小学2、3年生……ぐらいの感じで。
 

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