「くぁ……はわぁ…っと」
 視線を感じて、尚斗は慌てて口元を手で隠した。
「尚斗さん、眠そうです…」
 あの、少しお休みした方が……と言いたげな目をした御子に、尚斗はにかっと歯を見せて笑って見せた。
「いや、せっかくの休みにそんなもったいない事は出来ないって」
「……ですが」
「御子ちゃんだって、わざわざ時間開けてもらったんだろ?」
「はい…でも、私の都合より尚斗さんの…」
 ぽんっと、御子の頭に手を置いて。
「俺の元気の素は、御子ちゃんだよ」
「そ、そんな…」
 恥ずかしげに、御子は手で顔を隠してしまう。
 初めて出会ったときから、そんなところは変わらない……と、尚斗はそう思うのだが、弥生あたりに言わせると、御子のそれは似て非なるモノらしい。
「あ、いけね…」
「…?」
 少し、ほんの少しだけ手をずらして、『何かあったんですか?』という感じに、こちらをうかがってくる御子が可愛らしい。
「その着物、可愛いよ、御子ちゃん」
「あ、やだ…尚斗さん…」
 再び、顔を覆ってしまう御子。
 少し間を置いてから。
「あ、いけね…」
 『こ、今度は何ですか?』という感じに、御子がまたちょっとだけ指の隙間から尚斗を見る。
「17歳の誕生日おめでとう、御子ちゃん」
「あ…」
 ちらりと、尚斗を見て……御子は、深々と頭を下げた。
「ありがとうございます、尚斗さん」
 1,2,3秒と少し経ってから、御子の頭が上がってくる。
 タイミング取りずれえ……と、苦笑しつつ、尚斗は御子の目の前にちょっとした贈り物を差し出した。
「ま、ささやかながらプレゼント」
「あ、ありがとうございます」
 御子が再び、深々と頭を下げる。
「……」
 尚斗は、御子の頭が再び上がってくるのを待って。
「さて、あまり時間もないし、行こうか」
「え、あ、あの…」
 ここで、開けたらダメですか……と、上目遣いの御子。
「ダメ、後のお楽しみってことで」
「はい…そうします」
 すこし、寂しそうに御子が頷く。
 弥生曰く、『姉の私じゃなく、有崎だけに甘えるなんてずるい』とのことらしいが……まあ、そのあたりの家庭の事情はさておき、優越感をくすぐられなくもない。
 いや、くすぐられなくもないのだが。
 この、叱られた子犬のような風情が、何というか、優越感より罪悪感をちくちくと刺激するわけで。
「えーと、御子ちゃんは毎年初詣とか、どうしてるの?」
「……お弟子さんをはじめとした、年賀の挨拶などがものすごく多いので、家族そろって家を空けるわけにもいかないので、ほとんどが7日詣でです」
「7日詣で……というと?」
 御子は尚斗を見て。
「その…1月の7日に神社に詣でることだと思ってくだされば」
「…なるほど」
 多分色々と詳しい由来やらあるんだろうけど、俺のことを気遣ってものすごく簡略に説明してくれたんだな、と尚斗は納得する。
「ま、とりあえず行こうか」
 と、尚斗が差し出した手を、御子はきゅっと握り。
「はい、尚斗さん」
 
 人がわんさかいるような場所に御子を連れて行くほど、尚斗は馬鹿ではなかったから……2人の初詣は、九条家からさほど離れていない神社が目的地で。
 と、いうか。
『あのね、有崎。初詣っていうのは、自分の家を守る氏神様や…(以下略)……そもそも、自分の家と何のゆかりもない神社に詣でることは……(さらに略)』
 などと、弥生にこんこんと諭された事が影響している。
「こっちです、尚斗さん」
 手水で手を洗い、口をすすぎ、階段を上がり、賽銭箱に金を投じて手を合わせ、ミッションコンプートと思ったら、どうやらまだまだ任務は残っていたらしく。
 社の四方……ひっそりと隠れるように小さなほこらがあって、反時計回りにそれぞれお賽銭をおき、手を合わせ、再び社に戻って…。
「あ、今度はお賽銭は不要なんです…」
 と、御子の手が尚斗の手を押しとどめて。
 ぱんぱん。
 これまでの人生で得た、『初詣』の概念とはかけ離れた手順が、かえって尚斗の心を改まったモノにしたようだ。
 ふっと、気がつくと……既に祈りを済ませたらしい御子が、じっとこっちを見つめていた。
 おそらく、これは初めてのこと。(笑)
 
「……春が来たら、御子ちゃんは受験生か」
「あ、いえ…私は…」
「あ、そっか…そのまま内部進学だっけ」
「はい…そのつもりです」
「まあ、御子ちゃんは成績もいいし……何か考えるところがあるなら、じっくりと考えればいいんじゃないかな」
 と、尚斗はちょっと空を見上げ。
「そもそも、去年の今頃なんか、俺は何も考えてなかったし…」
「そうなんですか?」
「うん、全然、さっぱり」
「……」
 御子が自分を見つめているのはわかっていたが、尚斗は空を見上げたまま言葉を続けた。
「特に何かをやろうとか、何かをやりたいとか……そういうのは全然無くて、でも、近いうちにそれを選ばなきゃいけなくなるのはわかってて……そうだな、後ろに何か怖いモノがいるのはわかっているのに、振り返る事も出来ずに、ただ不安がっていたような感じかな…」
「……今は」
「ん?」
 ここでようやく、尚斗は御子に視線を向けた。
「あの…今は、ないのでしょうか…その、不安とか」
「いやあ、そりゃあるよ不安は」
 自分が、学生でいられるのもあとわずか。
 先のことは、何もわからない……いや、何もわからない事は変わらないけど、何もわからないことがより身近になる事だけは確か。
「まだまだ見習いって言うか……5年、10年で半人前って、親方には言われるし」
「あ、あの…尚斗さんは、センスがよいそうです」
 センスがある、などと親方に言われたこともないし、そもそも言われたところで気休めにもならない。
「いやいや、だから……センスがあっても、5年10年かけて、ようやく半人前になれるって事だよ、それは」
 と、尚斗は苦笑を浮かべて、御子の頭をちょっとだけ撫でた。
 初めて会ったときから、何故か御子のことが放っておけなかった。
 家出状態の弥生のことを心配し、ろくに世話をされない学校の植物を心配し……おっとりとしているのに、いつもどこか追い詰められた気配があって。
 御子が植物の世話をするのを手伝っている内に、もっとうまく手伝えないかと思った。
 そう思ったら、色々と調べるようになり……それがうまくいったら、今度は植物の世話をする事が楽しくなってきて。
 気がつくと、九条家に出入りする造園業者に、見習いのような形で預けられる話が決まっていたりする。
 いや、弥生曰く『有崎という人間をじっくり観察するための、とうさまの悪巧み』……らしいのだが。
 ただ、さすがにというか……九条家に出入りする業者に外れなしというか、その造園業者の規模はともかくとして、評判というか格はかなりのものらしく、当然親方は生粋の職人肌で、気を抜くとすぐに拳が飛んでくる。
 去年の夏休みは毎日、親方に連れられていろんな家のいろんな庭を見て回る事の繰り返し……といっても、最初は親方や職人の人がやることをじっと見るだけだったが。
 夏休みが終わると、今度は土日の休日がほぼ全滅。
 そこでようやく、ゴミの片付けというか……丁稚というか追い回しというか、そういう仕事を少しずつ教えてもらい、今に至っている。
 効率化が叫ばれる世の中で、造園業者なんかも二極化が進んでいるらしく……いわゆる職人の仕事をこなす業者は、後継者不足なんだそうだ。
 親方にかけられたほめ言葉っぽいモノと言えば『最近の若い奴には珍しく、おめえは、殴られてもへこたれねえな…』だけしか記憶にない。(笑)
 そのぐらい、俺が通ってる男子校にいくらでもいますよって言ったら、『黙って、ハイって返事してりゃいいんだ』と殴られたのはちょっとばかり理不尽な気がしたが。
「まあ、なんにせよ…」
「……」
「やりたいことが見つかったのは、御子ちゃんのおかげだよ」
「そ、そんな…」
「いや、マジで……御子ちゃんと出会えてなかったら、自分でも何とかなりそうな大学を探し出して、親のすねをかじり続ける計画を立ててた様な気がする」
「……」
 御子がちょっと俯いた。
 恥ずかしがっているからではなく……それがわかる事が、ただ嬉しい。
「九条家を継ぐ継がないに関係なく、御子ちゃんは華道から離れられないと俺は思う」
「……はい」
 養子。
 それは、御子に……御子の心に課せられた十字架。
「造園と華道は、畑違いだけと、まるで関係ないジャンルじゃないし、ひょっとしたらお互い役に立つこともあるかも知れないよね」
「……?」
「えーと……」
 頭をかき。
「さっきのプレゼント…開けていいよ」
「……わぁ…尚斗さん、これって…?」
「えっとね、親方に聞かれたら怒られそうな気がするけど…造園に興味があるのも、色々植物に手を入れたりするのは好きだし楽しいけど、俺のやりたい事ってのは…その」
 御子の手にあるそれを取り、左手をつかむ。
「御子ちゃんと、ずっと一緒にいたいんだ」
「……」
「1人前になれるかどうかもわからないけど…その、御子ちゃんにキャンセルの権利もあげるから…その、御子ちゃんの人生を、予約して…いいかな」
「……」
「……」
「……尚斗さん」
「は、はい」
「尚斗さん」
「はい」
「あの、私は…そのつもりで…おつきあいを始めて……おとうさまとおかあさまにも…そのことは…」
「……そうなの?」
「はい」
 顔を赤くして……これは、恥ずかしがっているのではなく、少しすねている表情。
「い、いや、俺と御子ちゃんがつきあい始めたのって、4月だったよね……」
「お、覚えてないんですか?」
「いや、覚えてるよ覚えてるけど…出会って3ヶ月も経ってない…」
 その状態で、将来を…。
 『有崎がそれを言う?』と、この場に弥生がいたらツッコミをいれただろうか。
「……」
 御子が、さらにすねていた。
「えっと、御子ちゃん…」
「……」
「ああ、ごめん、ごめんってば御子ちゃん…」
 心のどこかで、御子の覚悟を甘く見ていた自分を深く反省しつつ。
「尚斗さん」
「は、はい」
 尚斗の目を見つめ。
「私は、心から尚斗さんをお慕いしています」
 そう言って深々と頭を下げる……それは、去年の4月と全く同じ。
 だが、今度は……。
 頭を上げ、そっと左手を尚斗に差し出す。
「……どうぞ」
「よ、よろしいの?」
 返事がおかしくなった。
 御子の顔は赤く、でも目は背けない。
「……なんだろう、こんなに幸せでいいのかな、俺」
「……私の方が幸せです」
「……」
「……」
 ここは絶対に譲りません、という表情。
「じゃあ、2人で幸せってことで…」
「……はい」
 冬だというのに、花が咲いた。
 それは、尚斗が一番好きな花。
 
 
 
 
 ……まあ、いいか。(笑)
 と、いうわけで御子は1月生まれです。
 日付を明確にしてないのは、多分養子の件が絡んだと言うことで。
 
 本当の意味で10周年なら、2月から始めるのが筋なんでしょうが……まあ、10年目と言うことで、トップバッターは御子ちゃん。
 某知人が、『へえ、チョコキス誕生日イベントというと、トップは気合いを入れるためにちびっこと言いたいですが、後半の息切れを考慮して、紗智か安寿でしょ?』などとカマをかけてきましたが。
 一応、何月生まれかを推測させるキャラクターもいることだし、物事はそう単純でもないのだよ、と言ってやりたい。
 
 多分、この後に、とうさま大暴れ。
 かあさまが、首筋にシュッと手刀を入れて気絶させると、偽チョコの流れになりますなあ。(笑)

前のページに戻る