枕元に正座した姉は穏やかな笑みを浮かべたまま自分を見つめている。しかし、姉の瞳には強い光が宿っているように見えた。
「御子……夢を形にした人達はね、みなすべからく努力しているの」
「お姉さま…」
「確かに、努力が全て報われるなんて事はない…でもね、あなたが積み上げてきた努力は誰にも否定させないわ、お父様にも、お母様にもね」
「……私には、無理です」
 御子の呟きに対して、姉は悲しげに首を振っただけだった。
「私の事を尊敬しているというあなたの言葉に嘘がないなら……私を信じなさい」
「お姉さまのことは信じています……」
「だったら…」
「私は……お姉さまのように、1人では生きていけません」
「1人っ?」
 終始穏やかだった姉の口調が激した。
 その口調の激しさに御子はどこか救われ、そして何かを傷つけられた。
「お姉さまは、違う道を歩こうとなされています……その道は、私に構っていられるほどなだらかな道なのですか?」
「……」
「お姉さまもわかっているはずです……私が家を継ぐためには、まずお姉さまの協力がなくては不可能だということを。だとすれば、家を継ぐのも継がないのも御子はお姉さまに対してあわせる顔がないということになりませんか?」
「御子……」
「おなじあわせる顔がないのなら……御子は、これからもお姉さまの作品を見ていきたいと思います」
 詭弁である……と、それを口にした御子自身が知っており、姉である弥生もまた気付いていた。
 だからこそ、御子の言葉は重い。
 弥生は頑迷な光をたたえた御子の瞳を覗き込み、小さく息を吐いた。
「その頑固さ……お父様に似たのね」
「いいえ、お姉さまにです…」
 そう呟く御子の表情には拭いがたい姉への尊敬の念がある。それを本当に突き放せるほど弥生は冷徹にはなれない。
 華道における弥生の作風に傾倒しながらも、自分のスタイルを決して変えないところに御子が御子たる所以がある。
 どこか一途なところがあり、その頑なな姿勢を覆すことに成功した人間は弥生の知る限り1人もいない……いや、最近になってその可能性を持った人間が1人現れたと言うべきか。
 その少年と出会ってから御子は変わりつつある……その変化が好ましい変化なのか、それとも好ましくない変化なのかはまだ判断が付かない。
 ただ、弥生に向かって曲がりなりにも自分の意見を述べようとする姿勢……その変化は弥生にとって喜ばしい変化であることは間違いなかった。
「……お父様が言ったの?御子が養子だって……」
 弥生がそう言うと、御子は穏やかな微笑みを浮かべた。
「……やはり、ご存じだったのですね」
 そして、一旦言葉を切って潤んだ瞳で弥生の顔を見上げる。その瞳に懇願するような光が見えた。
「お姉さま……と呼んで構わないのですね?」
「当たり前でしょ!」
「……御子は幸せです」
 心の底から安心したような笑顔……弥生の見る久しぶりの笑顔だった。自分が家出してから、ずっとその小さな心を痛めていたのに違いない。
「馬鹿ね……そんなことでずっと悩んでたの」
 ため息混じりに呟きながらも、ごく自然に優しい笑みを浮かべてしまう。
「お姉さまに…いいえ、お父様やお母様みんなに優しくされるたびに、私は不安でした……お姉さまが厳しい修行をなさっているのに私は…」
「……え、じゃあいつから?」
「お姉さまと同じ修行をするようにお父様が手配して腐る直前……あれは、私が5つの時でしたね」
 肺の中の空気を押し出すように囁いて、触れたら壊れそうな笑みを浮かべた御子を弥生はぎゅっと抱きしめた。
「お、姉さま…?」
「……ごめんなさい」
「え、ど、どうして……」
「私、気付いてあげられなかった……そんな小さな頃からあなたが苦しんでいたなんて……」
 御子は泣きそうな笑みを浮かべ、指を伸ばしてそっと弥生の髪に触れた。
「……お姉さまは、いつお父様から?」
「……」
 弥生はただ無言で首を振った。
 それを伝えた相手が父ではなかったのか、それとも言いたくないのかは御子にはわからない。
「……お姉さまも、泣いたりするのですね」
 隠れて泣いていた自分が流した涙とは違い、おそらくは自分のために流してくれている涙はキラキラと輝いているように御子には思えた。
「……変わったわね、御子」
「そう…かもしれません」
 そう呟いて御子はそっと目を閉じた。
 多分自分は変わっていない……ただ、自分を励まし、勇気づけてくれる存在を見つけただけ。
 なけなしの勇気を振り絞ったあの日、御子の世界は確実に広がった。
 今はただ、あの少年に出会うきっかけを与えてくれた大雪に感謝するだけ。
「感謝すべきなんでしょうね、有崎に…」
「…っ!」
 弥生の口から少年の名前が出てきたことに狼狽え、御子は顔を真っ赤に染めて視線を逸らした。
「あ、あの…あの…お姉さま…?」
「あなたが私を見ていたように、私だってあなたを見ていたわ……大切な妹だもの」
「あ、あの…今はそんなことを話しているのではなくて…」
 しどろもどろになって視線を泳がせる御子を見て、弥生は楽しそうに笑った。
「御子、もし私が有崎のことが好きって言ったらどうする?あきらめるの?」
「そ、そんなのイヤです!」
 と、反射的に叫んでから御子は慌てて口元を手で隠す。
 弥生は幾分真面目な顔つきに戻って呟いた。
「……御子、正直におっしゃい。あなた、家元を継ぎたくないのね」
「……」
 口を閉じ、それでいて視線だけは逸らそうとしない御子を見て弥生はため息をついた。
「ふう、ちょっと意外だったな……まあ、勝手にそう思いこんでた私も悪いんだけど」
「花は好きです……でも、それは」
「活けるのではなく育てること……かな?」
 御子はコクリと頷いた。
「私が育てた花をお姉さまに活けてもらう……ずっとそう願ってました。私は、お父様や他の流儀のどんな高名な方が活けた作品よりもお姉さまの活けた花が好きですから」
「……困ったわね」
 弥生が、その言葉とは裏腹の柔和な表情を見せて笑うと
「はい、困りました…」
 その笑顔に応えるように、御子もまた花開くような笑みを浮かべた。
 
「有崎ぃーっ、一緒に帰ろ!」
「おう……おや、御子ちゃんも一緒」
「はい……」
 弥生の背後に隠れるようにしていた御子が、赤い顔ををちらりとみせて深々と頭を下げた。
「……んーと、話し合いはついたのか?」
「私と御子の間ではね…」
「ま、姉妹二人が力を合わせたら何とかなるんじゃないか……」
「だといいんだけど……」
 尚斗はため息混じりに呟く弥生を見て、やけに大きな荷物を持っているのに気がついて足を止めた。
「なんだ、その大荷物は?」
「んー、まあ世羽子の家に置いてあった荷物。ほら、有崎持って」
 有無を言わせず尚斗の手にバックを持たせる弥生を見て、御子は控えめに自分も大きな荷物を持っていることをアピールする。
「……」
「どうしたの、有崎?」
「俺、何か凄くイヤな予感がするんだけど気のせいか?」
 御子の持っていたバックを受け取りながら、尚斗は弥生の方を振り向いた……と、制服の裾を涙目になった御子に引っ張られる。
「あ、あの……」
「有崎って見かけによらず苦労してるんだね、感心しちゃったよホント…」
 弥生はやたらと頷きながら尚斗の肩を叩いた。
「……何の話だ?」
「今日からは私達が家事を分担してあげるし、一人きりで心細い夜を送ることもないから」
「おまえら姉妹の解決法は家出しかないのかっ!」
「あ、あの…掃除でも、洗濯でも、何でもしますから……」
 涙目のまま申し訳なさそうに尚斗の制服の裾を握りしめる御子を見て、弥生が表情を険しくした。
「御子を泣かせたわね…」
「俺が泣きたいわ!大体、親父のいねえ家に女の子2人も転がり込んだ日にゃあ俺はご近所のおばさん達のいい餌食だぞ!」
「大丈夫!飛行機の翼は逆風は受けて高く飛ぶことができるのよ」
「他人事だと思って適当なこと言ってんじゃねえ!」
 弥生は口元に手を当てて、小さく笑った。
「……有崎、アンタ御子に応援するって言ったんでしょ?」
「俺が言いたいのはだなあ……」
 尚斗はどう説明したもんだがと言った感じで前髪をかき回し、そして御子の顔をちらりと見た。
「自分達の要求を通す事だけを考えるんじゃなくってだなあ……家族に対して責任をとるってのはもっと地道でまっとうな道の事の筈なんだよ。弥生、バンドのリズムが合わないからって練習もせずに次々と仲間を探したりするのか?」
「それは……」
「御子ちゃん、温室の花の世話をするみたいに、この件について自分がとことんまで努力したって胸を張れるのかい?」
「……」
 尚斗は俯いてしまった2人に示すように、自分たちの歩いている道の向こうを指さして呟いた。
「道が一本しかないからって、何かに縛られているわけじゃないんだ。向こうに歩いていくことも引き返すこともできるし、ここで立ち止まることだってできる……誰だって、自分で選択して生きていけると俺は思ってる。まだ切羽詰まってねえよ、お前らは…」
 ただ風の音だけが支配する沈黙を破って、御子が顔を上げた。
「あ、あの…有崎さん……いつものように、頭撫でてくれますか?」
「ああ……弥生、お前の頭も撫でてやろうか?」
 弥生は何となく楽しそうな表情を浮かべたまま首を振った。
「何だよ?」
「ううん、別に……まあ、御子に見る目があって良かったなと思って」
「お、お姉さま」
 尚斗に頭を撫でられたまま御子が顔を真っ赤にする。
「荷物返して…御子のも」
 弥生は尚斗から荷物を受け取ると、風の吹き渡るような笑みを浮かべた。
「有崎、私は先に帰るから御子のことお願い…」
「……ああ、なるほど。妹思いなんだな。ちょっと誤解してたよ」
「御子の前でそれ以上言ったらぶっ殺すわよ」
 弥生は尚斗を殴るまねをし、そして2人に背を向けた。
「御子…」
「は、はい」
「温室の外にだってね、春は来るのよ…」
 その言葉を聞いた瞬間、御子は姉という温室を失うのだなと悟った。
 時は二月中旬……吹き抜ける風の冷たさを陽光が柔らかく溶かしつつある。
 
 
 
 
 他力本願キャラは嫌いなんじゃよーなどと暴れそうになりました。
 まあ、最初ぐらいはゲーム設定に則って書いておこうかと思ったのですが、書いている本人が気合いの入ってないことを実感できるあたりやばそうです。(笑)
 どうもこれと言った話が思い浮かばなかったのが一番の大きな原因でしょうが、次に書くときはもう少しゲームの設定を無視して恥ずかしいお話で仕上げてみますかね。(笑)

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