沈みかけた夕日が、目に見える全ての景色を赤く染め上げていた。
 距離にして僅か500メートル……ぷっつりと会いに来てくれなくなった幼なじみの家の方角もまた赤く染まっている。
「尚兄ちゃん……私達のことなんか忘れちゃったのかなあ?」
「……」
 そう呟くたび、どことなくつらそうな表情を浮かべる幼なじみがいつも側にいた。
 小学生から中学生になって3人から2人になった……そして、麻里絵は1人になることが恐くていつしかその言葉を呟くことをやめた。
 ……高校生になって1人で夕日を眺めることも知らずに。
 
「どうして……一度も会いに来てくれなかったの?」
 自分には、幼なじみとして当然それを聞く権利があるはずだった。たとえ、それが5年ぶりの再会直後だったとしても。
「ふむ……それに関しては後日レポートを提出するかもしれないということで勘弁してくれ」
「そ、そんな難しい理由があったの?」
「いや」
 あっさりと首を振る尚兄ちゃんこと、有崎尚人。
「まあ、毎日会ってたのが……そうだな、一週間会わないと足を運びづらくなったってとこかな?」
 素っ気なく視線を逸らす尚人の姿が、麻里絵の中の5年前の記憶とだぶった。何かをごまかそうとする仕草は、全然変わっていない。
「でも……5年も」
「そう責めるなよ……そのおかげで、幼なじみの5年ぶりの再会という感動を味わえたと思えば安いものかも知れないし」
「そういう問題じゃないよ……」
 それ以上は言葉が続かない。
「そういや、みちろーは元気?」
「……どうだろうね?」
 尚斗がくるりと振り向いた。
 再会してから初めてまともに視線を向けられたような気がする。
「みちろーくん、〇〇高校に進学したの」
「げっ、あいつそんなに頭良かったのか?」
「……本当に何も知らないんだね。じゃ、みちろーくんの両親が離婚したのも知らないの?」
「……ちょっと、想像つかないな、それ…」
 麻里絵は小さくため息をつき、尚斗の目をじっと見つめて呟いた。
「じゃあ……私と、みちろーくんがつき合いだしたのも知らなかった?」
「……そうか、良かったじゃないか」
 気のない返事。
 それなのに、心の底から安心したような表情を浮かべていた。
 と同時に、再会したときから感じていた一種の壁みたいなモノがさっと取り除かれたのを麻里絵は感じた。
「みちろーから告ったんだろ」
「うん、そうだけど…?」
「俺の知ってるちび麻里にそんな度胸があるかよ……」
「……その呼び方やめてってば」
 尚斗の手が麻里絵に向かってゆっくりと伸びてくる。
「じゃ、今は遠恋か……大変だな」
 記憶の中の尚斗がしたように、くしゃくしゃっと髪の毛をかき回す仕草。髪の毛が乱れるのがあんなに嫌だった筈なのに、今はそれが凄く嬉しい。
 ポケットの中でぎゅっと握りしめた時計から、微かな振動が手のひらに伝わってきた。
 今はいないみちろーの忘れ物……そう考えることにしていた。
 高校進学直前に『あげる』と言われた事を忘れたわけじゃない。それでもこれはきっと忘れ物だった。
「……みちろーくんが帰ってきたら、やっと3人揃うね」
「いつも一緒にいることより、ここ一番で側にいてくれる事の方が大事だと思うが」
「だったら……」
 唇をきゅっと噛んで、麻里絵は尚斗の顔を見上げた。
「……なんだよ、あの頃はいつも俺とみちろーの後を追いかけてきたくせに、麻里絵の方から会いに来ようとかは考えなかったんだろ?」
「呼んでも来てくれなかった……」
「いつ?」
「ずっと、ずっと呼んでた……」
 想い出はあやふやだったから、唯一確かなものである時計の文字盤を眺めてあの時のように心の中で呼んでいた。
 おっきな野良犬に襲われそうになったときも、あやまって川に落ちたときも……心の中で呼んだだけで、二人の幼なじみは正義の味方のように現れた。
「泣くと遊んでやらないぞ…」
「な、泣いてなんかないもん!」
「……なんつーか、5年も経てば少しは成長したのかと思いきや、相変わらず泣き虫のちび麻里のままか?」
「もう、その呼び方やめてってば!」
 一層強く髪の毛をかき混ぜられた。
「あんまり昔のことにとらわれてんなよ……」
「あは…尚兄ちゃん、紗智と同じ事言ってる」
「紗智?」
「ん、中学からの友達で同じクラス……」
 始業5分前を告げる鐘が厳かに鳴った。
「尚兄……じゃなくて、尚人くん、クラスは?」
「知るわけない」
「はあ…だよね。玄関の掲示板に貼りだしてあるから早く確認してきたら?」
「必要ない」
「ど、どうして?」
「5年ぶりの再会だからな、神様に悪戯心があるならきっと同じクラスだよ」
「もう、相変わらずなんだから…」
 無意識に右手を差し出す。
 その手をごく自然に取る尚斗。
 左手を差し出す相手は、今はいない。
 その代わり、ポケットの中で時計を握りしめる。
 動き続ける時計の振動がいつもより少し力強く感じた。
 
「……みちろーより随分レベル低いじゃない」
「言いにくいことをずばずば言う女だな……」
 初対面で随分と失礼な事を言う紗智に苦笑いを浮かべたまま、尚斗は麻里絵に視線を向けた。
「一体みちろーはどんな変身を遂げたんだ、見せてくれ」
「見せてくれって……何を?」
「みちろーの写真」
 突き出された手をぺしっと払い落とす。
「持ち歩いてないよ、そんなの……」
「彼氏の写真と言えば、遠距離恋愛の必須アイテムだろうが?」
「アンタ……一体いつの生まれよ?」
 呆れかえった表情で紗智が肩をすくめた。
「同い年に決まってるだろうが、さっちゃん」
「さぁっちゃんん?」
 紗智がライオンさえもかみ殺しそうな表情で尚斗の胸ぐらをつかむ。
「やめてよね、その呼び方」
「じゃ、一ノ瀬さん」
「名字で呼ばれるの嫌いって言ったでしょ!」
「おっと、うっかりしてたよ。ごめんね、さっちゃん」
 わざとらしくオーバーゼスチャーをする尚斗に背を向け、紗智は眉をヒクヒクさせながら麻里絵に囁いた。
「麻里絵……こいつ殴っていい?」
「喧嘩は駄目」
 ちなみに紗智は空手二段。
「喧嘩じゃないわよ、一方的にボコっておしまいだから」
「暴力はんたーい!」
「……ごめん麻里絵、私、キレちゃった…」
 とりあえず、麻理枝の目には何が起こったのか良くわからなかった。
 何か空を切るような音と、肉と肉がぶつかったような乾いた音が何回か響いたと思ったら、尚斗と紗智の二人が何故か笑みを浮かべていた。
「……やるじゃない」
「お前もな」
「え、何?何がどうしたの?」
 わけの分からぬ麻里絵をよそに、何故か二人は何事もなかったように椅子に腰を下ろした。
「みちろーはいいかげんだわ」
「俺の前で幼なじみの悪口を言うとはいい度胸だ……」
「あら、そういうのいいわね、ポイント高いわ。仮にもみちろーのライバルだったことはあるわね」
 ポケットから手帳をとりだして、何やらメモする紗智。
「自分から告った彼女を置いて、遠くの学校に進学するなんて許せないと思うのよ……」
「と言われてもな、俺はみちろーの事情ってやつを知らないし」
 紗智は少しだけムッとした表情を浮かべて、麻里絵の手をつかんで引き寄せた。
「気だてはいいし、ナイスバディだし、アンタにはもったいないぐらい。……と言うわけで、お安くしとくけど?」
「ちょ、ちょっと、紗智!」
「……だって、みちろーから連絡はおろかメールの返事もないんでしょ?そんなの……そんなのもう終わってるじゃ…」
 べちっ、と乾いた音が紗智のおでこで響いた。
「……何するのよ」
 自分にでこピンを食らわせた尚斗を紗智はにらみ付けた。
「理由は2つ。1つは、みちろーはいいかげんなやつじゃない。もう一つは、麻里絵がいやがってるからやめろ」
「尚人くん……」
「なによ!中学にあがってからのみちろーの事なんか知りもしないくせに」
「知らないからこそ、悪く言われるのは気分が悪い」
 紗智の表情がやわらかくほころんだ。
「……そうね、謝っておく。見かけと違って友達思いなんだ…」
「つーか、他人にのせられるのは嫌いでな……」
「あら?わかる?」
 紗智の表情がころりと変わり、悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「麻里絵……おまえいい友達持ってるな?」
「そうでしょ?紗智はインターネット部の副部長さんなの」
「来年は部長だけどね……で、有崎君ちょっと耳を拝借」
「ん?」
 紗智は尚斗の耳元に顔を寄せると、時折ちらちらと麻里絵の方に視線を向けながら内緒話を始めた……と思ったら、いきなり尚斗は顔を赤くして紗智の身体を押しのけた。
「だあっ、何かと思えば!知らん、少なくとも俺は知らん!」
「あら、残念……せっかく楽しい話が聞けるかと期待してたのに…」
「インターネットでお前が何のサイトを覗いてるのか想像したくねえな…」
「……何のお話?」
 紗智はこの学校に通う生徒では数えるほどしかいない笑い方を……口元を隠すことなく白い歯を見せて笑った。
「くふふ……男子校に通う人間と直接お話できる機会なんてあまりないし」
「そんな世界に麻里絵を巻き込むなぁっ!」
「……やれやれ、まるで麻里絵の保護者みたいね。5年もほったらかしておいて、ちょっと勝手じゃない?」
 紗智は小さくため息をつき、そして独り言のように呟いた。
「みちろーもね……」
 
『大雪のおかげで尚斗くんと再会できました。みちろーくんに会いたそうにしてたよ』
 変わったことがあると、それを口実にしてメールを出す。
 この半年でメールの返事がないことに少し慣れてしまっていた。多分、このメールに対して返事が返ってこないのならもう終わりだと思える自分が少しイヤだった。
 幼なじみは所詮他人……家族が血によって結ばれているのなら、他人と自分を結びあわせるモノは気持ちしかない……そう思い始めていた頃にみちろーに告白された。
「……多分、私のせいだよね」
「何が?」
 昼休みの屋上に紗智と二人。
「ん……きっと、みちろーくんが結びつけようとした気持ちと私が結ぼうとした気持ちはどこかずれちゃってたんだと思う」
「……」
 黙り込む紗智には目もくれずに、麻里絵は空を見上げた。
「冬の空はどうしてこんなに高いのかな……」
「……寒いからよ」
「……?」
「寒いと下を向いちゃうから……誰かがそう言ってた」
「納得できるようなできないような……」
 麻里絵は苦笑いを浮かべ、雲一つない青空から親友へと視線を移す。
「私……そんなに過去に捕らわれてるように見える?」
「麻里絵は……いい子よ」
「やっぱり否定はしてくれないか……仕方ないよね」
 麻里絵は丸くなった背中をぴんと伸ばして再び空を見上げた。
「同じ空を見上げて笑い合ってた頃を大事にするのってそんなに悪いことなのかな……?」
「麻里絵が想い出を大事にするのは自由よ……でも、それを他人に押しつけるのは良くないと思うわ。ずっと、子供のままじゃいられないことは、みちろーくんを見ていればわかったでしょ」
「……」
 中学にあがって両親の離婚を経験したみちろー。
 何かを忘れるように勉強にスポーツにうち込んで……みちろーにとって自分の存在は何だったのか。
 幸せだった頃をおもいださせる麻里絵という少女の存在は……みちろーにとって現実から逃げ出すための道具としては欠陥品だったのではないだろうか。
「……もしそうなら続くわけないよね」
「え?」
「ううん、なんでも……」
 紗智は、みちろーの子供の頃を知らない。
 だから、紗智にとってみちろーは中学の頃のみちろーがすべて。
 麻里絵はポケットから時計をとりだして、ゆっくりとネジを巻いた。
「……持ち歩いてるの、それ?」
 一見スケルトン仕様の懐中時計……実際はちゃちな作りの時計のカバーを外したモノ。一日に数分遅れが出ることを紗智は知っているのだ。
「こういう時計ってね……動かしてないと壊れちゃうから」
 時を刻まなくなった時計は……壊れてしまうしかない。
 
 冬の空は高く、どこまでも続いているように見えた。
「……で、言い出しっぺの紗智は?」
 ベンチに腰掛けた尚斗がいらいらしたように呟いた。待ち合わせの時刻を過ぎているというのに、強引に遊びに誘った紗智がやってこないのだから無理もない。
 麻里絵はポケットからとりだした時計に視線を落とし、ため息混じりに呟いた。
「やっぱりか……」
「何が?」
「紗智……私と尚人くんがつき合うようにし向けたいんだと思う」
「待てよ。……紗智はみちろーの事が好きなんじゃないのか?」
 麻里絵は少し驚き、まじまじと尚斗の顔を見つめてしまった。
「鋭いね、尚人くん……」
「……女ってのは恐いね、どーも。みちろーと同じで姑息だこと」
「んー、尚斗くんが想像してるのとは違うんだけどね……この前紗智が言ったことは本当だし」
「……ナイスバディなのか?」
「みちろーくんから連絡がないって事!……子供の頃の尚兄ちゃんはそんなエッチな事いう人じゃなかったのに」
「小学生が言うか!」
 尚斗は頭の後ろで手を組み、ベンチの背もたれに身体を預けるようにして空を見上げた。
「で、どうする……浮気するのか?」
「会いたいって……」
「は?」
「この前みちろーくんにメール送ったの。尚人くんと再会したよって……そうしたら、その日の内に返事が来たの」
 いくら返事が短くとも、麻里絵自身のことに対して一言もなかったとしても、これまで送ったメールが読まれずに捨てられてはいなかったことの証明にはなった。
「みちろーくん、尚人くんに会いたいって…だから、近い内にこっちに戻ってくるんだと思う」
「5年か……」
 そう呟いて空を見上げた尚斗と麻里絵の間を風が吹き抜けていく。
「正確には5年未満……」
「ちっちゃいのは身長だけにしとけ…」
「怒るよ!」
「怒れ怒れ、ただでさえまわりの人間の顔色ばかり窺ってるんだから、お前はたまに怒った方がいい」
 からかうように頭をぽんぽんと叩かれる。
 同い年なのに、尚斗にはいつもいつも妹扱いをされた。麻里絵はいつもそれに反発し、みちろーは二人をなだめに回った。
 そして今は……みちろーがいない。
 麻里絵が闇雲に振り回す両手を、尚斗は口笛を吹きながら避けていく。
「避けないでよ、尚兄ちゃん!」
「俺にもプライドがある」
 おそらくカップルがじゃれ合ってるとしか思われていないのであろう。周囲の人間はちらりと視線を向けて、何もなかったかのようにそのまま歩き去っていく。
「えいっ!」
 かけ声と共に右腕を大きく振り回すと同時に、身体をよろけさせる。
「危ねえぞ…」
 倒れそうになる身体を抱きとめた尚斗に向かって左手を飛ばすと、べちっと乾いた音が鳴った。
「作戦成功…」
「……ちび麻里は人の親切を逆手に取るような子供じゃなかったのに」
「5年も経てば変わります!」
「だったら、認めろよ……」
「……何を?」
「あの頃には戻れないって事を……」
 白く吐き出された言葉を、冬の風がさらっていった。
 
 今日の空も高く澄んでいた。
 あの記録的な大雪から1週間がすぎたが、ずっと晴天だった。
「5年ぶりに再会した幼なじみとは喧嘩できるのね…」
「……?」
 ため息混じりの紗智の言葉の意味が良くわからなかった。
「麻里絵って……みちろーと喧嘩したことある?」
「……ない」
「今は?今、みちろーに対して怒ってる?」
「……わかんない」
 どことなく落ち着きのない紗智の仕草にため息をつき、麻里絵はそっと肩を叩いた。
「紗智……何か言いたいことがあるんでしょ?」
「えっ?」
「5年は長いよ……多分考えているよりもずっと」
 紗智とみちろー。
 中学時代、麻里絵はいつもこの二人の内のどちらかと時を過ごした。あれから5年、癖や気配を見抜くには充分な期間だ
「……杉原さんって覚えてる?」
「あの、頭の良かった人?」
「そ、今はみちろーと同じ高校……実は友達で今も良く連絡は取ってるんだけどね」
 紗智の言葉を聞くまでもなく、『尚斗に会いたい』というメールで何となくわかってはいた。
「可愛い子?」
「そこまでは……聞くつもりにもなれなかったし。どうにかして、麻里絵と有崎君をくっつけてショックを受けないようにしたかったんだけどね…」
「そっか……」
 ポケットの中の時計を握りしめた。この2年間ずっと親しんできた微かな振動が今は感じられない。
「……怒んないの?」
「怒るも何も……」
 仕方がない事……そうとしか思えなかった。
 みちろーにとって、子供の頃の記憶は幸せだった家庭の記憶につながっていた。麻里絵の視線が過去に向いている限り、何かに熱中することで現実から逃げていたみちろーに逃げ道はない。
「何それ?そんなのわからない!何で怒らないの?麻里絵、捨てられたんだよ!それも、何の断りも無しに!」
「いたらない彼女だったよね、私?」
「……っ!」
 紗智は顔を歪めると麻里絵に背を向けて屋上から走り去った。
 そして麻里絵は、小さくため息をつきながらポケットから時計をとりだした。
 動かない時計。
 試しにねじをまき直してみるが、手応えは全くない。
 中身の見えるスケルトン仕様の時計だけに、構造が破綻していることは麻理枝の目にも明らかだった。
「とうとう壊れちゃったか……」
 そう呟くと同時に涙が出た。
 
「もう逃げるのはやめにしたの?」
「……ごめん」
 みちろーがこの街に戻ってきたのは2月とは思えない暖かい日だった。
 学校の寮をでて1人暮らしを始めたいという事と、父の事業を継ぐのではなく今の高校から大学に進んで学びたいことがあると父親に伝えに来たらしい。
 一人きりで住むには大きすぎる家の中で父親と一晩中話し合った翌日、みちろーは麻里絵の前に現れた。
「……謝ることないよ」
「そうじゃない……麻里絵は、どうして会いに来てくれなかったのかって尚斗を責めたんだろ?」
「え?」
「あれは……俺が頼んだんだ。麻里絵と二人きりの時間が欲しいって……尚斗は、それを律儀に守ってくれただけだと思う」
 やわらかな風が吹き、麻里絵の髪の毛をなびかせた。
「……尚兄ちゃんが言ってた、『みちろーは姑息なところがある』って。でも、えらそーなこと言って、昔にとらわれてたのは尚兄ちゃんも同じじゃない…」
「怒ってたか?」
「え、何で?」
「だって……一度も連絡を取らないぐらい徹底してたんだぞ。それって……俺と麻里絵が一緒にいるのを見たくなかったからじゃないのか?」
 みちろーは一旦言葉を切り、そして肺の中に残っていた空気を絞り出すかのように呟いた。
「……少なくとも、俺はあの徹底さにそう感じたよ。だから、麻里絵が尚斗のことを口に出すたび別の意味でもつらかった…」
「……そう、やっぱりつらかったんだね」
「麻里絵のせいじゃない……俺が弱かったから」
 麻里絵と再会して初めてみちろーは穏やかな笑みを浮かべた。
「さて、恐いから……尚斗には会わない事にするよ」
「楽しみにしてたのに……」
「尚斗の楽しみは、俺の苦しみのような気がするし……頼み事をした日、思いっきり殴られたの知らないだろ?」
「そうなの?」
「だから……麻理枝を泣かせたくはなかった。これだけは本当だ……」
 神妙そうに俯くみちろーを見て、麻里絵は小さく笑った。
「尚兄ちゃんが恐いから?」
「恐い」
 子供の頃と同じ表情で、みちろーは白い歯を見せた。
「あの頃、麻里絵のことになると見境がなかったから。もし今もそうなら……」
「……みちろーくんは、私に何を期待してるのかな?」
「いつも元気でいること。俺と一緒にいたときよりも幸せになること……それが、尚斗の隣なら余計に嬉しい」
「新しい彼女を作ったって聞いたのに……男の子の考えって良くわからないな。そういうものなの?」
「俺だけかも知れないけど」
「そっか……難しいんだね、男の子って」
 そう呟き、麻里絵は子供の頃したように、右手をぎゅっと握りしめて空に向かって突き上げた。
「頑張れ、みちろーくん!」
「……ああ。だって、もう逃げる場所なんてないから」
 そして、笑ったまま去っていくみちろーを、麻里絵は腕を突き上げた姿勢のままで最後まで見送った。
 
「尚斗くん、これあげる」
「は?」
 壊れてしまった時計を尚斗に渡す。
「……俺の勘違いでなければ、壊れているように見えるが?」
「うん、壊れてる。手伝うから一緒に直して」
「ちょ、ちょっと待て麻里絵。お前はメカに詳しくないからそんなこと言うんだろうけど、時計ってのはすっごい精密機械で専門の道具がないと…」
「……直して」
 尚斗の目をじっと見つめた。
「……わかったよ」
 思っていたよりあっさりと了承されたことに麻里絵は首を傾げた。
「尚人くん、本当にわかってる?」
「直す、直すよ…どこかの道具屋で部品や工具を……」
「ハァ……やっぱりわかってない」
「え、何が?」
「……みちろーくんがごめんって」
「会ったのか?」
「会ったよ……ちょっとだけ昔話をしてくれた。」
 昔話……と聞いて、尚斗の表情にはしった動揺が麻里絵に勇気を与えた。
「じゃ、あらためて聞くけど、何で5年も会いに来てくれなかったの?」
 紗智は不思議に思うかも知れないが、元々麻里絵はこういう性格。みちろーも、自分も、中学の頃から本当の自分の姿を見失っていた気がする。
「……いい天気だな、今日は」
「尚人くん!」
 そして、あの頃から変わらないように見えるもう1人の幼なじみが目の前にいる。あの頃に戻ることはできないだろうけど、これからの努力次第で違う時を刻めるような気がした。
 
 
                      完
 
 
 ……これは本当に『チョコレート♪キッス』の話なのか?
 いや、ここで『ちょっとゲームのシナリオを追いすぎました』とか書いたらどういう反応が返ってくるのか?などと、あらぬ方向を見上げてしまう高任がいたりいなかったり。(笑)
 ……でも、誰もこのゲームをやっていなかったり……と言うわけで椎名麻里絵。
 主人公の幼なじみで、家は近くでも学区の違いから中学校は別々となり自然と疎遠に……そういう女の子。
 いかにもヒロインっぽい役どころですが、ヒロインという扱いではないあたりが好感が持てますな。というか、このゲームには特定のヒロインがいませんが。

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