「そういえば温子、去年の夏休み前だったかな…学校に野良猫が入り込んできたのを覚えてる?」
「それは無理な相談だよ、弥生ちゃん」
「え?」
なんで、という感じに首をかしげる弥生に、世羽子が補足した。
「温子が転校してきたのは、夏休みの後」
「……そうだった?」
「そうだよ」
「そっか…なんか、ずっと前から一緒にいたような感じがするけど、まだ4ヶ月ぐらいなのね」
「まあ、なじむの早かったわね、確かに」
「いやいや」
と、温子はちょっと照れ。
「で、野良猫がどうしたの?」
「あ、うん……なんかね、世羽子の家の周りって、犬とか猫とか、全然見かけなくてさあ…」
「……」
何故か無言の世羽子に、温子はちらりと視線を向け……どうやらこの話題は変更するに限ると悟ったようだった。(笑)
「私、ちょっとトイレ」
と、断りをいれてから温子は部室を出て……ふと考えた。
「そういえば、私世羽子ちゃん達とどうやって知り合ったんだっけ…」
そもそも、このお嬢様学校に軽音楽部が存在するとは思っていなかったわけで……。
「あれ、あれあれ…?」
なんか、そのあたりの記憶がすっぽりと、何かに覆い隠されているような……。
「確か…転校してすぐに、修学旅行が…」
『ちょっ、世羽子…平気なの?』
『多分、この娘気絶して……いや、寝てるだけ?』
『よ、世羽子、こっち来た、来たから急いで』
『わかったわ…』
『そっ、そいつらを倒すのを急げって言ったわけじゃ…』
『終わったわ…これで大丈夫よ』
『……お疲れ』
ん、なんかうるさい…。
ゆさゆさ、ゆさゆさ。
『起きないと、起こすわよ』
ゆさゆさ…すっ。
なんか、やばい。
「あ、起きた…」
「……わりと危険察知能力は優れているみたいね」
「優れてたら、この状況で寝てられないと思う…」
声の方を振り向き……温子は、目の前の少女3人……自分とおなじ制服を着ているから、まあ同級生と判断して声をかけた。
「ぐっもーにん」
「……」「……」「ええ、おはよう。よく眠れた?」
3人のうち、2人が絶句…という反応から判断して。
「ん、ひょっとして自由時間終わっちゃったかな?」
今日は修学旅行の3日目……単なる自由時間というだけでなく、事前に申請していくつか選択肢の中から選んだ場所での自由時間というから、これまで自分が通っていた秀峰とはえらい違いだと再認識。
ふわわわ、と、乙女としてはちょいとはしたない仕草であくびをして、温子は携帯をとりだした。
「……夜?」
「それ、日本時間設定のままじゃないの?」
「おっと、そういえば…」
どうせまた元に戻さなきゃいけないなら……と、そのままにしておいたのだ。
「ん〜〜」
1つ大きくのびをして、温子はちょっと周囲に目をやった。
「……」
日本から遠く離れた異国の地。
最近はともかく、USAいずなんばーわん……が、冗談でも何でもなかった時代があって、今もそれに限りなく近いという評価はそれほど誇大でもあるまい。
そんなアメリカの某都市郊外に建設された、巨大なショッピングモール……。
現実逃避し切れず、温子は目の前の少女に問いかけた。
「何事?」
「それはこっちが聞きたいというか……そろそろ走るわよ、心の準備は後でしてもらうから、身体の準備をはじめて」
「りょ、りょーかい…」
と、慌てて屈伸運動を始める温子。
「あ、そうそう…私は秋谷世羽子、世羽子でいいわ」
「世羽子ちゃん…おっけー、私は温子、香神温子」
「こっちは弥生、そっちが聡美」
「九条弥生よ、よろしく」
「よろしく」
「私は久我山聡美……とにかく、世羽子の言うことには逆らわないで言うとおりにして。そうすれば必ず何とかなるから」
「それは頼もしい」
と、温子は世羽子に視線を向けた。
自分はなかなかに図太い神経と柔軟な思考を持っている……そういう自己評価だけでなく、他人にも評されることが多かった温子だが、周囲のこの状況はなかなかに認めがたいものがある。
「さて、そろそろ行くわよ……」
と、世羽子は両手に鉄棒を持ち。
弥生、聡美は手ぶら。
「えっと…」
きょろきょろ。
「今日の自由時間、この場所を希望してたのは6人……この現象がこの場所だけなら少なくて幸いだけど、とりあえず残りの2人を捜すわよ」
なるほど、この3人は、わざわざ私を捜してくれてたんだ……と、心の中で温子。
「…無事だといいけど」
「……ん」
弥生の呟きに、自信なさそうに聡美が頷く。
「間に合わなかったら、それは運がなかったと思うしかないわね…」
と、言葉だけ取り上げるなら、冷たく世羽子が突き放し。
「世羽子ちゃん、私も武器持った方がいい?」
「いらない、動きやすい身軽な格好でいて」
「ん、でも…」
「大丈夫、すぐわかるから…」
と、聡美が温子にささやきかけた。
すぐわかった。(笑)
「なるほど…」
移動しつつ、聡美や弥生が説明してくれたところによると……まあ、その説明自体は世羽子からの受け売りらしいが。
基本的に奴らの動きはゆっくりで、一対一、もしくは複数が相手でも、周囲を囲まれたりしない限りは決して捕まることはない。
ただ、それまでのゆっくりな動きに幻惑されるため、攻撃の時だけは動きがかなり速く見えるが、落ち着いてさえいれば避けられるレベル……とは言っても、近づかないに越したことはない。
力は強い……すくなくとも、一度捕まったらそこで終わりと覚悟を決めなければいけない程度に。
もちろん、これらは、弥生に聡美、温子という一般人に対しての説明だ。
「はー」
「世羽子、格好良いよね…」
「いや、この状況でその感想はどうかな、聡美」
と、弥生が首を振る。
迫り来る敵を華麗に打ち倒す……と言えば響きはよいが、女子高生が手に持った鉄棒を振り回し、突き、叩き付け、相手の身体を確実に破壊していく様は、なんというか。
「と、いうかすごいね……相手のことを分析するために、いろんな方法で攻撃するだけの余裕があるというか」
ひょっとすると、相手の身体も脆いのかもしれないが……無造作にも思える鉄棒の動きで、相手の膝から下をふっとばすのは、自分たちには出来ないことだろうと温子は感心する。
そして、膝から下をなくした奴らは、文字通り這うような動きしかできなくなる……のはさておき。
「血……出てるね」
少し哀しげに、眉をひそめる弥生に対して。
「でも、噴き出さないって事は、心臓が動いてないんだと思う……陳腐な表現で申し訳ないけど、ゾンビってやつかな」
この状況である意味冷静な分析を出来る温子も、なかなかに剛の者と言えよう。
「何があるかわからないから、相手の身体はもちろん、体液にも触らないでって世羽子は言ってたけど…」
「聡美っ!」
「あ…」
世羽子に言われて、聡美は慌てて『修学旅行のしおり』のページをめくり始めた。
自由時間とはいえ、時間が限られているからには、ショッピングモールのどこに行こうか……などと、しおりのガイドを頼りに残りの2人が行動している可能性は十分にある。
「ここから近いのは南地区の…」
「わかったわ」
と頷きながら、世羽子が鉄棒をふるって、続けざまに5体程を地に這わせる……もちろんこれは、返り血を全て避けながらであるから、もう神技と呼ぶしかない。
そして4人は移動を開始。
「ねえ、世羽子ちゃん」
「なに?」
「こういうののお約束として、頭をつぶせば動かなくなるんじゃないかな…」
「心臓が動いてないのはほぼ確かだけど……死んでるって保証はないのよ、温子」
「……」
「それに、やつらというか……彼らにも家族がいるはず。この騒動が仮に収束したとして、頭をつぶされた遺体と対面させるのは少々心が痛むわ」
「……」
「……まあ、私が言ってるのはしょせんは綺麗事。あれだけのケガを負わせたら、この混乱した状況を鑑みても、元に戻ったところで出血多量で死ぬのは間違いないから」
「……」
「……温子?」
「ご、ごめん…変だよね…でも、なんだか…涙が…」
涙をぬぐい、ぐしゅしゅぐしゅと鼻を鳴らす温子からちょっと目を背け。
「自分が危なくなったら、私も容赦はしないわ……それにあなたたちも見捨てる。私は私の出来る範囲でやってるだけ。だから温子も、自分を恥じる必要もないし、私に対する尊敬も必要ないわ」
温子は首を振った。
別に自分の勝手さが恥ずかしくなったわけでも、目の前の少女の高潔さに圧倒されたわけでもなく……ただ、大切な何かに出会えたという感動が、温子に涙を流させている。
「……」
世羽子は何かを言いかけたが…口をつぐんだ。
「世羽子、あったわよ」
「わかった」
周囲の安全(少なくとも、近づいてくるまでに数十秒必要…など)を確認してから、3人を残して単身店に飛び込んでいく世羽子。
まるで、そこに潜んでいるのを最初からわかっていたかのように、物陰から出てくるやつらを、それぞれ一撃で地に這わせ……ミネラルウォータのペットボトルと、ついでに見つけたらしい携帯食料を抱えて飛び出てきた。
「各自、水分補給して…飲み過ぎちゃダメよ。それと、食欲ないでしょうけど、少しはお腹の中に入れておきなさい」
と、3人に携帯食料とペットボトルを渡し……世羽子は油断なく周囲に注意を払い……こちらに近づこうとしていた何体かを素早く叩き伏せ、戻ってきた。
「世羽子は?」
「後で……というか、ペットボトルは私がもつわ」
「え、重くない?」
「だからよ」
「これはまた…」
と、世羽子に呟かせた視線の先には、広場いっぱいのやつら達。
自分1人ならともかく、他の3人が安全に移動できるように……という意味では少し無理がある。
「世羽子ちゃん、あいつらって、主に何に反応するの?光、音?」
と、温子。
「それが……相手によって違うのよ、音に反応する連中が多いのは確かだけど、多分目が見えてないってわけじゃないと思うわ。攻撃そのものはわりと的確だから」
「んーなるほど」
と、温子は首をひねる。
「なるほど、何かをおとりにしようって事ね」
弥生がパチンと指を鳴らした。
「音って言うと、花火とか爆竹とか?」
「アメリカの、ショッピングモールでは売ってないと思うな…」
「太鼓とか、楽器とか…」
「いや、演奏者は必要だし」
「自動演奏は?」
「電気コードの届く範囲って事は、店の中って事になるわね」
「んー」
などと、温子、弥生、聡美の3人で知恵を絞ってみたものの、今ひとつ決め手に欠けて。
「仕方ない、全部倒すわ」
「いやいやいや、そんなボタン連打でクリアするアクションゲームじゃないんだから」
と、温子が世羽子を引き留める。
「2秒で1人倒すという計算なら、1時間で1800人は倒せるけど」
「人間は機械じゃないんだから…」
「いや、ある意味機械以上だよね、世羽子は」
「うん…」
と、弥生と聡美。
「そこも、世羽子ちゃんあおらない……っていうか、そもそもなんで、ここにはこんなにあいつらが集まって…」
「……集まって?」
その不自然さに気づき、4人は顔を見合わせ、耳を澄ます……と。
『こっ、このっ…近寄るなってば…』
『えいっ、えいっ…』
『ノウッ、ゲラウトっ!』
「世…」
声より先に、世羽子が飛び出していた。
行く手を遮るやつらの頭部が、一瞬で吹き飛ぶ様は、まるで悪い夢を見てるようで。
「うわあ…動きが目で追えない…っていうか、本気で手加減してたんだ…」
「そりゃそうよ…」
「世羽子、本当にすごいから…」
「ありがとう…正直もうダメだと…」
「そうだね、紗智」
「まあ、最初は死神かなんかが現れたのかと思ったけど…」
と、紗智がため息をつき……麻理絵が、その背中をぽんぽんと叩いた。
「……これで、6人そろったわけね」
「いや、おまけもいるけど」
女子高生6人に……英語ぺらぺらの世羽子と温子が会話を試みたところ、どうやらこの国の新聞記者をしているらしく、この巨大ショッピングモールを取材しに来て、この騒動に巻き込まれたのだとか。(笑)
「まあ、何にせよ無事で良かったわ…」
「日本語の会話…って素晴らしい…」
紗智がしみじみと呟く。
状況が状況だけに、言葉は通じずとも……いや、紗智の片言英語で意思の疎通を図ろうとしたのだが、かえって混乱を呼んだというか。
そもそも、状況が時間を与えなかったことが主な原因でもあるが。
『ふう、英語の話せる娘がいて良かったよ』
『一応、フランス語も出来ますし、ポルトガル語も、日常会話程度なら』
『ほう、たいしたもんだ……いやあ、サチ…はともかく、マリエは…右に向かえと言ったら、街灯に向かって走り出したり、こちらの意図をことごとく裏切った行動をとるんだが、不思議なことに、それがみなうまいこと状況を切り抜ける判断につながって…今度ばかりはダメだと思ったら結果的に何とかなった…』
『そうですか…大変でしたね。なにはともあれ、私達のスクールメイトを助けていただいて感謝します』
と、彼……フランクの苦労をねぎらいつつも、温子は麻理絵……椎名麻理絵にちょっと視線を向けた。
『ところで、アツコ…』
『はい?』
『彼女…ヨーコは、何者なんだい?』
何者と言われても……と、温子はアメリカ人が好むかどうか微妙なジョークを飛ばすことにした。
『……彼女こそ、日本が誇る大和撫子です』
演技でもなく、フランクはおかしそうに笑った。
『だとしたら、太平洋戦争でアメリカが日本に勝てたのは奇跡以外の何ものでもないな』
『いやあ、当時の日本の上層部の一部は本気でそのレベルの奇跡を信じてたようですし』
などと、温子がさらりと返すと……フランクは真面目な表情に戻った。
『これでもジャーナリストの端くれだからね……彼女は、何のスポーツをやっても即座に世界中に衝撃を走らせるポテンシャルを秘めていることぐらいはすぐにわかる』
『……でしょうね』
『正直、彼女が人間じゃないと聞いても、私は驚かない』
いら。
『……それ以前に、今このショッピングモールには、人間じゃない存在の方が圧倒的多数じゃないですかね』
『……すまないアツコ。キミの友人をおとしめるつもりはないんだ…驚きを素直に表現したと思ってくれれば幸いなんだが』
表情はともかく、口調からそれを感じたのか、フランクは素直に謝罪した。
『……反対に聞きたいですね』
『何を?』
『貴方は、本当に単なるショッピングモールの取材でここに来たのですか?』
『……と言うと?』
『今のこの騒動……貴方は、確信は持ってなかったにせよ、それなりの覚悟を胸に、ここにやってきたんじゃないでしょうか?』
フランクは温子の顔を見つめ、肩を揺らして笑った。
『ははっ、日本の女性は想像力が豊かと見える……ジャーナリストは、ひたすらに現実を追う職業、というより生き方の代名詞なのさ』
『では、今のこの現実をどうお考えになりますか?』
「温子」
「ん?」
「そのぐらいにしてあげなさい……彼には彼の都合があるわ。今は、出来る範囲で手を取り合う、それで十分よ」
そう言って、世羽子は温子達に背を向ける。
『ヨーコは、何と?』
『貴方には貴方の都合があるだろうから、あまりいじめるなと』
『フーム?』
『出来る範囲で手を取り合う、今はそれで十分だそうです』
『……つまり、出来る範囲で協力しなければ』
『彼女は貴方を許さないでしょう……少なくとも、さっき彼女は手付け金程度には、貴方を助けたはず』
『……確かに。手付け金程度とは、ささやかな表現に過ぎると私は思うが』
と、フランクは顎に手をあてて。
『それにしても…周囲を警戒しながらみんなに声をかけ、なおかつ私達の会話にまで注意を払っているとはね…』
『……彼女は、男の尊厳というか、誇りなんかを根こそぎなぎ倒していくね』
と、チェーンソーを構えたまま、フランクが所在なげに呟く。
『……やつらが死んでいるとは限らない、と彼女は言いました』
『ほう…?』
『平和ボケとか、何を考えているかわからないとか世界のあちこちで言われますが……少なくとも、私達の国の人間は、自分の命が危うくなっても、他者の命を奪うことにためらいを見せる人間がほとんどです』
『……罪は、1人で背負う…という事かね』
『私は…そう感じました。ああして倒してるやつらにも、家族なり知人がいるはずで、この騒動が収束を見せた後で、頭をつぶされた遺体と対面する家族を思うと、それは軽々しく出来ることではない、とも』
『なるほど…』
と、フランクは口元を歪めて。
『ならば私は、大量虐殺者というわけだ…』
『……』
温子の沈黙に気づいたのか、フランクは笑ってチェーンソーを持ち上げた。
『これもそうだが、ショッピングモールの中にあるいろんなモノを使ってかなりの数のやつらを、動けなくしたんだよ、これでも』
でもそれは、おそらく大量虐殺者の呼び名に対してほんのささやかな数に過ぎないだろう…と思ったが、温子は別の質問を発した。
『話せる範囲で構いませんが……生物学的に、やつらは死んでるんですか?』
『……心臓は動いていないのは確かだ』
『脳波は?』
『……ここに病院があり、機材があり、医者がいれば、の質問だね』
温子がさりげなく仕掛けた罠を、男はするりと避けた。
元々避ける必要もなかったのかも知れないが、そこは大人の余裕というモノだろう……あえて、そんな言葉には引っかからないよ、とこちらに伝えてきたように、少なくとも温子はそう感じた。
『……』
『己の聡さを隠すだけの賢さをともなってこその賢者である……とは、日本の言葉ではなかったかね?』
『いえ、中国です……タイとインドネシアにも似たような言葉がありますが』
『なるほど…アツコ、キミはこの騒動を、事故と考えているわけだ…』
『日本からの観光客である私達はともかく、携帯電話などで外部と連絡を取ろうとした人間はいたはずで……』
『携帯は通じない…というか、外部とは連絡が取れない』
「温子、何を話してるの?」
「んー、世間話……ほらほら、ちゃんと周りに注意して」
「うん、わかってる…」
と、聡美を追い返してから。
『テレビをつけましたか?』
『……いろんなチャンネルで、普通に番組は放送されている。今はどうかわからないが』
『だとすると、この騒動は、ここ限定という可能性が高いですよね?』
『ここから無事に脱出する事を、考えるべきではないかね?』
『ここから脱出した途端、拘束されて……に気を回しておくのが、私の役割かなと思いますので』
『ふむ、それは私も避けたい…』
温子と、フランクはちょっと見つめ合い。
『この国の、ジャーナリズムとやらを、日本のそれより多少は評価してますよ、私は』
『ふむ、それは光栄……若い娘さんの期待を裏切るのは、私としても恥じるところだよ』
そんなやりとりを続ける2人に、ちらちらと視線を向けながら。
「くっ、こんなことなら英会話もやっとけば良かった…」
「……言葉を理解したところで、わからないフリが出来るかどうかの方が重要だけどね」
「……」
「どうしたの、紗智?」
「え、ひょっとして…わかる…の、麻理絵?」
「ううん」
と、麻理絵は首を振り……にこっと笑った。
「ただ、私ってわりと勘はいいんだ」
「勘なら、私だって良いわよ…なんかまずいって思ったら、大抵それは当たってるわね」
「……まずいって感じた時点で手遅れになる事もあるんだけど…」
と、これは紗智に聞こえないようにぼそぼそと。
そして一方、弥生と聡美。
「そろそろ日が暮れるけど…なんか準備とかした方が良いよね」
「うん、まあ、缶詰とかお菓子の食事かな」
「と、いうか寝る場所探さなくちゃ……そもそも、私達に見張りなんて出来ないし」
「というか、大丈夫かな世羽子……あれからずっと、動きっぱなしだし」
と、心配げに見守る聡美をよそに、世羽子は平然と最後の一体を叩き伏せた。
「みんな、進むわよ」
『盲点だったわ』
『何がだい、ヨーコ』
『やつらが、ある一定以上の段差を登ることが出来ないってことよ……教えてくれて感謝するわ、フランク』
と、世羽子は自分たちの背後で眠るみんなに視線を向けた。
『キミは、眠らなくても良いのか?』
『休みはする、でも眠らない……それで3日や4日は何ともないから』
『まるで軍人だな…』
『別に、辛くないわけじゃない……ただ、耐えられるだけ』
『ふむ……マリエ、ヤヨーイ、サトミの3人は心配ないが、サチはかなりまいってるし、アツコは神経を張り詰め過ぎているようだ』
『一ノ……紗智は、そもそもあれが普通の反応だし、温子は、貴方を警戒してるのよ』
『キミもかい、ヨーコ』
『別に……悪いけど、貴方程度ならどうとでもなるもの』
『正直だな…』
と、フランクが苦笑した。
『ただ、貴方には多少興味があるわ』
『ほう、キミにそう言ってもらえるのはなかなか男として鼻が高い』
『正確に言うと、貴方の背景に…ね。新聞記者なんてたわごと、信じちゃいないわよ、私は』
『新聞記者にだっていろんな人間がいるさ…』
『そうね』
と、反対にすかされたフランクは、眉をひそめた。
『……職業ではなく、その本質について言ってるのかい、ヨーコは』
『さあ、あなたの心の中の問題は、私には関係ないことだから』
『……』
『……口が過ぎたかしら?』
『いや……確かにキミの言うとおり、今の私は、新聞記者を職業としているだけの男だ』
『それはあなたの問題ね』
『…その通りだ』
と、フランクはちょっと笑って。
『ところで、ヨーコ』
『なに?』
『キミは、どういう手段でここから脱出しようと考えている?』
『そうね、車……商品を搬送するトラックなり、トレーラーを見つけるのが手っ取り早いんでしょうけど……出入り口を封鎖されてる可能性を考えると、他の方法を考えた方がよいわね』
『封鎖?』
『伝染病予防に、村1つ焼き払った……なんてのは、古来から珍しくもないでしょう。だから、ここにとどまって外部からの助けを待つという方法は、最初っから考慮外』
『確かにそうだ』
『仮にこれが人為的被害だった場合……なかなか憂鬱ね』
『……確かに』
と、フランクは頷く。
『ただ、このケースに限って、私達と貴方は生き残るという意味で一蓮托生ね』
『ふむ、この被害をもたらした連中の仲間だったら、どうする?』
『だとしたら、貴方はもう切り捨てられているわね』
『何らかのワクチンを持っているという可能性も捨てがたいよ…』
と、足音を殺して近づいてきた温子。
当然世羽子はそれに気づいていて話の内容を聞かせたのか。
『……私はとことん悪者だな』
『だって、不自然だもの……私達6人もそうだけど、フランクがやつらみたいになっていない状況をどう考えればいいのさって話で』
『既に犠牲者だが、私の他にもやつらじゃない人間がいたことは確かだ……まあ、他に生存者がいる可能性もあるだろう』
そしてフランクは首を振った。
『いや、無理かな……私が見た彼らはみな、現実をうけいれることができず、無意味なパニックを起こしてやられていった…』
『一ノ……紗智と、麻理絵の2人はどうだったの?』
『……今になって思うと』
と、フランクはちょっと宙を見つめるように。
『サチは…マリエを守ろうとする義務感によって、理性をつなぎ止めていたかな…』
『……』
『そういう意味では、マリエは、サチを守ったように思う…』
『何はともあれ、あの2人を守ってくれたお礼がまだだったわね…』
と、世羽子がフランクに対して頭を下げた。
『この通り、感謝するわ』
『私は当たり前のことをしたまでだ……まあ、マリエを守るのには手を焼いたというのが本音だが』
『それはそうと…』
と、温子が切り出す。
『他所からやってきた人間だけが、あんな風になってないとすると……私達はこれから、ああなるのか、それともずっとああならずにすむのか…』
『正直、わからないとしか言えない…』
『んー、ゲームや映画だと、噛まれたり、傷をつけられたりしてやつらの仲間になるって事がほとんどだけどね…』
『フランク、あなたはやつらの犠牲になった人を見たと言ったわね…』
『そこまで確認する余裕はなかった…すまないな』
『いえ…手遅れの事に執着するのは勇気や優しさではなくて、ただの無謀よ』
『とすると、やつらにやられなかったからと言って、私達がああならないという保障はないって事だね』
『うむ、そういう事になる…』
『残念ではあるけど、それは些細な事よ』
温子とフランクが、ほぼ同時に世羽子を見た。
『この先どんな運命が待ち構えていようとも、私達がやるべき事は最後まで生きるということ…』
『……』『……』
『誰かが助けを求めていて、それが可能ならば助ける……自分が考える人間らしさ、それを諦めない、放棄しない……大事なのはそこよ』
『……ヨーコ』
『フランク、貴方も少し寝て……足手まといになったとき、私の中の捨てていく順番は、貴方がトップだから』
それは冗談でも何でもないが、世羽子なりの優しさ……それがわかったのか、フランクは立ち上がった。
『温子も』
『私はお昼寝したから…』
『お休み、ヨーコ、アツコ』
『おやすみ、フランク』『おやすみなさーい』
『……それで?』
「いや、もう日本語でいいじゃない」
「なにか、話があるんでしょ…」
「んー、世羽子ちゃんには迷惑な話とは思うけど……仮に私があーなったら、私が誰だかわからないぐらいに、世羽子ちゃんに壊して欲しいなって」
「……」
「ウチの両親、私にはべた甘でね……まあ、ひょっとしたら生きているかも…みたいな希望が必要だと思うんだ、あの人達には」
「……生きていくことに、あまり未練はないって事?」
「いやいや、そういうわけでは……こんななりでも、ちゃんと彼氏とかいるし」
「こんななりって…」
と、世羽子が呆れたように呟き。
「外見の美醜の判断に自信があるわけじゃないけど、温子はものすごい美人のカテゴリーに入るはずよ」
「いやいや、何をおっしゃいます?」
と、温子が慌てて手を振って否定した。
少なくとも、美人などと今の温子を評価する人間は稀なはずで……それも、世羽子に言われるとなると、反対に嫌みなのかと思ってしまいそうだが……目の前の少女が、絶対にそういう人間でないことは、この短い時間でも温子にも良く理解できていた。
「はー、私と世羽子ちゃんを比べたら誰だって…」
「骨格と筋肉のつき具合から、痩せたときどうなるかぐらいの想像はつくわ」
「……」
「ひょっとすると、以前何か煩わしいことがあって、それを隠すためにわざと太って…」
「……」
「……ごめんなさい、無神経に立ち入りすぎたようね」
「あ、いや…まあ、その…あはは」
と、温子が笑った……いや、笑うしかなかったのか。
「言い訳をさせてもらえば、やっぱり根っこの部分で冷静ではないのね、きっと」
「え?」
「やつらを相手に戦っているときなんかは、やるべき事がはっきりしているから良いのだけれど……正直、こんな状況に放り出されて動揺はしているのよ、これでも……」
「いやあ、それが普通だよ世羽子ちゃん……弥生ちゃんに聡美ちゃん、それと麻理絵ちゃんの落ち着きっぷりの方が異常だって」
「聡美は状況じゃなく、私だけを見てるようなものだから……弥生は、おおらかというか、人間が大きいって言うんでしょうね。私もあれに救われてる部分があるわ……椎名さんは…なんというか、正直に言うと、悪口になるからやめておくわ」
「うん、なんかこう……フランクは何も言わなかったけど、私もちょっと得体の知れない部分を感じるよ、麻理絵ちゃんには」
「なるほど…その表現は覚えておくのが良さそうね」
「悪口には聞こえないから?」
「そういうこと」
と、世羽子と温子はちょっと笑いあい。
「なんだかなあ…こんな事になったけど、転校してきて良かった」
「前は、どこにいたの?」
「秀峰……まあ、一応特待生扱いでこっちに」
「そう……一応、私もそうなってるわ」
「おや」
「中2の冬からね……まあ、実績作りというか、そんな感じ」
世羽子の言葉からほんの微かに、何かをうかがうような気配を感じたが……温子には、その意味がわからなかった。
「なるほど…」
「ん?」
どういう意味…と、温子は聞こうとしてやめた。
「ねえ、秋谷さん。麻理絵と一緒に火炎瓶作ってみたんだけど」
「却下」
「そう、結構使えると思うんだけど…」
「火が広がったら、どうしようもなくなるわよ?脱出の際に必要な物資が全てそろっているのならまだしも」
「そっか…だめだって、麻理絵」
と、残念そうに麻理絵に話しかける紗智。
そんな紗智の姿を見ながら。
「……世羽子ちゃん、さっちゃんまずくない?」
「……みたいね」
と、世羽子は頷き。
「多分、椎名さんもそれをわかっているから、色々と、役に立つ立たないはともかく作業をさせてるんだと思うわ…」
「……なるほど」
こういうとき、休ませるとかえって人間はパニックを起こすことがある……それをわかっているのかいないのか。
麻理絵はまた紗智に何かを言って……紗智は、それはいいかもと、ごそごそと何かを作り始める。
『ヨーコっ!』
『どうかした、フランク?』
『こっちでバイクを見つけた』
と、チェーンソーを振り回すフランク……はっきり言って、通常時なら即通報ものの姿だ。
「バイクって言った、今?……私達が火炎瓶作るときにガソリン抜き取ったんだけど」
なんか、まずかった…みたいに、おずおずと麻理絵が発言。
「……ガソリンは?」
「却下って言われたから、捨てたよ」
世羽子は少し考え。
「多分……バイクを使っちゃダメって事なんでしょうね…」
そう呟いた世羽子の背後から。
『シット、このバイク燃料が空じゃねえかっ!』
という、フランクの悲鳴が聞こえてきた。(笑)
いや、アンタの持ってるチェーンソーは、何を燃料にして動いてるんだよ……と、誰もツッコミをいれるものはいなかったが。
「あ…」
と、弥生が足を止め。
「弥生、いきなり…」
と、聡美もまた足を止め。
「どうしたの、2人とも…」
と、温子もまた足を止めて。
「うっわー高そう…」
「げ、限定版の…幻のギターが…こんなとこに…」
「ちょ、ちょっと演奏ってかない?」
と、楽器店の窓ガラスにへばりついて『トランペットが欲しい黒人少年状態』になった3人を見て、フランクがため息をついた。
『余裕があるのがあるのは悪くないことだが…』
と、紗智と麻理絵に視線を向ける。
「紗智…ほら、お菓子食べ過ぎだって…」
「んー、でもいざというときお腹が減ってたら…」
などと、こちらもまた一見微笑ましい光景に思えるのだが……さっきからずっと、紗智はお菓子を食べ続けている。
かなりのストレスにさらされ続けているせいだろうが……おそらく、この集団の中でもっともまずい状態にあるのは間違いない。
『……ヨーコ…は、それどころじゃない、な』
行く手を遮るやつらを相手に、孤軍奮闘……というと、少し表現がおかしい。
正しい言葉の使い方ではないが、わかりやすく表現すると戦国無双。(笑)
『マリエ』
「…?」
フランクが自分の名を呼んだことはわかったようだが、麻理絵はちょっと首をかしげて……日本人特有の愛想笑いを浮かべるだけ。
『……日本の英語教育は、どうなってやがる』
「……こういう状況でも、日本語で意思疎通を図ろうとはしないんだね、フランクさんは」
『……?』
当然フランクに日本語はわからない。(笑)
もちろん、麻理絵にもフランクの英語はわかっていないわけで……つまり、この2人の間で会話は成立しない。
にこ。
にこ。
言葉の通じない同士が、お互い微笑み合う……それだけを見るなら世界平和だって可能に思える光景だった。
『フランクっ!』
『…っ!?』
フランクの耳をかすめ、ミネラルウォータの入ったペットボトルがうなりを上げて、背後に迫っていたやつらの顔面に叩き付けられた。
『シット!』
チェーンソーのレバーを引く。
間近に迫っていたわけではないから、準備には十分な余裕がある。
『わるいが、ヨーコほど余裕がないんでね…』
と、チェーンソーを肩の高さで一閃……やつらの首が飛ぶ。
「って、うわ、弥生ちゃん、聡美ちゃん、来てる来てる」
「うわ、ホントだ」
「……限定版…」
と、名残惜しそうに、聡美はその場を離れ。
「麻理絵、私の後ろに」
「う、うん…ありがとう、紗智」
と、お菓子の袋を放り出し……バットを構える紗智の目には、さっきと違って生気がある。
少女達をかばいながら、フランクはもう一体の首をはね飛ばし……首をかしげた。
『……マリエは、こいつらが近づいてくるのに気づかなかったのか?』
「……?」
えっと、私の名前を呼んだかな……という感じに、愛想笑いを浮かべる麻理絵。(笑)
言うまでもなく、フランクから見れば麻理絵はかなり小柄で……自分の身体がかべになって、視界をふさがれていた、だからやつらの接近が見えなかった、そうに違いない。
そう思うことに決めた。(笑)
その一方で……麻理絵を守るという使命感が意識を覚醒させたのか、ある程度紗智はまともな状態に。
そして…。
『……フランク?』
『すまない、ヨーコ…気を抜いていたわけじゃ…いや、気が抜けていた』
日本の女子高生に怒られるという、貴重な体験をフランクはしたのだった。
『ねえ、フランク』
『なんだい、アツコ』
『このショッピングモールって…だいたいどのぐらいの人間がいるの?』
『それは、観光客にもよるが…5,6万人じゃないか』
『そっかー…』
と、温子は世羽子に視線を向け。
「ひょっとしたら、世羽子ちゃん1人で全員倒すことも可能なのかなあ…」
今も、ものすごいペースで道を切り開いている世羽子なのだが……多分、昨日から通算すると、軽く1000人は超えているよねえ、と温子はしみじみ思う。
「このスケボーに、ナイフを装着すれば…」
「麻理絵ちゃん、それ違うゲームだからっ!」
とかツッコミをいれている間に、世羽子の戦闘は終わった。
『フランク、ちょっと来て』
『どうした?』
『こいつらの身体…腐ってきてるわ』
『そのようだな…』
『つまり…つい最近まで、生きた身体を持っていたことになるわね』
『……そうだな』
『みな同じような腐敗状況ということは、これだけの数の人間が、ほぼ同時期にこういう状態に陥ったということになるわね』
『……』
「ねえ、世羽子」
「どうしたの、弥生」
「シャワー浴びたい」
「……」
『ヨーコ、ヤヨーイは何と?』
『シャワーが浴びたいそうよ』
『……そうか』
『B級ホラーなら、間違いなく死亡フラグだよねえ…』
しみじみと温子。
『ヨーコ。こう言っては何だが、彼女たちに緊張感がなさ過ぎるのは、キミのせいではないか?』
何というか……いわば、絶対的な安心感。
『…ここに、そういう施設はあるのかしら、フランク?』
『本気か?』
それには答えず、世羽子は麻理絵に声をかけた。
「椎名さん、シャワー浴びたい?」
麻理絵は少し考えて。
「うん、浴びたい」
そう答えた。
『……大丈夫よ、フランク』
『何を根拠に…ただリスクだけを…』
世羽子はちらりと麻理絵を見て。
『根拠のない根拠がある…それだけ』
『……これじゃあ、まるで観光だ』
『しっかりシャワー浴びておいて、何を今更……と、いうか、そもそも私達は観光目的で、この地にやってきたんだけど』
偶然か、それとも水を嫌うのか……プールにやつらの姿はほとんどなく、更衣室、シャワー室と、世羽子が安全を確認した上で、世羽子以外の全員がシャワーを浴び、店から持ってきた石けんおよびシャンプーなどで身体を清め、世羽子が調達してきた服に袖を通してさっぱりとした心持ちになっていた。
そして今は、レストランの厨房で、弥生が腕をふるっている最中。
「よ、世羽子も、着替えたら?」
「下着だけで十分よ」
「た、タオルで身体拭いてあげようか?」
「さっき自分でやったわ」
「そ、そう…」
と、どこか残念そうに引き下がる聡美。(笑)
「はい、簡単なものばっかりだけど…」
世羽子の指示で、胃に優しい料理メインだが……携帯食品や菓子、缶詰などにくらべれば、それはひどく心を落ち着かせるものであり。
「フランクさんの口に合うかどうかわからないけど…」
と、フランクだけ別の一品を添えて。
『…?』
『フランクの好みに合うかどうかわからないけどって』
おそらくは食習慣の違う自分を考えてのことであろう…フランクはそれを理解した。
『ありがとう、ヤヨーイ』
さすがに『サンキュー』程度は理解できたのか、弥生ははにかむように微笑む。
『……優しい味だな』
フランクの呟き。
レストランに行けば、誰であっても、金を出せば注文に応じたものが出てくる。
妻と子がいなくなってから、誰か特定の個人のために作られた食事を取る機会を……おそらくは永遠に失ったと思っていたのだが。
もちろん、これは……ここにいるのが他の誰かであったなら、同じように与えられた機会に過ぎない事をフランクはきちんと理解している。
ジャーナリストであろうと考えた結果が、フランクから妻と子供を奪い……妻と子供を奪われた結果、フランクは自分の中の何かをなくした。
『貴方は、確信は持ってなかったにせよ、それなりの覚悟を胸に、ここにやってきたんじゃないでしょうか?』
温子に言われたその言葉の半分は正しく、半分は間違いだった。
どことなく他者を寄せ付けない感じで料理を口に運ぶフランクを、世羽子と温子、そして麻理絵は横目で確認していた…。
「……いい天気」
考えてみれば巨大ショッピングモールで1泊2日……修学旅行の日程がめちゃくちゃだなあ、と温子はため息をついた。
それはそれとして、学校関係者はここにいる6人と連絡を取ろうと色々手を尽くしているはずなのだが……やはり、ここは封鎖されていると思っておいて間違いないだろう。
心なしか、やつらの姿というか……数そのものも、昨日に比べて減ってきたような気がする。
「……やつら同士で争ったりはしないんだよね」
それはつまり、動くものに対して無差別に攻撃をする……わけではないことを意味する。
なのに、重い荷物を載せたカートを送り出すと、やつらはそれに群がってきてはね飛ばされる。
自分たちの仲間……同類以外のモノ全てに対する攻撃性。
「……まあ、人為的としか思えないよね」
だとすると……その首謀者の誤算は、今も目の前で精力的に、やつらを破壊し続けている少女の存在ではなかろうか。
その、戦闘と言うより一方的な何かが開始されてから約1時間。
別に疲れた様子も見せないが、精神的に余裕がなくなってきているのは確かなのだろう……両腕両足を吹き飛ばされて、文字通り身動きのとれなくなって、不気味な声を上げ、時折歯を鳴らすだけのだるまさん状態のやつらが視界いっぱいに積み重なるように転がっていて。
「……これ、冗談抜きで、1000人は超えてるよね」
1学年約200人……の小学校で、全校生徒が校庭に集合したとき、このぐらいの規模だった覚えがある。
「……というか、開けた場所に集まってくる癖でもあるのかな」
ぽつりと、いつの間にか隣に来ていた麻理絵が呟く。
「……って言うか、ちょっと臭う」
と、これは紗智。
「あいつらの身体、腐ってきてるから」
と、さて何人がこの言葉の意味に気づくかと、あえて温子が口にしたところ。
「まあ、ゾンビだよね、マジで」「夏だから仕方ないね」……などの言葉が返ってくるばかり。
お気楽だなあ……と半ば呆れ、半ば安堵し。
『フランク』
『……』
『フランク?』
『ん、何かな、アツコ』
『考えすぎは良くないよ』
『……ありがとう』
その穏やかな笑みに、温子はかえって不安を覚えた。
食事を終えた後、フランクは世羽子に何かを話しかけ……それを黙って聞いていた世羽子は、少し首をかしげつつ。
『貴方はそれでいいの?』
そう言ったのだ。
『……』
『アツコ』
『なんですか?』
『最初に私は言った…ジャーナリストは、職業ではなく、生き方だと』
『……はい』
『私は、ジャーナリストではなかった』
それは、どこか不吉な響きを持った言葉のように温子には思われ。
『でも…』
『君達はジャーナリストではなく、この国を訪れた観光客にすぎない』
目で、声で、フランクは温子の言葉を封じて。
『だから、君達とはここでお別れだ…』
『ありがとう、ヨーコ。キミのおかげで、ここまでこれた』
ノートパソコンを抱えたフランクが、世羽子に向かって手を伸ばす。
『通信手段は途絶されているんでしょ?』
『途絶されているというのは、そういう命令を受けている状態とほぼ同義だ』
『そう…』
と、世羽子は息を吐いた。
『君達はここにいなかったことにしておいた方がよい…さらわれたとか、来る途中のバスで強盗に襲われたとか……そのあたりは、キミとアツコでどうにかなるだろう』
『脱出してからの話…だけどね』
と、世羽子が控えめにフランクの手を握り。
『幸運を祈るわ』
『君達と出会えた…それが、かけがえのない幸運だと思っているよ』
そしてフランクは手を放し……温子達にむかってちょっと手を振り、笑みを浮かべたまま、この巨大ショッピングモールの中央管理センターの建物……既に世羽子が乗り込んで中を清掃した……の中へと消えていった。
「さて、急ぐわよ…」
「うん」
フランクが言ったとおりのことをやるなら、ぐずぐずしてはいられない。
南北、そして東……この巨大ショッピングモールに出入りするためのゲートは、その三つである。
これは、元からあった街の中に作られたり、形成されるモノではなく、郊外で計画的に建設された事が理由だ。
あまりよいイメージではないが、ぐるりと壁に囲まれた城塞都市のようなモノと思ってもらえればよい。
そして現在、そのゲートは全て封鎖されていると考えた方が良く……そうすると、それ以外のルートをもって、ここから外へ出る必要がある。
これは世羽子単独なら、さほど困難なことではないが……他の5人の能力および、ここを脱出した後のことも含めて、それなりの準備が必要なわけで。
それともう一つの問題。
フランクという男手が抜けたことにより……世羽子1人がアタッカーとして、道を切り開く行動に制限を受けたことである。
世羽子は別格として、フランクはこと戦闘力に関してはかなりのモノを有していた。
それはおそらく、彼自身が言うジャーナリストとしていろんな圧力と物理的にも戦ってきたという経験と無縁ではなかっただろう。
「…ゲート付近は危険…だけど…」
世羽子は後ろの5人を見る。
本当なら、ゲートがなく、荒野が広がっている西の塀を乗り越えていくのが正しい選択だろうが……そのルートに、他の5人が耐えられるかというと。
今のところ、世羽子が頭の中で考えている計画はこのようなモノだ。
まずは、着替えた制服を取りに戻り……必要なモノをそろえた上で、ゲートから離れた場所で、外に出る。
回り込むようにして、ゲートを封鎖してる連中を、正体がばれないように倒すなりして、乗り物を拝借…全員で逃走。
乗り物を始末した上で、逃走してきた方角とは反対側から街に近づき……犯罪に巻き込まれた日本の観光客を装う。
もしくは、街の周囲をうろついて、そういう連中が実際に接触してくるのを待つという手もあるが……これは、運が必要だろう。
あとは、この街で手に入れたと疑われるモノは全て処分すること……。
「……随分と杜撰な作戦になりそうね…」
「せーの」
推定250キロ……の積み荷を載せたカートが、押し出されて坂道の下りに達した。
「と、ととと…」
「ちょっ、ちょっとちゃんと押さえて…」
「わあああ…」
がら、がらがらがらがらがら…。
勢いのついたカートは、段差で跳ね上がり……積み荷共々木っ端みじんになった。
「……」
「……あ、やつらが寄ってきた」
「……ガソリン流して、火をつけようか」
「や、それどう考えても大惨事になるから」
「じゃ、このドラム缶を…」
「いや、だから…」
「えい」
がん、と麻理絵がドラム缶を蹴飛ばした。
「わあああ、麻理絵、ちゃんと話聞いてた?」
「中身は空だってば」
「じゃ、次は樽」
などと、坂道を利用して、転がるモノを次から次へ。
「こんなもんかな…」
巨大ショッピングモールを取り囲む、高い外壁の半分ぐらいの高さまで積み上げられたがらくたというか、ゴミになったモノというか。
本当なら夜がベストなのだろうが……ここの外がどうなっているか不明であることなどを考慮して、日のある内に外に出て、日が沈むまで待機の予定。
「さて、ここからが問題…」
やつらが、ここの外に出るのは避けたいため……あまり高く積むことはできない。
そうすると、まず世羽子が乗り越えて、上から他の5人の補助をする……事になるのだがその間下が無防備になるし、そもそもそれならゴミを積み上げる必要はない。
つまり、あそこに積み上げたモノは、やつらの攻撃を避けるための足場というか、高さを確保するためのモノである。
とはいえ、そんな力仕事が短期間で可能はわけはなく。
ここを選んだのは、坂道を利用できるということと……外壁の外を確認できる建物がすぐそばにあるという事である。
やつらは、ある一定以上の段差がある場所には上れない……おそらくは、これを知っているが故に、ゲート以外の場所を見張る必要性を感じなかったのか。
少なくとも、このあたりを見張っている気配はなさそう……そう判断した後の世羽子の行動は早かった。
「全員、周囲に気をつけて」
そう言い残し、世羽子は坂道を駆け下りていく。
やつらを撃退……いや、もうそんな余裕のあることを言ってられないのか、攻撃は全て頭部に集中。
その合間合間で、外壁前に転がったゴミを移動させ、平均的な高さを保持する防御壁のようなモノを構築していく。
それは、はっきり言うと力仕事であり世羽子にとっては苦手な分野であるのだが……時折後に残した5人を助けるために再び坂道を駆け上がったりしながらも、何とかそれをやり終えた。
「まずい、日が暮れるわ…急ぐわよ…」
周囲のやつらを一掃……そして、世羽子は身軽に外壁の上部にとりついて、己の身体を引き上げた。
「最初は一ノ瀬さん」
と、ロープを垂らす。
「え…」
「いいから、急いで紗智」
と、麻理絵に促され、慌てて紗智はロープにとりついた。
「次、温子」
「うん」
と、温子を引き上げると……世羽子は、温子にもう一本のロープを渡し。
「2人で協力して、椎名さんを引き上げて」
「あ、なるほど…」
運動神経の良い紗智と、もっとも体重の重い温子……この組み合わせなら、何とかなる。
その一方で、世羽子は弥生と聡美を素早く引き上げた。
「……って、高っ!」
外壁の上から外へ……で、少し苦戦したが、これも何とかクリア。
この時点で、世羽子達6人は巨大ショッピングモールからの脱出に一応は成功したと言える……のだが。
一応は説明したモノの、温子以外の4人が……いや、麻理絵を除くと3人が、今ひとつ状況を理解できていない。(笑)
もちろん、聡美はほぼ無条件で世羽子の言うことに従うし、弥生もまあ疑問は口にしても、基本世羽子に従う。
「……っていうか、考え過ぎじゃない?」
などと、ごく当たり前の意見を口にするのが紗智だった。
ただ、今この場でこんなことを言い出すのであれば、何故ゲートから脱出しないのかという疑問なり、提案なりをするのが普通である。
そういう意味で、今の紗智は普通ではないというか、未だ現状を受け入れられてはいないのだ。
「そうね、だったらいいと思うわ」
と、世羽子は一応同意し……紗智の首筋に手刀を落とした。
「……世羽子」
「文句なら後で聞くわ。とにかく、あの岩陰まで移動するわよ」
と、紗智の身体を担いで世羽子。
そして岩陰についてすぐ。
「私は様子を見てくるから……各自水分補給と、休憩」
と、夕闇の中に姿を消した。
「……はー、これからどうなるか」
「大丈夫だよ」
温子、聡美、弥生の3人が同時に麻理絵を見た。
麻理絵は気を失っている紗智に優しい視線を落としつつ、指先で前髪をいじくっている。
「それほど危険な感じはしなくなったから…」
「どういう意味?」
聡美の問いかけに、麻理絵はちょっと苦笑を浮かべ。
「そう聞かれると困っちゃうな……でもこの後はどうにかなると思う。ただの勘だけど」
「そう…」
と、食い下がることもなく聡美は頷いた。
そして、麻理絵は巨大ショッピングモールを取り囲む……今思えば、それは巨大な牢屋であるように思える外壁に目を向けて、ぽつりと呟く。
「……でも、フランクさんは…ダメだと思う」
「ダメ…って?」
これは弥生。
「フランクさんの目的がどうなるかはわからないけど…助からないと思う。あの人が望めば、今この場にいたかも知れないけど、別のことを望んだから…」
麻理絵の呟きに、温子はフランクの言葉を思い出した。
『ジャーナリストは、職業ではなく生き方さ…』
つまり、彼が選んだのは……ジャーナリストという、生き方だったのか。
ただ真実を明らかにするだけならば、ここを脱出してからいくらでも……いや、何らかの手段で発表する機会はあっただろう。
温子は……にじんだ涙を、そっとぬぐった。
そうして1時間ほど過ぎ……あたりが暗闇に包まれ始めた頃、音もなく世羽子が戻ってきた。
いや、正確には戻ってくる前に声をかけてきたのだが。
「この視界で良く迷わないね、世羽子ちゃん」
「気配があるから」
と、答えて。
「みんな、動ける?」
「さっちゃんが気を失ったまま」
「と、いうか…疲れが出てるんだよ。眠ってるんだと思う」
と、麻理絵がさりげなく訂正。
「今から移動するわ……そうね、約6キロってとこかしら」
「……具体的な数字をあげられると、ヘビーだなあ」
「しかも、夜の荒野だから…多分想像以上にくるわよ」
と、世羽子は眠り続ける紗智を背負って。
「冷えてくるから、みんな何か羽織っておきなさい」
「……なんでこんな無駄な荷物をと思ったら」
「一応乾燥地帯だからね、夜は冷えるよ……って、昨日の夜に、毛布かぶって寝たでしょ、弥生ちゃん」
「あ、そうそう…」
と、世羽子はロープを聡美に持たせ。
「あまり声は出さないで…それと、全員ロープは放しちゃダメよ」
そして真夜中ではないが、夜の行軍が開始された。
運良くなのか、運悪くなのか、新月で月の明かりはない……が、巨大ショッピングモールの明かりによって、自分たちがどっちに進んでいるかを知ることは出来る。
ドン。
「……っ!?」
世羽子と、世羽子に背負われている紗智を除いた全員の視線が外壁の方を向いた。
タンタンタンっ!
タタタタッ!
「え、あれって…」
「銃声よ」
淡々と、世羽子。
「助け…」
「じゃないわ」
「……」
「フランクが、外部との連絡に成功した……そして、それを知った連中が、色々がんばってみたけど、直接本人を押さえるしか手段がないと悟って中に突入……そういうことね」
「……」
「みんな意識を切り替えてね……これから相手をするのは、銃を持った人間。見つからないことだけ、注意して」
「……フランク」
「……温子、行くわよ」
わずかな、でも貴重な時間を割いてくれた世羽子に感謝しつつも、温子はやはり外壁から……その中にいるフランクの姿から目を背けることが出来ず。
「生き方って言っても…死んだら終わりだよ、フランク…」
「あれ…あれあれあれ…」
涙が止まらない。
いや、止まらないのは記憶の奔流か。
あの、現実とは思えない出来事の数々……というか、ここまで綺麗さっぱり忘れていられるモノなのか。
「と、いうか、一体あれは何だった…」
「はい、そこまで」
「え?」
温子が振り向く……と同時に、手のひらが視界を遮るだけでなく顔を覆い。
「だ、誰…」
「あなたのファンよ…」
思いがけない優しい口調……それを聞きながら、温子は意識を失った。
「……ったく、杜撰なものね」
と、倒れそうになる温子の身体を支えながら、彼女は呟く。
そして、優しい視線を温子に向けた。
「……あなたのピアノ、もう一度聞きたかったわ」
そう呟き、彼女は首を振る…。
自分の、終わりの時が近づいている……それを知る彼女は、窓の外へと視線を投げた。
東の空に見えるのは黒い雲。
明日の朝から、大雪を降らせるはずの雪雲だ。
週明けからこの学校も色々と騒がしくなるのだろうが……後に、世界のある地域で重要な存在となるはずのこの少女も、そこでは脇役に過ぎない。
「……私、あなたのピアノのファンよ…」
もう一度呟くと、彼女は少女の身体を廊下に座らせ……その場から去った。
完。
いやあ、何書いてるんだろう、俺。(笑)
大学の漫研で、先輩や後輩が暇つぶしに落書きをするのを見て、『やっぱ絵を描くのが好きな人は、いっつも落書きとかしてるよな…』などと思ったモノですが。
いわゆる、高任にとっての落書きは、こういうお話というか。
あれ、こういうの書くとどうなるんだろう……などと気がついたら、ものすごい時間が経過してるとか。
9割程度は正気に戻ったところで即座に消去するのですが、高任のパソコンの中には消去されなかった残骸が色々転がっていたり。(笑)
というわけで、もちろんネタはデッドでライジングな、素敵ジャーナリストのフランクが登場するあのゲームです。当然ですがお遊びの内容なので、『むう、偽チョコの前にこんな事があったのか…』などと思わないでください。
美しさは罪というか、この手のゲーム、強さこそが罪ですね。
青山は当然ですが、世羽子が苦戦する姿が全くイメージできないというか……まあ、文章のあちこちに笑いのネタは仕込んだつもりですが(バイクとか)、正直豪快に滑っている気がしてなりません。
余談ですが、最後に書いたような温子の裏設定だけは、一応出来てます。
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