「……そういえば、新しい校舎がもうすぐ完成するって聞きましたけど?」
「一応5月末ってことらしいが」
 この地方を襲った、数十年ぶりの大雪。
 地方で唯一現存していた木造校舎と言えば聞こえはいいが、実際はただ古いだけで、建てられた当時では最新の……などという逸話もありはしない。
 そんでもって、周囲の住民からは眉をひそめられる評判の悪い男子校……とくれば、資料および記念保存などという話は持ち上がるはずもなく。
 倒壊した木造校舎は、何の情緒もなくゴミとして片付けられて……新しい校舎建設という運びになった。
「プレハブとは言え、一ヶ月で仮校舎が完成したときも驚きましたが…」
「不安になるからみなまで言うな」
 と、尚斗は少女の言葉の先を奪ったのだが……どうやら耐えられなくなったのだろう。
「基礎工事も含めて4ヶ月で完成する校舎って何だよ…」
 などと、トホホ感を前面に押し出した愚痴をこぼした。
「……まあ、プレハブの建物だと、夏は地獄をさまようって話ですし」
「冷暖房完備の、お嬢様女子校の人間にだけは言われたくねえ」
「設備に見合った授業料と、寄付金という名の入学金を支払ってますもの……おほほほ」
「払ってるのは親だろ。えらそーにすんな」
「ま、それはそうですね」
 と、少女は芝居じみたセレブ笑いをあっさりとやめて……遠くの山に視線を向けた。
「今は一番いい時期ですよね……薫風香る、皐月の風…」
「く、クンフー?」
 と、空手だか、拳法だか、曖昧なポーズを取りながら。
「……」
「いや、悪かった。今のは単なるボケであって、薫風の言葉の意味がわからないというわけでは決して……だから、無言で距離を取るなってば」
 少女はちょっとため息をついて。
「どの店で何を買い出しするか……覚えてます?」
「……」
「いいかげん、1人で買い出しぐらい出来るようになってくださいね」
「劇団ナンバー2のお手を煩わせて、申し訳ないッス」
 と、尚斗は大仰に頭を下げた。
「……」
「……どうした?」
「いえ…そう単純な権力構造じゃないっていう自覚がないんですね」
「ん?」
「ほら、行きますよ…」
「力仕事は任せてください、姐さん」
「……」
「だから、無言で距離を取るなってば、おいっ」
 本気ではないが、駆けてゆく少女の背中を追って、尚斗が走り出す。
 今日は、ゴールデンウイークのど真ん中。
 あの大雪の日を基準にすべきか、それともバレンタインの日を基準にするべきか。
 とにかく、あれから時が少し流れて……夏樹は大学生になり、ちびっこは2年生に、そして尚斗は3年生になった。
 両親への抵抗と、自分自身の夢を足して2で割った……大学生になった夏樹が歩み始めたのは、そんな道。
 それを中途半端と笑うなかれ。
 少なくとも、夏樹は新たな一歩を踏み出したのだから。
 
「しっかし、ちびっこもタフだよな…」
「何がですか?」
「学校の演劇部に加えて、夏樹さんの劇団にも参加だろ……それで、あの頭の良い学校で成績トップってんだから」
「……」
「俺はと言えば、成績は中の中。部活は帰宅部……当然、休日の用事なんか埋まりっこねえ暇人さ」
「……男子校の中で成績が中の中、と訂正してください」
「……俺、泣いていいか?」
「……前からうすうす疑問に思ってたんですが…」
「何だよ?」
「夏樹様が、どうして有崎さんを劇団に誘ったかって…」
「そりゃ、男手が必要だからだろ」
「……」
「でも、夏樹さん純粋女子校育ちじゃん……手を出したら、そこに俺がいた」
「……」
「……」
「……」
 物理的ダメージをもらいそうなちびっこの視線に耐えかね、尚斗はちょっとばかり正直になることにした。
「いや、多分ちょっとぐらいは、友達ぐらいに思ってくれてるんじゃないかと期待してるんですがっ!」
「……」
 ちびっこの視線に哀れみが混じったのを感じて、尚斗の心がちょっとすさんだ。
「だって、女の子との出会いがないんだもん。優しく声をかけられたら、ふらふらとついて行っちゃうさっ」
 さあ、笑いたければ笑え。嘲りたいなら嘲るがいい……と、開き直って胸を張った尚斗の前で、ちびっこはこれ見よがしに大きなため息をついた。
「……なんだろう、お前のため息ってものすごく心が傷つくぞ」
「気のせいですよ。そんなナイーブな神経の持ち主でしたら、そもそもそんな馬鹿なこと言わないと思いますから」
「よ、良くわからんが…とにかく呆れていることだけはわかるぞ」
「わあ、正解です。すごいですね、有崎さん」
 まるで感情のこもらない笑みを浮かべて、ちびっこが『頭なでてあげましょうか?』みたいな感じで右手を出してくる。
「まだ根に持ってんのか…」
「義理チョコだって念を押してるのに、何を勘違いなされたのか、にやにや笑いながら頭なでてくるんですもん……正直、顔面にたたきつけてやろうかと思いました」
「別に、そこまでうぬぼれちゃいねえよ……こいつなんか可愛いな、とか思えて、微笑ましくなっただけだ」
「言われ慣れてる言葉はほめ言葉になりませんし、個人的には『綺麗だな』と言われたいもので」
「すまん、無理」
 げしっ。
「……正直者が虐げられる、そんな世の中に疑問を感じないか?」
 しゃがみ込み、蹴られたすねを抱えながら尚斗。
「私はむしろ、正直なだけで生きていけるほど、人間が単純な生き物とは思いたくないですね」
 そう言って、つんと横を向くちびっこ……その横顔の頬のあたりが、うっすらと色づいているのは、はてさて。
「んー、俺みたいな単純馬鹿には、そういうの難しいんだけどな…」
「……有崎さんは、成績悪いですけど、馬鹿じゃないと思います」
「やっぱ、勉強しないとダメか」
「……」
「ちょっ、今、距離を置かれるような台詞だったか、おいっ!?」
 これで何度目になるのか、距離を置こうとするちびっこを追って、尚斗が走り出す。
 それは、いつもの……そう、いつの間にか『いつもの』になってしまった2人のやりとりだ。
 
「重くないか?」
「……腕まくりして、両腕の血管浮かせている人に言われても…」
 と、気持ちふらつく感じのちびっこの額にはうっすらと汗。
「つか……さすがにちょっと多かったんじゃね?」
「買い出しとは言え、練習を抜けてた格好ですからね……差し入れのジュースぐらいは買って戻るのが処世術ってやつですよ」
「ほんとしっかりしてるよな、お前は……夏樹さんは、ああみえてそういうところ抜けてる部分があるし」
「……」
「この買い出しにしたって、『尚斗君、私が一緒について行こうか?』なんて言ってたもんなあ……脚本書いて、監督と演出兼ねてる夏樹さん抜けたら、みんなどう練習すんだよって話で」
「……」
 よたよたよた。
 ひょっとして、返事が出来ないぐらい余裕がないのでは……と。
「ちびっこ、ちょいストップ」
「……え?」
「実は俺、子供の頃にすごい発見をしてな」
 そう前置きし、尚斗は手に持っていた荷物を下に置いた。
「荷物をみんなでわけて持てば、みんなが疲れるが1人で持てば1人しか疲れない」
「……は?」
「と、いうわけで最初はグー、じゃんけん…」
「え、ちょっ…」
 当然ながら、ちびっこの両手は荷物でふさがっているわけで。
「……ふむ、もう少しやると思っていたんだが、見込み違いだったな」
 と、ため息をつき…尚斗はちびっこの荷物に手を伸ばし。
「グーしか出せないに決まって…」
「いや、お前なら瞬時に荷物を投げ出して、チョキを出してくると予想してたんだ……まあ、負けは負けだからな」
 と、微かに抵抗するちびっこの手を振り切って、全部の荷物を抱え込む。
「……素直に、『持ってやる』って言えばいいじゃないですか…」
「そういったら断るだろ、お前は……ばればれの嘘でも、口実が必要な性格というか」
 と、腕の筋肉が悲鳴を上げているのを無視して、何でもないように歩き出す。
「なーんか、わかった風な口をきかれて、むかつくんですけど」
「そう言うなって…なんだかんだ言って、知り合ってからだいぶ時間経ってきたじゃん、俺ら」
 学校の廊下……最初の出会いというか、出会い頭というか。(笑)
「つきあいが長くなってきて、お互いに理解が深まる……そういうもんじゃね?」
「そうですね…」
 と、ちびっこは頷き。
「最初は、なんて恥知らずで、礼儀知らずの野蛮な獣かと思ってましたが…」
「そこまでひどかったのかよっ!?」
「……言っときますけど、男子校の評価ってこのあたりで最悪ですよ?」
「いや、それに関しては日々実感してるというか……なんつーか、家の中も含めて家の近所でも肩身が狭いったら」
 と、尚斗が苦笑いを浮かべた瞬間。
 かっ、かこっ、こーん。
 石ころがものすごい勢いで前方に向かって転がっていき、電柱に当たって大きく跳ねた。
「ど、どうした?」
「あ、いえ、足下に手頃な石が転がってたのでなんとなく」
「そ、そうか……まあ、あんまり大きな石はやめとけな、人に当たると危ねえし、自分の足を痛めることもあるしよ」
「……はい」
 と、これは珍しく素直に頷くちびっこ。
「……で、何の話だったっけ?」
「有崎さんは、成績が悪いけど、馬鹿じゃないって話ですね」
「……戻りすぎじゃね?」
「いえ、私はその話をしてました」
 つん。
 ちびっこの横顔の頬のあたりが、微かに色づいているのだが……尚斗は荷物を抱えて、そちらにまで視線を向ける余裕がない。
「なんだかんだ言って、知り合ってからだいぶ時間が経ちましたからね……有崎さんのことも、多少は理解したつもりですよ」
「恥知らずで、礼儀知らずの野蛮な獣から、普通の人間ぐらいには昇格したか?」
「……」
「悪い、その沈黙は勘弁して、マジで」
「正直、ふつーじゃないと思いますよ、有崎さんは」
「成績はともかく、人間性に関しては偏差値50前後を意識してるんだが」
「だとしたら、この国はもっと住みよい国じゃないですかね」
「……?」
「お人好しってのは、社会を円滑に動かすための潤滑油だと思いますから」
「勘違いすんな」
「なにがですか?」
「俺が色々やったのは、お前と夏樹さんだったからだ……思いっきり、自分勝手な理由だぞ、はっきり言って」
「あわよくば、演劇部の誰かと仲良くなれるかも…とか?」
「なかったと言えば嘘になるな」
「……」
「……ランクダウン?」
「……なるほど」
「え?」
「いえ、人間の評価ってのは、わりと感情に左右される曖昧なものなんだな、と」
 てってってっ…と、ちびっこが尚斗の前に出て、くるりと振り返った。
「まあ、義理チョコをあげる程度には好意は持ちましたからね……別に、そのぐらいで下がりはしませんよ」
「そっか……まあ、身分相応以上の高い評価をもらうつもりもないが、わざわざ評価を下げたいとも思わねえしな……それはなんとなく嬉しい」
「……」
 ちびっこは微妙に視線をそらし…。
「最初はグー、じゃんけん…」
 ぽん。
「……ふふふ、甘く見てもらっては困るな」
 目の前の結果から、目を背けつつ。
「……ちょっと、有崎さんを買いかぶってましたかね」
「なんでだよ、わざと負けようと思ってチョキ出したんだろ。素直に認めろよ」
「いえ、有崎さんならその裏の裏をかいて、グーを出すと思ってたんです」
「え、グーの裏の…裏の裏…?」
 と、尚斗はちょっと首をかしげた瞬間に、ちびっこが切り返す。
「まあ、私が勝ったから、私の言うことを聞いてもらいますよ…」
「そんなルール聞いてねえよっ!?」
 尚斗の抗議に対して、ちびっこは哀しげに首を振ってみせた。
「勝った人間がルールを決める……少し哀しいですけど、これが世界の現実ですね」
「世界の現実だかなんだかしらねえが、そもそも、男が女に荷物を持たせるのって抵抗あるんだよっ」
「1人に荷物持たせて、自分は手ぶらって方が抵抗ありますっ」
 すったもんだの末に、尚斗のいう男のメンツが勝利した……というか、ちびっこが敢えて負けたのか。(笑)
 
 買い出しの旅も、そろそろ終わりが見えてきた頃。
「正直なところ、俺って役に立ってるか?」
「……色々と勉強してる努力は見えます」
「努力だけが見えて、役に立ってないのはちょいと情けないんだが…」
「……これは演劇部もそうでしたが、夏樹様が立ち上げたこの劇団から有崎さんがいなくなるとですね…」
「いなくなると…?」
「夏樹様に意見できる人間が私1人だけになります」
「……」
「御自分のことをどう評価しているかはさておき、有崎さんは夏樹様に意見が出来る貴重な人材です」
「いや、意見も何も…」
 俺は、思ったことを口にするだけで……という尚斗の言葉を先取りし。
「思ったことを口にするのも恐れ多い……という娘が、ほとんどですよ今のところ」
「……そんな感じしねーのになあ、夏樹さん」
「ちゃんと、聞くべき事には耳を傾けてくださる方なんですけどね……まあ、夏樹様を、夏樹様に祭り上げてしまった私達にも責任の一端はありますし」
 ちびっこはちょっと尚斗の顔を見て。
「とはいえ……最近少し、夏樹様は変わられてきたようにも思いますけど」
「……そういや最近、良くからかわれるぞ俺」
「……どんな風に?」
「なんか不意に手を握って、じっと見つめてきたりしてな……俺がうろたえるのを見て楽しんでるんだろな」
 かっ、かこっ…こーん。
「……だからやめとけって、石を蹴るのは」
「あ、いえ、なんとなく」
 と、微妙に動揺を表に出して答えるちびっこ。
「後はいきなり、『だーれだ?』とか背後から目隠しぐらいならいいんだけどよ……その、夏樹さん、ずっと女子校育ちだろ?」
「はい…?」
「いや、その…背中に当たるんだわ…えーと、やわらかい部分が」
「……それ、無意識じゃなくて、意識的じゃないですかね」
「え?」
「いえ、別に何も」
 つん。
「この前なんか、朝に家までやってきて、『途中まで一緒に行かない?』とか……からかわれてるのはわかってるんだが、誤解しそうというか、むしろ誤解したいというか」
「はあ、別にそれでもいいんじゃないでしょうか…」
「まあ、なんつーか…もうちょっと男との距離感ってやつを、考えた方がいいんじゃないかと思うんだが」
「まあ、考えてるんじゃないですかね、夏樹様なりに…」
「いや、お前の大事な夏樹さんの事だぜ?」
「……盗っ人猛々しい」
「は?」
「夏樹様は、とっくの昔に、私達の夏樹様ではなくなりましたから」
 つんつん。
「……そりゃまあ、夏樹さんは夏樹さん自身のものだからな、お前らのものではないだろ」
「いっそイヤな人間なら、親衛隊総出で、徹底的に邪魔してやるんですけど」
「……なんか、話がずれてねえ?」
「ずれてるのは、有崎さんのピントです。多分、心の中にはピンボケ写真で一杯ですよきっと」
 
「ただいま戻りましたー」
「うぃーす」
「ああ、結花ちゃん、尚斗君、お疲れ様…」
「ジュースも買ってきたんで、とりあえず稽古の出番待ちの人は、休憩入ってください」
「……」
「あ、有崎さん、そっちの荷物はとりあえずこっちにおいてですね…後は…」
 てきぱきてきぱき。
「……結花ちゃん」
「はい」
「ちょっと…いい?」
「はい?」
「尚斗君に、荷物全部持たせたの?」
「あ、あれは…」
「わかってる、尚斗君優しいから…きっと、結花ちゃんの荷物も持ってあげるって、自分からそうしたのよね」
「そ、そうですけど」
 きょろきょろ。
「でもね結花ちゃん、尚斗君が優しいのは結花ちゃんもわかってるはずじゃない…だったら、そこはちゃんと結花ちゃんも考えて…」
「え、えーとですね…」
 きょろきょろきょろ。
 夏樹に対して意見が言える人間が、結花と尚斗の2人だけということは、こういうときに助けを求められるのは尚斗だけということを意味しているわけで。
「結花ちゃん、今は私と話をしてるんだからちゃんと私の目を見て答えて」
「いや、だから…」
 誰でもいいから助けて。
 結花のそんな悲鳴を聞き取ったのかそれとも偶然か……ジュースを持って尚斗が2人のそばに歩み寄り。
「夏樹さんも休憩入りますか?だったら、みんなにそう伝えますよ」
「ありがとう、尚斗君も買い出しお疲れ様」
「いやまあ、このぐらいしか役に立てませんし」
「そんなことないから」
 と、尚斗からジュースを受け取り…その手を取って、自分の手のひらと合わせた。
「え、えーと…」
 またからかわれてる…と、理解(?)していながら、照れてしまう尚斗。
「尚斗君はね、自分が思ってるより大きな手を持ってるの……そう思わない、結花ちゃん?」
「えっ、あ、そう…ですね」
 夏樹様は、多分夏樹様が思っている以上に女優です……と心の中で呟きながら。
「さっきも、結花ちゃんの分まで荷物を持ってくれたんでしょ」
 ちく。
「いや、持つも何も、アレは勝負の結果ですし」
「勝負?」
「じゃんけんで勝った方が荷物を持つ……で、ここについたとき、俺が荷物を全部持ってたというだけの話ですが?」
「あ、そ、そうなんだ…」
 と、納得したように頷く夏樹とは別に、結花はどこかうかがうように尚斗を見つめて。
「(この人……ひょっとして、全部気づいてるって事はないですよね…)」
「それに、次の舞台の主演女優を、荷物運びで疲れさせたら、練習にならないじゃないですか」
「……」
「……」
 夏樹は苦笑で、結花はため息で、それぞれ尚斗の言葉に応えた。
 どうやら、自分の言葉が『わざと負けて、自分が荷物を全部持った』という証明になっていることに気づいていないのか、尚斗は2人の反応に首をかしげて。
「…?」
「結花ちゃん、ちょっと…」
「あ、いえ、私ちょっと有崎さんとお話が…」
「いいからちょっと…」
 と、夏樹が結花を引っ張っていく。
 それは確かに、以前からするととても珍しい光景で。
「ねえ、結花ちゃん」
「ですから…」
「あれが、私の好きになった人」
「……」
「……結花ちゃんだけにしか言わないけど」
 うわ、この人みんなに気づかれていないつもりでいる……と心の中であきれ果てながら、結花は沈黙を……。
「いや、有崎さんには伝えましょうよ、それ!」
「え、だって、そんな…」
 恥ずかしい…という感じに、真っ赤な顔を手で隠す夏樹。
『つきあいが長くなって、お互いに理解が深まる…そんなもんじゃね?』
 さっきの、尚斗のとの会話の中の言葉を思い出しながら……結花はこめかみのあたりをひくつかせながら、強く思う。
 お互いの理解は、つきあいの長さだけでは決してない、と。
 多分意識はしてないんだろうけど、わりと嫉妬深くて、恥ずかしがり屋で……凛々しいみんなの夏樹様は、どうやらかなり乙女な少女であることがほぼ判明。
 そういう夏樹が嫌いなわけではなく、結花としてはただもどかしいというか……尚斗と接する時間が多いポジションにいるため、夏樹の無意識の嫉妬にさらされて煩わしいなども含めて、早く落ち着くところに落ち着いて欲しいというのが実情だ。
「……ったく、もうすぐ春も終わるって言うのに…」
 少年は少年で、春の訪れを待ちながらその存在に気づいておらず、少女は少女で、完全受け身体制で、時折妙な方向で勇気を発露するという、抜けた状態。
「あぁ…そういえば」
 そもそも、夏樹が立ち上げたこの劇団も、どこか曖昧で中途半端な立ち位置にある。
「……」
「……どうしたの、結花ちゃん?」
 誰かさんに告白する妄想および、その恥ずかしさから脱出できたのか、夏樹がちょっと心配そうに結花に声をかける。
「ねえ、夏樹様」
「な、なに?」
「夏樹様が立ち上げたこの劇団……なくなったりしませんよね?」
 ふっと、夏樹が真剣な表情に戻る。
 それは、結花の知る『夏樹様』の表情。
「何が起こるかわからないから、なくならないとは断言は出来ない…」
「……」
「でも、なくさない」
「……」
「諦めないって事の大切さを、結花ちゃんや尚斗君に教えてもらったから…」
「え、私は別に…?」
 ふっと、真剣な表情はそのままで……夏樹の瞳だけが優しいものになる。
「演劇部は…結花ちゃん、あなたが守ってくれたの…それだけは間違いないから」
「夏樹様…」
「最後の公演があんな形になって……ひょっとしたら、まだ結花ちゃんの心の中にしこりが残ってないかしら、と気にはなってたの」
 つぶれかけていた演劇部存続のため、いわゆる『夏樹様路線』を立ち上げた結花。
 自分がいなくなった後、演劇部がどうなるのか……後輩のため、演劇部のため、自分の感謝の気持ちを含めて、少なくとも違う形のモノを残しておきたかった。
 でもそれは、結花を否定するような言い分であったのは間違いない。
「考えすぎです、夏樹様…」
 夏樹がいなくなった後の演劇部をどうするか。
 別に指摘されるまでもなく、それは考えていた。
 少なくとも、これまでのような規模を維持することは出来ない……それだけははっきりしていたから。
 これが最後。
 最後だからこそ派手に……いや、最後だからこそ、何かを変えなければ。
 ただ、自分の想像を超えた『夏樹様路線』の狂熱ぶりのため……結花自身の発言権を奪われているのをわかっていたから。
 かつてそうしたように、自分から動くこと……それを封じられて、途方に暮れてただ夏樹の動きを待っていた。
 あぁ、そうか…。
 と、結花は小さく頷いた。
 夏樹に対するしこりはない……いや、結局、あの少年がなくしてくれたのだ。
 結花と夏樹、身動きのとれない2人の前に現れて……顔を突っ込み、色々と動いてくれたからこそ、今がある。
 そして今、身動きのとれなくなった2人がいる。
「なるほど、そういう事ですか…」
「え?」
 夏樹の、もの問いたげな表情にも構わず、結花はもう一度頷く。
 世の中は、確かにうまくできている。
「あの、結花ちゃん…?」
「そうですね…」
 結花の中で……学年トップの座を誰にも明け渡したことのない明晰な頭脳が、かつて廃部の危機にあった演劇部を立て直した時以上に、回転し始める。
「5月末……まあ、梅雨が始まる前までを一応の期限としますかね」
 まずは、計画完了までの期限設定。
 だらだらと続けられる計画は、計画ではない。
 あの大雪は、バレンタイン公演の一ヶ月前……あの少年にできて、自分に出来ないことはあるまい。
「結、花……ちゃん?」
 目標は最初から設定されているから、期限を設けたら、次は手段……ごく自然に見える形なのが望ましいですが、二の矢、三の矢と、打てる手は考え得る限り検討しておくべき。
 ぶつぶつぶつ。
「え、えっと…?」
 困惑顔の夏樹だが、まさか結花が『そういうこと』を考えているとは思いもよらず。
「よし、それでいきましょう…」
 小さな頷きと共に漏れたその言葉は、多分きっと始まりの鐘の音。
「どうしたんですか夏樹様、そろそろ練習再開しますよ」
「え、あ、うん…そうね」
 と、さっきとは逆に、結花が夏樹の手を引いて。
 演劇部、劇団とは別の……脚本および監督が結花の、夏樹と尚斗の2人の舞台が幕を開けるのだった…
 
 
おしまい。
 
 
 まーた、この3人の三角関係かよ……などと騙された方がいれば幸い(騙されるように書きましたが)ですね。
 ほら、偽チョコじゃなくて、原作準拠の……いや、偽チョコは原作準拠です……チョコキスの、夏樹エンドのその後……という感じですかね。
 え、そういう問題じゃない?
 他のキャラ出せ?
 御子ちゃんとか、純真な(笑)麻理絵とか出せよ、作者の趣味偏りすぎだろ……などのツッコミが、そろそろ。(笑)
 
 さて、来年は10周年ですね……ふふふ。

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