女子校高等部校舎に、さまよう子羊が3頭。
 制服から中等部の生徒であることが明らかなため、それを咎める者はいない……が、『中等部の生徒が一体何を…?』的な視線が集まるのも仕方なく。
 少女達は、緊張を隠しもせずあちこちをさまよう……まさに迷える子羊といった感じであった。
 さて、そんな彼女たちが誰を捜していたかというと……。
 
「こーひーみるく」
「奢れと?」
「慰謝料として安い物だと思いますけど」
「……しゃーねーなあ」
 などと、自販機にコインを落とし込もうとした尚斗を押しのけるようにして、少女達3人は、結花に抱きついた。
「結花様、エンジェル結花様っ」
「え、あ、あなたたち…」
「エンジェル結花様、お助けください」
 などと、結花より背の大きな少女3人がそろって膝をついて結花にきつくしがみつき、口々に『エンジェル結花様』などと繰り返す光景に……当然、尚斗は目を点にするしかないわけで。
 
 十数分後。
「素直に、笑ったらどうですか」
「いや、笑うも何も……何が何やら」
 つーか、エンジェルって何だよ……という疑問が顔にでていたのか、1つため息をついて、結花が説明を始めた。
「この学校、初等部から中等部に上がると、1学年あたりの生徒数が倍になるんですよ」
「ふん?」
「見知らぬ人間が増え、授業のシステムが変わったりして、初等部からの生徒にとっては通う場所も変化するわけですし……基本お嬢様で世間知らずですからね、色々と情緒不安定になる子が多いとか何とか」
「えーと?」
 話が見えないよ…という感じの尚斗をじろりと睨みつけ。
「説明してる途中です」
「ういっす」
「……で、まあ新入生一人一人に対して、指導役というか、3年生が1人つくんですよ。1年の間、色々と相談を受けたり、指導したり」
「ほう」
「迷える子羊である新入生はチャイルド、子羊を教え導く存在である3年生はエンジェル……まあ、中等部にはそういう制度があるってわけです」
「なるほど…」
 と、尚斗は頷き。
「さっきの連中は、お前のチャイルドってことか?」
「そういうことです……春になったら、自分たちがエンジェルになるっていうのに」
 等と呟く、結花の表情は優しげで。
「まあ、それだけお前が立派で頼りになるエンジェルだったって事じゃねえの?」
「……何もでませんよ?」
「出せとはいわん…つーか、しっかりしてるもんな、お前。慕われるのはわかる気がする」
「……こーひーみるく」
「おう、そういや忘れるとこだった」
 尚斗はあらためて自販機にコインを入れ、それを結花に手渡した。
「どうも」
「慰謝料だろ?」
「だからといって、礼を言わないのは別問題ですし」
 すました顔で言い、ストローを突き刺す結花。
「……あれ?」
「……なんですか?」
「いや、新入生1人に対して3年生が1人だろ……さっきの連中、3人ともお前のこと『エンジェル結花様』って呼んでたんだが」
 微妙に顔を赤らめる結花。
「……エンジェル結花様」
「……」
「ひょっとして、ちょっと恥ずかしかったりする?」
 どむ。
「お、おま…そこは…」
「やれやれ、口のきき方を知らない野蛮人はこれだから困りますわ。またあらためて慰謝料をいただく必要がありますね、おほほほ…」
「お…おれには、もらう権利はないのか、それ…」
 うずくまったまま呟く尚斗を無視して、結花が語り出す。
「まあ、エンジェルにもピンからキリまであるって事ですね……下級生の面倒をきちんとみられない堕天使が何人もでるんですよ、毎年」
「な、なるほど……それで、上級天使のお前が、何人も面倒を見た…ということか」
「ま、そういうことですね」
 得意そうにするでもなく、淡々と。
「……あー、ひょっとして、夏樹さんは、お前のエンジェルだったり…」
「違いますよ」
 即座に否定。
「私にエンジェルはいませんでしたから」
「……よっこいせっと」
 ようやくダメージが抜けた尚斗は立ち上がり。
「いなかったんじゃなく、必要としなかったんじゃねえの?」
 教えられるより先に手際よく全てを片づけていく結花の傍らで、何も指導することがなくておろおろする上級生の姿が目に浮かぶようで。
「……そうとも言いますね」
「お前、そういうところ容赦ねえよなあ…」
 ため息混じりに呟く。
「短所、とまでは言わないけど」
「人間の慈悲と寛容の精神には限りがありますから」
「へえへえ……すんませんね、限りある資源を、俺みたいな底辺を蠢くケダモノ相手に使わせてしまって」
「……そこまで卑屈になりますか」
「運動が特別できるってわけでもなく、勉強はからっきし、外見はいけてねえ、親が金持ちってわけでもなく、将来の見通しは……」
「……いきなりへたり込んで、どうかしました?」
「いや、生きていくのがちょっとばかりイヤになった」
「それが事実だとしたら、今まで17年も恥をさらして生きてきたわけですよね?今更自暴自棄になる意味はないと思いますけど」
「容赦ねえよなっ、ホントにっ!」
「どーせ、私がちょっと優しい言葉をかけても…『熱でもあるのか?』とか、『何か気持ち悪い』なんて失礼な事を言うに決まってますから」
「むう、そうかもしれん…」
 しみじみと頷く尚斗を、横目でチラリと見て。
「私だって、人並みには俗物ですからね……優しくするからには、見返りが欲しいですよ」
「そりゃそーだろ……悟りを開いた坊さんじゃあるまいし」
「そうですね……理屈と気持ちは、必ずしも一致しませんし」
「まあ、無償の愛とかどうとか全部を否定しないけどな……ああいうのが美談になるって事は、そもそも絶対数が少ないって事だろうし」
「……」
「……なんだよ?」
「……でも、基本的にお節介ですよね、有崎さん」
「そうかあ?」
「夏樹様も言ってましたよ……何の関係もないのに、何の得にもならないのに、何であんな風に一生懸命かけずり回ってるくれるのかなって。確かに要領は悪くて、無駄に苦労ばかり積み重ねた、無謀で杜撰なやり方にすぎるけれ…」
「……それ、夏樹さんじゃなくて、お前の言葉だろ」
「わかりますか?」
「わかるわっ!要領悪くて悪かったなっ」
「別に…悪いなんて言ってないですけどね」
 ぷいっと、拗ねたようにそっぽを向く結花。
「俺だって、スマートに解決できるならスマートに解決したいけどよ……そういうキャラじゃねえんだな、多分」
「キャラじゃなくて、能力の問題ですよ、多分」
「自覚はしてるが、他人に指摘されるのはちょっとイヤだ」
「頭がよい人間は頭を使う、体力自慢の人間は身体を使う、お金持ちなら金を使う……そういうの持ってない人は、ひたすらじたばたと手間暇かけて頑張るしかないですからね。有崎さん、そのまんまじゃないですか」
「……できれば、ちょっとばかり優しさが欲しい気分なんだが」
「高くつきますよ」
 キラン、と結花の目が光る。
「じゃあ、いいや…」
「……根性無しですね」
「つーか、根性無しだからこそ、根性の使い所を間違うわけにはいけねーの」
「……は?」
「たとえるなら、俺の根性は水鉄砲に装填した水のようなもので……無駄撃ちしてると、肝心なときに弾切れになるということだ」
「……だったら、今回は随分と無駄撃ちしたわけですね」
「いや、俺には珍しく有意義な使い方をしたと思ってるんだが」
「……」
「まあ、お前に言われるまでもないけど…」
 尚斗は、窓の外に視線を向けて。
「俺は、勉強やスポーツに打ち込んだわけでもなく、だらだらと過ごしてきただけだったからな……正直、お前や夏樹さん見てすげえなって思ったわけだ」
「だから、何もでませんよ」
「誉めてるわけじゃねえ、事実だからな」
「……」
「俺には、お前や夏樹さんみたいな事はできねーけど、ちょっとばかりの手助けぐらいはできたかなあ……なんてのは、ただの自己満足か」
「……夏樹様が、有崎さんに感謝してるのは本当ですよ」
「そっか…まあ、感謝されようと思ってやったわけじゃないけど、やっぱうれしいな」
「そうですか……そうですね」
 穏やかな沈黙が2人の間に降りる。
「……うまくいくといいな、明日」
「いかせますよ」
「そっか、頼もしいな」
「まあ、不安要素はありますけどね」
「これまでの路線と違いすぎる……か?」
「……そういうことです」
 少し間をおいて。
「ま、気負わず頑張れや、エンジェル結花様」
 どむ。
「うおぉ…」
「ほんっとに、一言多いですよねっ」
 そういい捨てて、肩を怒らせた結花が去っていく。
 
「よう、お疲れ。エンジェル結花さ…」
 どむ。
「……いつまで引っ張りますか、そのネタ」
「う、お…俺らが、ここにいられるの、今日が最後だし…」
「……」
 どむ。
「お…ぉ?」
 同じ所に2連発……は、さすがに堪えたらしく、尚斗はしばらくうずくまったまま返事もできない。
「……だ、大丈夫ですか?」
「お、お前…なあ」
 青い顔で、結花を睨む尚斗。
「だ、だって…」
「最初のはともかく、2発目のは納得できんぞ」
「……」
「おい…」
「かっ、軽々しく、最後なんて言うなですっ!」
「は?」
「公演の準備で…しかも直前に脚本変更したから、いつも以上に無茶苦茶忙しかったのにっ!」
 ポケットの中のそれを手に持って。
「わざわざ時間割いて、一緒にいた理由もわかりませんかっ!」
 ぼこっ。
 結花が投じた箱が、尚斗の額に命中。
「痛っ…」
「誰かさんと違って打算的な人間で、悪かったですねっ!」
 尚斗がひるんでいる隙にあっかんべーをかまし、結花はその場から走り去った。
 
 きーこ、きこ。
 夜の公園に、鎖が軋む音が響く。
 力無くブランコを揺らしている結花は、目に涙を一杯に浮かべ……それでも、涙が流れる一歩手前で必死にこらえながら、ただ地面を見つめて。
「キャラじゃなくて……能力の問題ですか…」
 ぽつりと呟く。
 感謝の言葉……それを、素直に口に出せないもどかしさ。
 男子生徒が女子校に間借りをした1ヶ月間……あの少年が、自分や夏樹のためにどれだけの時間を犠牲にしてくれたか。
 そんな少年と違って、純粋な優しさとかそういうものが、自分には欠如しているのだろう。
 自分にとって役に立つかどうかとか……どこか打算的な、一緒にいて、話す言葉は喧嘩のようでも、それがひどく楽しくて、心が安らぐからとか……。
 憎まれ口を叩いても、本当に嫌がってるようには見えなくて……だから、自分だけじゃなくて、あの時間を楽しんでくれていると思ってた。
 でも、自分がそうだからといって、少年もそうだとは限らない。
「……はは」
 顔を上げて……乾いた笑いをこぼす。
「喜劇で笑えるのは、観客だけですね…」
 1人で思いこんで、空回りして……挙げ句の果てに落ち込んで。
「あ、こんなとこにいやがった」
「え…ぁ」
 慌てて袖口で目元を拭った。
 声だけで、それが誰だかわかってしまうほど……いつの間にか、自分の心の中でその存在が大きくなってしまった少年。
 その姿が……公園の灯で浮かび上がり。
「おまえなあ…」
 結花の目の前で、膝の上に手をつき……尚斗は大きなため息をつく。
「……何やってますか、こんな夜遅くまで」
「いや、それは俺の台詞」
「冬の夜だってのに汗だくになって……バカじゃないですか、風邪ひきますよ」
「夜の公園でぼーっとブランコに腰掛けてるのと良い勝負だと思うが……つーか、風邪をひくひかないかに関しては、俺よりお前の方がよっぽど不利だろ」
「…は?」
「ほら、言うじゃねえか…『バカは風邪ひかない』って」
「……」
「つーかな、お前とは頭の出来が違うんだよ。説明するのが面倒なのかも知れんが、意味わかんねえって。小学生に教えるように、広い心で接してくれってんだよ」
「……」
「いきなり怒って、箱投げつけて、走り去るもんだから、俺が何かやらかしたと思って……いや、やらかしたんだろうけどよ……夏樹さんやら、演劇部の連中に、お前がいそうな場所聞いて、片っ端から探し回って……」
「……ちょっと待つです」
「え?」
「夏樹様と、演劇部のみんなに…何て説明しました?」
「いや、だから、覚えている範囲で、お前との会話を再現して…」
「あ、あ、あ、あぁ…」
 結花の身体が、わなわなと震え出す。
「何、バカなことやってますかーっ!?」
「はぁ?」
「終わった…終わりましたよもう…」
 女子校において、そういう話は……餌食というか生け贄というか、面白おかしく話のネタにされまくり、骨までしゃぶり尽くされるのは目に見えている。
 結花は文字通り頭を抱え……明日からの周囲の視線やら態度やらいろんなモノを想像して……怖気だった。
「なあ、俺…なんかまずかったか?」
「……」
 既に怒る気力すら失った結花は、疲れ切った視線を尚斗に向ける。
「いや、その…心配して…なんつーか…」
「……はは」
 よりによって……肝心の、自分の目の前の少年だけが……それに気付いていない。
 このぐらいの年代の少女が、ふとした拍子に同年代の男子に対して抱いてしまう感情……それが、結花の心にも芽生える。
「……なるほど、子供なんですね、有崎さんは」
「……なんだろう、お前に言われると、妙に複雑な気持ちだが」
「……そういう所が子供だって言うんです」
 年上はもちろんのこと、ほぼ同級とか考えると許せないそれも……相手がどうしようもない子供だと思えば許せる気がする。
「とはいえ……結果的に、退路も断たれてしまったわけですし」
「は?」
「ああ、有崎さんには分からない話ですよ」
「……なんだろう、俺、今ものすごくバカにされてる気がするぞ」
「いつもの事じゃないですか」
 などと尚斗を軽くあしらいながら……結花は思った。
 そう、昨日自分でも言ったではないか……『頭がよい人間は頭を使う、体力自慢の人間は身体を使う、お金持ちなら金を使う……そういうの持ってない人は、ひたすらじたばたと手間暇かけて頑張るしかないですからね』……と。
「……」
「……何だよ?」
「いえ、まあ…この方面に関して、私はじたばたするしかないのかな、と」
「先生、わかりやすく説明してください」
「やです」
「むう…」
 微妙に機嫌を損ねた感じの尚斗を見つめ……結花は、思う。
 この少年が、自分の……いや、自分たちのためにしてくれたのと同じように、ひたすらじたばたと、手間暇かけて。
「いや、それだけじゃ…面白くないですね」
「何が?」
「教えません」
「むう…」
 この、お節介で鈍ちんの少年に……どこか、切羽詰まった感じの、真剣な表情を浮かべさせ、自分の前に立たせてやるのだ。
「ふふふっ」
「だから何だよ、さっきから」
「何でもないです」
「何でもないって事はねえだろ。さっきから、俺を見ながら妙な含み笑いしやがって」
「別に、何でもないです」
 ぷいっと、よそを向きながら……結花は、それを決めた。
 
 その時……少年が、自分の望む言葉を与えてくれたなら……。
 
 とびっきりの笑顔で。
 
 その胸に飛び込んでいこう。
 
 
               おしまい。
 
 
 女子校成分は、心の潤いを与えるとか何とか。
 と、いうわけで3年生が1人の1年生の指導役としてつくのは、某女子校で実際に行われていた制度から、エンジェルとかチャイルドとかいうネーミングは某漫画から拝借。
 いやあ、何のためにエンジェルとかチャイルドとかいう設定を持ち出したのか、途中から綺麗さっぱり意味不明になっていて清々しいですね。(笑)
 
 偽チョコ25話の後書きでチョコキスがアニメになった夢を見た話を書きました……いっそ、アレをネタに書こうかと思ったりもしましたが、全13話は時間的にちょっと。
 つーか、他人にはわけわかんないであろうパロディ満載でバランス取るの難しすぎ。
 
 ちなみに、安寿が街中で通行人に声をかけるシーンで。
 
『あなたの幸せを祈らせてください……祈らせてくれないと〜地獄に堕ちますよ』
 
 で、タイトルが、『天使が街にやってきた』。
 
 夢の中で、『探偵〇語かよっ!?』などと高任がツッコミを入れたのは言うまでもありませんが、はたしてこれをどれだけの人間が理解できることか。(笑)
 

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