「さて先週は言い忘れましたが、男子生徒を迎えての受業という事で、一ヶ月間、時間割が少し変更されます」
 そう前置きしてからプリントを配ろうとする綺羅に向かって数人の男子生徒が近寄り、姫君に仕える忠実な従者よろしくプリントを率先して生徒達に配り始めた。
「あ、あらら…?」
 困惑と戸惑い、そして喜びが奇妙にブレンドされた表情でそれを見守る綺羅。
「……尚兄ちゃん?」
「俺に振るな、俺に」
 制服の袖を引っ張り、何か聞きたげな麻里絵に向かって尚斗は苦笑する。
 教室内をぐるりと見回し、男子生徒達に対する女生徒の反応が大きく二つに分かれていることに尚斗は気付いた。
「麻里絵……あの娘とあの娘…(以下略)……は内部進学か?」
「うん、おおむね間違ってはないけど……?」
 どうして?と聞きたそうな麻里絵に、尚斗は指先で自分のこめかみのあたりを軽く叩いた。
「何、簡単なことだよワトソン君……早い話、あいつらみて呆れかえらないって事は色気づいた野郎どもに免疫がないって事だろ」
 カトリック系ミッションスクール……幼年部から大学までエスカレータありの鳴く子も振り返るお嬢様学校は伊達じゃない。鼻の下を伸ばしきった野郎どもを見て、『親切な方ですのね…』などと呟く少女は、尚斗から見れば異質の存在だ。
「純粋に幼年部から内部進学する人は学年で40人ぐらいだけどね……藤本先生も、この学校の卒業生だよ」
「……しかし、よく合格できたな麻里絵」
「えへへ、頑張ったもん」
 えへん、と胸を張る麻里絵の態度にはわけがある。
 この手の学校は高い進学実績を得るために、優秀な成績の外部生を必要とする事が多いのだ。
 つまり、外部生徒による入学試験はべらぼうに難しいことが多い。
 幼年部からの箱入りお嬢様の学力がどうのこうのの話ではなく、そのまま大学までエスカレーターで進学してしまうことが多いので、いわゆる教育熱心な親に対しての広告みたいなものと考えてくだされば……って、この話はあくまでフィクションです。(笑)
「……で、この時間割ってどこが変わってんの?」
「ん……あ、ここかな、LHRになってる」
 麻里絵が指先でつついた時間割は確かにLHRの文字が。
「ふーん、前は何の受業だったんだ?」
「……神学」
 尚斗がその言葉に対してリアクションを返すまでに瞬きを数回するぐらいの間があった。
「……は?」
「だからぁ……神学」
「……えーと、陳腐な想像で申し訳ないんだが、聖書とか読んだりするわけか?」
「うーん、世界史でもネストリウス派とかいろいろ出てくるでしょ。この学校はカトリック系なんだけど、いろいろな派閥の見地にたった解釈の違いを……」
 どこまでも続いていきそうな麻里絵の言葉を慌てて遮った。
「すまん、それ以上説明するなら俺は寝るぞ」
「うん、正直言うと私も説明したくない。たまに、本物の神父さんとかもやってきたりするし……」
「居眠りするには最適の受業なんだけどね……」
 と、紗智が2人の会話に乱入した瞬間、教室の隅っこでお下げ髪の少女が静かに立ち上がった。
「藤本先生…神学の授業の時間がなくなってますぅ…人間がよりよい生き方をするための受業を変更するよりも他の受業を削った方がいいんじゃないんでしょうか?」
 と、文字にするとこの通りなのだが、通常よりも多少テンポがゆっくりなしゃべり方のため、外見もそうだが随分とおっとりしているような印象を尚斗は受けた。
「天野さん、神学の受業は押しつけるものじゃないと思うの…」
「いや、私達は押しつけられてるって」
 穏やかに説明を始めた綺羅に向かって、小声で控えめなツッコミを入れた紗智だったが、幸い聞こえなかったようだった。
「……紗智、あの娘は敬虔な信者だったりするのか?」
「敬虔って言うか……天野さんはね、すっごく純粋な娘なのよ」
「……なんか非常に含みのある言葉だな」
「それは、アンタの心が汚れてるだけよきっと」
 そーか、汚れてるのかと、思わず納得してしまいそうなほどきっぱりと言い切る紗智に、尚斗がツッコミを入れたりしている間、綺羅は説明を続けていたようだった。
「……と言うわけでね、これから一ヶ月の間神学の受業はお休みに……」
「でも…」
「あんまりしつこいとやばいような気もするが…」
 尚斗は、何となく落ち着かない気分で教室内をぐるりと見回した。
 が、女子生徒はともかくとして男子生徒の誰1人として少女に迷惑そうな視線を向けていない。
「お?」
 尚斗は興味をそそられ、あらためて少女に視線を向けた。
 穏やかな、見るものにどことなく安心感と信頼感を与える顔つき。頬のあたりの柔和な丸みを意識しているのか、丸い眼鏡のフレームがよく似合っている……が、どこから見ても普通の女の子だ。
「……というわけなの」
「そうですか…わかりました」
 少女は腰を下ろすと、尚斗の方を振り返って小さく微笑んだ……ように見えた。
「へ?」
「……尚兄ちゃん、天野さんと顔見知り?」
 麻里絵にもそう見えたのだから、どうやら勘違いでもないらしい。そして、さらに紗智が混ぜ返す。
「へえ、アンタもやることはやってるってわけだ」
「尚兄ちゃん?」
 紗智の言葉を受けて麻里絵の語尾が微妙に上がる。
 昔からちっとも変わらない仕草……言葉よりもただ、じっと眼を見つめてくる。多分、5年という空白を埋められるほど器用ではないのだろう。
 
「……ふと思ったんだが」
「何よ?」
 尚斗の弁当箱に手を伸ばしながら紗智が顔を上げた。
「なんで、昼飯を食うのに女ってのはわらわらと集まったりするんだ?」
「そりゃ、お弁当がなくて昼食がパンだけとかいう栄養的に問題のありそうな子を救済するためでしょ……」
「それは多分紗智だけ」
 自分の弁当箱をがっちりガードしている麻里絵を見て、尚斗は慌てて自分の弁当箱に視線を落とした。
「おぉ?」
 既におかずが3割ほど消失している。
「あんた、むかつくぐらい料理が上手ね」
「返せ」
「私、のどに指を突っ込んでも吐けないタイプなの」
「……1日300円出せば、弁当作ってやるぞ」
「んー、私にも一応プライドってものが……第一、昼食に300円もかけたくない」
「じゃあ、家から米もってこい。200円にしてやるから…」
「なんか、戦後の給食みたいねそれって…」
 などと昨日出会ったばかりとは思えない会話をかわす2人を見て、麻里絵は口元に小さな笑みを浮かべる。
「……おや?」
「どうしたの…?」
「あの娘は……1人なのか?」
 窓際の席にぽつんと座ってただ静かに太陽の光を浴びている安寿を箸で示すと、何故か麻里絵は面白くなさそうに呟いた。
「……尚兄ちゃん、朝から天野さんのことやけに気にしてる」
「麻里絵、その視線はやめてくれ……第一、紗智はいいのか、紗智は?」
「なんで?」
 きょとんとした表情で紗智と尚斗の顔を交互に見比べる麻里絵。自分自身の精神的な歪みに気がついているのかいないのかはわからない。
「……ま、私は麻里絵に女と思われてないからね…」
 紗智の表情が微かに曇り、そして尚斗の視線を避けるように背中を向けた……ただし、その手にはしっかりと卵焼きが握られていたりするのだが。
「……卵焼きはちょっと牛乳混ぜて色鮮やかな仕上げが好みなんだけど」
「この状況で注文まで付けるのが紗智らしいといえばらしいけど……」
「イナゴの集団みたいな女だな…」
「何よ、ちゃんとアンタの分は残してあるでしょ?」
 ハムスターの様にほおぶくろを見せた紗智が不服そうに尚斗の弁当箱を指さすのだが、本来の所有者の胃袋に収まるべきだったおかずは既に2割ほどしか残っていない。
「……紗智、ものを食べながら喋るのは良くないよ」
「つっこむところはそこじゃないと思うのだが…」
 しのびやかな笑い声を耳にしてそちらを振り返る尚斗。
 見ると、色素の薄い髪を冬のやわらかな日差しで金色に輝かせながら、安寿が口元に手をあてて幸せそうに笑っていた。
「見ろ、笑われている…」
「あ、ほんとだ」
 と、今度は素直に同意する麻里絵。
 麻里絵の反応から数瞬の間をおき、少し驚いたような表情を見せた紗智に尚斗は怪訝そうな視線を向けた。
「どうした?」
「いや、別に……」
 紗智は複雑な笑みを浮かべ、安寿を見つめていた。
 
「おーい、紗智」
「……私、缶詰の白いアスパラだけは嫌いだから。それ以外の好き嫌いは別にないわよ」
「誰が明日の弁当の話をしている?」
「じゃあ、何の用よ?私、これからインターネット部のミーティングなんだけど」
 どういう話題になるのか薄々感づいているのだろう、紗智は不機嫌さを隠そうともしないで尚斗を見た。
「あんまり無理しない方がいいんじゃないのか?」
「アンタが気にする事じゃないでしょ」
「まあ、そりゃそうなんだが…」
 困ったように頭をかく尚斗を見て、紗智はため息混じりに呟いた。
「……麻里絵にもかまってあげなさいよ。私が言うのもなんだけど、麻里絵……やばいわよ」
「俺の目には、お前も結構やばそうに見える」
「……」
 紗智は床の上に視線を落とし、そして吐き捨てるように言った。
「アンタは気がついてるかも知れないけど…私、麻里絵のことが好きだけど嫌いなの」
「……みちろー絡みか?」
「は、ははっ…」
 紗智は多少芝居がかった笑いをみせ、尚斗の顔をにらみつけた。
「元はと言えば、麻里絵をほったらかしにしたアンタのせいでしょ!」
「うるせえな、こっちにも麻理枝に会いたくない事情があったんだよ……大体、俺が麻里絵をほったらかしにすることと……って、ちょっと待て。事情ってなんだ?」
「私に聞かないでよ、アンタの問題でしょ?」
 紗智に言われ、尚斗は宙に視線をさまよわせた。
 麻理枝に会いに行かない何の事情があったのか?
「……あれ?」
 尚斗は顎に手を当て首をひねる。
「……5年もの間、麻里絵のことを思い出したりもしなかったの?」
 そう言い残し、紗智は教室を出ていった。
 夕日が射し込む教室内にはもう誰もいない。その光景がやけに寒々しく思えて、尚斗はため息をついた。
「……みちろー、お前に聞きたいことがありすぎるぞ」
 幼なじみであるみちろーは随分変わってしまったらしい。
 そして、幼なじみのもう1人である麻里絵は変わっていなかった……いや、変わっていなければならないのにあまりに変わっていなさすぎた。
「……麻里絵は、お前と同じ学校に行きたくて必死に勉強したんじゃないのか?」
 その呟きは冬の寒さに凍てついたかのようにいつまでも尚斗の耳に残った。
 
 ぐしゃ…
 大雪を降らせた寒気団が北へ去ると、かき集められていた雪が盛大に溶け始めた。
 そういうわけで、今この街はどこもかしこも雪解け水のせいで雨の後のようにぬかるんでいる。
 とりわけ、土のグラウンド上は田植え直前の水田のようだった。
「……降っている間はともかく、溶け始めると汚いよな」
 どろどろになってしまった靴を眺めて尚斗はため息をつく。
「でも、ずっと雪で表面を覆い隠すわけにもいきませんし」
「……」
 尚斗はゆっくりと後ろを振り返った。
 にこにこにこ。
 拒絶されることなど夢にも思っていない瞳が、レンズの向こう側で穏やかに揺れている。
「……おっす」
「おはようございます」
 どこかで見たような感じに、深々と頭を下げる少女……やはり、少しばかりテンポが遅かった。
 それにしても……と、尚斗は少女を頭から足の先まで眺め回した。よほど静かに歩いてきたのか、靴には泥はね1つついていない。
「……少し意外だったな」
「何がでしょう?」
 安寿は心持ち頭を左に傾けた。
「……おとなしそうなアンタから声をかけられるとは思わなかったからな」
「もうすぐ春ですから……」
 安寿は穏やかな笑みを浮かべ、高く澄んだ空を見上げた。その視線は誰も寄せ付けないほどに遠い。
「……雪解けの季節です」
「電波でも飛んでるのか?」
 尚斗の言葉を聞いているのかいないのか、少女はぬかるんだ地面に視線を落として小さく笑った。
「雪は……いろんなモノを綺麗にしてから消えていくんですよ」
 暖かな、春の日溜まりを思わせるような笑み……安寿のまわりだけ温度が高い様な気がした。
 そして、2人の周りには誰もいない……
「……どうでもいいんだが」
「はい?」
「遅刻だぞ」
「困りましたねえ…」
 心の底から困ったような表情を浮かべる安寿。
「ゆっくり、ゆっくりと歩いていたらこんなに遅くなってしまいました……」
「……なるほど」
 尚斗は小さく頷き、鍵のかかった玄関をつかんで揺さぶってみた。
「無駄か…」
「1時間目が終わったら生活指導の先生が来てくれます……えーと、後30分というところですからお話でもして時間を潰しましょう」
 のほほんと微笑む少女……真面目そうな見た目によらず、遅刻になれているのだろうか?
「お話…ねえ」
「はい」
 語るべき接点など何もなさそうに思え、尚斗は今日何度目になるかわからないため息をついた。
「有崎さん」
「はいよ」
「幸せって何でしょうか?」
「……俺は帰るからこの弁当を紗智に渡してくれ」
 尚斗は安寿と視線を合わせないようにして鞄からとりだした弁当箱を少女の手に持たせた……と、その手をがっしりと安寿につかまれる。
「……真面目な話なんですけど」
「だったら、尚更イヤだ」
 無論、それが冗談だとしてもイヤなことには変わりはないのだが。
「有崎さんは幸せになりたくないですか?」
 尚斗は安寿の手を軽く振りほどき、斜に構えて少女の瞳を見つめた。
「……俺は不幸せか?」
「さあ、どうでしょう……」
 平然とその視線を受け止める安寿の瞳を見ていると何か吸い込まれそうな気がして、尚斗の方から視線を外した。
「ただ、椎名さんと一ノ瀬さんは幸せとはいえないと思いますけど……」
 尚斗が精神を立て直すまでに数瞬の時を必要だった。
「……なるほど、アンタのことが嫌いになれそうだ」
「私はそれでかまいません」
 穏やかな笑みを浮かべて小さく頷き、安寿は尚斗の顔の前で手をぱちんと叩いた。
「慣れてますから」
「…?」
「幸せに……いいえ、不幸せにならないためのおまじないみたいなものです」
 尚斗はふと、遠い昔に今と同じような事を言われたような気がした。
 
「ほらよ…」
 尚斗は紗智に向かって弁当箱を投げるようにして渡した。
「……作ってきてくれないと思ってたわ」
「あのぐらいのことで腹立てるほどガキじゃない…」
「少しだけほっとしたわ……アンタのこと嫌いじゃないから」
「何々、何の話?」
「…麻里絵、遅刻はするなよ」
「遅刻なんかしないもん…」
 何となく納得してしまったのか、麻里絵はにっこりと笑って机の上に弁当箱を置いた。どうやら紗智が弁当を持っているので安心しているのかも知れない。
「さてさて、200円のランチの中身は…っと」
 楽しそうに弁当箱の蓋を開ける紗智。
 自分が作るにせよ、母親が作るにせよ、中身がわかる事で失われる楽しみというモノは確かにある。
 それを考えると、紗智にとって二重に安い買い物なのかもしれない。
「……おべんと作ってたから遅刻したなんて言わないでよ」
「ばーか、2人分作るのも3人分作るのも手間は変わらねえよ……ついでに言うと、基本的にあり合わせだから可愛いおかずがいいとかいう意見は即却下だ」
「そこまで図々しいことは言わないわよ…」
 しゃあしゃあとそんなことを言って箸を動かし始めた紗智の表情は一点の曇りもなく幸せそうだ。
「……じゃあ、尚兄ちゃんは何で遅刻したの?お父さんのお弁当作ったって事は時間の余裕があったって事でしょ?」
「そこが不思議なんだよな…」
 尚斗は納得がいかないように顎に手をあてた。
「……そういや、何でアンタがお弁当作ってるの?」
「…っ!」
「ああ、俺母親いないから……麻里絵?」
 ぎゅっと下唇を噛みしめて何かに脅えるように震えていた麻里絵が弾かれたように顔を上げた。
「な、何?」
「いや、大丈夫か?」
 麻里絵が尚斗の顔色を窺うようにじっと見つめてくる。
「何だよ?」
「尚兄ちゃん……」
「別に気にすることねえだろ。両親の揃ってない子供なんか腐るほどいるし……」
「……」
「どうしたんだよ?」
「……そっか、尚兄ちゃんはただ忘れただけだったんだね。許してくれたわけじゃないんだ」
 蚊の泣くようなか細い声で呟き、麻里絵は教室から飛び出していった。
「おい?」
 状況がつかめず途方に暮れる尚斗に向かって、紗智は申し訳なさそうに呟いた。
「……ごめん、私が無神経だった」
「いや、別に……」
 暗い雰囲気を追い払うように、紗智が箸を持った手を休めて尚斗を見た。
「そういや、今朝は2人揃って遅刻だったけど何かあったの?」
「ごくごく普通の時間に家を出た筈なんだが……学校についてみると遅刻だったというかなんというか」
 何気なく窓の方に視線を向けると、安寿と視線がぶつかる。
「……」
 尚斗は軽く首を振って、弁当を食べ始めた。
 その夜、尚斗は数年ぶりに亡き母の夢を見た。
 
 いつもより5分早く家を出たのに、学校に着いてみればまた遅刻だった。
 そして、再び少女と2人きり。
「何かお話ししませんか?」
「話したいことがあるなら教室で話せよ」
「邪魔が入らない今の方が都合がいいですから」
「……これでも無遅刻を貫いてたんだがな」
 ほんの少しだけ言葉に威圧感を滲ませた……が、安寿はそれを軽く受け流して微笑む。
「遅刻しないことが幸せなんですか?」
「……」
 安寿は尚斗から視線を逸らし、空を見上げた。
「幸せって、何でしょうね?」
「……さあな。ただ、それを口にした瞬間、嘘っぽいモノになるような気がする」
「メモしときますね…」
 安寿は心から感心したように頷き、懐からとりだした手帳に何やら書き込みながら呟く。
「忘却は神様の贈り物という格言がありますよね……」
「……楽しいことは良く覚えてるって言うけどな」
「でも、何かを忘れることで他の誰かを不幸にするなら本末転倒ですよね……」
「何が言いたい?」
 尚斗はこの見かけによらず詮索好きな少女を真っ正面から見据えた。しかし、安寿は尚斗をはぐらかすように空を見上げてぽつりと呟く。
「雪ですよ…」
「え?」
 ゆっくりと舞いおりてくる天からの白い使者……
『その冬最後の雪の一粒を手のひらで受け止めた人間には幸運が訪れるのよ……』
 懐かしい母の言葉が耳に甦る。
 ぱちん。
 目の前で安寿が手を叩き、尚斗は現実へと引き戻された。
 安寿は自分の髪の毛を指先でまさぐりながら、尚斗の視線を受け止める。
 最後の雪の一粒を手のひらで受け止めようとして走り回る2人の子供の姿……そして、それを見守る母。
 雪を追いかけることに夢中になって、道路に飛び出した女の子は麻里絵だった……
「お前……?」
「……麻里絵さんを許せるぐらいに強くなれましたか?」
「違うっ!」
 その声の激しさに、安寿はおろか尚斗自身も少し驚く。
「……」
「俺は……麻里絵を守れなかった自分が許せなかっただけだ」
 あの瞬間、立ちすくんでしまった自分の変わりに母が動いた……全ては自分が弱かったからだ。
 安寿の瞳が慈愛に満ちた深い色へと変化する。
「言葉にしないと、伝わらないモノもあるんですよ……」
 そして、安寿は尚斗の手を取ってゆっくりと広げさせた。
「今年最後の雪です……」
 少女の言葉に導かれるように、小さな雪の一粒が尚斗の手のひらの上に乗る。すぐに溶けてしまいそうな小さな粒。
「今日、麻里絵さんは学校を休んでます」
 安寿の身体の輪郭が少しぼやけて見えた。
「あの年の…」
「…?」
「あの年の最後の雪の一粒は麻里絵が手にしたのか?」
 尚斗の問いに対して、少女は静かに首を振った。
「……あなたの、お母さんです」
 そして、安寿の姿が目の前から消えると同時に尚斗の手のひらの雪もまた溶けて消えていった……
『麻里絵ちゃんと仲良くね、尚斗……』
 そんな母の囁きを耳にした気がして、尚斗は空を見上げた。
 
 
                     完
 
 
 ……こ、これを『チョコキス』のSSと主張することはさすがの高任も少し……いや、かなり……いや、めちゃめちゃ抵抗があります。(汗)
 前半部分はノリノリで書いてたんですが、一旦休憩を置き、疑問を感じてしまうともう駄目です。(笑)話の流れ云々よりも書き続けることができなくなりました。
 大分お話をカットしたせいで後半が不自然ですね、はい、自覚してます。
 

前のページに戻る