5年ぶりに再会を果たした幼なじみ……は、おいといて。(笑)
「尚斗っ、こっち」
「おう」
 尚斗は、人混みをかき分けるようにして紗智の元へとたどりついた。
「……噂には聞いてたが、すごい人だな」
「でしょぉ」
「確かにこれは、麻里絵を連れてくるわけにはいかないよなあ」
「まーねぇ」
 料理がうまいという事が才能なら、まずく作るのも才能である。
 そういう意味で、麻里絵の方向音痴というか、迷子になる才能は、確かに希有な才能といえた。
 
 それから一週間、春休みに突入したわけだが。
「……」
 ぷくっと、ふくれっ面をしてそっぽを向いている麻里絵を指さして、尚斗は紗智に尋ねた。
「どうしたんだ、あれ?」
「いや、この前の…なんか、妙な感じに話が伝わったみたいで」
「妙な感じって…」
 唐突に麻里絵は溜め息をつき。
「そうだよねえ…考えてみれば、5年も放ったらかしだったもん……幼なじみなんて、吹けば飛ぶようなつながりに過ぎないよね…」
「……なるほど、よくわからんが、ものすごく拗ねていることだけはわかった」
「ああ、うん…そうなんだけど…」
 と、紗智は曖昧に頷いた。
「どうした?」
「あ、いや…その…ね…先輩がさあ、卒業旅行でスキーに行くって話があってね」
「スキー?もう、春だぞ?」
「雪がありゃいいのよ」
「ああ、そりゃ北の方なら…そうか」
「……」
「……それで?」
「いや、ここまで話したんだから、察しなさいよ」
「え、それだけで…か?」
 と、尚斗が……おそるおそる、麻里絵を見た。
「私たちもスキーに行こう、尚斗君」
「……」
「……」
「だ、だからなんで、尚斗君も、紗智も、そんな微妙な表情を浮かべるの?」
 尚斗は溜め息をつき、首を振りながら麻里絵に近づいて。
「麻里絵、山をなめるな」
「あ、ずるい尚斗。それ、アタシが言いたかったのに」
「まあ、人生で1度は言ってみたい台詞だよな」
「そうよねえ、2度は多いけど」
 うんうん、と頷きあう尚斗と紗智に、麻里絵はかんしゃくを起こしたのか。
「雪山じゃなくてスキーだってばっ!」
「一緒だ、一緒」
「…そうよねえ」
 方向音痴、そして雪山。
 この2つが合体したら、もう大惨事しか想像できないと言うか。
 ただ、麻里絵だけは、それが想像できないと言うかわからないのだ。
「麻里絵、お前…子供の頃、ハイキングで山に登ったの覚えてるか?ほら、秋の〇〇山。みちろーの地区の子供会かなんかのイベントに、俺と麻里絵が混ぜてもらっただろ」
「あ、うん…覚えてるよ…ちゃんと」
 と、麻里絵は何故か恥ずかしげに頬を染めた。
「疲れて、動けなくなった私を…尚斗君がおぶってくれたの……尚斗君の背中、大きくて暖かかった…」
「こ、こいつ…ものすげー、都合のいいことしか覚えてやがらねえ…」
 尚斗とは別に、紗智は紗智で、こめかみを押さえてぶつぶつと呟いている。
「い、いまのだけでも、ツッコミどころ満載なんだけど」
「え、私…何か間違ってる?」
「そ、そこだけを採り上げるなら間違っちゃいないけどな、お前、何故そうなったのかの部分を、覚えてないのかよ?」
 尚斗の言葉にも、麻里絵は不思議そうに首を傾げるだけだ。
「いや、ふつー、大人が背負うでしょ…」
 と、これは紗智らしからぬ、控えめなツッコミである。
「……?」
 また、首を傾げる麻里絵に、紗智は溜め息をついて。
「……で、何があったの?」
「俺とみちろーはな、麻里絵の方向音痴をよくわかってたから、それぞれ麻里絵の右手と左手をがっちりと握ってたんだよ」
「あ、うん、それは何となく覚えてる……ふたりと手をつないで、山を登り始め……」
 微かに、麻里絵の目が泳いだ。
「え、いきなりやばいの?そこから?」
「そ、そそそ、そんなことないよう」
 麻里絵はぶんぶんと首を振り。
「えっと、山の紅葉がとても綺麗だったの、いい天気でね…」
 紗智が尚斗を見る。
「秋とはいえ、9月だったからな……紅葉なんて始まってもいなかった。たぶん、夕焼けと混同してると思うぞ、それ」
「こ、子供の頃の記憶だしっ。ほ、ほら、昔の記憶ってそんなモンだよね。な、尚斗君の記憶が間違っているって可能性だってあるんじゃないかな?」
「……まあ、百歩譲ってそれは認めてもいいが」
「だよね、だよねぇ…」
「じゃあ、手をつないでのぼり始めてどうなったのよ?」
「え……だから、いい天気で、紅葉が綺麗で……途中で疲れて動けなくなったから、私は、尚斗君におぶってもらって…そうだよ、家まで帰ったの」
「……」
 紗智が、ひどい頭痛をこらえるようにこめかみを押さえて。
「『尚斗におぶってもらって、家まで帰った』…って、それで間違いないの?」
「そ、そうだよ、ドアを開けて…お父さんとお母さんがでてきたもん…絶対ホント」
 尚斗は既によそを向いて、小さく口笛を吹き始めている。
「……じゃあ、〇〇山まで、どうやって行ったのよ」
「電車に決まってるじゃない」
「麻里絵、ちょっとはっきりさせようね。尚斗におぶわれて、山を下りたの?それとも、電車を降りてから、家まで尚斗に送ってもらったの?」
「……え?」
「それともう1つ……みちろーは、どこに行ったの?」
「え、みちろーくんは…みちろーくんは……みちろーくん…?」
 麻里絵が、ここでようやく不安そうに表情を浮かべて首を傾げた。
「ちょっ、ちょっと、ちょっと…」
 紗智が尚斗を見た……が、尚斗は何も言わずに、口笛を吹き続ける。
「尚斗?」
「とりあえず、みちろーの地区の子供会の秋の行事からハイキングはなくなった」
「あ、うん、そうなんでしょうね…」
「それは、洒落のつもりか?」
 
「麻里絵、お前、いいかげんに自覚しろ……お前は、ワールドクラスの方向音痴だ」
「え、そ、そんなことないよう…」
「……誉めてねえからな」
 と、尚斗は釘を刺し。
「お前、祭りの時も、花火の時も、遊びで遠出したときも、いっつもいっつも、俺やみちろーの手を離して迷子になりやがって、そこでじっとしてろって言っても、いっつもいっつもふらふら移動しやがって、ただの方向音痴じゃなく、迷った後の事態を悪化させる天才でもあるんだよ」
「お、大げさだよぅ…」
 麻里絵はちょっと口をとがらせて。
「いつも、尚斗君は、私を見つけてくれたじゃない……それって、そんな大した迷子じゃなかったって事だよね?」
 尚斗は、握りしめた拳をぷるぷる震わせながら、紗智に言った。
「紗智、こいつ殴っていいか?」
「……っていうか、ハイキングは、どこで迷子になってどこで見つけたのよ?」
 尚斗は溜め息をついて。
「山を登るも何も、こいつ、『トイレに行きたい』って、俺とみちろーの手を離して、駅のトイレに戻ったんだよ……戻ったって言っても、10メートルぐらいだぞ、10メートル」
「……あぁ、戻ってこなかったんだ」
「そ、そんなことないよう…私、ちゃんと山に登った記憶があるもん」
 麻里絵の反論に、尚斗は重々しく頷き。
「まあな、お前が山に登ったのは事実だ」
「ほら、やっぱり…」
 麻里絵が、どこか安堵したように呟いたのだが、紗智は軽やかにスルーした。
「っていうか、麻里絵の手を離した尚斗が悪いんじゃない?」
「トイレの中まで、ついていくわけにはいかねえだろ?」
「ああ、まあ…そりゃそうね…」
 ふっと、紗智は首を傾げ。
「いや、トイレの入り口で待ってたら何も問題は…」
「その時は気付かなかったが、トイレの入口は2カ所あった……なんつーか、通り抜け可能な構造というか」
「ああ…そう」
「この先は俺の想像なんだけど…まあ、たぶん間違ってないと思うけどな……トイレに入って、右側のドアを開けた。元に戻ろうと思って、ドアを開けて、右に曲がって出ていった」
「は?」
 紗智とは別の理由で、麻里絵は、首を傾げた。
「え、それって…なんか、間違ってるの?」
「……」
 紗智は、ものすごい勢いでこめかみのあたりを指先で揉みほぐしつつ、ぽつりと呟いた。
「そういえば、麻里絵って、トイレとか、教室とか、いきなり逆方向に向くことが多いわね…」
「え、ちょっと…右に曲がったんだから、右に曲がらないと元に戻れないよ…ね?」
「麻里絵、右の逆は?」
「左」
「……」
「……」
 紗智と、尚斗の、ものすっごい視線にさらされながら、それでも麻里絵はよくわかっていないようで。
「え、だって…ほら、こうやって…」
 麻里絵は、くるっと、右に半回転し。
「そして、もう一度右に…」
 くるっ。
「ほら、元通りじゃない……2人で、騙そうとしても騙されないんだから」
「麻里絵、もう一回右に回ってくれ」
「うん、いいけど…」
 麻里絵は今度も、『90度』ではなく、180度右に回転した。
「んじゃ、次は左に回ってくれ」
「……それだとまた背中を向いちゃうのに…」
 どうやら、紗智は尚斗ほどおおらかではなかったようで……諦めたとも言うが……癇癪を爆発させた。
「今アンタ、アタシたちに背中を向けてるでしょうがっ!」
 
「ここから先は、もう完全に俺の推測になるけどな、こいつ、自分が入ったのとは別の入り口から外に出て、『あれ、2人ともいない…うわ、私を置いて行っちゃったんだ…』などと、べそをかきながら、やみくもにコースから外れたところを登り始めたんだよ、たぶん」
「……」
 麻里絵の目が泳ぐ。
「今さら言っても仕方ないけどよ、俺はともかく、みちろーが、麻里絵を置いて先に行くわけねえだろう……残された連中、お前がいないって大騒ぎになって、結局あの日、山に登ったのは俺とお前だけなんだっつーの。しかも、道無き道をずんずん登っていったんだろ?ハイキングじゃなくて、あれは登山っていうんだ」
「う、うう…そ、そんなこと無いと思うんだけど…たぶん、騙されてる…」
「みちろーは、登らなかったの?」
「みちろーと、引率の大人は、駅周辺を探し回ってた……俺は、まあ……あの馬鹿、たぶん山に向かったなと…」
「あー、なるほど」
 紗智は、やたら平板な口調で呟き。
「今度は、尚斗がいなくなった…って、大騒ぎになったわけだ」
 尚斗は、そっぽを向いて口笛を吹き始めた。
「な、なんだ…な、尚斗君も、迷子だったんじゃない…」
 尚斗は口笛をやめ。
「紗智、俺、こいつを殴ってもいいと思うんだが」
「同情はするけど、いい思い出って事にしとけば?」
 
「と、いうわけで麻里絵……仮に俺達がスキーに出かけたとしよう」
「きっと、楽しいよ」
「この状況でまだ言うか、お前…」
「わ、私だって、もう、子供じゃないんだから、大丈夫だよ」
「子供じゃないから、余計に不安だっつーの」
 と、尚斗は頭を抱えて。
「そもそも、何度も痛い目にあったんだから、懲りないかふつー?」
「尚斗、尚斗」
 つんつん、と紗智が尚斗をつつく。
「なんだよ?」
「たぶんね、麻里絵は、痛い目にあってないの」
「はぁ?」
「いや、だから…みちろーなり、尚斗なり、そしてアタシがフォローしてきたから、麻里絵は、本当に、痛い目にはあって無いのよ、きっと」
「……」
「……」
 尚斗と紗智は、しばらく見つめ合った……が、尚斗は慌てて首を振り。
「いやいやいや、雪山はやべー。絶対やべー、最初で最後になりかねん」
「まー、そうなんだけど…」
「だ、だから、何で2人とも、私が迷子になるって前提で話を進めるの?」
「いや、慣れてる繁華街でさえ、道一本はずれただけで現在地を見失うじゃねえか、お前」
「だ、だから、見覚えのある場所までたどり着けば、大丈夫なのっ」
「初めて行くスキー場で、見覚えのある場所もへったくれもあるかよっ!」
「ほ、ホテルの前で…ゆきだるまと、かまくら作って遊ぶとか…」
「スキーじゃねえよ」
「や、アタシ…それでも、不安だわ」
「ちょっと、紗智…」
「麻里絵、アンタ修学旅行で、アタシにどれだけ迷惑かけたか、忘れたの?」
 今度は、麻里絵がそっぽを向いて口笛を吹き始めた。
「……アンタ達、そういうとこ、似てるわよね」
「都合が悪くなると、口笛吹いてごまかすのは、みちろーの得意技だったんだが」
「ああ…そうなんだ…」
「え、えーと…」
 麻里絵は、不自然な笑みを浮かべて。
「ス、スキーに行きたいかぁー!?」
 と、右手を突き上げた。
「のぉぉぉっ!」「アタシは勘弁」
「そうだよね、このチャンスを逃したら、次の冬までスキーなんてできないもん」
「むう、麻里絵のやつ、いつの間にスルー技能を身に付けやがった…」
「スルーに関しては、アンタもいい勝負だと思うわよ」
 尚斗は、ちょっと紗智の耳元に顔をよせ。
「ゲーセン連れて行って、スキーのゲームでもさせてうやむやにさせようぜ」
「スキーのゲーム?」
「ほら、体感ゲームで…なんかねえのか?」
「最近は、音楽メインだからね…」
 と、紗智が首を傾げた。
 
「見覚えのある場所なら大丈夫だったんじゃないのかっ!?」
「し、知らないわよ、そんなこと」
 尚斗が走る。
 紗智も走る。
 迷ってしまった麻里絵を探して。
「つーか、携帯。メール送れ」
「送ったけど、届かない」
「電波まで迷わせるのかよ、アイツ!」
「……魔性の女ね」
「うまいこと言ったつもりかっ?」
 
「紗智〜、尚斗くん〜、どこぉ〜?」
 ふらふらふら。
「だから、ちゃんとスキーに行く方がよいって言ったのに〜」
 自覚のないモノほど、恐ろしいことはない。
 
 
 
 
 別に高任は方向感覚に優れているわけではなりませんが、ひどい人間は本当にひどいですね。(笑)
 さっき右に曲がったから、右に曲がらないと元に戻れない……は、実話というか、実際のコメントです。
 たぶん、頭の中が迷路になっているんでしょう。

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