「美人は3日で飽きる、何てことを言った奴は馬鹿だな」
「……否定はしないが、えっちなDVDのパッケージを見つめながら、吐く言葉じゃないぞ、宮坂」
「断言しよう。あと2週間はネタに困らないと」
「死ね。生き返ったあとで、もう一度死ね」
「はっはっはっ、男子校だと、周囲にはばかり無くこういう会話が出来るからいいよなあ…」
「いや、ちょっとははばかれよ、お前」
 と、尚斗は顔をしかめたが……この男子校においては、むしろ尚斗は良識派に属する。
「そんなにすげえのか?」
「エロイのか?」
 などと、男子連中が宮坂の周囲に集まり、その結果、尚斗ははじき出された。
 やれやれ、と肩をすくめ、尚斗が窓の外へと視線を投げた。
 1月の大雪、そして2月のバレンタイン……あれから数ヶ月、季節は夏へと移り変わっている。
「てめっ、俺にも貸せっつってんだよ、宮坂」
「馬鹿野郎、俺が先だ」
 思春期の少年にしか理解できない理由で、殴り合いが始まる……いや、思春期の少年でも理解できない理由かも知れないが。(笑)
 尚斗はため息をつき。
「あれは、夢だな…うん、間違いねえ」
 右を見ても左を見ても、むさい男子生徒しかいない。
 教師も全員男。
 束の間とはいえ、良い夢が見られた……と、満足すべきなのか。
 否、断じて否っ……と、宮坂の馬鹿なら盛り上がれるだろうし、かつての自分なら同じように盛り上がる事が出来ただろう。
「……なんだかなあ」
 と、尚斗は頭の後ろで手を組み、椅子の背もたれに身体を預けた。
 5年ぶりに再会した麻里絵とは、ちょくちょく連絡を交わす程度に交誼が復活し、それに伴い、紗智という女友達も得たと言える。
 そういう意味では、女っ気がない……わけでもない?
 これは、人生において大きな一歩と言えないだろうか。
「……歩いてねーし」
 状況の改善は見られるが、自分が何かをやり遂げた結果、そうなったわけではない。
 麻里絵にも、紗智にも、自分が何かをした、何らかの努力をした……という実感が尚斗にはない。
 尚斗が、あの夢のような一ヶ月の間何をしていたかというと…。
「いや、何もしてねーんだけど」
 
 感謝の言葉を耳に、柔らかな唇の感触を頬に残して……彼女は去った。
 
「つーか、メアドぐらい、聞いとけよ、俺…」
 ため息混じりの呟き……は、半分本気で半分が嘘だ。
 彼女は、尚斗の幼なじみである麻里絵の先輩であり、部活の上でも先輩後輩の間柄だったのだから、麻里絵に聞けばそのぐらいはすぐにわかるはずで。
 まあ、素直に教えてくれるかどうかはともかく。
 最初の一ヶ月は、同じく幼なじみであるみちろーとの別れもあって、麻里絵に対する遠慮というか気兼ねがそれをさせなかった。
 次の一ヶ月は、少女が尚斗にそれを教えなかった……という事実に、ひたすら躊躇いを覚えた。
 気がつけば、自分は3年になり、少女はとっくに卒業して、新しい生活に馴染もうとしているに違いない、と。
 前に進むための努力ではなく、自分を引き留めるだけの理由を、こつこつと積み上げてきた。
 それにしても、頭の中で、ただ考えただけのこと。
「有崎ぃ、助けてくれぇ」
「うっせえ。得意そうに見せびらかすからだ」
 と、尚斗は宮坂を突き飛ばす。
「あ、ああぁぁ…俺の、俺のぉぉぉ…」
 いくら宮坂が変態じみた能力を持っていても、多勢に無勢である。
 あのDVDが、今夜誰の元で、束の間の幸福と、むなしさ(笑)を与えるのか、尚斗には全く興味がなかった。
 
「……ったく、最近付き合い悪いよな、有崎は」
「八つ当たりはよせ」
「八つ当たり?」
 何言ってンだ、という表情で、宮坂が首をかしげる。
「結局、奪われたんだろ?」
「くっくっくっ…」
 宮坂は邪悪な笑みを浮かべ。
「おいおい、あれは餌に決まってんだろ?」
「は?」
「まあ、最初は有崎を引っかけようと思ってたんだがな……あれ、本物なのは、パッケージだけだぜ?」
「……じゃ、あれは?」
 宮坂は、口元を押さえて。
「いやあ、あのDVDが、明日からあいつらの手から手へと回っていくんだろうなあ…」
「……定番で、大相撲ってとこか」
「いんや、男子アマレス」
「……なるほど」
 自分だけが騙されるのは我慢ならない、と、そのDVDは宮坂のもくろみ通り、男子生徒の間を彷徨って行くに違いない。
「いやあ、わざわざオリジナルをコピーしたDVDに、いかがわしい映像にレタリング文字を合成してレーベルに焼き付けるのには苦労したぜ」
「……お前、すげえな」
「お褒めにあずかり、恐悦至極」
「褒めてねえ、と言いたいところだがな……すげえわ、ホント」
「はっはっはっ」
 宮坂は肩を振るわせて笑うと。
「俺も有崎も、二枚目を気取るだけ無駄だろ?精々三枚目なんだからさ」
「……何が言いたい?」
「誰を狙ってるんだがしらねえが、格好良く口説くなんて無理だぜ?ドカーンとぶち当たって、ドカーンと散って……その姿に、笑いと憐憫を生じさせて、同情をひき、一歩前進……違うか?」
「……本音は?」
「見事に振られて、真っ暗な部屋で膝を抱えてろ」
「はっはっはっ」
「はっはっはっ」
 尚斗と宮坂の笑いが途切れた瞬間、夕日をバックにした2人の右拳が初夏の風を引き裂いた。
 
「……野郎、いいパンチしてやがる」
 苦痛をかみ殺しつつ夕飯を食ったが、明日は腫れて、母親の目にとまるだろう。
 当てずっぽうではなく、最近の様子から感じるモノがあったのだろう……宮坂の言葉は、パンチ以上に効いていた。
「さて…」
 尚斗はベッドの上で身を起こし、本棚から1冊の写真集を手に取った。
 ベッドの敷板の裏に作った収納スペース、机の引き出しに仕組んだ二重底、天井裏……などに分散して保管してあるお宝グッズは、若さ故の過ちというか、若さ故の必然と言えようが、この写真集は、精々グラビア未満という内容もあって、尚斗は堂々と本棚においている。
 保管用のもう一冊は、中学校の卒業アルバムの表紙をカラーコピーし、それを貼り付けた上できちんとカバーをかぶせて押し入れに。(笑)
 スポーツ、文芸など、各分野でこれからの飛躍が期待される少女達を被写体に……といえばあれだが、打診された人間の半分以上が断ったのも、無理はない。
「つーか、マジすんません、冴子先輩」
 と、頭を下げてから、尚斗はページをめくる。
 それがチャンスなら、やるべきでしょう……などと、尚斗の言葉を冴子がどれだけ頼りにしたかは不明だが、尚斗から見て、この写真集がチャンスになるとは思えなかったからだ。
 その写真集は既に開き癖がついていて、過たず、冴子のページが開く。
 一応、他のページも目を通したのだが、尚斗はもはやそこに何の価値も見いだしていなかった。
 高校在学中に賞を取った文学少女に、ひらひらの服を着せて花束を抱えさせたり、次のオリンピックでメダルが期待される水泳選手に料理をさせたり……正直、この写真集のコンセプトが尚斗には理解できない上に、なんというかまあ……一言で言うと、冴子はとびぬけて美人だった。(笑)
 髪を下ろした冴子が、尚斗の想像以上に長かった髪を風になびかせながら、カメラを構えて何かを狙っている写真から始まる。
 クレープを片手に、こちらを……カメラのレンズを見つめる冴子の表情は、何度見ても尚斗は慣れそうにない。
『男の子の視線をね、知りたいと思ったの』
 挑むような、それでいて何か悪戯を考えているようなその瞳は……はたして、自分とのやりとりで学んだモノなのか。
 あの時、冴子は……同じような瞳で、尚斗を見ていた。
 もちろん、尚斗は自分を過大評価していないし、冴子の非凡さを認めている。
 いわゆる、『男の子の視線』を知るために、尚斗は冴子に選ばれた……とすると、尚斗に求められたモノ、もしくは冴子が尚斗に求めたモノ、それは『普通の男の子』という事ではあるまいか。
 尚斗なりに、そういうことを考えたりしているのだ。
 つまり、あの時の冴子は『普通』を求めたが、恋愛対象に『普通』を求めるかどうかというと、それは多分、おそらく、いや絶対に違うだろう。
 ……思考停止、再起動まで数分。
 ぺらり。
 ガッツポーズと共に、『ナイスバディっ!』と叫んでしまいそうな……実際、最初はそうしてしまったのだが、水着着用のスナップ。
「……綺麗だよな」
 スーパー賢者タイムに突入することなく、尚斗がごく自然にそう呟くようになったのは、この写真集を買ってから、1週間ほど経過してからだっただろうか。
 断っておくが、飽きたという理由では決してない。
 ぺらり。ぱらり。
 最後の写真では、冴子がドアを開けて、明るい戸外に向かって一歩踏み出そうとしているシーン。
 他の人間はさておき、冴子だけが写真集の建前というかコンセプトに忠実である。
 外に向かって踏み出そうとしていながら、冴子の視線はまっすぐ外に向けられていない……カメラのレンズに向かって横顔を、微かにのぞく瞳が、不安をあらわしているようで、芸術なんてモノとはほど遠い尚斗をして、その構図の意味について考えさせられた。
「……」
 写真集を閉じ、尚斗は再び頭を下げて……それを本棚に戻した。
 正直なところ、自分のこの日課はかなりやばいのではないかと尚斗は思ってはいるのだが、どうもやめられそうにない。
「……寝るか」
 
 そしてまた、夜が明ける。
 
「いやあ、すげえぜ、これは」
「そ、そんなにか…」
 などと、宮坂のもくろみ通り、例のDVDは放浪を開始。
「おう、しけた面してんな、有崎」
「いつも通りだ」
 宮坂はちょっと口元を歪め。
「……貸してやろうか?」
「他の奴に貸してやれ」
 尚斗の断りの言葉が、強がりではないことに気付いたのか、宮坂は肩をすくめて離れていった。
 『性欲を失ったら、男は終わりである』などと、何かの本で読んだ言葉が、尚斗の頭の中で回転する。
「あー、まじでやべえかもな…」
 尚斗はそう呟き、最後にシタのがいつだったか考えて……慌てて立ち上がった。
 健康な青少年として疑問を感じたというか、記憶にないほどご無沙汰だったというか……それでいて朝こっそりと洗濯せずにすんでいるあたり、自分の身体が変調を来しているのではないかという恐れにとらわれたからだ。
 
 そして夜。
 
「つーか、マジすんません、冴子先輩」
 昨夜と同じ言葉ではあるが、意味合いは別の謝罪(笑)をして……尚斗は写真集を開いた。
「……やっぱ、綺麗だよな」
 なのに、尚斗は心が穏やかになってしまう自分に気付いてしまう。
「いや、そうじゃなくてっ」
 結局、尚斗は天井裏に保管してあったお宝を引っ張り出し、なんとか事に及んだ。
 そして、空しさだけが残った。
 
「麻里絵、頼みがある」
「土下座」
「え?」
「土下座してみて」
 と、麻里絵が地面を指さす。
「麻里絵……だよな?」
 知らないうちに、異星人が幼なじみになりすましたのではないか……そんな疑問を表情に浮かべた尚斗に向かって、麻里絵は再度地面を指さし、それを要求した。
「えーと…」
 顔色を窺う尚斗を見て、麻里絵は『ダメだ、わかってない』という表情を浮かべ。
「5年ほったらかしにされたって、怒ったよね、私。覚えてない?」
「あ、いや、覚えてる」
「私からのメールに返事はよこすけど、尚斗君からメールはよこさないよね。当然、顔も見せないし」
「そりゃ…別に、用事もないし…」
「へえぇ」
 麻里絵は、一歩近づき。
「それでいきなり会いに来て、『頼みがある』って言った?ねえ、そう言った?」
「……」
「『元気か?』とか、『久しぶり』の一言もなく、『頼みがある』なの?」
 尚斗は、膝をつき土下座をした。
「申し訳ありませんでした、麻里絵さん」
「……」
「みちろーと別れることになったと紗智から聞いたもので、俺が顔を出すと反対に麻里絵の気が晴れないんじゃないかと思って、極力連絡を控えていました」
「……気の回しすぎ」
「今後の糧にします」
「……よろしい」
 ようやく許しを得て、尚斗は顔を上げた。
「それで、吹っ切れたのか?」
「嫌いになって別れたわけじゃないもん」
 そんな簡単にはいかないよ……と、おそらくは麻里絵がのみこんだ言葉を、尚斗は受け取り。
「まあ、紗智が色々気を回して、遊びに連れ出してる…そんなとこか」
「……紗智とは、会ってるんだ」
「会ってるというか、会う」
「……?」
「この辺りで遊ぶなら、繁華街だろ……ゲーセン、映画……そりゃ、出会うだろ」
「あ、なるほど」
 と、納得したのか、麻里絵が頷いた。
「もう、いつまでも座ってないでよ、尚斗君」
「あ、ああ…」
 麻里絵に手を引かれ、尚斗は立ち上がった。
「あーあ、汚れちゃった…」
 ぱんぱんと、膝の辺りをはたく麻里絵に向かって。
「誰のせいだよ、誰の…」
 ぎろり。
「……俺のせいです。はたいていただいてありがとうございます」
 表面は穏やかに見えても、今の麻里絵は活火山なのだ……と尚斗は肝に銘じた。
「さて…」
 麻里絵は、ちらりと尚斗を見て。
「頼みって、何?」
 さりげなく、と心の中で呟いてから。
「いや、ちょっと冴子先輩と連絡が取りたくなってな、麻里絵ならメアドを…」
「他人の連絡先を、勝手に教えるのはマナー違反です」
「……仰るとおりでございます」
 ぐうの音も出ないほど正論だ。
 正論なのだが……何故だろう、麻里絵の表情に、どこかからかうような気配がある。
「私から伝えてもいいけど」
「えーと、出来れば直接…」
「ダメ。冴子先輩の許可もないのに、いくら尚斗君でも、私が勝手にそれを教えるのはいけないよ」
「確かに、その通り」
「悪いけど、諦めて」
「……むう」
「私から伝えるか、諦めるかの二択」
「いや、自力で何とかするかの三択だな」
「自力って…」
「冴子先輩、内部進学で大学だろ?まあ、1週間も張り込めば…」
「不審人物として、警察に捕まると思う…」
「むう…」
「と、いうか…なんでそこまで直接連絡を取ることにこだわるの?」
 尚斗は麻里絵を見て……ため息をついた。
「麻里絵、幼なじみに対して隠し事は良くない」
「うん、そうだね」
 あ、麻里絵の奴、精神的に余裕がありやがる……と見極めて。
「だー、ちくしょう、わかったよ」
 尚斗は、再び土下座し。
「冴子先輩に会いたい」
「うん、でもそれは尚斗君の一方的な感情だよね。冴子先輩がそう思ってなかったら、ただの嫌がらせにしかならないよ、それって」
「……」
「……尚斗君」
「そりゃそーだ」
「……気付いてなかったんだ」
「いや、なんつーか、会えなくなってからこう、じわじわ来てな。正直、今の俺はやばいぐらい、結構おかしい」
「じわじわ来ちゃったんだ…」
「笑うなよ、マジなんだよ…」
「笑いはしないけど…」
 と、麻里絵は一旦言葉を切り。
「ちょっと妬けちゃう」
「……」
「まあ、5年も放置された幼なじみとしては、そんなに必死になってる尚斗君を見ると、ちょっと複雑って話」
「わかった、もう聞かない」
「あ、怒った?」
「いや」
 尚斗は首を振り、立ち上がった。
「えーと、あれだ…麻里絵に聞くのは、デリカシーがないって事だろ、悪かった」
「あはは、ちょっと違うような気もするけど…」
「幼なじみとは言え、自分の事だもんな……自分で何とかするわ」
「うわ、ちょっと責められてる…」
「麻里絵は、女だからいいんだ」
「今度は女性蔑視発言…」
「麻里絵、笑わせてやろうか?」
「え?」
 尚斗は、歯を見せて笑い。
「実は、これが初恋みたいだ、俺」
 麻里絵は、笑わなかった。
 少し、困ったように俯いて。
「それは、かなり遅い方だね」
「おお、高校生にもなって恥ずかしくて誰にも言えねえっての……つーか、麻里絵が顔を背けそうな、えっちなDVDとかさんざん見てるってのに」
 麻里絵が苦笑いを浮かべた。
「あはは……」
「んじゃ、警察沙汰を起こさない程度に、色々あがいてみる」
「……初恋は実らない事が多いらしいけど、頑張ってね」
「さんきゅ」
 尚斗が去ったあと、麻里絵は複雑な表情を浮かべたまま、ぽつりと呟いた。
「尚にーちゃんの、馬鹿」
 
 さて、自分で何とかすると宣言したからには、宮坂の馬鹿をあんパンで雇うわけにいかず、尚斗はしばらく、端から見れば徒労の繰り返しとしか思えない日々を過ごした。
 大学の正門での待ち伏せはおろか、女子大生のおねーさまに声をかけ、冴子のことを聞く、などということまでやったのだが、どうやら冴子はほとんど大学には顔を出していないのか、尚斗が声をかけた限りで、冴子のことを知っている人間はいなかった。
 
 以前と同じような日々。
 ただ、何もしなかったのではなく、色々したけど、何の結果も得られなかったという、違いはあるのだが。
 河原に吹く夕暮れの風が、ほのかに秋の訪れを告げている。
「……むう、高3の夏休みは人生一度きりだというのに、あとわずかか…」
「……留年したら、もう一回だよ」
 呆れたように。
 背後から近づいたそれはため息をつき、尚斗の隣に腰を下ろした。
「いや、出席日数は大丈夫だ」
「……3ヶ月ぶりだよ」
「久しぶりだな、麻里絵」
「そうだね…」
「……えーと、偶然か?」
「……『馬鹿が河原で黄昏れてるから、行ってこい』って、紗智が教えてくれた」
「……」
「花火大会も、お祭りも終わっちゃったよ…」
「紗智と、いかなかったのか?」
「……尚斗君に、誘って欲しかったの」
 しばらく沈黙が2人を包み込んだ。
「……何か言ってよ」
 沈黙に耐えかねたのか、ぽつりと、麻里絵が呟く。
「何を言っても、麻里絵を傷つけるだけ…って気がしてな」
「……1つ、わかったことがあるよ」
「何だよ」
「あのね……毎日顔をあわせるよりも、会わない方が育っちゃう」
「……」
「……どういう意味だ、なんて言わないでね」
「なんつーか、育つのはともかく、麻里絵の中に芽が出た経緯が、良くわからん」
「勝手に生えちゃうの」
 どこか照れたような、麻里絵の言葉。
「勝手に生えて、勝手に育つけど……種を植えたのは、尚にーちゃんだよ」
「植えた覚えもないんだが…」
「怒るよ」
「俺は、冴子先輩に種を植えられたって感じじゃないんだけどな」
「……」
「自分で種を植えて、まあ、芽が出て、育った……つーか、すげー会いたいし、顔が見たいし、声が聞きたいし、元気かなあって、心配もするし……あわよくばって言うか、ちょっとばかりえっちな気持ちもある」
「……正直に、言い過ぎだよ、それ…」
 尚斗の隣で、麻里絵がちょっと笑った。
「……ちょっと、嫌な話をしていい?」
「ん」
 いいとも悪いともつかない、曖昧な返事を尚斗はした。
「……生えたのは、ずっと昔だよ」
「……」
「ずっと、枯れなかったの……みちろーくんと、付き合ってる間も」
「嫌な話って言うか、難しい話だな、それ」
「……」
「麻里絵が話したいなら、俺は聞く。ちゃんと聞いてやる」
「ごめんね」
「何が?」
「私、冴子先輩の連絡先、わからない」
 ここでようやく、尚斗は麻里絵を見た。
「そうなのか?」
「正確に言うと、今の連絡先がわからないの……卒業したあと、携帯とか、全部新しいのに変えちゃったのかも」
「……住所は?」
「写真部の他の子から聞いたんだけど、なんか引っ越したみたい」
「むう」
「……本当を言うと、どの大学に入ったのか、進学しなかったのかもわからない」
「……」
「だから、ごめんね…」
「よーするに、マナー違反も何も、情報がなかったと」
「……ごめん」
「なるほど…それはそれで、すっきりするな」
「……怒らないね」
「怒っても仕方ねえじゃん……つーか、引っ越しやら連絡先変更って、冴子先輩に何があったんだって、心配になっちまう」
「……」
「……どうした?」
「尚斗君…強いね」
「違う、馬鹿なだけ」
「あはは…じゃあ、強い馬鹿」
「……」
「……怒った?」
「いや」
 尚斗は首を振り……麻里絵に向かって頭を下げた。
「悪かったな、麻里絵」
「え?」
 麻里絵は一瞬きょとんとし。
「な、なになになに、いきなりなに?」
「いやあ、なんつーか…」
 尚斗は、ちょっと目を逸らし。
「知り合いを6人たどれば、日本人全員カバーできるって話、聞いたこと無いか?」
「うん、そう言うね」
「人と人とのつながりって、すげえよなあ」
 麻里絵が、尚斗の横顔を見つめた。
「麻里絵に向かって、『自分で何とかする』って宣言しちまったからな……なんつーか、3ヶ月ばかり、闇雲に冴子先輩を捜し回ってそう思った」
「……」
「まあ、今連絡先がわからないのはおいといて…俺の幼なじみの麻里絵がいて、その先輩が冴子先輩じゃん」
「うん…」
「たかだか、知り合い1人分抜けただけで、どうしようもなくなるんだぜ?」
「……」
「麻理絵は怒るだろうけどな、正直に言うと……麻里絵に5年ぶりに会って、5年ぶりって事を麻里絵に責められて謝りはしたけど、あんまりピンと来なかった」
 麻里絵は、何も言わず、ただ尚斗の横顔を見つめていた。
「会うときは会うし、会えないときは会えない。学校が変われば、新しい連中と出会うし、一部を除いて古い連中とは別れていく……偶然って言うか、人の縁ってそんなもんかなと思ってたんだ」
「……薄情者だね」
「まったくだ」
 と、尚斗が笑う。
 その、尚斗の笑いを見つめる麻里絵の目元が、何故か優しい。
「人と人が出会うのって、本当はすごいことなんだよな……そう思ったら、麻里絵やみちろーに、謝らなきゃって思ったんだ」
「……うん」
「だから、その…悪かった、麻里絵」
「うん、私は許すよ…尚斗君」
 目を閉じ、小さく頷いて……麻里絵は笑った。
「じゃあ、頑張らないと」
「え?」
「冴子先輩に出会ったんだもんね、尚斗君は」
「おう」
「まあ、冴子先輩が、尚斗君を相手にするかどうかは別の話だけど」
「それは考えないことにしてる」
「あはは」
 少し笑って、麻里絵は立ち上がった。
 夕日に目をくれてから、明るく。
「じゃあ、私は帰るね」
「おお。久しぶりに話せて楽しかった」
「あはは……たまには、メールしてね」
「おう、なんか面白いことがあったら、速攻で教えてやる」
「……面白くなくてもいいから」
 そう言い残して、麻里絵は去った。
 
「……俺たちの卒業とほぼ同時に、新校舎が完成するってのもむかつくよな」
「まあな」
 夏は暑く、冬は寒い……季節感を感じ取れるプレハブ校舎が、自分たちの学年にとっては学舎となるのか。
 大雪に押しつぶされた木造校舎と違って、プレハブ校舎はただ取り壊されるだけだ。
「ところで有崎」
「ん?」
「お前、本気で写真の道に進むのか?」
「そのつもりだが」
「……あれか、エロ雑誌の編集に潜り込んで…」
「多少動機が不純なのは確かだし、それに興味がないとは言わんが、そこにたどり着くのも、なかなか苦労が多いらしい」
「その時は声をかけてくれ、親友」
「終わったあとで自慢してやるよ、親友」
 尚斗と宮坂は、しばし見つめ合い……笑いあった。
「元気でな」
「ああ、お前も…」
 手をあげ、背を向ける。
「さて…」
 聞けば、というか、年明けから某カメラマンの助手の助手のような所に潜り込むことに成功して、骨身にしみているのだが、この世界もいわゆる年功序列というものが激しい。
 早い話、巨匠が必要以上に幅をきかせる世界であり、カメラという機材の性能が上がったことも含めて、若手カメラマンは仕事そのものが与えられない。
 あの時の、冴子の『チャンス』という言葉の本当の意味を、尚斗はようやく実感しつつある。
 ついでに言うと、収入はバイト頼みになる。
 カメラマンの助手、で食っていけるような世界ではないし、そもそも、助手についた先生が業界でどれだけの地位にいるか……が、より重要だったりする。
 出版社への顔つなぎと、技術面で盗めるだけ盗む為の手段……と割り切るぐらいでちょうどいいのだろう、と尚斗でさえ見切った。
 何となくだが、冴子は日本を出て行ったのではないか……尚斗にはそんな予感がある。
 かつて、日本および世界のカメラマンが戦場へと殺到した時代があった。
 日本で初めて戦場カメラマンとして名をあげた人間は、最初カメラのフィルムの交換の仕方を知らなかったという伝説を持つ。
 まあ、『フィルム交換の仕方は知らなくとも、レンズを何に向けたらいいかは知っている』という言葉は、事実の全てではないにしても、当時の状況の一端を示すのではないだろうか。
 
 5年後、10年後……いつかどこかで。
 少し呆れたように、『馬鹿ね…』と笑いかけてもらえる、そんな日を目指して、尚斗は歩き始める。
 
 
 
 
 おおおおーいっ。(笑)
 冴子でてこねえよ。
 いや、思い出しながら同じ話を書き直すのが、嫌になったんだもん。
 まあ、こういう毛色の違った話があってもいいでしょう……というか、こういう話を混ぜないと、同じような話ばっかりになるじゃねえかよ、などと、言い訳を並べてみよう。
 
 まあ、カメラマンの世界は大変らしいです…年功序列とか。
 『フォトジェニック』で何か書こう、と、カメラマンについて色々調べたのが、もう10年以上前のことなんですね。
 無駄になるかと思えた知識が、どこかで生きる……いや、無駄にしたくない?(笑)
 
 つーか、冴子と言うより、麻里絵のお話と言われても…。

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