「尚斗さーん」
とととと…。
ととと…。
とと…。
テンポがゆっくりだから、ではなく、単に運動が苦手なだけでは無かろうか……そんな疑問を感じ始めた頃に、ようやく、御子が尚斗の元にたどり着いた。
「おはよう、御子ちゃん」
「おはようございます…」
ぺこり……頭を上げ、花開くような笑顔で。
「尚斗さん」
この子の笑顔って、ホントに威力あるよな……と、尚斗もまた笑顔に。
「うん、おはよう」
「はい」
冷静に考えると、御子との会話はくどいような気がする。
でもそれが自然というか……ただの挨拶にすぎないやりとりが、きちんと向かい合った会話を交わしている……そんな気にさせられるのだ。
「あれ…?」
「…ぁ」
尚斗の視線に気付いて、御子が恥ずかしげにそれを身体の後ろに隠す。
ああ、さっきのゆっくりな走りは、この大荷物のせいか、と。
「随分と、大荷物だね」
「は、はい」
「……」
キャッチボール不成立。(笑)
でもそれは、自分の質問の仕方が悪かったと、尚斗はちょっと考え。
「俺が持とうか?」
「い、いえ…これは私が持ちます」
「そう…まあ、これからちょっと歩くから、じわじわくると思うけど、重くなったら言ってよ。俺が持つから」
「はい、ありがとうございます」
にこ。
あ、何を言われようと絶対に自分で持つつもりだ……と、その笑顔から尚斗は悟った。
「……いい天気になって良かったね」
「はい」
「まあ、冬の場合、晴れると朝が冷え込んじゃうのがつらいけど」
「そうですね」
御子はちょっと笑って。
「でも、起きて顔を洗うと、もうすぐ春だなって感じます」
「ああ、確かに…」
尚斗はちょっと苦笑して。
「水が冷たいのは嫌なんだけど、全部嫌かって言うとそうでもないないんだよなあ…」
「身が引き締まります」
「そうそう、そんな感じ……ねーちゃんとか、母ちゃんは、温水器使うんだけどさ、俺はやっぱ水だね」
「はい」
にこにこ。
ここで『はい』と言われると、やっぱり会話が切れちゃうんだけどな、と思いつつも、尚斗の顔は自然にほころんでしまう。
元々、口数が多くないというより、むしろ口下手に分類されるであろう御子が、何を考えているか、何を思っているか……そういうことを考えるのを尚斗は楽しんでいる。
御子のことをもっと良く知りたがっている……と、尚斗は自覚していたが、何故もっとよく知りたがっているのかについては、どこか曖昧に目を背けていることに気付いてはいない。
「じゃ、そろそろ行こうか」
「はい」
すっ、と尚斗が差し出した手を、御子が取る。
慣れたのは動作だけ。
握りしめると壊れてしまいそうな、小さくて柔らかい御子の手。
精一杯に優しく、それでいてふとした拍子に離れてしまわないように……そんな絶妙の力加減を模索するのに、どれだけ神経を使うことか。
そこに神経を使っている分、尚斗は、『手をつなぐこと』に対して、御子がどう思っているかについて、思いをはせることが出来ないでいたのだが……それを責めるのは酷だろう。
「……」
「……え、えっと…」
もじもじ。
お昼が近づくにつれて、御子がそわそわし始めた。
いや、そわそわというか、微妙に挙動不審?
「あ、あの…私の顔に、何か…ついているんでしょうか?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど」
この、微妙に挙動不審の御子を、尚斗は知っていた。
いや、今回もそう、と決めつけるのは良くないが……可能性は極めて高い、という風に警戒してしまうのも無理はない。
最初は、『頭撫で』だった。
先々週の日曜日、今と同じように尚斗と御子は2人で遊びに出かけ………まあ、色々あって、それが初めてだったというわけでもないのに、その日に限って、尚斗に頭を撫でられると、御子は身体を硬くして……視線を右に左に泳がせ、頬のあたりをぼうっと染めて、小声でぶつぶつと何かを呟きだし、やがて、目をつぶり、くっと背伸びして、唇をちょっと突き出すという姿勢を取ったのだ。
それから、約30分。
御子からようやくに聞き出すことが出来たのが、次の言葉。
『あ、あの…男の人が、頭を撫でるのは…その、キ、キスをしてもいいかっていう、意思表示だと…聞いたんです…』
そして先週は、というと。
『…おにいさま』
これは、尚斗の精神力を褒めるべきと言うより、御子のそれがあまりにも唐突だったというか、今と同じように挙動不審な姿を見せられたあげくの発言では、先に心配する気持ちが立つのも無理が無かろうというモノだ。
『い、いえ、男の方はその…こういう呼ばれ方をする事に、憧れていると…聞いて…』
一体、誰に……という質問に対し、御子は口を割ろうとしなかった。
さて、今日は一体何が出るのか……と、尚斗は空へと視線を向け。
『…つーか、今日こそは、誰が御子ちゃんに妙なことを吹き込んでるのか、突き止めねえとな…』
と、覚悟を決めた。
「あ、あの…」
視線を、空から御子へ。
「ん、何、御子ちゃん」
「そ、そろそろ…お昼にしませんか?」
違う意味で、ピンと来た。
「あ、ひょっとして…その荷物」
「……はい」
御子が、恥ずかしげに頷く。
「…ってことは、御子ちゃんが作ってくれたんだよね」
こく。
「その…未熟で申し訳ないとは思ったのですが…尚斗さんに食べていただけたら…いいなあって思ったら…その」
「未熟だなんてとんでもないよ御子ちゃん。弥生から聞いてるぜ、御子ちゃんの料理の腕は……」
尚斗が気がついたとき、御子は顔を真っ赤にして、ただでさえ小さい身体をさらに小さくしていたり。
「……御子ちゃんは、もっと自分に自信を持ってもいいと思うんだけどな」
呟きにも似た、尚斗の言葉に……御子は、何も応えなかった。
日当たりが良く、風が吹き抜けない場所に、レジャーシートを敷く。
「……御子ちゃん、寒くない?大丈夫?」
「はい」
「ん、と…じゃあ…」
あぐらで座ろうとしたが、御子が正座しているのを見て、尚斗もあらためて正座に。
「あの、尚斗さん…足をくずしてください」
「あ、いや…でも」
「慣れない座り方では、その、お食事を楽しむことが出来ないと…思うんです」
「あ、うん、そーだね…じゃ、ちょっと失礼して」
と、尚斗はあぐらに。
それを確かめると、御子はにこっと微笑み……食事の準備を始めた。
まずは5段に重ねた重箱を自分の横に置き、おしぼり、小皿、箸、などの小物から場に並べていく。
てきぱきと、という表現はふさわしくないが、流れるように動く、御子の動作は一つ一つが美しい。
尚斗は、御子の姿に半ば見とれつつも、楽しんでいたのだが。
「あ、も、もうすぐですから…」
と、御子が尚斗の視線を意識してしまう。
「いや、焦らなくても…」
一度意識してしまえば、先ほどまでの美しい仕草は失われ、どこかぎこちなく、リズムそのものも狂った感じになり。
「……ぁ」
上から3段目の重箱が、御子の手から滑って落下。
ごとっ。
「……」
「……」
じわ。
「だ、大丈夫、大丈夫だからっ、御子ちゃん」
御子が取り落としたお重を脇に寄せ、こぼれたおかずを紙皿に拾い集めて……その1つを指でつまんで口に入れた。
「あ、そんな…」
「うん、美味いよ、御子ちゃん」
それは決して、お世辞ではない。
でも御子は、それを尚斗の優しさと受け取ってしまうのだろう。
「……失礼しました」
頭を下げ、残りの重箱を場に並べると、尚斗が脇に避けた重箱と、紙皿に集めたおかずを持って、御子はすっと後ろを向いた。
「(…3秒ルール、とか言っても通じないんだろうなあ…)」
こういうとき、御子にどういう言葉をかけてやればいいのか……尚斗は尚斗で、自分の至らなさを反省したりしているのだが、おそらく御子の反省は、自分の想像を絶したレベルで行われるんだろうなあ、ほんの少しでも気持ちを楽にしてあげたいよなあ……と、思いをはせる。
やがて、処理を済ませたのか、御子は尚斗に向き直り。
「じゃあ、尚斗さん…どうぞ」
「あ、はい、いただきます」
「はい」
2人そろって手と手を合わせ、昼食タイムの始まりである。
もぐもぐ。
「うん、やっぱり美味いよ、御子ちゃん」
「ありがとうございます」
御子は恥ずかしげに微笑み。
「尚斗さんのお口に合うかどうか、心配だったんですが…」
「合うよ、合う合う。合わなくても合わせるよ、これだけ美味けりゃ」
もぐもぐ、ひょい、ぱく、ひょい、ぱく、もぐもぐ。
自分はほんの申し訳程度、御子は尚斗が食べる姿を嬉しそうに眺めていたのだが…。
「……」
そわそわ。
また、微妙に挙動不審の御子が現れる。
「……御子ちゃん?」
「は、はいっ…用意してます、飲み物ですよね、用意してますからっ」
と、御子が、妙にぎくしゃくした動きで、水筒からカップにお茶を注いだ。
「ありがとう、御子ちゃん」
と、尚斗が御子に向かって手を伸ばしたのだが、御子はそれには反応せず、ちらりと、自分の太もものあたりに視線を向け、ぎゅっと目をつぶった。
「え、えいっ」
かけ声と共に、御子は持っていたコップを傾け…。
「危っ」
尚斗は、伸ばしていた手で、こぼれたお茶を受け止める事に成功。
「熱つつつっ!」
ぶんぶんと手を振り、自分のズボンになすりつける……大した量ではないし、精々軽い火傷というところだろう。
「な、尚斗さんっ?」
「大丈夫。俺より、御子ちゃんは?」
「あ、だ、大丈夫です…」
申し訳ないという表情ではなく、どこか困惑したような御子の表情が気になって。
「あ、あの…御子ちゃん?」
「……あ」
ふっと、我に返った感じで。
「ひ、冷やします…」
「いや、冷やすったって…」
近くに、水道は…。
「氷が、あります」
「氷?」
なんで、そんなもんが…。
尚斗の疑問に気付かず、御子は用意していたらしい、それを、尚斗の手に握らせた。
「冷っ」
「しばらく、これで…」
真剣な表情の御子に、何も言えなかったが……冷え切っていた手に、熱いお茶を受けたモノだからものすごく熱く感じただけで、こうしてみると軽い火傷にもなってないような、そういう実感がある。
「(……というか、さっき御子ちゃん、『えいっ』って、言ったよな?)」
それがあったからこそ、尚斗は尚斗で俊敏に、それが御子にかかるのを防げたわけなのだが。
手の中の氷が、体温で溶けて水になっていくのがわかる。
「あ、御子ちゃん、ちょっと…」
「え?」
このままでは、手の角度が悪いと思ったのだが、少し遅かったようだ。
ととと、と…。
手からこぼれた水が、尚斗のズボンの膝のあたりに染みを作った。
「あ…」
「ま、このぐらいなら放っておいても…」
そわそわそわ。
「み、御子ちゃん?」
尚斗の言葉が届いているのかどうか。
御子は、小さく頷いてから。
「な、尚斗さん」
「はい?」
「ぬ、脱いでください」
「はい?」
「せ、責任とりますから、脱いでくださいっ」
一瞬、尚斗の意識が飛んだ。
「……は?」
御子の顔は、これ以上ないぐらいに真っ赤。
御子が自分で考えた……とは思えない以上、これは、誰かが御子に吹き込んだのは明らかで。
ばかげた、というより、今回のは冗談にしてもタチが悪すぎた。
「よう」
「あれ、尚斗君」
麻理絵は、ちょっと驚いた表情を浮かべた後、笑った。
「また会えるのは、5年後かなって思ってたのに」
「……まだ根に持ってんのかよ」
「うん、持つよ、一生忘れない」
会いに来なかったのは、そっちも同じじゃねえのかよ……とは思ったが。
「お前、写真部って言ってたよな、冴子先輩と同じで」
「……うん」
それが、何…という表情で、麻理絵が尚斗を見つめてきた。
「まだ、部活に顔出してるのか、冴子先輩」
「ふーん」
つまらなさそうに、麻理絵は顔を背けて。
「あの人、気まぐれだから」
「知ってる、そんでもって、悪戯好きだよな」
「……面倒見はいい人だよ」
ちらり、と視線を向けてから。
「どこかの、薄情な幼なじみとは違って」
「……そう、かもな」
尚斗は、そう呟いた。
麻理絵が、自分に対して何かしらの助けを求めている事には気付いていた。
それでも尚斗は、御子と弥生の、九条姉妹のために、女子校で過ごした1ヶ月という時間の大半を費やした。
それを、責められても、恨まれても仕方ないのかも知れない。
「尚斗君、もう、いいかな?」
「ああ、悪かったな」
麻理絵は、わざわざ尚斗のすぐそばをすり抜けていく。
麻理絵は1度だけ立ち止まり、こちらに視線を向けて、尚斗が自分の方を見ているのに気付くと、慌てたように走り去っていった。
「……さて」
卒業式の日に、校門のところで待ち伏せれば確実か…などと尚斗が歩き出した瞬間。
ぴろん。
冴子の連絡先を教える、麻理絵からのメールが届いた。
「結構、情熱的なのね、キミって」
「まあ、話をつけるなら、早い方が良いと思ったので」
「そうね…それでも、タイミングは重要だと思うけど」
「ずばり聞きます」
「あら、何かしら?」
「御子ちゃんに、妙なことを吹き込んでるのは、冴子先輩ですよね?」
冴子は、ちょっと尚斗を見つめ。
「妙なこと、かしら?」
「悪戯にしても、限度があるでしょう」
にらむような尚斗の視線を軽く受け流し、冴子はちょっとため息をついた。
「キミは、写真部に入った方がよいかもね」
「は?」
「モノの本質を見誤っているというか、大事なことが意識から抜けてるみたいだから」
「御子ちゃんは、冴子先輩のおもちゃじゃねえよ」
「そうね」
でも、と冴子は切り返す。
「キミのお人形さんでもないわ」
「……?」
「ねえ、もう一度思い出してみて……キミに頭を撫でられて、御子ちゃんはどういう反応を示したの?」
「なっ」
尚斗は怒りを隠さず。
「何言ってんすか…御子ちゃんは、冴子先輩の言うことを信じ切ってましたよ。あんな、恥ずかしそうに…」
「じゃ、なくて」
冴子が手を振った。
「なんで、してあげなかったの?」
「……喧嘩、売ってんすか?」
「あら、怖い」
どこか挑発するような冴子の反応に、反対にちょっと尚斗の頭が冷えた。
「……御子ちゃんが騙されてるのは、すぐにわかりましたからね」
「それで、御子ちゃんから聞き出した、と」
「冴子先輩の名は明かしませんでしたけどね」
冴子がため息をつき……こうなった以上は仕方がないという感じに、肩をすくめた。
「御子ちゃんから聞き出したのなら尚更よ……キミに頭を撫でられて、あの子は『キスをしていいか?』とキミに意思表示されてると思い込んで、それに応ようとした」
「だから…」
「まだ、わからない?」
と、冴子は、深い深いため息をつき。
「御子ちゃんは、キミに『キスしてもいい?』って聞かれて、『はい』って応えたのよ」
「……」
「キミは御子ちゃんから、それを聞き出したにも関わらず、『騙されちゃダメだよ、御子ちゃん』なんて、言葉をかけて、そのまま放置したの」
「え、いや、だって…それは…」
「御子ちゃんが、何故キミを『おにいさま』って呼んだか……あの子は、貴方に気に入られたくて、ぶっちゃけると、好きになってもらいたくて仕方がないの。少し考えればわかったはずよ。騙すとか騙されてるとか、それが本当に大事なことかどうか」
「……」
「ついでに言えば、キミのことを名前で呼んだらって、提案したのも私」
沈黙が約2秒。(笑)
「……じゃ、じゃあ…今回のは、何ですか?」
「私のプランとしては」
と、冴子はちょっと眉をひそめ。
「御子ちゃんがお茶をこぼす…と、キミは『御子ちゃんが火傷したら大変だ』と慌てて、御子ちゃんの身体に手を掛ける……そこで『せ、責任とってくださいね』の決め台詞。御子ちゃんのかわいさも含めて、これで堕ちない男はいないわね」
「……あの、面白がってるとしか思えないんですが」
「半分はそう」
真面目な表情で答えた冴子に、尚斗の心は別の意味で萎えた。
「そーですか…」
「いや、ここで重要なのは、こんなことを実行しようとしてしまうぐらい、御子ちゃんが切羽詰まってるってっことよ?」
「さっき、半分は面白がってるって言ったじゃないですか」
「まあ、他人の色恋沙汰だし」
「……麻理絵、この人絶対面倒見とか良くねえぞ…」
「…こほん」
冴子はちょっと咳払いして。
「私が思うに、キミは、御子ちゃんを可愛いお人形さんと言うか、1人の女の子としてみていないような気がするの、違う?」
「そんなことは…」
「……御子ちゃん、九条家の養子なんですってね」
「なんで…」
「御子ちゃんから聞いたの」
「それは…そう、なんでしょうけど…」
何故、御子がそれを冴子に教えたのかが、わからない。
「あの子が、弥生さんのことをとても尊敬しているのは知ってるでしょう」
「それは、まあ…」
「九条家で、弥生さんだけが、御子ちゃんが養子であることを知らなかった……だから多分、御子ちゃんは、弥生さんにそれを知られることを極端に恐れたんだと思うわ」
「……」
わかる?という風に、冴子は尚斗を見つめ。
「御子ちゃんにとって、弥生さんだけが、本当の家族だったのよ……御子ちゃんが養子だと知らない弥生さんだけが……少なくとも、御子ちゃんはそう感じていたんじゃないかしら」
「でも、それじゃあ…」
「そうね、弥生さんはそれを知ってしまった……いえ、弥生さんがそれを知ったことを、御子ちゃんが知ってしまった」
冴子はちょっと俯いて。
「弥生さんが、これまでと同じように接したとしても、それを受け取る御子ちゃんの方が、それをそのまま受け取る事が出来ない」
この人は、こんなに色々と考えることができるんだ…と、尚斗は感心すると同時に、自分の幼稚っぽさに多少の嫌悪を覚えた。
「単なる甘えと切り捨てるのは簡単だけどね……あの子は、かなり特殊な孤独の中にいると思うわ」
「……恥ずかしながら、俺、そんなこと、考えたこともなかったです」
「いいんじゃないかしら…逆に私は、キミのような素直な考え方が出来ないもの」
「素直は、バカって事ですよね?」
冴子は、冴子らしからぬ笑み、にやっと笑って言った。
「いいんじゃない、バカでも……『御子ちゃん、自分の流派を作れ』なんてこと、バカしか言えないと思うわよ」
「……あの、御子ちゃんは…どこまで、冴子さんに…?」
「あの子、素直だから…ちょっとカマかけて誘導すると、ぽろぽろとこぼれてくるの」
「……でしょうね」
正直、役者が違う……と、尚斗は色々諦め…。
「御子ちゃんは、バカじゃないです」
「……言っておくけど、バカってのは、1つの才能なのよ?」
そういって、冴子は笑い。
「あ、もう一つだけ」
「はい?」
「キミにはね、バカ以外の才能があるわ」
「……すんません、バカだけに、バカにされているとしか思えないッス」
「半分はそう」
「泣いていいっすか?」
「御子ちゃんは可愛いからいいけど、キミに泣かれても面白くないからダメ」
「……そっすか」
この人、他人の心を萎えさせるのはうまいよなあ……と、妙な部分で感心する尚斗に向かって。
「キミにはね、女の子を安心させるというか、信頼させる何かがあるわ」
「なんすか、それ?」
「今まで話したこともない男の子なのに、弥生さんと話していた、ただそれだけで、家庭の問題を相談してしまうぐらいに、御子ちゃんにとっては信頼できる人なのよ、キミは」
「……御子ちゃん、人見知り激しそうだし、切羽詰まってたからだと思うんですが…」
「御子ちゃんだけじゃないわよ…私だって、キミが相手だったから、色々とからかったわけだし」
「……はあ、あの桃色攻撃ですか?」
二の腕に触れた、あの柔らかい感触を、今でも尚斗はしっかりと覚えている。
「……多分、キミにはピンと来ないんでしょうけど、好意を持たない相手に身体を触れられるのって、かなりのストレスなのよ、女の子にとっては」
「えっと…挨拶代わりに、肩を叩いたりするのって…?」
「多分、印象は最悪ね…元から好意を持っている相手ならまだしも」
「はあ、そーですか…勉強になります」
冴子はちょっと笑い。
「キミにその気があるのなら、キミは御子ちゃんのことだけ考えるべきよ……」
尚斗はちょっと考え。
「好意に甘えて、もう一つだけいいすか?」
「なに?」
「俺、御子ちゃんにふさわしいと思います?」
冴子はちょっと眼を細め。
「あいにく、バカな質問に答える趣味はないの、おバカさん」
「そっすか…そっすね……他人の言葉で自信をもらおうなんてのは卑怯ですよね」
「そうね」
最初の怒りはどこへやら、『色々ありがとうございました』と頭を下げて帰って行った尚斗の背中を見送りながら……冴子は、ひしひしと背中に突き刺さる視線を感じていたり。
「……冴子」
「冴子先輩…」
冴子はため息をつき。
身長が積極的なくせに態度は消極的な友人と、写真部の可愛い後輩の非難をこれからどうやって切り抜けようか……に、思いをはせた。
「え、あ、あの…な、尚斗さん?」
なでなでなでなで。
会っていきなり、頭をなで始めた尚斗に、御子は困惑するばかりで。
そもそも、大事な話がある……と呼び出されて、いきなりこれでは、御子の困惑も無理はあるまい
「御子ちゃん」
「は、はい」
なでなでなでなで。
「……」
「……」
「あ、あの…」
恥ずかしげに、御子が目を閉じる…。
「御子ちゃん」
「は、はい」
閉じた目が、開く。
「この前は注意し忘れたけど、キスの前に、やることがあると思うんだ」
「……ぁ」
遅れて、御子の顔に理解が浮かぶ。
尚斗は、御子の頭を撫でる手を止めて。
「俺、御子ちゃんのこと好きだ」
「あ…」
恥ずかしげに、赤くなった顔を手で隠して、御子は俯いた。
「……はい」
「あの、できたら…笑って…返事してくれると嬉しいな」
「…す、少し…待って…ください…」
そう答えた御子の声は、少し震えていて。
1分、2分……ようやく、御子が顔を上げた。
「私も、尚斗さんを、お慕いしてます」
御子の目元が微かに潤んでいる。
「……ごめん、泣かせちゃって…」
「…あは」
違います…と言うように、御子は首を振り。
「尚斗さん…私の、頭を撫でてくださいますか?」
「うん、俺も御子ちゃんの頭を撫でたかったんだ」
どうぞ、と少し下げられた御子の頭に、尚斗が手をのせて。
なでなでなで…。
尚斗がその手を止める……と、御子が顔を上げ、尚斗を見つめた。
目を閉じ、背伸びする御子に、尚斗はちょっと身をかがめて。
「ぬわに、やってんの2人ともっ!?」
「……弥生」
「……おねえさま」
つかつかつか、と近づいてくる弥生を2人はじっと見つめていたのだが。
「御子ちゃん」
「……そうですね」
と、尚斗と2人は目で語り合い。
「ちょっ、ちょっとちょっとぉっ!」
弥生に邪魔される前に、というか、弥生の目の前で、2人は初めてのキスを交わしたのだった。
「……やってらんないわよ、ホントにもー」
ぶつぶつぶつ。
「いや、なんか邪魔されそうな気がしたから」
「そ、そりゃ、邪魔は…するつもりだったけど…」
もじもじもじ。
恥ずかしげに、弥生の指先が文字を描く。
ちなみに、弥生の非難を受け止めているのは尚斗で、御子はその後ろで恥ずかしげに顔を隠していたり。
事が終わってみると、自分がかなり恥ずかしいことをしたという実感だけが残ったのであろう。
「有崎、私、口を酸っぱくしていったわよね…御子は、アンタにはあげないって」
「うるせえ、そもそも御子ちゃんはお前の所有物じゃねえよ」
「そ、つまり、私の言うことは聞けないってワケね…」
「おねえさま」
尚斗の背中に隠れていたはずの御子が、尚斗の隣に立って。
「な、尚斗さんは、おねえさまにはあげません」
「なっ」
かかかかっと、弥生の顔が紅く染まる。
「な、何を言ってるの、御子…」
御子は、きゅっと尚斗の腕を抱きしめて顔を伏せてしまう。
「御子ちゃん、それは考えすぎ……あー、弥生もちょっと落ち着け」
と、御子に抱きしめられてるのとは別の手で、弥生の頭をぽんぽんと叩いた。
「お、落ち着くも何も、私は落ち着いています…もう、御子ったら…いきなり変なこと言うんだから…もう…」
落ち着いていると言いながら、弥生はわりとわかりやすく動揺しており。
「え、えっと…これからのことは、また今度話し合うって事でいいですね…いや、いいわね?」
「は、これから…?」
「じゃ、じゃあ、私帰ります…帰るから、その、まだ認めてませんから、私は…」
「そりゃ、弥生から見れば、俺が頼りなく見えるのはわかるし、お前にとって大事な妹の御子ちゃんと付き合う相手としては不満なのもわかるんだが」
ぎゅっと、腕をつかむ御子の手に力が入ったのを感じた。
「俺、御子ちゃんが好きなんだよ」
「ん、聞こえないっ、なんっにも、聞こえない」
と、耳をふさぎ、弥生が大げさに首を振る。
「いや、聞けよ…」
「聞こえなーい」
と、尚斗の手を逃れるように、弥生が走り去った。
「……むう、手強い」
あのシスコンの壁を、どう突破すべきか……と、尚斗が御子に視線を向けたところ、御子は尚斗の腕に抱きつくようにして、目を閉じていた。
「……御子ちゃん?」
「……私、嫌な子です」
「いや、今のはどう考えても弥生の方が大人げないと思うけど」
人の話を聞く、という態度ではないというか。
弥生が走り去った方角に目を向け。
「あれを、義姉さんと呼ぶ未来はあるのかなあ…」
そう、しみじみと呟いた尚斗に、御子は心のなかでぽつりと呟いた。
「(おねえさまが、少し不憫に思えます…)」
やや不安を残しつつ、尚斗と御子を乗せた船は、港を離れて旅だった。
でも何とかなるだろう。
冴子の言うとおり、バカもまた、1つの才能なのだから。
完
同人誌の方で書いた、『教えて冴子先生』シリーズの発展系というか……いや、発展も何も、跡形1つ残ってねえじゃねえかというツッコミは甘んじて受けますが。(笑)
まあ、正直に言うと、もうちょっと御子が精神的に追い詰められてというか……尚斗の気をひくべく、冴子の口車に乗せられる形で常軌を逸した行動を取るという感じのお話にしようと思っていたのですが、ふっと、デジャブを感じたというか。
東鳩2の某ささら先輩の話、そのまんまになってしまいそうな気配が濃厚だったので、中途半端な形でお茶を濁したような感じに。
まあ、どのみち御子は他力本願になるんだなあ……。
今更ですが、『自分が九条流を継ぐことは出来ない』という御子の言い分……これがフェイクという可能性はあるのかなあ……という部分をちょっとばかり織り込んでみました。
そもそも、高任は『御子が養子であることを弥生は知らない』なんて状況に対してちょいと懐疑的なんですが……いや、親が話さなくても、周りが話すというか、耳に入ってきますよ、ふつー。だからこそ、偽チョコでは、それを否定した設定で書いてますが。
まあ、それはそれとして……御子が九条流を継ぐ場合、『実子でもないくせに』という陰口を叩かれるのは確実で、それが当然弥生の耳に入る……そのことを恐れて、『自分は継げない』と言い張る御子……というシチュエーションはありかな、などと。
んー、それにしても御子は……こう、高任の心の中で、『これだっ、この御子ちゃんの話を早くみんなに読ませてやらねばっ!』というクオリティに達してくれないというか。
高任自身に、未熟さを思い知らせてくれるキャラです。
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