青葉台高校へと向かう最後の難関さくら坂。
坂の両側にずらっと並んだソメイヨシノが春になると何とも見事な光景を作り出すのであるが、その優しげな名前とは裏腹に凶悪な勾配を誇る坂は、混雑する通学路ということも重なって自転車を押していくことが学校の指導によって義務づけられている。
だが幼少の頃からこれよりももっとキツイ山の坂道を走りまわっていた陽子にとっては学校の指導なんかくそ食らえとばかりに(・・・というかそんなことは最初から聞いていないというのが真実)自転車に乗ったままかけあがっていく。
陽子の上体のぶれない華麗な立ちこぎは端から見ていても実に安定感がある。ただ、速度が出過ぎるという欠点をのぞけば・・・。
「どーいてどいてっ!」
まわりの生徒達をなぎ倒すかのような勢いで校門を駆け抜けるのが毎朝の常であったのだが、やはりそんなことをしていては本当になぎ倒してしまうこともある。
どんがらがっしゃあぁぁんっ。ごっ。ちゃりりりり・・・。
「うわーっ!だ、大丈夫?」
少年にとって不幸だったのは、突き飛ばされた先が校門の角だったということだろう。きれいに額をジャストミートさせ、眩しいほどに白い夏服の襟元を情熱の赤色へと染め始めていた。とは言っても額の出血は結構見た目が派手になることが多い。だがこの場合は思いっ切り頭をぶつけたわけだから危険なことには変わりはない。
少年は大事をとって、先生の車に乗せられて病院に直行する事になった。
「ほえー。凄いことになっちゃったなあ・・。」
自分が加害者ということはわかっているのだが、どうも現実味が欠けていたせいか口をついて出たのは他人事のような台詞である。
しかし、お互いにとって確かに衝撃的な出会いではあった・・・。
時は4月下旬。
道に落ちている桜の花びらを舞あげるようにして、陽子の乗った自転車がさくら坂を行く。身を切るような寒さの中を突っ走っていたのが遠い昔のようである。さすがに二年も通うと、勾配がなだらかになる校門の辺りでは速度を落とすぐらいの知恵はついてくる。
あれ以来衝突事故はおこしていない。・・・といってもあれが初めてだったのだが。
あの時は先生には怒られるし、全校集会では名指しで注意されるしでろくな事がなかったのだ。
まあ、被害者である少年が笑って許してくれたことが不幸中の幸いではあった。
「おはよう、丘野さん。」
「おはよー、早川と君子ちゃん。」
「お早うございます、丘野さん。」
今こうして和やかな挨拶をかわす事自体が、この少年の人柄をよく示しているのかもしれない。
「早川、また一緒に自転車で登校しようよ。風が気持ちいいんだから・・。」
「うーん、そろそろバス通学も疲れる季節になってきたしな・・。」
少年の家は宅地造成された場所の団地にあり、大通りを走るバスや電車からは少し離れている。そのせいで細い路地を突っ切る自転車や、はたまた階段を駆け上り真っ直ぐに学校へと向かえる徒歩通学のどれを選んでもかかる時間はそう変わらないという便利なんだか不便なんだか良くわからない状況にあった。冬はバスか電車、その他の季節は徒歩か自転車で通うというのがこの少年なりのルールであることを一年以上にわたるつき合いの中で陽子はそれとなく理解していた。
「・・・でも、お母さんには定期券のお金貰うんだよね?」
少年の隣で妹の君子がにっこりと微笑んでいる。どうやら、少年はいつもそうやって定期代を自分の小遣いに着服しているのだろう。
「いつも通り、デラックスパフェでいいよな。」
「うん。」
いつからか兄妹の間には暗黙の了解ができあがったのだろう。そんなことを思わせる会話であった。
「君子ちゃん、それじゃあ安すぎるよ。もっとたくさんおごって貰わないと。」
「うーん、私にも弱みがあるからほどほどが一番なんです。」
そう言って苦笑いする君子の表情に陽子はため息をついた。どうやら、けしかけようとしても無駄らしい。お互いに弱みがあるのなら少年は君子に対して何もおごる必要はない筈だが、つまるところ妹の君子に対して甘い兄ということなのだろう。
陽子自身が、妹に甘いという点では似たような兄と2人で暮らしているために、君子の気持ちが何となくわかるところがある。この少年と話していると何となく心が安らぐのはそんな理由があるのかもしれなかった。
「早川君はさ、高校を卒業したらどうするの?」
「・・・まだ、はっきりとは考えてないな。多分進学するだろうけど。丘野さんは実家の方に戻るの?それともこっちの方で進学する?」
「全然考えてないよぉー。」
にぱっと笑いながら答える陽子を見つめる大輔の呆れたような視線の中に、どこか羨ましいとまではいかない・・・強いて言うならば人が真夏の太陽を見上げる時に見せる眩しそうな感情が紛れ込んでいた。
「丘野・・お前は将来何がしたいんだ?」
担任の微かに怒気をはらんだ声が進路指導室にむなしく響いた。この一見何も考えていないような教え子も、密かに心の中で何か思っているに違いないと無理矢理自分を納得させようとしている表情をしていた。ちょっと鋭い生徒なら、この場限りの気休めでも口にしたであろうが、陽子の天然の前では通用しない。
「大勢の家族に囲まれて楽しくわいわいと暮らしたい!」
本人に全く悪気のないことがわかっているだけに、担任としては一番つらい返答であった。
「いや、丘野・・・人生設計の話はちょっとおいとけ。今はお前が高校を卒業したらどうするかということをだな・・・。」
「じゃあ、泳ぐのが好きだからそういうところに進学したいです。」
競技としての水泳には全く興味のない陽子だが一応速いことは速く、短距離自由形で去年は県の決勝に残るぐらいの実力ではあった。ただ陽子は泳ぐことが純粋に好きなので、オフシーズンのトレーニングには全くと言っていいほど参加しない。水泳部の顧問教師がいつもそのことを残念がっていることをこの教師は知っていた。
「丘野は・・もっと速く泳いで一番になるなんてことは興味がないか?」
「ほえっ?そんなのつまらないよ。私はただ泳ぐのが好きなの。」
陽子はびっくりしたぞという意思表明なのか、両手を高くバンザイさせた。しかしバンザイして本当に匙を投げたいのは陽子と相対している担任教師の方だっただろう。インターハイ全国の決勝ぐらいまで進めば、水泳で推薦ぐらいは取れるかもしれないが、このままではそれもできまい。
「丘野・・・この大学で水泳を続けたいという具体的な希望はあるか?」
「この街から通えるところならどこでもいいです。」
おそらくテーブルごとひっくり返されても仕方のない発言であったが、驚異的な自制心でそれを抑え込んだ教師は深いため息をついただけであった。
陽子の家は大家族である。
実家のある田舎で既に農業を継いでいる一番上の兄が生まれたのをかわぎりにしてぽこぽこぽこと男女をいり混ぜ全部で7人の兄弟。今陽子が一緒に住んでいるのは次男であり、陽子は順番としては7人の真ん中にあたる4番目の子供であった。高校に進学するにあたって、実家から通える範囲に適当な高校が無く、大学に進んだ兄の下宿するこの街にある青葉台高校に入学したのが二年前のことであった。
実家のにぎやかさに比べれば、兄との2人暮らしはやや寂しい。田舎で純粋培養されたような性格では友人もできにくい。同じ水泳部員でさえ陽子の存在は多少浮いていた。そんな状況で、高校一年の夏に大輔と出会えたのは陽子にとって幸運であったといえよう。現に今陽子と親しくしているのは大輔を通じて知り会いになった人がほとんどである。特に君子に関しては実家に残してきた妹のように可愛がって(?)いる。
ただ、陽子と暮らしている兄も既に大学4年生で来年は就職である。それを機にして、兄はこの街を離れる可能性が高いのだが、陽子はそのことに気がついていなかった。
だから、夕食の時にそのことを兄に告げられてもいまいち実感がわかなかった。
「ほえっ?・・・じゃあ兄貴は1人で暮らすの?」
「・・・多分そうなると思うぞ。」
それ以前に陽子が来るまでは1人暮らしだったのだだが・・・。
「・・兄貴、あたし先にお風呂はいるよ・・。」
「・・ああ。」
これからどうするかの話をうち切るようにして陽子はその場を去った。
チリリンリン。
「ん?」
背後から不意に鳴らされた自転車のベルに陽子は振り返った。
「おはよー丘野さん。」
「あーっ、早川も今日は自転車?」
「夕べ定期代貰ったから・・。」
大輔は陽子の隣に並ぶようにしてにやりと笑った。
「早川ったらいけないんだー。」
「んにゃ、雨が降ったら乗るかもしれないから、一概に嘘とは言えない。」
あまり人通りもなく、車も走れない道のためそのまま大輔と2人で並んで走っていく。この道は青葉台高校生徒の専用路のようになっていて、数こそ少ないが追い抜いていくのはみんな同じ制服ばかりである。時折知り合いなんかも混じっていて挨拶を交わす。
「あれ?あそこを歩いてるの波多野さんじゃないの?」
「おや、本当だ。おーい、波多野ぉー。」
背後からの声に気がついたのか、人影がこちらの方を振り返った。大輔と陽子はブレーキをかけ、葵の両隣に並ぶようにしてゆっくりと走る。
「おいっす。」
「今日は遅いじゃないか波多野。」
「今朝はまぐろの奴がやけに張り切ってさあ・・。」
などとぼやきながら葵は自分の荷物を大輔の自転車の前かごに乗せていく。そして自分は荷台へと腰をおろした。
「というわけで、学校まで乗せてってよ・・。」
「ただか?」
「いやなら丘野さんに乗せて貰うからいい・・。」
陽子は申し訳なさそうに自転車の後ろを見つめた。
「あたしの自転車で2人乗りはちょっと無理だよ・・。」
「むう・・・。」
・・・・・・・・・・
「それえー、早川もっと速く速くぅー。」
と、これは大輔の背中にしがみついた陽子。
そして、どうしてこうなったんだろ?と首をひねる葵と大輔の姿が学校の近くで目撃されたとかされないとか・・・。
さて、梅雨である。
一年を通じてもう少し平均的に降ればいいものを、と結構な数の人間が一度は思うのではないだろうか。どんよりとした雨雲を見上げ、憂鬱そうな表情の生徒が昇降口のあたりにたくさんたむろっていた。言うまでもなく朝は晴れていて、天気予報でも『今日は大丈夫っすよ・・』と断言していただけに裏切られたという思いもまたひとしおであろう。
しかし今の陽子の場合、雨に濡れるかプールの水で濡れるかという些細な違いだけである。水着から水滴をぽたぽたと廊下に落としつつ、ぺたぺたと足跡を残しながらのほほんと歩いていた。
「丘野さん・・・またそんな格好のままで・・。」
「そんなこと言ったって、こんな天気だし・・。」
あきれ顔の大輔に対して陽子は窓の外を指で示した。ざあざあと降り続ける大粒の雨の中では、ジャージなんかを羽織っても10秒足らずで水着になってしまいそうである。
「ま・・・・確かに・・。」
上に何かを羽織るのは外見とかの問題じゃなくて、本当は単に身体が冷えるのを防ぐためだと思うんだが・・。とりあえず、大輔は外見としての体裁を気にしているようであった。
ゴロゴロゴロッ。
稲光の反射と耳をつんざくような轟音。どうやら窓から見える真っ黒な雨雲は元気いっぱいの積乱雲の塊らしい。
「雷さえなきゃ泳げるんだけどね・・。」
窓に額を押しつけるようにして呟く陽子の顔の陰影がくっきりと浮かび上がる。そして轟音。
『就職の内内定が出た。・・・・やっぱりこの街を出ることになる・・。』
昨夜、兄が言った言葉が陽子の脳裏に蘇る。その結果どうなるのかということはあまり考えたくない。泳いでいるうちはいろんな事を忘れていられる。けど、何かから逃げるようにして泳ぐのは陽子にとってあまり爽快感を与えるものではなかった。
「丘野さん・・・何かあったの?」
「うん・・・ちょっとね・・。」
陽子は、兄が就職で来年にはこの街を出ることを手短に話した。去年ホームシックにかかったときも大輔に支えて貰った。大輔自身はそう思ってはいないのだろうが・・。だがら自然と家族に関する込み入った話までうち明けることができる。
「・・・・早川は急にいなくなったりはしないよね?」
窓の外では未だ雨が降り続いており、一向に止む気配を見せなかった・・。
「この前はごめんね、変なこと聞いちゃってさ・・。」
何も遮るもののない屋上で、風にながされる雲でも眺めていたのだろうか、大輔は陽子の方を振り向いた。その表情が梅雨時の晴れ間のようにはっきりしない様に思えた。
「早川・・・・なんかあったの?」
「ちょっと今日の夕飯のことを考えてたんだ・・。」
「早川が言いたくないなら聞かないよ・・。」
大輔の隣に並ぶようにして陽子は空を見上げた。上空は風が強いのだろう、雲はその形を次々と変えていく。
「・・・丘野さん。」
「んみゅ・・・どうしたの?」
「俺・・・今学期一杯で転校することになったんだ・・。」
湿気を含んだ重い風が一際強く屋上を吹き抜けた。
「・・・イヤ・・。」
思うより先に、言葉が口をついて出ていた。
「やだよ、そんなの。」
陽子は大輔の肩を掴んではげしく揺さぶった。大輔は何も言わずにただされるがままに俯いていた。
「どうして?・・後一年もすれば卒業なのに・・」
陽子は言葉を言い終えるより先に、掴んでいた大輔の肩を放した。
卒業してもずっと一緒にいられるなんて保証はない。約束を交わしたわけでもない。ただ、その時期が早まっただけなのかもしれない。
それでも感情はいつも理屈を上回るところにある。いや、理屈を上回るからこそ感情なのかもしれない。
陽子の走り去った屋上に、大輔はただひとり残された。
自分のまわりからみんないなくなる・・・。
陽子は夕暮れの浜辺で膝を抱えながらオレンジ色に染まる海を見ていた。いつものように泳ぐ気分でもなかったし、今日の海はなぜだか自分を拒絶しているように見えた。
・・・人は何かをなくすことで初めてその価値を知る。
そんな言葉を遠い昔に聞いたような気がする。
兄の話を聞いたときに感じたのとは違って、陽子は心の中でついていきたいと思っていた。家族よりも側にいたい存在。
「あたし・・・変なのかな?」
緩やかに寄せては返す波をみつめても何も答えてはくれそうになかった。
砂まみれになるのもかまわずに寝ころんだ陽子の目に、宵の明星が輝いているのが見えた。
あの日から大輔とは顔をあわせていない。陽子が無意識に避けているのか、それとも大輔の方で陽子に会うのを避けているのかはわからない。多分その両方であろう。
だから、こんな夜更けの浜辺でふと出会ってしまったりすると何を喋っていいのかわからなくなる。
「・・やあ。」
「・・・・・」
聞こえなかったわけではない。
花火大会の後のひっそりとした浜辺に聞こえてくるのは波の音ぐらいのものである。
「丘野さん・・・ちょっと話をしようよ。」
月明かりに照らされた白い砂がやけに気にさわった。今の自分の態度も含め、いろんなものをぱっと壊したい気分。
月が雲に隠れた瞬間、陽子は浴衣の帯をほどいた。そのまま下着1つで海の中に飛び込む。
「お・丘野さん?」
「そんな人知らない、あたし人魚だもん。」
そのまま自分の胸の高さぐらいのところまですいすいと泳いでいく。大輔はどうしようもなくてただ呆然とそれを見送るだけである。
真っ暗だった水面が、再び白く照らされた。
陽子は水面に顔だけをぴょこっと突き出し、大きな声で問いかける。
「早川君は・・・丘野陽子さんのことが好きですか?」
大輔は慌てたように周囲を見渡し、誰もいないことを確認すると陽子の方に向かって返事した。
「うん、好きだ。」
「ずっと一緒にいたいぐらい好き?」
「・・・・・うん。」
「じゃあ、ちょっとむこうを向いててくれる?」
大輔が背中を向けたのを確認して陽子は砂浜の方に泳いでいき、ずぶぬれのまま浴衣をはおった。
「いいよ、こっち向いても。」
ゆっくりとこっちを向いた大輔の唇に陽子は自分の唇を押しつけた。5秒ほどでその情報が脳まで伝達されたのだろう。大輔は真っ赤になって距離を置き、ぱくぱくと何か言いたそうに口を開いたり閉じたりしている。
「あのね、昔お母さんに教えて貰ったの。好きな人とこうしたら家族になれるんだって。家族は・・・離れても家族だから・・・だからあたしは平気だよ。」
白く照らされた陽子の頬のあたりに薄く月の光を反射している粒があった。その粒は次第に大きくなって頬から顎、あごから地面へと落ちていった。
「じゃあ、丘野さん。どこに進学するか決まったらすぐに教えてね。」
「うん、わかってる。・・でも、多分あたしはこの街にいると思うよ。」
大輔は陽子の進学先にあわせて進路を選ぶと言ってくれている。転校先の学校で進路指導の先生を悩ませることだろう。
この街が好き。
大輔と出会い、別れる街。大輔との想い出は全部この街にある。だから来年の春にはこの街で大輔のことを迎えたいと思っている。
ぷるるるるるる。
「あ、時間だ。・・・じゃあ、丘野さん。」
「うん。」
繋いだ手を放すと同時に電車の扉が閉まった。ゆっくりと走り始めた電車の後を追って陽子も走り出す。短いホームの端までくると陽子は大きく手を振りながら叫んだ。
「行ってらっしゃい。」
むう・・。我ながらまとまりの無い構成だ。(笑)しかもラストでむっちゃ力技かましてるし。そのうえ何故かラストが気に入ってるからどうしようもないっす。(笑)
やっぱりみんながみんな『お帰りなさい』じゃ芸がないだろうと言うんで(誰が?)『行ってらっしゃい』にしてみました。おまけに送別会まで吹っ飛ばしました。
やっぱり人魚でしょう!!
・・・なんのゲームやってるんですかという突っ込みは不許可。ちなみに『みつめて・・・』じゃないです。(笑)
さて、丘野さんですが『初恋物語』の小学生シナリオをやっているみたいでなんとも評価が難しいところです。
しかし、ゲームの中で出てくる紺の水着って競泳用でもなさそうだし・・・なんなんでしょうね。
後、陽子には2人の兄に2人の弟、そして妹の5人まではゲーム中で確認できるんですが、後1人は不明です。(?)だからここでは陽子は4番目と言うことにしてますが、特に深い意味はありません。
なんとなく『てんとうむしのうた』をイメージしながら・・・って完全に若い人置いてけぼりなネタですいませんどーも。(ますます古いネタふっちゃったよ)
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