「だからあっ、私はもうテニスはしないって言ってるだろ・・。」
「あなたほんっとうに自分の都合だけしか考えてないのね・・。」
「それはこっちの台詞だっ!」
「何を騒いどるか2人で・・。」
突然その場に現れた大輔に腰のあたりを軽く蹴られて桃子と葵の2人は両手を上げながら廊下に倒れ込んだ。
「早川、あんた女性を足蹴にするなんてどういう了見なのっ?」
桃子は血相を変えて大輔につかみかかる。それに同調するかのように、葵もまた大輔の胸ぐらをひっつかんだ。当の本人大輔は慌てず騒がずしれっと答えたものである。
「人目をはばからずにケンカするような奴らはガキであって、女性とは俺は認めてないからな・・。」
その言葉を聞いて桃子と葵は周りを取り囲むギャラリーの数に気が付いたのか、2人とも大輔から手を放した。
「何なのこの騒ぎは・・?」
人の壁を押しのけるように麻生優子こと麻生先生が現れた。桃子と葵はまずいという風に手を顔にあてた。
「ああ、麻生先生。すいませんお騒がせして・・。実は今度演劇部でやる芝居の練習をしてたんです。」
「・・・こんな廊下で・・?」
疑わしそうな目で優子が大輔を見つめている。
「ええ、練習では観客の視線が良くつかめないもので・・・なあ、安藤・波多野。」
桃子と葵はそうそう、と頷いた。
「波多野さんは演劇部だからわかるとして・・テニス部の安藤さんや帰宅部の早川君がなんでそんなことしてるの?」
「僕たち同じ中学出身だから仲がいいんです。」
大輔が桃子と葵の肩を抱いて自分の方に引き寄せながらにっこりと笑った。桃子と葵の2人も大輔に合わせてぎこちなく微笑んだ。
優子はじろっと3人を眺めてため息をついた。
「練習でこんなに人を集めるんだから、さぞかしおもしろいお芝居になるんでしょうね・・。」
優子はそう呟き、3人に背を向けた。周りにいたギャラリーもいつの間にか姿を消している。葵は少し顔を赤らめ大輔の腕を振りほどいた。
「もういいだろ・・。」
それと同時に大輔は桃子を解放した。桃子は冷ややかに大輔の方を見つめている。
「まったく、早川は絶対口から生まれてきたのね。まあ、おかげで助かったけど。」
いやあ、それほどでも・・、と頭をかき始める大輔に対して葵と桃子が同時につっこんだ。
「ほめてないって・・。(*2)」
すっかり気勢がそがれて葵はため息をついた。
「安藤、私もう行くからね・・。」
葵の後ろ姿を見送りながら大輔が桃子に対して尋ねた。
「まだ、あきらめてないのか?」
「当然よ、この成績優秀、スポーツ万能、容姿端麗の3拍子そろった安藤桃子にとって、波多野に負けたことは私という宝石に傷が付いたも同然なの。この傷を消すために・・」
聞き飽きた言葉を遮るように大輔が桃子の目の前で軽く手を振った。
「それだけ美点がそろってるなら細かいことを気にするなよ・・。」
「そういうわけにはいかないの。傷がつくと宝石の価値が下がるもの・・。」
ぐっと胸を張って桃子は言い切った。確かに桃子の言葉は自意識過剰とは言いきれない部分がある。多少(?)性格がきつめではあるが大概みんなの前では猫をかぶってるので、下級生や上級生に人気がある。
「価値ねえ・・価値が下がるとは限らないし、その美しさが損なわれるとも限らないと思うけどなあ・・」
「早川、あなたもなかなかわかってきたじゃない。」
桃子の手がばんばんと大輔の背中を叩いた。どうやら一般論を桃子自身に向けられたお世辞と受け取ったようである。
かちゃっ、ぱさっ。
下駄箱を開けた拍子に足下に落下した紙切れを桃子は冷ややかに見つめている。こんな日常茶飯事な出来事でいちいち感情を動かすのが面倒なのだ。
「もてもてだな・・。」
桃子はちらりと大輔の方を見つめた。そしてふん、と軽く鼻で笑う。
「別に、面倒なだけよ・・。」
大輔が声を殺してのどの奥で笑っている。
「確かに・・・巨大な猫をかぶりながら悪印象を与えずに断らなきゃいけないものな。」
「まあ、早川や波多野なんかには縁のない悩みでしょ・・。」
「確かに俺はな・・。」
大輔がこらえきれないように顔に手をあてて自分の背後を指さした。桃子は背伸びをするようにして大輔の背後をのぞき込むと、手紙の束を眺めて途方にくれている葵の姿が目に入った。ただし、差出人は後輩の女子生徒なのだが・・。
「あいつ、男役で演劇に出てからもてもてなんだ・・。」
桃子は大輔が何故笑っていたかを悟り、自分自身も笑いをこらえようと必死に我慢する。そんな2人の横を不機嫌そうに葵が黙って通り過ぎていった。
「安藤、先にいっとくけどからかうと怒るぞあいつ・・。」
「別にからかうつもりはないわよ・・。」
きーんこーんかーんこーん。
「やべえ、走るぞ安藤。」
予鈴の音を耳にして大輔と桃子は教室に向かって走り始めた。
「おはよー安藤さん。」
「おはよう、藤川さん。」
にっこりとクラスの知り合いに向ける笑顔はよくもまあここまでと思えるほど魅惑的である。同級生に対しては森下茜という女子生徒に人気を譲っているが、桃子はそんなことにはあまり関心を見せないのに猫をかぶり続けている。というより、葵や大輔以外に対しては条件反射みたいなものである。
「そういえば藤川さん。もう身体の方は大丈夫なの?」
「あははー。大丈夫大丈夫、元々怪我は大したことなかったから・・。」
しばらく入院していた女の子は頭をかきながら明るく笑った。それと入れ替わるように同じテニス部の友人が話しかけてくる。
「安藤さん、見たわよ。」
「見たってなにを?」
「1組の早川君と仲良く走ってると・こ・ろ。」
ああ、そのこと。桃子はそう呟いて説明を始めた。
「・・・・・それと、早川とは中学が同じだったから・・。」
「なんだ、安藤さんと早川君がつき合ってるのかと思っちゃったのに。」
違う違う、と手を振る桃子を数人が冷やかしにかかったところで、教室に先生が入ってきてみんなは自分の席に戻っていった。
・・・ふーん。そういうのって考えたこともなかったなあ・・。
冷静になって考えてみると桃子の付ける大輔のポイントはかなり高い。気心も知れていて一緒にいても何ら気をつかわずにすむ。
・・あれで、波多野の友達じゃなかったらねえ・・。
それに大輔のことを一途に想い続けている幼なじみがいたはずだ。これが、もし波多野であったら間違いなく嫌がらせのためにちょっかいをかけていただろう。別に誰かに遠慮するというのではなくて単に気が向かない、そういうことだろうか・・。
桃子は自分の考えが変な方向に向かっていることに気が付いて、ぶんぶんと頭を横に振った。まあ、私には関係のない話ね・・・。
「きゃぁぁぁぁー!!」
絹を引き裂くような悲鳴。
廊下を歩いていた桃子はその悲鳴がどこから聞こえてきたかを判断してその方向へと走った。理科室のドアを慌てて開けると、そこには涙を流しながらおびえる少女と少女の肩を掴んだ怪しげな影。
か弱き乙女を狙うとは、天が許してもこの私が許さない。100メートル12秒台のダッシュから華麗な跳躍。
「あんどーう、きぃーっく!!」
ぐわっしゃああぁぁん。
桃子のキックを後頭部に受けた男は、派手な音をたてて戸棚に突っ込んだ。
「大丈夫?」
桃子は少女に駆け寄りながら床に倒れた男の方を睨みつける。
おや・・・?
どこかで見覚えのあるような少年である。そういえば少女の方もどことなく見覚えがあるような・・・。
10分経過。
「ごめんごめん、痛かった?でも、もとはといえば早川が悪いのよね。」
保健室で顔中に絆創膏を貼ってもらった大輔が重々しく頷いた。
「しかし、ここまでされるほどの悪いことだったかな?」
桃子は助けを求めるようにして隣に座るかすみの方を見た。かすみは何と言って良いのかわからなかったのかとんちんかんな言葉を口に出した。
「昔のドラマだとここで『ふっ、良い蹴りしてるな。』とか言って友情が芽生えるんだよね確か・・。」
「かすみ、あれはあくまで殴り合いの結果としての友情であってだなあ。これは一方的にやられたというんだ。」
「でもぉー・・。」
どうやら、少女の片思いは今も続いているようだが、長年積み重ねてきた時間が他人の踏み込めない空気を作り上げている。
桃子は軽く咳をすると大輔に向かってとりあえずもう一度謝った。
「まあ、大した怪我もなかったし・・。」
渋々と大輔は頷いた。
かすみがいなくなると桃子は腕組みしながら大輔の方に向き直った。
「あの子が噂の幼なじみね・・。」
「何の噂だ?」
「・・・さあ、風の噂かしら?」
安藤がさらっと大輔の追及をかわした。
「変なやつだな、風なんかと話ができるのか?」
「・・・やっぱり、早川は口から生まれてきたのね・・。」
減らず口をたたく大輔に向かって桃子はわざとらしくため息をついた。
保健室のドアが開く音に、桃子と大輔がほぼ同時にそちらに顔を向けた。ひょいっと顔をのぞかせたのは葵。ティッシュで指先を押さえたままきょろきょろと中をのぞいている。
「なあ、保健の先生はいないのか?」
大輔と桃子は曖昧に頷いた。
話を聞いてみると、大道具を作るときに指先を切ってしまったらしい。大輔は葵の指先をひょいっと掴んでじろじろと眺めた。
「なんだ、こんなのなめときゃ治るよ。」
そう言って葵の指先を大輔は口にくわえた。葵はあまりのことに身体を硬直させ顔を真っ赤にしている。
2分後。
「安藤、もう一回治療頼むわ・・。」
桃子に向かってそう呟く大輔の姿があった。
「指をなめられたぐらいで大げさねえ波多野も・・。」
口ではそう言いながらも、桃子は先程の葵の態度からおおよその事情を悟っていた。
「他人に遠慮するなんて馬鹿みたい・・。」
「安藤、何か言ったか?」
桃子は軽く首を振って大輔の額に絆創膏を張り終えた。
うわ、思いこみの激しいタイプだ・・・。
桃子は内心嫌になりながら手紙の主を見つめた。ただし、顔には出さない。
「他に好きな人がいるんだね?」
この手の人間はさっさとあきらめさせるに限るわね。
「うん、ごめんね。」
とぼとぼと帰っていく少年の後ろ姿を桃子は見送った。
「・・・ということがあってね・・。」
桃子は苦笑いしながら大輔に向かってこの前のことを説明した。大輔は完全に失神しているらしい少年を足の先でごろんとひっくり返す。
「つまり、これがそいつだと?」
「まあ、早い話がそうね・・。」
桃子と大輔が2人で話していると突然殴りかかってきた少年はあっさりと返り討ちにあっていた。
「要するに俺は安藤の好きな人と勘違いされたわけかな?」
「まあ、早い話がそうかな・・?」
「二度と襲われないようにとどめさして良いかな?」
「だめ。」
大輔は仕方なさそうに少年をもう一度足先でつついてからその場を後にした。
放課後。
『二年一組の早川君。今すぐ職員室まで来てください。』
「はい?」
優子が困ったような表情で呟いた。
「何か、3年の男子生徒があなたに暴力を受けたって騒いでるのよ・・。」
あのことか?(0.1秒)
ばっくれよう。(0.2秒)
「暴力・・うーん、ここ最近はあまり記憶にないんですけど・・。」
腕組みをして大輔は職員室の天井を見つめる。眉間にしわを寄せるところなんかは天晴れなボケっぷりであった。
「私も信じられないんだけど・・・何か恨まれるようなことはしてない?」
「他人に全く恨まれずに生活できるほど器用じゃないです・・。」
約20分後。
やっと解放された大輔は桃子と職員室の入り口でばったりと出会った。
「何呼び出されてたの?」
「うむ。ちょっとした悪戯がばれてしまったんだ。」
「ほどほどにしときなさいよ・・。」
翌日続きがあるとは夢にも思っていなかった。
過保護。
指導室で向かい合う大輔と男子生徒とその母親。周りを取り囲む先生方。大輔は表面上は真面目な顔をしていたが、反吐がでそうな気分であった。
「・・・と言われても面識もないんですが・・。」
さっきから延々と繰り返し続けている会話はつまるところやった、やらないの水掛け論である。おそらく少年は自分にとって不利な事は全て隠しているのだろう。
「殴られたという割には綺麗な顔をしてますね・・。」
「顔は痕が残るからと言って・・・・」
たまらなく70年代のセンスである。そんな言葉がでてくるあたり、日頃暴力行為には全く縁がないのだろう。最初からしらばっくれていたので、桃子を呼んでも面倒に巻き込まれるだけだな。そう思って大輔はのほほんと座っていた。
大輔が少年の顔に視線を向けると少年は慌てて視線を逸らす。こんなに気が弱いのでは向こうも訴えを取り下げることはなさそうだ。ただ、先生達がどちらかというと自分の方を信用してくれているのが救いであった。
その時、指導室の扉が開いた。
「安藤も口から生まれたんじゃねえの・・。」
桃子はさあね、と呟きながら夕陽の沈んでいく海の方を向いた。
「あんまり、お前を面倒毎に巻き込みたくなかったんだけど・・あんな事言ってよかったのか?」
桃子は木地本から噂を聞いて指導室に飛び込むやいなや、自分がその少年に乱暴されそうになったところを助けてもらったと証言し、恥ずかしかったから黙ってて欲しいと俺に頼んだと涙ながらに訴えたのである。ポケットには目薬を持って。
当然少年は嘘だ、と騒ぎ始めたが『警察に行く』の一言が効いたようだ。自分の仕掛けた罠が自分に返ってきたのだから悪いことはできないもんだ。(笑)
「最初から私を呼べばこんなことにならなかったのに・・。」
「安藤、お前は1つ忘れている。」
大輔の言葉に桃子はきょとんとして振り返った。
「俺があいつを殴ったのは事実なんだよ。つまり、ケンカは両方が停学になるのさ。」
桃子は楽しそうに笑うと足下の砂をすくって、俺の方に投げつけようとした。
「この悪党!」
「いやあ、注目されてるねえ。気分いいなあ。」
「気楽でいいわね、早川は・・。」
そう思うのならわざわざ大輔のところにやってこなければいいのだが、1人でいるといろいろ人に聞かれてうっとおしいのだ。
少年が停学処分を受け、噂がいろいろと広がったため2人はまあ、噂の2人になったというわけである。
「やあ、大輔。困ってる女の子を助けるなんて男の鑑だねえ・・。」
葵が大輔の左腕を握って脇固めから、チキンウイングフェイスロックへと流れるように関節技を仕掛けていく。もちろん顔は笑っている。
「ちょっと波多野、やめなさいよ。」
「わかったよ・・。」
葵は口の中でもごもごと何かを呟きつつ2人に背を向けた。心なしか背中に力がない。周囲の目はカップルを見るそれである。桃子は正直それも悪くないと思っている。ただ、口からでるのは違う言葉であったが・・。
「人の噂も75日・・・ね。」
「いや、多分すぐになくなるよ・・。」
「・・・なんで?」
「・・・秘密だ。」
自分の教室への帰り道。
「何か周りにそういう風に見られていると、自分でもそんな気分になるのが怖いわね。」
桃子は独り言を呟きながら廊下を歩いていく。そんな桃子の袖がくいっと何かに引っ張られた。
「あの・・安藤さんちょっといい?」
桃子は目の前に立つかすみにどう接したものか考えあぐねていた。言い訳するのも面倒だし、第一大輔はフリーである。誰かに何かを言われる筋合いは全くない。黙ったままの桃子にかすみはおずおずと口を開いた。
「安藤さんは知ってるの?」
「・・知ってるって何を?」
かすみは言いにくそうにもじもじと視線を逸らす。
「大輔君がもうすぐ・・・」
かすみは一旦言葉を切って下唇を噛みしめた。そんなかすみの様子に桃子は首を傾げながら尋ねた。
「早川がもうすぐ・・何?」
「ご・ごめんなさい、何でもないの・・。」
走り去っていくかすみの後ろ姿を桃子はぼんやりと見送った。
「変な人ねえ・・。」
「あら、早川も来てたの・・。」
「なんだ安藤か。」
桃子のいでたちは薄い桃色の生地に笹の葉をあしらった浴衣に帯は薄い青。右手にはうちわを、左手は腰にあてて不服そうに大輔を見つめている。
「なんだ安藤か、ってもう少しアクティブなリアクションはとれないの?」
大輔は桃子には聞こえないように舌打ちすると、改めて桃子の浴衣姿を上から下までじろじろと眺める。
「やあ、浴衣姿がよくにあうえ・いてっ・・。」
桃子はうちわを握りしめたまま両拳をぷるぷると震わせている。
「何でそんな簡単な台詞で舌をかむのよ・・。」
「・・・お世辞は言い慣れてないんだ・・。」
桃子はやれやれといった風に肩をすくめて歩き出す。2・3歩歩いて桃子は大輔の方を振り返った。
「ちょっと、早く来なさいよ。」
どうやらいつの間にか2人で見て回ることになっているようだった。
「あら珍しい。ひよこつりだわ。・・・ここで会ったが100年目、子供の頃の敵をとらせて貰うわ。」
ひよこつりとは?・・赤・青・黄(地色)の3色ひよこの首輪を風船つりのような感じでつり上げるのである。風船と違ってせわしなく動き回るひよこの動きを読む事が最重要となる。はりがひよこの餌を固めて作ってあるのでぼやぼやしてるとあっという間にはりが消えてしまう。
桃子は財布から千円札を取り出すとおっちゃんの目の前に突きだした。既にその時点で負けていると思う。(笑)
1回目、0.6秒。
どうやらこのひよこ達は餓えに餓えまくっている様で、はりを下ろそうとすると集団で襲いかかってくるのである。
「はーい、お嬢さん残念。(*9)」
桃子は最後の一本となったはりを手にして屈辱の余り身体を震わせている。
「テニスで県内に敵なしとまで言われたこの安藤桃子が・・・」
「・・・多分関係ない。第一、ひよこつり上げたとしてどうするんだよ。食うのか?」
桃子は大輔の方をきっと睨んだ。
「うるさいわね、小学生の時お小遣い二ヶ月分を使い果たした屈辱をはらすためにやってるのよ私は。」
「・・・新たな屈辱を受けてどうするかな・・。」
桃子には聞こえないように大輔は呟いた。
「はーい、お嬢さん残念。」
財布から5千円札を取り出そうとする桃子を大輔は慌てて止めた。
「ちょっと待て。・・・わかった、取り方を教えてやるよ・・。」
大輔は2百円ではりを2本買い、その内の一本を左手に持って角の上の方でぶらぶらさせた。はりを見上げてひよこが押し合いへし合いして動けなくなったところを右手に持ったはりで鮮やかにつり上げる。
「・・とまあ、こんな感じで・・。」
大輔はカラースプレーを噴かれていない黄色いひよこを桃子の手にのせてやった。やわらかい羽毛の感触が桃子の手のひらをもそもそと動き回る。
「・・・これが大人になるって事なのね・・・。」
あまりのあっけなさに桃子は遠い目をして誤解を招きかねない言葉を呟いた。
ドーン。ぴよ。パーン。ぴよよ。
花火の音の合間にぴよぴよと可愛らしいひよこの鳴き声が混ざる。
「それどうするんだよ?」
「学校の飼育小屋で飼うしかないんじゃない?」
「・・・この手のひよこはほとんどが2・3日で死んじゃうらしいけど。」
「・・・ちゃんと早川も面倒見なさいよ。」
大輔は複雑な表情で頷いた。
ぴよ。
「・・・生きてるな。」
あれから一週間、ひよこは元気に餌をついばんでいる。大輔の隣で桃子もまたひよこをのぞき込んでいる。
「さすが早川がつり上げただけにタフね・・。」
日曜だというのにわざわざひよこの世話のために学校にやってきたのだが、桃子がテニス部の練習を終えて面倒を見ていたらしい。
「安藤、実は俺こいつの面倒がみられなくなったんだ・・。」
「何よ、飽きっぽいわね。」
「そうじゃない。・・・俺、転校するんだ・・。」
ひよこが桃子の手から滑り落ちていった。桃子はゆっくりと大輔の方を振り返る。
「・・・笑えない冗談ね。」
「いや、冗談じゃないんだが・・。」
「冗談じゃないならもっと笑えないわ。」
それきり2人は黙り込んだ。沈黙の中をただひよこの鳴き声だけが響いている。それが滑稽であればあるほど桃子の心は動揺した。
「・・私一人で面倒見るわよ。言いたいことはそれだけ?」
黙ったままの大輔を一瞥すると桃子はその場からすたすたと立ち去った。
誰もいないテニスコートでただ黙々とサーブをうち続ける桃子。一定しないフォームが桃子の精神状態を表しているようだった。
自分のことを自意識過剰だと思ったことはない。お互いに好意を持ちあっているはず。その確信が少し揺らいでいるのを感じた。
「・・告白する勇気もないやつなんてこっちから願い下げよ・・。」
桃子は寝返りをうった。疲れているはずなのに目がさえて眠れない。
『安藤さんは知ってるの?』
『いや、多分すぐになくなるよ・・。』
今になってあの意味深な言葉にどうして気が付かなかったのだろうと思う。今となっては心があまりにも深入りしすぎている。
幾度となく寝返りをうっている内に東の空が白々と明るくなってきていた。
転校の手続きとかで大輔が学校に来ていないことを聞き、桃子は初めて喪失感を現実のものとして感じ取る事ができた。
「・・あいつはお前を捨てて転校するんだって・・。」
桃子の呟きに対して耳を貸さずにひよこは熱心に餌をついばみ続けていた。
お別れ会。
桃子はふと涙腺が刺激されるのを感じて教室を抜け出した。安藤桃子ともあろう者が人前で涙を流すなんてもってのほかである。
それなのにどうしてこいつは自分の後を追いかけてきたりするのだろう・・。
意気地なしのくせに・・。
「何か用?」
「ああ、安藤に言い忘れたことがあってさ・・・。」
想い。
「それで?」
告白に対するリアクションとは思えなかったのだろう。大輔は妙な顔をして桃子を見つめた。桃子は両手で大輔の胸のあたりを掴んで前後に揺さぶる。
「だから、それだけ?・・・卒業したら帰ってくるとか、待っててくれないかとか言えないの?」
大輔は苦しそうに呟く。
「その前に返事を聞かせてくれ・・。」
「これ以上、この安藤桃子に言わせるつもりなの?」
大輔は桃子の手を振りほどくと、ゆっくりと話し始めた。桃子の望んでいる言葉を。
・・・悲しいときに泣くなんて私のプライドが許さない。でも、嬉しいときならかまわないよね。
桃子は大輔の首に抱きついた。
「約束破ったらこっちから尋ねていくからね。覚悟はできてるわね。」
言葉とは裏腹な涙声ではあったが、不思議と自分らしい気がした。
コケーッ。
「結局卵を産むでもなく大飯ぐらいの役立たずに育ったわね・・。」
桃子が卒業証書を片手に飼育小屋の中をのぞき込む。桃子の隣でかすみが大きく頷いていた。それに反論するように今や立派な鶏に成長したかつてのひよこは鳴いて走り回っている。
「そう言えば、七瀬には話したことなかったよね。この鶏はね、縁日で早川がつったひよこだったのよ・・。」
桃子の言葉にかすみは首を横に振った。
「知ってたよ。大輔君に世話を頼まれたから。『安藤さんが部活で忙しいときは面倒みてくれ』って。その時に聞いたの。」
「早川らしいわ・・。でも、嫌じゃなかったの?」
「ううん、だって私大輔君のこと好きだから・・。」
質問に全く臆することなくさらりと告白するかすみに桃子の方が赤面してしまう。
「・・・それって余計に嫌じゃなかった?」
「だって、大輔君ったら中学の頃から安藤さんばかり見てたんだもの。慣れちゃった。」
それは初耳、とばかりに桃子は瞳を大きく見開いてかすみの方を見つめる。
「だから、大輔君の思いがやっと通じたんだなあと思うとちょっと嬉しかった。」
「七瀬、あんたお人好しすぎるよ・・。」
再び鶏が激しく騒ぎ始めた。何事かと思って辺りを見渡すと葵がにやにやと笑いながら桃子の方に話しかけてきた。
「安藤、いいこと教えてあげようか?」
「別に教えて貰わなくてもいいわよ。」
とりつくしまもない桃子の返答に葵は口をとがらせた。が、気を取り直したのだろう。再びにやにやと笑いながら口を開いた。
「校門で安藤を待ってる人がいたぞ。」
鶏が狂ったように騒ぎ出す。桃子の心臓もそれに呼応するかのようにどきどきと脈が速くなっていく。
「ふん、誰かしら?待たせるのも悪いし、仕方ないわね・・。」
ゆっくりとかすみ達から離れていく桃子。校舎の角をまわっていきなり走り出した桃子の後ろ姿を見て葵は腹を抱えた。
「強がり言っちゃって。・・・しかし、この鶏これから誰が世話するんだ?」
「生物部の人が世話してくれるんだって・・。」
かすみがどことなく寂しそうに呟いた。葵がそんなかすみの手を取って歩き出す。
「さて、安藤達を冷やかしに行こうか・・。」
「え、ええ?そんなの2人に悪いよ・・。」
「いいのいいの。お互いふられたんだからこれぐらいは許されるって。それに安藤が泣く場面を見られるかもしれないし・・。」
かすみがしばらく考え込む。どうやら桃子の涙を想像しようとして上手くいかなかったらしい。
突然走りだしたかすみに引っ張られるように葵がついていく。2人は校舎の角を曲がったところで、何やら文句を言っているらしい桃子を困惑した表情で見つめている大輔を発見することになる。
「どうして来るなら来るって手紙の1つも寄越さないのよ?」
「いや、びっくりするかなと思って・・。」
文句こそ言ってるが桃子の顔は笑っていたし、大輔は大輔で楽しそうにかすみと葵の目には映った。
「だいたいあなたはねえ・・・」
雲1つない晴天の空に雲雀の鳴き声が響き渡った。
完
何でこのキャラがレギュラーじゃないんだ!という熱い憤りのままに書いたお話しです。もう勝手にイベント作ってやりたい放題なお話です。ちなみにひよこつりは私は見たことがないです。ひょっとすると酔っぱらいの戯言だったのかも・・。(笑)
ちなみに文中で登場する藤川さんは隠しキャラのさつきのつもりです。ところどころに作者のお遊び的なネタをふってあります。やっぱり、安藤と言えばキック。これは枕詞みたいなものですよね。(笑)
しかし、ここでの桃子が別キャラに思うかそうでないかは微妙なところですね。個人的にはこの桃子というキャラをかなり気に入ってるのですが・・。このゲームの中で桃子は私の心のNO1です。どうしてこんなおいしいキャラがレギュラーじゃないんだ?
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