「勇次君。中間試験の結果、どうだったの?」
「ああ、茜ちゃん。うん、二番だったよ。上出来さ・・。」
 掲示板に貼り出された試験結果を前に、茜は幼なじみの勇次を話し相手にして自分の知り合いはどのくらいか確認していく。
「でも・・この早川君ってどんな人かしら?いつも勇次君より上なのよね・・。」
「茜ちゃんは会ったことの無いの?えーと・・・ほら、そこにいる。今、安藤さんと話してる彼がそうだよ。」
 勇次の指さす方向に視線を向けた。何やら大きな声で話し合っているらしく、その話し声がこちらにいる茜達にまで聞こえてきた。
「きいぃっ、早川、今度は絶対負けないからね!」
「今日の昼飯は安藤のおごりだからな。」
「わかってるわよ。・・・たくっ、ちょっとは手加減しなさいよ。」
「手加減したら、お前怒るじゃないか。」
「そんなの当たり前でしょ!」
 今回、学年で三番だった安藤桃子を相手にして笑っている少年。茜はその少年の顔に見覚えがなかった。
「勇次君は・・・早川君と知り合いなの?」
「えっ、うん、ちょっとね・・。」
 勇次の顔が何故か少し赤らむ。
「変な勇次君・・。」
 
 今日の日替わり定食には鳥の唐揚げが入っていた。作り置きの唐揚げは油がべたべたとして少し興ざめなのだが、この学食では作り置きの唐揚げをもう一度中華鍋でかりかりに炒めて油を飛ばすので歯ごたえも良い。まさに唐揚げにはうるさい茜も納得の一品なのである。茜はにこにこしながら空いている席を見つけてそこに腰をおろした。
「さーて、何を頼もうかなぁ・・」
「ちょっ、ちょっと早川。私、今月ピンチなのよ。あんまり高いのは・・・。」
「学食のメニューに高いも安いもないって安藤・・。」
 デジャブ(既視感)というか、既聞感とでも言えばいいのか・・・茜は食堂の食券売り場から聞こえてきた会話を耳にしてそちらを振り返った。
「なんだこれ?刺身定食っ?」
「ちょっと早川、それ一番高い・・」
 今にも食券販売機のスイッチを押しそうな少年の腕を、心底困ったような表情で桃子が押しとどめようとしている。
 ぽちっ。
「・・・ふっ、武士の情けだ。二番目に高いデラックスランチにしといてやる。」
「どこが武士の情けよ!泥棒でもそこまでやらないわよっ!」
 しばらくしてがっくりと肩を落とした桃子と、何やら誇らしげにトレイを持った少年はちょうど席の空いていた茜の隣に腰をおろした。
「うーん、おいしそうだな・・。」
「そりゃ良かったわね・・・。」
 苦虫を一ダースほどまとめて噛みつぶした様な表情で桃子はため息をついている。茜は知り合いという気安さで桃子に声をかけた。
「安藤さん、えらくご機嫌斜めね。」
「何よ!」
 一瞬ものごっつい形相で睨まれたが、声の主が茜だとわかって桃子は声を和らげた。
「なんだ森下さんか。見てのとおり、純真な乙女を骨まで食い尽くす質の悪い男に引っかかってね・・・。」
「人聞きの悪いことを・・・・って安藤、この人誰?」
 と、少年の視線が茜の方に向けられた。
「早川・・・本気で言ってる?」
 少し呆れたような表情で桃子は少年の顔を見つめた。そしてため息。
「二組の森下さんよ。あなたの隣の組でしょうが・・。森下さん、これは早川っていうの。か弱い乙女を食い物にする超極悪人だから気を許しちゃダメよ。」
「私、森下茜。よろしく。」
 茜が軽く会釈したのにあわせて、軽く頭を下げかけ、ふと思いついたように少年はその動きを止めた。 
「・・・ああ、ひょっとして高林の幼なじみの・・・あ、僕は早川大輔。」
「え?やだ、勇二君変なこと言ってない?」
 勇二の口を通して、少なくとも名前は知られていると言うことに茜は軽い羞恥を覚えた。そんな思いが自分の顔に出てしまったのか、少年は苦笑いしながらそれを否定する。
「高林は他人に都合の悪いことを言うような奴じゃないよ。それに引き替え安藤は本人を前にしてまで悪口を・・・。」
「私があなたに昼食をおごるの何回目だと思ってるのよ?」
「・・・負けるのが悪い。しかも勝負を挑んだのは俺じゃないし。」
 どうやら桃子は大輔に負け続けているらしかった。茜は普段、おしとやかな桃子の姿ばかり見てきたせいか、2人のやりとりがとても新鮮で聞いているだけで楽しくなる。
「仲いいのね2人とも・・。」
「同じ中学だからね(*2)」
 ・・・ふうん、それだけかな?
 茜は心の中でそう思ったが口には出さずにおいた。
 
 茜はぼんやりと窓の外を眺めていた。
 どんよりとした雲から休むことなくしとしとと雨が降り続けていた。この一週間ばかりずっとこんな天気である。厚い雲に覆われて、昼間だというのにどこか薄暗い。
 雨が降ると、普段外で練習する運動部のせいで体育館が混雑して思うように練習ができないのである。体育館を使う曜日は他のクラブと話し合って決めているのに、ずかずかと割り込まれるのが面白くないのは茜ならずとも普段体育館で活動する運動部ならばみな思うことであった。もっとも雨の中熱血するクラブもあれば、校舎の中で暑苦しい姿を見せつけてくれるクラブもあるから一概にはそういえないのだが・・・。
 頬杖ついて心持ち頬を膨らませた茜の目の前にいきなり白い物体が現れた。
「森下さん。」
「えっ?」
 茜の目の前でゆらゆらと揺れているのはにこちゃんマークも立派なてるてる坊主であった。その首のあたりにくくられた糸をたどるようにして、茜の視線が徐々に上がっていくとそこには大輔の姿があった。
「なんだ早川君か・・もう、びっくりしたじゃない。女の子の後ろから足音も立てずに近寄るのはいけないんだからね。」
 そう言いながら茜は右手の人差し指でちょんとてるてる坊主をつついた。首から下の柔らかな感触に茜は眉をひそめる。
「早川君・・・これって?」
「トイレットペーパーをちょっと借用したんだけど・・。」
「横領罪・・。」
「御代官様、これは些少ではございますが・・。」
 そう言って、大輔はてるてる坊主を茜の手にちょこんと座らせる。茜自身もノリのいい方なので鷹揚に頷きながら低い声でやり返す。
「早川屋、そちも悪よのう・・。」
「お互い持ちつ持たれつ・・・ですからなあ・・。」
 と、タイミングを合わせて2人で高笑いでも始めようかという矢先に、『すぱーん』、と聞いた人の心を和ませるような軽快な音が大輔の後頭部で響く。
「お前ら本当に高校生か?」
 手に持ったハリセンを片手に、木地本が苦笑いしていた。そのまま2人の会話に割り込むような形で窓の外を眺める。
「しかし、梅雨とはいえ良く降るなあ・・。」
「てるてる坊主1つにはちょっと荷が重そうよね・・。」
「しかもこれって濡れると溶けちゃうしな・・。」
 茜が大輔と知り合ってからまだ一月足らずである。それなのにまるで以前からの知り合いのように馴染んでしまっている。
 波長があっているのかもしれない。
 茜は木地本と話し込み始めた大輔の姿を眺めながらぼんやりとそう思った。
 
 からっと晴れた次の日には雷を含む豪雨だったりと、いよいよ梅雨も後半になり天気予報泣かせの時期になってきていた。
 そしてここ青葉台高校では、生徒泣かせの実力テストが間近に迫り校内はやや重苦しい雰囲気に包まれている。
「今度こそ早川に勝つわ!」
「・・・安藤さん、今までの戦績はどうなってるの?」
「・・・・・よ。」
「えっ?」
「7戦全敗よ。」
 桃子が固く握りしめている箸がみりみりと嫌な音をたてている。高校に入学して軽い気持ちで挑んで返り討ちにされ、それから負け続けているらしい。負けず嫌いの桃子としてはそれが我慢ならないのであろう。
「大体あいつはそれまでずっと私より成績が悪かったくせに、賭けた途端に成績が良くなるのがおかしいのよ。しかも計ったように私よりちょっと上・・・。」
 桃子の呟きに茜は苦笑いした。
 ・・・それは絶対に早川君が狙ってやってるわね・・・・
 短いつきあいだが、大輔にはそういうお茶目なところがあると茜は思っている。もともと学校の成績を彼が単なる目盛りぐらいにしか考えていないことは日頃の言動から薄々気付いていた。自分と似た人間のことは誰しも良くわかるものである。
 茜は口元をちょっとほころばせ、桃子に向かって微笑みながらこう言った。
「安藤さん、その賭けに私も混ぜてくれない?ハンデ5枚付きで・・。」
(ハンデ5枚・・・自分の順位から5を引くこと。つまり、7番なら2番。)
 ・・・・・・・・・・・・・
 茜の普段の成績は、大体15番から20番あたりである。
 実力テストの結果発表が張り出された掲示板の前で、茜は頬のあたりにちりちりとした視線を感じた。
 大輔と桃子が2人並んでジト眼で茜の方を見つめている。その視線があからさまにこう語っていた。
『吐きましたね。あなた嘘吐きましたね。今回いきなり本気出しましたね。』
 とは言え、桃子はともかく大輔はどことなくやられたなあという表情がある。自業自得と言うことがわかっているのだろう・・・。
 ハンデが5枚あるのだから5番までに入れれば茜には絶対に勝てる勝負であった。上位はいつも似たような顔ぶれであり、大輔・桃子・勇次を含めて最近の上位4名以下は下位と少し点数が離れている。そのため5番というのは結構計算しやすいポジションであるのだが、もはや後の祭。
 敗者にはなんの権利も無い。それが賭のルールである。(笑)
 
 がらんとした体育館にダムダムとボールのバウンドする音が響いている。
 練習も終わり制服に着替えて帰ろうとした茜は、床の隅に転がっていたバスケットボールを見つけて遊んでいるのである。
 相手のディフェンスを想定してのシュートはリングにはじかれた。と、そのこぼれ玉を体育館の入り口のあたりで拾い上げた人影。
「森下さんにはしてやられたなあ・・。」
「あら、人聞きの悪い。順位は早川君の方が上じゃない。」
 2人の顔に浮かぶ微笑みは確信犯のそれである。桃子にとってはいい迷惑だろう。
 大輔は手に持ったボールを器用にくるくると回転させながら茜のところまで歩き、そして茜にボールを手渡す。
 茜は無言でボールを数回床にバウンドさせてからシュートする。今度は綺麗にゴールネットが真上にはね上がる。
「はい、次は早川君。」
 そう言って茜は大輔にパスする。大輔はしばらくボールを見つめぽつりと呟いた。
「賭けようか?」
「賭けるって何を?」
「さあ・・。」
 茜は苦笑した。
 自分の目の前にいる少年は茜と話しながらも何か違うことを考えていたのかもしれない。会話として全く成立していないやりとりである。
「そうね・・・じゃあ外れたら駅まで自転車に乗せてってよ。」
「入ったら?」
「ご褒美としてこの森下茜がほっぺにキスしてあげましょう。」
 口が滑ったというわけではない。
 大輔が相手なら別にかまわないとも思う。理由はわからない、けれどこの少年に強く惹かれていると思う。後は・・・そういう気分だから。それ以外に自分自身に対しても説明のしようがない。
 大輔の頬が少し赤くなった。そして手元のボールに視線を落とし、茜に確認するように問いかけた。
「シュート・・・入れてもいいの?」
「そんな台詞は入れてから言うものよ。」
「じゃあ、遠慮なく。」
 無造作とも思えるほどに大輔はあっさりとボールを宙に放った。女子には無い高い放物線を描いたボールがリングの内に微かに触れバウンドする。
 茜の手が無意識に強く握りしめられた。
 その後押しを受けたのか、ボールはリングの中に向かって転がり落ちた。
 静寂の中でボールのはずむ音だけが体育館に響く。その音が聞こえなくなった頃、茜はにっこりと微笑みながら呟いた。
「・・・・約束だもんね・・。」
 
「なーんか怪しいのよね・・・最近のあなた。」
 時計広場のベンチに腰掛けた茜と大輔を見下ろしながら、桃子は腕組みしてぶつぶつと呟いている。
 とりあえず黙ったままの茜に対して、大輔は仕方ないなという風に肩をすくめながら桃子の目の前にメロンパンの包みを差しだした。
「なによこれ?」
「幻のデカメロンパンだ・・・。美味いぞ。」
「・・・・・ばっ、買収する気?」
「言葉の割には、結構ぐらついていた気がするんだが・・。第一何故俺が安藤を買収しなければならんのだ?」
 茜は2人のやりとりをできるだけ気にしないようにして、足下に寄ってきた猫たちに弁当のおかずを与えていた。
「早川じゃなくてそこっ!そこでのんきに猫にご飯あげてるあなたっ!」
「あら、ユゲったらもういらないの?」
 茜は喧嘩上等とばかりに無視を決め込み、ユゲののどのあたりをくすぐり始めた。
「早川。悪いけどちょっとどこか行っててくれない・・。」
 大輔が首をひねりながらこの場を去り、茜と桃子の2人きりになるとぴりぴりとした緊張感が肌を刺し始める。
「森下さん・・・あなた早川に気があるわね?」
「お、お客さん、何を証拠にそのようなことを・・。」
 桃子から目を背けるようにして冗談交じりに呟くと、桃子はふっと一瞬口元をゆるませたように見えた。
「あなたのそういうところって・・・どことなく早川に似てるのかもね。で・も・ね!」
 桃子の指先がびしっと茜の正眼(目と目の間)に据えられる。
「あなた男に興味ないんじゃなかったの?」
「安藤さん、そういう誤解を招く発言はもう少し声量を押さえて欲しいなーなんて・・。」
「じゃあなに?これまでずっとお断りを続けてたのは、ずっと早川のことみつめてたとでも言うの?違うでしょ、違うよね?」
 茜はこのときになって桃子という人間の真髄をかいま見た。どうやら興奮するとせっせと墓穴を掘り続けるタイプの人間なのだ・・・多分。
「絶対に負けないからね。私なんか早川と知り合ってもう5年も経つんだから。」
 桃子の言うような激しい情熱が自分の中に存在するかどうかはちょっと疑わしいのだが、言われっぱなしというのも少し悔しい。だから茜も言わせて貰うことにした。
「・・・5年かけて、なんの進展もなかったの?」
 それを言っちゃあ・・・・(笑)
 ・・・・・・・・・・・・
 その夜、茜は星空を見上げていろいろ考えていた。
 1人エキサイトしている桃子はともかくとして、はたして自分にとって大輔はどういった存在なのだろう、と。
 好ましい存在であることは間違いないが、『好き』とは違うような気がする。とはいっても茜にとっての初恋は小さい頃のあの経験だけだから、何とも比較のしようもない。
 ふと、忘れていた痛みが蘇る。
 あの時、心の中に空いてしまった穴から目を背け続けてきた。自分でも気がつかない内にその穴を埋めようとしているだけなのかもしれない。
 だとしたら・・・・凄く失礼なことかもしれない。
 茜は夜空をわたる天の川をじっと見つめた。
 
「あ・安藤さん?どうして私の後をついてくるのかな?」
「ただの監視だから気にしないで・・。」
 そう言って茜の背後に張り付く桃子。青葉台高校二年男子の人気を二分する女の子のツーショットは結構絵になる光景だ。
 しかも、一見仲の良い友達同士に見える。
「わ・私のことは気にしないで早川君にアタックしてきたらどう?」
「私がぬけがけするような人間に見えるの?」
 そのわりには全く茜を信用していない桃子。無茶苦茶である。
 てくてくてく・・・ぴたっ。 
「安藤さんの家は逆方向じゃなかったかしら・・・?」
「今日は駅前の商店街に寄りたい気分なのよ。」
 そういうときに限って得てして人は人と出会ってしまうものである。
「へえ、安藤と森下さんが二人一緒ってのも珍しいね。」
 当然の様に桃子がじと眼で茜の方を見つめている。
『抜け駆けですね、あなた抜け駆けですね、抜け駆けに決まってますね。』
 そう語って止まない桃子の視線に対して茜は全身全霊をかけてそのぬれぎぬをはらそうと必死に抵抗した。
 そんな茜の視界の隅に映った黒い影。
「あ、ユゲだ。おーい。(・・とにかく話を逸らそうとして必死)」
「だめだ!今呼んだらっ!」
 普段俊敏な動きを見せる猫だが、悪い癖・・というか習性がある。驚くと一瞬立ちすくむのである。
 みなさんも車に轢かれた犬よりも猫の方をよく見かけるのではないだろうか。
「早川っ!?」
 キャキイィィッ・・。
 ブレーキの音を響かせて止まりかけた車は、大輔が動くのを見て安心したのか、そのまま走り去ってしまった。(注・絶対に真似をしてはいけません。)
「んみゃ?」
 のんきそうに鳴くユゲを抱えたまま、大輔が額の汗を拭っている。
「早川無事なの?・・・良かった。」
 と駆け寄ろうとした桃子より先に茜は大輔の前に立っていた。
 ぱん。
 平手打ちされた痛みよりも驚きがあったのだろう。大輔はきょとんとして茜を見つめていた。
「・・どうして?どうしてそんなことするの?」
 きゅっと下唇を噛みしめたまま、あふれ出る涙を拭おうともせずに茜は大輔の顔を睨みつけるようにして見つめる。
「ユゲが助かっても、もしあなたが死んだら私はどうしたらいいっていうの?自分の命と引き替えにして助けられた人の気持ちを考えたことがある?ねえ、教えてよ!」
 ヒステリーを起こしたように泣き叫ぶ茜を桃子と大輔はただ呆然と眺めていた。
 
「おい、高林。」
 勇次は振り向くと同時に右腕をがっしりと掴まれた。一瞬遅れて左腕も掴まれる。
 右腕には大輔、左腕には桃子。力技をやらせたらおそらく右に出るものはないだろうというタッグコンビに勇次の顔が青ざめる。
 勇次の心には何らやましい事など一かけらもないのだが、二人の様子が尋常ではないことぐらいはわかる。
「ちょっとこっちに来い(来なさいよ)。」
「え、ええっ?」
 二人とも微笑んでいるのが勇次にとっては余計に怖い。勇次は大した抵抗もできず、(するつもりもなかったが)ずるずると理科準備室へと引きずられていった。
 
 茜にとっては二日ぶりの学校。
 なのに教室に鞄を下ろした瞬間に桃子に拉致られ、プールの裏手に連れて行かれた。
「昨日高林君からある程度の事情は聞いたんだけどさ・・・」
 桃子の台詞に、茜は勇次が自分に謝っていた理由を悟った。と、それまで優しい表情をしていた桃子の目が一転してジト眼になって茜を責めまくる。
「早川は全然悪くないじゃない。悪いのはこの手、この手よね。」
 と茜の右手をぺしぺしとしっぺする様に叩き続ける。
「ちょ、痛い、痛いってば安藤さん。」
 茜の右手首が真っ赤になったところで、桃子はようやく茜を解放した。腫れあがった自分の手首を眺めて涙目になっている茜に対して桃子はため息をついた。
「ま、このぐらいで勘弁してあげるわ。・・・ちなみに早川も知ってるからね。」
 どうせ知られるなら自分の口で伝えたかったのだが、今となっては仕方がないと茜は俯いた。
「ついでにもう一つ。あなた昨日休んでたから知らないでしょうけど、早川の奴今学期一杯で転校することになったから。終業式の日まで会えないわよ・・・じゃあね。」
 茜の視線を避けるようにして、桃子は背中を向けて歩き出した。が、その歩みが止まって桃子が振り返った。
「今のところは負けといてあげるわ。でもね・・・大学に上がってから巻き返してあげるから覚悟してなさい。」
 傲然と胸をはって去っていく桃子の後ろ姿を茜はぼんやりと眺めた。
 ・・・・一体どういう意味なんだろう?
 
「この前はごめんね、殴ったりして・・。」
 大輔がゆっくりと首を横に振る。
「・・・なんて言うのかな、ずっと自分の命は借り物なんだって思ってた。あの人の命を犠牲にして助かった命だから・・。」
 言葉がつまる。
 静かに、静かに涙が流れていく。
「ずるいよね・・助けて貰ったお礼も、恨み言も言えないんだから。あの時の早川君に言ったのはそういうこと・・・。って何言ってるかわからないよね。」
 茜はぺろっと舌を出して自分で自分の頭を叩いた。
「私、はっきり言って早川君のことが好きなのかどうか良くわからない。だから、今は早川君の想いにどう答えたらいいのかわからなくて。」
「それは残念だな・・。」
 ぽつりと呟いた大輔の言葉が風に紛れて飛んでいく。
「でもね、早川君と一緒にいたいの。転校して欲しくないの・・。」
 あの時から茜の心の時は止まっていたのかもしれない。成長を止めてしまった幼い心が今自分が感じている思いを上手く伝えられなくてもどかしい。
「わかった・・。じゃあ、その返事は一年半後に聞かせて貰うということでいいかな?」
 ふと、風が止んだ。
 茜は俯いていた顔を上げて、大輔の顔を見つめた。
「卒業したらこの街に戻ってくるから。・・・いや、戻ってこないと安藤の奴が死ぬまで呪ってやるって言うんだ。」
「じゃあ、戻ってこなかったら私も早川君のこと呪ってあげるね。」
「・・・・絶対に戻ってくるよ。」
「うん。・・・待ってる。」
 
 早川へ
 早川、写真送りなさい。『今よりもいい男になる』っていうあの時の約束を忘れてないでしょうね。
 だいたいあなたは・・(中略)・・
 ま、こっちはみんな元気にやってるわ。波多野や七瀬もあなたが帰ってくるのを楽しみにしてるんだからちゃんと合格して帰ってきなさいよ。
 あと、知ってるでしょうけど森下もあなたと同じ大学に合格したそうよ。まったく、主体性がないんだから。
 とにかく、こっちに帰って来るときは連絡しなさい。
 
 大輔は苦笑いしながら桃子の手紙を閉じた。どうやら、一年以上経った今でも愛想は尽かされていないらしい。
 それよりももう1人の方から最近手紙が無かったのが気にかかる。受験勉強で忙しかったのか、それともひょっとしたら愛想を尽かされてしまったのかもしれない。
 駅のホームに下りるうと、潮の香りがした。
「帰ってきたっていう実感がわくよなあ・・。」
 真っ直ぐに青葉台高校を目指し、程なく桜坂を登り切ったところで懐かしい声が聞こえてきた。
「はーやーかーわー。連絡しなさいって言ったでしょ!」
「安藤・・・綺麗になっても性格は相変わらずか?」
「あなたもね・・。それより・・森下にとっては一年半は長すぎたみたいね。」
 大輔の視線から逃げるようにして桃子は目を伏せた。
「そうか・・・。最近手紙が来なかったのはそのせいか・・。」
 すぱーん。
「安藤さん。適当なこと言わないで。ちょっと受験でごたごたしてただけです。」
 ふてくされたように頬を膨らませた桃子を無視して、大輔に対して茜は微笑んだ。
「お帰りなさい早川君。」
「ただいま。」
 茜がくるりと桃子の方を振り返って口を開いた。
「安藤さん、ちょっと席を外してくれる?」
「いやよ、私ここにいるからね。」
「ふーん・・・後悔しないでね。」
 茜はちょいちょいと大輔を手招きした。大輔が身をかがめたところで、茜はちょっと背伸びするようにして唇を寄せていく。
「あ、あーーっ!」
 桃子の悲鳴の中で、茜は一旦唇をはずして大輔の耳元で囁いた。
「これが返事だよ・・・。」
 
 

 
 最初は『生まれてきてすみません』ぐらいのむっちゃ暗い話を考えていたのですが、やめました。あまりにイメージ狂ったんで・・・じゃあこれはおっけーなのかと言われると遠い眼をしてごまかすしかないんですが。(笑)
 というわけで私のお気に入りは安藤です。じゃなくてこれはヒロイン茜のお話しです。豪快に存在感を食われまくってますが・・・。
 さて茜ですが、なんというかイメージ的に猫を思わせるキャラです。少なくとも私にとっては。まあ、レギュラーの中では最上位、全体でも上位にランク付けされているキャラです。教科書の落書きと二人乗りのイベントがお気に入りです。
 ただ以前もどこぞで書いたんですが、最初に主人公が『だって俺は・・・』で茜がアップになるじゃないですか。そういうことされるとプレイヤーとしてはちょっと困惑しますね・・。やはり『キャラの数だけヒロインがいる』を合言葉に頑張ってみたいものです。
 ところでみなさんはテスト順位で賭けしましたか?私はしましたが、何故か誰も勝負してくれないようになりました。(笑)
 あの時の友人の目はこう語っていたような気がします。
『吐いてますね、あなた嘘吐いてますね、なんじゃあ、この成績は!』
 ふっ、人間というのは目的がないと燃えられないものなのさ・・・。

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