少女の眠りを破る無粋な暖かみを感じさせない無機質な騒音。
 ベッドからゆっくりと伸ばされた手が2、3度空をきったあと、不愉快な音はぴたりと止んだ。布団の中でしばらくもぞもぞとやっていた少女は意を決したように勢いよく布団をはねとばして上半身を起こした。ゆっくりと部屋の中を見回してため息をつくように呟いた。
「最近寝不足だから目覚めがいまいちすっきりしないわね・・・。」
 少女の寝不足の理由。
 もちろん成績が下がっていつもより勉強時間が長くなっていることもあるが、それはあくまで二次的な理由であって根本的な理由ではない。
 少女はベッドから静かに降り立ち、部屋の中に差し込む光の方角へ足を進めた。
 シャッ。
 乾いた音と共に勢いよくカーテンが開けられ、眩しい中にも柔らかさを感じる光が少女の顔を照らした。
「・・・・いい天気みたいね。やっぱり今日はっきりさせよう・・。」
 決まりきった少女の生活の中にある日飛び込んできたイレギュラー。
 あの少年と出会ってから何かが狂い始めたのだと少女は思う。少しづつ少しづつ変わっていく日常、変化していく自分。
 集中できないのは自分がたるんでるからだと気を引き締めようとしてもできない心。
 ・・・・全部彼のせい。・・・・それと逃げていた自分のせい。
 オトコノコ・・・・好きじゃない・・・・でも。
 この『でも』、から先にたどり着くまでずいぶん遠回りをしてしまった。
 
 休み時間になるとお話しして、放課後たまに一緒に帰ったり、休みの日には2人で遊びに行ったりする。
 別につき合っているわけじゃない。はっきりしない関係。
 自分とその少年の関係はこのぼやけた視界に似ていると少女は思う。輪郭のはっきりしない視界。
 少女は枕元の眼鏡に手を伸ばしながら呟いた。
「このままじゃ危なくて歩くこともできないもんね・・。」
 眼鏡を手にとってゆっくりと目を閉じながらかける。
 しばらくそのままの体勢でうつむいていた少女はやがて目を開いた。
 クリアな視界。
 少女は自分がはじめて眼鏡をかけたときのことを思い出す。ちょっとどきどきする感覚の後、目の前に広がった光景に驚いた自分。ちょっと背が高くなったような気がして慌てて足下を見回したりしたっけ・・。
 少女はくすりと笑った。あの時の自分を思い出すと子供だったんだなと思う。
 ・・・背が高くなったんじゃなくて遠近感の問題なんだけど・・・。
 それでもちょっと自分が大人になったようなあの感情を今も覚えている。
 少女はふとこれから自分がやろうとすることを思い出し、こらえきれずに声を出して笑った。
「・・そうね。今日は自分の心に眼鏡をかけるんだわきっと。そうすればこのもやもやした気持ちもきちんと見えてくるわ・・・あの時初めてレンズを通して景色を見たみたいに。」
 少女は軽い足取りで部屋を出て階下へと下りていく。
「千晴、今日はお寝坊さんね。」
 母の言葉に対して、千晴はただ頷いた。
「うん。」
 
「千晴ー、おはよー。」
「お早う。」
 友人と挨拶して椅子に座る。いつもと違って少し遅かったせいかクラスの半分位の生徒が既に登校してきていた。
「春日さんって、C組の早川君と仲が良かったよね?」
「え?うん、良く話はするけど・・。」
 怪訝そうに声をかけられた方に振り返った千晴の目にあまり面識のないクラスメートの長いポニーテールがうつった。
「なんかさっき職員室で早川君が転校するっていう話を先生がしてたんだけど本当?」
 ・・転校?
 その言葉の意味を理解するのにしばらく時間を必要とした。
「・・・そんな話、聞いてないけど・・?」
「じゃあ、ボクの聞き間違いかな?うん、多分そうだね。ごめんね春日さん、変なこと聞いて。」
 クラスメートが千晴のもとを去っていった後で、千晴は呟く。
「転校?・・・悪い冗談よね。」
 彼と知り合ってから約一ヶ月になるが、そんな話題はかけらも出てきたことはない。
 千晴は軽く頭を振った。
「後藤さんの勘違いよね・・。」
 
 ・・・今日は珍しく早川君と会わないわね。いつもなら偶然(?)出会うのに・・・。
 昼休み友人達と昼食をとりながら千晴は首をひねった。無意識に辺りに視線を泳がせる千晴に友人が不思議そうな目を向けていた。
「そうそう、聞いた。C組の早川君転校するんだって・・。」
「え?ほんとに?残念、ちょっといいなって思ってたのに・・。」
 千晴はゆっくりと首をまわし、自分の前でおしゃべりを続ける友人に目を向ける。
「それ、本当?」
 千晴の喉から低い声がもれた。
「うん、早川君と同じクラスの娘から聞いたんだ・・。千晴?」
「ちょっとびっくりしただけ・・。私、風紀委員の用事があるから先に行くね。」
 千晴は自分の心臓が何かに鷲掴みにされたような息苦しさに襲われ、そう言い残して友人達のもとから離れた。
 二度偶然が重なる事なんてあり得ない。昼休みの残り時間を千晴は自分の席に座ってただ待っていた。
 5時間目の始まりを告げるチャイムの音が鳴ると、千晴はゆっくりと眼鏡を外してぼやけた視界にうつる机を見つめ何かをこらえるように歯を食いしばっていた。
 
 放課後になると、掃除当番もそこそこに千晴は下駄箱に向かった。
 自分に何も告げずに去っていこうとする少年に対して不思議と怒りは感じなかった。それよりも千晴はただ悲しかった。
 俯きながら下駄箱に近づいてきた少年は、千晴の視線に気が付いて足を止めた。一瞬開きかけた口が千晴の瞳によって閉じられる。
「早川君、噂で聞いたんだけど転校するって・・・・本当なの?」
「そうか・・・知られちゃったか。」
「・・・本当なんだ。・・・・・・ずっと説明にくるのを待ってたのにこないから嘘だと思ってた。」
 ぼやけていく視界に、千晴は無意識に眼鏡の位置を確認する。
「・・春日さん・・・。」
 瞬き1つしないで静かに涙をこぼし続ける千晴の姿にたまりかね、大輔が声をかけようとする。
「変ね、眼鏡をかけてるのに視界がぼやけてよく・・・」
 眼鏡を外し、制服の袖で涙を拭おうとするがあふれる涙は抑えようがなく無意味に袖を濡らしていくだけだった。
 大輔は何を言っていいのかわからず、黙ってハンカチを差しだした。
 千晴の手がそれを受け取ろうとしてぴたりと止まった。
「・・・私がここで待ってなかったらそのまま帰るつもりだったの?・・・・帰るつもりじゃなきゃ下駄箱になんか用はないものね・・。」
 大輔はハンカチを差しだした姿勢のまま何も言わなかった。正直、自分はどうしようと思っていたのかわからなかったからなのだが。
 黙ったままの大輔に千晴はハンカチを手ではたき落とした。
「何よハンカチなんて!どこに返しに行けばいいの?綺麗に洗ってアイロンもかけて学校をしらみつぶしに探したって返しようが無いじゃない!・・・どうして、どうして転校することを言ってくれなかったの?しかもよりによって何故今日なの?」
「・・・・なかなか言い出せなくて・・。」
 重い口を開いた大輔の言葉に千晴の瞳が一瞬理性を取り戻す。
「・・・私が悲しむと思ったから?・・・・優しさは時として人を傷つけることもあるんだから・・・。」
 千晴は床に落ちたハンカチを拾い上げ、大輔の手に握らせた。
「前も言ったと思うけど柄物のハンカチは校則違反よ。・・・・じゃあね・・」
 そう言い残して足早に去ってゆく千晴の後ろ姿に、麻痺したように動けなかった大輔の意識が覚醒する。大輔は駆け出しかけた足を止め自分の心を整理し始めた。
 彼女の行き先はわかっているのだから・・・。
 
 千晴は図書館の椅子に座り、何をするでもなくただぼんやりと天井を見上げていた。
 本当なら今頃自分は勇気を出して彼に聞いてみたいことがあったのだが、それどころではなくなってしまった・・・。
 でも今日の出来事で千晴は1つだけわかったことがあった。
 ・・・それは、自分が思っていたよりもずっとあの少年のことを好・・・
「春日さん。」
 千晴の背後から呼びかける静かな声。
 そう、私は彼のことが大好きなのだ。あんなに取り乱してしまうほどに・・・。
 千晴の視界が再び涙で滲んでいく。涙をこぼさないように千晴は上を向いた。・・・ささやかな抵抗に過ぎないだろうけど・・・。
「俺、春日さんに言わなきゃいけないことがあったんだ・・。」
 千晴は背中を向けたままで、努力していつものように話そうとした。
「いいのよ・・。早川君が悪い訳じゃないから。」
「そうじゃない、そうじゃないんだ。」
 千晴の肩が大きな手で捕まれ、くるりと体の向きを変えられる。その反動でこぼさずにこらえていた涙が頬をつたって流れ出した。
「俺、春日さんのことが好きだ。・・・・・だから余計に言い出せなかった。」
 涙がこぼれてやっとクリアに戻った千晴の視界が三度滲んでゆく。
「転校していく俺に言われても迷惑だと思うけど・・・。」
 千晴は目を閉じてふるふると首を横に振った。
「そんなことないよ・・。本当なら私の方からそう言おうとしてたもの・・。」
 しばらくの沈黙。
「校則違反のハンカチでよければ・・・」
 大輔が差しだしたハンカチを千晴は受け取った。笑おうと努力しているのだがうまくいかなくてひきつれたような表情になってしまう。
「大学生になったら戻ってくる・・・。その時返してもらえるかな?」
 笑おうとする努力は必要としなかった。ただ、千晴は嬉しくても涙が出るということを初めて経験した。
「ええ、アイロンかけて待つわ。・・・いつまでも。」
 今の千晴にとっては大輔の胸がハンカチだった・・・。
 
 
 ・・・去年の春森林公園で春日さんと見たパンジーを植物園で見つけてあの時のことを懐かしく思い出しました。今度この花が咲く頃には春日さんと一緒に見ることができるように頑張ってます。
 ・・・伝えたいことが一杯ありすぎて何から書けばいいのかわからないや。
 結局短い手紙になったけど、この前頼まれてた写真を同封します。・・・みさきに撮って貰ったんだけどいろいろ聞かれてどう答えていいか悩みました。
 一年後の再会を楽しみにしています。
 
 ・・・手紙ありがとう。・・・写真もね。相変わらず手紙になると言葉使いが変になるんだから。それというのも私が3通出す間に1通しか返事を書かないからいつまで経っても慣れないのよ。手紙全部に返事をくれなんて言わないけど・・・・もうちょっと返事が欲しいな・・・。
 でもこの前の手紙は返事じゃなかったから正直ちょっと嬉しかったわ。
 ・・うん、私も伝えたいことが多くてとても書ききれそうにないから短い手紙にしておくわ。じゃあ身体に気を付けて・・・
                           千晴
追伸 今度風紀委員長になりました。・・・柄物のハンカチを認めるように校則を改定したのが初仕事です。最近では無地のハンカチを探す方が難しいものね・・・。
 
 手紙を書き終えて千晴はペンを置いた。机の上の写真立てに目をやり今朝のことを思い出す。うっかり机の上に置いたままにしていて母に見つかってしまい、いろいろ詮索されてしまったのだ。
 ・・・彼も妹さんに詮索されたのかな?
 千晴にふと悪戯心が芽生え、先程書き終えた手紙に自分の写真をはさんで封をした。
「後一年か・・。案外早いものね・・・。」
 千晴はこくんと首を傾けて眼鏡を外し、写真立ての前に置く。こうしておけば一番に彼の顔を見ることができるだろうから・・。
 
 

 運が良ければ日本全国で12人程の人間が『この話は昔あんたが書いた如月さんのショート・ショートそのまんまやんけ!』と突っ込んでくれるでしょうが(笑)気にしないでください。
 このぐらいの長さだとショート・ショート・ショートといったところでしょうか?書くのも楽です。実質4時間。
 春日さんはまあ、お気に入りの部類に入るキャラです。・・・いや、眼鏡かけているからじゃなくて。(笑)・・・そこ、なげやりに笑わないように。
『なんで私を誘うの?・・・1人で帰ればいいじゃない?』とかの台詞をはじめとして好きな台詞がこのゲームの中で多分一番多いキャラです。この中にも一カ所だけそのまんま活用してる台詞がありますが気にしないように。
 さて、少し眼鏡にこだわった文章にしてみましたがどうでしょうか?眼鏡をかけたことのない人にはわからない感覚があるかもしれませんが私は気にしません。(笑)
 現実の彼女に対して『コンタクトは似合わないよ、眼鏡に戻したら?』とか誕生日プレゼントに眼鏡を渡す人間に較べたら私のこだわりなんかちゃちいものですぜだんな。(笑・・・この例えはフィクションです。追求しないように)
 大体人間は眼鏡をかけているかかけていないかの2択だから眼鏡っ娘の割合は5割であって・・・(以下略)というわけでお気に入りのキャラが眼鏡をかけている確率が約6割の私はほぼ正常。これが世界標準だ!
 頼むので本気で突っ込まないように。 

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