「……」
街角でふと立ち止まって空を見上げた。
雲が流れていくのが見えた……が、今の眞美の神経は背後に集中しており、その映像が何かの意味を持つわけでもない。
空を見上げたままごく自然にゆっくりと歩き出す。
「っ!」
道ばたの粗大ゴミに足を引っかけて豪快に一回転……その一瞬に、眞美の目は自分の背後の景色を焼き付けている。
「……うん」
服に付いた汚れを払い落としつつ、眞美は小さく頷いた……端から見ている人間にとっては、はっきり言ってかなり危ないリアクションではある。
「……気配が13で人の姿が12か…」
ちなみに昨日は気配の方が少なかった……それだけに、眞美は余計に圧力を感じる。
眞美は困った表情を浮かべ、再び空を見上げた。
「このままじゃ、やっぱ迷惑かけちゃうよね……」
「明日からまた少し留守にするからね」
夕食の真っ最中だったので、円形テーブルのあちこちで不満の声があがる。
眞美がここにやってきてから幾度となく目にしてきた光景だが、半年も経てばその不自然さに気がついてしまう。
もちろんそれは、『大学生のくせに一体何をやってんだか…』という誰もが思う疑問ではなく、12人の妹達のリアクションの違いに、である。
渉がいなくて寂しい、つまんない……というリアクションが大半を占める中、鞠絵と可憐の2人が微かにではあるが心配そうな風情を見せるのだ。
ただ普通に外出するときはそういう素振りは全く見せず、『家を留守にする…』と宣言したときだけ……もちろん、日数は関係ない。
「(渉さん、多分危ないコトしてるって事だよね……そしてそれを知ってる人間は限られている……)」
ちらりと千影に視線を向けると、こちらは完全にノーリアクション……その、完全にノーリアクションというのも、どうも作為的めいている。
と、ここまで察するのはすぐだったのだが……さらに回数を重ね、鞠絵、可憐、千影……その3人の共通項を探すうち、眞美はあることに気がついたのである。
先の3人はみな誕生時から渉と共に過ごしてきた妹のグループで、残りの1人の咲耶を加えると……そうして眞美は咲耶に先入観をもって観察する事を始め、今ではそのリアクションが微妙ではあるが不自然だと思えるようになった。
「……考え過ぎかなあ」
「あ、そうだ眞美ちゃん」
「は、はいっ!?」
いきなり声をかけられ、眞美は慌てて視線と共に意識をそちらに向けた。
「テスト頑張ってね」
「……善処します」
しおれた花のように項垂れる眞美の姿に微笑むと、渉は改めて口を開いた。
「それはさておき、話があるから後で部屋まで来てくれるかな?」
「はい……?」
「……私のぉ…仕事はァ……ガードォ〜マン」
「なんだい、その人生の悲哀を凝縮したような歌は?」
渉の部屋から出てしばらく歩いたところで千影と出会う。
「ああ、千影さん…」
眞美はちょっと困ったような視線を向け、千影相手なら良いかと、さっきの渉の会話を話して聞かせた。
「ふーん、『最近、物騒だから身の回りに気をつけて欲しいんだ…』…ね」
何か言いたげな千影の様子に気付き、眞美は敢えて水を向けてみた。
「……最近って、何か物騒な事件とかありましたっけ?」
「最近じゃないけど、眞美ちゃんが四葉の後をつけ回す変質者を闇討ちしようとしてたかな…」
「いや、あれは…」
アタシじゃなくて千影さんが何かを…
そんな言葉を封じるかのように、千影は首を振りながら呟き続ける。
「……私の知ってる限りで、眞美ちゃんが家のまわりで大暴れした事が5回はあるね」
「下着……というか、洗濯物泥棒でしたから」
「2人はね」
どこか笑いを堪えるような千影の視線に耐えかね、眞美は大きな声を出した。
「だって残りのアレは不審者っていうか、絶対に良からぬ目的を持ってこの家のまわりをうろついてましたって!」
「つまり……物騒だね」
「……そう、ですね」
千影は微かに微笑むと、眞美の方をポンと叩いた。
「じゃあ、頑張って」
「頑張って…って。アタシにみんなを守れとでも?」
「……兄くんは、『身の回りに注意して…』って言ったんだろう?」
「……」
「それはつまり……眞美ちゃん自身の身の回りという意味じゃないのかな?」
眞美はちょっと意表をつかれた感じで顔を上げ、そしてぽつりと呟いた。
「アタシが……何で?」
「誰かに見初められたのかも知れないね」
そう言って、千影はちょっと困ったように微笑んだ。
「あ、眞美ちゃん…」
「え?」
手を振りながら駆け寄ってくる可憐の姿を認め、眞美は少し首をひねった。
「ど−したのこんな所で?」
家から離れた……平たく言うと最寄り駅から二つ移動した駅前広場で、もちろん学校の登下校は徒歩だから少なくとも帰り道のはずはない。
「可憐、今日はピアノのお稽古だったから」
小鳥を思わせる仕草で小首を傾げ、にっこりと微笑む可憐……さすがは天使の笑顔の持ち主である、道行く人間が幾人もこちらを振り返っていく。
「可憐ちゃんピアノ習ってたんだ…」
「え……知らなかったの、眞美ちゃん」
「初耳です…」
可憐はちょっとだけ悲しそうに微笑み、反対に聞き返した。
「そういう眞美ちゃんは、こんなとこで何を?」
「バイト」
「何のバイトなの?」
「フフ、それは秘密だよ可憐……って、似てないね」
可憐は困ったような表情を浮かべ、ぽつりと慰めの言葉を口にした。
「可憐ね、千影ちゃんの真似は誰にもできないと思うの……やらない方が良いと思うし」
「可憐ちゃんにそう言われると、すごく心が落ち着きます」
「……?」
「いや、何でもないない……せっかくだから、一緒に帰ろうか」
「はい」
いつもならジョギングがてら走って帰る距離だが、可憐がいてはそうもいかない。眞美と可憐は暮れていく夕焼け空を眺めながら2駅の間だけ電車に揺られた。
「可憐ちゃんとこうして2人で歩くのは初めてだね」
「みんな一緒、ならあるんだけど」
「渉さんじゃなくて残念?」
約0.8秒ほどの間をおいて、スイッチを入れたかのように可憐の顔が赤く染まる。
「ま、ま、まま眞美ちゃんったら、いきなり何をっ!」
「いや……渉さんって、ある意味罪な人だなと」
火照った頬をどうにかしたいのか、可憐は手のひらでさすったり叩いたり……余計赤くなると思ったが、眞美は何も言わずにおいた。
「……眞美ちゃんって、意地悪な人だったんですね」
「千影さんに鍛えられたもので…」
眞美は背後からの執拗な視線に辟易して口ごもった……歩調はそのままで。
「眞美ちゃん…?」
「……ここまで下手な尾行ってコトは」
ちらりと可憐を見る。
まあ、可憐に限ったことではないが……犯罪者をダース単位で生産してしまいそうな愛らしさ。ついでに言うと、多分お金持ち。
家の誰かと一緒に街を出歩くと、必ずと言っていいほど感じる類のモノだから……多分、あまり危険はない。
「……可憐ちゃん、誘拐された事ってある?」
「最近はないけど、未遂も含めて何回か……」
「何回かっ!」
半ば冗談のつもりで言ってみたのだが、何でもないことのように返されて眞美の顔がひきつる。
「でも、いつもお兄ちゃんと千影ちゃんが助けてくれたから」
こめかみに鈍い痛みを感じつつ、眞美は新たな疑問を口にした。
「えーと、可憐ちゃんの他には…」
可憐が首を傾げながら両手の指を曲げたり伸ばしたりし始めたのを見て、眞美は慌てて止めた。
「ゴメン、今の聞かなかったことにして」
「いいですけど…?」
夕日に向かって『物騒って、どういうレベルなんですか!』と叫び出したい衝動を押し込めつつ、眞美は首を振った。
「雛子ちゃん、雛子ちゃん…」
「どうしたの、眞美おねーちゃん?」
「雛子ちゃんが道を歩いていると知らないおじさんがやってきてこう言いました。『お嬢ちゃん、美味しいお菓子を上げるからちょっとおいで…』……さて、どうする?」
「んとね……『ヒナはおにーたまがすきだから、その気持ちは受け取れません。ごめんなさい』って言うよ」
無垢な瞳をキラキラと輝かせ、きっぱりと言い切る雛子。
まあ、最近は子供がいくら注意をしていても力づくで……という犯罪が増えているので、それを徹底したところであまり意味はないのかも知れないが……知れないのだが。
「間違ってないんだけどどこか間違ってる…」
世間の一般常識からはずれた現実を久しぶりに見せつけられ、眞美はこれまた久しぶりに壁にゴンゴンと頭をぶつけてしまう。
「私を呼んだかい?」
「……」
眞美は千影の顔をじっと見つめ、ぽつりと呟いた。
「呼んでないですけど、ちょっと話がしたかったりはします……」
「…?」
首を傾げた千影の背中を押すようにして、自分の部屋へ連れていく。
「……で、話って?」
「この家における、『物騒』という言葉の意味を教えてください」
千影はため息をつきながら呟いた。
「眞美ちゃんは本当に時々わけの分からないことを言うね…」
「落ち着けアタシ、頑張れアタシ…」
ぶつぶつと精神を安定させる呪文を呟きつつ、眞美は千影に向かって可憐との会話で思ったことを述べた。
「……誘拐云々ってのは物騒なレベルじゃないわけですか?」
「それは物騒な話だね」
「いや、だから…」
「例えば、下着泥棒とか変質者とか……眞美ちゃんの身に危険が及ぶことはほとんどないよね」
「えっと……それはアタシが対象外って事ですか?」
少々憮然とした表情で眞美が言うと、千影には珍しく慌てて首を振った。
「いや、そうじゃなくて……戦闘力というか身に及ぶ危険の話さ」
「……?」
「つまり、下着泥棒や変質者に軍の特殊任務に就けるような訓練を受けた人間はまずいないよね。兄くんが言った『身の回りに気をつけて…』ってのは…」
眞美は……こう、ヒステリーを起こす前の人間が浮かべるような表情で千影の言葉の続きを手で制しつつ、ゆっくりと口を開いた。
「……じゃあ、今アタシをつけ回してるのは軍の特殊任務に就けるような訓練を受けた連中って事ですか?」
「うん、早い話がそう」
「……道理で」
眞美はため息をつきながら目をつぶった。
「何故つけ回されているかに覚えはあるのかい…?」
「……」
「……眞美ちゃん」
「はい?」
「ちょっと悪ふざけが過ぎたようだね……ごめん」
「……どの部分が、冗談なんですか?」
眞美はぎこちない笑みを浮かべつつ、尋ねてみる。
「ん、まあ……テストの勉強でもしようか……」
「はあ……」
質問をはぐらされたという意識を持ちつつ、眞美はぼんやりと頷く。
「じゃあ、このプリントを…」
どこからか取りだしたプリントを、千影は丁寧に四隅を揃えて眞美に手渡す。
「千影さん…」
「何だい?」
「これって、試験問題そのものじゃ…?」
現代国語から英語の文法まで、2日かけて行われる試験科目の用紙がずらり。(笑)
心の底から呆れたように千影がため息をつく。
「気のせいだよ」
「なるほど」
「眞美ちゃん……」
「はい?」
「もし……それが試験問題そのものだって言ったらどうする?」
「そりゃ、やるわけにはいかないですよ」
「何故?」
「何故…って?」
今度は眞美が呆れる番だった。
「だって、それじゃあテストの意味が……そりゃあ、赤点は取りたくないし補習もイヤですけど」
「……暗記科目は教科書の記述そのままがテストに出るよね。とすると、試験用紙そのものを暗記する行為は出題範囲が狭まっただけとは考えられないかな?」
「……アタシが、イヤだから」
ふっ、と千影が口元だけで笑った。
「みんなが、していても?」
「イヤなモノはイヤ」
「……ふうん」
誰もがやるような相づちだが、千影がそれをすると妙な雰囲気が漂う。
「じゃあ、そのプリントは預かるよ」
「千影さぁーんっ!」
眞美の手からプリントを抜き取ると、千影は少し真面目な表情を浮かべて言った。
「眞美ちゃんが冷静さを取り戻したようだし、テストよりももっと大事な話をしようか」
「……何ですか?」
「いや、この前の……海に行ったときの話の続き」
「あの話は……終わったんじゃなかったんですか」
「正確には、続きというよりは……まあ、さっきの話の続きだよ」
千影は一旦言葉を切り、そして眞美の視線から顔を背けた。
「最初に……私は眞美ちゃんに謝らないといけない」
「な、な、何をしたんですか!?」
心臓がばくばくと跳ね回るのを感じつつ、眞美は身震いしながら千影の顔を凝視する。
「いや……私のせいだと思うんだ」
「……話が見えないんですけど?」
千影がチラリと眞美を見た。
「つまり……ちょっと物騒な連中が眞美ちゃんを見初めた理由が」
眞美の表情が微かに強ばり、数瞬の間をおいて口を開いた。
「……と、おっしゃいますと?」
「だから…」
「関わり合いにならない方がいいと思います」
千影はしばらく眞美の顔を見つめ、無駄だと諦めたのか肩をすくめた。
「天涯孤独……そう言われたら普通、生い立ちや、どこに住んでいたのかを詳しくは尋ねたりはできなくなるよね」
「……」
「四葉は夏休み前の……ほら、ストーカーまがいのアレの件で眞美ちゃんに何かお礼がしたいと思ったらしくてね……内緒で誕生日とかを調べて祝ってあげようとするのが目的だったと思う」
「アタシの誕生日……ですか」
眞美は全く熱量を感じさせない笑みを浮かべたが、すぐに『いつもの』表情に戻った。
「それは、『椎名眞美』の誕生日って事ですか?それとも、アタシの誕生日って事ですか?」
「四葉が調べようとしていたのは、『椎名眞美』の事だよ」
「……で、千影さんは?」
「うん……」
千影は美しく整った眉根を寄せ、ちょっと口ごもった。
「……四葉は知らない方がいいかなと思ってね、『椎名眞美』の事を調べられないようにしたんだ。多分、それがあの連中を刺激したんじゃないかって思う」
「……」
眞美は小さくため息をついた。
そんな眞美を見て、千影は少し首を傾げる。
「……海の時もそう思ったけど、あんまり驚かないんだね」
「千影さん、ひょっとしてアタシのことバカだと思ってます……いや、確かに勉強に関してバカなのは認めますけど」
「……いいや」
「春に……渉さんがアタシというか……『椎名眞美』を編入手続きしましたよね」
「ああ…そういえばそうだね」
千影は納得したように頷いた。
「あの時に死ぬほど驚きましたからね……編入できるはずもない人間をどうやって手続きしたのかとか、アタシが『椎名眞美』じゃないってわかってるはずなのに、どうしていつもと変わらないのとか……」
「……兄くんは、誰にも言ってないと思うよ」
「ええ……少しして、みんな何も知らされていないことに気付きましたけどね」
自嘲的な笑みを浮かべ、眞美は肩をすくめた。
「四葉ちゃんは知らない方がいい……って事は、千影さんは前からわかってたって事ですよね?」
「フフ……父さんが、あんな手紙を送ってくるはずはないからね。ちょっと調べたんだよ。眞美ちゃんが『椎名眞美』じゃないって事はすぐにわかったけどね……その先はわからないことばかりで、唯一わかったことと言えば……」
千影はほんの少し目を細め、ぽつりと呟いた。
「眞美ちゃん……半年前、ドイツにいたね」
「ま、ちょっとありまして…」
「父さんと母さんも、その頃ドイツにいた筈なんだけどね……」
「あ、そうなんですか?」
眞美はちょっと驚いたように口を開いた。
それを見て、千影は少し怒ったような口調で問いかけた。
「眞美ちゃん……ああいえば私が家から追い出すとでも思ったのかい?」
「その方がいいと思いますし……それに」
「それに?」
「何でもないです」
千影は小さくため息をついた……
「じゃあ、試してみるかい…みんなが眞美ちゃんを追い出そうとするかどうか」
ガタガタガタ……
台風の影響なのか、強い風が雨戸をならす。
「眞美ちゃん、ちょっといいデスか?」
興味半分、困惑が四半分、そして残りはいろんな感情が混ざり合った……そんな複雑な面もちで四葉が話し掛けてきた。
「ん…?」
眞美の返事を待たずに、四葉は床の上にひざまずいて眞美の足首に手を伸ばす。
「……えっと?」
「足……あるデス」
「そりゃ……あるけど」
「……普通、あるデスよね」
「まあ、そうだろうねえ…」
恐ろしいぐらい中身のない会話が続き、四葉は頭を抱え込んで考え込む。
「眞美ちゃんは……生きてますよね」
「……多分ね」
眞美は、何気なく周囲を見回した。
それなりに遅い時間と言うこともあって、居間に居るのはごく少数だが……
四葉は床の上に視線を落とし、それでも思ったことを隠しておけないのか、まわりを気遣う余裕もなく、それを口に出した。
「……だったら、何故『椎名眞美』は死んじゃってるんデスか?」
その次の日、夕食を終えると不在である渉を除いた全員が居間に集まった。
「……じゃあ眞美ちゃんは、父さんの知り合いの娘でも何でもないって事だよね」
「……」
「何で黙ってるのさ」
「……それについては話したくないからだよ、鈴凛ちゃん」
鋭く問いつめるのは鈴凛で、他の11人の反応は様々だ。
自分が余計なことを言ったからとうなだれる四葉と全くのポーカーフェイスを貫く千影は別として、困惑したような表情を浮かべる者、それが一体どうしたのって感じで事のなりゆきを見守る者……まあ、とりあえずは眞美を見つめている。
「……1ついいかな、鈴凛」
「何、千影ちゃん?」
「兄くんは、『父さんの知り合いの娘だから一緒に住む』って言ったかい?」
「兄上様は、『今日から一緒に暮らすから仲良くね…』っておっしゃっただけでしたわ」
「そ、そんなの変だよ。だって……見知らぬ人間をこの家に住まわせるなんて」
話が変な方向に行きかけたのを察して、眞美がちょっと手を挙げた。
「アタシ、出ていくから」
「眞美ちゃん」
千影の言葉を遮り、眞美は顔を上げて言った。
「今更ムシのいい話だけど、アタシ……迷惑かけたくないんだよね」
未だ状況を把握してなさそうな亞里亞と雛子はともかく(笑)、眞美はぐるりと一同を見回しながら言葉を続ける。
「迷惑をかけてもいいのは家族だけだよね……だから、鈴凛ちゃんはみんなにいくら迷惑をかけてもいいけど、アタシはダメなんだ」
鈴凛がふっと眞美の視線から顔を背けた。
「よ、四葉は眞美ちゃんに迷惑かけたデスよ!」
「別に、迷惑なんかじゃなかったよ」
「……眞美さん」
控えめの可憐にしては、随分と意気込みを感じる口調だった。
「な、何…?」
「迷惑をかけたくないと言うなら、こんな形で出ていくなんて言わないでください……はっきり言って、そっちの方が迷惑です」
「いや……そーじゃなくて」
何と説明すればよいのかわからず、眞美は頭を抱えた。
今でも十分に迷惑をかけつつあるというのに、いらないことを言うとさらに迷惑がかかる。
それまで退屈そうにしていた咲耶が口を挟んだ。
「……お兄様に決めてもらえば文句はないわよね」
咲耶の言葉にあっさりと頷く11人……鈴凛までも。(笑)
「じゃあ、お兄様が帰ってくるまで眞美ちゃんもこの家にいる……と言うことで」
「ちょ、ちょっと待って。それじゃあダメなんだってば!」
違う意味で頭を抱える眞美だった。
「じゃ、今日はこれでお開きね」
重苦しい雰囲気はどこへやら、咲耶の一言で結論は出たとばかりにみんながみんなめいめいに居間を出ていく。
「またあてが外れたね、眞美ちゃん」
「……千影さん」
何か言いたげな眞美を制し、千影は妖しく微笑んだ。
「眞美ちゃん、兄くんはただの大学生じゃない……多分、安心していていいよ」
「安心していいよ、と言われても」
眞美はぽつりと呟き、旅行鞄を肩に担ぎ上げた。
「……ここに来たときよりちょっと荷物増えちゃったかな」
それは、良くも悪くも半年近くの時間をここで過ごしたということの証明で……しみじみとした気持ちで部屋の中を見渡し、眞美はふと考えた。
この家にやってきたのが3月の末で……もし、今が5月ぐらいだったとしたら自分は出ていこうとしただろうかと。
「……最初は混乱したけど、いい人達だったよね」
ぽつりと呟く。
「気にくわない人ばっかりだったら良かったのに……」
ちょっぴり視界が滲んだ。
「みんな一生懸命で、苦労して……まあ、逆恨みしても仕方ないし」
眞美は鞄を担ぎ直し、小さく頷いてからドアを開けかけ……そのまま静かに閉じた。
コツコツコツ……
小さな足音は眞美の部屋の前で止まり、そして控え目でおとなしい性格に似つかわしいためらうようなノック音が響いた。
「……眞美さん?」
「寝てます」
小さくため息をつくような音とともに、可憐が部屋の中に入ってくる。
「あは…お邪魔します」
「……お邪魔されます」
可憐は床の上に置かれた旅行鞄にちょっとだけ目をやると、そこに何もなかったかのように眞美に相対する。
「眞美さんは、お兄ちゃんや私達を見てきて変だなって思うこと無かったですか?」
そりゃありますとも……と言いかけ、いつもは『眞美ちゃん』という呼び方が『眞美さん』に変わっていることに気付いた。
可憐はどこか恥ずかしそうにもじもじとし、ぎゅっと手を握りしめながら言った。
「あのね……お兄ちゃんはとっても頭が良くて、頼りになって、ほんとーにほんとーにすごいの」
この家の妹達は全員が全員やばそうな方向にひた走ってるような気がしていたが、今この状況でここまで力説するのは人としてはたしてどうかと眞美はぼんやりと思った。
目の前の眞美がそんな失礼なコトを考えているなどとと夢にも思わず、眞美はにっこりと微笑んで言葉を続ける。
「だからね、眞美さん……ここを出て行かなくても大丈夫だよ」
その、何というか脳天気さが、ここしばらく眞美の心の底にたゆたっていた何かをかき混ぜた。
「……渉さんが守ってくれるって?」
抑揚のない淡々とした眞美の口調に、可憐は少しだけ首を傾けた。
「眞美さ…んんっ!?」
「渉さんが……万能でないことを教えてあげようか、可憐ちゃん」
右手で首を握りしめたまま、眞美は可憐の身体を壁に押しつける。
「可憐ちゃんが男の子だったらね……ここを潰す」
男で言うところの喉仏の部分を軽く親指で押す。
「気道が閉鎖され……されなくても、細かく粉砕された骨が身体を内側から傷つけて……どうなるかわかる?」
恐怖のためか、可憐は瞳を一杯に見開いて身体をカタカタと震わせ始めた。
それを見て眞美は小さくため息をつき、可憐の身体を解放して床の上の鞄を拾い上げながら言った。
「……じゃあね、さよなら」
「眞美さ……眞美ちゃんはそんなコトしないもん!」
眞美の足が止まった。
「そうだね……死んじゃったらそれでお終いだもの」
「だから…」
「でもアタシはさ、もっとひどいことをするつもりだったんだよ」
「……え?」
「だから……アタシはここにいる自分が許せないの」
全てを拒絶するオーラを発しつつ、眞美は部屋を出ていった。
そして独り部屋の中に取り残された可憐は、それから少しして家の玄関のドアが閉まる音を呆然としたまま聞いていた……
養虎の章 完
ああ、また季節が追い越していく。(笑)
やっと伏線が発動し始めた状況(汗)ですが、シスプリファンにとってますます『ふざけんじゃねー』ってな話になってますな。
つーか、可憐の出番少なすぎ……と思うかも知れませんが、一応可憐という存在はキーパーソンなんですよ、予定では。
まあ、高任の友人には可憐ファンいないしな。(笑)
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