「あうー、また雨ですか……」
いつも元気な……少なくとも眞美がこの家に来てからずっと元気だった四葉なのだが、梅雨に入ってからというものなんとなく元気がないように思えた。
「まあ、雨が好きな人はあんまりいない……」
「あのね、雛は雨がだーい好き!」
「亞里亞も…」
何やら楽しそうな雛と亞里亞の2人に視線を向け、眞美は軽く肩をすくめて見せた。
「……例外もいるみたいだけど」
でも、どうして?
そんな想いが顔に出てしまっていたのだろう、白雪が黒いリボンを揺らしながら小さく笑った。
「ウフフ、姫も昔は雨が大好きだったんですの…」
「あ、ボクもだよ…」
と、口を挟んだのは衛。
「……今は?」
「嫌いですの……せっかくのお料理にカビが生えたりするですし」
「外で運動ができないからやっぱり嫌いかな…」
「……?」
「簡単な理由チェキ…」
四葉はそう呟いて眞美の隣に腰を下ろした。
「雨が降ると小さい子には危ないからって、中等部にあがるまでは兄チャマが学校まで送り迎えしてくれるです…」
「なるほど」
眞美は納得がいって大きく頷いた。
そして気がついたように四葉の方に振り返った。
「じゃ、四葉さんも……」
「四葉のプレスクールはイギリスだったからそれとは関係ないチェキ……ただ、こうして雨が降り続くと…」
そう呟いてほんの一瞬だけ遠い目をする四葉。が、すぐに気を取り直したように明るい笑みを浮かべた。
「こういうはっきりしない天気が続くと、なんか自分がイギリスに戻った様な気がするですよ」
「イギリスってそんなに雨が多いの?」
「眞美ちゃん……もう少し勉強した方がいいチェキ」
なんとも微妙な表情で笑うしかできなかった眞美を救うためなのか、鈴凛が助け船を出してくれた。
「私も詳しいわけじゃないけど、なんか海流と気温の温度差の関係で湿度が高いって話を聞いたことがあるよ……ほら、霧のロンドンっていうじゃない」
「鈴凛ちゃん、それもちょっと違うです…」
四葉は困ったように呟き、そして窓の外に視線を向けた。
「……雨が続くと、紅茶の葉は湿気るし、スコーンにカビは生えるし、塀は傷みやすいから毎年ペンキは塗らなきゃいけないし……数え上げればきりがないほどろくな事がないです……」
「雨の日に送り迎えしてくれる渉さんもいないし」
「うーん、それが一番の重要な問題かも知れないです」
などと話していると、それまで静かに本を読んでいた千影が顔を上げた。
「四葉」
「何ですか、千影ちゃん?」
「ん、ちょっと…兄くんが四葉を呼んでいるような気がしてね」
いつも通りの曖昧な物言いをし、眞美に向かって微妙な視線を向ける。
「……?」
「千影ちゃんの勘は当たるですからね、ちょっと行ってくるです」
軽い足取りで応接室を出ていく四葉……とすると次は
「眞美ちゃん、ちょっといいかい?」
「あの、アタシ何かまずいことでも?」
最近になって気がついたのだが、眞美のそばに千影がいることはけっこう多い。あまり誰かとベタベタするような性格ではなさそうだから、それは何らかの意図がある筈だった。
「……四葉は弱い子だよ」
「は?」
「いや、それを覚えていてくれればいいんだ」
そう呟いた千影の横顔に、眞美は渉の面影を見た。
顔立ちが似ているとかの意味ではなく、家族を守る年長者としての表情。
「……そりゃ、アタシは腕っ節に自信がありますけど」
冗談めかして力こぶを作ってみる。
ちょうど成長期にあたっていた時期に過酷なアルバイトを繰り返した……それが良かったのか悪かったのか、街を歩いている男子相手なら指一本触らせない自信がある。
もちろん、この家に来てからというもの猫をかぶっていると言うより、それを発揮する場面に巡りあったったこともないのは言うまでもないが。
「うん、眞美ちゃんが強いことは知ってる」
「……」
やはり恐ろしい相手だ……眞美は千影に対する認識をもう一度脳裏に刻み込む。
そして、千影が祖のことに気がついているということは、当然渉にも気付かれていると思って間違いはないのだろうと思った。
しとしとしと…
などという擬音が聞こえてきそうなほど穏やかに雨が降っていた。
放課後の教室、掃除当番を終えてこれからさあ帰ろうかという状況なのだが、窓から見える景色はあまり心弾むものではない。
「どうせ降るならばーっと降ればいいのにねえ…」
「眞美さん、雨が豪快に降り出すのは梅雨明け間近ですよ」
と、春歌に言われて眞美は首をひねった。
「……そう言われるとそんな気がするけど、なんで?」
「温暖前線と寒冷前線の特徴の違いというか……」
「春歌さんがアタシを虐める…」
「……もう少し勉強した方が良いと思います」
「いいの……赤点と追試と補習と留年は学生生活を彩るイベントだってある人が言ってたから(笑)」
勉強という行為から綺麗さっぱり足を洗った生活をしていたのと、ここの学校のレベルが高かったこと、それにくわえて高校一年生を渉の魔法によって飛び級してしまったなどの理由が重なり、この前の校内実力試験でブービー賞を眞美は獲得してしまっていた。
そのせいで、今の眞美は勉強という単語にデリケートなのである。
「そ、そこまで悲観的にならなくても」
「赤点と追試と補習に関しては別に悲観的でもなんでもなかったんだけど……」
「補習……?でも、一緒に帰ってましたよね?」
「もうつっこむ気力も無いんだけど、例によって渉さんが『責任を持って家で教える』と先生に宣言したら補習が免除されたの…」
「さすがは兄君さま…」
春歌は心の底から感心したように目を閉じて頬を染めた。
「あ、うん、いいんだけどさ……」
眞美は、この数ヶ月で随分自分がおおらかな人間になったなあと思う。考えるよりも先に、『そういうもの』と納得してしまう癖がついてしまったのかもしれない。
「やった!春歌ちゃんと眞美ちゃん発見チェキ!」
最初こそ、『チェキ』ってなんだろうなどと疑問に思ったものだが、今では『そういうもの』と納得してしまっているのがイヤなのかどうか自分でも少しわからなかったりする。
「四葉さん…どうかしたんですか?」
「あはは……実は傘を忘れてきてしまって、誰かと一緒に帰ろうかなと」
「忘れたって……今朝は傘を持ってた様な気がするけど?」
「あ、そういえば…」
眞美と春歌に見つめられ、四葉は少し照れたように誰もいない教室内に視線を泳がせた。もちろん、自分たち3人の他には誰もいない。
「……実は、盗まれたです」
視線を床に落としぽつりと呟く……が、四葉の右手がぎゅっと握りしめられていることに眞美は何となく不安を感じた。
そして、2秒後…
「これは美少女探偵四葉に対する挑戦チェキ!」
「多分、雨が降ってるから誰かがナチュラルに持ってっただけだと思うけど」
「四葉さん、申し訳ありませんが私お稽古事の時間が迫ってるので犯人探しのお手伝いは……」
「あうっ、春歌ちゃんの裏切り者…」
そんなやりとりをどこか遠くで聞きながら、眞美は小さく頷いた。
「なるほど、そういうものなのね……」
「さて、ワトソン君」
「アタシ、ワトソンよりヘイスティングスの方が…」
「何言ってるチェキ!ホームズはイギリスが誇る英雄チェキよ?」
「でも、ポアロだって……それに、医者の前で麻薬やったり部屋の中で拳銃うったり、挙げ句の果てには力押しで事件を解決したりするホームズにこき使われるのって……」
「自意識過剰で、紅茶を飲むようにチョコレートを飲む小太り髭の老人にこき使われるヘイスティングスより、ワトソンの方がよっぽど幸せチェキ!」
どうやら四葉が譲る気配を見せないので、結局眞美が折れることにした。
「ワトソンでいいです」
「最初ッからそう言えばいいのに…」
四葉はにっこりと笑うと、眞美の背中をグイグイと押してきた。
「ちょ、ちょっと…?」
「現場百回……刑事の基本チェキ」
「さっき自分で美少女探偵って……」
「刑事も探偵も似たようなものです」
「それなら、元刑事だったポアロの方が……」
などと不毛な会話を続けながら四葉の教室に到着した。
「……で、傘はいつ盗まれたの?」
「朝学校に来てから、帰るまでの間」
「その間、傘はどこに……」
「そこのロッカーの中です……ちゃんと鍵もかけてました」
「それは……不思議かも」
「眞美ちゃんもそう思うチェキよね?」
何故か得意そうに胸をはる四葉を気にせず、眞美はロッカーに手をかけた。
「あ、今も鍵が…」
四葉の言葉を聞くよりも早く、眞美はロッカーの扉を引っ張っていた。
ガゴンッ
金属同士がこすれ合うイヤな音と共に、ロッカーが開く。
「開いたけど?」
「えーっ!?」
四葉は慌ててロッカーを閉め、もう一度鍵をかけてから自分の手で引っ張った……が、開かない。
「さ、さっきは多分鍵がかかってなかったです…」
「じゃ、もう一度……」
眞美は再びロッカーに手をかけ、筋肉に意識を集中させた。
ガゴンッ
「……」
「……」
キコキコと揺れるロッカーの扉を見つめ、四葉は眞美をびしっと指さした。
「犯人は眞美ちゃんです!」
「ち、違う、アタシじゃないよ…第一何でアタシが」
「犯人はいつもそう言うチェキ」
「いや、犯人じゃない人も絶対そう言うって!」
「それもそうです……ん?」
四葉がそっと眞美の二の腕のあたりに触れてきた。
「眞美ちゃんひょっとして力持ちの人ですか?」
「筋力に関しては同年代の男子の平均よりかなり上」
「すごいです、四葉全然知らなかった……はあ、兄チャマばかりチェキしてる場合じゃなかったです……あれ?…と言うことは」
四葉は再びロッカーに視線を向けて小さく呟いた。
「……犯人は男子ですか?」
「♪…雨雨降れ降れ兄チャマが…」
「……ごめんね、渉さんじゃなくって」
雨で視界の悪い帰り道を相合い傘で帰る……雨のせいなのか、普段から人通りの少ない道だけに、2人の他は誰もいない……ように見えた。
「あ、紫陽花だ…」
眞美が足を止めると、四葉も足を止めるしかない。
空色の花が球状に集まり、雨にうたれながら咲いている姿がどこかけなげに見える。
「……眞美ちゃんは、紫陽花好きですか?」
「うん、結構ね」
眞美は小さく頷きながら、四葉の態度から感じたそれを口にするかどうか少し迷った。が、敢えて口に出す事にする。
「紫陽花、嫌いなのね?」
四葉は少し驚いたように顔を上げた……が、すぐにいつもの笑みを浮かべる。
「イギリスで……この花を好きだって言う人はほとんどいないですよ」
「あ、イギリスにも紫陽花ってあるんだ……なんか、すごい」
眞美は何げなく紫陽花の花に手を伸ばした。
「あ、カタツムリとナメクジ発見」
びくっ、と四葉の体が震えた。
「ま、眞美ちゃん、帰るです!」
「……え、可愛いのに」
「人体に害を及ぼす寄生虫を抱えた害虫チェキよ?」
と、四葉は眞美の腕をグイッと引っ張った。
「さ、触らなきゃいいんでしょ?」
パシャパシャと水たまりを踏みながら四葉はしばらく走り、そこまでやることはないだろうと思われるまで距離を置いてから初めて立ち止まった。
「これで安心……どうかしましたか?」
きょろきょろとあたりを見回している眞美の様子を不思議に思ったのだろう、四葉は首を傾げながら聞いた。
「……今、アタシ達以外の足音がしてなかった?」
眞美の言葉に、四葉は目を閉じて耳をすます。
「気のせいじゃないですか?雨の音以外は何も聞こえませんよ」
「……だから余計に気になるんだけどね」
そう呟いて眞美が後ろを振り返った瞬間…
「酷いな、走って逃げるなんて…」
「わーっ!」
薄暗く人気のない道で、黒いマントを羽織った千影にいきなり話し掛けられてしまった眞美の驚きは想像に難くない。
「ち、千影さん……心臓に悪いんでいきなり出てくるのはやめて貰えますか?」
「……次からはそうするよ」
「千影ちゃんも傘がないですか?」
「今日は……この防水マントのデビューなんだ」
千影が優しい笑みを浮かべてマントを指先でなぞると、特殊な処理が施されているのか水滴が弾かれて落ちていく。
「どうでもいいけど、千影さんのその格好は怪しすぎ」
「そうかい?」
千影は普段ならまずやらない少女のような仕草で、くるりとその場で一回転して見せた……ふわりと広がったマントから水滴が左右に弾かれる光景がどこか幻想的だ。
「結構お気に入りなんだけどな…」
「あー、2人ともとりあえず家に帰るです」
どこか退屈したような四葉の声にせきたてられ、眞美達3人は足早に家路につくのであった。
「……どうして紫陽花の花ってイギリスでは人気がないの?」
季節感をという理由で春歌が生けたらしい紫陽花に、少し不満そうな表情を浮かべていた四葉が眞美の方に振り向いた。
「イギリスの紫陽花は、観賞用なのに花が咲かないチェキ……」
「……花が…咲かないのに…花なの?亞里亞…良く…わからない……くすんくすん」
今の会話で何故泣く?
などという疑問を持つことが無くなってしまった自分の将来に思いを馳せつつ、眞美は四葉と同じように紫陽花の花を見つめた。
「多分、イギリスの気候がこの花には合わないです……日本では雨に映える鮮やかな色の花を咲かせるけど、イギリスでは咲いたかどうかわからない地味な色合いで……しかも、ずうっと9月の末頃まで枯れないチェキよ」
「あ、花穂知ってるよ!確か、イギリスでは紫陽花のことを『ゾンビ・フラワー』って呼ぶんだよね?」
「ゾンビフラワー?」
「……へえ、あまり興味がなかったけどなんか好きになれそうだよ」
と、妖しく微笑む千影。
「この国の野菜の種を他の国で蒔いたら形状が変化した野菜ができるって話を何かの本で読んだことがあります…例えば…」
「ふうん、植物って不思議だね…」
鞠絵から詳しい話を聞いて感心したように呟いた眞美に向かって、四葉が微笑んだ。
「人間も同じで……多分、合わない場所で育つと間違って育つです」
言葉であって言葉でないものがすうっと眞美の心の中に入って来た。それは多分、眞美だけではなく自分自身に対しての言葉だったからなのか。
「あー、そうかも…ね」
この家に来て、自分は確実に変わりつつある。
その変化が好ましいのかどうかはともかく……いや、父が死んだ直後の自分の事を考えると、それは多分いいことなのだろう。
この人達に救われた……それは口に出すべき言葉ではないし、みんなもそれを求めない事がわかるだけに眞美は言わない。
黙って、態度で示せばいいことだ……
「四葉さん…」
「ん?」
「明日も犯人を探すの?」
「もちろんチェキ!明日は、眞美ちゃんにクラスの男子と腕相撲して貰うです」
「……なんか安直な気がするけど」
「なに、真実とは常に簡単な物事の影に潜んでいるものだよワトソン君」
人差し指を立てて得意そうに話す四葉。
どうやら、最初っから明日も眞美が協力してくれることを米粒ほども疑っていなかったのか。
「じゃ、今夜はたっぷりと睡眠をとって戦いに備えることに……」
「ああ、忘れていた…」
唐突に千影が眞美の方を振り向いた。
「勉強を教えるからって、兄くんが眞美ちゃんを呼んでいたよ」
「えーっ!?」
陽気の章・完
……当初の予定に比べると大分削りました。とくに後半。(笑)
一話一話で伏線を張ってそれを発動させるよりも、違う話での伏線を後で発動させた方が話に流れができるかと思ったのが1つ。
後は……まあいろいろあるのですがここで語るような事ではないです。(笑)
しかし……キャラの誕生日に合わせて1ヶ月1話のペースで書くと、否応なしに一年間は描き続けなければいけないということであって……それはつまり、他のゲームの妹キャラの話(たとえば緒方ともみとか)を書いたりする時間が……って、別に高任はシスター界の住人じゃないと思ってるんですけどね。(笑)
さて、来月は鈴凛か……
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