「……ちょっと手間取ったけど、学校への編入手続きとか全部終わったから。眞美ちゃんも始業式には遅れたけど、来週からみんなと一緒に学校に行けるよ」
「お手数をおかけして……?」
 反射的に下げかけた頭を止め、眞美は怪訝そうな表情を浮かべて渉の顔を見た。
「編入手続き?」
「うん、みんなが通ってる学校の高等部に…」
 にこにこにこ。
 無条件で全幅の信頼をおいてしまいそうな笑顔に抵抗しつつ、眞美はおずおずと切り出した。
「あの、アタシ……家庭の事情ってやつで高校に通ってませんでしたけど?」
「だから今まで手間取ったんじゃないか」
 白い歯をキラリッと輝かせ、渉は右手の親指をぐっと突き出して見せた。
「ちょ、ちょっと待って…」
「大丈夫。眞美ちゃんなら大丈夫」
「いや、そう言われると余計不安に……って言うか、居候の分際で学校まで通わせてもらっては」
 そんな問題じゃない…と心のどこかで悲鳴が上がる。
「あ、眞美ちゃんは家族だから」
「え?」
 鼓動を感じた。
「あ、あの…それってどういう?」
「兄君さまっ!」
「あれ、どうしたの春歌?」
「ちょっとお話が……」
「あ、ちょうど良かった……じゃ、眞美ちゃん。そう言うことで…」
 どういうこと?
 混乱する眞美だったが、去り際に春歌が向けた視線が少し気になっていた。
 
 見張られている……というか、確実に見張られていた。
 おそるおそる後ろを振り返ると、もちろんそこに怪しい人物はいない。そう、いつもいつも薙刀を持って背後に控えている春歌が怪しい人物でなければの話だが。
「あの……春歌さん?」
「何でしょう、義姉上様」
「……は?」
 何となく周囲を見回してみたが、部屋の中には眞美と春歌以外に人影はない。もちろん、誰かが潜んでいるという可能性を捨てるわけにもいかないのだが。
「義姉……?」
 ぼんやりとした思考のままおそるおそる自分の顔を指さすと、春歌は力強く頷いた。
「私、以前から兄君さまのお役に立ちとうございましたが、兄君さまは武勇にも優れ、私は足手まといになるばかり……それがやっとこのような機会を与えられて春歌は、春歌は喜びに満ちあふれて……」
 うっとりとした表情を浮かべた春歌に向かって、眞美は内心あまり関わりたく無いなあと思いながら枕を投げつけた。
「はっ!」
 鋭い気合いと共に、白刃が翻って枕を両断した。
 枕の中につめられていた羽毛が部屋の中にぱあっと舞い上がり、春歌の動きに吸い寄せられていく。
 それはまるで天使が降臨したかのような幻想的な光景でもあった。
「……お戯れを」
「戯れで真剣を振り回されても……」
 眞美は部屋中に散らばった羽毛にため息をつきながら、春歌の顔を見つめた。
「あの……アタシの背後に控えて何を?」
「義姉上様の護衛です…」
 どこまでも真剣な視線が痛くて、眞美は限界まで首をひねりながらよろめいた。
 まあ、この土地に不慣れな自分の案内役として渉さんあたりが頼み、春歌さんがそれを少し勘違いしたのかも……と考えれば苦しいながらも理解できるような気がした。
 しかし…
「義姉……って?」
 春歌の頬が桜色に染まった。
「あ、あの…?」
 頬に両手をあててイヤイヤをする春歌。
「春歌さん…?」
 片袖で口元を隠し、春歌は顔を真っ赤にしながらぽつりと呟いた。
「兄君さまとの祝言はいつおあげになられるのですか?」
「……祝言?」
「本音を申せば少し寂しうございますが、それも将来の家長たる兄君さまの務め。春歌は粉骨砕身の心意気でそれを支えるだけで……」
 眞美は壁に向かって頭をぶつけた。
 誰か、誰かアタシを助けてと言う心の叫びを聞きつけたのか、眞美の部屋のドアが音もなく開かれた。
「私を呼んだかい?」
 千影は部屋中に散らばる羽毛を見て少し眉をひそめたが、口元に薄い笑みを浮かべて春歌に視線を向けた。
「春歌……ちょっとこっちにおいで」
 そして10分後。
「失礼つかまつりました……」
「あ、いやそんなにかしこまらないでいいから……?」
 春歌は懐から取りだした紐を使って、正座した自分の両太腿をきゅっと縛り始める。明らかに触れたら危険な駄目なオーラが噴出していたが、眞美は思わず聞いてしまう。
「……何、してるの」
「死後、無様な姿を晒さないためです……」
 そして春歌が次に取りだしたのは懐剣。
「だあああっ、ストップストップ!」
「うふふ、春歌さんったらほんとあわてん坊なんだから……」
「って、鞠絵さん!笑ってる場合じゃなくて!」
 指先で自分の髪の毛をいじりながらくすくすと笑う鞠絵の表情は何故か明るい。
「…春歌、兄くんと眞美ちゃんが結婚するなんて誰に吹き込まれたんだい?」
「よ、四葉ちゃん……」
 眞美の耳に、特徴的な『チェキッ!』の言葉が甦る。
「あ、あの…それはそうと、何で薙刀なんか携えて私の護衛とやらを…」
 春歌は恥ずかしそうに頬を染め、眞美から視線を逸らした。
「兄君さまに、『眞美ちゃんと同じクラスになるからいろいろフォローしてあげて』と頼まれましたので」
 鞠絵と千影と眞美は3人して顔を見合わせた。
「……春歌、フォローってどういう意味か知ってる?」
「背後を守ることですよね?」
「うふふ、春歌さんって英語が苦手だから……」
「間違ってましたか?」
 和やかに微笑み合う3人から離れて、眞美は精神的にかなりくたびれていた。
 そんな眞美の気持ちを知ってか知らずか、鞠絵はにこにこと笑いながら千影に視線を向けた。
「それよりも、兄上様と眞美さんが結婚するということをまず疑わないと。第一、そんなことになったら千影ちゃんが黙っているはずが無いじゃないですか」
「……鞠絵は、時々わけの分からないことを言うね」
「あ、あはは……」
 千影は愛想笑いを浮かべる眞美に向かって薄く笑った。
 
「この空間座標におけるベクトルは……」
 得体の知れない呪文が聞こえてくる。
 ごくごく普通の成績だった眞美にとって、強制的な飛び級ははっきり言ってかなりつらいものがあった。
 ……というか、一体どんな裏技を使って中途編入の手続きをとったのか。
 それを尋ねてみようにも、いろんな用事が重なって今週いっぱいは家を留守にするとのことなので聞く機会もないのだが。
「(……まあ、考えてみたら千影さん達のお兄さんだもんね)」
 ちょっと(?)変わった妹12人をまとめている人間が常識人であるというような甘い見解はとうに捨てていた。
「(……それにしても、渉さんって何してる人なんだろ?ただの大学生とも違うみたいだし…)」
 ふと右隣に視線を向けると、春歌と視線がぶつかった。
 紅梅を思わせる袖で口元を隠し、『眞美さん、授業に集中』などと囁いてくる。
 もちろん教室内でそんな服装をしているのは春歌1人だ。平静の世の中でたった1人昭和を飛び越えた大正文化の時代の流れを形成している春歌をさも当然のように受け止めているクラスメイトもまた強者なのか。
 カラーンコローン……
「眞美さん、お昼ですよ…」
「あ、うん……ってどこへ?」
 春歌に手をひかれて中庭に向かう。
 そこにはもちろん高等部の妹勢揃い。
「じゃっ、お昼にしましょう……」
 いそいそと支度を始める可憐達を手伝いながら、眞美は思った。
 ……この人達、友達とかいないのかな?
「……そんなことはないさ」
「ひゃあっ!」
 背後から囁きかけられて、眞美は飛び上がる。
「水曜日はこうしてみんなで集まるのが決まりなのさ……」
「ち、千景さん……人の心を読まないで…」
「眞美ちゃんは顔に出やすいからね……信頼できるタイプだよ」
 他のみんなには聞こえないような小さな囁き。正直なところ、どういう意図があるのかは考えたくなかった。
「いただきまーす!」「……ます」
 お重を数人で囲んで昼食……何となく花見のような雰囲気である。
 それにしても、新入生らしき生徒がこちらを遠まきにして眺めているあたり、やはりこの組み合わせは目立っているのだろう。
「……みなさん」
「どうしたの、眞美ちゃん?」
 ファッション雑誌から抜け出てきたような出で立ちの格好をした咲耶をはじめ、千影を除く全員が不思議そうに眞美を振り向いた。
「どうして制服じゃないんですか?」
 おそらくはこの学校の制服であるブレザーを着ているのは眞美だけで、一見まともな制服のように思える可憐が着ているのは胸元の赤いリボンが可愛いセーラータイプ。
 千影はこの陽気だというのに黒っぽいマントを羽織り、鞠絵は白いレースのカーディガンを羽織っているため定かではないが、咲耶にいたっては完全に私服である。
 この学校に入学したばかりの新入生にとっては、何かのイベントとしか思えないのも無理はないだろう。
「……制服ですよ、これ」
 片袖を上げてあっさりと言う春歌。
「あ、そうだったんだ。アタシ、ちょっと勘違い…」
「やだなあ、眞美ちゃんったら…」
 みんながおかしそうに笑うので、眞美もまた頭をかきながら笑い返す……もちろん、内心では全然納得できてないのだが。
 気分はすっかり裸の王様である。
 眞美はわざと箸を落として立ち上がった。
「あ、アタシちょっとこれ洗ってくるから……」
 そして彼女らの死角にあたる校舎の影に回りこむと、眞美は校舎の壁に額を押しつけて深く悩む。
 学校の制服を着ている眞美を比較的与し易いと思ったのか、新入生の1人が愚かにも眞美に話し掛けてきた。
「あの……あの集団は、一体何のクラブ活動ですか?」
「そんなの、こっちが聞きたいわよっ!何?何なのあの人達?いい人達ばかりだけどどこか変!」
 罪のない少年の胸ぐらをつかみ、むち打ち症になるぐらい激しく前後へと揺さぶりながら意味不明の言葉を次々とまくし立てる。
 こちらにきてから遠慮ばかりしていたが、眞美は本来ワイルドな性格なのである。それを見抜けなかったこの少年はまだまだ青いと言えよう。(笑)
 そして1分後、眞美は妙にすっきりとした表情でみんなの元へと舞い戻った。
「おまたせー」
「お箸なら替えがあったのに……」
「あはは、いいのいいの」
 小首を傾げて微笑む可憐に向かって、眞美は気にしない気にしないとばかりに手を振った。そんな眞美の顔をじっと見つめ、鞠絵は不思議そうに呟く。
「……眞美さん、何かあったんですか?妙に爽やかなお顔をしてますけど…」
「あ、そ、そうかなー?」
 どことなく乾いた笑い声を上げる眞美の目の前を、遅咲きの桜の花びらが横切っていった。
 
「……なんて言うか、春歌さんの習い事の量って壮絶だね」
「そんなことはありませんわ…」
 伏し目がちな春歌の表情には、謙虚と気負いが同時に現れている。
 平日の放課後はおろか、週末ともなれば日本武道をはじめとして茶道、華道、日本舞踊などのお稽古ごとのかずは眞美の顔色を青くさせるのに充分だ。
「疲れない…?」
「疲労は休めば治ります……でも」
 何故か言いよどんだ春歌の横顔を眞美は見つめた。
 翠玉を思わせる垂れ髪にからませた髪飾りの南天の実をあしらった赤さとのコントラストが美しい。
 そして、白磁の肌にひいた紅の鮮やかさ。
 亞里亞をフランス人形とすると春歌は日本人形……もちろん、人形はこのように幸せな微笑みを浮かべないものだが。
「それにしても……春歌さんを見てると自分が本当に日本人なのかと疑っちゃう」
「あら?私、ドイツ育ちですし……」
「……は?」
「私がこうして殊更に日本文化の習い事に精を出すのも……」
 春歌は一旦言葉を切り、ほんの少し遠い目をして空を見上げた。
「私……日本人になりたいんですよ、きっと」
「え…?」
「精神的な意味です…」
 眞美は曖昧に頷き、最近わかってきたことではあったがこの家庭の複雑さに思いを馳せた。
「はぁ……ドイツ」
「亞里亞ちゃんはフランス、四葉ちゃんはイギリス育ち……これが真の大東亜圏構想なのかもしれません」
「絶対違います!って言うか、その発言危険すぎ!」
「……他意は無いのですが?」
「あったらやばいって……」
 眞美は乾いた笑顔を向けながら、春歌の浮世離れした感覚がそう言うところから来ているのかと納得したりもしていた。
「……じゃ、最初からみんなと暮らしてたわけじゃ?」
「ええ……私と亞里亞ちゃん、四葉ちゃんの3人が一番合流が遅かったですね」
「合流……?」
「私達、最初はほとんどみんなバラバラだったんですよ」
 そう言って明るく笑う春歌。
 おそらくはいろいろあっただろうに(眞美主観)、屈託のない笑顔を見せられ、眞美は小さくため息をついた。
「でも、いいよねそういうの」
「……」
「ゴメン、ちょっと湿っぽくなっちゃった…」
「……気持ちのつながりのない血のつながりは脆いものだと思います」
 深い、引きこまれそうな瞳が眞美を見つめていた。
「人と人との始まりは、お互いの気持ちをつなぎ合わせることから始まるのではないでしょうか?」
 春歌は小さく微笑み、そしてツンと顔を上げた。
「……兄君さまの言葉ですが」
「渉さんが……」
「みんなと馴染めずにいた私に兄君さまはおっしゃいました……『足りないぐらいがちょうどいい、埋めようと努力できるからね』と」
 そうして春歌は笑った。
 おそらくは、眞美に見せるために敢えて口元を袖で隠そうともせずに。
「あ……そのための」
 と、言いかけた眞美を振り向き、春歌は自分の唇の前に人差し指をたてた。
「多分、私達家族の絆は眞美さんが思っているほど強いモノじゃないんですよ……」
 そして春歌は悪戯っぽく笑った。
「少なくとも今は…」
「……うん」
「ですから……私と眞美さんもきっと家族になれますよ」
「あ、あはは……姉妹が12人も?」
「楽しいですよ?」
「……本当に家族になろうとしたら、凄く身の危険を感じなくもないけど」
「……」
「あ、ご、ゴメン…本当とか嘘とか関係ないよね」
「いえ……少し羨ましいかなと思いまして」
 口調こそ冗談めかしてはいたが、春歌の表情は少し悲しそうだった。
「おーい、春歌、眞美ちゃん!」
「あ、兄君さまぁ!」
 春歌の視線の向こうで、渉らしき人影が手を振っていた。おそらく迎えに出てくれたのだろう。
 春歌は渉に向かって足早に駆け寄ると、眞美の方を振り返って手を振った。
「眞美さーん!早く早く…」
 表情は見えないが、その口調に作り物めいた響きは感じられない。おそらく、春歌もかつてみんなからそうされることで馴染んでいったのだろうと眞美は思った。
「アタシは……埋めたいのかな、それとも…?」
「お帰り、眞美ちゃん」
「あ、はい…ただいま」
 ただいまという言葉を使うことに少し躊躇した。
 渉を挟んで、3人は家に向かって歩き出す。
「あ、あの……渉さん」
「ん、何?」
「私を春歌さんと同じクラスに編入させたのって……」
「……何?」
「いえ、何でもないです……」
 日が暮れているのに吹き抜ける風はどことなく暖かい。
 時は4月……今はもう春だったんだなと眞美は今更ながらそう思った。
 
 
                     揺籃の章 完
 
 
 さて……
『……シスプリファンにケンカ売ってる?』
 等と知人から脅迫電話がかかってきましたが、今更方針を変更しようにもどうにもならなくって。(笑)
 まあ、いざとなったらばっくれて違うゲームのお兄ちゃんキャラを書くことにしよう。うん、そう決めた。眼鏡娘お兄ちゃんキャラと言えば『ライナ・ギュント』なんかどうだろう?(笑)
 このキャラクターの正体が分かる人、大分問題があります。

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