「お兄様、朝よ。」
「……」
今の状況がつかめなかったのか、兄は上体を起こしてゆっくりとあたりを見回した。
「……俺の部屋だな。」
どこか自分自身に言い聞かせる様な口調だった。
「やあね、お兄様ったら。あたりまえじゃ……はっ、もしや!」
咲耶の表情がかげると、部屋の中まで薄暗くなったような印象をまわりに与える。良くも悪くも場の中心として雰囲気を支配するだけの存在感を、咲耶は持っていた。
「私の知らない間にどこかお泊まり出来るような方とお知り合いに……」
信じられないものを見たかのように、震える手を口元へやり、蠱惑的な光をたたえた瞳を驚愕のあまり大きく見開いている。
「咲耶、それは走りすぎ。」
「お兄様、隠しても駄目よ!」
「いや、俺が不思議に思ったのは、どうして咲耶がこの部屋にいるのかということなんだけど……?」
もともと12人の妹たち全員が合い鍵を持っているのは確かだが、ごく一部を除けばみんな無断で入ってくるようなことはしないはずなのに……
「お兄様ったら、咲耶のことが嫌いになったの…?」
さらに部屋の中が薄暗くなる。
「あ、もう聞かない。聞かないからそんな顔しないで……で、今日はどうしたの?」
慌てて話題を逸らした兄に、咲耶は溢れんばかりの笑顔を振り向ける。
「いやですわ、お兄様。今日は私とデートする約束じゃありませんか。」
何故かポーズをとる咲耶。
「約束は昼からのはずじゃ……?」
「せっかくのデートですもの、今からきっちりとお兄様をドレスアップして差し上げますわ。いつもより素敵なお兄様をみんなに見て欲しいんですもの。」
頬を染め、両手を胸の前にあてて軽くイヤイヤをするように身体をよじらせる。
「そ、そうなんだ……」
ぎこちなく微笑む兄。
何やら今日の咲耶は、いつにもましてハイテンションだった。
それから数時間、ああでもない、こうでもないと服装を選び、それに合わせて髪型をセットすることを繰り返して、ついに咲耶的パーフェクトお兄様が完成したらしい。
「さすがお兄様、ますます惚れ直してしまいますわ!」
ざわっ。
道行く人が振り返る。
咲耶は、『これが私のお兄様!』とばかりにぎゅっと腕を掴んで恋人同士のように肩をあずけてきている。
「お兄様……?」
「うーん、視線が集中すると落ち着かないものだな…。」
「うふふ…誰が見ても立派な恋人同士ですわね。」
「咲耶……何かあったの?」
咲耶の態度に違和感を感じたのか、兄が心配そうに囁くと、咲耶は悔しそうに唇を噛んだ。
「…お兄様を普通の人と言った知り合いを見返してやりたかったん……」
咲耶の言葉は兄によって中断させられた。
「お前達以外にどう見られようと構わないよ。」
「でも……」
「俺なんかむしろ、咲耶が目立つと焼き餅やいちゃうけどね。」
「それは…その…私だって少しは…」
うつむいた咲耶から身体を離し、そっと手を差し出す。
「さて、今日はファッションショーじゃなくてデートなん……咲耶、雪だぞ。」
「えっ?」
兄の視線を追いかけるように、空を見上げる。
「多分この冬最後の雪だろうな…」
咲耶はそれには応えず、ただ静かに兄の腕をとった。
おしまい
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