外出許可が下りるかどうかはお医者様の判断次第。
 鞠絵は、毎度の事ながら胸をどきどきさせて結果を待っていた。
「うーん、残念だが……」
「そうですか…」
 がくっとうなだれる鞠絵。
 お医者様によれば、一週間前のクリスマスの日に外出したときの疲れが出ているらしかった。それにしても、お正月を病院で迎えるのは、鞠絵にとってなんとも心が重い。
 可憐と兄にメールを送る鞠絵の後ろ姿は、何とも寂しそうに見える。
 …このお正月は外出許可が下りなかったので、みんなと会えません。
 メールを転送し、再びため息をつく。
 兄と共に高原を走り回った子供の頃が懐かしい。
 大地を蹴る足、頬に感じる風、そして自分の前を走る兄の後ろ姿。全てが遠い夢の中のお話の様な気がした。
 あれから数年。
 療養生活が始まってから、鞠絵が変わったことと言えば、本ばかり読んでいたから眼鏡をかけるようになったことぐらいだ。
「眼鏡かあ……兄上様は優しいから何も言わないけど、似合ってないよね……思い切ってコンタクトにでも…」
 べしっ。
「…っ?」
 どこからか後頭部に突っ込みをいれられ、鞠絵はきょろきょろと部屋の中を見回した。
 鞠絵は軽く首を振って、少し早いが眠りにつくことにした。
 
『兄上様、待ってください。』
 どこまでも続いていく草原を、駆けていく少年と少女。
 その光景を冷めた目で見つめながら、鞠絵は自分が昔の夢を見ていることに気がつく。
 無意識化の記憶によるものか、それとも鞠絵自身の補正がかかっているのか、映像はやや色彩が薄いながらも鮮明だった。
 ただ、兄の背中だけを見て追いかけていた自分とは対照的に、兄はずっと後ろを気にしながら駆けていた。
「(兄上様は、もっと速く駆けられるのに……)」
 あの頃からずっと、自分は兄の足枷になっていたのではないか…そう思い、鞠絵は夢の中で涙を流した。
 お正月だというのに最悪の目覚めだった。
 鞠絵はため息をついて窓の方に寝返りを打つ。
「あけましておめでとう、鞠絵。」
 時計の短針がきっちり一周した後、鞠絵はこめかみのあたりを抑え、首をぶんぶんと振りながら枕元の眼鏡を手に取った。
 眼鏡をかけ、呼吸を整えてもう一度窓の方を向く。
「あ、兄上様っ?」
「お正月なのに、鞠絵はねぼすけさんだなあ。」
 白い歯を見せて笑いかけてくる兄の頬に手を伸ばす。
 むにー。
 あまりに驚いたため、普段なら決してやらないようなことをしてしまう。だが、兄はどことなく嬉しそうだった。
 こうして療養を始める前の鞠絵は、明るくて元気な少女だった事を覚えているからだろう。
「……今日は昼から亞里亞ちゃんの家で新年パーティーがあったのでは…?」
「ああ、この後で行くよ。そのために朝一番で来たんだから。」
「……わざわざ来てくださったんですか?」
「みんなの顔を見ないと、お正月って気にもならないし。最近はそうでもないけど、元々こうして集まるのは年に一回だったからね。」
 片道2時間以上かかるこの病院に朝早く訪れたと言うことは……
「兄上様、いつからここへ?」
「大晦日はね、朝早くに特別のダイヤが組まれるからね。それに、何人か見知った顔がいたよ。」
 笑いを堪えるように兄は口元に手をあてた。
 そしてそっと病室のドアを引く。
 どどっ。
 支えをなくして何人かが病室になだれ込む。
「鞠絵ちゃん、あけましておめでとう。」
「おめでとうなのー。」
「みんな……」
 後は言葉にならなかった…。
 眼鏡のレンズを拭くフリをして、そっと涙を拭う。
「じゃあ、お兄様。後はよろしく……鞠絵ちゃん、みんなからのお年玉代わりに、2時間程お兄様をおいていくから。」
 咲耶と可憐がみんなを病室から追い立てていく。
「おにいたま、また後でねー。」
「兄や、ちゃんと来てね……」
 
「みんなそろって始発に乗ってきたんですか?」
「謀ったように、駅のホームでばったりと…。」
 鼻の頭を指先でかく兄を見て、鞠絵は首を傾げた。
「兄上様、どうかなさったんですか?」
「いや、みんなで来て良かったのかな、と思って。反対に羨ましがるんじゃないかと心配してたんだ。」
 鞠絵はくすっと笑って小さく呟いた。
「多分逆ですよ……」
「ん?」
「なんでもないです。」
 多分今頃は、みんなが自分のことを羨ましがっているに違いないのだ。
 そう、兄上様を独占している自分を。
「兄上様……」
「なんだい、鞠絵?」
「私が元気になったら、あの高原に連れて行ってくださいますか?」
「ああ、もちろんだとも。」
 鞠絵は壁の時計に視線を向け、兄に言った。
「兄上様、早めに亞里亞ちゃんの家に行った方がいいです。私、みんなに睨まれたくありませんし。」
「……鞠絵は本当に優しいんだから。」
「いいえ、私、兄上様を見ると嬉しくてどきどきするんです。今年こそ身体を治したいですから、今は我慢します。」
 一旦言葉を切り、鞠絵は顔を真っ赤にして俯く。
「その代わり……身体が治ったら一杯甘えさせていただきますから……」
 兄はじっと鞠絵の顔を見て、そして軽く頭を撫でた。
「わかった、覚悟しておくよ。」
 病室を出ていく兄の後ろ姿を見送り、鞠絵は視線を窓の外に向けた。ずっと療養生活を続けてきたけど、今年こそは何か変わる様な気がして。
 
 
                     おしまい
 
 
 当初、『受け狙い』(笑)で鞠絵の話だけが原稿用紙換算で40枚を超える異常に長い話しになりつつありました。吉井さんほどではないにしても、高任もまた生きるか死ぬかのお話に弱いので、テキストおよび参考資料はばっちりでした。
 それでおりゃおりゃ書いてたら、『ここで死ななきゃ大嘘』と言うところまで追いつめてしまった事に気づき、データを抹消しました。(笑)
 私の理性に乾杯!
 まあ、空気のいいところで療養って事は気管支系…おそらくは喘息あたりなんでしょうね、詳しい設定は知りませんが。
 何故、鞠絵だけに後書きが?(爆笑)

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