心に響く優しい笛の音が夜風にのって流れてくる。
本来その調べは気分を高揚させるための曲で、ほとんど誰もが知っている。
ヨーコは、プレハブ校舎の屋上でその美しく寂しい旋律を聞きながらいつも涙を流す。今夜もあの人は一晩中その悲しい音色を奏で続けるのだろう。そう考えると、あふれ出る涙を止めることは出来ない。
ヨーコは星に祈る。
呪われた生を持つ者達のために。
彼らの思いがせめて報われるように・・・。
そして・・・彼らの最後の記憶がせめて幸せな記憶であるように、と。
「・・・お前はいい声をしているな。」
「そ、そうかな?」
来須にそう言われて、速水は自分の頭をかいた。
「ああ、きっとお前はいい歌い手になる。」
「そんなこと言って、来須は軍楽技能を持ってるじゃないか。」
軍楽技能を持たない自分なんかがとてもとても・・・と言いたげな速水に、来須はほんの少しだけ寂しそうに微笑んだ。
「俺には・・・歌えない。」
深くかぶった帽子の奥から、遠い目が見え隠れしている。速水はそれに気がつかない振りをして微笑んだ。
「そんなことないよ・・・そうだ、戦争が終わったらみんなでカラオケに行こう。きっと楽しいと思うよ。」
「・・・ああ。」
来須は小さく頷くと、速水に背を向けてその場を立ち去った。
それに一瞬遅れて、新井木がその場に飛び込んできた。
「やーん、来須先輩ってば今日も格好いいんだから。あの影のあるところがたまんないよね。速水っちもそう思うでしょ?」
「・・・そうだね。多分あの人はずっとあのままだと思うよ。」
熱意の感じられない速水の返事が気にくわなかったのか、新井木はほんの少しだけ眉をつり上げる。
「・・・速水っちって若いくせになんか暗いよね。萌りんも、呪われてるとか恋が出来ないとか言ってたし。案外2人ってお似合いなんじゃないの?」
新井木は速水の背中をばんばんと叩いてから、来須を追って走り出す。速水はそんな彼女の後ろ姿をじっと見つめていた。
背後に人の気配を感じて振り返る。
「あ、ヨーコさん。」
「・・・。」
ヨーコは口をつぐんでいる。放っておけばそのまま何も喋らないであろう。
速水は静かに首を振った。
「彼女の苦しみを理解しても・・・僕たちに出来ることはないよ。」
ヨーコの唇が緩み、長い長いため息がつかれた。そして泣きそうな表情で速水の顔を見た。
「速水サンは・・・時々、残酷なことを言いまス。」
「うん、僕もそう思う。僕は多分優しい人になりたいだけで、その本質はきっと非道い人間なんだよ。」
ヨーコは俯いたまま首を振る。
「それ、違いまス。速水サン、残酷なのハ自分自身に対してデス。ダから、私も悲しくなりマス。」
「・・・うん、これからは気をつける。」
深夜の整備員詰所。
「・・・またか?」
来須の問いかけに萌はこくんと頷いた。そしてそっと顔を上げてのどを来須の目にさらす。
白いのどに走る何本もの赤いみみず腫れが痛々しい。
「消毒・・・するか?」
萌は首を振った。
そして、押し殺したような低い声でぽつりと呟く。
「いらない・・・もう、慣れたから。」
来須は黙って頷いた。
慣れるはずなどない。もし本当に慣れたのならば、自分ののどがこんなになるまでかきむしったりはしないものだ。
そんな2人の姿を見て、ブータが頭を下げた。
萌の表情がほんの少しだけ柔らかくなる。
「・・・今日は、歌えそうか?」
「・・・歌うことしかできないから。」
そして2人は、風の吹く丘の上へと向かう。
今日も星が綺麗だった。
来須は空を見上げたまま、ポケットからそっと笛を取り出して唇にあてた。他人を寄せ付けない美しい音色がこぼれ出す。
そして萌は瞳を閉じた。
「・・・その心は闇を払う銀の剣。絶望と悲しみの海から生まれ出て・・・。」
おそらくこの2人を間近で見ていなければ、萌が歌っているとはわからないであろう。普段と違う声・・・などの次元を飛び越えた、この世のものならぬ清冽な歌声。
「・・・戦友達の作った血の池で、涙で編んだ鎖を引き、悲しみで鍛えられた剣鈴を振るう・・・。」
2人きりのハーモニーが、今夜も夜風にのって熊本の街に流れていく。
「・・・われは、そう、戦いを終わらせるために・・・」
突然歌がとぎれる。
せき込む萌の手の平に赤いものを見て、来須は演奏をやめて萌の側に駆け寄った。
「大丈夫か?・・・後は俺がやる、少し休んでいろ。」
「ごめんなさい・・・。」
萌の後を引き継いで、来須が朗々たる声で歌い出す。それは人として充分に見事な歌声であったが、萌の後となると格段に落ちるものでもあった。
そんな来須の姿を、萌は泣きながら見つめる。
「・・・何故目覚めてくれないの?」
萌はそう呟いて、自分の愛しい人を思う。
「かっ・・・うっくっ・・・」
突然声が出なくなる。
小さい頃からそうだった。
自分が大切に思う人の前に立つと声が出なくなる。それは恋を知ることによって一層ひどくなった。
神の声。
古来、神に呼びかける巫女は、その声が汚れぬように他人と話すことを禁じられたという。自らが仕える神に対して呼びかけるときのみ口を開く。
その普通では考えられないような犠牲をへて、人の声は初めて神の魂を揺さぶることが出来るのだと。
萌は無意識のうちに自分ののどをかきむしっていた。
にじんだ血が珠となってのどを滑り落ちていく。
そうすれば、痛みで少し声が出るようになる。
この部隊にいるという神々の代理人さえ目覚めれば、自分はこの呪いから解放される、そう信じて毎日を過ごしてきた。
「代理人なんてどうでも・・・あの人と・・・思いっきりお話ししたい・・・」
文字通り血を吐くような萌の呟きは、来須の歌声にかき消されて誰にも聞こえない。
おさまりの悪い前髪を軽くかき上げて、香織は自分の右手を見つめた。
ライダーグローブ。
来須の帽子と並んで世界最強のアイテムの1つである。別に風呂にはいるとき以外は外すなという指示を受けているわけではない。(笑)
何気なく右拳を振るう。
ひゅっと澄んだ風切り音が辺りに響く。
常人では出せない音であるが、神の拳と呼ばれるにしてはかなり頼りないように思われた。
神の拳と呼ばれるのにはそれなりの理由がある。
今となっては誰もが半信半疑ではあるが、香織は5歳の時に光るストレートで中型幻獣の群を殲滅した。
今はほとんど生存していない目撃者曰く、『金色の髪の少女が突如幻獣の前に現れて、次々と幻獣を殺していった。時折光の輪が少女の拳から現れては消えていった。』
香織自身、そんな記憶は全然ない。
ただ、それは香織の人生に暗い影をおとすことになる。
研究施設への幽閉である。
彼女もまた、舞、ののみ、速水と同じく幼少の時代を施設で過ごすことを余儀なくされた。
その拳に驚異的な力が秘められていないことがわかるまで・・・。
「・・・絶望と悲しみの戦場から、それは生まれ出る・・・」
香織が突然『ガンパレード・マーチ』を歌い出したのを見て、速水がなんとも複雑な表情を見せた。
「・・・地に希望を、天に夢を・・・」
そんな速水に気がついて、香織の顔が真っ赤になる。
そして右ストレート。
吹っ飛ぶ速水。
無様に転がった速水をにらみ付けて、香織は叫んだ。
「ちゃんとよけろ!」
「・・・無茶苦茶言うなあ・・・。」
「俺のパンチがよけられないような奴に士魂徽章を持つ資格はない!」
ますますもって無茶苦茶である。だが、速水もやられっぱなしと言うわけではない。ズボンの裾をはたきながら立ち上がって微笑む。
「ウサギ。」
目標の遙か後方まで打ち抜くストレート。左脇がしまって、腰の回転も良く、体重移動も完璧な右ストレートである。
速水の安否を気にもせず、香織はその場を立ち去った。そして微笑む速水。
どうやら、理由と結果はともかく速水が勝ったらしかった。
「田代さんに殴られて、よく平気ね・・・。」
と、あきれ顔で呟く素子。それに対して速水は微笑んだまま呟いた。
「殴られ方にもこつがあるんだよ。」
「・・・嫌なこと思い出させたかしら?」
「さあね・・・でも、忘れてしまうよりはましだったと思うよ・・・。」
速水にしては珍しく、暗く、遠い目をしていた。
「来須・・・どうしても彼女を目覚めさせなければダメなの?」
来須はほんの少しだけ妙な表情をした。
「僕たちが・・・僕たちだけで勝てばいいんだろ?」
「・・・お前は強いな。今のお前とは戦いたくないと心の底から思う。」
ただ、と来須は思う。
その強さは危うい均衡の上に成り立っている。誰かのために戦うことの出来る人間は誰かのために死んでいく。
それで生き残る人間は・・・人であることを超えていく。
来須は小さく首を振り・・・振りかけて、速水の顔を凝視した。
「な、何?」
速水が頬を赤らめる。(笑)
「・・・お前は、知ってるのか?」
「多分・・・でも、彼女はきっと目覚めたくないと思ってる。」
「・・・何故?」
「彼女・・・じっとしてるままだから。多分人間が嫌いなんだと思う・・・特に・・・」
速水の唇がさらに何かを言いかけ、そっと閉じられた。
そのまま黙り込んだ速水に向かって、来須は短いだが拒否することを許さない強い口調で問いつめる。
「何故?」
「質問の意味が分からない。」
来須はもう一度ゆっくりと繰り返した。
「何故だ?」
速水は暗い瞳を来須の顔に向け、ぽつりと呟く。
「来須は・・・そうやって全てに理由を求めるんだね・・・。」
「・・・」
「来須は・・・強い人間には強いだけの理由が、優しい人間には優しいだけの理由があると思ってる。そして・・・最後にたどりつくのは、『何故僕たちがここにいるのか?』」
来須は居心地が悪そうに、帽子を深くかぶり直す。
「君は、石津やヨーコさんにもその理由を押しつけた。でも、誰も君を責めはしないよ・・・何よりも君自身がその理由に縛られているから。」
「・・・お前は何故戦う?」
「僕は彼女のために戦う・・・そう、決めたんだ。」
そう言い残して、速水は来須に背を向けた。
「おーい芝村。」
「なんだ、滝川。お前は私のことを嫌っているのではなかったのか?」
「そう言うところがな。」
「ふん。まあ良い、何だ?」
舞は士魂号を調整していた手を休めて滝川の方を振り向いた。滝川はその舞に向かってコーラを手渡す。
「・・・気が利くな、おぬしにしては上出来だ。」
「か、可愛くねえ・・・」
こめかみの辺りに血管を浮き上がらせながら、滝川は何もない空間に向かってパンチを振るい続ける。実際に喧嘩すると負けることがわかったので、そうやって発散させるしかないのだ。
「何を怒っている?私は誉めたつもりなのだぞ・・・?」
ますます闇雲に暴れまくる滝川。舞はそんな滝川の姿をただ眺めているだけである。
「・・・気は済んだか?」
「くそう、いつか強くなって本当に殴ってやる。」
「ふむ、理由はともかく努力するのはいいことだ。」
と、舞は一旦言葉を切って微かに微笑んだ。
「それに、おぬしには陰険なところがないのがいい。いつでも受けてたとう。」
「頼むから黙ってくれ・・・。」
「それは不当な要求のような気がするが?」
この時点で、滝川は何かをあきらめて話をすることにした。
「しかし、3番機って物騒だよな。俺には怖くて乗れないよ。」
「何故だ?」
怪訝そうな表情を見せる舞をちょっと見て、滝川は士魂号複座型の勇姿を見上げる。突撃仕様でありながら、およそ突撃には不向きだと滝川は思う。
「だってよお、ミサイル抱えて突撃なんて攻撃を受けて誘爆したらおしまいじゃないか・・・そうだろう?」
そう聞いて舞は微笑む。
「装甲は薄く、動きは鈍い・・・確かにそなたの言うとおりだな。」
「怖くないのか?」
「・・・速水に聞くがいい。操縦をしているのはあやつだ。」
「信じてるんだな・・・速水のこと。」
「信じるだと・・・たわけ、私は知っているだけだ・・・あやつの瞳を。」
頬を染めて語る舞から目をそらして、滝川は自分の足先を見た。
「それでも・・・いや、もしもの時は速水を止めてくれ。」
「何故直接速水に言わない・・・無理をするな、と。」
「ははっ、やっぱり芝村もわかってたんだ・・・と、悪い。俺、最近あいつが・・・あの人が怖い。」
「『あの人』・・・か。速水が聞けば悲しむぞ。」
「原さんが言ってたよ・・・」
滝川は再び士魂号の機体を見上げた。
「あの瞳は・・・『絶望や悲しみ、苦しみを捨てようとしてる瞳だ』って。」
陰謀と血の色の宮殿からそれは舞い下りる
子に明日を 人に愛を取り戻すために舞い下りる
闇をはらう金の翼を持つ少女 どこにでもいるただの少女
『ガンパレードマーチ』を口ずさむ香織の後ろに来須が立つ。
「・・・何の用だよ?」
「俺は歌が歌えない。」
「はあ?何わけのわかんないこと言ってんだ?シメるぞ、こら。」
「・・・そうだな、来い。」
来須の闘気に反応して、香織は身構える。
「ちょ、ちょっと待て!マジかお前?」
「既に呪われた俺達はかまわない・・・だが、新たに呪われた存在を生み出すことはない。お前さえ目覚めていれば、石津もあんな思いをすることはなかった。」
「小難しいことはわかんねえ・・・いいぜ、かかって来なよ。」
来須の右腕が青い光に包まれる。
香織は当たり前のようにそれを見つめていた。
上体が微かに揺れた次の瞬間には、来須の帽子がはじけ飛んでいる。
「・・・っく、大したものだ。」
「びびってんじゃねえぞ、こらあっ!」
と、一歩踏み出してきた香織の懐に潜り込んで来須は呟いた。
「・・・だが、人間としてだ。」
腹部にパンチを貰って香織は吹っ飛んだ。
「起きろ、今のお前は俺はおろか速水にも勝てん。」
「ふ・・・」
「『ふ』?」
「ふ、ふえーん。」
「な、何?」
香織は幼い子供の様に大声を上げて泣き出した。もちろん、来須は狼狽するばかりである。
「何をしてるの?」
と、そこに現れた速水は2人の姿を見比べて口を開いた。
「理由と結果はともかく・・・来須、君が悪いよ。」
「・・・」
黙り込んだ来須の耳に、泣きじゃくる香織の声が響いてくる。
「ごめんなさい・・・もう二度としないから・・・お願い・・・」
速水は香織の涙をハンカチで拭き取ってやると、抱き上げるようにして助け起こした。「大丈夫・・・もう心配はいらないよ。」
穏やかな、優しい表情でそう香織に囁くと、速水は来須に向かって言った。
「来須、僕が戦うのは・・・僕自身の意志でもあるんだ。」
「彼女は・・・きっとそれを望んでいない。」
「でも、彼女は目覚めない・・・それが答えだよ。そして眠らせた僕の責任だ。」
速水は泣き疲れて眠ってしまった香織を背負って歩き出す。
ずり落とされないようにか、無意識に速水の背中を握りしめる香織の仕草を見て、来須はののみを連想した。
「今日までよくぞ狩りも狩ったものだ・・・。」
「・・・まだだよ、まだ足りない。」
速水は傍らに立つ舞を見て微笑んだ。
その微笑みを見て、舞はぎくりとしたように体を震わせる。
「どうかした?」
「いや・・・初めてそなたに会ったときのことを思い出していた。」
「印象・・・悪かった?」
「芝村は印象をあてにしない・・・ただ、頼りのない奴とは思ったが。」
「それが印象って言うんだよ。」
そう言って速水は白い歯を見せて笑った。
「そなたは私のことをどう・・・いや待て、言うな!きっとろくでもない印象を持っていたに違いないからな・・・だから、何故そこで笑う!」
舞の指が速水の頬に向かって伸ばされたが、速水はそれをあっさりとかわした。
「あはは、懐かしかったよ。」
「な、なぬ?」
「子供の頃、君みたいな女の子を知っていた。その子は無器用で、気が強くて・・・あたたた、痛いよ舞。」
「うるさい!目の前で侮辱されて黙っていられるか!」
舞の指が速水の頬を思いっきり引っ張ったのだ。
「違うよ、舞の事じゃなくて・・・」
「黙れ!・・・それはそれで意味不明の憤りが押さえられぬ!」
と、しばらく舞は1人でころころと表情を変え続けた。そして、舞は大きく息を吸い込んで速水の顔を見つめる。
そして速水に向かって右手を差し出した。
「私の手を取れ・・・そして放すな。」
舞は顔を真っ赤にしている。
「いいか、二度と言わぬから覚えておけ、私とそなたは2人1組のパートナーだ。私の手を振り払うほど速く走るな、約束しろ。」
速水がそっと首を振ったのを見て、舞は表情を強ばらせる。
「ごめん、君の速度に合わせて走っていては間に合わない・・・。」
「・・・その様な気がしていた。」
舞は硬い表情のままぽつりと呟いた。
「私は・・・そなたが恐怖したのを見たことがない。私を初めて見たときもそうだった。あれは・・・いや、そなたの瞳は、芝村とは比べものにならないものを見てきた瞳なのだな。あの男と同じように・・・。」
「・・・舞。」
「よせ・・・今は名前で呼ぶな。・・・そなたに名前で呼ばれるのが今はつらい。」
「・・・芝村、もうすぐ出撃だ・・・行くよ。」
「わかっておる。」
市街地を士魂号が駆けていく。
士魂号の性能値を遙かに凌駕するその姿に、来須は冷たい汗をかく。右手にライフル、左手に大太刀、そしてミサイル攻撃を含めた鬼神のような戦いぶりに、味方も近づこうとはしない。
士魂号の後部座席に座る舞もまた冷たい汗をかいていた。
「・・・私は、やはりそなたの足手まといなのか。」
常人を遙かに超える舞をしても計算処理が間に合わない動き。それは士魂号自身の破綻を示している。
そして、スキュラのレーザー光が多目的ミサイル倉を貫いた。
「舞!脱出しろ!」
「うるさい、名前で呼ぶなと・・・」
言い返そうとした舞は、速水に蹴り出されるようにして機外に転げ出た。それに遅れて士魂号は爆発する。
「速水!」
ミサイルの誘爆による爆風を浴びて舞は気を失い、戦闘終了後に無事保護された。
そして速水は病院のベッドの上で、今も眠り続けている。
「馬鹿め・・・馬鹿め、馬鹿め!何故自分が先に逃げなかった。」
速水の胸を力無く叩こうとした舞の手を瀬戸口が押しとどめた。
「あれは、速水のミスだった・・・だからこそ、お前さんを怪我させる訳にはいかなかったせいだろう。」
「馬鹿め!速水についていけなかった私のせいに決まっている!」
「だったら努力しろ・・・と、これはお前さんの口癖だったな。」
「・・・速水を放っておけとでも?」
怒りに燃える瞳を向けられて、瀬戸口は肩をすくめた。
「幻獣は待ってくれん・・・それに、お前さんより看病の上手い奴もいる。人ってのは自分ができることしかできないし、またやってはいけない。速水はそれを忘れてた。」
病室の窓を通して、瀬戸口は外を眺める。
「士魂号には士魂号の限界もある・・・悲しいがな、それが現実だ。」
「知った風な口を・・・」
「違うな、俺は知ってるんだ・・・多分お前さんよりも。」
舞は瀬戸口の横顔を見た。
瀬戸口は黙って何も答えない。
萌は速水に向かって軽く頭を下げると、深夜の病室を後にした。
病院の屋上から街を眺めたが、熊本城決戦を前にして街は静まりかえっている。
風が強い。
萌はカチュ−シャと髪留めの糸を外して髪を風の思うままに踊らせた。
天上に位置する黒い月は闇を、青い月は光のそれぞれを地上に降り注ぐ。その宗教的なコントラストの中で、萌は右手で空中に文字を描き出した。
それに応えて青い光が空中に固定される。
「・・・絶望と悲しみの戦場から それは生まれ出る 地に希望を天に夢を・・・」
清冽な歌声が夜風にのって流れていく。
それは涙を流しながら歌う萌の声。悲しいが故に聞く者の胸を熱く揺さぶらせる歌。
身体全体を青い光に包まれた萌が、ただ1人の少年のために歌う歌。
たとえその結果、少年の思いを裏切ることになったとしても・・・
校舎の屋上で、その歌を聞きながらヨーコも泣いている。
その歌を聴いた瞬間、自分が想う人との別れを悟った。
来須はヨーコを見ようともせずに、裏庭の方に向かって歩いていく。だが、来須の足が一瞬だけ立ち止まった。
ヨーコの方を振り返ったわけでもないが、その一瞬を与えてくれたことにヨーコは来須の優しさを知った。
そっと手の甲で涙を拭って、ヨーコはその背中を見送った。
金色の髪をした少女が士魂号を見上げていた。
来須が近づいても、その姿勢は変わらない。
「すぐに戦いだ・・・。」
「それだけか?何か言いたそうな顔をしているが。」
「すまない・・・。」
「気にするな・・・我は人だった頃の感情を思い出していただけだ。思い出すだけで、二度と感じることは出来ないがな。」
そうして少女は再び士魂号をじっと見つめた。
「無駄なことをする・・・。」
「何が?」
「このようなおもちゃに血と汗を流すことだ。どんなおもちゃも・・・最終的にはパイロットの思い通りに動かせることを目指して人は努力する。」
そして少女は右手を固く握りしめた。
「ならば自分の肉体にかなうものはない。己を鍛えること以外は全くの無価値だ。」
来須が少女の何かを恐れるように半歩後ずさると、少女はにやあっと微笑んだ。
「何を恐れる・・・お前もいずれこうなる。」
「まだ・・・先の話だ。」
視線を逸らしながら呟く来須を見て、少女は優しい表情を見せた。
「誰からも忘れられていくのがつらいか?」
「・・・ああ。」
「つらいのは最初だけだ・・・いずれ何も感じなくなる。」
来須はそっと目を閉じた。
瞼の向こうに褐色の肌をした少女の姿が浮かび上がり、ほんの少し胸がうずいた。
「ただ、時々は思い出す。・・・今回はその制御に時間がかかった。」
「速水か?」
「ふふふ・・・あの少年が我らの仲間になるのも悪くないとは思ったがな。こんな歌声を聞かされてはな・・・どうにもならん・・・血が騒ぐ。」
「感謝する。」
頭を下げた来須を見て、少女はほんの少しだけ遠い目をして呟いた。
「人に愛される存在は・・・人の世にあるべきだ。」
夜明け前、少女は来須に向かって手を差し出した。
「さて、踊るぞ。ついてこい。」
「・・・ああ。」
少女は軽くステップを刻みながら幻獣の集団の中に身を躍らせた。
その動きは、例えるなら振り付けの決まっていない舞踏。
全ての動きから無駄な部分を削り取り、次の動きへと備える姿には一瞬一瞬の迫力は存在しない。
ただ静かに幻獣を葬っていくだけである。
それは同時に、幻獣達を弔うようにも見えた。
それにつられて、来須のぎこちなかった動きがどんどんと洗練されていく。
そんな2人の耳には、萌の歌声が聞こえ続けていた。
今なら私は信じられる 2人の作る未来が見える
2人の差し出す手を取って 私は再び生まれ出る
幾千万の私達であの運命にうち勝とう
はるかなる未来への階段を駆け上がる 私は今1人じゃない
少女は優雅な動きでぐるりと回りを見渡した。
「さて、残りは人間達への宿題にしておくか。」
「・・・これからどこへ?」
「そうだな、あやつに仕返しをしてから考えよう。」
「何?」
どういうことだ?という来須の表情を見て、少女は忌々しげに呟いた。
「あやつめ、せっかく幻獣から助けてやったのに我を見ておびえて泣き出しおった。」
「ま、まさかそんなことで・・・」
少女の光るストレートが来須の顔面に炸裂した。その時少女が見せた表情は、まさしく人間のそれであった。
熊本城決戦が終わって、舞と萌は同時に速水の病室に入り、そして同時に身体を硬直させた。
そして運の悪いことに、ちょうどその時速水は昏睡状態から目を覚ました。
「おまえを、殺す。」
「呪うわ・・・血を吐きなさい。」
「え?」
ぽややんと微笑む速水の頬に、色鮮やかな口紅の跡が残っている。
その結果、速水はほんのちょっぴり入院期間が伸びることになった。
完
ここまで設定を無視するとはあっぱれの一言ですって自分で言ってどうするかな。
とにかく萌と田代なんじゃよーとか思ってたら話にならなかったので、ちょっと真面目にやってたら何が何やら。結局萌も田代も魅力的には描けてない。(笑)
しかし、どう考えても田代って裏設定がばりばりに存在してそうですよね。神の拳といい、ライダーグローブ(笑)といい、某おしおき発言といい。いや、それを言うなら萌も大概ですけどね。
しかし、光るストレートってのはアニメ版の『あしたのジョー』、カーロス・リベラのフィニッシュ・ブローですかね?
ちなみに原作にはそんなパンチありませんけど・・・って、ああっこんなネタ誰にもわからないですよね。(笑)
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