「風が強いな……」
 首筋の汗をタオルで拭いながら若宮は呟いた……と言っても、側に誰がいるでもなく、単なる確認に近い言葉に過ぎなかったのだが。
 長い時をかけて夜の恐怖を和らげつつあった事が嘘のように、灯火管制がしかれてからというもの、夜は再び闇の支配についた。古来からずっと闇を控えめに切り裂いてきた月の光も、今は厚い雲に阻まれて地上に届くことはない。
 若宮は小さくため息をつき、最近設置さればかりのシャワー室へと向かった。
 さすがにこの時間だと順番を奪い合って乱闘になることもないだろう……ついでに、のぞきの疑いをかけられることも。
 数日前、滝川と中村が女性達によって人間サンドバッグの刑に処せられていた光景は若宮にとってなかなかショックだったのだ。
「……んっ?」
 闇の中にボウッと浮かび上がる白い物体を見て若宮は慌てて半歩後ずさった。
 戦場において決して臆した事などないが、それは幻獣に対して微力とはいえ対抗する手段があるからであって……要するに、若宮はその手の存在が苦手だった。
「だ、誰か……いるのか?」
 喉にはりつきそうな舌をひっぺがす様に、若宮はおそるおそる闇に向かって誰何した……が、返事はない。
 そして、若宮の恐怖を煽るように突風に近い風が吹き付けてきた。
「ハァッ!」
 その突風さえも凌駕するような裂帛の気合いと共に、微かに光る銀色のラインが闇を切り裂く。
「……驚かせてしまいましたか?」
 先ほどの気合いを放った本人とは思えない穏やかな口調に、半ば無防備な状態で叩きつけられた気合いの呪縛から若宮がコントロールを取り戻す。
 若宮はゆっくりとその白い物体の正体が目で分かるまで近づいてから口を開いた。
「いや、己の未熟が身にしみただけだ……」
「もう、誰も残っていないと思ったんですけどね…」
 そう言って微笑む壬生屋の漆黒の髪が、闇の中に溶け込むように風に揺れていた。
「……訓練か?」
「ええ……まあ、その様なものです」
「こんな時間まで……」
 時刻は既に午前3時を回っている。
 自分のことを棚に上げて顔をしかめた若宮から視線を逸らし、壬生屋は鈍い光を放つ刀身を鞘に収めた。
「……壬生の一族は、どちらかと言えば闇の住人に近いですから」
「……?」
 首をひねる若宮を見て、壬生屋は優しい笑みを浮かべた。
 瀬戸口曰く、『俺にはあんな表情を見せないくせに…』と称する微笑み。
 無論、それが単純な好意の表れでないことに気付かないほど若宮も単純な世界で生きてきたわけではない。
 この小隊に集められた隊員の多くがそうであるように、壬生屋もまた自分の想像を超えた世界に生きているのだろうというぐらいは若宮にだってわかる。
 個人の情報については割合に瀬戸口が詳しいようだが、本当に人間離れした何かを感じさせる者は決して瀬戸口に心を開かない。
 それはつまり……壬生屋もまたその1人であることだった。
「ふむ、そんなに脳味噌まで筋肉でできているように見えるか?」
「まさか」
 いかにも軍人らしい実直な物言いがおかしかったのか、壬生屋は口元に手をやり薄く微笑む。
 そして、ふと若宮の肩の辺りに視線を向けて小さく呟いた。
「幸運が常に若宮さんと共にありますように……」
 どことなく遠いモノを感じさせる視線と口調に、若宮はかつて絢爛舞踏と呼ばれた存在に同じような視線を向けられたことを思い出す。
「何か……見えるのか?」
「最近ですけど、見えるようになりました……ただ、それは本来壬生一族が当たり前のように持っていた力の筈なんですけどね」
 自分自身を哀れむような、触れると壊れてしまいそうな儚い表情を浮かべ、壬生屋は空を見上げた。
「一族に残されたのは剣技と……この刀だけ」
 何の飾りもない漆黒の鞘…その中で眠っているのは壬生屋家に代々伝わってきた迷刀鬼しばき。
 この刀を振るい、数え切れないほどの鬼を斬ってきた……若宮はそう聞いていた。
「……何か?」
 怪訝そうにしていたのに気付いたのか、壬生屋は若宮を横目で見ながら呟くように言った。
「いや……一瞬、壬生屋がその刀を憎んでいるように感じて」
「憎む?」
 若宮としては本当に珍しいことなのだが、思ったことをそのまま口にしたことを悔やんだ。
「ああ、気にしないでくれ……ただ、そう思っただけだから」
 慌てて言い繕うとしたのだが、壬生屋はゆっくりと刀をぬく。
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
「……私、そんなむやみやたらに刀を振り回しているように見えるのですか?」
 壬生屋は寂しそうに呟くと、鈍く光る刀身を見つめたまま小さく頷いた。
「……でもそうですね、多分その通りでしょう」
「……?」
「刀を振り回していることも……そして、この刀を私が憎んでいるということも」
 何やら普段と違うしんみりムードの壬生屋の様子に、若宮はただただ首をひねるばかり。元々この小隊に配属されるまで女性との接触がほとんどなかったのだから、今の壬生屋が余計に不可解に思えたということもある。
「若宮さんは、速水さんと仲が良かったですよね?」
「ああ…まあ確かに。で、でも、変な意味じゃなくてだな…」
 少なくとも、『不潔ですっ!』と刀を抜いた壬生屋にで追いかけられるような関係では決してない。
「……あの人は、どうしてここにやってきたんでしょうね?」
「ああ、徴兵じゃなくて自分から希望して九州にやってきたらしいな」
「自ら戦うことを選択できる……それは多分幸福なことだと思いませんか?」
 壬生屋の遠い囁きが答えを期待してるとは思えなかったので、若宮は控えめな沈黙を返すにとどめた。
 戦場に行き、戦場で消えることを期待して作られた年齢固定系クローンである若宮にとって、その様な選択できる生き方というものは望んでも決して与えられなかった。
「……壬生屋は?」
「壬生の血を……いえ、壬生の一族にとって、またこの刀を受け継ぐ者にとって道は1つしかありませんでしたから」
 そう言って壬生屋の浮かべた自嘲的な笑みは、若宮がかつて鏡の中でよく見た笑みだった。
「……それに、この刀は妖刀ですから」
「妖刀?……神刀じゃないのか?」
「この刀を受け継ぐ者は、いつも短命です。無論、鬼との戦いで命を落とすことも少なくはなかったのですが……私の兄のように」
「……のこりは?」
「……この刀を使って命を絶ちます」
 囁くように答え、壬生屋は穏やかに笑った。
「そ、それは……?」
「つまり、こう言うことです…」
 壬生屋は刀の刃を自らの首筋にあて、若宮が止めるまもなく無造作にひいた。
「壬生っ…!?」
 自分の想像した光景が実現されなかったことに安堵しながらも、若宮は傷1つついていない壬生屋の白い首筋と刀を交互に見比べる。
「刀を受け継ぐ者が毎夜やることです……」
「……どういうことだ?」
「……鬼を斬るたび、刀は否応なしに闇に触れます。それを繰り返すうちにこの刀は呪われた……一族ではそう言い伝えられています」
「…?」
 首をひねる若宮に向かって、壬生屋は悪戯っぽい笑みを浮かべて若宮の手を取った。そして、驚くほど無造作に刃先を滑らせる。
「うわっ!」
「大丈夫ですよ……ほら」
 壬生屋が言うとおり、若宮の手には傷1つついていない。
「あ、あれっ?」
「この刀をただの刃物として扱うなら、闇を斬る事しかできませんから…」
 ふと若宮の脳裏に、壬生屋に起きかける瀬戸口の姿が浮かんだ。確か、前髪が斬られていたような……
「……以前、瀬戸口を」
「ああ…」
 壬生屋は何でもないように手を振って笑った。
「壬生一族は、刃ではなく技で斬りますから……まあ、瀬戸口さんは不潔ですから、技を使わなくても斬る事ができるかもしれませんけどね」
「おいおい…」
「くす、冗談ですよ…冗談」
 闇に溶け込むような笑みを浮かべ、壬生屋は真っ黒な空を見上げた。
「でも……私の見立てでは、傷1つつかない人はこの小隊に数えるほどしかいないんですよ」
「ちょ、ちょっと待て。怪我をさせないという確信はなかったのか?」
「斬り傷ぐらい、消毒しとけば治りますし」
 本気なのか冗談なのか良くわからない壬生屋の言葉に若宮はため息を吐いた。
「この刀が呪われているのは本当なんですよ……闇に染まった武器は人の手にあまりますから。むろん、強力ではあるんですけど…」
 壬生屋の身体が流れるように動き、闇に向かって剣を突いた。
 引き戻された剣先に木の葉が2枚貫かれているのを見て、若宮は素直に感心を覚えて呟いた。
「所有者を選ぶというわけか…」
「……」
「壬生屋?」
「……この刀は所有者に強力な力を貸すと同時に、所有者自身を闇に取り込もうとするんです。私の心が闇に取り込まれかけた時……その日が多分私の死ぬ日です」
 壬生屋は刀を鞘に収め、若宮に背を向けた。
「……もちろん、その日まで生きていられればの話ですが」
 若宮の頭の中で何かがつながった。
 異常とも思える彼女の潔癖性はおそらく、本来の姿ではないのだろうと言うことに。
「……幻獣は人の心の悪しきゆめ、そを撃ち破るは無垢なる魂か強き魂」
「…?」
「古いおまじないです……でも、壬生の一族は強き魂を否定する事で取り返しがつかないほどに穢れてしまいましたから」
「それはどういう……?」
 何か言おうとした若宮を無視するように、壬生屋は風に揺れる梢を見上げながら独り言のようにちいさな呟きを始めた。
「この小隊は、何かに縛られている人が多すぎますね……生まれ変わることがあるなら、次は風のように自由に生きたいものです」
 壬生屋の後ろ姿が闇の中に消えた後も、若宮はただその場に立ちつくしていた。
 
「あのねあのね、ののみ、最近なんかふらふらするのお……」
 額に浮かんだ汗を拭いながら少し気怠げに呟いてから2日後、ののみの笑顔を見ることができなくなった。
 小隊のみんなにいろんな意味で愛されていたののみの死は、大きな衝撃を皆の心に与えたようだった。
 そして、ある意味ののみの死を冷静に受け止めていたのは2人。
 岩田と若宮である。
「あなたもご存じのように、施設からすぐに戦場へと送られたあなたと違って、ののみさんはここに来るまで外の世界を知らなかったんですよ」
 少し怒ったように呟いた岩田の言葉に対して、若宮は何も言わずにそっと目を閉じた。
「……結局、あの子にひまわりの花を見せてあげられませんでした」
「夏が遅すぎたか…」
「……いいえ、春が長すぎたんです」
 微かに言葉を震わせた岩田の真意をつかめぬまま若宮は曖昧に頷いた。そして、我ながら驚くほど穏やかな声で聞く事ができた。
「……俺も長いことはないか?」
「……年齢固定クローンの寿命に幅があるとはいえ、おそらくは……あの当時の年齢固定型クローンでののみさんとあなたほど長生きした例はありませんでしたから。ひょっとするとまだまだ時間があるのかも知れませんが」
「そうか……」
 若宮は大きく息を吐きだし、空を見上げた。
 悲しいぐらいに晴れ渡った空の青さが眼にしみる。
「……どこかのだれかの未来のためにマーチを歌おう…か」
「人は……哀しいぐらいに自分のために生きる生き物ですから」
 そう呟く岩田の踊りは、普段よりほんの少しだけもの悲しく思えたのは気のせいか。
「すいませんね、私にもっと力があればと思うんですが…」
「よしてくれ……お前にそんな風に気を遣われると父さんとでも呼びたくなる」
「それは心の底から遠慮します」
 岩田は踊りを中断し、長くしなやかな指で自分の目を覆う。
「……もしあなたが自分の寿命を自分で決めると言っても、私は止めやしませんよ」
「戦うだけだ…」
 若宮は吐き捨てるように呟いた。
 少し驚いたように自分を見つめる岩田に背を向け、自嘲的に言葉を続けた。
「自殺するような勇気が俺にはないからな……」
 若宮の脳裏にふと1人の少女の姿が浮かぶ。
 あの少女がもし自分の立場に立たされたならどうするのだろうか……
「あなたはっ」
「ん?」
 岩田の声に、これまでに聞いたことのない切迫した響きを感じて若宮は後ろを振り返る。
「……自分の運命を呪ったりしたことはないのですか?」
 厚化粧の下の岩田の素顔が瞳の中に見え隠れしている事に、若宮は何故か安堵感を覚えた。もしそれが岩田の計算尽くの行動だったとしても、救われる部分は確かにある。
「呪うほどのことじゃない……示された道が1つしかなくても、立ち止まること、進むこと……少なくとも俺には2つの選択肢があった」
「それは…」
 何かを言いかけて、岩田は口をつぐんだ。
 言いたいことはわかる。
 それはあまりにも幅の小さい選択で、自由にはほど遠いと言うことも。
 それでも若宮は白い歯を見せて呟いた。
「俺は……自由だよ」
 風が吹いた。
 これまで何度となく自分に言い聞かせてきた言葉を後押しするようなさわやかな風だ。
「俺は、自由だ」
 もう一度そう呟いてから、空を見上げた。
 多分、夏はそう遠くない。
 初夏を思わせる太陽を見上げながら、若宮は自分が生まれてから初めて自分自身の存在を肯定できたような気がした。
 穏やかな表情を浮かべて階段を下りていく若宮に、岩田はただ優しい視線を向け続けていた。
「あら?」
 狭い廊下の隣を通り過ぎようとしていた素子は立ち止まり、整備兵とは思えない白くしなやかな指で若宮の顎をつかんで自分の方に振り向けた。
「な、何です?」
 蠱惑的な瞳に至近距離で見つめられ、若宮は顔を赤くする。
「……1日や2日見なかった間に、随分といい顔をするようになったのね」
「か、からかわないでください。自分は、以前と変わりません…」
「ふふっ、男子3日会わざれば……って言うじゃない」
 素子は軽く片目をつぶってみせた。
 
「若宮さんは……強い人ですね」
「は?」
 月明かりに照らされた道を2人で歩く今に至っても、若宮は何故自分と壬生屋がこうして一緒に帰り道を共に歩いているのかが理解できていない。
「……屋上での会話、聞こえてしまいました」
「ああ……」
 多分、壬生屋はそのことについて話したかったのだろう。
 わざわざ自分の帰りを待っていた事に対する疑問が氷解し、若宮は小さく頷いた。
「俺は弱いよ」
「そうでしょうか?」
「弱い自分を穴があくほど見つめてきた……多分、それを認めることができたような気がする」
 若宮は困ったように頭をかき、ぽつりと呟いた。
「……認めるまでに10年かかったが」
「10年ですか……私は、それまで生きていられるかどうか…」
 壬生屋の呟きを境に、2人の間を静寂が支配する。
 だが、壬生屋自身がその静寂を破った。
「1つ、謝らなければいけないことがあって……」
「何を?」
「私……若宮さんに嘘をつきました」
「…?」
「この刀の伝承者で、自害できた者は1人しかいないんです」
 若宮はゆっくりと壬生屋を見た。
 その視線を、壬生屋もまたしっかりと正面から受け止める。
「……公園に行きませんか?」
「ああ…」
 多分、長い話になるのだろう……幸いと言って良いのか、灯火管制が敷かれてからというもの、人類にとって夜は非常に長く、話を聞く時間は充分にあった。
「かつて、壬生の一族に突然変異と呼んでいいほどの比類なき強さを持った青年が現れました……一族が、その青年の強さに憂いを抱いたところからこの刀の歴史は始まります」
 青年の強さに対抗するために選び抜かれた名工の手で作られた刀が、青年の婚約者である少女に託されたときからこの刀の……いや、壬生一族の呪われた歴史は始まる。
 はじめは頑強に抵抗していた少女の心が、ますます強くなっていく青年の強さに初めて疑念を生じた。
 自分が心の底から愛するこの青年は、その強さを持ってどこを目指すのだろうかと。
 既に青年の強さに対抗できる存在は世界に認められない……その瞬間、少女の心の歯車は間違った方に回り始める。
「……青年の命を絶った刀で自らの命をも絶ったその少女だけなんです」
 壬生屋の言葉は夜気にまぎれる事で、いっそう闇の薫りを漂わせている。
 鬼との戦いで死んでいった伝承者が半分だとしたら、残りは……
 何か言いたげな若宮に気付いたのか、壬生屋はその瞳にいっそう哀しげな光を浮かべながら呟いた。
「……刀の闇に心を取り込まれた伝承者を殺した者が、次代の伝承者になります」
 ヒュウッという音が自分の喉から発したことに気付くまでに数瞬の間があった。それならば目の前の少女がこの刀を憎む理由は充分にわかる。
 やや気分を取り戻した若宮が壬生屋に視線にうつすと、少女が額に汗を浮かべながら身体を震わせていることに気付いた。
「お、おいっ、壬生屋?」
「そ、そして…わ、私は…」
 眼に染みるほど白く、そしてその白さにそぐわないほど荒れた手のひらをじっと見つめ、少女は大きく深呼吸して、穏やか過ぎる声で呟いた。
「私は、この手で兄を殺しました」
 若宮は思わず壬生屋の身体を抱きしめた……そうしないと、少女の身体がはじけてしまいそうな気がしたからなのだが、壬生屋は何の抵抗も見せずにただ呟き続ける。
「私は、どうしようもなく穢れてる筈なんです……それなのに、刀は私が穢れてないという」
 若宮はかける言葉もなく、ただその華奢な身体を抱きしめた。
「幻獣と戦うことも、死ぬこともさほど恐くない……でも、にいさまが、ゆっくりと壊れていったにいさまの姿を思い出すたびに…」
 一体どれだけの押しつぶされそうな夜を過ごしてきたのかを考えるだけで目頭が熱くなる。
 震える手で若宮の身体をきつく握りしめる壬生屋。
 少女にとって、人間であり続けるために自分自身を非常識なまでの規則で縛り付ける必要があったのだろう。
 何故逃げ出さなかった……そう聞きかけて若宮は口をつぐむ。
 壬生屋は、ただ戦い続ける道を選んだだけなのだ……その孤独な戦いを始めた頃のことを、自分と岩田との会話を耳にして思い出してしまったのだろうと若宮は判断した。
「……私は、自由なんですよね?」
 震えながらそう聞く少女に対して、若宮は返答を一瞬躊躇した。
 そんな心の動きを見透かしたように、壬生屋は濡れた瞳をあげて若宮を見つめながら再度呟く。
「私達は……自由なんですよね?」
「ああ、自由だ…」
 不意に、壬生屋の唇が若宮のそれに押しつけられた。
 唇を触れ合わせると言うよりは、ただぶつけ合うだけのような稚拙なキス。それ以上の技巧を2人共何も知らない。
 そんなうぶな2人を笑うかのように、風に揺れる梢がサワサワと月の下でざわめき続けていた。
 
 最近……特に昨夜はそれどころではなかったのだが、いつの間にか公園の桜は散ってしまっており、葉桜へと移行していた。
 新緑の薫りが漂う風に吹かれ、新しい葉を伸ばし始めた木々をじっと見上げる壬生屋の姿に若宮の脈拍が通常の2割ほど跳ね上がる。
 静かに近づいたつもりだったのだが、若宮が近づくにつれて白磁を思わせる壬生屋の白い頬が微かに上気するのがわかった。
「壬生屋…」
「……何か、用ですか?」
「用がなければ話しかけてはいけないのか?」
「……」
 壬生屋は若宮の顔をちらりと横目で見、すぐに視線を逸らした。
「……昨夜のことは忘れてください。私、どうかしてたんです」
「まあ、そうだろうな…」
 若宮の言葉に壬生屋は何故か眉を逆立て、きっと若宮の顔をにらみ付けた……が、何も言わない。
「……戦場において死は日常だ。ただ、それでも生き残る可能性は0じゃない」
「そんなことを言っているんじゃありません……私は、ただ…」
 少し、恨むような視線を向ける壬生屋。
 そうしていると、普通の少女と何ら変わりはない……無論、若宮が普通の少女を知っているかと言われれば答えはノーだが。
「それでも、人生と呼べるほど長い一生を過ごせる可能性が年齢固定型クローンの俺にはない……もし仮に、俺が誰かを好きになったとして、そんな重荷を好きになった相手に背負わせる事はごめんだ」
 壬生屋は寂しい笑顔を浮かべると、手をかざして初夏を思わせる太陽を見上げた。
「もし仮に、いつ鬼となりはてるかわからない私が誰かを好きになったとしても……そう考えるでしょうね」
 繰り返される幻獣との激しい戦闘が大地を荒廃させていく時代。
 それでも、この季節になると草木は自らを叱咤するようにけなげに成長していく。そして、穏やかで、控えめに過ぎる2人の求愛は互いに接点が見いだせないまま枯れようとしていた。
 いや……多分、育たないだけで決して2人の心の中では枯れはしないだろう。
「……今日の太陽は眩しすぎますわね」
「そうだな……俺もどちらかと言えば夜が好きだ」
 若宮と壬生屋は、それでも眩しそうに眼を細めて太陽を見続けていた。
 
 
                       完
 
 
 この前『パイロット列伝4』を書きながら年齢固定型クローンのことをいろいろと考えたのですが、上手くまとまらなかったこともあってか、もうちょっと書きたいなあ等とイメージを膨らませてこういう話を書いてみました。
 ちなみに壬生屋の設定はムガル帝国の王権制度と楠先生の漫画『鬼〇丸』参考文献。(爆笑)
 もちろん実際のゲームの設定なんて知ったこっちゃないですが。(笑)
 それにしても……なんか自分で書いててこのカップリングに新鮮さを覚えてしまいました。非難囂々のような気もしますけど。
 

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