私は大体2週間かけて、小隊の仲間の行動パターンを調べました。
 何故新井木さんを選んだかと言えば、噂を広めてくれるという点で申し分なく、また彼女自身が来須にお熱なので、自分と速水さんとの噂に関しても興味本位でおもしろおかしく接してくれると判断したからです。
 それから一週間。
 新井木と速水の2人について、『目覚めてから学校に来るまでの時間』に重点をおき実験を繰り返して、ほぼ確信が得るのに費やした時間です。
 当日の朝、私は新井木さんの下宿の前で立ち止まり、多目的結晶で現在の時刻を確認すると、時間調節のためそのまま5分ほどその場で待機し、ドアベルのスイッチを連打してから逃げるようにそこから立ち去りました。
 そして速水さんの下宿の前で同じ事を繰り返したのは言うまでもありません。
 いつもより5分遅く学校に着いたのは、2人をたたき起こすタイミングを計っていたためです。
 そして学校の教室に着くと、いつものように速水さんの机の中を調べて、隣の女子高生からのものらしい恋文をゴミ箱にたたき込みました。
 ただでさえライバルが多いというのに、これ以上増やすつもりはありません。親衛隊ぐらいなら笑って見過ごせるのですが、恋文は許せません。
 教室の掃除をそれから始め、未央が額の汗を拭ったのは7時50分。
 速水さんの家のドアベルを連打してから30分。そろそろ速水さんがやってくる時間帯なので、私は履物の鼻緒をちょいちょいっといじくりました。
 普段はき慣れていないので、計算通りに鼻緒が切れてくれるだろうかと心配でしたが、まあいざとなればつまずいたフリして抱きついちゃえばおっけーですよね。そしてそれから先は……
 などとあらぬ妄想に身をよじっていると、プレハブ校舎の階段を上ってくる足音が聞こえてきました。間違いなく速水さんです。
 こんな時刻にやってくるのはドアベル連打でたたき起こされた速水さんか新井木さんしかいませんし、新井木さんならいつも走ってるから『トントントン』なんて足音はしませんもの。
 これからの計画を思うと、胸がどきどきしましたがもうやるっきゃありません。押して押して押しまくるだけです。
 そしてこの作戦の鍵を握る新井木さんは…?と窓の外を見ると、計算通りにこちらに向かってきている姿が確認できました。
「あ、おはよう壬生屋。」
 相変わらず私の心をかき乱すぽややんな笑顔です。私はいかにも何気ない風を装い、挨拶を返しながら速水さんに向かって歩き出しました。
「おはようございま……きゃっ!」
 やはり、履物の鼻緒の調節が悪かったみたいです。
 本当なら2・3歩歩き出して、速水さんの近くで抱きつきながら倒れ込むはずが、まさか第一歩目でつまずいてしまうとは。こんな場所で倒れてはなんにもなりません。
「危ない!」
 でも思った以上に速水さんの動きは俊敏でした。
 私を支えようとして伸ばされた速水さんのたくましい腕にすがりつき、バランスを崩したフリをして思いっきり引っ張りました。
 私の身体をかばおうとして、とっさに身体をひねった速水さんの優しさに胸の奥があたたかくなりましたが、それに浸っている時間はありません。
 新井木さんがそこまで来ているのです。
 とにかくこの体勢を彼女に目撃させるまでは、速水さんの動きを封じなければいけません。とりあえず、速水さんの体のツボを3カ所ほど突いておきました。
 それと同時に、精一杯の勇気を出して、私の着衣を少しはだけておきます。
 私の下敷きになった速水さんが声を出しました…身体は動かないでしょうけど。
「あたたた…だ、大丈夫?」
 速水さんは気がついていないようですが、新井木さんの足音がそこまで近づいて来ています。作戦とはいえ、このようなはしたない姿を他人の目にさらすことを思うと、私の血圧と心拍数は危険な領域まで高まっていました。
「(来た!)」
「うわっ、ふ、2人とも何してるの!」
 わかってはいましたが、血圧と心拍数がさらに倍になりました。ついでに心の中でガッツポーズをとりつつ、速水さんの身体の動きを封じていたツボを解除。(笑)
 そしていかにもという動作で、速水さんの身体から教室の壁際まで跳びずさり、心の中で念じます。
「(新井木さん、この噂を思いっきり広げてください!)」
 そんな期待を込めて、私と速水さんの顔を交互に見つめてにやにやと嫌な笑い方をしている新井木さんをみつめました。
「2人は…」
「違いますっ!」
 新井木さんが言い終えるよりも先に、私は顔を真っ赤にして叫びました。でも、半分は演技じゃなかったんです。
 この手の噂は本人が強く否定すればするほど最高の娯楽になります。
「私が転びそうになったのを速水さんが助けてくれただけなんです!私達は決してその様な関係ではありません!」
 とにかく反論する時間を与えないぐらいに息継ぎ無しで一気にまくし立てました。
 でも、新井木さんのにやにや笑いが消えません。
 おそらく今日の夕方までにはみなさんに伝わることでしょう。
 と思ったのですが、少し脅かしすぎたのかもしれません。
 突然私から逃げ出した新井木さんは、噂を広げることなく早退してしまったみたいですから。もう少し殺気を抑えるべきでしたでしょうか?
 
 お昼休みの出来事は本当に偶然でした。
 本音を言えば速水さんと2人きりでお食事したいところですが、贅沢は言えません。私は、自分のお弁当を持って食堂へ向かったのですが……。
 その時です、私の耳元で悪魔が囁いたのは…。
『若宮さんなら人の下敷きになっても怪我はしませんよね。』
 気がつくと、私は前を歩く田辺さんのかかとを軽く押すように足を伸ばしていました。
 でも、バランスを崩し、若宮さんの大きな背中目がけて倒れ込んでいく田辺さんの姿を見た瞬間、私は我にかえりました。
『(この角度だと速水さんまで巻き添えになってしまう!)』
 私は慌てて田辺さんの背中に向かって手を伸ばしましたが、ほんの少しだけ間に合いません。
 平和な風景を切り裂くような悲鳴と共に、田辺さんが若宮さんと一体化して階段を転げていきました。当然のように前を歩いていた速水さんまで巻き込んで……。
『(速水さんが怪我をしたら私のせいだわ。)』
 崇高な目的の前に犠牲は付き物ですが、目的その物を犠牲にしてしまってはどうにもなりません。
 どんがらがっしゃあんっ!という古くさい擬音と共に、田辺さんのすまなさそうな声が聞こえてくる。
「ご、ごめんなさいっ!2人とも怪我はありませんか?」
 ……正直なところ、少し心が痛みました。
 田辺さんは是非とも遠坂さんと幸せになって欲しいものです。
 それはともかくとして、みんな怪我がなかったのは何よりでした。田辺さんのお弁当が無茶苦茶になったら、きっと遠坂さんと2人で食事に行くはずだし、若宮さんはそこらに落ちてるサンドイッチでも拾って食べるでしょう。
 さて、速水さんのお弁当も無茶苦茶になってますが、これは、私が料理上手なことを示す良い機会でした。
 何やら誤解されてるようですが、私の家事技能は2です。しかも今朝は計画のことで元気が余ってて、お弁当も気合いが入ってます。
 既に遠坂さんと田辺さんは清らかで美しい2人の世界に入り込みつつあるので、邪魔をされるおそれはありません。
 後は若宮さんだけなのですが……随分強靱な胃袋をおもちのようで困ってしまいました。
 原さんには感謝しなければいけませんね。
 しかし、滝川さんはいいですね…『遊びに行こう』の提案が使えて。
 
 そして土曜日。
「お前ら、遅刻するなよ。」
 そう言い残して7時に滝川さんが早々と帰っていきました。普段なら呆れかえるところですが、今日は好都合です。
 既に、森さんの部署を3番整備士から2番整備士へと異動するように陳情をすませています。
「パイロットならもっと違う状況でそうして欲しいものだが……ちゃんと仕事をしているのか、あいつは。」
 呆れたように芝村さんが呟きましたが、速水さんと芝村さんも早く帰って欲しいです。
「まあ、明日出撃がなければいいのだがな…。」
 芝村さんが言わずもがなのことを少し照れたように呟きました。最近わかってきたのですが、芝村さんは無器用ですが割といい人みたいです。
「都合が良ければ芝村さんも一緒にどうですか?」
「いや、私は明日用事がある。」
 …そんなこと最初から百も承知です。
 社交辞令という古き良き社会儀礼をご存じないのでしょうか?
 2人に対して『早く帰りましょう』という念を送りつつ、それからさらに数時間。
 やっと速水さんと芝村さんが作業をうち切りました。
「壬生屋はまだ帰らないの?」
「明日は遊びですから、出来るだけ仕事をしておきます。やり残したことがあっては心から楽しめませんし。」
「ふん、滝川の奴に是非聞かしてやりたい台詞だな…。」
「まあ、あまり無理しないでね。」
 ……いいえ、やり残したことがあると、私が本当に心の底から楽しめませんから。
 そして私は残った仕事に取りかかりました。
 まずは滝川さんの士魂号を証拠の残らないように無茶苦茶に調整しました。これで後は放っておいても勝手に故障していくでしょう。
 滝川さんがあまり仕事をしないのはみなさん知ってるので、まず問題はないはずです。
 後は整備部門ですが、新井木さんが真面目に仕事をしているところを見たことがありませんし、田辺さんは真面目ですがミスが多いので、私の仕業とはばれないはずです。
 後は家に帰ってすぐにお弁当の準備をしなければいけません。
 本当に今夜は大忙しです。
 そして翌日の朝。
 私は、早朝に異動命令を受けた森さんをさりげなくハンガーへと誘いました。真面目な森さんのことです、きっと仕事優先で滝川さんもろとも今日は身動きがとれなくなるという読みはズバリ的中しました。
 第一、森さんは速水さんのことを憎からず思っているようなので、出る杭は地面の奥深く叩き込んでおいた方が良さそうですし。
「な、な、なんでね!?なんでこぎゃんこつに?このありさんじゃ、戦闘ばどぎゃんもこぎゃんもならんちっ!」
 士魂号2番機の状況を見て、森さんが壊れました。美しい日本語はどこにいってしまったのでしょう?
 私は森さんを刺激しないようにそっと抜けだし、校門へ向かいました。校門では既に滝川さんと速水さんがみんなを待ってました。
「後は、森だけだな……」
 そう呟いて、滝川さんが時刻を確認しました。
 …いいえ、後はあなただけです。
 どどどど…………
 ものすごい足音に反応して滝川さんは振り向きました。どうか、森さんと2人で仲良く仕事を頑張ってください、と心の中で念じる私の目の前で、森さんはパワフルに滝川さんを引きずっていきました。さすがの私もちょっとびっくりです。
 彼女を敵に回すのは危険かもしれません。
 速水さんはどこか虚ろな表情で私の方を振り向きました。
「えーと……どういうこと?」
「……2人とも仕事をするということではないでしょうか?」
 何気なく空を見上げた速水さんの視線を追って、私も空を見上げます。速水さんが何を見ているのが気になる年頃ですから。
 雲1つない快晴でした。
「滝川がチケット持ってたんだよね…」
 そんなこともちろん承知の上です。
「あの状態の滝川さんにチケットを貰いに行くのはさすがに気が引けますね。」
 心優しい速水さんが、『2人に悪いから僕達も仕事しようか。』などと言い出す前に軽く牽制しておくことにしました。
「私、このために朝の5時まで仕事をしてたのに・・・。」
 意味ありげに一旦言葉を切り、速水さんの顔を見つめます。
 一応仕事はしてました、嘘ではありません。
 普通、化粧というものはプラス方向に向かって使われます。しかし、使い方次第ではちょっと疲れているような化粧だって可能です。
 顔のラインをひきたたせるための暗色系ファンデーションや口紅などはそのための常套手段ですし、アイシャドウを薄くぼかしてやれば疲れた感じが一層引き立ちます。
 まあ、何事も程々が大事ですけど。
 『疲れてるようだから今日は帰ろう。』なんて言われたら元も子もありませんし。 
「どこか2人で散歩にでも行こうか?」
 完璧です。
 私の表情から絶対に遠出しないと計算したとおりです。
「散歩……ですか。じゃあ、公園の方にでも行ってみましょう。」
 
 春の陽気の中、公園のベンチに腰を下ろしてぼんやりとするのもなかなか趣のあるものですが、そろそろ時間ですね。
「速水さん、日本茶ですけど飲みますか?」
「うん、ありがとう。」
 速水さんは私の手渡したお茶を疑うことなく口に含みました。薬の混入がわからないようにと香りの強いお茶を選んで、濃いめに入れたお茶です。
「たまにはこうやってのんびりするのもいいですね。」
 正直なところあんまりのんびりも出来ません。
「うん、そう言ってくれると嬉しいな。」
 ぽかぽかとした陽光が照りつけているが、決して暑いというわけでもない。心地の良い風がいい仕事をしている。
 しているはずなのですが……?速水さんが眠ってくれません。
 こうなれば最後の手段です、私が眠ったフリをすることにしましょう。誰かが気持ちよさそうに眠っていると眠くなるものですからね。
 ぽすっ。
 眠ったフリをして速水さんの肩にもたれてみました。
「壬生屋……?」
 心臓はどきどきですが、なんとか規則正しい呼吸を繰り返す事が出来ました。
「寝ちゃった?」
 まつげがぴくぴくと動いているのが気になります。ばれないとは思いますが、気が気じゃあありません。
 それよりも速水さんの顔がすぐ目の前にあると思うと、思わず赤面……化粧って偉大ですよね。
 でも、これってこれって…素晴らしいシチュエーションなのでは?無防備な寝顔をさらす美少女(照)を前にして、速水さんの行動は一体?
 私的には激動の急展開も全然おっけーです!
「……ゆっくり休むと良いよ。」
 ……すいません、わかってました。そんな人ならこんな苦労しません。
「んー、僕も寝ようかな。」
 ……寝てください。
 規則正しい呼吸音。
 何となく寝返りを打つフリをして探ってみましたが、反応がありません。つんつんと身体をつついたりしても動かないのを確認して私は体を起こしました。
 そろそろ善行さんが公園にやってくる時間です。
 几帳面な性格通り、いつも決まった時間にカメラを持って写真を撮ったりするのですが、そこに楽しい被写体があったらどうでしょう?
 喜々としてシャッターを押しまくるに違いありません。
 なんせ、性格が悪くて悪くて司令にはぴったりなぐらいですから、私と速水さんのツーショットの写真なんか教室に貼りだしたりするに違いありません。
 そうしたらもう、みんなの噂になって『責任とって下さいね』とか、ぽっと頬を染めながら『私、噂されるの別に嫌じゃありません』とか呟けば、もう速水さんだってころりといっちゃうに、いや、いかせます!
 壬生屋家相伝の押しの一手です。
 ……とか妄想してる場合じゃありませんでした。
 私は速水さんの身体を担いで慌てて木陰へと移動しました。
 こういうのは堂々としてるよりも、密やかな雰囲気を伴った方がそれらしいですからね。
 さあ、男性の憧れ膝枕の敢行です。
 速水さんの髪の毛を手櫛ですきながら、そっと顔を寄せたりして、ハイポーズ!
 近くで、シャッターをきる音が数回聞こえました。
 …耳掃除の方が良かったでしょうか?
 とも思いましたが、人の気配が遠のいていきますので手遅れですね。
 しかし、速水さんの目が覚めるまで後数時間……どうしましょう?
 まあ、足が痺れたりしないように適度に休みを取りながらぼんやりと過ごすことにしました。これはこれで気分がいいですから。
 そして夕方近くになると、速水さんがもうすぐ目覚めそうな気配を見せ始めました。
 さて、ここからも勝負です。
 私は慌ててプラス方向の化粧を施し、速水さんの目覚めを待ちました。
 夕暮れ時、少し風が出てきてこれ以上はないってぐらいのロケーションです。
「あれ?」
「あ、目が覚めましたか?」
「え?」
 どこかぼんやりとしている速水さんに、えい、乙女のとびきりの笑顔攻撃!
「あれ?」
 今の状況に気がついたのか、慌てて起きあがろうとした速水の頭を、そっと押さえ込みました。そう簡単に逃がすわけにはいきません。
 小さく微笑み、年下の少年をからかうような口調で話しかけます。
「慌てて起きると顔と顔がぶつかりますよ……。」
 そしてそっと顔を近づけたりしたんですが、ちょっと照れちゃいました。
「えーと……ひょっとして膝枕してくれてる?」
「あのままだと、寝違えてしまいそうでしたから…。」
 どこかでカラスが鳴いています。
「ごっ、ごめんっ!」
 そう言って起きあがろうとした速水さんの頭を、再度押さえ込みました。
「だから、ゆっくりと起きてください。お姉さんの言うとおりにした方がいいですよ。」
 背伸びした私を笑いもせずに、速水さんはゆっくりと体を起こしました。
「ベンチ……?」
 しまった、そのことについての言い訳を考えませんでした。えーと、えーと…そうだ。
「さ、さすがに、こんな物陰じゃないと恥ずかしくて……」
「お、重くなかった?」
「さあ、忘れました……。」
 これ以上突っ込まれては私の身体が持ちません。
 ちょうどいい風も吹いてきた事ですし、せっかくお手入れの面倒な黒髪をしてるんですから雰囲気作りに役だって貰いましょう。
 光線の具合を計算して、長髪を波打たせるように西の空を見上げます。
「あ、壬生屋……」
「はい……なんですか?」
 誘いをかけるような、少し間延びした返事を意識して返します。兄には申し訳ありませんが、昔のことを思い出して少し瞳を潤ませることも忘れません。
 …速水さんのこんな表情を初めて見みました。
 これは、作戦半ばにしてミッションコンプリートの予感がどきどきします…って私は何を言ってるんでしょう?
「そ、そろそろ帰ろうか?」
 ……私には何が足りないんでしょう?それとも、速水さんに足りないんでしょうか?
「…………そうです、ね。」
 そして次の日の朝。
 教室に写真がありません。驚きました、完全に予想外です。
 そして私が首をひねっていると、にやにやと笑う善行さんから話しかけられました。
 ……きたっ、これからが私のサクセスストーリー。
「壬生屋さん、いい記念写真が撮れたんですけどいりますか?」
 こんな素晴らしい写真を撮っておきながら、あなたは一体?
 私は怒りも露わに善行さんを睨みつけました。
「ど、どういうつもりですか?」
「いや、私は写真が趣味でして……ただの偶然です。まあ、パイロットには死にたくない理由が1つでも多い方がいいですから。」
 そう言って善行さんは写真とネガを私の手に握らせました。
 ……それなら最初から写真なんて撮らなければいいでしょう?
「新井木さんに見つかる前に処分した方がいいと思います。」
 そう言い残して立ち去った善行さんを、私は真っ赤な顔のまま見送った。つまりは他人に踊らされるのはごめんと言うことでしょうか…。
 
 あああああっ、どなたもこなたも私の思ったように動いてくれません。
 試練…これは試練なのですか?
 己の力のみで何とかしろと言う試練。
 仕方ありません、こうなったら祖母直伝の奥義を繰り出すしかなさそうです。ただ難点はすぐに実行できないことですけどね。
 
 士魂号1番機……重装甲仕様。
 まだ一ヶ月あまりの短い期間ですが、愛着がわきつつあるのが不思議です。まるでずっと長年生死を共にしてきたような……
「あんまり根をつめると良くないよ。少し顔色も良くないみたいだし。」
 速水さんがそう言って紅茶の缶を手渡してくれました……優しい人ってのは、本当に残酷です。
「壬生屋の機体はいつも傷だらけだね……」
「私が未熟ですから。」
 おや、何かいい雰囲気になりそうな予感です。正直なところ体調は良くありませんが、頑張らないと。
「いつも激戦の中に身を投じる……そのおかげで助かる人がいる。この傷は壬生屋の無器用な優しさの証明だと僕は思ってる。」
 私はじっと速水さんの顔を見つめ、そして意味ありげに小さく笑いました。体調の悪さも味方して、いい表情が出来たようです。
 本当ならここで、真珠の涙を浮かべながら『私が守りたいのはあなただけです。』なんて言ってみたいところですが、さすがにそれは早計というものでしょう。
 祖母曰く、『女の涙は最後の武器』らしいですし。
「………壬生屋には…好きな人とか、いないのかな?」
 見ていてわかりませんか…?
 あ、でも脈ありですね?間違いなく脈がありますね。
 こんな事聞くんじゃなかったという表情をしている速水さんに、私は敢えて明るい笑顔で話しました。
「……いますよ。」
「あ、そうなんだ。僕の知ってる人かな?」
 鈍い、鈍すぎます!既にそれは犯罪級の鈍さです!
 しかし、ここまで鈍くなれるものでしょうか?
 ひょっとすると狙ってやっているのでは?という考えがふと頭をよぎりましたが、壬生屋家の辞書に撤退の二文字はありません。
 転進とか戦略的撤退とか言う言葉はありますけど。
 黙り込んでしまった私に気を遣ったのか、速水さんは別の話題の糸口を必死になって探していたようです。
「あ、やっぱり紅茶は嫌だった?」
「いいえ、後でゆっくり飲みます。」
 せっかく昨日から水分を取っていないのに、今飲んだら意味がないですからね。
 
 朝目が覚めると、昨日とは比べものにならないぐらいの倦怠感が襲いました。少し熱もあるようです。
 どうやら今日あたり、作戦を遂行できそうです。
 しかし、軽い脱水症状になると風邪とよく似た症状を引き起こすなんてことを、祖母はどうやって知り得たのでしょうか?
 しかも、少しずつ体調が悪くなっていくわけですから、周囲に対して完璧なカモフラージュまで出来てしまいます。
 まあ、何はともあれいつも通り学校に行って授業を受ける事にしましょう。
 
「帰れ!」
 本田先生が教室の入り口を指さしました。
「そんな大げさな、休めば治ります。」
 むう、演技過剰でしたか?
 帰るとなると、少しシナリオを書き換えなければいけないのですが?
 とか思っていたら善行さんが口を挟んできました。
「ここしばらく戦闘はありませんよ。あったとしても大した規模では無いでしょうから身体を治してください。」
 ああっ、なんて事を!
 迷刀鬼しばきは今宵『も』血に飢えていますよ!
「まあ、1人で帰らせるのも物騒ですからね。授業が終わるまで詰め所で休ませてはどうでしょう?」
 善行さーん、愛してます。速水さんの次の次ぐらいに。
「それもそうだな……んじゃ、石津!」
「……私1人じゃ、無理。」
 このクラスで医療技術を持っているのは石津さんと加藤さん、後は速水さんの3人しかいません。まあ、芝村さんがわざわざそんなことに手を貸すはずがありませんし、加藤さんは昨夜受けた鬼しばきの一撃で、今日は休んでますし。
「じゃあ、速水も。」
「……速水君なら、大丈夫。」
 気分的には空でも飛べそうでしたが、速水さんの肩をかりることにしました。身近に速水さんの体温を感じて、自分の顔が赤くなるのを感じてしまいましたが、それはそれで好都合かも知れません。
 
「あれ、熱上がっちゃったかな?」
 そう言って私の額に速水さんが手をのばしかけたのですが、石津さんがそれを引きとめました。
「私が診る…。」
 ひょっ、ひょっとしてばれちゃったりなんかしてるのでしょうか?
 石津さんにじろじろと眺められている間、気が気じゃありませんでした。ごまかせたのか、見逃してくれたのかはわかりませんけど。
 さあこれから正念場ですので、とにかく体調の回復のために水分を補給しないと。
 慌てすぎたせいで、ちょっとむせたりしましたけど……我ながら情けない言い訳でした。子供っぽいなんて思われなかったでしょうか?
 石津さんに対して『この部屋から出ていけ念波』をひっきりなしに送りながら、私はしきりに水分を補給しました。
 後で調べた所によると、あまり急激に水分を補給しすぎるのは良くないそうです。
 まあ何はともあれ、人一倍感受性に優れた石津さんは、「ちょっと用事が…」と言い残して部屋を出ていってくれました。
 もう、2人きりになるとそれだけで部屋の空気が違ってきます。願わくば速水さんにとってもそうであって欲しいのですが、そわそわしているところを見ると、まんざらでもなさそうです。
 薄暗い部屋に2人きり。
 勝負所です。
 光の欠如は、人間の想像力をかき立てます。ここでプラス方向の印象さえ与えれば、その相乗効果は4倍、いいえおそらく12倍。
 速水さんのハートも砕け散ること間違いなしです。
 しかし、本当ならゆっくり看病して貰うはずだったのですが、どこでシナリオが狂ってしまったのでしょう?
「……いいものですね、こういうのって。」
「そ、そう?」
 未央の熱っぽく潤んだ瞳と赤い顔にどきどきしながら、速水は天井を見た。
「病気の時、誰かが側にいてくれる……いいものと思いませんか?」
 ふと見せた、速水さんの表情にどきっとしてしまいました。
「……ごめん、良くわからない。僕はずっと…施設に……」
 まずい、まずいです!
 男の人が自分の過去を語り始めるのは理想的な展開らしいですが、あまりにディープな昔話は非常にまずいです。でも、察するに人のぬくもりの経験が浅いと言うことみたいです。ここは壬生屋家奥義、二の太刀、三の太刀。
 私は慌てて速水さんの手に自分の手を重ねました。
「ごめんなさい……嫌なことを思い出させるつもりは…」
 思わず自分の演技にのめり込んで、涙をこぼしそうになりましたが、まだです。涙はまだ早いです。あまり早いと、相手はしらけるだけです。
 申し訳なさそうにうなだれながら、きゅっと速水さんの手を握ります。ここで拒否されるようなら脈なしです、また次の機会に再起をはかることになりますが……
「いや、もう昔のことだから…別に……」
 おっけー!
 もう一押しです。
「もし速水さんさえ良ければ……その、えーと…速水さんが倒れたとき私が側に…」
 祖母曰く、最後まで言い切らないのがコツらしいです。私は駄目押しとばかりに、顔を真っ赤にしてうつむきました。
 赤面するのを止めるのは出来なくても、女の子ならこの逆はいつでも可能です。
「あ、うん…その時はお願いするよ。」
 ……おばあさま、時代は変わったようです。
「どうしたの、壬生屋。大丈夫?」
 ええいっ、はしたないと笑いたくばお笑いなさい!
 合気道の要領で、速水さんの力を後方へ受け流します。力を必要としないから、速水さんにとっては自分が押し倒してしまったように感じるはず。
 さあっ、速水さん!
 殿方なら殿方らしく……
 きーんこーん……
 授業の終わりを告げるチャイムの音に、速水さんが我を取り戻してしまいました。仕方ないので私もここは速水さんに合わせておきましょう。
 しかし、意気地のない速水さんに対して少々腹を立てていたので上手く笑えません。
「ご、ごめん……」
「いえ…わざとじゃないのはわかってます。」
 ……ええ、そりゃしっかりと。
「えと…しばらく1人で大丈夫かな?」
「……大丈夫です。というか、1人にしておいてください。」
 これから私はどうすべきか1人で考えたいんです。
 しかし、小細工に走りすぎたのでしょうか?
 押して押して押して押しまくる展開に持っていけないのが何とも歯がゆくてなりません。
 もう、私の方から告白するしかないのでしょうか……でも、出来る限り速水さんに冷静さを与えないまま押し切ってしまいたいのですが。
 ……私は少し、安全策を求めすぎたのかも……速水さんに対して回りくどすぎたかもしれません。
 リスク無しにはギャンブルは成立しないという有名な言葉もあります。
 ……それにしても、速水さんは少し不甲斐ないというか…鈍すぎます!
 私は身体をむくりと起こし、これまで我慢してきた激情を罪のない枕とベッドにぶつけ始めました。
「大体あんなに鈍いのは犯罪です!」
 枕をバシバシと叩きつけ、ここぞとばかりに不満をぶつけ始めると、もう止まりません。
「これほどまでにあからさまなモーションをかけているというのに、速水さんときたらもう!」
 枕を両手でぐぐっと握りしめ、再びベッドにばんばんと叩きつけると何故か気分がすかっとします。知らず知らずのうちによっぽどのストレスが溜まっていたのでしょう。
 でも、どんなに罵ってみても…駄目なんですよね。
 ため息と共に本音がこぼれます。
「速水さんのこと好きだから仕方がないですよね……」
 ミシッ。
 ばっ!
 光沢のある黒髪をうねらせて私は入り口の方を振り向きました。
 気のせいです、気のせいに違いありません!
 もし気のせいでなければ、私は全てを捨てて失踪するしかありません。
「ご、ごめん……心配で、つい…」
 コンマ4秒ほど心臓が止まりました。
 何やら世界の全てが非現実的に見えます。
 私、尼になるしか道がないのでしょうか……でも、考えてみたら全て速水さんが悪いような気がします。
 そう思った途端、心の中で進軍ラッパが鳴り響きました。
 おばあさま、これより未央は一歩も引きません!
 戦闘開始、当方に退路無し!
 半狂乱の中、いつの間にか私は勝利しちゃったようでした。
「ぼ、僕も壬生屋のこと好きだから…」
 一体、私はなんのためにあんな苦労をしたのかしらという囁きが聞こえてきましたが、胸の中にじんわりと勝利の快感が染みてきました。
 はっ、勝利に酔いしれてる場合ではありません。ここは、ひとつ奥ゆかしい態度を…
「……嘘。」
「嘘じゃないよ、ずっと言えなかったんだ。断られるのが怖くって。」
 そして速水さんは照れたように間抜けな言葉を付け加えました。
「め、迷惑だったかな?」
 迷惑なはずがありません。でも、そういうところが速水さんのいいところです。
 もう、言葉になりません。
 ただお互いに赤くなったり視線を逸らしては見つめ合ったりするだけでした。
 
 HRの時間、本田が不機嫌そうな表情で教室の中を見渡して口を開いた。
「速水に壬生屋。最近仲がいいそうだが、隠れてチューなぞしとらんだろうなあ?」
 くすくすという笑い声が教室のあちこちであがりました。
 授業が終わって、良く晴れた空の下を、速水さんと2人で歩きます。
「なんか、みんなにばれちゃってたね。」
 そりゃそうです、私が噂の発信源ですもの。
「速水さん、私に約束してくれますか?」
「な、何を…?」
「私、壬生屋未央を生涯かけて幸せにすると…決して私を悲しませたりしないと。」
 何故でしょう……『死なないでください』という言葉が素直に言えません。でも、速水さんには伝わったみたいです。
「…うん、きっと生き残る。でも、僕より壬生屋が心配だよ。」
「大丈夫です……古来より恋する乙女に敵は無しと言いますから…」
 私は抜けるような空を見上げて心の中で呟きました。
 ……私、壬生屋未央はいつまでも貴方と共に生きていきます。
 
 
                   完
 
 
 『策略は練りまくるけど、どこかにくめない感じの性格設定で頼むわ!』とかリクエストを受けたんですが、どちらかというと私は、精神が破綻する寸前の人間を描いたりするのが好きです。(笑)
 しかし、要望に応えることが出来たんでしょうか?
 私としては半信半疑です。
 ところで、このお話の壬生屋さんには実在のモデルがいたりします。(笑)化粧云々で体調を悪く見せる等は、『誰でもやってる』と豪語してましたし、『女の子ってのは常に人からどう見られるかを気にしているから下手な役者さんよりよっぽど演技が上手』とか、『涙なんて自由自在』らしいので、男性諸君は気をつけましょう。(笑)
 もちろん、私の知る限り男性の中にもとんでもない奴がいるので女性も気をつけてください。
 まあ、男だろうと、女だろうと人間ってのは魔物だねえと私なんかは思ってますけど、みなさまはどうでしょうか。
 夢を持つのはいいことだと思いますが、大事なのは自分の夢を相手に押しつけないことじゃあないですかねえ。それは多分、お互いにとって悲劇ですから。  

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