「原先輩、書類はこれで全部です。」
「ありがと。」
 素子は森から受け取った書類を眺めながら生返事を返す。
 5121小隊への配属を目前に控え、自分の部下となる整備兵の名簿資料に目を通しているところだ。
 ざっと目を通しただけでも、一癖も二癖もありそうな人材が集められているのが確認できる。素子は、ちょっとうんざりしたように指先で書類を弾いた。
 そして気を取り直すように、傍らで控えている森に声をかける。
「しかし、森はよくこの小隊に来る気になったわね?」
 この小隊が普通じゃない事ぐらいはわかってるでしょ?とでも言いたげな視線を向けられ、森は小さく笑った。
「先輩についていこうと決めてましたから。」
「………物好きね。あなたの腕ならどんな整備兵にもひけをとらないのに。」
 口ではそう言ったものの、実際気心の知れた(技術も含めて)人材が1人いるのといないのでは、整備主任として大違いである。
「ま、正直なところ私は助かるけど。」
「あはは、先輩に誉められるとちょっと恥ずかしいです。」
 頬を赤らめて謙遜しているが、森の整備の腕は信頼するに足りる。
「しかし、この小隊って何なんでしょうね?ただの寄せ集めにしては…装備が豪華すぎるというかなんというか。」
「つまらない詮索はやめといたほうがいいわ………」
 死にたくなければね、という言葉をのみ込んで、素子は忌々しげに自分の上司となる男のファイルを机の上に投げ捨てた。
 森の視線が無意識にその書類を追いかけ、すぐに表情を強ばらせて視線を逸らす。
「(ああ、そういえば森は知ってるんだったわね。)」
 5121小隊の司令官、善行忠敬千翼長。
 素子にとっては因縁の深い男性である。
「(この組み合わせも計算のうちなんでしょうけど。)」
 素子は流麗な眉を心持ちひそめたが、傍らに立つ森の視線に気が付いて肩をすくめた。
「森、そういうのは表情に出さないの。」
「すいません。」
「まあ、いいけど。」
 終わったこと……と言い切ることに抵抗を続けている自分が、常に心にあった。
 おそらく向こうは自分のことなど忘れてしまっているだろう。それなのに、自分はあの男の事を覚えているのだ。
 森の視線が素子を現実に引き戻す。
「森、どうかした?」
「いえ、別に……」
「過去の2つや3つ、女にとってはプロフィールみたいなものよ。」
 指先にふっと息を吹き付けながら素子がうそぶくと、森は硬い笑みをもらした。
「それが、未来につながる過去なら…そうなんでしょうね。」
「へえ、あなたもそんな台詞を言えるようになったのね。」
 少しからかうような口調に、森は戸惑ったような視線を素子に向ける。それは自分が口に出した言葉に驚いたような表情だった……
 
 敬礼。
「整備班、原素子以下10名、ただいま着任しました…」
 ほんの少しだけ自分を裏切ってしまった口調の乱れを、自分の目の前の男に悟られはしなかったかと危惧した。
「ご苦労様です……ま、お互いとうのたった学生を演じることになりますが我慢してください…。」
 眉1つ動かさずにいけしゃあしゃあと口を開くこの男。
 素子は発言の許しを求めるように、軽く右手を挙げた。
「……何かね?」
「偽りとは言え、我々は学徒兵と言うことですか?」
「その通りだが…?」
 善行の表情が初めて微かに揺らいだ。
 素子の意図が読めなかったらしい。
「では、今は時間外と言うことですね?」
 善行は素子の言葉を先回りしたかのように肩をそびやかした。
「わかりましたよ……文句があるなら今のうちに洗いざらいぶつけてください。あなたの優秀さは知ってますから、仕事に影響しないのはわかってますけどね。」
 素子はにっこりと微笑んだ。
 この笑顔の意味が分かるのは、この部隊では善行と森ぐらいのものであろう。
「とうがたってて悪かったわねえっ!」
「やれやれ、まずはそれですか……。」
 困ったような表情を見せる善行は、貧乏な青年学者を思わせる。
「あなたなんか私より5歳も年上じゃない!一緒にしないで!」
 そういう問題じゃないでしょう……などと口にするほど善行も愚かではない。
「以上です。」
「は?」
 我ながら情けない声を出してしまったことに気が付いて、善行は照れ隠しに眼鏡の位置を指先で調節した。そして、余計なことかと思ったが口を開いた。
「それだけ…ですか?」
「他になにか?」
 きらりん、と光る素子の瞳に危険なモノを感じて善行は口をつぐんだ。
「(やれやれ、相変わらず可愛いですね。)」
「何か言いましたか?」
 と、厳しい表情の素子。
「何か聞こえましたか?」
 と、こちらは涼しい表情で善行。
 素子と善行の視線が空中で絡み合う。火のつきそうな素子の視線を、善行がかるく受け流すうちに、ふと空気が弛緩する。
「……失礼します。」
 軽く一礼して出入り口の方へと身体を翻らせる素子。そこで初めて善行はあることに気が付く。
「あ…」
 素子が今にも噛みつきそうな表情で振り返る。
「何?」
「髪…切ったんですね。」
 長い髪をうねらせて、すねたように善行に背を向ける昔の素子と今の素子がだぶってしまい、つい口に出してしまった。
 が、すぐにそれを後悔する。
 素子の口元とこめかみのあたりが引きつっていくのを見たからである。
「…か、髪がどうしたっていうのよ…」
 その美貌にはそぐわない青筋を浮き立たせ、身体を小刻みに震わせている素子。おそらく何を言っても結果は同じであろう。
 ならば正直に答えておこう、と善行は思った。
「いえ、好きだったんですよ…あなたの綺麗な髪。」
 ぐあっしゃんっ!
 素子が出ていった後、善行はひっくり返った机を元の位置に戻しながら呟いた。
「……呆れるぐらい変わってないですね。」
 その口元には微かな笑みさえ浮かんでいる……。
 その頃。
 ガンッ!ガンッ!ガンッ!
 身近にあった器材の箱を何度も何度も蹴り上げる。
「あの男っ!馬鹿っ!何考えてんのっ!」
 額から汗を滲ませ、一心に箱を蹴り続ける。
 ばかあんっ!
 とうとう素子キックの衝撃で箱がぶっ壊れた。中身が散乱する。
「ふーっ……森、何の用?」
 額の汗を拭って、後ろを振り返る。
「……壊さないでくださいね、って言いたかったんですけど……」
「大丈夫、手加減したから中身は無事よ。」
 手加減してこの有様ですか?という表情を張り付け、森は床に散らばった厚さ5p程の樫の板を見つめたまま、いろんな意味でこの人にはかなわないと思った。
 
 コト…
 素子は目の前に置かれた紅茶の缶を見つめ、不機嫌さを隠そうともしないで口を開いた。
「何の真似?」
 時刻は既に午前3時。
 周りには誰もいない。
「上司として、頑張っている部下をねぎらってはいけませんか?」
「命令ってわけね…」
「お好きに解釈してください……」
「……心優しい上司のねぎらいのおかげで私は充分に安らげました。ですから、今すぐご自分の仕事場所にお戻り下さい。」
 ばりばりと仕事をこなしながら、素子はやけに平板な口調で言い立てる。
「子供ですか、あなたは…?」
「どこかの趣味の悪い長髪をした、白豚準竜師より年上のあなたに言われたくはないわよっ!」
 
 ブラインドの隙間から外を眺めていた準竜師は、こめかみを引きつらせながらも口元だけで微笑んだ。
 
「聞かれますよ…?」
「何馬鹿なこと言ってるのよ!聞こえるわけないじゃない!こんな時間なら秘書といちゃいちゃしてるでしょ」
 
 準竜師はそれもそうだなと思い、傍らに控えていた秘書の靴下を取ろうとしてはり倒された。
 
「……そんな無防備で、よく主任になれましたね。」
「何が言いたい…?」
 いらただしげに善行の顔を振り返り、素子は口をつぐんだ。
 レンズの向こうに、何とも言えない優しい瞳を見たからである。
 善行は机の上のペンを取り、紙の上に何かを書いてから立ち去った。
 素子はきょとんとした表情で机の上に視線を戻す。
 几帳面な、小さな文字で
『我々の言動は逐一監視されてます。』
 素子はその紙を破り捨てた。
「そのぐらい私だって知ってるわよ!」
 そして、紅茶の缶を手に取りながら傍らの士魂号を見上げた。
「……私はね、殺されないわよ…。」
 生ぬるい紅茶が、苦い風味を残しながら素子の喉を滑り落ちていった……
 
「悪い遊びにつき合わないか?」
 唐突だった。
 いきなりの話の転換に付いていく事ができず、速水は目を丸くする。
「と言うわけで、速水!今日からお前も原さん親衛隊の一員だ!」
 怪力の若宮に両肩をがっしりと掴まれると、パイロットの速水でさえ身動きがとれなくなる。
「ちょ、ちょっと若宮。」
 何故か頬を赤らめる速水。
 若宮もついそれにつられてしまう。
 誰もがあの人の登場を待っていたそんな時、
「邪魔よ…」
 いきなり素子に二人は蹴り倒された。
 昨日から不機嫌メーターぶっちぎり状態なのである。やはり善行と同じ隊に所属するというのは激しくストレスが溜まりそうだった。
 おそらく時間と共に多少の慣れを予想はされるが。
「……若宮、考え直さない?」
「考え直すぐらいなら、口には出さん。」
 きっぱりと言い切る若宮の隙をついて、速水は脱出した。そしてそのままダッシュで逃げていく。
「むう…友達甲斐のない奴だ。」
 口ではそう言ったものの、若宮は気にした素振りも見せずに立ち上がった。
「さて、これから忙しくなるな。」
 
 そして、小隊が発足してから約一月が過ぎた。
 『戦力の1割を失ったなら、それは勝利とは言えない。』というのは、古来よりまことしやかに囁かれてきた名言である。
 敗戦もまたしかりで、被害というものは撤退戦において増幅されるものであり、通常戦闘で半数以上が駆逐されると言うことはまずない。
 殲滅戦として名高い厳島の合戦でさえ、逃げ道のない島の中での徹底的な掃討戦を含めて陶軍の死者は3割から4割というところである。しかも、勝利した毛利軍の記録においてだからもっと少ない可能性もある。
 それだけに、なまじ経験と知識がある者ほど、この小隊の戦果は信じることが出来ないで大騒ぎをする。
「主任…どうかしたんですか?」
「……別に、そろそろ釘を刺さなきゃいけないかなと思っただけよ。」
 素子がそう思っていた折り、戦闘において都合良く士魂号が大破してくれた。それを見つめながら、素子は静かな口調で森に伝えた。
「森、整備のみんなを集めてちょうだい。面白いモノを見せてあげるからって。」
 
「フフフ…面白いものと言われれば、やってこないわけにはいきません。」
 もの問いたげな視線や言葉を無視して、素子は士魂号のブラックボックス……整備兵でさえ触れることが出来なかった部分の中身を指さした。
「何があるんですか……?」
 みなの息を飲む雰囲気が漂った。
「…死んでますね。」
 最初に口にしたのは遠坂。
 どこか自分の人生を投げたような所を与える印象にふさわしい、熱の感じられない口調だ。
「他言は無用よ…死にたくなければね。」
 何人かがおずおずと頷き、一刻も早く外の空気を吸わんがため、足早にその場を立ち去っていく。
 気の優しい田辺あたりは、しばらく眠れなくなるだろうと思い、素子は軽く同情した。
「フフフ…面白いものというのはこれだけですか?」
「何が?」
 珍しく腕を組んだまま静かに立っている岩田を見る。
「面白いものと言うからには、士魂号の秘密ぐらい見せてくれるのかと思いましたが?」
 道化の向こうに見え隠れする巨大な知性の存在。
「岩田君、頭がいいのは分かってるけど、黙っておく知恵はないの……それとも挑発?」
「おやおや、まるで士魂号の秘密を知っているかのような口振りですね原さん。」
「知ってたら、こんなところでのうのうと生きてはいられないわよ。」
「そうでもないっ……!」
 岩田の身体が奇妙なダンスを踊りだす。
 痙攣をまじえたお笑いの新境地……ではなく、新井木に股間を蹴り上げられたのだ。
「主任を困らせるんじゃないの……」
「新井木さん、あなたみたいな聞き分けのいい人がいると助かるわ。」
「で、私はこの噂をばらまけばいいの?」
 小さな身体に似合わぬパワーを見せ、ピクピクと泡を吹きながら丸くなった岩田の身体を担ぎあげる。
「それらしく……ね。」
 新井木の表情から小悪魔っぽいところが失せ、静かな優しい印象がそれに取って代わった。
「この戦争が終わったら、同窓会をするつもりなんです。死んだら駄目ですよ。」
「……悪いわね、損な役回りをさせてしまって。」
「勝つためです…何だってしますよ。」
 新井木は少し照れたような表情で、そして殊更にそれをうち消すようなぶっきらぼうな口調で言い残すと、岩田の身体を担いだままハンガーから出ていった。
 そして、1人残された素子はため息をつく。
「同窓会……ね。」
 本気とも冗談ともつかない少女の言葉。
 素子は士魂号を見上げた。
「この子達にも……参加する資格がありそうだけど。」
 
 深夜のハンガー内。
 この時間帯に残っているのは、仕事熱心な人間に限られる。
「原先輩……この前のアレなんですけど……」
「……噂が漏れてるらしいわね。」
 困ったような表情で、上目遣いに素子を見つめる視線。
「どうしたらいいんでしょうか?」
 素子は仕事の手を休めて、森の右肩のあたりをじっと見つめた。
「どうしようもないわね。」
「……」
 まだ何か言いたげな森だったが、おとなしく引き下がった。遠ざかる背中を複雑な表情で見送る素子。その視線がゆっくりと別の方向に動いていき、闇の中の何かを射殺すような視線でにらみ付けた。
 それにいぶり出されたように、ぬうっと闇の中から浮き上がるように人影が現れる。
「森さんがあなたの監視役ですか?」
「……相変わらず、やな男ね。」
 素子は一旦言葉を切って、視線を宙にさまよわせる。
「私の後輩よ。気心の知れた、ね。」
 善行は他人には滅多に見せない微笑みを浮かべて呟いた。
「なるほど。相変わらずやり方が汚い。」
「……聞かれるんじゃなかったの?」
「この一ヶ月あまりの戦闘で、危ういながらもなんとか自分の立場というものを築けましたからね。このぐらいでは殺されないでしょう。」
 眼鏡のレンズでは隠せない鋭い眼光。
 善行は無精ひげを撫で、眼鏡の位置を調節した。いつの間にか癖になってしまったらしい。
「……みっともないわね、ひげぐらい剃りなさいよ。」
「少しぐらいだらしない方がいい、と言ったのは誰ですか?」
 そして善行はわざとらしく悲しげに首を振る。
 素子はそれに取り合わずに冷ややかな視線を向けると、これでもかというぐらい不機嫌な様子で口を開いた。
「何しに来たのよ?」
「……司令として、みんなの部署を毎日見回ってるんですよ、これでも。」
 素子は床に視線を落とし、やや小さな声で呟いた。
「私の部署も…?」
「いえ、あなたの仕事は心配ないと分かってますから……どうしました?」
 素子の肩のあたりが小刻みに震えていた。
 その上、ぎりぎりと歯を食いしばる音が聞こえてきそうな表情をしている。
 善行は、ほんの少しだけ考えて、やはり疑問を口に出すことにした。
「誉めたつもりなのですが…?」
 どごっ。
 素子の足下にあった器材が、ハンガーの壁に激突する。そして、ずかどかとあたりのものに八つ当たりしながら、素子は足音高くハンガーから出ていった。
 指先でこめかみのあたりを押さえ、善行は軽く首を振る。
「……彼女とは先天的な相性の悪さを感じますね、どうも。」
 深夜だけに、誰も善行に突っ込もうとはしなかった。
 
 ずかずかずかと、脇目もふらずに歩いていたかと思われた素子が振り返った瞬間、若宮はつい硬直してしまった。
「若宮君……」
 右手の平を上にして、くいくいと若宮を呼び寄せる素子。
「な、なんでありましょうか?」
 慌てて駆け寄った若宮。
 その厚い胸板を素子はちょんと指先でつついて、低いドスの利いた声で宣言する。
「善行にね、自分の命は自分で守れるって言っといて。」
「……わかりました。」
 若宮の表情が、きりりとしたいつものそれに戻った。
 その変わりように、素子は小さくため息をつく。
「一ヶ月もの間、ボディーガードお疲れさま。」
「出番がなかって何よりでしたが。」
「……そこまで馬鹿じゃないわよ。」
「私に怒りをぶつけられても困るのですが……」
 素子は小さく頷いて、若宮に背を向けた。
 その背中に込められた『1人にしろ』という強烈なメッセージを受け取り、若宮は軽く頭を下げた。
 遠ざかる足音。
 素子は周りに誰もいないのを確かめて、普段の優雅さのかけらもなく地団駄を踏み始めた。
「あの男は、いつまで私を子供扱いするのよ!」
 問いかける言葉は、ただ闇の中にのみ込まれていく……
 
「司令、整備班における今後の計画書です。」
「わかりました、すぐに目を通します。」
 少なくとも善行が司令としての能力を充分に有している事は間違いがない。
 それでもやはり、その能力は戦場における指揮系統よりもデスクワークにやや偏りを見せている様に素子には思われた。
「ここまで頑張る必要がありませんよ…と言いたいところですが、」
 書類にざっと目を通し、善行は椅子に座ったまま素子の顔を見た。
「この仕事ぶり……正直、どれだけもちます?」
「せいぜい1週間かしら……その間に大がかりな作戦が展開されると思ったし。」
 傲然と言い放つ素子の視線を一旦は受け止めて、善行は肩をそびやかした。
「遠くが見えすぎると…危険ですよ。」
「……数年前、近くには嫌な事しか見えなかったもの。」
 善行は近くに誰もいないことを確かめると、ため息を吐くように呟いた。
「今更繰り返すのも何ですが…私は浮気なんかしてませんでしたよ。」
「男はみんなそう言うわ……」
 すねた様な素子の言いぐさに、さすがの善行を気を悪くしたようだった。
「……あなたの頭脳なら、ちょっと冷静になれば分かるはずなんですが…」
「おあいにく様、私は男にとって都合のいい存在にはならないわっ!」
 素子は吐き捨てるように言い、善行の手から書類をひったくる様にして、隊長室を後にした。
「この事まで計算して、あの時だけ私の監視者に女性をつけたんですかねえ……」
 善行は頭の後ろで手を組み、天井を見上げた。
 そして入り口に視線を向ける。
「どうなんですか、若宮?」
「士官が己の精神以外によりどころを見つけるのは危険ですからな…多分そうじゃないでしょうか?」
 若宮は敬礼して善行の視線を受け止めた。
「……まあ、確かに彼女は恋人の全てを知った上でさらに縛ろうとする所がありますからね…」
「いらない気苦労を重ねないですんだと思えばどうでしょうか?」
「その代わり、今になって針のむしろに座らされている気分ですよ。」
「つけは払う……大昔からのルールですからな。」
 若宮は磊落に笑った。
 しかし、善行にしてみれば他人のつけを払わされている気分である。とはいえ、この戦争自体が他人のつけを背負わされたようなモノなのだ。
 今更嘆くには値しないかもしれなかった。
 
 払暁、出撃まで残された時間は後僅かというところで、善行は全ての隊員を集めた。
「……みなさん、自分の周りにいる仲間達の顔を良く覚えていてください。」
 あまりに不吉な物言いに、隊員達の間に動揺がはしる。だが善行はそれには構わず、淡々と話し続けた。
「戦争でなくすもの…それは自分の命でも、仲間の命でもありません。」
 動揺に続いて困惑。
 善行は己の鼓動を確かめながら、みんなの顔を見回した。
「それは意志です……何かをやり抜こうとする情熱の消滅です……しかし、幸いにも我々は人間です。取るに足らない短い命をつなぎ続けて、その情熱を伝え続けた種族の末裔です。」
 舞がちらりと善行を見た。
「死ぬな……などという無責任なことは言いません。どうか、立派に戦ってください。あなたの情熱がどこかの知らない誰かに受け継がれるように……」
 誰ともなく歌を歌い出す。
 その歌の名はもちろん……
 狂気じみたうねりがその場を支配し始める。
「5121小隊、出陣します!」
「整備兵整列!」
 整備兵が敬礼し、戦場へと歩を進める戦闘兵、共に歌いながらの見送りであった……。
 
 今なら私は信じられる 2人の作る未来が見える
 2人の差し出す手を持って 私は再び生まれ出る
 幾千万の私達であの運命にうち勝とう
 遙かなる未来への階段を駆け上がる 私は今1人じゃない
 
 熊本城周辺のあちこちでわき上がる歌声は大合唱になり、まるでそれが闇を切り裂いたように夜明けがやってきた……
 
 白んでいく空に浮かぶ黒い月を見上げて善行は思った。
 勝つだけでは足りない。
 士官学校で教えられた真実とやらが真実であるならば、明日への希望を持てるような大勝利だけが今の人類に必要なのだ。
 希望はそれだけで人類の大きな力となる……
 そこまで考えて善行は軽くため息をついた。
「大して隠す必要のある真実とも思えませんが……」
 古来より、人は人と争ってきた。それが形を変えたところでどんな違いがあるというのか?
「まあ、真実なんてものは自分の心の中に1つあれば充分です……」
 
「やれやれ、あれだけの演説をぶっといて後方指揮ですか……我ながらなんともはや…」
 的確な指示の合間に呟いた善行の言葉を耳にして、瀬戸口もまたオペレーターとしての任務を果たしながら切り返した。
「なあに、あの3人が死んだら同じ運命ですよ…恥じる事じゃない。」
 瀬戸口は一旦言葉を切って、小さく呟く。
「……東原だけはこの俺が死なせないがな。」
「整備兵も控えてますからね、負けられませんよ。」
 戦闘が激烈さを増していく中で、ふと善行が呟いた。
「瀬戸口君、この戦いが終わったら教えて欲しいことがあるんですがね。」
「俺に言わせれば、原女史はまだまだ子供さ。精一杯背伸びはしてるがな。」
「まったく…油断がなりませんね、あなたは。」
「あんたが初心過ぎるんだ……」
 
「士魂号2番機帰還!交換準備!」
 もそもそとハッチから這い出してきた滝川が、新しい機体に乗り移る。
「後ろの方をぴょんぴょんはね回るチキンにしては頑張ってるじゃない。」
「うるせえぞっ、新井木!」
 新井木は心の中で舌を出す。
 怒りは気力を充実させるから、これでいい。
 部下に指示を出しながら、素子は善行に向かって通信を送る。
「善行!5分で返すわ!」
「……」
「なんとか言いなさいよっ!」
「戦闘中なんですが…?」
「……司令、5分で2番機を返します。」
 素子の周りで整備兵がくすくすと笑っている。
「何がおかしいのよ、あなた達!」
 蜘蛛の子を散らすように逃げていく整備兵。それなのに、整備のスピードは一向に落ちない。
「いやあ…まるで昔に返ったみたい…」
 素子は善行からの通信を叩ききった。もちろん、顔は真っ赤なのだが、それが怒りなのか照れなのかは素子自身も分かっていない。
 
「司令も狸ですね。」
「緊張感を適度にほぐしてあげなければね…」
 その心遣いを半分でも原女史に回せとは言わない。さすがの瀬戸口も無駄口を叩く暇がなくなってきたのである。
 熊本城における戦闘はまだまだ終わらない……
 
 
                     完
 
 
 え、これでおしまい?なんて言葉が聞こえてくる様な気もしますが、終わりです。(笑)
 この小隊の中のカップリングで何がラブコメかって言うと、この二人がぶっちぎりでしょう。オチが付いたら駄目なんですよ、この二人は。(真剣)
 まあ、興味のある人は原さんの第三幕をお待ち下さい。
 第二幕が盛大に滑ってるので(泣)、仕事人と合わせて書き直しを敢行中です……もとい、構想中です。
 やっぱり、善行が浮気したとは思えないんですよね。
 とすると、来須で言うところの栗色の髪をした少女という監視者の存在をでっち上げるぐらいしか私の頭では理由が思いつきませんで。(笑)
 若宮の原さんの追っかけは、善行に頼まれたボディーガードと真剣に思ってました。原さんが生き残っている理由などを考えてみると、それが一番しっくりきましたし。

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