政府が九州を放棄する決定を下した旨を本田が告げると、朝の教室内は落ち着きのない雰囲気に包まれた。
「まあ、熊本だけが頑張っても戦線が拡大するだけで……と、そんな話はどうでもいいやな。お前らは、上の命令に従うだけだ……俺も含めてな。」
本田は一瞬だけやりきれない表情を見せたが、次の瞬間には陽気に笑った。……少し陽気すぎると思った生徒も何人かいただろう。
「今日は自習だ……お仕事するなり、仲間とだべるなりしてちっと落ち着くんだな。撤退作戦まで日もないけど、そのぐらいの権利は許されるはずだ。」
そう言って教室を出て行きかけた本田が、入り口のドアに手をかけて立ち止まった。言いにくそうに、軽く背を丸める本田。
「……それと、撤退作戦終了後、この部隊は自動的に解散だ。」
落ち着きを取り戻しかけていた教室内が、再び騒がしくなった。
たった2ヶ月というかりそめの学校生活は、少年少女の間に確固たる何かを築いていたのに違いなかった。
それは仲間意識であり、また友情や淡い恋愛感情であり、そして確執も含めてである。
「やれやれ、物騒な卒業式になりそうだな……」
「何人が生き残れますかね。」
顔色1つ変えずに眼鏡の位置を調節する善行を、瀬戸口は厳しい視線で見つめた。
「……何度も繰り返すことになるが、俺はあなたを死ぬまで軽蔑しますよ。」
「『死ぬまで』ですか…」
瀬戸口は、善行の表情を見て軽く驚いた。
「何かおかしなコトでも?」
善行は無精ひげの生えた顎を手のひらで撫で、瀬戸口の方を振り向いた。
「最初にその台詞を聞いたとき、君がこの小隊で最も軍人らしいコトを言うと感じたのを思いだしましてね。」
「……」
「奇妙に思いました。あまりにも戦いを知り抜いている発言でしたからね。」
善行は口元に奇妙な笑みをたたえたまま、鋭い視線で瀬戸口の瞳を見つめた。
「我々士官は部下達に対して、『戦い』に、そして『死』にさえも幻想を与えることを学びます。」
「……反吐が出るね。死ねば終わりだ、そこには何もない。」
「そう、『軽蔑』という感情さえも死ねば終わりです…無論、それが分かっているからこそ一生などという安易な言葉を使わなかったのでしょうから。」
善行は静かな声で呟くように言い、そして空を見上げた。
「軍人には……一生と呼べるほどの長い生も、穏やかな死も許されませんからね……」
「……台詞1つで、よくもまあそこまで深読みできるものですね。」
どことなく居心地が悪そうに呟く瀬戸口を、善行はほんの一瞬だけ顔を動かさずに盗み見る。
「君が…いつそれを知るコトが出来たのか興味がありましてね。軽薄そうに見せかけた仮面に隠された素顔を一度見てみたかったんですが……」
そして善行はため息をつき、おだやかな表情で瀬戸口に視線を向けた。
「君は、一度も挑発に乗ってくれなかった。」
「……何か勘違いをしてるようですが?」
善行の手が瀬戸口の言葉を遮った。
「士官が効率的に部下を殺すかを考えるコトと、己の能力を隠して仲間を戦場に送り出すのは……いい勝負だと思いませんか?」
瀬戸口の顔から表情が消えたのを見て、善行はさらに言葉を続けた。
「私のために戦えとは言いません……ですが、仲間のために戦うことを放棄している君にとやかくは言われたくないですね。」
不意に、善行の表情が苦々しいものへと変貌する。
眼鏡の位置を調節する動きは、その表情を隠すための動作かと思われた。
「……つまり、君と私は似たもの同士って事です。ただ…私は、この部隊において最善を尽くしたという自信はありますよ。」
それだけを言い残して、善行は瀬戸口に背を向けた。
孤独な背中。
深い決意だけを刻み込んで、決してクラスメイトとなれ合うことをしようとしなかった、孤独な士官の背中だった。
おそらくは胸の奥にあるだろう痛みはおろか、迷いのかけらも感じさせない姿に、瀬戸口は言いようのない嫉妬めいた感情を覚えた。
「……ちゃん。」
「ねえ、たかちゃん…?」
自分の名を呼ぶ声に気が付いて、瀬戸口は視線を下げた。
「ん、なんだい?」
「………」
ののみは、不安そうな瞳でじっと瀬戸口の顔を見つめているだけだ。
「何かあったのか?」
ののみはふるふると首を振り、精一杯背伸びをして瀬戸口の額を指先でつついた。
「…?」
「あのね、あのね…たかちゃんの眉毛がきゅうってなってるの。そんなお顔はめーなのよ。」
瀬戸口は軽く肩をすくめて微笑んだ。
かつて、守りたい存在を守れなかった自分が今ここにいる。この少女の存在は、自分にとって代替行為でしかないのかもしれない。
ののみは、再び瀬戸口の額をつついた。
「たかちゃん…泣いたらめーなのよ。」
「おいおい…俺は別に泣いてなんか…」
「でも、泣くのを我慢するのはもっとめーなの。」
ののみは、穏やかな表情で軽く両手を広げてみせる。
瀬戸口は鼻の奥にツンとした感覚を覚え、唇を歪めた。この少女を守る……それは思い上がりに過ぎない。
自分は、この少女に庇護されている。
「……壬生屋に見つかると、うるさいんだがな…」
そう呟きながら、瀬戸口はゆっくりと跪いてののみの腕に抱かれ、涙をこぼさずに声を殺して泣き始めた。
戦うための技は持っている。
剣をとれば、幻獣達を泥人形を相手にするように虚に還すコトも可能だろう。だが、今の瀬戸口は、銀の剣をふるう資格を放棄していた。
剣を取るのが恐かった。
我を忘れて破壊と殺戮の衝動に身を委ねてしまう自分が恐かった。
そして…そんな自分を仲間の目にさらすことに殊更恐怖を感じていた。
自分の戦場は、仲間の目の届かない闇の中にしか存在しない。
かつて自分の手で死なせた親友の顔を思い浮かべて懺悔していたためなのか、背後でたじろく様な気配を感じた時にはもう遅かった。
「せっ、瀬戸口…そ、そなたという男は……」
瀬戸口は慌てて立ち上がり、後ろを振り返った。
そこには、目が点になった舞が口をぽかんと開けて立っていた。
まあ、何の事情も知らずにののみの胸に顔を埋める瀬戸口を見れば、大概はそういう反応を示すであろう。
舞は顔を赤らめ、わざとらしく咳払いをすると、決して瀬戸口とは視線を合わさないようにして言った。
「その…なんだ。壬生屋あたりはうるさく言うかもしれんが、二人が幸せならそれはそれでいいのではなかろうか。」
かなり気が動転しているらしく、言葉遣いが変だった。
あまり状況の分かっていないののみは無邪気に笑っているため、ますます自分が悪者にされてしまうなと感じながらも瀬戸口は言い訳が出来ない。
しかも、不器用な気の使い方まで見せてくれているのが、あの芝村だ。
そう思うと、自然に笑みがこぼれた……いや、笑うことしかできなかったのか…
「ふっ、確かに芝村は公平な一族に違いない……」
瀬戸口は思う。
自らの全てをかけて決戦存在を目指した人間が、他の誰かにその座を奪われそうになった時の挫折感を自分は知らなかった。
そして、躊躇無く彼を殺した瞬間に救いの因果律が閉ざされることも。
「何を笑っている?」
「覚えておくといい子猫ちゃん。……俺ぐらいになると、立ったままいい夢が見られるんだ。」
どうやら、『猫』という単語がいたく舞を刺激したらしかった。
突き出された舞の拳を、不自然に見えない程度に力を受け流して後方に飛んで倒れる。
「…そなた、岩田と同じようなことを言っておるぞ!」
そう言い残して舞は肩を怒らせたまま歩き去っていった。
「岩田と同じ……か。そりゃ、お互い不本意だな…。」
「ひろちゃんがどうしたの?」
不思議そうに尋ねてくるののみに向かって、瀬戸口は首を振った。
「奴は…まだ戦ってるからな…。」
「……?」
「いや、なんでもないんだよ…可愛いののみ。」
瀬戸口は穏やかな笑みを浮かべて、ののみの頭をそっと撫でた。
「おーい、瀬戸口師匠!」
「おやおや、この愛の狩人に何の用だ?」
おどけた返事を返しながら、その実、瀬戸口はじっと滝川を観察している。それは今に始まったことではなく、最初からずっとである。それも、滝川に限ったことではない。
人は誰でも竜になれる。
例えそれが、目指したヒーローになれないという理由でさえ。
速水と舞がアルガナ勲章を獲得したとき、瀬戸口は滝川に他の楽しみがあることを教えてやった。
岩田はこの無限の回廊を抜け出すために努力しているが、瀬戸口のそれは、仲間同士で殺し合う場面が見たくないだけだった。
そうして、瀬戸口は無限に続く春を生き続ける。
「師匠ってどこから来たの?」
「……。」
無邪気に微笑んでいる滝川の口から発せられた言葉は、瀬戸口の心に冷や水をぶっかけた。そんな瀬戸口の心境を知らない滝川は、照れくさそうに頭をかいている。
「俺って、熊本から外に出たこと無いんだよね。本州にも、可愛い女の子はいるかなあ?」
「……お前さんの努力次第だな。」
「じゃあ、ますます撤退戦では死ねないよなあ……」
へへっと笑いながら、滝川は指で鼻の下を擦った。
「明日か……民間人の避難が迅速に完了すればいいんだがな…」
「でも、俺達は徒歩で脱出らしいし……師匠は、東原と一緒に?」
「ああ…そのつもりだ。」
九州撤退を明日に控えた熊本の空は、ぬけるように青かった……
『今、民間人を乗せた最初の輸送機が飛び立ちました。みなさん、なんとか持ちこたえてください。』
熊本各地に散らばっていた戦力及び人類が一カ所に集中すると、自然幻獣もまた一カ所に集中することになる。
その結果、熊本空港での戦闘は小隊において過去に類を見ないほど熾烈を極めているように思えた。
『速水機、キメラ撃破!』
『壬生屋機、被弾!』
『壬生屋機、きたかぜゾンビ撃破!』
『滝川機、ナーガ撃破!』
数こそ多いものの、補給さえ続けば何とかのりきれるという思いが隊員達の心に芽生えた瞬間、
『逃げるのよ、みんな!そこにいちゃめーなのっ!』
「どうした、ののみ?」
『みんな、逃げてっ!』
ののみは、絶叫を繰り替えしながら寒そうに自分の身体を抱いているだけで、瀬戸口の方を見向きもしない。
『来る…わ……幻獣…』
とぎれがちな萌の言葉が耳に流れ込んだ瞬間、悲鳴じみた絶叫が隊員達の鼓膜を直撃した。
『キャアアッ!』
『なんだあっ?』
『何事ですかっ!』
冷静沈着な善行の怒声を耳にして、瀬戸口は我に返った。最初に耳にした悲鳴は、間違いなく原の悲鳴。
瀬戸口は、状況を伝える機器からの情報を目にして、軽く口を開けた。
空気が欲しかった…ほんの一呼吸。
『瀬戸口君!』
「……後方の補給部隊、やられました。」
腹の中の空気を絞り出すように、やっとの思いで言葉を紡ぎ出す。
『また…来る…』
微かに震える萌の言葉と共に、周りは実体化した幻獣に囲まれた。
前線に出ていた士魂号3番機が後方の幻獣を殲滅させるまでの混乱を極めた1時間で、これまで戦闘経験三十数度を死者を出すことなくのりきった5121小隊は隊員を半数以下にまで減らすことになった。
赤い夕日に照らされた大地に、瀬戸口は木ぎれで作った十字架を突き刺した。
この十字架が何本目だったかは覚えていない……途中から数えるのをやめていた。
「……」
ポケットからリボンを取りだし、十字架にくくりつける。
ののみにプレゼントするはずだったチェックのリボン。きっとよく似合うはずだったが、もうこの世界では見ることも出来ない。
そして、瀬戸口は力尽きたように乾いた大地の上に腰を下ろした。
補給車に押しつぶされて死んでいた茜と森の手がしっかりと握られていたのを思い出す。
死ねば終わり……だが、生きている人間の思いは続くのだ。例え相手がいなくなったとしても……
瀬戸口の周りには誰もいなかった。
直線距離にして約150キロの山口まで撤退しなければいけない……いけないはずだが、今更そのことに何の意味も見いだすことが出来なかった。
十字架の1つに、血に染まった白衣が揺れている。
道化師は、道化の表情で死んでいた。その表情には、肉体的な痛みはおろか、精神的苦痛の素振りもなかった。既に次に来るべきループに心を翔ばしてしていたのかどうかはわからない…元々心の内を誰かに見せる男でもなかった。
オペレーターのいなくなった士魂号を操っていた滝川は、士魂号もろとも脱出する暇もなく肉体を四散させたと聞いた。
原は、眠るように死んでいた。
善行の怒声が耳に届いたのだろうか……だが、それがなんだというのだろう。
狩谷は、瀬戸口が見つけたときにはまだ息があった。
不思議と穏やかな表情を浮かべ、『これで、いいんだ…』と呟いた奴の気持ちも、今は知る由もない。
中村は、数ある靴下の中から加藤の靴下を握りしめて死んでいた。その持ち主に、何か特別な感情を秘めていたのか……その加藤も、石津、善行と共に今は行方不明。スキュラのレーザーの直撃を食らったからにはただではすんでいまい。
後の何人かは、もうわからない。
瀬戸口は、西の地平線に目を向けた。
もうすぐ日が沈む。
しかし、この世界には夏が来ない。
今日という日が終われば、何事もなかったようにまた春が来る。
瀬戸口はふと思った。
岩田は…どんな思いでこの夕日を眺めていたのだろうと。
気が遠くなるほどの昔、石津が死んで……岩田は変わった。
ならば、目の前でののみに死なれた自分は変わるべきなのだろうか。
「いつまで続くんだろうな…」
瀬戸口は、既に夜のとばりが下り始めている東の空を見て呟いた。そのままごろんと大地に横たわる。
どこまでも続いていく春。
瀬戸口は思う。
もし…もしも、ののみに未来を与えたならば、彼女は喜ぶだろうかと。
過ぎゆく時の流れの中で、自分が決して成長しない絶望的な未来にも、少女は微笑みかけるだろうか。
そして瀬戸口は闇の中に1人。
心の葛藤は今も続いている……
完
『愛の戦士達』の前編。(笑)
本当なら、瀬戸口の回想を絡めて書いていくべきなんでしょうけど、それやると壬生屋まで絡めないといけないなあ……百枚じゃおさまらないよなあ…と思ってやめました。でも、気が向けば書いてみたいネタではあるんですが。(笑)
というか、このSSの書き出しだと善行とのカップリングになりそうな雰囲気ですな。(爆笑)
まあ冗談はさておき、イベントとして、何故『後方部隊への奇襲』がないんだろうなあなどと不思議に思ってました。『幻獣に知性がありますよ。』等の善行の台詞と絡めたら、なかなか楽しそうな気が……って自分で書けば良かったのか。(汗)
不覚。
そう言えば、この前やっと『善行帰る』のイベントが発生しました。一体フラグ条件は何なのか、さっぱりです。(笑)
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