闇のベールが朝日に切り裂かれ、蒼穹が熊本の地に舞い降りようとしている。
 
 明かりの落ちた士魂号ハンガー内。
 士魂号メンテナンスハッチを開け放ち、まだ闇の支配が勝るハンガー内でヘッドランプのみを頼りに整備に汗を流す少女、新井木。
 手元のハンディモニターの表示をコンマ以下で切り替えながら、微妙な調整を信じ難い速度で進めている。実際、士魂号の整備は熟練の技能が要求される。第5121小隊の整備兵は原素子の指導の下、非常に高い水準を維持しているが、新井木の技能はその中でも群を抜いている。その淀みのない動きは一流のダンサーを彷彿とさせ、もし見るものがいればある種の感動を引き起こさずにいられないだろう。
 
 指先から伝わる感触に満足したのか、新井木は薄明かりの中で会心の笑みを浮かべた。
「良い顔していますよ、新井木さん。」
 ゴムが弾けるような動きで新井木は士魂号のハッチから離れ、闇の中、声の主を探す。彼女にはこの程度の闇はたいした障害にはならない。新井木が見つめる闇の中から滲みでるように善行が姿を現した。現れてなお、気配はそこにない。
「体の動きも申し分ないです。スカウトやってみませんか」
 声に揶揄の響きが混じっているの分かったのか、新井木は身構えていた両腕から力を抜いた。
 
「どうしたの、善行司令。早起きだね。」
 『いつも』の態度に戻った新井木に善行は心の中で苦笑を浮かべた。実際に表情に出すほど善行は子供ではない。
 眼鏡の位置を指で直しながら新井木を観察する。『いつも』の態度を浮かべているが、不意を突かれた為、子悪魔っぽい瞳の奥にある巨大な知性の存在を消しきれていない。
 
 新井木の問い掛けを無視して、善行は自分の話を遠慮なく進める。
「今日は、速水機ですか、昨日は壬生屋機でしたから、一応ローテーションを組んでいるんですね。一度に性能が上がればさすがにみんな不審に思うから、ですか?」
「……いつから?」
 足元に転がった、モニターのケーブルを整理しながら新井木は呟いた。
「最初から。」
 クセなのか、再び眼鏡の位置を直し少し得意げに、ちょっと照れながら
「これでも指揮官ですから。」
「思ってたより頭良かったんだね。話、整備しながらでいい? ここで止めるといじった跡残っちゃうから………」
「どうぞ、私は椅子でも探してきましょう。」
 
 善行はパイプ椅子に軽く腰をかけ、整備を続ける新井木を観察した。誰も知らない素の新井木がそこにいる。時間を圧縮するような新井木の整備のやり方に、もともと話をする余裕はほとんどない。自然、会話と会話の間に時間が開く。
「損をしていると思いませんか?」
 ヘッドランプを外した新井木に、善行が問いかけた。もう作業するのに十分な明るさがある。
「どうして?」
 善行は両手を広げて、大げさに肩をすくめた。この男には珍しく動作が派手だ。速水、来須をはじめ、この部隊には人を超える存在がそれとなく配属されている。素のままの新井木も善行にとってプレッシャーを与える存在の一人であり、まともに向かい合って精神の平衡を保つにはそれなりの犠牲がいる。
「普通にしていれば、人気者になれますよ。」
 この問い掛けになにか感じたのか、新井木は整備の手を止め、善行を凝視する。新井木の瞳の奥に潜む存在が善行の頭を痺れさせる。
「そして、戦いに負けるの? 思ってたよりも頭が良いみたいだから説明する必要なんかないんじゃない。」
「集団は嫌われ者がいたほうが全体として安定する、ですか。その役目は指揮官たる私が引き受けていますよ。」
 新井木は強張った手をマッサージしながら話を続けた。
「状況が厳しいからね、・・・ボクが普通にしていたらもっと嫌われてるよ。指揮官が必要以上に嫌われたらその部隊は終わり。対象を分散する必要があるのは分かってんでしょ。」
「だから、その役目を貴女が引き受けた。貴女へのあてつけで整備部隊はとても良い働きをしています。一石二鳥ですか。」
「そ、ボクが普通にやったとしたらこうなっていた、というのと比べてもね。」
「配置換えも緊張感をもたらしますね、確かに。」
善行はスカウトに配置換えになった時の滝川の事を思い出してくっくっくと笑った。
「人は自分を守る時、一番頑張れるの。誰かを守る時よりもね。比べるのは難しいけど。」
 善行から視線を逸らした新井木はどこか寂しげだった。
 
 マッサージの手を止め、ばたばたと工具箱を片付け、ケーブルを収納する。
「バカバカ、もうみんなきちゃう時間じゃない。片付け手伝いなさいよ。」
「ああ、すいません。」
 思わず、謝ってしまう善行。その滑稽さにすぐ気づいたが、今の新井木には何も言えそうにないことにも気づき、軽く肩をすくめた。
 
「ふー、明日からは邪魔しないでよ。あ、昼ならいいよ。」
「ですが昼はとぼけるでしょう。」
「そうだね。」
 ハンガーを出てプレハブ校舎に向かって並んで歩き始める。
「勝ちましょう、この戦い。」
「なに言ってんの、指揮官はアンタでしょ。一整備兵にへんなこと言わないでよ。」
 てててっと新井木は走り出した。『いつも』の新井木に完全に戻ってしまったようだ。残念なのかそうでないのか、自分の心の動きが良く分からないまま、走り去る新井木を善行は追いかけた。
 
 ブータはハンガーの屋根の上から善行と新井木が去るのを見ていた。人類決戦存在は着実にこの部隊で育ってきている。竜もまた。それを知らず支えている人、新井木のように全てを知って支えている存在。新井木の瞳の奥に宿る存在に敬意を表しブータは「にゃー」と低くそして哀しげに鳴いた。
 
 
                    完
 
 
 ラオウさんからの寄稿です。
 『香港旅行記』から『黄色い悪魔』とじわじわと精神的に包囲網を狭めている内に、とうとうパロディに手を出してくれました。(笑)
 腹黒い悪魔の高任としてはしてやったりです。
 ま、それはともかくラオウさん曰く。
『新井木が人気ないんだよね・・・と言うわけでこんなものを書いてみました。タイトルと後書きは任せますので。』
 新井木の素顔(?)に迫るお話です。
 『勇美ちゃんは素敵なんだ!』と主張する新井木ファンの人には待望の作品でしょう。ですがこのせいで高任が書きかけていた外伝のファイルが1つ抹消されたことを誰も知らない・・・。(笑)

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