陽平は屋上に大の字になって寝転がった。
またこれで雨漏りが酷くなるかもしれないという罪悪感と、陽射しを身体一杯に浴びる爽快感が微妙なバランスを取っている。
昼休みの終了5分前を告げるチャイムが鳴った。
授業をさぼる罪悪感は、迷うことなく楽しみの方に積み上げられた。
目に染みるような空の青さに耐えかねて、陽平はごろりと寝返りをうち、横を向いた。すると、途端に自分のいる場所が味気ないように思えた。
仕方なくもう一度空を見上げる。
雲一つない青空が広がっている。
春の青空を蒼天と呼んでいいものかどうかしばらく悩み、やがて陽平は目を閉じた。
いきなり壬生屋の駆る士魂号が唸りをあげて駆け抜けていく。
「バカ。戻れってば!」
壬生屋は何も応えず、ただ黙って二本の剣を引き抜いて幻獣の群に突っ込んでいった。陽平は壬生屋を援護するために慌ててライフルを構える。
その瞬間、日が陰った。
「…っ?」
速水・芝村両名の駆る士魂号の巨体が宙を舞っていた。
動きの鈍いはずの士魂号が、壬生屋に遅れじとばかりに後を追っている。
俺も行かなきゃ…
しかし、陽平の士魂号は地に根が生えたように動かなかった……いや、動けなかったのだ。
陽平は口の中に広がる苦さを飲みこみ、ゆっくりと目を開けた。
初陣の記憶は鮮明すぎるぐらいに残っていた。
あのシーンを思い出すたびに、あの時が分岐点だったのだと悔やむ。
初陣の日から1ヶ月。
出撃すること13回目を数え、壬生屋は黄金剣突撃勲章、速水・芝村はアルガナ勲章を獲得した。政治的な思惑も絡んだのか、授賞式は盛大におこなわれ。その主役である3人は、自分とは違う世界に住む存在に見えて仕方がなかった。
例えるなら幼い頃見ていたヒーローアニメの主人公。
それを、ブラウン管を通して見ているだけの自分がいた。
「俺は……ヒーローになりたかったはずなのになあ…」
陽平の呟きは、空の青に霧散していく。
戦場の後方でひたすらスナイパーとして戦い、敵が撤退を始めると機動力を生かして追撃する。そんな戦いを繰り返すうちに、『チキン』というありがたい呼び名を新井木から授けられるに至っている。
「まあ、仕方ないか…」
陽平は自嘲的に呟いた。
「壬生屋はガキの頃から訓練してるし、芝村は芝村だし……速水は…」
「速水がどうした?」
「うわっ!」
陽平は慌てて飛び起きた。
全く人の気配を感じていなかったのに、いきなり顔を覗き込まれたのだ。驚くなという方が無茶な話だ。
「し、しし、芝村!お前、授業はどうしたんだよ?」
舞はじろりと陽平を見つめ、身体の前で腕を組んだ。
「必要な授業かそうでないかは自分で決める……次の授業は出るつもりだ。」
「う…」
舞の視線が実にわかりやすかった。
このぐらいわかりやすい視線なら、陽平にだって雰囲気というものは分かる。
「休憩中だ…」
「ふむ、そうか……確かに働いてばかりでは能率が落ちる。」
舞は大きく頷いた。
ひょっとするとバカにされているのだろうかと思ったが、そんなつもりはさらさらないらしい。
「で、速水はなんなのだ?」
眉1つ動かさずに問いかけてくる舞に、陽平はますます目の前の少女を嫌いになった。
「黙っていては分かるまい…それでは私も気になるというものだ。」
「……うんだよ。」
「何?」
「速水は…俺とは違うんだよ。」
一旦口に出してしまうと、それが真実のような気がした。速水は自分とは違う、ただそれだけのことだと自分を納得させる。
が、呆れたような舞の言葉が陽平の心をグリグリとかき回す。
「……当たり前だろう。そなたと速水が同一人物のわけがあるまい。」
「そうじゃなくて、……いいよ、もう。」
陽平はふてくされたように再び寝ころんだ。
自分は壬生屋とも芝村とも、そして速水とも違う。エースとか英雄って存在は、多分ああいう風に選ばれた奴らから出てくるに違いない。少なくともあの場面で、二人の後を追えなかった自分にはその資格はあるまい。
「おい、私は何かそなたの気に障ることを言ったのか?」
「だあっ、なんだよ!芝村は攻撃されない限り、他人には不干渉なんじゃないのか?」
「芝村は未知なるものへの探求心を忘れない一族でもある。さあ、何が気に入らなかったのか言ってみろ。もし、私が悪かったのなら、謝罪する覚悟もあるぞ。」
寝ころんだ陽平に向かってずずいっと近寄る舞。
ストッキングに包まれてはいるものの、すらりと伸びた舞の脚を間近に見て、陽平は慌てて顔を背けた。
「…おかしな奴だ。」
「俺から見れば、お前が変だ!」
ふと、妙な沈黙が二人の間を支配した。
「そなたから見ても…私は変か?」
「はぁ?」
陽平は上体を起こして舞の顔を見上げた。
「そりゃ……芝村って、妙に理屈っぽいから。人間って、理だけで割り切れる生きもんじゃないだろ?それが、常識だよ。」
「……そうしなければ、負けるとしてもなのか?」
挑むような舞の視線にたじろぎながらも、陽平は精一杯虚勢を張って答えた。
「人が勝つためには……人であることが第一だろ。」
子供の屁理屈だと自分でも分かっていた。
陽平にだって、芝村が正しい事は分かる……ただ、その正しさ故に誰もがみんな反発を感じることも。多分、目的のために真っ直ぐ生きていけない自分への歯がゆさも含まれているに違いない。
「……なるほど。そなたの言には聞くべきものがある。」
感心したように舞が呟いた。が、それも一瞬
「ならばそなたに問おう……我は人ではないのか?」
これまで見せたことのない、厳しい表情で舞は陽平をにらみ付けている。
ふと、親友である速水の顔を陽平は思いだした。目の前の少女とコンビを組む親友……ここで肯定するのは、何を意味するのか…
「そ、それは…」
答えを迷う陽平に向かって、舞はもう一度、今度は穏やかな声で問うた。
「……速水は、人か?」
目の前に青い空が広がっていた。
陽平はズキズキと痛む頬に手をやり、顔をしかめた。
「…っ、あいつ、思いっきり殴りやがって…」
顎がバカになったようで、上手くしゃべれない。自分自身に対しての誹謗は涼しい顔をして受け流したくせに、事が速水に及ぶといきなりこれだ。
殴られたけど、不思議と不快感はない。
「チキン、何してるの?」
「今度はお前かよ……」
陽平は寝ころんだまま、新井木に向かってしっしっと手を振った。が、新井木がそんなものを気にするわけもない。
べしゃ…
「うおっ?」
いきなり顔面に濡れタオルをぶつけられ、陽平は飛び起きる。
「何しやが…ってて…」
「ぶつぶつ言ってないで、それで冷やしなよ。そんな情けない顔で人前に出られると士気がさがるんだよね…。」
憎まれ口を叩きながらも、新井木は膝の裏を抱えてすとんと腰を下ろした。ツンと澄ました横顔を見せる新井木の視線は、熊本市街に向けられているようだった。
陽平は仕方なく濡れタオルを拾って…氷水にでもつけていたのか…熱を持つ自分の頬へと押し当てた。
「悪いな…」
「べっつにー、だって僕二号機整備員だから。チキンは士魂号にダメージ貰わないから、パイロットのケアぐらいしか仕事がないもの。」
「もともと、田辺しか仕事してねえじゃないか……」
心にもない台詞を呟く。
田辺1人で整備できるほど、士魂号が聞き分けが良くないことは知っている。
「政治が悪いと、仕事する気もおきなくて…」
「……嘘つけ。」
新井木は横目でちらりと陽平を見て、そしておかしそうにくっくっと笑った。
「何だよ…何がおかしいんだ?」
「その顔…明日は風船みたいに腫れるよ、きっと。」
新井木はそう言って、もう一度陽平を横目でのぞき見た。
「そうなったら……学校さぼろうか?」
マシンガントークの異名を持つ新井木にはふさわしくない、誘うような、挑むようなゆっくりとした口調。
「ばーか。そのぐらいで休めるかよ。」
「フンだ、意気地なし。」
「……それは、チキンより上なのか、下なのか?」
「そんなの自分で判断してよ……ま、女の子を殴らなかったのは誉めてあげてもいいけどね。」
「ああ、お前もそう見えたのか…」
顔を真っ赤にして陽平に手をあげた時の舞は、芝村だとか、軍人とかの立場を超えた女の子だった。
「わざと反撃しなかったんでしょ…?」
「俺が悪かったからな…。」
「反撃しようにも、実は歯が立たなかったとか…?」
「……それも少しはある。」
「あははは……今日は何か素直じゃない!」
新井木の笑い声が風にのって流れていく。
陽平はそんな新井木をちらりと盗み見て、頬に押し当てたタオルをひっくり返した。
今、こうして自分の隣に座って陽気に笑っている新井木は、つくづく不思議な少女だと思った。仕事もせずにちょこまかしてるだけかと思いきや、小隊の中で精神的に弱った人間がいると、決まってその側にいる。
つまり、新井木がここにいると言うことは……
「……まあ、弱ってる様に見えるんだろうな、今の俺って。」
「何?何か言った?」
くりくりっと元気良く動く瞳が陽平を見つめた。
「いや、いい天気だなと思って…」
陽平はそう言って空を指さした。いささかわざとらしかったかもしれないが、やらないよりはましだ。
「そうね、あやまるには絶好のお天気かも。」
新井木は小悪魔チックな笑顔を浮かべ、陽平を肘でつつく。
「…なんで俺があやまらなきゃいけないんだよ?」
「だって、『俺が悪かった』って言ってたじゃない、チキンてば。」
「殴られたの、俺だぞ?」
「それはチキンが変なこと言ったからでしょ?でも、女の子に手をあげさせたことをあやまらないと。」
呆れたような表情で見つめられると、それもそうかという気分になってくるから恐ろしい。
「……なんか納得いかねえ。」
「仕方ないでしょ。あやまるのは、昔から男の役目だもの…」
フフン、と鼻で笑いながら自分を見下ろす新井木に、陽平は首を傾げながらも頷いた。
「俺が悪かったよ…機嫌なおしてくれ…」
「おかしな事を言う…私は別に機嫌が悪いわけではない。」
そう答える舞の顔が怒っていた。しかも、右手はぎゅっと握りしめられている。(笑)
「しかし、その謝罪は受け取ろう。まったく身に覚えのない謝罪だが……」
決して目を合わそうとしなかった舞が、初めて陽平の方を見た。
深夜の2時を過ぎ、ほとんどの人間が帰宅しているのだろう。パイロットの仕事場であるハンガーには、速水と壬生屋の姿は既にない。
「腫れたな…」
「ああ、真っ直ぐないいパンチだった。」
「変か?」
「はぁ?」
またこの質問だった。
「その…なんだ。女がグーで殴るのは変なのか?」
「…別にいいんじゃねえの?」
「そ、そうか…」
心持ち頬を染めて、舞が俯いた。
「別に速水には言ってないよ……それにあいつは、そんなこと気にしないと思うぜ。」
舞の髪の毛がいきなり跳ね上がった。
「な、ななな、何故速水の名が出てくるのだ!」
「いや、何故も何も……」
ばればれですが…という言葉をのみ込んで、陽平は頭をかいた。どうも調子が狂う。
「じゃ、そういうことで……」
陽平は軽く右手を挙げて、ハンガーから外へ出た……が、舞が真っ赤な顔をして付いてくる。
「だから、何故速水の名前が出てくるのだ!」
「何故って……そりゃあ…」
陽平は夜空を見上げた。
こんな時代でも星は同じように瞬いている。
「芝村が…あいつのことを……」
陽平の目の前に星が舞った。
「ええい、私は芝村だぞ!そのようなこと、あってたまるものか!」
「……俺か?これも俺が悪いのか新井木?」
「何をぶつくさ言っている!」
舞は陽平の胸ぐらを掴み、そのまま吊り上げた。
ほんの少しだけ空が近づく。
「いいじゃねえか…お前ら二人お似合いだろ?仲良くアルガナ勲章までもらったエースパイロット……?」
陽平の足先が地面に付いた。
胸ぐらを掴む舞の腕が心なしか震えている。
「芝村…?」
「お似合い、だと?本気でそう思うのか…?」
声も震えている。
舞が顔を上げたのを見て、陽平はそれが怒りではない事に初めて気が付いた。
あの芝村が泣いている……
「芝村となってから…今ほど自分が無力であることを呪ったことはない…」
大木に背中を預け、星空を見上げながら舞は寂しげに言った。
舞が言うには、自分が足手まといとなっており、このままでは速水を死なせてしまう結果になりかねないらしい。
「努力はしている…血の滲むほどに努力はしている!」
「なのに、速水はその上をいく…か。」
舞は力無く微笑み、陽平を見た。
「今日そなたを殴ったのはな、己の心を見透かされたような気がしたからだ…」
「……そうか。」
陽平は頷いた。
『速水は、俺達と住む世界が違う。』
あれは親友として、自称親友だとしても言ってはいけない言葉だった。芝村で、速水を好きな少女なら尚更のことだろう。
「昔、ある男がこう教えてくれた……」
舞は再び夜空に視線を戻し、淡々と語り続ける…
「今の自分の力は…目の前に現れる人間を見て判断せよと…」
月明かりに照らされた舞の横顔に、キラキラと輝く一筋の道がある。
「私には…あやつの見ている景色が見えぬ。」
「芝村はまだましだろう?俺と速水なんか……ははっ、比べるのもおこがましいや。」
陽平は笑いにごまかしながら、頭をかいた。舞はそんな陽平の姿を横目で盗み見て呟いた。
「そう卑下したものでもあるまい。誰にでもパイロットの資格がとれるとの噂だが、そんな奴は大概すぐに死ぬ。」
「……俺はチキンだからな。」
「チキンか……ふふっ、まだ本気を見せて貰っていないと思って良いのか?」
「買いかぶらないでくれ…」
「そうだな…しかし、我らパイロットの同期で一番頼りないと思っていた速水でさえあれだ…」
くっくっと芝村一族には似合わない、自嘲的な笑い声をあげる舞。
「芝村は印象をあてにしないんじゃなかったのか?」
「あてにはならぬからな…今、私がそなたに抱いている印象を教えてやろうか?」
「いや、いらない。」
「そう、だな…。」
つまらぬ事を口にしたと思ったのか、舞は腕を組み、天空に一際明るく輝く星の方を見つめた。
「……速水によると、星は、己が輝きたいだけ輝くことが出来るそうだ。私は、その言葉を信じることにする…。」
固い決意を刻んだ瞳。
その瞳が見つめるのは、速水の背中なのであろう。
陽平は、その星が己の輝きのために周りの星の光をうち消してしまっていることを知っている。だから、その星の周りはいつも孤独の闇が包んでいるのだとも。
陽が昇ってもうっすらと空に輝くその星は、いつも1人だった。
「おっはよー…?」
ポンと陽平の肩を叩いた新井木が、おやっという表情を見せた。
「おっす、新井木。」
「……ふーん、いい顔してるね。」
新井木は1つ頷き、もう一度繰り返した。
「うん、いい顔だ。」
「惚れるなよ…」
「あはっ、何バカなこと言ってるの?僕は来須先輩一筋なんだからね。」
「そうだな…」
顔の腫れは一晩経つと綺麗にひいていた。陽平自身が驚くほどだ。
そのまま校門をくぐり抜けた新井木が、不意に立ち止まって振り向いた。
「死ぬのはやめてよね…じゃ。」
それだけ言い残して走っていく。
「…死ぬな、か。」
陽平はぽつりと呟き、そして微笑んだ。
「俺はヒーローじゃねえからなあ……。」
届かなければ当たらない……当たり前すぎる理だ。
敵の射角に身をさらす…いや、さらし続ける戦い。他の3人のパイロットが立っている景色を陽平は初めて見た。
不思議と恐怖はなく、ただ単に、『ああ、ラインを踏み越えたんだな。』という思いだけが頭をよぎった。
壬生屋に対して密集した幻獣の群に近づき、陽平は両手のアサルトライフルを構えた。
「よっしゃあ!全力射撃ぃ!」
2挺合わせて16発の射撃が幻獣達に襲いかかる。
「ククク、イイッ、イイですね!パァッと派手な戦い方、イエス、イエスです!」
何故か通信機から、楽しそうな岩田の声が聞こえてくる。
「やべっ!」
もうもうと立ちこめる土煙の中に、光るものを認めた瞬間横に跳んだ。空気の焦げる臭いをかいだ気分になる。
撃ちもらした幻獣からの攻撃だったらしいが、既に大勢は決している。
弾薬を補充した瞬間、幻獣達は退却を始めた。無防備な背中を見せる幻獣達に、的確な射撃をくわえて虚に還す。
陽平は自分が壬生屋のように大太刀を使えないことっを知っている。ただ、射撃だけはそれなりの自信があった。いや、多分それ以外の戦いを方を知ろうとしなかっただけかもしれない。
そうして戦闘が終わり、ハッチを開けて地面に降り立った陽平の前に、壬生屋が待っていた。
「滝川さん…戦い方が変わりましたね…?」
「…壬生屋。お前って後ろにも目が付いてるのか?」
真っ先に突っ込んでいきながら、自分の動きを把握されてることに陽平はまず驚きを感じた。
壬生屋は涼しげに微笑み、そして艶のある黒髪を風になびかせた。
「見える…じゃなくて、感じるんです、そんな気配を。」
「やっぱすげーな、壬生屋は。小さい頃から訓練すると、そんなことまで分かるようになるんだ…」
屈託なく笑う陽平を、壬生屋はどことなく遠い眼差しで見つめ、それでも笑っていた。
「1つ…覚えていてくれますか?」
「何を?」
「これ以上踏み込むなら、あなたは非常に研ぎすまされた精神状態を必要とするようになるでしょう。一瞬の躊躇は貴方に死を賜い、また躊躇無く敵を屠り続ければその身は怪物となり果てるでしょう。」
陽平の瞳を見つめたまま、壬生屋の唇は淡々と言葉を紡ぎ続ける。
「そのどちらにも転がらなかったとして……決して、独りきりでその場所にたどり着いてはいけません。」
「なんだよその場所って…?」
壬生屋は悲しげに目を伏せ、そして呟いた。
「速水さんが……辿りつこうとしている場所のことです。」
「速水は、独りじゃねーだろ?」
あいつには芝村が付いている…という言葉をのみ込んだ。他人に喋ることでもない。
「いいえ。」
壬生屋ははっきりと首を振った。
「速水さんは…独りです。そうでなければ……そこにはたどり着けませんもの。」
「あのさあ、何言ってるか全然わからないんだけど?」
「覚えててくだされば、それでかまいません。私はただ…一族に伝わる言葉を伝えなければ、と思っただけですから。以前、速水さんにも伝えておきました。」
壬生屋は感情のこもらない微笑みを見せ、そして自分の右手をじっと眺めた。
「……世界を、という大儀をかざし…その実、愛する者を失いたくない一心でその命を奪う。壬生の血は、その瞬間に存在価値を無くしたのでしょうね。」
陽平は何も言わなかった。
壬生屋が、返答を求めていないことは明らかだったから……
「最近なーんかやばくない?」
「やばいって……何がだよ?」
アップルパイにかぶりつきながら、陽平は隣に座る新井木を振り向いた。
「なんか、怖いかも…」
「ふーん……」
残りをがつがつと胃袋におさめながら、適当に相づちを打つ。その姿を見て、新井木はため息をついた。
「ちょっと、聞いてる?」
「聞いてるよ……芝村だろ?」
「まあ、そんな芝村さんを平然と見つめる速水っちもやばいんだけどさ……」
「おっちゃん、コロ定追加!」
「あいよっ!」
カウンター内で、おやっさんの包丁が宙を舞う。
「……太るよ。」
「うるせっ、俺は身長を伸ばすんだよ!」
「いいじゃん、チビでも……」
「良くない!」
新井木はぷうっと頬を膨らませ、見事な包丁さばきを見せているおやっさんに向かって声をあげた。
「おじさん、私にもコロ定!」
「あいよっ!」
宙を舞う包丁の数が2本になった。
「太るぞ…?」
「うるさいわねっ、あんただけ身長伸ばしたらつりあいとれないでしょ!」
「こらこら、夫婦げんかはやめなっせ……」
「誰が夫婦だっ(よっ)!!」
ストトッとまな板に突き刺さる包丁。
陽平と新井木は、お互いにらみ付けながら、出来上がったばかりのコロッケ定食を胃袋におさめていく。
「ところでつりあいて何だよ……」
新井木の視線が、居心地悪そうに泳ぎ出す。
「え、そ、その……来須先輩との身長差よ。」
「ああ、そうか…先輩の方が俺達より30p以上高いもんな。」
「そ、そうよ。」
大きく頷きながらも、新井木の箸が気ぜわしげにコロッケをつつき回してバラバラにしている。その表情が何やら怒っているように見えた。
「なんて言うかさ、以前は周りを無視してるって感じだったけど、今は周りが見えてないっていうのかなあ?」
「まあ、最近の芝村はそんな感じだな…」
みそ汁をすすりながら陽平は呟き、ふとあることに気が付いて、新井木に視線を向けた。
「そういや、お前…どうして芝村についててやらないんだ?」
「なんのこと?」
しれっとした表情で、陽平を見つめる新井木。
「だって、お前元気のない奴の側にいることが多いじゃないか。」
バン!
「ちょっと、は、恥ずかしいこと言わないでよ!まるで僕が、みんなを元気づけるためにうろうろしてるみたいじゃない!」
テーブルを叩いて立ち上がる新井木…顔が赤い。
「じゃあ、なんで俺の側にいるんだよ。最近多いぜ、俺とお前がだべってるの…」
新井木の顔色が瞬く間に元に戻った。
そしてにっこりと微笑んで陽平を手招きする。
「…なんだよ?」
と顔を寄せた陽平の耳を思いっきり引っ張って、鼓膜も裂けよとばかりに大声で叫んだ。
「このっ、大バカ!」
床でのたうち回る陽平を無視して、新井木は肩を怒らせながら出ていった。
「おじさん、僕の分このバカにつけといて。」
「あいよっ。」
3号機がまた、全てのデータをあざ笑うように駆けていくのを陽平は見た。
戦場に出るたびに研ぎすまされていく動きは、既に言葉による説明もむなしい。結局の所、『認める』か、『認めない』という域まで達しているように思えた。
……もちろん陽平はそれを認めている。
自分にとって、彼らはヒーローなのだから。
彼らを否定することは、自分自身の成り立ちをも否定することに他ならない。それ故に、陽平は自分の鼓膜に響く音を無視していた。
士魂号の巻き起こす風が泣いている。
彼らの駆る士魂号が泣いている。
そして……今現在自分の持ちうる能力を限界まで引き出した少女の心が悲鳴を上げていた。
その心が折れたとき、熊本における軍事バランスがガラス細工に似た脆さの上に成り立っていたことを、人々は思い知らされることになった。
「……クローン技術に感謝すべきなのかな。」
色白の、一度も陽に焼けたことのない様な自分の右肘から先を見つめ、舞は微笑んだ。そしてベッドの傍らに腰掛けた陽平を振り返って言った。
「しばらくは…森のようにジーンズで過ごした方がよいかもしれないな。左右の脚の色も違うというのは、周りが見てもあまり気分が良くないだろう。」
舞はぎこちなく微笑み、そしてそれに耐えきれなくなって項垂れた。
「速水は…どうだ?誰もそのことに触れようとはしないが。」
「……生きてるよ。」
長く、吐き出される呼吸が病室に響いた。
「そなたでなければ信用はしなかったであろう。……そなたは嘘をつかないからな。」
舞は一旦言葉を切り、そして拳をベッドに叩きつけた。
「元気…とか無事、と言わないところが実にそなたらしい。」
「……人を試すのって、あんま良くないぞ。」
陽平はそう言って、窓の外に視線を向けた。
今日も雨。
天に向かって駆け上ろうとした少年に向かって涙を流しているのか、あの日から今日まで3日間降り続けている。
「滝川よ…そなたには私を見舞うよりも他にすることがあろう。速やかに学校へと戻るがいい。」
「ああ、そうだな……多分今日は出撃があるだろうし。」
「……勘か?」
「最近、そういうのが分かるようになってきた……多分俺は、戦ってなかったんだろうなあ、お前らと違って……」
陽平はいとまを告げるように立ち上がった。
一瞬だけ、舞と陽平の視線が交錯する。
「鳴かず飛ばず……という言葉を知っているか?」
「……バカにしてるのか?それも二重の意味で。」
「怒るな…最後まで聞け。……3年もの間、鳴きもせず飛び立ちもしなかったその鳥は、ただの鳥にあらず。一度飛び立てば、龍のごとく天に舞い上がるそうだ。」
陽平は居心地が悪そうに頭をかき、床に視線を落とした。
「そうだな。速水と芝村はヒヨッコじゃなくて、龍だな。」
舞は軽く頷き、以前より輝きを増したと思われる瞳に不退転の決意を滲ませる。その表情を盗み見て、陽平は複雑な感情に襲われた。
恐ろしいぐらい傲慢で、自らの信じるもの以外に心を動かさない芝村が戻ってきた。初めて会ったとき、陽平が嫌悪し、憧れたヒーローの表情。
「我ら2人は、10日もすれば復帰できよう。それまで……保つか?」
「…さあな。」
陽平は右手を挙げて、舞に背を向けた。
今、自分が背中を向けている少女をうらやましく思いながら。
「正直な男だ……」
どことなく楽しげな舞の呟きを背中に聞きながら、陽平は病室を後にした。
「……本当に盾を外していいの?」
「ああ、いらない。」
陽平は新井木に背を向けたまま、ぶっきらぼうに答えておいた。
「もう、チキンなんて呼ばないからさぁ…」
「いいよ、チキンで……なぶり殺しにされるのなんてぞっとしない。どうせやられるなら一瞬の痛みの方がいいし。」
「うそつきっ!」
ぽすっ、と肩の辺りを軽く叩かれた。
「何が…?」
振り返ろうとした陽平目がけて、続けて2回3回と力無く拳が叩きつけられる。
「なんでよ、弱虫だから逃げてればいいじゃない!……弱虫なら、弱虫なら死ななくてすむと思ったのに……」
涙も流さずに泣いている新井木を見つめ、陽平は目を閉じた。敢えて与えられる痛みを甘受することで許しを請う。
「誰かがさ、やらなきゃいけないことだったんだ……速水はそれを分かってた。」
新井木の拳がぴたりと止まり、陽平の胸のあたりをぎゅっと掴む。
「何かを切り捨てていくことで得られる強さっていうのかな?」
「……人間、やめるの?」
「やめたくねえし、死にたくも無いなあ……でも、俺って自称速水の親友だから。」
そう言って、新井木の頭を撫でた。
「背伸びばっかりして……チビのくせに。」
「ヒーローになりたかったんだ……子供の頃から。期間限定とはいえ、その夢が叶うならそれもいいかな、と思ったり。」
無邪気な笑顔を見せられて、新井木は俯いた。
「ヒーローは死なないんでしょ。」
「本物ならな。」
「……やっぱりニゼモノっぽいよねえ。」
「勇美、おまえさあ…もうちょっと気合いが入るようなこと言えないのか……何だよ?」
新井木が口元のあたりににやにやとした妙な笑みを浮かべているのを見て、陽平ははっと気が付いた。
「名前呼び捨てにされる覚えはないけど?」
「ついだ、つい。」
視線を背けた陽平の頬に、新井木がぶつかるようにして唇を寄せた。
「ふふーんだ。顔赤くしちゃってさ、ガキだね。」
小悪魔な笑みを浮かべて走り去っていく新井木。
頬を押さえたまま陽平はその姿を呆然と見送った。そして我に返って恥ずかしそうに呟く。
「やべえな、気合い入ちゃったよ……」
「滝川さん、今日は私が支援にまわります。」
壬生屋の口から支援という言葉を聞き、陽平は首を傾げた。なんで?と尋ねる前に、壬生屋は言葉を続けた。
「戦いたい、そんな顔をしてます。」
「……止めないのか?」
「止まりませんよ……そんな目をした殿方は特に誰が止めようとしても。たとえ、許婚の言葉を持ってしても。」
そして壬生屋は微笑んだ。
「死んだら、祈ってあげますわ。殿方のバカさ加減は、死なないと治りませんからね。」
「何か変わったな、壬生屋……。」
「学習したと言ってください。古より成長を見せない殿方なんかと一緒にしないでください。」
何のことか分からず、陽平は首を傾げた。
「何か、別人に対しての恨みを俺にぶつけてないか?」
「それは、殿方の義務です……新井木さん、祈ってましたよ。」
壬生屋が笑う……どことなく意地悪な笑みだった。
その表情に耐えかねて、陽平は空を見上げた。
薄い、暮れていく空に一際明るい星が2つ輝いている。
「あれ…あんな星あったっけ?」
陽平の視線を追いかけて、壬生屋が頷いた。
「ああ、超新星らしいです。1ヶ月ぐらいはあんな感じらしいですよ。」
「期間限定ってわけか……」
まるで今の自分のようだと陽平は笑った。
ふと、新井木の顔を思い出す。
「……からかってるんじゃないだろうな、あいつ。」
「生きて戻って、お確かめになればいいでしょう。」
「…ああ。」
陽平は頷いた。
全人類にとってのヒーローは荷が重い。でも、特定の誰かにだけのヒーローぐらいにはなれるかもしれない。
死にたくない理由を抱えたまま、陽平は戦場へと身を躍らせた。
完
滝川……と新井木なのか?
滝川と言えば、死に際の『死にたくない!』の絶叫です。(笑)『人間爆弾の原型である(と思われる)』某ロボットアニメを連想させて高任的にあれですが(笑)、なんとか等身大のヒーローを……やべえ、所々で趣味に走りすぎ。
高任には珍しく、ただのパイロットさんのお話です。
いや、もう設定を曲解するのに疲れたので、これからは敢えて封印していたラブラブ路線全開だぜ!とか言うわけでも……言うわけでは、あるのかも。(笑)
新井木のキャラが明らかに違う!とか言うツッコミはご勘弁を。(笑)でも、いろいろと裏読みできそうなキャラの言動ではありますよね。
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