……熊本に夏が来た。
あれほど猛威を誇っていた幻獣はなりをひそめ、いわゆる自然休戦期……人類は、傷つき、綻んだ軍の再編とさらなる強化に余念がない。
しかし、学徒兵に関しては失った学生らしさを取り戻す貴重な時期である。
もちろん戦闘訓練は欠かせないため、その他の学校生活のイベントが短い期間にぎゅっと詰め込まれた濃密な時間を過ごすことになっている季節でもある。
……いや、無理に詰め込む必要はないと思うのだが。
軽快さがウリである士魂号軽装甲の動きが目に見えて鈍くなった。
「……善行、士魂号の循環器指数が…」
「2番機は今すぐダンスを中止!」
素子の言葉を聞き終えるまでもなく、善行は滝川に向かって指示を飛ばした……が、士魂号は止まらない。
「……滝川君?」
猛暑の下、汗1つ流さずにいた善行が微かに眉をひそめた。
「それは私に対する挑戦ですねえぇっ!」
意図がつかめない夢遊病のような動きを見て対抗心を燃やしたのか、岩田が白衣を汗で濡らしながら暑苦しく踊り出す。以前なら容赦なく突っ込みが入ったところだが、熱さのせいか誰もが岩田を相手にしない。
もちろん、あまりの熱さに意識が朦朧としているらしい滝川を救い出すことが優先されたと信じたい。(笑)
「……ただの…熱射病」
いつでもどこでも影のある萌が、滝川の額に手を当てて軽く首を振る。
真夏の日差しの下、いつもより影が強いせいでその表情は確認できない……というか、萌自身が倒れそうな感じでふらふらと身体を左右に揺らしていたりするので、どっちが病人だか判断が付かないのだが。
「そうですか、じゃあ滝川君は風通しのいい木陰に……それと壬生屋さん、一番機に乗り込んでください」
「……心頭滅却すれば火もまた涼しですね」
どことなく、自分に言い聞かせるような口調だった。
一見涼しげに見える巫女衣装だが……乾燥した砂漠地帯でならまだしも、湿度の高い日本の夏においてはなかなか厳しいモノらしい。
早い話、水に濡れると通気性がガクンと落ちるためめちゃめちゃ蒸し暑いらしく、その上表面上はすました顔を作っていなければ……いや、そんな話はどうでもいいんですが。
「壬生屋機、出ます!」
少しやけくそ気味の声と共に、軽快なオクラハマミキサーの曲に乗って黒塗りの士魂号重装甲が動き出した。
空気が揺れている装甲の上で目玉焼きができることは間違いなく、焼き肉でもどんとこいってな様相を呈しているだけに、内部の不快度は推して知るべし。
例年なら6月に訪れる自然休戦期が5月に訪れた本年……最初は、『5月でこんなに暑かったら12月にはどうなる事やら…』などと、使い古された冗談をかわしていたのだが……5月、6月、7月、8月と、着実に平均気温を上げていたりする今となっては、その冗談は全く笑えない。
いや、笑う元気もないというのが正確か。
そんな猛暑の下で容赦なく行われる体育祭……クラス対抗応援合戦で何をするかもめた挙げ句、滝川が冗談のつもりで提案した士魂号による1人フォークダンスは周囲にはまあまあ受けていた。
ひょっとすると、みんながみんな熱さのせいでテンションが高いだけのかも知れないが。
「……砂漠地帯で金属製の鎧を素肌の上につけるようなモノだよね」
ドナドナを口ずさんでいた速水が、相変わらずぽややんとした表情で呟く。
「……良かったですね。あなた達の乗る士魂号がいきなり故障して」
並の人間なら顔を赤らめてしまいそうなほどあからさまに皮肉のこめられた善行の言葉を、速水は平然と受け流した。
「うん、僕って運がいいから」
爽やかな笑顔を共に前髪をかき上げる速水……その黒髪の根元が僅かに青い。
「……昨晩、ハンガーで遅くまで何をしてたんですか?」
「そりゃ、体育祭のための準備ですよ」
決して視線を合わさないまま、速水はあくまで爽やかな表情を崩さない。
「どんな準備ですか……まあ、いいんですけど」
そう呟いた善行の目の前で、壬生屋の乗る士魂号が動きを止めた……
「……さて、いよいよ来週は文化祭だが、最初に言っておく。ここの文化祭では模擬店はいっさい認めないそうだ。あくまで文化的な研究内容の発表と、各クラス……まあ、俺達は2クラスで1クラス計算だから、1組と2組合同で出し物を1つ……」
掲示板に貼られたスケジュール表の体育祭の文字を塗りつぶし、本田が生徒達の方を振り返る。
夕日の射し込む教室内……約数人を除いて完全に目が死んでいた。
「なんだなんだお前ら、若いくせにだらしがねえな…」
「そりゃ、本田先生は体力と気力が2000を越えてますから」
と、文句を言う若宮の体力および気力値は約1500……どうやら、今日の体育祭の体力値デッドラインはそのぐらいだったと思われた。(パイロットは除く)
「本田先生」
「なんだ委員長?」
「……今日はおとなしくこのままみなさんを帰らせて、文化祭については明日話し合う方が良いと思うんですが」
教室内から、おそらくは賛同を意味する意味不明のうめき声があがる。
「そうか?」
本田は少し考えるような素振りを見せ、大きく頷いた。
「よーし、じゃあ明日までに何をするか考えてこい!『誰かと同じです…』なんつー軟弱な意見はセッキョーくらわすからな、ちゃんと考えてくるんだぞ!」
「ふぁーい……」
「じゃ、委員長2人…」
「はい(*2)」
善行と素子の2人が立ち上がり、善行は司会として教壇の前に、素子はチョークを持って黒板の前に立った。
「では、クラスでの研究発表のテーマについて……準備期間は一週間ですからね、現実的な意見をお願いしますよ」
「はいはいはい!」
勢いよく手を挙げた中村と、椅子から立ち上がって踊りながら自分を見つめる岩田の2人が目に入らないかのように、善行はゆっくりと教室内を見渡した。
「誰か意見はありませんか?」
「手ば挙げとるだろが!」
善行は指先で眼鏡の位置を調節しつつ、どちらも選びたくないといった気持ちを隠しもせず、いかにも渋々といった感じで中村を指名した。
「じゃ、中村君」
「人間と靴下の歴史についてソックスハンターが果たした役割を……」
まるでスカウト思わせるような俊敏な動きで、善行は中村の髪の毛をつかんで机の上に叩きつけた。
どうやら口には出さないが、連日の猛暑でかなりいらだっていたらしい。(笑)
「ソックスハンターは非合法なんですよ、非合法!言葉の意味わかりますか?」
「……だ、弾圧下においてこそ、思想は純度を増していくものばい」
「あーもー、これだから変態デブは……委員長、はいはーい!」
最初に馬鹿が発言したせいで気が楽になったのか、新井木が元気良く手を挙げた。
善行が中村の顔面を机に叩きつけ続けているのを見て、素子が肩をすくめながら呟く。
「…じゃあ、新井木」
「はーい」
元気良く立ち上がり……恥ずかしげに頬を染めた新井木を見た瞬間、素子はポケットの中のナイフを握りしめた。
「大公開!来須先輩のすべ…て……」
先ほどの善行の動きを遥かに凌駕する速度で新井木の目の前に立った素子は、手のひらのナイフを首元に突きつけて新井木をつま先立ちにさせていた。
「ごめんなさい、良く聞こえなかったんだけど?」
「あ、あう…」
誰かに助けを求めるように教室内を見渡す新井木だが、誰もがすぐさま視線を逸らす。連日の猛暑で、素子もまた機嫌が悪いことをみんな知っているのだ。
「真面目にやりましょうね、真面目に」
新井木1人に言い聞かせるにはやけに大きな呟き……その警告を無視するように立ち上がった1人の少年。つまり、場の雰囲気の読めない少年のことだ。
「アニメに見るロボット変遷史」
静まりかえる教室内……刹那の沈黙の後、素子キックを食らった滝川の身体が窓ガラスを割って落ちていくのを見ながら、瀬戸口は目元を拭いながら呟いた。
「安心しろ……お前さんが男だったことを少なくとも俺だけは知ってる。新井木を救うためだったんだよな…」
そして15分後……
「あ、あの……エンゲル係数の高低による需要曲線の違いについてなんかはどうでしょうか?」
小動物特有の小刻みな震えを連想させる田辺の肩に手を置き、素子は首を傾げた。
「……それ、すぐにできるの?」
「2人程手伝ってくれれば、多分3日で…」
「じゃ、決まりね……」
と、話し合いも何もなく、素子は既に決定事項として板書した。
そんな素子に複雑そうな視線を送りつつも、善行は随分とおとなしい雰囲気になった教室内を見回した。
「では、次は出し物について…」
「はい」
普段は教室内が喧噪に包まれるとすぐさま文句を言うのに、今日はずっと静寂を保っていた事で反対に気になっていた壬生屋である。
「では……」
壬生屋さん…そう言いかけて善行は口を閉じた。
指揮官として、軍人として、そして素子の元恋人としての勘が危険を告げている。
善行は眼鏡のレンズを拭き、あらためてやる気満々の壬生屋の姿を見つめた。
昨日の体育祭とはうって変わって生気に満ちあふれた表情といい、周囲を圧倒するような気力といい、何が彼女をそんなに覚醒させたのか?
そして、何故そんなにも目が赤い?
善行は指先で眼鏡の位置を調節し、さてどうしたモノかと首を振る。
「じゃ、壬生屋さん」
「ああっ!」
善行は、壬生屋を指名した素子を振り返った。
「何よ…代わりに指名してあげただけじゃない」
「いや、別に…」
そう呟きながらちらりと壬生屋を見ると、真っ赤に充血しているのに瞳がキラキラと輝いていた。
「みんなで劇をやりましょう」
「劇?」
「一週間しか…」
ざわざわと否定の方向に動きかけた教室の雰囲気をなぎ倒すように、壬生屋は原稿用紙の束をとりだして、ドカッと机に叩きつけた。
「台本はほぼできてます!配役を決めれば、すぐに細かく書き直しもオッケーです!」
その瞬間、教室内の男子の大半が顔面をひきつらせたのに対し、女子の大半が瞳をキラキラと輝かせて壬生屋のまわりに集まっていく。
そして、台本を読みながら時折男子生徒に視線を向けては顔を赤くしてキャアキャアと黄色い悲鳴を上げる。
「わ、私、バイトでウエディングドレス縫ったことがあります!」
「やーん、配役は?配役は?」
男子そっちのけで盛り上がっている女子を後目に、速水は瀬戸口に囁きかけた。
「ねえ、瀬戸口……?」
「なんだい、お姫様?」
「別に瀬戸口が王子様って決まってるわけじゃないと思うよ…」
「それは言えてるな…」
そう呟いた瀬戸口の表情はどこか暗かった。
「えー、このお話はシンデレラをベースにしていて……」
「おい、説明はいいから俺達にも原稿のコピーを渡せよ」
しごくまっとうな滝川の意見は、コピーを握りしめた女子生徒達に黙殺された。
「……それ以前に、まだ劇をやるとも決めた覚えはないんですがね」
ごく控えめな善行のツッコミが壬生屋に無視されたのは言うまでもない。
「ケッ、おままごとなんかやってられっかよ…」
「田代さん田代さん」
「なんだよ?」
壬生屋に手招きされ、田代が首を傾げながら教室の隅に……そして、15秒後。
「あ、うん、いいよな劇って……」
目尻の下がりまくった田代に対して、壬生屋は赤ペンで台本に修正を入れながら口元に悪代官の笑みを浮かべていたりする。
はたして一体どんな駆け引きがあったのか?(笑)
「じゃあ、まず王子様を最低3人…」
「3人ってなんだあっ!3人って!」
またも無視される滝川。
そろそろ場の雰囲気を読む能力を身につけた方が良いと思ったのは速水だけであっただろうか。
「とりあえず、王子様の1人は田代さん、シンデレラの1人は速水君に既に決定してますので残りは……」
教室の約半数が無意識に視線を向けた先には、これ以上はないってほど幸せそうな笑みを浮かべたままトリップしている田代がいる。しかも実体化しそうなほど濃密なダメなオーラを放出しながら。
「瀬戸口、今、『シンデレラの1人』って言ったよね?」
「……あの女の考えそうなことだ」
「あ、田代さんは特別で王子様とシンデレラは基本的に男子にやってもらいますからそのつもりで」
速水と瀬戸口をのぞき、他の男子生徒達はただ静かに首を振って今やノリノリの壬生屋に視線を戻した……刑の執行を待つ死刑囚の表情で。
「では、先にその他の役を決めましょうね……まずは意地悪な継母」
教室内の視線が1人の女性に集中する。
「じゃあ、原さんで…」
「ちょっと、どういう意味?」
にっこりと微笑む素子に、森とヨーコと新井木が駆け寄った。
「先輩、知らないんですか?シンデレラにおける継母という役は一番重要なんですよ?」
「そーそー、継母の役者がへぼなら全てが台無しになるとまで言われて……」
「あなたならきっとできマス」
「先輩にしかできませんよ!」
「そーそ、原さんならぴったり!」
「普段のままでじゅーぶんデス!」
「そ、そう?」
3人の身長がバラバラなため、一体誰に意識を集中すればいいかわからないままにまるめこまれていく素子。
結構酷いことを言われているのだが、それすらも気付いていないらしい。
「し、仕方ないわね……あなた達がそこまで言うなら」
「じゃあ、次は魔法遣いの……」
そう呟きながら、壬生屋は黒板に萌の名前を書き込んでいく。
「私……何も…言ってない…」
「萌さん、私、魔法少女の可愛い衣装作りますから」
萌はちらりと田辺に視線を移し、そして顔を赤らめて俯いた。
「……やる」
「じゃ、決まりと言うことで……」
そんな萌を見ながら、滝川は真剣な表情で速水に囁いた。
「速水、『プリティー・ウィッチー・イシズッチー』って、語呂が悪いと思わねえ?」
「滝川。ロボットアニメ専門じゃなかったの?」
「そういうツッコミができる時点で、お前さんも同じ穴のムジナだと思うがな…」
「舞が好きなんだよ、そのアニメ」
「そなたら、今私の噂をしていただろう?」
滝川・速水・瀬戸口の会話に強引に割り込んで来る舞……はっきり言って、一組と二組の生徒が1つの教室に集まっているため暑くて狭くて苦しいのだ。何か気が紛れることを探していたのかも知れない。
てな感じで配役が決定し、残すは王子様およびシンデレラのみとなった……とはいっても。
「じゃ、女子のみんなでみたいカップリングを投票しましょうか?1人何役でもオッケーって事で」
「やっぱり、カップリングには種類がないと…」
男子の意見は無視かよ!
などと心の中で思ってはいたものの、それらを口にする者は1人もいなかった。これまでの時間で、それが無駄であることを骨の髄まで知らされたからである……主に滝川が。
「…×…は、一般的に左側が攻めで右側が受けですからね…」
などという聞き捨てならない壬生屋の台詞にも、男子生徒は皆一様に黙り込み貝になったフリをしているだけ……
そして一週間後、前日に観測史上最高気温を記録した猛暑の中で狂乱の文化祭は始まる…
「し、司令……その足は」
いつもクールな遠坂が、なんとも微妙な表情で善行の足を見ている。
「……劇のために剃られました」
誰に、と言いかけて遠坂は口をつぐんだ。
答えの分かり切った質問をするのは遠坂のポリシーに反する。その代わりと言ってはなんだが、無精ひげを生やしたままの善行を見ながら呟く。
「……無精ひげはいいんですか、無精ひげは」
「良くわかりませんが、ひげは残さないとダメだそうです」
遠い眼差しを隠すように眼鏡の位置を調節する善行に向かって、狩谷が生真面目な表情で尋ねた。
「……そう言えば、どうして司令はいつも半ズボンなんですか?」
「一応、半ズボンは指定制服なんですが……別に、誰かに見せびらかしたいわけでは」
と、善行が視線を向けた先では……
「こら、じっとしてなさい大介!」
「義姉さん、化粧が下手なんだよ!いいよ、自分でやるから…」
茜は森の手から化粧道具を奪い取り、手慣れた手つきで義姉の施した化粧を落としていく。
「……って、大介!どうしてそんなに手慣れてるのよ!」
「いちいちうるさいな!」
「フフフ、化粧は男の身だしなみですよ…」
「悪いけど、説得力0だから」
本人は女子生徒並にやる気満々だったのだが『色モノは不許可』と言う理由で劇の裏方にまわされた岩田に対して、森は肩をすくめながら呟いた。
「終わったよ、義姉さん」
「……」
目元の当たりを赤くしてボウッと自分を見つめ続ける森に、茜は首を傾げた。
「義姉さん…?」
「いや、なんでもねっす!」
「……義姉さん、また言葉がなまってるよ」
「そっ、そったらこと気にしないでいいっす」
顔を真っ赤にしながら首を振る義姉を、茜は不思議そうに見つめていた。
「うっわー、かおりんめちゃめちゃイカスわ……オスカル様かサンジュスト様みたいやで」
「そ、そうか?(良くわかっていない)」
ボリュームのある髪の毛を適度にまざき、ワイルドな感じではねさせた髪の毛と王子様衣装がいかにもな感じではまっていた。
「大丈夫やって、もうその格好なら観客もめろめろ(死語)に決まってる」
「わ、私は別に……その…速水君がいいって言うならそれで…」
「もう、ばっちり!グー、うちが保証する!」
などと調子よく田代の背中を叩きながら、加藤は商売人の黒い笑みを浮かべる。
「えへへ、どう、まきちゃん?ののみ、似合う?似合う?」
「あ、暑くないですか?」
「大丈夫なのよ、ののみ頑張るからねっ!」
汗を流しながらマントを翻すののみ……が、裾を踏んづけて転ぶ。
「の、ののみさん!」
「あうー……王様は大変なの」
赤くなった鼻を擦りながら涙を堪えてにこっと笑うののみの姿を見て、若宮が来須に話し掛けた。
「何故、東原が王様なんだ?」
「……今にわかるときが来る」
帽子を深くかぶり直し、口元に微かな笑みを浮かべる来須……ただし、若宮の目には表情が強ばっているように見えた。
「いや、気持ちは分かるんだが…」
来須の肩が小さく震えた。
「……かるだと?」
「え、あ…?」
「……衛兵役のお前に、俺の気持ちが分かるだとうッ!?」
と、終始寡黙だった男がキレル場面を初めて目撃した若宮が命の危険を感じた瞬間……
「来須、まだワガママ言ってますか?」
自分の髪の毛をくるくると指先で弄りながら、ヨーコが音もなく来須の前に立つ……と、同時に凶暴に膨れあがっていた来須の殺気がしおしおーっとしおれていく。
「……」
「フフ、楽しみにしてるデスよ…」
と、なんの疑問も持たずに囁くヨーコから、若宮は静かに離れていった。
「……厚志よ」
「どうしたの、舞?」
「そなたは以前、私には常識が欠けてると言ったな?」
「うん、そんなこともあったね……」
舞は納得がいかないように首をひねり、速水の頭の先から足の先までじろじろと眺め回してから口を開いた。
「シンデレラというのは……確か女性ではなかったか?」
「んー、僕に聞かれても困るんだけどね……」
速水は普段通りのぽややんな表情を浮かべ、台本と鬼しばきを手に忙しく歩き回っている少女に目を向けた。
「……瀬戸口さん」
「なんだ?」
「逃げたら殺します」
首筋にあてられた鬼しばきの刃が体表の熱を奪っていくのを感じて、瀬戸口は微かに身を震わせた。
永きに渡って鬼を切り続けた妖刀は一年中ひんやりとした冷気に包まれており、決してぬくもる事はない。
「…おい」
「どこに逃げても、絶対に追いつめて殺します」
「ああ、肝に銘じておく」
瀬戸口が小さく頷いたのを見て、壬生屋はにこにこと微笑みながら刀を収めた。
「壬生屋……1つ聞きたいんだがな」
「何ですか?」
「……この劇ってのは不潔の範疇には入らないのか?」
「お芝居ですから」
「……」
しれっと答える壬生屋に絶望的な視線を向け、瀬戸口は人生をあきらめたような表情を浮かべた。
「加藤さん、胸元のここ、もう少し破いた方がいいですよね……」
「その意見、ディ・モールトや未央ちゃん!」
真紀が徹夜で縫い上げた衣装を、壬生屋と加藤の2人が『もう少し色気が…』とか、『ギャランドゥ風味が欲しいとこやな…』などと呟きながらはだけるように破いていく。
「……こいつら、狂ってやがる」
元ネタがシンデレラで、自分の役はあくまで王子様ということに油断しすぎていたのかも知れない……幾ばくかの諦念と共に、自らの不明さをなじる瀬戸口。
「……超大型台風でも来て、全てがうやむやにならんかね」
ダンッ、ダンッ、ダンッ!
観客の足踏みによって体育館が揺れていた。
「……なんか、めちゃめちゃ盛り上がってやがんな」
本田は首をすくめるようにして舞台の裾からまわりを見回し、首をひねった。
「ヤンキースタジアムで行われた伝説のワールドシリーズを思い出しますね…」
「……何の話ですか?」
「さあ、何の話ですかね…」
指先でサングラスの位置を整えながら坂上が呟く……まるで、何かに照れているかのような仕草がさらに本田を不可解な気分にさせる。
連日の猛暑に加え、会場内の異様な熱気で空気が揺れ始めた瞬間……幕が開く。
「キャアアアァァッ、瀬戸口くーんっ!」
舞台の中央に立っていた瀬戸口は、空気の壁にぶつかったように一歩よろめいた。
「(……イ、イヤすぎる)」
ふと、舞台の降り口に目をやると、鬼しばきを片手ににこにこと冷たく微笑んでいる壬生屋と、加藤にヘヴィマシンガンを突きつけられた善行の姿。
無論、シンデレラ(灰かぶりバージョン)仕様。
加藤に突き飛ばされるように舞台に善行が躍り出た瞬間、再び大歓声がわき起り、善行はぎょっとした表情で客席を見る。
「いきなり瀬戸口×善行!?」
「王道よ、王道だわ!」
「え、王道なら逆でしょ!?」
観客席からの好き勝手な叫びにげんなりとしつつ、無言で見つめ合う瀬戸口と善行。
普段はそれほど親しく言葉を交わしたこともない二人だったが、今、まさに二人は視線で会話を交わす事ができるまでに精神的に同調した。
死んだ方がマシ、と。
あうんの呼吸で小さく頷いた瞬間、二人は反対側の舞台のそでに身体を向けた……が、一瞬にして善行の表情がひきつる。
「も、素子…」
「また逃げようとしてるのね……もう、シンデレラったらいけない子なんだから」
獰猛な肉食獣を思わせる微笑み。
戦場を生き延びてきた者なら、自分の身に最大級の危険が押し迫っていることを悟らざるを得ないプレッシャーが二人の(主に善行の)反抗心を押しつぶす。
「仕事が忙しいとか適当な事言いながら、どこの誰だか知らない女と会ってるなんて……一体誰どういう了見なのかしらね?」
「……」
「あらら、言い訳もできないの?」
善行に対してにっこりと微笑む素子こと、意地悪な継母に向かって、瀬戸口が小刻みに首を振った。
「(原、台詞違う。全然違う)」
「……何とか言いなさいよ」
「……未央ちゃん、いきなり原さんが暴走してるけど」
「計算通りです」
未央は袂から一枚の写真を取りだし、素子の足下に向かって投げつけた。
「……ん?」
素子の視線がその写真に向く。
「へえ…」
自分に向けられた素子の笑みを見て、瀬戸口は無意識に一歩退いた。
自分の中の、危険指数が跳ね上がる。
「やあねえ……女としてのプライドずたずたにされちゃった」
ふっと、素子の右手がゆらめいた……と、思った瞬間、足下の写真はシュレッダーにかけられたかのごとく、細長い紙切れと化していた。
「……未央ちゃん、あの写真って?」
「合成写真ですけど?」
「いや、だから何の?」
「言わせるつもりですか、加藤さん?」
瀬戸口はぎこちなく善行の手を取り、やたら爽やかな微笑みを浮かべた。
「シンデレラ、僕を信じてくれ!僕は必ず君を救いに来る!」
「う、嘘だ…今君は嘘をついている」
瀬戸口はとん、と善行の肩をついた。
「あ…」
「ふふ、つーかまえーた…」
善行の身体を背後から羽交い締めにした素子を、瀬戸口は真っ直ぐに見つめた。
「(原さん、その手を二度と放しちゃダメですよ)」
「(瀬戸口君…私、貴方のことを誤解してたみたいね)」
「(ふ、俺は愛の伝道師……恋する全ての女性の味方です)」
瀬戸口の心は既に屋外に飛んでいる。
こんな、狂った茶番に関わっていては、アイデンティティが崩壊しかねない。
瀬戸口はがっちりと善行を羽交い締めにしている素子の脇をすり抜け、背後を振り返った……この狂った茶番を押し進めた張本人にあっかんべーでもしてやろうと思って。
「……」
寝不足の赤い目を光らせた壬生屋と加藤がにこにこと微笑んでいる。
そして、その側に。
「ねえねえ、ののみの出番まだ?」
「あ、ののみちゃんの出番はまだ後やで……暑いけどがんばってぇな」
「うん、ののみがんばるのよ」
まさかそこまではすまいと瀬戸口は思う……が、この猛暑である。
太陽が黄色いと、人間は何をしでかしても不思議ではない。
「なんとか言いなさい、シンデレラっ!」
舞台の上で、劇という名の素子と善行による壮絶な痴話喧嘩が始まった……いや、一方的な折檻だが。
「何が仕事で忙しいよっ!何が私を信じられないんですかよっ!」
と、劇であることも忘れて善行をマジ殴りする素子を見て瀬戸口は、こんな狂った連中にののみ1人をおいてけぼりにすると何があってもおかしくはないと悟る。
そして、反対側の舞台そでに立つ壬生屋に向かって両手をあげた。
「あ、瀬戸口が堕ちたようやで」
「……守るモノがあると、人は強くも弱くもなれますからね」
そう呟く壬生屋に、加藤はちょっとばかり複雑な視線を向けた。
「それ、未央ちゃんが言ってええの?」
「司令っ!しっかりして下さい、司令っ!」
「ごめんなさいごめんなさい、許してください許してください、もうしません、許してください…」
舞台裏でガタガタと震えながら謝り続ける善行の両肩を揺さぶり、遠坂は萌を呼んだ。
「石津さん!すぐきて下さい、石津さん!」
「…ぷ、プリティ、うぃっちー、いしづっちー…」
魔法使いのコスチュームに身を包み、頬を赤らめながら現れた石津を見て遠坂は首を振った。
「あなたももう、ダメですか…」
「何やってるんですか、善行司令!出番ですよっ!」
「何をバカなことを…司令は、こんな状態ですよ!」
舞台裏に飛び込んできた壬生屋の前に遠坂が立ちふさがった。
「ごめんなさいごめんなさい……」
そう呟き続ける善行を見て、未央はきっぱりと言い切った。
「この場面はそのぐらい壊れてる方がいいんですっ!」
「そんな横暴っ…」
遠坂がゆっくりと倒れていく。
未央は鬼しばきを鞘に収め、震え続ける善行に優しく声をかけた。
「善行さん、こっちに行きましょうね」
「また虐められるの…」
ちょっとばかり幼児退行を起こしかけている善行の手を握り、未央はゆっくりと首を振った。
「大丈夫ですよ…今度は優しくしてくれますから」
優しく虐められました。(素子と比較して)
「来須、出番だぞ…」
「……」
「来須……」
来須の身体が小刻みに震えだした……それに伴ってドレスのひらひらフリルと、大きなリボンが蝶のように揺れる。
「……」
若宮はちょっと咳払いをし、来須の肩を叩いて言った。
「逃げておっけー」
弾かれたように来須は顔を上げた。
「……いいのか?」
「命令なり団体行動は大事だが、ここは戦場ってワケじゃない……イヤならイヤと言っていい場所の筈だ…」
「……じゃあ、ここを戦場にしてみマスか?」
「万翼長として、戦士の2人への命令です」
2人に気配を察知されることなく、来須の背後にはヨーコ、若宮の背後には壬生屋……もちろん、命令と言うより脅迫の色合いが濃い状況だったり。
「つらいな、軍人は…」
「ああ…」
連行されていく2人の背中を見送りながら、ブータがヒゲをピクピクと震わせながら首を振った。
「ナァオゥ…(軍人とは関係ない)」
「……男子生徒が次から次へと再起不能になっていきますね」
どこか遠くを見つめながら、芳野が呟いた。
「カメラのフィルムを入れ替えながら言う台詞じゃありませんよ、芳野先生」
舞台裏で膝を抱えたままぶつぶつと何かを呟き続ける男子生徒の側では、魔法少女の衣装に身を包んだ石津がステッキを振り回していたり。
本来それはとても癒される光景のはずなのだが、彼らの視線はその姿をとらえておらず……仮にとらえていたとしても、何の効果ももたらさなかっただろう。
「みんな、ちょっと精神的に弱いよね。これじゃあ、秋からの戦闘が不安だなあ…」
ぽややんとした表情のまま、速水がぽややんと呟く。
受けて良し、責めて良し……何度も舞台に引っ張り上げられながら、平然と役柄を演じきった速水の精神力の限界はどこにあるのか。
ちなみに、舞は速水と田代とのキスシーンで銃を乱射しかけて壬生屋に殴り倒されたので、その後の速水を見ていない。
「……強いな、お前さんは」
「そうかな?」
と、速水はちょっと首をかしげてみせ。
「一度地獄を経験すれば、こんなモノは何でもないと思うけど」
「速水さん、出番です」
「わかった、すぐ出るよ」
と、軽やかに立ち上がって……舞台へと飛び出していく速水。
「だ、大介…出番」
森に促され、それを追う茜。
一拍遅れて、大歓声。
凍るような視線を浴びせつつ茜の頬に手を飛ばした速水……に、舞台へ飛び出しかけた森を小杉と壬生屋が押さえつける。
「聞いてねっす、こんな脚本聞いてねっす」
「でも、ノリノリやで、本人は」
と、加藤が指さした先では。
「思ってたより意気地なしだな速水は…」
などと、魅惑の太ももを惜しげもなくさらして、誘い受け続行中。(笑)
その一方観客席では。
「あああぁぁぁ、どエスの速水君も素敵ぃっ!」
などと、教師らしからぬ悲鳴を上げながら、芳野はシャッターきりまくり。
「正直、どエスとツンデレのからみはちょいと冒険かなと思ったんやけど」
「素材がよいですから」
などと、さらりと言ってのける壬生屋に、加藤はちょっとばかり恐怖を覚えた。
多少の例外はあったが、シーンが進むにつれて男子生徒は目が死んでいき……その一方で女子生徒(観客含む)は、目をきらきらと輝かせ。
暑い夏にふさわしい、熱いステージは、大幅に予定時間を延長して続けられたのだった……。
そして……厳しい残暑も乗り越え、秋風を心地良く感じ始める頃。
「……っ!」
非常招集のサイレンに動揺することなく、駆け足で持ち場を離れる彼らの背中をおうように放送が流れる。
『……201v1……今すぐ全兵員は作業を放棄して…』
「ありゃ、珍しい…チキンが最前線に」
新井木の呟きに遅れて。
『おらおらおらぁっ』
滝川らしからぬ荒々しい声が回線を通じてオペレーターたちの耳に届いた。
『ほう、我らもゆくぞ速水』
『うん、そうだね』
と、芝村・速水の3番機が続いて。
『では、私も…』
と、壬生屋の1番機が……。
『くんじゃねえっ、このブス』
『なっ!?』
壬生屋が顔色を変える。
『てめーが近寄ると虫酸がはしんだよっ!』
本来、遠距離攻撃用であるアサルトライフル……耐久力はともかく、機動力に優れた軽装甲ならではの、素早く、細かい動きを挟みながらの近距離射撃で幻獣を翻弄しながら、滝川が唾でも吐き捨てるような口調で壬生屋をののしる。
『ちょっ……善行司令、滝川さんに何とか言ってください』
「……」
『……司令?』
「黙りなさい、(ぴー)」
『ひきっ』
壬生屋の1番機が凍り付く。
「いややわぁ、司令はん。あれはあれ、これはこれで、仕事はちゃんとやってもらわんと」
などと、取りなそうと試みた加藤に、まさしく氷のような視線を向けて。
「命令です、呼吸を禁じます」
「って、死んでしまうやないのっ!」
「うるせえぞ(ぴー)」
「なっ!?」
愕然とした表情で、瀬戸口に視線を向ける加藤だが……瀬戸口は、加藤に対して一瞥すら向けない。
「ねえ、タカちゃん…(ぴー)ってなに?」
「ふふ、お前さんは知らなくていいことさ」
などと、優しく穏やかな微笑みをののみに向ける瀬戸口。
「あ、あの…昨日の戦闘を見ました。それで、いいなって思って…これ」
と女子生徒から差し出されたクッキーを冷たく払いのけ。
「寄んなよ、くせえのがうつるから」
と、虫でも見るような目つきで女子生徒を追い払う滝川の姿に。
「……速水よ」
「ん、なに?」
「あやつ…いや、滝川のことだが随分と変わったような…」
などと首をひねる芝村に。
「まあ、不信を通り越して、女性が嫌悪の対象になっただけのことだよ」
「……我に対する態度は以前とさほど変わらないのだが」
「舞は、芝村だから」
「ふむ…」
とはいえ、そんな滝川の姿に、女子校の一部では人気がさらに上昇していたり。(笑)
ごく一部(被害者の立場の女子と男子超越者)を除いて、男子生徒と女子生徒の間で会話がなされることはなく……言うまでもなく、小隊はずたずただった。(笑)
「……やりすぎましたかね?」
と、事ここにいたって多少反省する壬生屋に向かって、加藤がぐっと親指を立てて言った。
「大丈夫やって。やり過ぎるぐらいでちょうどいいって言うし」
「まあ、それはそうなのですが」
「なおうっ!?(全然反省してねえじゃねえか)」
と、ブータがツッコミをいれたものの……2人にそれを聞き取るスキルはなく。
「と、いうか…あいつらいつも男同士でかたまるようになって…美味しいと思わへん?」
きらんっと、加藤の目が光り。
「確かに」
きらきらんっと、壬生屋の目がイヤな感じに光る。
「次の夏が待ち遠しいですね」
「まったくや」
無駄にたくましい彼女たちの、夏はまだ終わらない。
完
いや、『がんぱれ』がDL発売されるなどと聞いて、懐かしいなあ……つーか、600円かよチクショー……などと。(笑)
今現在は音信不通の大きなお姉さんに、半ば脅迫される形で書かされそうになっていたお話を一部活用して、なんとなく書き上げてみました。
そういや、今年の夏は暑かったらしいですね……。
などと冷静になってしまうと、一体何書いてんだ高任などと、自分の腕というか胸のあたりをかきむしりたくなるようなならないような。(笑)
まあ、一言で言うと……いわゆる腐った女性は、無駄にたくましいなあ、と。
前のページに戻る