坂上と肩を並べるようにして女子校の廊下を歩く女性は、いい意味でも悪い意味でも人目を引いた。
 モデルを思わせるような長身と抜群のプロモーション、それに野性的な顔立ちが加わって妖しげな魅力を醸し出しているのがいい意味である。
 そして悪い意味では……
「本田先生……パンクロックは1980年初頭のイギリスが発祥地という説があるのをご存じですか?」
「初耳ですね…」
 1980年……この世界におけるイギリスは既に幻獣の勢力下にあり、数千万の人類はその故郷を失っていた。
「え、と……この世界にパンクは」
「随分とおしゃべりなんですね、坂上先生は…」
 坂上の視線が本田のそれとぶつかり、坂上は気圧されるように目をそらす。
「この世界にパンクがあろうが無かろうが些細なことです……違いますか?」
「確かに……それは、そう、なんですが…」
 坂上は汗を拭いながら、ぶつぶつと呟く。
 何故よりによって本田先生なのか……などと愚痴っても仕方のないことなのだが。
「……やはり、この世界の危機はこの世界の人間の手で救わねばならないからでしょう」
「はあ、そういう考えもありますか……?」
 坂上はサングラスをずり落ちさせながら本田の方を振り向いた。そして、他人の心が読めるんですか?ってな感じでまじまじと見つめてしまう。
「惚れましたか?」
「……そ、そんなわけないでしょう!」
 駄目だ、と坂上は思った。
 はっきり言って手玉に取られて子供扱いである。異世界からの介入者という優位を失うと、自分という存在はこんなにも脆いのか。そんな負け犬感情がむくむくと膨れあがっているような気がしてとても不愉快だった。
 プレハブの階段を上がりきったところで二人の足が止まった。
「じゃあ、本田先生……」
「ええ、心得てます」
 自信たっぷりに微笑んだ本田に一抹の不安を覚え、坂上は自分が受け持つ2組の教室に行かずにそのまま教室内を見守っていた。
 そして……
「オッス、オラ本田!」
 坂上はこめかみのあたりに鈍い痛みを覚えて軽く首を振った。
「笑えっ!」
 非常に重苦しい11人分の沈黙を切り裂くマシンガンの掃射音が鳴り響いた瞬間、坂上はこめかみではなく胃のあたりを押さえてうずくまる。
 一体何事が起こったのかと、2組の教室から身を乗り出している生徒達の視線も痛いがそれどころではない。
 ダラダラと汗を滝のように流し、おそるおそる顔を上げて教室内を見る。
 ……生きていた。
 みんな生きているだけではなく、笑っていた。
 ちょっと常軌を逸した笑い方の生徒が数名いたが、そんなことはどうでも良い。
「よーし、何はともあれ元気なのが一番だ!」
 果てしなく脳天気な本田の声に、坂上は精神的に2歩ほどよろめく。が、何とか気持ちを取り直して本来の役目を果たすべく2組の教室へと向かった。
 ちなみに、午後になって2組の教室で同じ事が行われることを坂上は知らない。
 
 教官室の机の上に足を投げ出した格好で、本田がしみじみと呟いた。
「何というか……世も末ですねえ」
「……全くです」
 何十回とループを繰り返してきた坂上だが、こんなに疲れた一日は初めてだった。
 こんな毎日が続くなら、いっそのこと早く生徒の誰かが死ねばいい、などと考えてしまいそうな自分を戒めつつ、精一杯の皮肉を込めたつもりなのだが効き目は疑わしい。
「(生徒が死ぬんじゃなくて、教師が死ねばどうなるんですかね……例えば、今ここで本田先生を……)」
「坂上先生…」
「な、何ですかっ?」
 ひょっとして、また自分の心が読まれたのではと思って慌てて立ち上がる坂上。はっきり言って教師の威厳はそこにはない。
「来須と田代、それと、石津と新井木、速水と岩田の組替えをお願いできませんか?」
「は?……と、言いますと?」
 本田は大きくため息をつくと、サブマシンガンを机の上に置きながら吐き捨てるように言った。
「こいつを乱射されたときにね、避けることはおろか目もつぶらなかった馬鹿野郎を前線に出したくないんですよ。無論、当たらないことを知ってじっとしてた奴もいましたが……」
「……」
「死にたがってる奴を前線に出して、死なせるわけにはいかんでしょう」
「……失礼ですが、来須君もですか?」
「誰かのために死のうと思ってる奴も同じぐらい危険です…」
「……なるほど」
 あの暴挙にはそんな深い意味が隠されていたのかと、坂上は本田のことを見直したりはしなかった。
「もう少し穏やかな確かめ方は無かったんですか?」
「穏やか……というと、壬生屋あたりに頼んで物陰からいきなり斬りかかってもらったりする方法ですか……?」
 胃壁に穴でもあいたのか、坂上の胃がキリキリと痛んだ。
「もしくは原に頼んで……でも、それは誰にも避けられないし…」
 本田が何かを話すたびに胃の痛みは酷くなっていく。
「……わかりました。組替えの件はなんとかします、ええ、何とかしますから…」
「お願いします……さて、あいつらの様子でも見てくるかな」
 雌豹を連想させるしなやかな動きで立ち上がると、本田は怪しげな曲を口ずさみながら教官室を出ていった。
 胃のあたりを押さえながら、坂上は何度目になるかわからない台詞を哀しそうに呟いた。
「……何故本田先生なんですかね?」
 パタパタと教官室に向かって走ってくる足音を耳にして、坂上は嫌な予感に身体を硬直させた。
 おっとりした芳野に似合わず、慌てて教官室に駆け込んでくる。
「さ、坂上先生!本田先生がっ!」
「誰か撃ち殺しましたかっ!」
「は?」
「あ、いえ……願望というか恐怖というか…」
 坂上は照れた様に芳野の訝しげな視線から目をそらした。
「で、本田先生がどうしたんですか?」
「あ、でもそれに近くて……来須君と小杉さんのラブラブ光線に逆上してマシンガンを乱射してるんです!」
「……あの人は一体何がしたいのか」
 坂上は呻くように呟き、こめかみを押さえて何度も首を振った。
「わからない、さっぱりわからない……」
 
「3年ッB組ィッ!」
「……本田せんせー、うわー……」
「元気がなぁいッ!」
 マシンガンの掃射音と、教室内を逃げまどう生徒達の足音。
 安普請のプレハブ校舎があげる悲鳴を聞きながら、坂上は胃のあたりを押さえながら黒板に額を押しつけていた。
「坂上先生……隣のクラスは何をしてるんですか?」
 きりりとした涼やかな美貌を曇らせ、素子は全員を代表して疑問を口にした。坂上は仕方なくそちらを振り返る。
「聞きたいですか?」
「……それは」
「本当に聞きたいですか?」
「いえ、聞きたくないです……」
 坂上の願いを読みとってくれたのか、素子は静かに腰を下ろした。そして、坂上は何もなかったように板書を再開する。
 キーンコーン……
「……今日はこれまで」
 生徒達が出ていった教室に居残り、西日を浴びながらたそがれる姿がこの1週間でやけに似合うようになってしまった坂上。もちろん、本人にその自覚はない。
 この1週間で2回ほどショットガンの引き金に指が伸びかけたのだが、その度本田は坂上の視界から姿を消した。
 多分、自分では殺れない……そう認識することと、衝動を抑えつけることは全く別物である。
「殺す、殺すとき、殺せば……」
 気が付くとそんな言葉を呟いていたりするのだから、怪しいことこの上ないだろう。
「おらぁっ、仕事中にイチャイチャしてんじゃねえっ!」
 本田の怒声とマシンガンの掃射音。
 すっかりおなじみになってしまって、日常風景となってしまった感がある。おそらくは慣れてしまってはいけないのだろうが。
 そんなことを考えているうちに、すっかり日は沈んで教室内を闇が支配していた。そろそろ仕事の時間も終わる。
「真っ暗な教室で何をたそがれてるんですか?」
 諸悪の根元が口にして良い言葉ではない、と坂上は思った。表面上は笑顔を絶やさずに、右手がピクピクと発作的に動こうとするのを必死で押しとどめる。
「い、いえ…別に」
「暗い、暗いですよ坂上先生……もっと明るくいきましょうよ!」
 右腕の痙攣めいた衝動を左腕で必死に押さえ込む坂上を見て、本田は脳天気に笑って言った。
「腕でもつったんですか?」
 こめかみのあたりで毛細血管が次々に破裂していくのを聞いて、坂上は意味不明の言葉をわめきつつショットガンを抜いた。
 銃身を短く切りつめたショットガンから放たれた散弾によって砕け散った窓ガラスが、月明かりにキラキラと輝きながら舞い落ちていく。
 その幻想的な光景に坂上は正気を取り戻した。
「……殺ったか?」
 坂上はサングラスを外して教室内に視線を走らせる。ざっと見たところそれらしき物体は……仰向けに倒れた人影を発見して坂上の動悸が激しくなった。
 微かな月明かりにすかして見えるその人影は赤い衣をまとって……ピクリとも動かない。
「……本田…先生?」
 坂上の喉がごくりと音をたてた。
 『殺った!』という感情と『殺っちまった!』という2つの相反する感情が、坂上の中でオクラハマミキサーを踊り狂っている。
 人影に向かって1歩、そしてもう一歩踏み出した瞬間、教室の入り口からからかうような声が響いた。
「フフフ……殺りましたね、殺っちまいましたね、坂上先生」
「い、岩田…君」
 取り返しのつかない自分の行動は弁解のしようもない。しかし、何かを伝えたい…
「こ、これは……」
「いやいや…あなたにこんな人間らしい感情があったなんてびっくりですね、ほんと」
「ち、違うんです」
「何が違うと言うんですか?あなたは本田先生を、射・殺・し・た・んです。任務ではなく、感情的な問題で…」
 岩田は楽しそうに白衣を翻しながらくるくると回転した。そして唐突に回転を止める。
「フフフ……なんてね」
「え?」
「坂上先生ーっ!」
「うわーっ、うわーっ、うわーっ!」
 床に倒れていた筈の本田にいきなり抱きつかれ、坂上は歴戦の軍人としての恥も外聞もなく悲鳴を上げ続ける。
「フフフ……どっきり、大成功です」
 
 良く晴れた夜、坂上は屋上にあがって星を見上げる。
 馬鹿馬鹿しいと思いながらも、新しいループの度に坂上は星に願いをかけてきた。
 かつて見上げた星空と、今自分が見上げている星空が同じであるかどうかを思い出そうとして、坂上は頭を振った。それはあまりに意味がなさ過ぎると思ったからである。
 と、マシンガンの掃射音が聞こえてきて、坂上は反射的に胃のあたりを押さえて顔をしかめた。
 坂上の健康を引き替えにしているのか、本田は今日も元気パンパンで走り回っている。
「……たまには、自分のために祈ってみますか」
 坂上はそっと両手を合わせ、何気ない仕草からは想像できないほど切実に願いを込めて祈った。
 黒い月はそんな坂上を静かに見守っている……
 
 
                      完
 
 
 ……やはり、高任に楽しいお話を作るセンスは無いような気がします。(笑)
 と言うより、無理矢理話を考えるのがいけないのかな?

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