時刻は明け方の４時。

　春の熊本とはいえ、明け方は肌寒い。

「……ふう。」

　精華は手に持った工具を一旦ポケットに収め、後ろ向きのままもそもそと機体の下から這い出して大きく息を吐いた。

　身体の関節がところどころでばりばりといういやな音をたてているのは、窮屈な体勢で整備し続けていたせいだろう。

　鈍痛が無感覚になると、細かな整備は出来なくなる。休むのが賢明だった。

　自分の工具箱の中に放り込んでおいた紅茶の缶をとりだしてプルタブを引っ張る。無糖タイプなのでカロリーがないから安全だ。

　それでも、一口めが喉を通過した瞬間に、胸ポケットのカロリー計算セルの存在が精華の頭に浮かんで消えた。

　缶を持った方の二の腕に逆の手で掴む……それで、自分が太っていない事を確認するのがクセになってしまったようだった。

　二口めをすすりながら、今まで自分が整備していた士魂号の機体を見上げた。

　士魂号一機に３人の整備士が付く……戦争になってしまえば不可能だが、きっちりと整備するなら担当が１人きりの方がいいのだと恩師が言っていた。整備する人間のスタンスがぶつかり合えば、機械は決して機械以上の働きをしないのだそうだ。

「こんばんわ……」

「きゃああああっ！」

　精華の投げつけたスパナを顔面に食らって昏倒する岩田。闇の中で悶える白い影は、なんとも痛々しい。

「……岩田君っ？ご、ごめん、うち……」

「……森さん、あなたいきなり人の顔面にスパナを叩きつける趣味がおありなんですか？」

「薄暗い室内で、白い服にそのメイク……自業自得って言うのよ、それは。」

「それもそうですね……」

　びよーん、という擬音が聞こえてきそうな感じで岩田は何事もなかったように跳ね起きた。

「ちょっ、痛くないの…？」

「ええ、薬の……っと、あなたの精神安定のため痛くないことにしておきましょう。」

　岩田は微かに顔をしかめて、床に落ちていたスパナを拾って精華に手渡す。

「石津さんは……？」

「ついさっき家まで送り届けてきたところです。」

「……羨ましい話ね。」

「どっちがですか？」

　精華は何も答えず、ただ静かに手に持った紅茶の缶を傾けた。それを見て、岩田は右手をぎゅっと握りしめて軽く上下に揺さぶった。

「何してるの？」

「いえ、私も少しのどが渇いたと思いまして……」

　岩田の右手が開く……そこに現れたのは赤い花。

「……食べるの？」

「ちょっと手違いがあったようですねえ、困ったものです。」

　くそまじめな表情で首を振る岩田を見て、精華は顔を真っ赤にして口元を押さえた。そんな精華を見て岩田は傷ついたような表情で呟く。

「意図しないギャグで笑いをとるのは不本意ですね……」

「そっちの方が面白いわ……寝不足でハイになってるからかもしれないけど。」

「ふむ…そんなものですか。」

　岩田は嘆息して天を…もとい、天井を仰いだ。

「……岩田君は、整備するときにどんなことを考えてるの？」

「ふっ、ぼかぁいつでも萌さんのことを考えていますよ。」

　岩田は軽く両手を広げ、そこにはいない少女に向かって語りかけるような調子で口を開く。

「いや、そーじゃなくて……」

　精華は精神的に３歩ほどよろめく自分を感じながら手を振った。

「士魂号のね、パイロットの命を尊重するか、それとも士魂号自体の性能を重視するかってこと……」

「ふむ、そーですね……」

　岩田は顎の先に手をあててあらぬ方角に視線を泳がせた。

「士魂号１機を作り直す資源及び金額で、人間が１０万人の単位で生産される事を考えると後者ですかね。」

「本音で、それとも建前で？」

「あなたが整備を担当した戦車および士魂号で１人の死者も出していないことは立派だと思いますよ……」

　精華は幾分緊張して、岩田の顔をじろりと睨んだ。

「運が良かっただけでしょ。」

　岩田はそれには何も応えず、ゆっくりとハンガーの出口へと向かった。岩田が全く足音を立てずに歩くことに精華は初めて気づく。

　そうして、岩田の後ろ姿は闇の中へと溶け込んでいくように消えていった。

　

『士魂号３番機被弾！』

　通信が耳に入るたび、精華は顔をしかめる。

　１週間かけて整備したものを一瞬で無に還されてしまう事に対する失望も確かにある。だが、精華が感じている痛みはパイロットの命そのものの痛みだった。

　それでいてパイロットに向かっては、「機嫌良く壊して戻ってきて……一体誰のおかげで毎日出撃できると思ってるんですか！」などと憎まれ口をきいてしまうあたりが素直ではない……いや、素直すぎるのか。

　それ故に、その日の戦闘で生還してきたパイロットの要求に精華は首を振った。

「駄目……かな？」

「当たり前です！機体強度の整備を無視していいなんて……一撃ですよ、たった一撃で脱出する暇もなく爆発しますよ。あなたの乗る３号機は突撃仕様のくせに誘爆を起こすミサイル抱えてるんですよ！」

「機体強度を上げると『身体』が重く感じるんだ……思った通り動けない。」

「そんなの当たり前です！士魂号は士魂号なんですよ、思った通り動けないのは当たり前じゃないですか！」

「でも…それじゃあ駄目なんだ。」

　いつも気弱な表情しか見せなかった少年が見せた初めての顔に、精華の神経が刺激された。

「芝村さんですか？」

「何が？」

「芝村さんが私にそう言えって言ったんですね？」

「……舞は関係ないよ。でも、このままだと舞も殺してしまうかもしれない。」

　自分の思い通りに動けたならば、決して死ぬことはないと信じている表情。精華は、この少年が自分の嫌いな人種になってしまったことを絶望的に悟った。

「……私の整備、下手でしたか？」

「ううん、もしそうならこんな事頼んだりしない。」

「わかりました…死にたいなら勝手に死んでください。」

「ありがとう…」

　パイロットが背を向けて歩き去っていくのを、精華は流れてもいない涙を何度も手の甲で拭いながら見送った。

　ひとしきり鼻をすすって、傷ついた士魂号の整備に取りかかった。

　女性として、また女性としてのスキル全般にも自信がない精華にとって、心のよりどころである自分の整備を有る意味で否定されたことが一番ショックだった。

　そんな複雑なオーラを発しながら作業するものだから、誰も精華のそばに近づこうとはしない。あの新井木でさえもが、「きーん」とか呟きながら両手を広げて走り去っていく始末である。

　そして明け方。

　間接を鳴らしながら大きくのびをする精華の目の前に、昨夜と同じ白い亡霊が現れた。今日はさすがに工具を投げつけたりはしなかったが、不機嫌そうな視線を隠そうともしないで岩田をにらみつける。

「石津さんは……？」

「ついさっき家まで送り届けてきたところですが。」

「……」

「………」

　会話の不毛さを悟って、精華は口をつぐんだ。

「同じギャグを二度繰り返すことをテンドンと言うんですが、時と場合によっては１度目より笑いがとれることが……」

　精華にものすごい表情で睨まれ、岩田もまた口をつぐんだ。

　やがて、精華がぽつりと呟いた。

「優秀なパイロットは、機体に合わせるものよね？」

「優秀なパイロットだから死なないとも限りませんが……」

「芝村だって死ぬよね。」

　岩田は何も答えず、その場で腰を振って踊り出した。そして、踊りながら口を開く。

「整備という仕事は自分の無力感をどう耐えるかということだと思ってますよ。……私にぴったりですねえ。」

　絶えず身体が揺れ動いているため、岩田の表情が精華には確認できなかった。ただ、なんとなく悲しそうな雰囲気を感じ取れたにすぎない。

　ひとしきり踊った後、岩田は精華の整備していた士魂号を見つめ、感心したように呟いた。

「……重量を増やさずに耐久力を高める整備ですか。見事な腕ですね。」

「重く、硬くすればいいってものじゃないもの。機体に加わる力を逃がす部分も必要だし……」

「まあ、パイロットには分からない技術なんでしょうけどね……」

「分かってもらおうとも思わないわ。泣き言は言いたくないもの。」

「さすがは森さん、男前で……」

　鳩尾に膝蹴りを食らって悶える岩田から『ふんっ』とばかりに目をそらし、森は頭に巻いていたバンダナを外してハンガーから出ていった。

　誰もいなくなったハンガーで、岩田はさっきまでの苦しみが嘘のようなおだやかな表情で天井を眺めていた。

「あの意志の強さ……いつからそうなったんですかね？」

　岩田はゆっくりと身体を起こし、白衣の汚れを手で払い落とした。

　その口元には、満足そうな笑みが浮かんでいた……

　

　

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　完

　

　

　んー、そういえばＧＰＭが発売されてもう１年が過ぎたのか。季節が巡るのは早いものですなあ……そろそろ書き直さないかんＳＳも目に付きだしましたし。（笑）

　しかし、このお話の場合、岩田にとって希望の持てるシーンを書いてみたかっただけです。後は整備士には、整備士のこだわりが有るだろうということで森さんを。（笑）