<<前の章へ |  熊本市立図書館に戻る | 次の章へ>>

「すぐに帰るの?」
「ええ……九州の戦況はまだまだ予断を許しませんから。今までほとんど使わなかった発言力を根こそぎ使って、九州への防衛軍派兵を要請してきますよ」
 善行は眼鏡の位置を調節し、夕暮れの校舎を見上げた。
「私はね……この小隊のみんなが気に入ってるんですよ。エゴだと言われるかも知れませんが、誰1人死なせたくない」
「……誓うわ、私がこの小隊を守る」
 今度の休みはどこに行こうかといった感じの気負いもない口調に、善行は苦笑する。
「お任せします…」
「だからあなたも誓って」
「……」
「必ず、私の隣に帰ってくるって……」
「それは……」
 口ごもる善行を見て、素子は小さく笑った。
「あなたのそういう正直なところ好きよ……言い直すわ、できるだけ死なないで戻ってきて」
「では、励むとしますか…」
 
 それから半月を待たずして、関東軍主力が九州に上陸。
 九州の戦況は一気に人類側有利に傾く。
 新たな幻獣が生まれない故に、人類側の戦略に大きな幅ができたのも大きかった。
 そして、その軍と共に帰ってくるはずだった善行の消息が途絶えてから1ヶ月……素子は5121小隊を守りきった上で懐かしい関東の地を踏む。
 
「……口がきけなくなったの?」
「貴様、儂を誰だと…グッ」
 ナイフの刃先が1センチほどめり込む。
「心臓まで後2センチ……チャンスは後2回」
 厚い氷を思わせる口調でありながら、その氷の下には火傷しそうな激情が感じ取れただろうか。
「わ、儂は何も……ウッ」
「後1回……」
「わかった、言う、言うから…」
 素子は男の言葉を脳裏に刻み込み、右手に力を入れた。
「ひ、卑怯な……」
「あなたが散々他人に対してやってきたことでしょう……」
 血で赤く染まった絨毯の上に男が崩れ落ちる。
「……」
 関東軍の派兵を要請した善行に、自分の身を守る発言力はのこされていなかったらしい。
 また、瞬間移動には移動できる限界があり、自分の知らない場所には決して移動できないという弱点がある。おそらくは善行の瞬間移動を阻止するために土地勘のない場所に幽閉されているに違いないと推測してから一週間。
 素子は月明かりに照らされた部屋の中で嗚咽をこぼした。
「……やっとみつけたわ」
 善行の監禁場所。
 素子の集めた情報と照らし合わせても、そこが本命である可能性は非常に高い。
 溢れそうになる涙を堪えながら、素子は開け放たれた窓から身を投じた。
 
「……ああ、神様も粋なことをしてくれますね」
 うっすらと開いた瞼に力がないのを知って、素子は慌てて善行の纏っていた服をめくりあげた。
「酷い……」
「私が…間抜けだっただけです……珍しいことではありませんよ」
「喋らないで、今すぐ病院に……」
「自分の身体ですから……わかるんですよ」
 そんなことは素子だってわかっていた。
 だが、わかるわけにはいかない。
 立ち上がりかけた素子の腕を、善行の指先がつかんだ……いや、つかむと言うよりは触れたという方が正しい。
「何年も我慢してきたんです……1人にしないで下さい」
 死を目前に控えているとは思えない穏やかな笑み。
「……」
「すいません、約束を……破ってしまって」
「馬鹿……」
「ええ、馬鹿でした……ずっと、馬鹿でしたね…」
「そうね、馬鹿だったわね……私達」
 素子は囁くように呟き、善行の身体を抱えて立ち上がった。そのまま歩き出す。
 月が明るい。
 素子は夜空を見上げて泣いた。
 何故自分は黒い月を破壊してしまったのかと。
 死んでも死んでもやり直すことのできた速水……あれは、そうとは知らなかったが多分幸運だったのだ。
 こんな結末になるなら……自分はやり直すことなど望まなかったものを。
 ザッザッ……
「……誰だか知らないけど、今の私は機嫌が悪いわよ」
 吐き捨てるように言い捨て、足音の主を振り返った素子の瞳が驚きに見開かれた。
「何で……」
「預かり物を返しにきたのさ…」
「そういうことばい…」
 青い髪をした少年と、白い短髪の少年。
「え、あなた達……?」
「この世界で貰った物を返さないと、違う世界に旅ができないから…」
「この贅肉、どうにかならんかねえ…」
 速水の青い髪がその青さを失っていくと同時に、中村の手から次から次へと現れては空に向かって靴下が飛んでいく。
「僕は幸運を…」
「おいは奇跡を……」
「善行は助かるのっ!?」
 速水は困ったような表情を浮かべて首を振った。
「ごめん、断言はできない……」
「人の命は重いもんじゃけんね……」
 そして、速水は指先を素子の額にあてた。
「さよなら」
 
「先輩っ!」
「ああ……怪我は治ったの?」
「医者がびっくりするほどきれいな傷でしたからなんとか…」
「まあ、急所は外したし……」
 そう呟いて、素子は前髪をかき上げた。
「あれっ?」
「何よ…?」
「先輩の前髪……一房だけ青い」
「え、嘘、嘘?」
 慌てて手鏡で確認すると、なるほど注意しなければ気が付かないほど僅かな青い髪。
「青い髪って……幸運を呼ぶんでしたっけ?」
「意味無いわよ、幸運なんて……」
 あの後、急にめまいを感じてそのまま眠りについた素子が目覚めたときには善行の姿はなかった。
 いろいろと探し回ってみたが、手がかりは全くなし。泣くだけ泣いて、涙が涸れ果てたと思うまで泣き、結局は熊本の地に戻ってくるしかなかった。
 だって、ここで約束をかわした……
「奇跡も、幸運も、意味なんか無いわよ……」
「そうでもありませんよ……」
 その声を聞いた瞬間、目の前の景色が急にぼやけた。
「あれ?」
 気をきかせた森が、静かにその場を離れる。
 どこからあふれ出るのかと思うほど大量の涙が、熊本の大地にしみを作っていく。
 背後から優しく身体を抱かれた。
「心臓の音が聞こえる……」
「生きてますから……」
「そう……生きてるのね」
 善行の手をぎゅっと握りしめる。
 同じリズムで、同じ時を刻む2人の鼓動。
 それは、止まっていた人類の未来の時を刻む音でもあった……
 
 
               原さんファイナルマーチ完
 
 
 どうも当初に予定していたエンディングとは……ま、いいか。(笑)
 やっぱり、刺して刺して刺しまくる方が良いんでしょうか?
 セカンドマーチの中村に関しては、靴下命の中村を正常な道へと引きずり戻そうとする原さんのネタなんかも考えていたんですよ。
 例えば、田辺さんの家が燃えているのを見た瞬間、全身に水をかぶってかけだしていく中村を追って火に包まれた家に飛び込む素子が目にしたのは、靴下をあさる中村の姿だったり。(笑)
「やっぱり靴下かあっ!」
 とか叫びながら中村を刺すとか、下着姿の原さんが手に靴下を持って、『どっち?』とか……まあ、いろいろあったんですよ。

<<前の章へ |  熊本市立図書館に戻る | 次の章へ>>