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 夕暮れの校舎前、善行は不意に微笑んだ。
「……」
 その、包み込むような穏やかな笑みはかつて……
「……って、関東に逃げるつもりね善行っ!」
 瞬間移動した善行を追って、素子もまた瞬間移動を敢行する。
 
「素子!ここは男子トイレですよ!」
「うるさいっ!今はそんなことどうだって良いわよっ!」
 慌てて男子トイレから出ていく茜と遠坂……恥ずかしかったのか、身の危険を感じたのかはわからない。
「まだ約束まで時間は残ってるはずよ?なんで、関東に戻るのよっ!?」
「……良くわかりましたね」
「当たり前よ……あなたがそんな表情をするのはいつも」
 自分から離れていこうとする時だった。
 唐突に別れを切り出されたあの日。
 関東から熊本に旅立とうとした前日。
 二度続けばそれは偶然であるはずがない。
「話しなさい!でないと、私は死ぬまであなたを許さないから!」
 ナイフの刃を首筋に突きつける。
 刃物で人の命を奪うなら頸動脈を切断するのが一番簡単だ。骨に当たって狙いが狂うこともなく、大動脈故に確実で、かつ刃渡りは3センチもあれば事足りる。
「……」
「逃げても無駄よ、今回ばかりはどこまでも瞬間移動で追い続けてやるから!そうすれば、気力の多い私が絶対に勝つもの」
 パシッ!
 素子の平手打ちで善行の眼鏡が弾け飛び、右目の傷が露わになる。
「本気で……本気で殺せるわけないじゃない!」
「……」
「あなたが避けたんじゃないわよ!私が外したのよっ!」
「素子……」
 善行の指先が素子の頬に流れた涙を拭い……その行為が無駄であることを悟って手を下ろす。
 いくら拭っても、それは後から休みなく流れ出る。
 涙を見たくないなら、涙を止めてやるしかない。
「……こちらに来て、誰かに襲われたことはなかったですか?」
「襲われる……?」
「早い話、誰かに命を狙われませんでしたか?」
 素子の脳裏に、かつて自分の手で葬った暗殺者(中村プレイ)が甦る。
「あるけど……」
「……反吐が出る」
 いつも冷静沈着な善行には似つかわしくない、吐き捨てるような口調だった。
「誰かを脅迫するために大事な人に危害を加えたりする……そういう場所なんですよ。関東における私の居場所というのは……」
 互いの足を引っ張り合い、陰謀と血の匂い渦巻く宮殿。
 そして、自分だけならともかく素子を守るには善行の両腕は短すぎた。
 芝村と同じような言いぐさだが、自分の身を守っているうちに階級が勝手に上がった。そして階級が上がると、別れただけでは安心できなくなった。
 善行という一個人があまりにも有能でかつ弱みが少なかったから、元恋人……という女性にまで手が伸びる。
 直接的な強さはともかく、暗殺の手段は暴力とは限らない。
 日常何気なく口にする飲料水……そういった手段に対して、素子はあまりにも無防備に見えたから。
「だから熊本に来たんです……それなのにあなたときたら」
 善行はゆっくりと素子の身体に手を回して抱きしめた。
「わざわざ追いかけてくるんですから……どうしようもない馬鹿ですよ、ホント」
「馬鹿は……どっちよ」
「毎日毎日殺し合いしてれば……さすがにカムフラージュは完璧だったんですけどね」
 もう、ごまかしはきかない。
「……戦うために戻るのね」
「血塗られた道です……巻き込みたくはなかったんですよ」
「……そうね、幻獣を倒すだけで世界が救われるなんて都合のいい話があるわけ無いものね」
「……?」
「気にしないで……あなたの中に私の知らないあなたがいたように、私の中にもあなたの知らない私がいるのよ」
 素子はそう呟いて目を閉じた。
 催促するようにほんの少しだけ背伸びをする。
「……素子」
 数年ぶりに重なり合った心の後を追うように、2人の唇が重なり合った……
 
 
                 原さんファイナルマーチ第9話完
 
 
 原さん、可愛すぎ。(自分で言うな) 

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