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「不潔ですっ!」
 悲鳴じみた叫びと同時に、プレハブ校舎の階段を駆け下りる音が食堂で休んでいた素子の耳に飛び込んできた。
「鬼ッ、ケダモノッ!」
 完全に我を見失っているのか、足下が定まらぬまま、本来の鋭さと威力にはほど遠い攻撃をくり消している壬生屋の姿に素子は苦笑する。
 壬生屋が追いかけている相手はもちろん瀬戸口だ。
 校舎はずれからグランドはずれへと走っていたかと思うと、猫のように俊敏な動作で瀬戸口が食堂へと駆け込んできた。
 瀬戸口はその場にいた素子に向かって片手拝みすると、大きなテーブルの下へと潜り込んで素子が感心するぐらい完全に気配を立った。
「どこですっ、この妖怪……あ、原さん」
「相変わらず元気ね、感心するわ」
「せ、瀬戸口さんを見ませんでしたか?」
「さあ……ハンガーに向かって黒い影が通り過ぎたのには気付いたけど……」
 右手に刀をぶら下げたまま走っていく壬生屋。
 素子は小さくため息をつき、独り言の様に呟いた。
「で、今度は何よ?」
「いや、なに……加藤の髪の毛に絡まった木の枝を外してやってたんだがな。既に、馬鹿って言う奴が馬鹿……の幼稚なレベルの問題さ」
 小隊きっての美男子が髪の毛にかかったほこりを払いながらテーブルの下から這い出てくる姿は、台詞はともかくとしてやはり滑稽だった。
「……まあ、瀬戸口君に責任がないとも言えないわね」
「何故?」
「だって、あなた壬生屋さんの気持ちに気付いてるんでしょう?」
「……おいおい」
 瀬戸口は苦笑じみた笑みを浮かべて肩をすくめた。
 そしてごく自然な仕草で素子の隣の席に腰掛け、肩に手を回そうとして動きを止める。
「……笑えない冗談ね」
「刺し専門かと思ったら、斬る攻撃もできるんだな……」
 瀬戸口は床に落ちたネクタイの切れっ端をため息混じり拾い上げた。
「意見は分かれるけどね、ナイフは刺す武器じゃなくて斬る武器だもの…当然よ」
「……の割には、刺してばっかりだな」
 瀬戸口の紫色の瞳が深い色合いを帯びる。
「……」
 刹那の沈黙を経て、素子は何かを理解したかのように小さく頷いた。
「そう……あなたも、記憶があるのね」
「まあ、壬生屋の嬢ちゃんが言うとおり……人じゃないのさ、俺は」
 瀬戸口は一旦言葉を切り、顔をしかめながら自分の背中を手のひらでさすった。
「あの時は痛かった……」
「当然でしょ、痛みを与えるようにしてるんだから……」
「なるほど、それで刺すわけか……天使だな、あなたは」
「皮肉?」
「天使という言葉には二種類の意味があるってことさ……1つは、『穢れない存在』としての代名詞、そしてもう一つは……『天の意志を遂行する者』」
「……」
「天の命令さえあれば、何万もの兵の血でその手を染める……それもまた天使さ。そして、それは同義でもある」
 瀬戸口の瞳が、口調が、そこにはいない誰かに向かっていた。
 ショーウインドウの中の玩具を見る子供の目つきに似ていると素子は思った。期待しながらも、決して自分は手に入れられないというあきらめの入り混じった視線。
「……死ねば、苦しまないですむわよ」
 右手に持ったナイフを示してみせた素子を見て、瀬戸口はほんの少しだけ微笑み、小さく首を振った。
「愛の伝道師としての経験からすると……女はどうやったら好きな相手と一緒にいられるかばかりを考えるが、男は、相手の幸せばかりを独断で考える傾向が強い」
「……自分勝手な男だっているわよ」
「否定はしないね……」
 瀬戸口は伊達男らしい仕草で前髪をかき上げ、素子に背を向けた。
「恋愛ってのは……お互いに見つめ合う事じゃなくて、同じ未来を見つめる事だよ、きっと……」
「……」
「俺は彼女が夢見た未来をまだ見ていない……だから、俺は生きる」
 
 
                原さんファイナルマーチ第4話完
 
 
 ……んー、刺したい。
 いや、危ない意味じゃなくて。(笑)
 ダメだよ、刺さなきゃ原さんじゃないよ!などと、高任の頭の中で警告ブザーが鳴り響いているような気がするんですが、設定に縛られちゃってる自分が自覚できるという状態です。

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