闇に包まれた部屋の中で、男は1人椅子に座ってグラスを傾けていた。
ブランデーの芳香を楽しむように、グラスを手のひらで包み込むようにして軽く回転させていた手がぴたりと止まる。
部屋の空気の密度の微かな変化に気がついたのだ。
「・・・ミスター。」
「・・・まあ、お前が死んだなどとは信じていなかったが。」
「影が1人ね・・・私は無事です。」
「影・・・か。周到なことだ。」
闇の中だけに2人の表情はほとんど確認できないが、声からはどんな感情の揺れを確認することも出来ない。
「少し手違いがあって遅れましたが・・・例の品、ここにおいときます。」
「そうか、ご苦労だった。」
男は手に持ったグラスからアルコールの臭いをかいで顔をそむけた。
「所詮はまがい物か・・・靴下の香りの前にはどんなものもかすんでしまう。」
(注・そりゃそうだ。)
「既に聞いているかもかもしれませんが・・・」
「かまわん、話せ。」
「『あの女』は覚醒してます。」
バリーン!
男の左手がグラスを握りつぶす。
「なんだと・・・?」
「耳が遠くなられましたかミスター?あの女・・・原さんはとっくに目覚めていたと言うことです。」
「馬鹿な、速すぎる。・・・中村か?なら何故中村は生きている?」
「2周目ですからね・・・プレイヤーも成長すると言うことです。そして、あの女も中村が裏切らぬように先手先手を取っています。」
「がはははは・・・、無駄なことを!」
無駄なことと、笑い飛ばした男を見て、岩田はほんの少しだけ俯いた。
「確かに長い目で見れば無駄かもしれません・・・ですが、ミスター。あなたの命はそれまで持ちますかね?」
「今となってはそう惜しい命でもない。コレクションが全て集まるのを待つ・・・それだけだ」
「フフフ・・・それでこそミスターです。ですが、私はしばらく姿をくらますことにしますよ。無用の危険は避けたいのでね。」
岩田が去った部屋の中で、男は左手に刺さったガラスの破片を抜き取りながら呟く。
「岩田か・・・食えぬ男よ・・・。無論、中村の奴もな。」
「中村君、仕事が終わったのなら一緒に帰りましょ。」
素子はにっこりと笑って中村の左腕を取る。が、中村の怪訝そうな表情を見て首を傾げた。
「どうかしたの?」
「原さん・・・・血の臭いがするばい。」
「あら、士魂号の血の臭いでしょ。整備兵にはとっては香水みたいなものよ。」
中村はゆっくりと首を振った。
「いや、人の血ばい。おいの嗅覚に間違いはなか。」
一般に靴下好きの嗅覚は異様に鋭い。(嘘)
「どこか怪我でもしたのかしら?」
素子は自分の身体をきょろきょろと見回した。その仕草は愛らしい少女のような雰囲気に満ちあふれている。
「じゃあ、中村君が調べてくれる?」
そしてその少女のような表情が妖しく一変する。こうなると中村はもう何も言えない。
元々色恋沙汰の駆け引きで、中村が素子にかなうわけがないのだ。
素子は幸せそうに微笑みながらさっきのことを思い出していた。
・・・放課後の二組教室内。
黒板の裏側にぎっしりと詰め込まれた靴下を眺めて、滝川は満足そうに頷いていた。
「末端価格で12億かあ・・・まるで夢のような話だよなあ・・・。」
(注・思いっきり騙されてます。)
「遠坂と岩田がいなくなったから取り分が増えたんだよな。俺ってば一年後には大金持ちだよっ・・・」
ざしゅうっ!
「生きていたらね・・・」
自分の方にもたれ込むように倒れてきた滝川の小柄な身体を受け止めた。少女のように華奢な頭蓋骨を覆う髪の毛をそっと撫でてやる。
「おやすみなさい、良い夢が見られるといいわね。」
「・・・さん、原さん?」
「え、ああ、どうしたの中村君。」
中村の声が素子を現実に引き戻す。愛想笑いを浮かべながら中村の顔をのぞき込んだ。
「何か俺に聞くことはないのか?」
「・・・別にないけど?」
「そうか・・・。」
「変な中村君・・・・。」
原さんセカンドマーチ第6話・完
さあ、とうとう謎のミスターが(笑)登場です!
やっぱり、親玉はブランデーグラスを握りつぶすのが王道ですよね。このためだけに彼は存在したと言っても過言ではありません。(笑)
さあ、2人の恋の行方は?
作者は温かく見守っています。
熊本市立図書館に戻る
/
次の章へ→