「男の人ってね、知らず知らずのうちに女の人にいろんな役割を求めるものなのよ。」
 これからの二人の行く手を祝福するかのように、空には雲1つ無い。
 私と彼以外は誰もいない屋上に、暖かな陽光が降り注いでいた。私は二度とあの日のような思いを繰り返すつもりはない。
「・・それは母親だったり、妹だったり・・・時には娼婦だったりするわ・・。」
 ・・・娼婦という言葉を聞いて、彼の顔が首筋のあたりから真っ赤に染まった。そんな仕草がまた可愛い。
「・・・私なら、そのどれにでもなれるわ。あなたが望むならなんでもしてあげる・・・でもね1つだけ約束して欲しいの。」
 私は、自分の想いの強さを伝えようとして彼の手を取った。そして半ば無意識にその手を強く握る。
「・・・私を絶対に裏切らないで・・それだけは守ってね。」
 彼は承知した、と言う風に私の手を強く握り返してきた。
 ・・・それは約束。
 私と彼との間に交わされた、命よりも重い、契約という名の・・・。
 
「速水君!」
 彼が振り向くと同時に、私は彼の片腕を抱きしめた。身体を硬直させた彼の顔を下から挑発的にのぞき上げる。
「ははは、原さん・・・は、放してください!」
「いいじゃない。まわりには誰もいないし、もう仕事の時間は終わったんだから。」
「で、でも・・。」
「大丈夫よ。士魂号の調整なら、昨日私がやっておいたから・・。」
 と、彼の腕のあたりに頬ずりするようにして、他の女の匂いがしていないか素早くチェックする。
 別にその事を口にする必要はない。あまり嫉妬深さを表面に出すと疎まれてしまうかもしれないもの・・。
 かんかんかん・・。
 ハンガー二階への階段を登ってくる足音を耳にして、名残惜しいけれど私は彼の腕を解放して少し距離を置いた。
 階段付近から顔を見せたのは森。
「あ、原主任、こんなとこにいたんですか?ちょっと聞きたいことが・・・」
 ぎろりん!
「・・・あったんですけど、たった今納得がいきましたので失礼します・・。」
 かつかつかつ・・・。
 ・・・ふう、持つべきものは聞き分けの良い後輩よね。
 とは言うものの、少し雰囲気がしらけてしまったのも事実・・・ちっ。
「・・・もう今日は帰りましょうか。」
 
「士魂号大破!」
 オペレーターからの通信を耳にして私は体を震わせた。息をのんで次の通信を待つ時間が無限の長さにも感じられる。
「・・・っ、た、滝川百翼長戦死!」
 周囲の空気が一瞬にして凍り付く。戦闘中の緊張感とはまた違ったぴりぴりとした雰囲気の中で私は不謹慎にもほっと胸をなで下ろしていた。
 そしてその次の瞬間には、滝川百翼長が彼の一番の親友であったことを思いだしてそっと目を閉じる。
 ・・・彼は自分に近しい者が次々と死んでいくことに耐えられるだろうか?
 戦闘を終えて戻ってきた彼の顔からはあの柔らかな笑顔が消えていた。
 自分という存在が彼にとって唯一無二のかけがえのない存在であろうと、私はこの時に固く決意した。
 ・・・心配いらないわ・・・私は絶対にあなたより先に死んだりしないから・・・。
 この夜、私と彼は初めてお互いの時間を共有した。
 
 あの戦闘以来、初めて会った頃の柔らかな笑顔は影を潜め、いつもどこか寂しげな笑みを浮かべるようになった彼。
 ・・・私じゃだめなの?
 そのぎこちない笑顔を見るたびに私の心は締め付けられていたある日。
「お呼びですか、司令。」
「ああ、そこにかけてください・・・大した話ではありませんし、少々下世話なのも承知の上で話しておきたいことがあります。」
 決して人前では外すことのない眼鏡を外しながら、善行は私の顔をじっと見つめた。
 その右目には裏切り者の刻印がある。
 そしてそれを刻んだのは私。
「彼は熊本の・・・いや、今や九州を代表するエースパイロットです。くれぐれも軽はずみな行動はしないでください。」
「・・・あなたにとってその右目の傷というのは、私の軽はずみな行動の結果というわけなのね。相変わらずなのね・・自分勝手なところ。」
 善行は表情ひとつ変えずにゆっくりと背もたれに身体を預けた。
「もう終わったことでしょう・・」
「・・そうね、私にとってはあなたも幻獣も同じ・・いえ、同じ言葉を話しながら意志の疎通のできないあなたの方がよほど質が悪いわ。」
「なんと言われようとかまいませんよ。所詮部下に慕われる司令などというものは空想に過ぎませんし、この上人間的に嫌われたところでどうということもありません。」
「ふふっ・・・。」
 私が笑うのを聞いて、善行が初めて表情を動かした。
「・・・何がおかしいんですか?」
「私はあの頃の私とは違うし、彼もまたあの頃のあなたとも違うわ・・・何が起こるって言うの?」
「・・・さあね・・・でも、僕には君が変わったようには思えないんだがね・・・」
 
 戦闘を繰り返すたびに戦功をあげ、昇進と勲章を自分の中の何かを引き替えにするように、彼が少しずつ変わっていく。
 ・・・かまわないわ・・・人は変わっていくものだもの。
 あの日の気持ちだけが変わらないでいてくれればそれでいい・・・。
 そう思って自分の心を納得させ続けていたある日。
 小隊隊長室から書類を抱えて出てきた瞬間、プレハブ校舎の影に立つ彼を見て心が和むのを感じた。
 そこには絶えて久しいと思っていた彼の柔らかな笑顔があったから。
 理由はわからない。長らく膠着状態だった戦況が初めて人類側に傾いたせいかもしれないし、何か楽しい事があったのかもしれない。
 でも、彼の隣に肩を並べるようにして楽しげに話し込んでいる女の存在を認めた瞬間、私は手に持っていた書類を足下に落としたのも気がつかないぐらい動揺した。
 心の中が黒い思念に満たされていく。
『僕には君が変わったようには思えないんだがね・・・』
 先日の善行の言葉が頭をよぎる。
 そう、そして目の前の光景はあの時と同じ・・・・
「・・・どうして・・・また私を裏切るの?」
 私の右手は当たり前のようにナイフを持っていた。
「そうね・・・人は生きている限り変わっていくのね。でも、あなたはずっと変わらないあなたでいて欲しいから・・・だから・・。」
 私はゆっくりと一歩を踏みだした。
 それが弾みになったのか、次の一歩が驚くぐらいスムーズに出た。
 彼の背中がどんどんと大きくなってくる。
 私は右手に持ったナイフを腰のあたりに構えたまま彼の背中に飛び込んでいった。
 ・・・これで、あなたは私の元に帰ってくるのね。
「・・・・原・・さ・ん。」
 彼の身体が崩れ落ちるのと同時に、ナイフが身体から抜け、暖かな血が噴き出した。
 そのぬくもりは、彼が私の元に帰ってきたことを実感させてくれる。
 彼のぬくもりを全身で味わいたくなって、私は手にべっとりとへばりついた真っ赤な血を顔やお腹へとなすりつけ始めた。
 それに遅れるように、耳をつんざくような悲鳴があたりに響き渡った。
「・・・はら・・さ・ん・・」
 ・・・お帰りなさい・・・愛しい人。
 
                  序章完
 
 ・・・全然ギャグとちゃうやん!(笑)
 まあ、最初ぐらいはまともに書いておこうかなと思いまして・・・。とりあえずこの後から原さんの獅子奮迅の必殺仕事人でいってみますかね。
            

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