需要と供給。
 人類が自給自足経済を脱却してからのこの世界における数少ない真理。
 かちかちかち・・・ぴん!
 金庫内部から微かに響いてきた金属音を耳にして、俺は金庫の取っ手をゆっくりと引っ張る。
 どうやら良く油がさされているようで、扉は音もなく開いた。
 微かに漂うこの香り・・・どうやら俺の狙いに狂いは無かったようだ。
 きっちりとコルク栓のされた透明なガラス瓶・・・それを見て俺は軽く舌打ちした。
 衝撃吸収剤の詰まった袋の中にそれをしまい込みながら、俺は低く悪態をついた。
 金持ちの道楽者には正しい使い方も知らない奴が多すぎる。
 が、そんな思いも一瞬後には自嘲的な口元の笑みにとってかわる。
 ・・・金のために動く俺はそれ以下か・・・
 軽くうなだれかけた俺の首筋のあたりにちりちりとしたものを感じた瞬間、緊張で全身の神経がむき出しになる。
 いつの間にか室内の空気が重くなっていた。
 いかに気を抜いていようと俺が人の動きを見過ごすわけはない。少なくとも俺がここに侵入してからは人の出入りはないはず。
 ・・・だとすると。
 俺は闇に向かって低い声で問いかけた。
「・・・気配を消すのをやめたならでてきたらどうだ?」
 返事は期待していない。
 騒ぎ立てる気がないということは、おそらく俺の同族に違いない。だとすると一度散ってしまった集中力を呼び戻すための時間稼ぎが必要になる。
 が、意に反して暗闇の中から白い影が現れた。
「・・・やはり、お前か。」
「・・・その声はっ?」
 声の主は隠密性を完全に無視したような衣をまとい、ゆっくりと窓際へと移動する。
 柔らかな白い月明かりに照らされるその顔は・・・
「タイガアアッ!」
「やかましいっ!その名前で呼ぶな!」
 俺達は同時に口をふさいで慌ててあたりの様子を窺った。
 2分・3分・・・屋敷の中は静まりかえっている。
 俺達は目で合図をして、二人そろって屋敷から脱出した。
 
 熊本市街から少し離れると小高い丘がある。そこは一面の草に覆われており、いつも風の強いことで知られていた・・。
「タイ・・・圭吾、何故お前があそこに?」
 一本の枝毛もなさそうな長髪を風になびかせながら、奴はどこか寂しげな目をして遠くを見つめていた。
「・・・関の名匠の手によって作られた絹の靴下。それを厳選した纏足少女にはかせてから15年発酵させた幻の一品ともなれば今や『国際ハンター団』の中でも1・2を争うお前に依頼がいかないはずがない・・・。」
「・・・どこからその情報を?」
 俺の言葉に反応して、圭吾は初めて俺に視線をうつした。優しいけれどどこか悲しい表情で・・・。
「・・・そうか、裕は情報のエキスパートだったな・・・。」
 もしかすると意図的に情報をリークしたのも裕の仕業だったのかもしれない。
「・・・で、わざわざ俺を呼びだしたのは何のつもりだ?」
 圭吾が悲しそうに目を伏せた。
「戻ってくるつもりは・・・ないですよね?」
「・・・最初に抜けたのはお前だろう?・・・それに、俺だって今さら戻れるわけもあるまい。」
 今もありありと思い出すことができる。
 大量の白い靴下を床一面に敷き詰め、俺と圭吾、そして裕との三人でむせかえるような香りの中で誓った言葉を・・・。
「師匠の教えた『靴下の正しい使い方』を放棄したのは貴様じゃないか!そのお前が何故今頃になってそんなことを言う?・・・答えろ、タイガー。」
 財力に任せて靴下をあさる『卑しき収集家』へと堕落したブルジョワ。そのことを問いつめると何度も言い訳を繰り返す当時の圭吾の情けない姿が蘇り、血液が逆流する。
「・・・何を言っても貴方は納得してくれませんでしたね。」
「所詮『靴下園の誓い』など過去の逸話でしか無いと言うことだ。」
 俺がそう吐き捨てると同時に、二人の間に沈黙が訪れた。
「・・・ソックス協会の勢力は『愛好家』『収集家』そして『ハンター』の3つに別れています。」
 その沈黙を圭吾が破る・・・何を今さら。
「俺はハンター、貴様は収集家、裕は愛好家と言う訳か・・ふふ、かつては同じ靴下を求めた三人がそれぞれ別の道を歩むとは・・・因果なものだな。」
 そのことを師匠はどう感じているのか?
「・・・ですが、それぞれの最高幹部しか知らない闇の勢力があるのをご存じですか?」
「・・・聞いたことはある。」
 ソックス協会そのものは地下に潜ってからも熾烈な内部での勢力争いが続き、団体そのものの崩壊を恐れた人物達がそれらをコントロールするべく作りあげた超法規集団。
 ふと肌の粟立ちを感じて圭吾の顔を見た。相変わらず・・・いや、さっきよりもその悲しみが深まっているように見えるのは俺の単なる感傷か?
「・・・師匠は勢力均等のため僕たち三人を鍛えようとしていた・・・もともと僕たちは違う道を歩くべく運命づけられていたんです。」
「そ、そんな馬鹿な・・・」
「それを認めなければ全員消される運命だったんですよ・・・。」
 圭吾の左の瞳から静かに涙がこぼれていく。
 言葉を無くした俺にかまわず、圭吾は淡々と語り続けた。師匠に反発して裕が自らの力を封印したこと、そのせいで力のバランスはゆっくりと傾き始めたこと、そしてそのバランスを戻す道を自分が選んだということ・・・。
「・・・結果として上手くいったように見えましたが・・・お前は強くなりすぎた。しかも今や靴下の暗黒面に心を蝕まれつつある・・・。」
「・・・なるほど、圭吾が今夜俺の前に現れた訳がやっと分かった。・・・圭吾、お前は闇の組織の一員なんだな。」
「『収集家』に良いメンバーがそろいましてね・・・私はお払い箱というわけです。」
 そう圭吾が微笑んだ瞬間、風が止んだ。
 さっきまで微かに聞こえていた虫の声まで聞こえなくなる。
「・・・いつ始める?」
「・・・もう、始まっているつもりですが。」
 俺と圭吾との間の空気の密度が高くなる。 
 隙を探り合うためにお互いの気配がどんどんと希薄になり、やがて気配が消え去った瞬間両者の間を無防備に猫が横切っていくことで溜めていた気が一気に放出される。
 圭吾が上半身をひねりながら踏み込んできた。
「ちぃぃっ!」
 右回し蹴りを予想して左手を上げかけたが、軸足が真っ直ぐ俺の方に向いているのに気がついて左半身に身体を開いた。
 シュンッ!
 圭吾の前げりが俺の脇腹をかすめていく。
 俺は身体を開いた反動を使ってそのまま後ろ回し蹴りへと移行し、圭吾の側頭部を狙うが圭吾もまた回し蹴りに移行することでそれをかわす。
 俺は軸足を使って軽くステップし、圭吾の蹴りをかわすと同時に距離を取った。
「・・・互いの力量は同じぐらいですか?」
 圭吾はこちらを探るように問いかけてくる。
「・・・かもな。」
 面白い、これだけ熱くなれそうな戦いは本当に久しぶりだった。暗く澱んでいたような俺の中の何かが、全てこの戦いに向かって活動を始める。それに身を任せるのは何年ぶりになるか・・・。
「ならば・・・お互いの持つ靴下の優劣で勝負は決まるな。」
「・・・そういうことかもしれませんね。」
 奴のおしゃべりを封じるように、俺は胸元の袋をゆっくりと取り出した。
 それを目にした瞬間、圭吾の顔は初めて悲しみ以外の感情を宿した。
「・・・その靴下は・・・」
「・・・わかるか?」
 
 血の7月事件・・・ソックス協会が地下に潜ることになった事件、それは1985年におこった。
 一部の過激派グループが輸送機から大量の靴下をばらまいたというのがそのあらましであるが、そこに至るまでの経緯、内部抗争は敢えて割愛する。
 ただその大量の靴下の中には、当時の靴下専門家の間では世界で5足の中に入ると言われていた『至高の靴下』が密かに輸入されようとしていたのであった。
 あの事件はその靴下をめぐる争奪戦だったのか、それともソックス協会を快く思わない者達の陰謀だったのかを知る術は無い。
 問題はその『至高の靴下』が俺の手の中にあると言うことだった。
「本来このような形で優劣をつけるのは本意ではなかったよ。」
「・・ええ、僕もそう思います。」
 そう呟きながら圭吾が取り出した靴下は・・・
 それを見たとき、俺は最初自分の目を疑った。もちろん光線の具合でそう見えたのでもなかった。
 白くない!
 『靴下の色は白をもって最上とする!』
 靴下を扱うものの間では古今不滅の常識である。
「何だ?その靴下は・・・。」
「私はね・・・愛する人をこの手に得てやっと真実に一番近いところに立つことができたんですよ。」
 と、呟く圭吾の頬が微かに朱に染まった。
 ・・・男二人きりの状況でそれだけはやめてくれ。
「くっ、お前まさか『靴下よりも大事なものを見つけた』などと青臭いことを言い出すんでは無かろうな?」
「何を馬鹿なことを・・・この世で『靴下より重いものはない』に決まってるじゃないですか。」
「そ、そうか。」
 一点の曇りもない表情でそう言いきられて、多少緊張感がそがれてしまったが気を取り直す。
「ならば見せて貰おう・・・その真実とやらを。」
 靴下の匂いをかぐには大きく分けて2種類の方法がある。
 密封した容器に充満する臭いをかぐ間接法と、直接靴下の匂いをかぐ直接法である。
 俺は後者だ。
 甘美で、それでいて破壊的な香りが一瞬にして脳内物質の分泌を促し俺の身体のリミッターを解除していく。
 俺がすっかり準備を終えた頃には、圭吾もまた全てを終えていた。
 ぽつ。
 さっきまで晴れていたはずの空にはいつのまにか・・・本当にいつの間にか厚い雲が垂れ込め。遠くで雷のような鈍い音が響きだしていた。
「・・・天も震えているようだ。」
「・・・その考えはあまりにも傲慢に過ぎますよ。」
 ぽつぽつ・・・ざざあ・・・。
 暗闇の中で、時折稲光が俺達を白く照らしていた。
 ゆっくりと湿っていく靴下が快い感触を与えている。
 自分の持つ靴下が優れているという心のおごりはなく、ただ親友・・・いや、かつて親友であった男に対して全力で戦うこと以外の気持ちはない。
 動き出す気配を感じて俺は叫んだ。
「来い、タイガアッ!」
 稲妻と同時に圭吾が高く跳躍する。
 おそらく俺の知る限り最も華麗な技をもつ男、その真髄は空中戦にある。
 が、それにつき合ってやる義理も余裕も俺にはない。
 俺は大きくバックステップして圭吾の全身を視野に入れてから、体内のエネルギーを爆発的に燃焼させると同時にその力を右手に持った靴下にまとわせる。
 闇の中でさえなお黒く輝いているような黒のオーラが右手からゆらめくように立ち上り始める。
「咬竜脚!」
 圭吾の前蹴上げをかわした一瞬、逆足による二段げりと一旦やり過ごしたはずの足による踵落としという上下からの必殺のコンビネーションが俺の頭部を襲う。
「遅い!」
 左の鎖骨を犠牲にすることで、圭吾の動きを一瞬だけ止めることに成功したときには、黒い波動を残しながら俺の右手が弧を描きつつあった。
「くらえっ!ソックス臭撃波あっ!」
 本来人を幸せにするはずの靴下の香りに闇の波動を付加することによって、人間の精神組織を根本から破壊する技である。技と言うよりは限りなく呪術に近い。
 稲光の白い光線を切り裂くように俺の右腕が一閃する。
「さらばだっ!」
 キン!
 金属的な音とともに、黒いオーラが圭吾の目の前の何かに阻まれて四散する。
 信じられない思いで自らの右手に視線を向ける。そして圭吾の手に握られた靴下を見た瞬間、俺の疑問は氷解した。
 それは元は白い靴下であったに違いない物体。
 おそらくは、圭吾のためだけに雨の日も風の日も毎日はかれ続けた究極の愛情表現。
「ふ、そうか・・・・お前は最高のパートナーを手に入れたのか・・。」
「・・・ええ。」
 俺はゆっくりと圭吾から離れて笑った。
「おめでとう・・・そして、さようならだ。」
 四散した黒いオーラが俺のまわりに集まってくる。
「さようなら、とは?」
 聞き返す圭吾に向かって、俺は自分の持つ靴下を投げた。
「お前に託す・・・」
「どういうことです?」
「来るなっ!」
 周囲が強烈な光の柱に包まれた。
 そして、圭吾が視力を取り戻したときにはそこに人の姿はなかった。
 
「・・・奴は死んだのですか?」
「現場に残された血液反応や、その他から考えて間違いないでしょう。」
 目にもとまらぬスピードでコンソールパネルを操作しながら岩田がそう答えた。
「じゃあ、おわったんね?」
 何とも気だるそうな中村の声は、仲間はずれにされた微かな疎外感への不満が現れていたが、表だってそれを語ろうとはしていない。
 岩田が自分の手を休めて圭吾の方を振り返って尋ねた。
「で、どうするんですかそれ?」
 と、テーブルの上に無造作に置かれた靴下を指さした。
「一財産やねえ・・・。」
 圭吾は黙って首を横に振り、こう呟いた。
「あのぐらいの靴下ともなれば持ち主を選ぶ。多分、誰にも使いこなせない代物です。」
「・・・わかった。じゃあ、協会預かりの靴下として申請しておきますよ。本当は彼と一緒に葬ってやるのが筋なんでしょうけど。」
「たとえ親友でも、靴下は人の命より重い・・・。」
 闇狩人登坂圭吾。
 彼の戦いは続く・・・というか始まったばかりである。
 
 
 
 
 ・・・・・・・・・・何書いてんだ俺?(笑)
 多分誰も読まないだろうけど、物好きがいるかもしれんので一応あとがきも書いておきます。
 本当はタイガーとかブラックとかファルコンとかコードネームをびしばし使うアクションにしたかったんですが、コードネームがわからなかったんでやめたらいつの間にかこびとさんが悪戯してた。(笑)
 なんか裏マーケットの主人がブラックとかは聞いたんだけど・・・?
 公式ホームページとか聞いてみると滝川も実は仲間だとか・・・しかし、ソックスハンターとして女性はいないんですかね?個人的に芳野先生あたりを登場させてみたかったんですが・・・酔っぱらうとソックスハンターに変身するとか。(笑)

前のページに戻る