絹を引き裂くような悲鳴がプレハブ校舎に響き渡る。
それに遅れて凄い勢いで走りだしたような足音と、それを呼び止めようとする声が続く。
「ちょっと、そこでまともに反応してどうするんですか!ああっ、待ってくださいよおおぉぉぉ・・・」
一体何事が起こったのかと騒然とする教室内で、ただ1人坂上弘臣は哀しげな瞳をサングラスに隠したまま呟いた。
「さあ、みなさん!授業を始めますよ。」
そして1時間後。
「フフフ・・・やりますね、まさか1時間もの間逃げ回るとは・・・」
岩田はぜいぜいと荒い息をつきながら、力つきて自分の目の前に倒れた少女に話しかけてみる。
完全に気を失ってしまっているのか、反応はない。
岩田はしばらくの間その少女の横顔をじっと見つめ、やがてごろんと横になって空を見上げた。
春だというのに、熊本の空は抜けるように青い。
「フフフ・・・青い空ですか・・・美しく・・・残酷な色です。」
岩田はゆっくりと立ち上がり、気を失ったまま倒れている少女が風邪など引かぬようにそっと自分の白衣をかぶせてやった。
そうして岩田が少女に向ける表情は、いつものふざけたものではない。純情な青年が長い間憧れ続けた恋人に向かって優しく語りかけるようなそれである。
「・・・あなたには特に幸せになって欲しいんです。」
そう呟いて、岩田は少女の隣に腰を下ろしてそっと目を閉じた。
この少女とこうして出会うのはもう何十回目になるだろうか?
そのうちこうして校舎の屋上で倒れたのは何度目だったか?
そして・・・この少女はどうすれば心の底から笑ってくれるのか?
岩田の経験した数十回にも及ぶループの中で、この少女の笑顔を見たことはない・・・いや、一度だけある。だがそれは、悲しい笑顔だった・・・。
「岩田君。」
「・・・フフフ、今いきますよ、そろそろ彼女も目覚めるのでね。」
音もなく岩田の背後に来ていた坂上に向かって返事し、岩田はゆっくりと立ち上がった。そして少女にかぶせていた自分の白衣を再び身にまとう。
「・・・静かに歩いてください、彼女が目を覚ましますからね。」
「・・・ええ。」
坂上は、岩田の言葉に小さく頷く。
そして二人はそっと屋上から姿を消した。
「君は日本茶の方が良かったんですよね?」
「あなたと私の間には電波オンリーですねえ・・・」
腰をくねらせながら応える岩田から、坂上は視線を逸らした。そんな坂上に向かって岩田は小さく微笑んだ。
「フフフ・・・そんな顔をしないでください。」
「いえ、君を見ていると痛ましくてね・・・年でしょうか?」
坂上は知っている・・・いや、坂上だけが岩田裕という人物の素顔を知っていた。
こうして道化を演じる前の彼は、静かな・・・そう、小さな微笑みの似合う気のいい人物だった。
「その話はやめましょう・・・それよりも、今回・・・我々を閉じられた円環から救い出そうとしてくれるのは誰です?」
どこか人を小馬鹿にしたような岩田の口調に、坂上は引っかかるものを感じたが、それを敢えて無視するように口を開いた。
「どうやら滝川君の様です・・・システムが何らかの反応を示したのは彼だけですから。」
岩田はふざけるように、短く口笛を吹いた。
「それは何よりですねえ。あなたも心配事が1つ減って嬉しいでしょう。」
「どういう意味です?」
「言わせるつもりですか?」
「・・・忘れましたよ、昔のことは。」
そう呟いて、坂上は指でサングラスの位置を調節した。そして仕返しとばかりに短く、痛烈な一言を切り返す。
「君と違って、私は『芝村』ではありませんから・・・」
岩田は意外なことを言うとばかりに、普段の道化ではない本当の笑い声をあげた。
「結構・・・芝村であることが、僕にとって最高の誇りです。」
何度ループが繰り返され、何事もなかったように世界が初期化されようと、芝村たる自分が決して忘れない。
何よりも、彼らの慟哭を、友情を、そして未来に対する渇望を忘れてしまうことを絶対に自分は許さない。
全てが消去され、無かったことにされても、彼らが自分の友人であり、仲間であり、そして愛しい存在であったことには変わりない。
だから自分は決して彼らのことを、彼らと共に歩んだ世界を忘れない。
そう、歴史の語り部たる芝村の血にかけて・・・
黙り込んでしまった岩田を見て、坂上は言い過ぎたと思ったのか、取りなすように口を開いた。
「・・・我々がいがみ合うのは馬鹿馬鹿しいですね。何よりも竜が我々の敵ですから。」
拳を固めながら呟く坂上の姿を、岩田は細い目をさらに細めながら見つめた。
・・・あなたは何も知らない。
岩田の視線に憐憫の感情が見え隠れする。
・・・世界をループさせるのは竜ではありません。
「HEROです・・・」
岩田の唇から、己が渇望しなおかつ最も憎むべき存在の名前が呟かれた。
3月4日。
それは新しい世界の始まりであると共に、古い世界の終わりでもある。
白衣を翻しながら岩田は踊るように歩いていく。
もちろん、彼の行く手を阻む者はいない・・・いや、いた。
曲がり角で岩田とぶつかったポニーテールの少女は、勝ち気そうなきつい目つきで岩田を冷ややかに見つめている。
「フフフ・・・ククク・・・ヒャアハハハ・・・そうです!私が真のラスボスです!さあ、カモンカモン!」
「・・・舞だ。芝村をやっている。」
・・・違いますよ。
思わずそう言いかけて、岩田は笑った。
「フフフ・・・岩田裕です、ワタマン、いや、イワッチと呼んでくれて結構。ああっ、イワッチイワッチ素敵な名前えぇー。」
「そうか。」
相変わらず箸にも棒にもかからない少女の態度に、岩田は大げさに肩をすくめた。
「あなた、常識人すぎます。私の嫌いなタイプですねえ。」
「そうか?我は常識が足りないと、さっきも忠告されたばかりだが・・・」
「ああ、もういいです・・・ではごきげんよう!」
岩田は舞に背を向けて腰を左右に揺らしながら歩いていく。
少女の言う芝村と、岩田が誇りに思う芝村は根本的に違う。あくまで岩田の誇る芝村は、歴史の語り部としての芝村であったのだから。
「ククク・・・お邪魔します。」
スキップするように整備員詰め所に現れた岩田を見て、萌は表情を強ばらせた。さっきの出会いからすれば無理もない話である。
「出てって・・・」
萌の呟きを敢えて無視して、岩田は踊るように端末機に向かいプログラムを始めた。
「さっきはどたばたして自己紹介も出来ませんでしたからねえ・・・私の名前は岩田裕。イワッチと呼んでくれて結構!」
「・・・嫌。」
「ああん、つれない人ですねえ。」
「・・・仕事の邪魔だから出てって。」
岩田はプログラムの手を止め、ゆっくりと立ち上がると、いきなり萌の方へと走り出した。それを見た萌の表情が恐怖で強ばる。
だが、岩田は萌の隣をすり抜けて、窓から外へと躍り出た。そしてサンドバックに頭をぶつけてその場で転げ回る。
「ああっ、不覚です!こんな所にこんなものがあるなんて!」
そんな岩田を、萌は呆れたような表情で見つめていた。
・・・それでいい、怒った顔だろうが、呆れた顔だろうが、あなたの何かにおびえるような哀しい顔よりは、よほどいい。
岩田はなおも転げ回りながら、口元に満足そうな微笑みを浮かべた。
・・・愛しい少女、私はあなたのためだけに道化を続けます。あなたを笑わせることは出来ないかも知れませんが、それでも私は道化であり続けましょう。
悲しいとき、つらいとき、苦しいとき、私は常にあなたの側で道化を演じ続けます。だから、そんな顔をしないでください。
「はっ、ここは誰、私はどこ?」
岩田は弾かれたようにまわりを見渡して、初めて目の前に立つ少年に気づいたように怪訝な視線を向けた。
「・・・私達は一体何を話していたんでしょう?」
どこか困ったような滝川の表情を見て、岩田は気づかれないぐらいに小さく笑った。
・・・異世界からのハッカー、アリアン。そんな人物は存在しない。全ては岩田の創作である。
「新作のギャグについてだよ・・・」
「そうでしたかあっ!」
いつもとは違う滝川の心配りを温かく感じ、岩田はその場で大きくスピンした。
「そう言えば、滝川君。あなた最近原さんと仲が良いみたいですね?」
滝川の顔が赤くなる。
「フフフ・・・野暮なことは言いたくありませんが、気を付けた方がいいですよ。」
「・・・どういう意味だよ?」
「いえ・・・ただの電波指令です。」
「・・・そう?」
・・・浮気は厳禁ですよ。
過去何人の異世界のプレイヤーが原さんの凶刃の前に膝を屈したであろうか?と、考えて岩田は自嘲的に笑いたい気分になる。もちろん、表情には出さないが。
もちろん、この部隊の誰が死んでも世界は初期化される。
それがHEROたる存在の望みであるから。
「じゃあ、俺はいくからな。」
「フフフ・・・、あなたと私は一心同体ィっ!いつでも電波通信を受信する準備は出来ていますよ!」
滝川は世にも情けない表情をして、岩田から足早に歩き去っていった。
誰もいなくなった女子校の廊下で岩田は呟く。
「・・・やはり、私のギャグセンスには根本的な問題があるんですかね?」
そうしてポケットから手帳を取りだし、昨夜寝ないで考えた新作のギャグに×印をつけてため息をついた。
そして気を取り直すように首をぶるぶると振ってから、踊るように歩き出す。今回も無駄に終わるかも知れないが、危ないことに首を突っ込む少女に警告だけでも与えるためにハンガーに向かう。
坂上が悲しみを感じないように・・・彼もまた岩田の仲間であることには変わりないのだから。
「フフフお嬢さん・・・あなたが首を突っ込んでいるのは断頭台の穴ですよ。」
「・・・意味が分からないけど?第一今は仕事中だから話しかけないでください。」
恋する少年との話題を作るために命をかける少女、森。
岩田は自分の優しい視線を隠すかのように、一際激しく踊り出した。
そう、私は道化、ピエロ・・・嫌われてもいい、馬鹿にされてもいい、ただ、この世界の未来に祝福を・・・そして失われた世界にもどうか祝福を・・・
「朝早くから来てもらってすいません。シフトの変更についてなんですが・・・」
完璧なポーカーフェイスで眼鏡を光らせる善行指令。
・・・どうやら嫌われすぎましたかね。
「これから岩田君にはスカウトとして働いてもらうことになる。」
「・・・・・・」
「ああ、もう教室に戻っても構いませんよ。」
岩田はいつも通りに腰をくねらせながら隊長室を後にした。
プレハブ校舎前でばったりと出会った萌は、岩田を見るとすっと目を逸らした。どこか挑むような表情が、岩田をほっとさせる。
・・・あなたが心の底から嫌っている人間は、見事に死んで見せますよ。
世界は再び初期化されるだろう。
誰からも嫌われている自分が死んでも悲しむ人はいない。
・・・それが免罪符になるとは思いませんけどね。
「フフフ・・・貰ってくれませんか?」
近くを通りかかった田辺を呼び止める。
いつもおどおどとして失敗を極端に恐れる少女は、困ったように岩田の顔を見上げた。
「え・・・あの・・・でも・・・」
「私にはもう必要無いものですから・・・」
半ば強引に、田辺の手に工具箱を押し込んで岩田は歩き始めた。
目の前に音もなく坂上が現れて呼び止める。
「岩田君。」
「フフフ・・・何かご用ですか?」
「・・・死なないでくださいよ。」
「既に熊本撤退が決定し、今日は5月8日。頼みの滝川の戦果は196機撃墜。・・・後は早いか遅いかだけの違いです。」
そう呟いて岩田は空を見上げた。
厚い雲に覆われて、あたりはまるで夕闇の様相を呈している。
岩田は芝居がかった動作で、大きく両手を広げた。
「やはり、青い空が好きですね私は・・・洗濯物が良く乾きますから。」
猫のブータと共に、校舎の屋上で洗濯物を干す少女。
こんどこそ少女の笑顔を想像してみたかった。だが、見たことのない表情は思い浮かべることすら困難で・・・そしてその想像を中断させるように非常招集のサイレンが鳴り響いた。
痛みは一瞬だった。
壬生屋の乗る士魂号をかばうようにしてミノすけの近距離攻撃をまともに受けてしまった。
・・・あなたが死ねば、あの人が悲しみます。
戦場ではろくに独り言をいうことさえ出来ない。自分の言葉は誰かに聞かれてしまうおそれがあるからだ。
どこか気怠いような感覚の中で、岩田は気力を振り絞って声を出す。
「フフフ・・・、チル・アウト・オア・ダーイというところですか・・・」
そうして、岩田は通信機を叩きつぶした。
後は死神か天使がやってくるのをただ待つ。
「・・・嫌った人間が死ねば・・・あなたは喜んでくれますか?」
遠ざかっていく意識の中で、戦闘の音が小さくなっていく。
岩田は、自分の頭がそっと抱きしめられたのを感じて目を開けた。
「フフフ・・・天使でしたか・・・」
「・・・して?」
泣いている。
自分の愛した少女が泣いている。
「どうして・・・?」
「あなたと・・・私の間には、電波障害があるようです。・・・意味が分かりません。」
「わから・・・ない。でも、あなたをみてると悲しくなるの・・・」
暗赤色のリボン・・・この少女には似合わないと岩田は思う。
・・・そうだ、今度リボンを贈ろう。明るい、萌葱色のリボン・・・きっと似合うに違いない・・・。
岩田はウォードレスの白い血液に赤い血を混ぜながらゆっくりと立ち上がろうとする。
「ダメっ!」
「ククク、このぐらいで私が死ぬとでも?私はお笑いでこの世界を救う男ですよ?」
まだ、やり残したことがある。それまでは死ねない。
少女の腕を振り払うように・・・もちろん、傷つけないように細心の注意を払って立ち上がる。
ぼたぼたとピンク色の血液が地面に池を作る。
「助からないなら必要以上に苦しめるなと言われませんでしたか?」
萌はふるふると首を振る。
「私が・・・あなたをスカウトなんかに陳情したから・・・」
「感謝していますよ・・・そのせいで一世一代のギャグを思いつきましたから・・・」
「?」
岩田は優雅な動きで足を一歩引き、左手を自分の胸に、右腕を萌に差し出しながら頭を下げる。
「実はですねえ・・・」
血液をこれだけ失ったというのに、心臓が早鐘をうつように踊り始めた。目の前が暗くなる。
「私はあなたを愛してるんです・・・」
あまりに場違いな言葉を耳にして、萌はこの場の状況を全て忘れた。
岩田は見た。
薄れゆく視界の中で確かに見た。
流れる涙が余分だったが・・・確かに見えた。
もう目の前は真っ暗だが、いまなら見える。
愛しい少女の笑う姿が・・・
ありがとう、私はあなたのことをずっと忘れませんよ・・・
芝村の血にかけて・・・
ああっ、イワッチったらイワッチなんだから。(意味不明)
もう、敢えて書くのが馬鹿馬鹿しくなってきましたが、設定はぶっちぎり・・・なのかな?(笑)
個人的にアリアンなんて存在しないと私は思ってます。と、すると岩田のそれっぽい行動は全部嘘。(笑)だったら、ループを知っている・・・つまり昔からの純粋な芝村という連想しかできませんでしたよ、私は。
世界のループは、やっぱり竜だと納得いきませんし。
さて、今度はこの二人を幸せにしてみましょうかね。それが私にとって世界の選択ですから。
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