ジャー・・・
水場で背中を丸めながら俯いている少女。その瞳は足下のバケツに向けられているようだったが、おそらく何も映してはいないのだろう。一向に水がたまらないバケツの異常に気がついていないようであった。
隆之は悲しげな視線を一瞬だけ向け、静かに少女の背後に近寄った。
「今日は暑いな・・・」
ぱしゃっ。
「えっ?・・・あ、何すんねん急に!」
頭から水をかけられてやっと正気に戻ったのか、祭は眉をつり上げて背後の隆之をにらみ付けた。
だが隆之は軽く微笑んでそれをいなし、優雅な仕草でハンカチを祭に差し出した。
「すまないな・・・ほら、これで顔を拭いてくれ。せっかくの美人が台無しだ。」
「・・・あんた、いつから見とったん?」
「ん、何のことだい?俺はただお前さんに間違って水をかけてしまっただけさ。」
「・・・ふん、あんたがそういうならそういうことにしとこか。」
祭はややトーンダウンした口調でそう答え、隆之から視線を逸らした。借りたハンカチで自分の頬の辺りを丁寧に拭うと、にやっと笑って隆之の方を向く。
「ハンカチ返すで・・・持っていくとこ持っていけば高値がつくかもしれんな。」
「ははっ、こういうときは洗って返すものだぜ。」
「元はと言えばあんたの不注意やないか。・・・まあ、礼は言うとくけどな。」
祭はほんの少しだけ頬を染め、またもや隆之から視線を逸らす。ひょっとすると、自分の目が少し赤いのではないかと考えているからかもしれなかった。
「ところで、おまえさんは知ってるか?」
「何や?」
「穴の開いたバケツに、いくら水を注いでも無駄だって事をさ・・・。」
祭は慌てて自分の足下のバケツに視線を向ける。そしてため息。
「・・・うちのしてる事は、全部無駄やいうんか?」
続けて何かを言おうとした祭を、隆之はさりげなく遮る。
「お前さんのやってることは間違っちゃいない・・・ただ、やり方を間違えているだけだと思うぜ。」
祭は自分の心の中を覗かれたのではないかと驚き、じっと隆之の顔を見つめる。しかし、隆之は黙って空を見上げていた。
4月の末ともなれば、南国熊本の陽光は初夏の兆しが見え始めている。
「・・・あんたルックスやのうて、基本的に優しいんやなあ・・・。多分、ののみみたいな子供が一番それがわかるんやな。」
「お前さんは、まず穴をふさぐことから考えなきゃいけない。それをしない限り、お前さんの愛は全部こぼれちまう。」
幾分真面目な顔つきの隆之に向かって、祭は口元だけを歪めて微笑んだ。
「うちは・・・うちは、アホやからその方法がわからへん。穴が開いてても、少しずつ傷口を覆うようにこびりついていけば・・・いつかはその穴が埋まるかな・・・なんてな、本気にした?」
祭は自分が余計なことを話しすぎていることに気がついたのか、ぎこちない笑みを浮かべると、慌てて自分の発言を冗談めかしてその場を取り繕おうとする。だが隆之の瞳には、そんな仕草をする祭の姿がより一層痛々しく映る。
「何やその顔・・・まさか本気にしてんのとちゃうやろな?うちは、あんたが意味深なことを言うからからかって・・・」
「お前さんは・・・多分、自分に対しての愛が足りないな。」
祭は急に横を向き、隆之に右手を差し出した。
「さっきのハンカチ貸して・・・洗って明日返すから・・・。」
隆之は小刻みに震えている祭の指先を黙って見つめ、そっと濡れたままのハンカチを手渡した。
「・・・あんた、覚えといた方がいいで。何かを我慢している人間は・・・優しくされるのが一番つらいんや。」
そう言い捨てて祭は走り去った。その後ろ姿を見つめたまま、隆之は独り言を呟く。
「・・・それがわかってても、優しくする以外の方法がない・・・か。地獄だな。」
風は隆之の前髪を揺らすだけで何も応えない・・・。
「隆ちゃん・・・それは何ですか?」
「何なのか当ててごらん・・・。」
隆之は、ののみにテーブルの上の物体を指し示した。
一定間隔に並べられた金属棒と、それらをつなぐ数本の糸。ののみは首を傾げながら隆之の顔を見た。
「触ってみてもいいですか?」
「ああ、かまわないよ。」
ののみは張りつめた糸をそっと指ではじいてみた。びん、と乾いた音がする。
「・・・楽器ですか?」
「ちょっと違うな・・・よく見てな。」
隆之はののみのはじいた糸の振動を止めてから、一番真ん中の糸を強くはじいた。するとその糸の振動に合わせて他の糸もぶるぶると振動し始める。
ののみは大きく目を見開いて隆之の顔を見つめた。
「・・・魔法ですか?」
子供らしい疑問に、隆之は優しく微笑んだ。
「魔法か・・・ああ、間違ってはいない。」
ののみの頭を撫でてやりながら、隆之は独り言のように尋ねてみる。
「東原は・・・自分の近くに悲しい気分の人間がいたらどう思う?」
「ん・・とね、ののみも悲しいの。」
ののみはそこで言葉を一旦言葉を切った。そして何かを思い出すように瞳を閉じてぽつぽつと語り出す。
「ののみは泣いたらめーなの・・・せーしんかんのーりょくが強いからみんなを悲しくさせてしまうってお父さんが言ってたの・・・だからののみはね、泣かないの。」
隆之はゆっくりとののみの頭を撫で続けてやる。すると、ののみはそっとその手をつかんでふるふると首を振った。
「隆ちゃんは・・・何がそんなに悲しいんですか?」
「・・・切れた糸を元通りにする方法がわからないのさ。・・・ちょっと難しいか?」
隆之がもう一度大きく糸をはじくと、その糸は張力の限界を超えてしまったのか、ぶつんと音を立てて切れた。
するとそれまで振動してした糸達が途端に不協和音を生じ始めた。耳障りな音がしばらく静かな教室に響いていたが、あっけないぐらいにその音は消えていく。
「そして糸が切れてしまった心はもう二度と震えない。」
「それは心の糸・・・なんですか?」
「さあな・・・。」
遠い目を見せた隆之の顔に向かってののみの右手が伸ばされた。が、少し届かない。
「隆ちゃん、ちょっとしゃがんでください。」
怪訝に思いながらゆっくりしゃがんだ隆之の頬を、ののみの指がむにーと引っ張る。
「と、東原?」
「泣いてたら、めーなの。みんなの涙はやがて雲になってお日様をさえぎっちゃうの。だから泣いたらめーなの・・・みらいは笑ってるところにあるから、隆ちゃんは泣いたらめーなのよ・・・。」
ののみの責めるような口調に視線。隆之は頬を引っ張られた間抜けな顔のまま、ののみの頭をくしゃくしゃとかき回してやる。
「ああ、そうだな・・・。」
「よお、お前さんは相変わらず戦闘一筋か?」
ハンガー二階で整備していた速水に向かって隆之は気軽に声をかけた。そんな隆之に対して速水は苦笑いを返す。
「・・・いろいろ考えたんだけどね。」
そう呟いて、速水は士魂号の機体を見上げた。その横顔には感傷らしきものがこびりついている。
「これしかなかったよ、僕には。」
「いろいろ考えて、その上でそれを選んだなら充分意味のあることさ。そうは思わないか?」
そう呟きながら隆之もまた速水と同じように士魂号を見上げる。低いモーター音が反響する耳障りな音に混じって、速水の呟きが隆之の耳に流れ込んできた。
「君は凄いよね。」
「何がだ?」
「・・・そういうところがさ。」
「おいおい、俺にもわかるように説明してくれよ。」
速水は少女のようにくすっと笑って隆之の方に振り向いた。
「本来ね、誰かに何かを期待するということはとても苦しいことだよ。それから逃げようとすれば全てを自分の手でやるしかない。」
・・・だから戦闘を選んだのか?そう言いかけて、隆之はゆっくりと速水の顔を見た。先ほどまでとはうって変わり、強い意志に塗り固められた顔がそこにはあった。
「お前さん、いい意味での芝村だな。・・・しかし、何故そんなことを俺に話すんだ?」
「さあね・・・。」
速水は一瞬だけ床の上に視線を落とし、そして呟いた。
「多分、君にだけは話しておきたかったんだと思うよ・・・。人間としての心を思い出せる今のうちにね。」
「わけがわからんな・・・。」
隆之がそう呟いて肩をすくめると、速水が何気ない口調で語りだした。
「瀬戸口、僕は世界を救うよ。」
聞きようによっては不遜な台詞である。だが隆之はその台詞に対して当たり前のように頷いた。
「お前のことはずっと忘れない・・・たとえ世界の全てがお前という存在を忘れたとしても、俺が生きている限りずっと忘れない。」
「そうしてくれたら・・・僕も少しは救われるかな?」
速水の言葉は、まるで己の死期を悟った老人のような穏やかさに満ちていた。全ての感情をどこかに忘れてきたような悲しい・・・いや、何もない空っぽな響き。
隆之はその響きに耐えかね、我慢していた感情を爆発させた。
「・・・誰かを犠牲にした救済なんかくそったれだ。」
「僕はね・・・誰にも死んで欲しくないんだ。この小隊のみんなのことが好きなんだ。・・・だったら、僕が死ぬしかないじゃないか?」
それで世界が救われるならば。
「・・・お前さんはもう決めちまってるんだな。」
沈黙の中、速水はじっと隆之の横顔を見つめていた。隆之はその視線に気がついていたが、敢えて気づかない振りをする。
もし速水の方を向くと、多分残酷なお願いをされることがわかっていた。
「瀬戸口。」
「黙れ。」
隆之は肩を怒らせながら速水に背を向けた。だが、速水はかまわず隆之の背に話しかけてくる。
「もし舞が・・・芝村が僕を殺すのをためらったりしたら・・・」
「黙れっつってんだよ!」
「・・・そのときは、頼むよ。」
空気が凍り付く。
その凍り付いた空気を、封じ込めきれなかった怒りが溶かしていく。
「・・・残酷だな、お前さんは。」
「もう、僕はほとんど人間じゃないらしいからね。絢爛舞踏が本当に人間との境界線であるとしたらだけど。」
そう言う速水の語尾が微かに震えているように隆之には思われた。いや、そう思いこみたかったのかもしれない。
「この小隊には自分のことを愛することの出来ないくそったれが数人いるが、その中でもお前さんは一番のくそったれだよ!」
「そうさ・・・」
速水は涼しげに頷き、隆之に対してとどめを刺すように口を開いた。
「だから僕は竜になるんだよ・・・。」
速水はハンガーの屋根に視線を向け、そこには無い何かに向けて語り始める。
「竜とヒーローは根本的に同じなんだ。つまるところどちらも世界の平和と安定を願っている。・・・ただ、時間の流れに対して向きが違うだけなんだ。」
それを黙って聞く隆之を見て、速水は優しい・・・人にしては優しすぎる微笑みを浮かべた。
「ごめん、つまらない話を聞かせてしまったね。」
「えらく沈んだ顔をしているじゃないか?」
狩谷の口調はどこか人をあざけるような含みがあった。先ほどの速水とのやりとりで大分興奮していたせいか、隆之も皮肉っぽく切り返した。
「お前さんは随分と楽しそうだな。」
「この有様が楽しそうに見えるのかい?」
狩谷は大げさに肩をすくめて笑って見せた。自分の境遇を恨み、他人の境遇を妬んでいるような少年の態度は速水と違って醜悪な存在としか隆之には思えない。
だが、速水はこの小隊で自分の命を最も軽視した。
「・・・狩谷、お前さんは自分のことが好きか?」
ふと、狩谷の表情が悲しくゆがんだものになる。
「以前の自分はね・・・だが、・・・君にはわからないさ。」
「そうか。・・・お前さんは自分のことを好きじゃないかもしれないが、お前さんのことを自分のことよりも大事に思っている人間が少なくとも二人いる。それだけは覚えておいてくれ。」
狩谷は瞬間訳が分からないと言った表情を見せていた。が、隆之から視線を逸らして呟く。
「同情だろ?」
「勘違いするな、自分のことは自分が一番わかってるものさ。お前さんが他人の気持ちを同情と感じるのは、お前さんが自分のことを同情しているからだよ。」
隆之の痛烈な言葉に、狩谷の表情が一瞬にしてこわばる。
「お前に何がっ・・・」
隆之は言葉を制するように指先を狩谷に突きつけた。
「わからんよ。・・・だから俺はお前に同情なんかしない。いや、本当の意味での同情なんてのは誰にもできないのさ。」
「・・・っ!」
俯いてしまった狩谷を無視するようにして隆之は空を見上げた。雲一つない満天の星空が、隆之の瞳にやけに悲しく見えた。
「・・・お前さんは幸せなんだぜ。ほとんどの人間が自分のことを一番大事にする世の中で、お前さんには例外が二人もいる。」
「幸せ?」
「そうさ、そこまで愛される人間は多分幸せだと思うぜ。・・・それと女の子を余り泣かせるもんじゃない。」
じゃあな、と右手を振って背を向けた隆之に狩谷の声がかけられる。
「待ってくれ、・・・誰なんだ後1人は?」
隆之は穏やかな視線を狩谷に向けた。
「わかってる方の1人を大事にしてやるんだな・・・。彼女はきっとお前さんと共に歩いていける人間だ。」
きゅい。
隆之は眉毛の間を指先で押されて顔を上げた。
「随分難しい顔をしてるのね?」
「原女史の方からお声がかかるとは珍しいな。」
素子は隆之の許可も取らずに、さっさと隣に腰を下ろした。
「狩谷君に何を言ったかは知らないけど・・・瀬戸口君はそんなに速水君を竜にしたいわけ?」
「・・・そうさ。」
「何でよ・・・?」
瀬戸口は素子の顔に視線を向けた。涙こそ流していないものの、気丈な素子が肩を震わせて泣いている。
「何で速水君が竜にならなきゃいけないのよ?なんで、なんで速水君が・・・」
「声が大きいぜ。・・・俺も他人のことは言えないがね。」
隆之はかろうじて穏やかといえる口調で応じ、素子は口元を手で押さえて黙り込む。
沈黙の一秒一秒が二人の心を削り取っていく・・・。やがて、最初に沈黙を破ったのは素子だった。
「・・・瀬戸口君は、殺せるの?」
「俺なら殺せるよ・・・多分な。」
「そう・・・もし死にたくなったら私の所に来なさい。私があなたを殺してあげる。」
「・・・まるで、人を殺したことのあるような口振りだな。」
素子は唇の端をつい、と持ち上げて笑った。
人間という存在がいろんなかけらをかき集めて構成された生き物だとすれば、今の素子の笑顔には何かが欠如している。隆之はそう感じた。
「うふふ・・・この小隊の人間のほとんどはそのぐらいの傷を負ってるわよ、それが偶然にしろ作為的に仕掛けられたものにしろね。もちろん、あなたも・・・ね。」
「あいつも、・・・速水もか?」
乾いた声で尋ねながら、飲み物が欲しいと隆之は思った。
「・・・彼の両親は幻獣共生派として殺された。まだ幼かった彼はそれから軍のモルモットとして生かされたのよ。・・・客観的に見れば、あなたが気にかけている東原さんよりよっぽど過酷な人生を送っていると思うわ。」
素子の表情が、一瞬だけ怜悧な研究者のそれになる。が、その仮面はあっという間に崩れ去った。
「それでも・・・人って、あんな風に笑えるものなのね。彼がいなかったら、多分私が竜になっててもおかしくないでしょうよ。」
そういいながらも、素子の口調は自分がそうならなかったことを悔やんでいるようでもあり、恥じているようにも聞こえる。
「・・・私は、彼の存在に救われた・・・でも、私は彼を救えない。」
どこかうつろな響き。その言葉にふさわしく、素子の瞳は何も映していないように見えた。
「せめて祈っててくれ・・・最後の一秒まで。」
ゆっくりと素子が隆之の方を向く。
「・・・祈る?何の意味があるの?」
隆之は静かに立ち上がって素子に背を向けた。
「・・・さあな。」
「来須、お前さんに聞きたいことがあるんだが?」
来須は目深にかぶった帽子からちらりと隆之の顔を見て微かにうなずいた。そしてそのままプレハブ校舎の屋上への階段を上り始める。
「・・・ついてこい。」
陽光の下、洗濯物が微かに揺らめいている。
「何が聞きたい?」
「何故、時代は二人の絢爛舞踏を必要としている?」
士魂号複座機パイロット・・・その一方が絢爛舞踏を獲得したら、自動的にもう一方もそれを獲得することになる。
もし、1人で充分ならばどちらか一方を部署移動させればいい。この小隊を編成したやつらならばそれは簡単なことのように思える。それをしないと言うことはつまり・・・
「絢爛舞踏は目的ではなく結果にすぎない。それは既に承知しているな?」
「主な目的は精神の二極化・・・それに伴う人間性の排除だな?」
来須は小さく頷く。そして太陽の光から目を背けるようにして、また帽子を深くかぶり直した。
「もちろん、それだけじゃなくて人間としての一線を越える意味もある。」
来須は一旦黙って、軽く瞳を閉じた。本来口下手であり、人に何かを説明するのは得意ではない。
「ある少女が人類決戦存在になるべく育てられ始めたことだ。全てはそこから始まる。」
隆之は忌々しそうに舌打ちをする。
「・・・最初から人間性を排除しちまったのか。」
「精神の二極化・・・それはヒーローと竜の力が同等であると言うことだ。ヒーローの勝利を確実なものにしたかったんだろう。それと同時に、竜にふさわしい素材が集められ、そのための工作がおこなわれた。」
隆之の顔から血の気が失せた。何かにおびえたような瞳が来須に向けられたが、来須は淡々と言葉を続ける。
「彼らは時間と共に選抜され・・・この小隊に配属された。」
「・・・速水はそれを・・・?」
「知っている。・・・それでも奴は竜にはなれなかったはずだ。」
来須は一旦言葉を切った。
「あいつに限らず、この小隊の人間はみんな・・・優しすぎる。」
何も喋ることの出来ない隆之に向かって、来須は静かに首を振った。
「・・・その優しさを含めた人間性を無理矢理削り取るために、おそらく絢爛舞踏まで獲得する必要があったのだろう。」
士魂号のパイロットとして、芝村と速水をコンビにすることが軍で決定された。個人の相性データがどうのこうの言っていたが、所詮は茶番にすぎない。
隆之はやっとの思いで、来須に向かって口を開く。
「来須、どうしてお前さんはこの小隊に?」
「不確定要素だ。」
「何?」
「お前も気づいているんじゃないか?・・・あの少女はこの小隊に配属されてから、少しずつではあるが人間性を取り戻し始めている。」
来須はそう呟いて首を振った。
「・・・どのみち竜を倒せば全てが終わるという単純な問題でもない。それだけならば、これまでの絢爛舞踏が全てを終わらせていたはずだ。俺を含めてな。」
急に強い風が吹いた。
大きくはためく洗濯物の影から、音もなく人影が現れる。
「・・・おかしなこと・・・言うのね。」
「石津・・・お前さんは何か知っているのか?」
萌は暗い瞳を隆之に向けた。
「少し考えれば・・・わかるはず。人の精神の二極化・・・その一方を滅ぼし・・・それで何故世界が救われるの?」
「お前は一体何者だ?」
来須は静かに萌の方を見やった。そんな来須を見て萌はくすりと微笑む。
「私は・・・この世界の『理』にとらわれぬ者。」
そして、非常招集のサイレンが高らかに鳴り響いた。
隆之の視線の先には、人を超えたはずの存在がいた。だが、隆之にはそうは見えない。数字の上で撃墜数298から僅か8増やしただけにすぎない少年の様に見える。
「・・・一体、何が違う?」
常に穏やかな微笑みをたたえた、春の日溜まりのような少年。だが、今少年の周りには誰もいなかった。
誰もが少年を見ると、何かにおびえたように距離をとる。
「・・・人でありながら、化け物扱いされる。」
無意識の呟き。
その瞬間、隆之の頭の中で何かがひらめいた。
絢爛舞踏に関するデータの秘密性と過剰なまでの噂の波及。人間性の排除が絢爛舞踏をとった後におこなわれるとしたら・・・
今、確実に1人の少年は竜に近づきつつあった。
その瞬間を世界は固唾をのんで見守っている・・・。
びしっ。
首筋に手刀を受けて力無く崩れ落ちる舞の身体を隆之はそっと受け止めた。手にしたハンカチで舞の濡れた頬を拭ってやりながら呟く。
「泣いている女の子は放っておけない性質なんでな・・・」
舞の身体をそっと横たえてやりながら、士魂号を見上げた。
「さて、行くか・・・。」
隆之は一つため息をついてから、士魂号軽装機に乗り込んだ。
「あいつが旧市街で待ってる・・・。」
『瀬戸口君、何を考えている!君が竜を倒しても何の解決にもなら・・・』
隆之は耳障りな通信回路をオフにした。
「あんたが教えたんだぜ、士魂号は故障が多いってな・・・」
「だめだ、完全に回路を遮断している!そんな状態で竜とまともに戦える訳がない!」
坂上が固めた拳を机にたたきつけながら叫ぶ。竜が勝つとどうなるのか?決戦存在外が戦闘に加わることによる影響は?等の疑問が坂上の精神をパニック寸前まで追い込んでいた。
そんな坂上の肩を優しくつかんだのは本田だった。
「全てが計算通り・・・歴史ってのはそんな薄っぺらいもんですか?」
「本田先生・・・」
本田は旧市街に視線を向けたまま、静かに語り始めた。
「俺は多分この件について何も知りません・・・でも、あいつらの教官であることを誇りに思ってます。」
本田の瞳に映る竜と士魂号が、お互いの射程距離まで間合いをつめる。
「たった1人の存在が世界を救うなんて考えは傲慢だと思いませんか?」
竜の攻撃を受けて士魂号の装甲が一部はじけ飛ぶ。だが、それと同時に竜もまた攻撃を受けて体液をまき散らしていた。
「それでも・・・ただ1人の人間が世界を救うきっかけにはなり得ます。もし、そいつが必死にそれを願って行動を続けていたならば・・・」
竜の攻撃で士魂号の左の手首から先が吹き飛び、白い血液が霧状になって飛び散っている。
「その姿は・・・多分全ての存在にある共感を与えるのではないでしょうか?」
隆之の操る士魂号は全ての糸を断ち切られたように力無く大地に横たわる。その光景を目にして、本田は自分自身に言い聞かせるように大声で叫ぶ。
「誰かをあてにした救済なんてものは幻想じゃないんですか!」
その瞬間、旧市街を見守る全ての存在の心に悲痛な叫びが響き渡った。
『立ちなさい、隆ちゃん!』
かすれていく意識を無理矢理たたき起こされた気分で隆之は力無く呟いた。
「・・・東・・原か?」
『ののみはこんな結末は認めないの!』
「・・・そうしたいのは・・・やまやまだが・・・」
隆之は赤い視界の中に立つ竜を見やった。不思議なことに竜はとどめをさしに来る気配がない。
『そんなの知らない!隆ちゃんは負けたらめーなの!みんなで、昔でも今でも無いところに行くの!』
隆之の脳裏に見えるはずのない光景が浮かび上がる。
涙を流しながら、天に向かって両手を突き出すののみの姿。やわらかな光に包まれ、大きなリボンが微かに揺れている。
「泣いてる女の子は・・・」
口の中にあふれる血を無理矢理吐き出して大きく息を吸い込んだ。折れたあばらが肺を圧迫しているのか、激痛が隆之を襲う。
が、その痛みが少しずつ和らいでいく。
全ての願いが自分の頭に伝わってくるのを感じて、隆之は微笑んだ。それと同時に、士魂号はゆっくりと立ち上がり始める。
士魂号が戦闘姿勢をとるのを確認するように竜が襲いかかってくる。
「・・・頼むぜ、速水。」
隆之は竜の攻撃を避けようともしないで、静かに右手に持った大太刀を突きだした。
2つの影がぶつかり合った瞬間、爆発音と共に土埃が舞い上がった。
その場に駆け寄ろうとしたみんなの目に、黒っぽい2つの影が起きあがる。一つは人間のもの、そしてもう一つは人外・・・異形の影。
異形の影に向かって、坂上が素早く懐の銃を取り出して引き金を引く。
次の瞬間、隆之の身体がゆっくりと回転しながら異形の影にもたれかかった。
「・・・ナゼ?」
「俺はお前さんに約束したはずだ・・・『俺だけはお前を忘れない』とな。」
異形がゆっくりと本来あるべき姿へ戻っていくのをかすんだ視界の中で確認すると、隆之はそっと目を閉じた。
隆之は闇の中にいた。
それはただ本当にいるだけであって、手や足はおろか声も出せない状態である。そんな真っ暗な闇の中、小さな青い光がぽつりと灯る。
『・・・面白いものを見せて貰ったわ。』
隆之はそれに応じようとしたのだが、やはり声が出ない。
『・・・満足させて貰ったからには代償を払わなくてはね・・・。』
闇の中からぬっと白い手が伸びてきて隆之の目を覆った。
『一旦眠りなさい。・・・そして全てを忘れるの。』
その言葉に誘われるように隆之の意識もまた闇の中へと落ち込んでいった。
「・・・ちゃん、隆ちゃん、しっかりするの!死んだらめーなの!」
激痛を感じて隆之は意識を取り戻す。だが、何かで固定されたように瞼が動かない。
「瀬戸口・・・目を開けてくれ・・・」
その声を聞いた途端、瞼の重みが消えた。
そして・・・隆之はゆっくりと目を開けた。
完
ゲームの中の情報を500%ぐらい無視というか曲解してます。(笑)っていうか、最初はこんな感じかなと思いながらプレイしてたんですけどね。
ここまでくると純真なゲーマーをどうやってだまくらかそうかという悪意に満ちているように感じるかもしれませんがそれは誤解です。やはりネタばれと言うのはよろしくないと思うのでこういう形式をとらざるを得ないんです。(笑)・・・本当ですよ、嘘じゃないです。
できれば雰囲気を楽しんで欲しいなあ、と思うんですけど。(笑)毎回毎回外伝を書くたびに『これ設定が無茶苦茶やで!』と突っ込んでくれる知人がいますし(笑)、特にこの話はデンジャラスラインを大きく踏み越えた気がしないでもないのでちょっとどきどきです。
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