「暑いな、今日は……」
 男が立ち止まって上を見上げると、木々の隙間から初夏の日差しが差し込んできていた。蝉が鳴くにはまだ早い季節で、山はただ草いきれに満ちている。
 時は5月11日……九州撤退作戦の次の日である。
 民間人の脱出を最優先とし、その輸送機を離陸を助けるために最後まで戦った軍人は徒歩で山口まで撤退。
 この作戦で民間人が全て無事に脱出できたのは熊本だけであり、今も九州の各地では、輸送機で逃げそびれた後幸運にも生き延びることができた少数の民間人と作戦を終えて生き延びた軍人が山口を目指している最中である。
「……お前は平気か?」
 男は再び歩き出しながら背中に背負った少女に小さく声をかけた。
「うん、平気……」
 少女はそう呟くと、危なっかしい手つきで男の額に浮かんだ汗を拭きはじめる。少女の足首には包帯と副木があてられており、1人では歩けないのは明らかだった。
「気にするな……軍人は民間人を守るためにいる」
「それは建前だと聞いたことが…」
「無事に本州にたどり着いたら、その認識をあらためるように…」
「……無事に、たどり着けなかったらあらためる必要はないんでしょうか?」
「ま、運次第だな…」
「……危なくなったら、見捨ててくださってもいいです」
 微かに震えながら呟く少女に対して、男はからかうように呟いた。
「まるで、これまでが安全だったような言い方だな」
「あう……」
 飼い主に怒られた犬のような表情をして、少女は男の首に回している腕にぎゅっと力を込めた。
「正直、置き去りはいやです」
「心配するな、俺もいやだ……とはいえ」
 男はあたりを油断なく見回して立ち止まった。
「ちょっと休憩だ……さすがに人を担いで一昼夜以上歩き通しはきついな」
「わ、私そんなに重くないです!」
「いや、そんなことは言ってないんだが……」
 そして男は少女の身体をゆっくりと地面に降ろした。
「ここ、どのあたりなんですか?」
「脊振(せふり)山地……早い話、佐賀と福岡との県境……だと思うんだが」
「伊万里から山伝いに1晩で福岡ですか、すごいですね……ところでおじさん」
 男がちらりと少女の顔を見たので、少女は慌てて言い直す。
「……おにーさん」
「よし」
 男は満足そうに頷いたのを見て、少女は言葉を続けた。
「山の中を隠れて進むよりも、車かなんかを見つけて道路を進めばいいんじゃないでしょうか?」
「……幻獣ってのは車とかの非自然物には強く反応するんだな、これが」
「つまり、徒歩の方が安全だと」
「比較的な……と、のどが渇いただろう、飲め」
 男は腰につるした水筒を少女に手渡した。しかし、少女は水筒と男を交互に見て小さく首を振る。
「……どうした?」
「おにーさん、ちっとも飲んでないです」
「お前が寝てる間に飲んだ…」
「中身、減ってません…」
「実はな、お前が寝てるうちに山の中のわき水を発見して補給したんだ…」
「だったら中身が増えてないとおかしいです……」
 少女はムッとしたような顔つきをして、残り少なくなった水筒をタプンと揺らした。
「……それに、おにーさん急に汗をかき始めました。これは多分初期の脱水症状で身体の体温調節がうまくいってない証拠です」
「……お前、友達いないだろ?」
「……わかりますか?」
「そういう持って回った気の使い方はガキにはまだわからんだろうからな……貸せ」
 男は少女の手から水筒をとり、軽く唇を湿らせる程度に傾けた。そして少女の手に水筒を返す。
「この山を越えたら、山口までほぼ平野部が続く……頭良さそうだから言ってる意味わかるよな?」
「……食料はともかく水の補給は難しくない、と」
「50点」
「幻獣に見つかったらどうやって逃げましょうか?」
「……そういうこと」
 男は腕組みをして目を閉じた。そしてぶつぶつと少女が聞き取れないぐらいの小声で独り言を呟き出す。
「……このまま夏を待つという事はできませんか?今年の気温なら、あるいは近い内に幻獣も……」
 少女の言葉に、男は黙り込んだ。
 確かに、今年は春先から異常に暖かかった。
 5月にはいってからの戦闘でも、実体化直後に幻獣達が非実体化を始めて戦場を去るケースが多かったのも事実で、少女の意見は実に現実的だと言えた。
 男はちらりと少女の足首に目をやった。
 足首の骨折に対して充分な手当ができているわけではない。揺れるたびに激痛が走っているだろうに泣き言1つあげない気力に少々驚いてもいる。
 気丈なフリを装ってはいるが、かなり精神的に衰弱しているのだろう。ここにきて急に口数が増えてきたのがいい証拠だった。
 本来ならきちんと休ませた方がいいのだろうが、そんな時間はない。
「……おにーさん?」
「いや、隠れるったって……」
 少女は男の視線から隠すように足首を引っ込めようとして、痛みでもはしったのか一瞬身体を強ばらせた。それでも、顔には笑みを浮かべて言う。
「幻獣に出会ってもおにーさん手ぶらじゃないですか。ばけものじゃないんですから、素手で幻獣は倒せませんよね」
「……そうだな」
「…?」
 少女は少し首を傾げた……と言うのも、男が少し笑ったように見えたのと、自分の台詞であることに気が付いたからである。
「……そう言えばどうして手ぶらなんですか?それに、戦う軍人さんはみんな武装服とかいうのを着ていたのに……」
 男が非常に困ったような曖昧な笑みを浮かべたのを見て、少女は小さく頭を下げた。
「すいません、軍事機密ってやつですね……」
「……お前はやけに察しがいいな」
「すいません…」
「くどいな」
「いえ……おにーさんはばけものじゃないです」
 少女はそう呟いて男の視線からぷいと顔を背けた。
 男は少女の頭の回転の良さに呆れるしかない。
「さて……時間もないしそろそろ行くか」
「……軍事機密って膝からロケットが出るとか、指先からマシンガンとかですか?あ、私は生身だから加速装置は使ったら駄目ですよ」
「……察しがいい割には、想像力が貧困だな」
 山を下り、福岡の平野部を小走りに進む2人の前に幻獣は姿を現さない。
「……最悪だな」
「幻獣がいないのはいいことです」
「お前が幻獣なら……どこに戦力を集中させる?」
「それは……本州への脱出口付近です」
 男と少女は同時にため息をつき、そして立ち止まった。
 九州撤退直前において、九州地区に侵入した幻獣軍の戦力値はおよそ20万……単純に数だけでなら2000万というところか。
 各地区の空港での戦闘に参加した幻獣が、全て北九州と大分は佐賀関付近に集中しているとなればまず脱出は不可能と言うことになる。
「おとなしく夏を待ちませんか?多分、その方が生き延びる可能性は高いですよ」
「お前……1人でもか?」
「へ?」
 少女はきょとんとしている。
「俺には……時間がない」
「……どういうことでしょう?」
「第6世代クローンには子供が作れない……と言うことはもちろん知ってるな?」
 少女の顔は真っ赤である。
 カタカタと震えながら視線が宙を泳ぎまくっている。何やら非常に緊張しているようだった。
「あ、あの…おにーさんは……いわゆる外見が幼い異性に欲情してしまうタイプなのですか?」
「あ、すまん…そういう意味じゃなくて最後まで聞いてくれ」
 少女が少し残念そうな表情を浮かべたのを知らぬまま、男は言葉を続けた。
「それが何故そうなったか……わかるか?」
「幻獣と戦うために最初から強化型クローンの方が効率がよいから……というのは建前でしょうね?」
「……まあ、早い話自分たちより優れた種の存在を認めたくないわけだ」
「……」
「で、生身で幻獣を相手にできる程の強さを持つクローン体を作るとしたら……」
「絶対服従の条件付けと、……期限付きの活動時間設定……ですか?」
 男の答えを先取りするように呟いた少女を振り返って、男は感心したように頷いた。
「本当に察しがいいな、お前…」
「年齢のわりに……です。それに、今はそんな自分が少し嫌いになりました」
 少女の表情は硬くなる。
「九州撤退と同時に軍の新型機や試作機はもちろん、試作クローンも破棄されたのに俺は破棄されなかった……これはつまりわざわざ破棄する必要性がなかったわけだ」
 その意味が分からない少女ではない。
 しかし、それでも敢えて言わずもがなのことを口にしてしまう。
「か、考えすぎですおにーさん…そんな悪い想像は……想像は…駄目ですよぉ…」
「俺には命令に対する絶対服従の条件付けも為されていてな……まあ、お前には迷惑かもしれんが最後の最後でこんな楽しい時間が過ごせるとは思わなかった」
 そのあまりに穏やかすぎる口調に、少女は男の背中に顔を押しつけた。
「……もし、あの時他に命令を受けてたら?」
「命令遂行時、俺の意志は行動には反映されない…」
「そんなの…そんなのって…変ですよぉ」
「まあ、軍の機密ってのはこういうことがゴロゴロしてる……生き延びても誰にも言うんじゃないぞ」
 少女は何も答えない。
「……約束だ」
「……はい」
 顔を背中に押しつけたまま、少女はぽつりと呟いた。
「ばけものなんかじゃなくて……俺は自分のことを兵器だと思うことにしていた。無論そう扱われていたしな。ずっと命令通りに戦い続けて……研究所以外の場所で命令を受けていない時間というのはあの時が初めてだった」
 撤退作戦が失敗に終わった混乱の中で、助けを求められた。
 モノではなく、人を見る目で。
「……心配するな、お前は無事に送り届けてやる」
 誰からも存在を忘れ去られたままこのまま消えていきたくなかった。それが少女に対しての卑怯なふるまいだとしても。
「……大丈夫です。ちゃんとおにーさんの事は覚えておきますから」
 男は一瞬身体を硬直させ、そして笑った。
「……やな奴だ、お前は」
「おにーさんはいい人です…」
 
 5月11日深夜。
 関門海峡を挟んだ九州の北端に2人はいた。
「……やっぱり、橋は爆破されちゃってますね」
「九州からの撤退兵士は最初っから見殺しにするつもりだったか……トンネルも埋められてるんだろうな」
「……おにーさん、軍事機密とやらで空は飛べませんか?」
「できたら最初からそうしてる…」
 男はため息をつき、そして九州の大地を振り返って呟いた。
 不要になれば切り捨てる……そうして最後に何が残るのか。同じ切り捨てられた存在として、自分の死に場所にはふさわしいのかもしれない。
「……泳げるか?」
「海を見るのは初めてです…」
「……夏が来るのがもっと早ければな」
「おにーさん、こういうときは春が長すぎたなという台詞の方が格好いいです」
 幻獣がいなくなる夏がもっと早ければ……政府が九州を切り捨てることはなかった。男は少女の身体を背中に縛り付け、闇の中で不気味に蠢く赤い光の集合に視線を向けた。
 赤い光の向こう側には、幻獣の本州侵入を防ぐための防衛軍が並んでいる。
「足、大丈夫か?」
 少女はぎこちなく微笑み、男の背中に顔を寄せた。
 男の動きを制限しないように、少女はがんじがらめにされているため動かせるのは首だけだった。
「おにーさん…お願いがあるんですが」
「何だ?」
「……死なないでくださいね」
「そうだな……努力してみよう」
 男は苦笑し、そして闇に向かって第一歩を踏み出す。
「お前も……死ぬなよ」
 
 この夜、幻獣の集団の一角が混乱しているとの報告を受けた本土防衛軍は、曲射砲による攻撃を開始。それをきっかけにして飛行タイプの幻獣が本州側に侵入を開始。本土防衛軍との間で戦闘が開始される。
 しかし、九州側に位置する幻獣の混乱の収束と共に防衛軍も曲射砲撃を中止。それにともない両者の戦闘は収束へと向かった。
 尚、この戦闘の直後に全身ずぶぬれの少女を保護。
 足の怪我よりも精神的なショックが酷いため病院に収容。少女が落ち着くのを待って事情を聴取しようとしていたところ、少女は完全に黙秘を続け身元も不明。
 そして、足の怪我が治ると同時に病院から失踪する。
 
 
 数え切れない年月を費やし、人類はとうとう黒い月への侵攻を開始した。
 その画期的なニュースにわきかえる世界の中でただ1人、穏やかすぎる笑みを浮かべた少女が関門海峡へと花束を投げ入れる。
「……おにーさん」
 時は3月……春は名のみの冷たい風が日本海より少女に吹き付ける。それなのに、少女の額には汗がにじんでいた。
「……ごめんなさい、約束守れませんでした」
 おだやかな表情から紡ぎ出される苦しそうな言葉。
「頑張って生きてきたんですけど……私にも、活動限界がきたみたいですぅ」
 少女の目尻から涙がこぼれた。
「……知ってましたか、おにーさん。私、年齢固定型クローンだったんですよ……」
 ずっと歳を取らない……それは、ある意味優秀な種という存在よりも忌み嫌われる。そのため、少女には逃れようのない死の期限が設定された。
「……私達、モノじゃないですよねえ?」
 あの時、九州撤退と同時に破棄されそうになり慌てて逃げ出した。
「少なくとも、あの時だけは人間だったですよね……」
 少女の膝がカタカタと震えだし、崩れるようにその場にしゃがみ込んだ。
「……おにーさんは、一度も名前を聞いてくれませんでしたね」
 考えてみれば、少女自身も男の名前を聞こうとはしなかった。少女は口元に笑みを浮かべ、そして小さく口を開けた。
「私の名前は……」
 言葉は強い風にかき消され、そして少女は穏やかな笑みを浮かべて男の待つ海底へと身を投げた。
 
 
                       完
 
 
 もう何が『がんぱれ』でどこが『がんぱれ』なのやら……って、前のに比べたらそうでもないのか。(笑)
 ただ、ゲームの登場人物が妙にエロ台詞を連発するのって、性衝動はあっても生殖機能がないための必然的なモラル低下のせいなのかな……なんつー見解が高任の頭の中にはあるのですが、やっぱり、公式設定からはおおきく外れてるんでしょうなあ。(笑)
 言うまでもありませんが、高任は人知れず消えていく戦士達というシチュエーションが大好きです。
 守るべきモノを背負った1人と1000人の戦闘はどっちが勝つか……とか聞かれると、瞬時に1人の方とか答えてしまいますなあ。(笑)

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