2005/05/29(日) 呉東正彦さん学習会

講師 呉東正彦さん
(弁護士・横須賀市民九条の会呼び掛け人)
とき 2005年5月29日(日)
ところ 産業交流プラザ
主催 横須賀市民九条の会呼びかけ人
参加者数 約200人

呉東正彦弁護士

発言内容

呉東正彦さん(弁護士)

「憲法と私たち」

みなさんこんにちは。弁護士の呉東と申します。今回のテ−マ「憲法と私たち」ですけれど、45年生きていろいろなことを考えてきたなかで、確かに言えることは、「いろいろな考え方、生き方があるが、憲法の言おうとしていることに間違いはないのではないか」ということです。戦争を体験したわけではないけれど、母親から戦争のことを聞き、日本国憲法の言っていることを簡単な言葉で考えると、そんなに間違ってはいないのではないかと思えるのです。憲法の言っていることはそんなに難しくないし、日常のなかで考える事柄からそれほど離れてもいません。

憲法とはそもそも何なのか。それは基本的に、第九十七条、九十八条にあるように、憲法は最高の法律であるということです。ではなぜ最高の法律であり、また何を大切にしているのでしょうか。それは、「個人の尊厳」という言葉にあります。憲法十三条に書いてある個人の尊厳という言葉がまさに憲法の魂なのです。つまり、みなさん一人一人が生きていくということが一番大切なことであって、これを大切にしないような政治はダメだということです。

「一人一人のために国があるのか、国のために一人一人がいるのか」。近代憲法の考え方は、一人一人のために国があるという考え方なのです。一人一人の人間が大切にされるために、政治がどうあるべきか、ということを決めたのが憲法です。近代憲法は、一人一人が大切にされるというけれど、現実的には歴史の中で、戦争、飢饉、そして権力者によって、一人一人は大切にされてきませんでした。ではどうしたらいいのでしょうか。国の権力というものは、強くなりすぎると一人一人を大切にしなくなります。たとえて言うなら、国の権力はライオンです。「ライオンが一人一人の人間を食い殺さないように、ライオンに鎖をつけて、一人一人の自由を守るのだ」、というのが憲法なのです。つまり「国家権力を縛る鎖」、というのが近代憲法の本質なのです。

次に、憲法が大切にしている「個人の尊厳と基本的人権」について、どのようなものなのかを皆さんと考えていきましょう。まず、憲法十三条を読んでください。これをみなさんの頭の中で、みなさんが日々使っている言葉で考えて頂くきたいのです。一人一人がまっとうに、幸せに生きていくことは貴重で大切なことではありませんか。世の中で一番大切にしていかなければならないことですね。歌にもあるように、「世界にたった一つだけの花」とは皆さん一人一人のことだと思うんですね。そして日本という国がどのようにするかを決めたものが憲法です。要するに、憲法の大切なことは、1=花を咲かせるために必要なものを基本的人権として保障しようではないか、という決まりです。2=皆さん一人一人が幸せになるために、国は邪魔をしてはいけない。そのために国は何をしなければならないのか、国の政治の仕組みを決めているということなのです。では基本的人権とは何でしょうか。それは火山のマグマのように沸いてくるものなのです。先ほど憲法第十三条にあった幸福追求権、即ち幸せを追求するための権利においても、幸せをつくるのは一人一人だが、それを国が邪魔してはいけないと言っています。幸せを追求しようという中で、この基本的人権が無いと幸せにはなれないものです。人間は歴史の中で、宗教、食事、戦争、読み書き、いろいろな面において不幸せなことを体験してきました。幸せになれない状況の中から、奪われたものを取り返そうとしてきました。それがつまり、いろいろな権利です。教育、政治に参加する権利などです。結局、幸せになろうと努力してきた中で、これが無いと幸せになれない、というものを結晶化したものが基本的人権であり、歴史を通してみんなで確認してきたものであります。空気が無ければ花は育たないし、太陽が無くても育たないように、幸せになるための前提条件、それが基本的人権です。憲法十三条から、自由、平等、生存権などたくさんの権利があることがわかります。本当に幸せになるために必要な権利です。幸せになるのは私たち自身ですが、その前提条件は大切にされなければならない、国家はその邪魔をしてはいけないということです。権力を持った人が、自由にやろうとしても、国民の自由、権利を侵害することはできません。このことを規定したのが憲法なのです。

例えば国民主権について考えてみましょう。一人一人がおかしいと思ったことを国はやってはいけません。ですから、私たちの代表が国会に出て、最終的に国民の意思が政治に通るようにしているのです。三権分立や法の支配、また、国がどんな法律を作ったとしても人権を侵してはならないのです。地方自治の枠組みは国の法律で変えられてしまっていますが、国の政治で生かされなかった部分を地方自治によって実現していくということもありますし、国が戦争をしようとしたときも地方自治体が反対したり、人権が侵害されないようにしていくこともできます。このようなチェックアンドバランスを大切にすることです。国は過去に何回も人権を侵害してきました。ライオンが暴れないように制約し、国がむちゃくちゃなことをしないようにしなければなりません。

日本国憲法の特徴は、平和主義というのがあります。憲法前文と第九条を読んでみましょう。憲法の平和主義、これが他の憲法にはないユニークなところであります。ここを皆さんと考えて行きたいと思います。先ほどから話してきたように、一人一人の人権が大切にされるために憲法をつくり、そのために国の仕組みを考え、国が勝手に動くことで、一人一人の権利が侵害されないように国の仕組みを考えてきたわけですが、実はその土台にあるものが平和主義なのです。戦争を行ってきたこと、戦争をしようとすること、それ自体が一人一人を大切にすることと矛盾してくるのです。だからこそ第九条を入れたわけです。このことの出発点は戦前の大日本帝国憲法にありました。これは天皇によって保障されている国家が一人一人の上にある体制です。戦争をすることが日本の発展につながると考えてきたのです。戦争は国と国との戦いだから、一人一人の権利を大切にしていたら他の国に勝てません。だから、少しずつ私たちの権利を制限していったのが戦前の体制でした。私たちの権利は本当に軽かったのです。徴兵のハガキ一枚で命が犠牲にされるという考え方でつくられていたのが戦前の国家でした。当然、戦争は他国の人の人権も構っていられません。日本の中でも労働とか男女同権とか、表現、集会の自由など、全て削られてきました。戦争の中で、少しずつ制限されていったのでした。いっぺんにではありません。日本国憲法の頭に一人一人の命を大切にすると載っています。これは、国や一人一人の命を大切にする為には戦争はやってはいけないということです。平和の中で一人一人の命を大切にしていかなければいけないということです。

日本国憲法は3つのことを定めています。「戦争しない」、「戦力を持たない」、「交戦権を持たない」です。自衛隊を疑問に思うかもしれません。第九条の意義は2つあります。一つは、戦争しないという理想を謳っている面と法律としての九条です。日本は過去に戦争をやってきました。だからまた再軍備するかもしれないが、戦争をしないようにするためには、鎖をつけておかなければいけません。ここで少なくとも言えることは、「第九条があるため自衛隊は軍隊ではない」、ということです。ただ、自衛のために戦うことはできます。日本が攻められたときは反撃することができるということです。でも、外国へ先に攻めてはいけないのです。ですから外国に自衛隊を派遣することは、本当はしてはいけないことになります。それで実際には給水活動だけをしてる訳です。これは自衛隊には交戦権が無いからなのです。つまり、自分から先に銃を撃つことはできないということです。なぜなら憲法違反になってしまうからです。まず、日本が戦闘を始めることはできないのです。集団的自衛権の問題はありますが、アメリカを守るために自衛隊が活動してはいけないのです。憲法第九条がある限り、日本が攻められたときだけ防衛するということです。第九条が無くなると、普通の軍隊と同じになってしまいます。海外で戦闘することが可能になってしまうということです。

二つ目は米軍基地の問題です。なぜ日本に米軍基地があるのか、それは日本を守るためと言われてます。イラク戦争が始まって米軍がイラクに行っていますが、これは安保違反です。基地にいる米軍は一度アメリカに戻ってから行かなくてはいけないことになっています。これは安保規定だからです。憲法が変わるとこれらの枠も取っ払われてしまうでしょう。

大日本帝国憲法では、非常事態に臣民の権利保障をストップすることができました。ここに第九条の意味があります。つまり、戦争をしなくなった今、非常事態の例外は一切ないので、自由や権利をこのときは我慢しなければいけないという例外は無い、と言っているのです。いざというときにもストップすることがないからこそ、一生かかって幸せになることができるのです。このことが戦争をすることへのストップにもなっています。人権が保障されているからこそ簡単に戦争はできないのです。しかし例外が作られてしまいました。有事法制です。戦前の横須賀では、港を見てるだけで「お前はスパイか!」と疑われ、知る権利がストップさせられました。財産権もストップし、基地を作るために土地を取り上げることができたのです。例えば今回造られた長井の公園ソレイユは、以前、国家が農民たちから土地を取り上げて米軍に渡した後、やっと戻ってきたものです。例えば、埋葬に関する法律に埋葬許可証が必要とあります。でも戦争で人が死ぬとき許可証はいちいち出ないのです。このように、権利には例外が無いことが非常に大切なことです。

憲法改正するとどうなるでしょうか。普通の法律は衆参両院で可決されたら成立です。しかし憲法は、国会総議員の3分の2以上による賛成で改憲案発議し、その後国民投票で過半数の賛成を要します。このようにしたのはなぜでしょうか。今までの歴史で、国家というライオンが暴れて人間を大切にしてこなかった事実があり、やっと国家というライオンに鎖をつけたわけです。つけたからこそ権利が守られているのです。その鎖自体の強さをライオンが変えてしまってはなりません。そう簡単に鎖を解くことはできないためにこのような改正規定になっているのです。すぐに解けてしまっては、逆に戻ってしまうかもしれません。だから50数年にかかっても改正されてこなかったのです。

改憲の動きは、今二つの流れがあります。まず一つには、今年4月に出された、国会における憲法調査会の報告で、いちばん大きなテーマが九条だと言うことです。各党の議論があるなか、過激なのは自民党の案です。天皇は元首ではないのか、自衛隊は軍隊とする、表現の自由を制限し、国防の義務を国民に課す、改正規定自体を緩めて総国会議員の半分にしよう、などです。なかでも問題になっているのは、第九条の位置づけです。つまり、「戦力を持たない、自衛力だけを持っている」、と「自衛のための軍隊を持つ」、とでは大きな違いがあります。交戦権が無いなどの縛りが、ぐっと弱まってしまうからです。交戦できる、海外派兵できる、他国の助太刀ができる、これでは海外の実態と変わらなくなってしまいます。さらに軍隊の活動と矛盾するものは制限できるように、法律に例外がもたらされる可能性もあるのです。 憲法の改正規定がなぜ厳しいのでしょうか。それは縛ったライオンが暴れたら困るからに他なりません。改正規定を改正、ルールを変えてしまえば、今回変えられなくても次には変えられることが可能になります。

もうひとつは、そのうえ憲法そのものの性格も変えてしまおうという動きもあることです。それは国民に義務を課すということです。国防のため協力させるとなれば、誰が縛られているのかが分からなくらなくなってしまいます。今の憲法によって、人権の中で生きているはずなのが、改憲の結果、まったく違っていくことになります。

改憲の具体的動きは、国民投票法案を作ろうというものです。いつでも実施できるようになって衆参両院の発議で改正という動きです。しかし根本的に、私たちがどのように憲法を考えているかが大事なのです。第九条が変わるとどうなるのでしょうか。政府が考えていることも、今この憲法があるからできないわけです。変われば将来、自衛隊の中にも犠牲者が出てくるでしょう。戦争というのは海外だけで行われているのではなく、当然、国民もいろいろな我慢をしなくてはいけなくなってくるでしょう。そうしてだんだん、私たちの自由や生活に戦争準備のための制限が加えられていくのです。例えば、ビラ配り、集会や心の自由、などが削り取られてしまうのです。自由が条件つきになるのです。最初は数パーセントの人の自由が奪われ、気が付いてみると戦争中にはほとんどの人の自由が奪われていることになります。

横須賀市でもそのような体制になるのでしょうか?。まず第一に考えられるのは原子力空母の問題です。「多少の危ないことがあっても日米の同盟関係のためには仕方ないじゃないか」という声があります。しかし、「私たちの暮らしが大事だ」、「一人一人の命が大事だ」、と言うことではないでしょうか。休日には何をしてもいい自由があり、幸せのために使う権利がある、権利をどう使うかが自由なのです。休日にこうしなければならない、何々してはいけない、というのでは幸せとは言えません。本来私たち一人一人の中には、憲法の精神が生きているはずです。だからこそ「世界にたったひとつ花」がヒットしたのではないでしょうか。私たちが感覚的に持っている、「たった一つの花を咲かせたい」という思いをどうしたら実現させていかれるのか、それを私たち一人一人が問うことで、国民投票になったとしても改憲案に対し勝てるのではないでしょうか。

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前田豊さん(神奈川肢体障害者団体連絡協議会会長)

ボクら障害者は叫ぶ
いま憲法九条を変えようとしてるから
ボクら障害者は叫ぶ
今まで日本に憲法九条があるから
こうして自由に生きられるんだ
もし この日本に憲法九条がなかったら
ボクら障害者は自由に生きていられない
かつて日本はお国のために戦争をした
その戦争に役にならない障害者らはみな
“非国民”と言われて国民から白い目で見られた
同じ国民であるのに
なぜ戦争に協力しない国民が
国民からも白い目で見られなければいけないのか
日本は二度と戦争はしない
武器は持たない国であると
世界に誓ったのが
この憲法九条ではないのか
世界に宣言した
この憲法九条が音なく
いま崩れていこうとしている
ボクら障害者は再び非国民と言われるのか
ボクら障害者は二度と非国民と言われないために
ボクら憲法九条を守り
発展しようと世界に叫ぶ
これこそ世界貢献のひとつだ
そしてボクら日本人は世界に誇らしい憲法九条を
常に羅針盤と持ち続けることが日本人として誇りであり
宝物といえよう

神奈川肢体障害者連絡協議会の前田といいます。我が横須賀で、このように九条の会というものが発足されたことは、誠に喜ばしいことです。憲法についてのお話は、すでに呉東弁護士の方から詳しく述べて頂きましたので、私が一つだけ触れたいことは、「九条があって初めて、日本国憲法の存在が行使され、生かされているのではないか」と思われることです。さらに自民党などは、九条の前半部を残して、後半を改めたいと主張していますが、しかし、むしろ後項の処で言っている方が、より重要なことであり、この部分を無くしていけば、アメリカと一緒になり、交戦権を持つ可能性が極めて高くなると言えます。従って九条の前項で述べていることが死語になっていきますので、九条に書かれていることは全て残していかなければならないと思います。また、今や環境権なども必要であるという政党もありますが、十三条の中にも幸福追求とか、公共の福祉に反しない限り等、述べられているので、その中に充分に環境権も含まれていると言えます。 幼いとき学校にも行きませんでしたので、憲法を学習して、当時の文部省や教育委員会とやりあい、大いに学びました。

さて、私は障害者ですので障害者問題について話したいのですが、今、国会で私たち障害者に関わる重要な問題が審議されています。それは障害者自立支援法案といい、実は2年前に厚生労働省が障害者も自由に選択されるように支援費というものを導入しましたところ、厚労省の甘い見通し予算で、2年間で250億円も不足分が出てしまい、これではやっていけないという官僚の知恵が出てきて障害者自立支援法というものを出してきました。

これは自立支援法といっても、来年1月からヘルパ−など使うと、使うほど1割負担をしなければならない応益負担というものになります。応益負担というものは、あらゆる者から取るということです。私たち障害者の多くは、働きたくても働けませんので、ほとんどの人が年金暮らしをしています。そのわずかな年金のなかから取るということ、これでは障害者が死ぬということです。厚労省の塩田保険部長は、国会の答弁で「応益とは思わない」という意味を言い、まさしく介護保険という観点から言っています。  

私たちは先日、12日に日比谷野外音楽堂で全国からおよそ7000人の障害者が集まる集会を行いました。このように障害者が集まった集会は始めてでありました。何としても、障害者が暮らし良くするための自立支援法にしていただきたいという願いでした。

また、9日の毎日新聞全国版には、私たちの意見広告を掲載致しました。そのために、全国の仲間に呼びかけまして1口1000円ずつ出し合い掲載しましたが、半ペ−ジで1000万円掛かりました。まだ、800万しか集まっていないようです。もし出来れば、1口1000円でご協力していただけますようお願いします。憲法の核であります九条を守り抜き、京都の蛭川さんが言われたように輝いている日本国憲法を、みんなの力で暮らしの中に生かそうではありませんか。

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田之口久司さん(歌人九条の会・新日本歌人協会会員)

歌人として、また横須賀市民の一人として、かけがえのない憲法を守るために微力を尽くしたいと思います。「歌人九条の会」は、短歌の作品づくりを通じて憲法を守り、戦争に反対する活動を続けております。

◎九条は平和を守るATS 暴走を防ぐ安全装置
(JR西日本の惨事のように、九条というATSが作動しなくなると、憲法が暴走して戦争という惨事を招く危険があることを詠んだ作品です。)

◎「60年安保」のうねりをもう一度 今九条が危ないときに

◎憲法の無傷な還暦祝いたし 「九条の会」を網の目にして
(憲法は1946年に誕生、2006年に還暦を迎えます。)

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黒川昭信さん(季刊発行「網走」編集代表)

自民党の中の反戦・平和主義者である後藤田正晴、野中広務さんが政界から引退した後、軍国主義志向の大半の自民党員らが一挙に改憲に踏み出そうとしています。

改憲のカナメは戦争放棄の九条を消去して、日本を戦争できる国にしようというたくらみです。これは当然自衛隊ではなく、徴兵制度による強制的な軍隊服務をめざしています。戦前・戦中の悪夢が、再び日本国民の上におおいかぶさってくるわけです。どうしてここまでアホどもが自民党に集まっているのかと腹立たしい限りですが、これはやはり国民の一人として、彼らの野望を叩きつぶす必要があると腹をくくっています。私たちの子や孫が兵隊に狩り出されて殺されることのないよう、体を張って戦う決意でおります。

今回、九人の「日本の良心」が立ち上がってくれました。いずれもぼくの尊敬する著名な人達です。この人達の深刻な危機意識は、そのままぼくたちも共有できるところのものでしょう。九人の人たちは、いずれもリベラルな立場の人々ですが、このスクラムの輪をもっと大きく広げて、巨大な反戦平和の国民戦線の輪にして欲しいもの、と思っています。

文学者、演劇人、映画人、画家、詩人、評論家、宗教者、教育者、エッセイスト、会社員、経営者、主婦、労働者、学生、年金生活者、ホ−ムレス、フリ−タ−等々…、続々と「九条を守る」闘いに結集して、平和の輪を太く強固なものにしたいですね。

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崔智之さん(在日コリアン三世)

チェ・チジといいます。横須賀生まれ、横須賀育ち。僕自身、在日韓国人の青年の団体で、若者向けに韓国語・歴史教室を主宰しながら生活しています。

在日韓国人にとっての九条とは。リアルで深刻に考えています。韓国、北朝鮮に親戚がいます。戦争することになったらアメリカと手を組んで銃を向けることになると思う。みなさんの友だちの自衛官が、僕の親戚を殺しに行く。僕の払った税金で作った弾で、親戚が殺される。

日本に生きる若者のひとりとして。僕自身が横須賀で生まれて育ってきたから、大好きです。若い世代がもう少し世の中に関心を持てたらと思います。いっしょに何かできたらいいかなと思っています。

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後藤恵子さん(母親)

呉東弁護士の話は目からうろこでした。6歳と4歳の子どもたちが、三笠教会で毎日お祈りをしています。「戦争をしないようにお祈りをしてるんですよ」と言われます。横須賀に越してきてから思うことは、三笠教会の隣に米軍基地があること。私たちが入ってはいけないところがあるということが信じられませんでしたが、だんだん慣れていきました。子どもに「あの人たちは僕たちを守るためにいるんでしょ?」と聞かれ、答えられませんでした。

先日、反日デモのニュースをやっていて、子どもが「これは何?」と聞いてきました。子どもは映像をリアルに捉え、敏感に感じていますが、大人は感じないようにしています。ああもう、守ってあげなきゃ。高校生になって兵隊に連れていかれることがないように、守ってあげなきゃ。主人は、徴兵なんてないよ、できたとしてもみんな逃げちゃうよ、といいます。けど、自衛隊員が減ったらそういうことになる。教育基本法が変えられようとしています。自分の意志で「守るために行ってくるね」なんていうんじゃないか。私はいつも不安でいます。けど、こうやって人が集まって行動を起こす勇気が持てたらと思いました。知り合いに憲法のことを話す勇気がでました。

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岸牧子さん(横須賀市民九条の会呼び掛け人)

横須賀市民九条の会のこれから

呼びかけ人・賛同人は、今日の資料に加え、今日呼びかけ人になられた方を含め、193名になりました。

一人一人は戦争する国になるのはいやだと考えていても、バラバラでは諦めるしかありません。まず自分が声えを出して他の人とつながれると、とても大きな勇気がでます。今日の発足学習会から得たパワ−を足がかりに、周りの身近な人にみんなで拡げていきたいです。

「そうだよね」という関心のある人だけで集まっていては、憲法は無くなります。九条のことは、良く知らないという人にも、改憲で戦争する国になること、私たちがやっと納めている税金が、人間が生きる上で必要な福祉・教育に使われず、公共事業や軍事費、特にアメリカを支える形でイラクの子ども達を殺すことに使われているのを良いと思っている人はいません。それを望んでいるのは武器商人だけです。ですから私たちが、どれだけ「そうだよね」という人でない人と、一人でも多く対話していくかが課題です。ここに憲法九条を守れるか否かが掛かっています。

しかし、戦争はいやという願いは一致しても対話していくと簡単ではありません。「丸腰で平気か」という一言で、言葉に詰まってしまうことや、それがもとで論争になってしまうこともあります。説得ではなく、一緒に学べたらどうかなと思っています。それには大きな講演会だけが大事なのではなく、二人くらいからでも、小さな学習会・話し合う場が、横須賀中で「いっぱい・しょっちゅう」開かれているようにつくりたいです。身近に本当にステキな人がいっぱいいます。あなた自身もそうです。一方的に教わるのではなく、学び合い・交流しあい、考える場を沢山つくりましょう。その方が新しい人も呼びやすいと思います。そしてこのことが、第七艦隊があり原子力空母の問題を抱え、小泉首相の出身地である横須賀の市民が「NO!」という意志表示をすることであり、とても大きな意味を持ちます。沖縄の連帯からいつも勇気をもらうように、日本中に影響していきます。

この会を立ち上げるにあたり、どうしても学習会をしたかった方が二人いて、それは呉東正彦さんと小森陽一さんです。呉東さんとは以前からつながりがあり、相談しながらここまでやれてきたことは「暗闇に友の足跡」の思いです。一方、小森さんは面識がなく一方的に親しみをもっているだけでした。それで、3月8日に九段会館で講演会があるのを知り、行って来ました。その講演のなかで小森さんが最初に話されたことは、「ぼくの話を二回め以上、という方はどれだけいますか?」と聞きました。満席の会場の三分の一以上が手を挙げました。小森さんは、「芸人でしたらリピ−タ−が多くてとてもうれしいところです。しかし、一回聞いたことのある方は、チケットを聞いたことのない人に譲る、という運動をしてほしい」と話されました。次回、10月2日・ベイサイドに来ていただきますが、新しい人へ連帯の輪を拡げて、みんなでつくり合いたいと思います。よろしくお願いします。

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