歴史を歩く、歴史街道・古道を行く

歴史ロマンを求めて、後醍醐天皇南朝哀史の歴史舞台をてくてく歩く

南朝哀史と桜の名所・世界遺産吉野山を行く

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歴史街道目次


吉野山を行くプロローグ

画像をクリックするてくてく歩き詳細地図になります

 はるか平安の万葉の時代から現代まで、桜の名所として親しまれてきた吉野山。そこは古代から山岳信仰の山として、熊野などと並んで多くの信者を集めた修験道の聖地でもあった。
 また日本の歴史を彩った歴史上の有名人たちが足跡を残した歴史の山でもある。
 山中には、後醍醐天皇が開いた南朝哀史の舞台として、如意輪寺・吉水神社などゆかりの史跡が点在する。春には、山を埋める数10万本といわれる桜が山裾の下千本から中千本・上千本・奥千本と順送りに満開となり、太閤秀吉をはじめ多くの人達をひきつけてきた。
 4月上旬の桜の時期、世に名高い吉野の桜を観ながら、点在する名刹や、南北朝時代の後醍醐天皇ゆかりの史跡を巡って、登り口から奥千本の金峯神社まで、世界遺産の山を歩いてみた。

             歴史街道てくてく歩きコース

        黒字ー交通機関利用コース 赤字ーてくてく歩きコース


橿原市ビジネスホテル→近鉄「橿原神宮前駅」乗車→近鉄「よしの駅」下車、徒歩スタート→吉野下千本→金峯山寺→上千本口バス亭→奥千本口バス亭→金峯神社→義経隠れ塔→吉野水分神社→上千本→如意輪寺→ささやきの小道→近鉄「よしの駅」→橿原神宮前駅ゴール

          歩行距離 約14キロ  歩いた歩数22100歩                                  

 近鉄「よしの駅」へ

吉野山への入り口近鉄「よしの駅」

 歴史と桜の名所で世界遺産にも登録された修験道の聖地吉野山。 今年は春先の寒気で例年に比べ桜の開花が1週間ほど遅れているとの情報で、急遽日程をずらしての4月9日、私にとって長い間、念願だった吉野山に登る日が来た。

 すでに1週間近く滞在している橿原市のビジネスホテルを早朝の7時に出て、近鉄橿原神宮前駅より吉野線に乗車する。乗車賃510円を払い、1時間ほどの乗車で、てくてく歩きスタート地点の「よしの駅」に着いた。
下千本、金峯寺近くの枝垂れ桜

 吉野駅前は、まだ朝早い8時を過ぎたばかりの時間なのに、すでに花見のハイキングスタイルの人達でいっぱいである。ガイドブックと地図を片手に大勢の花見客と共に歩きだした。
 まずは途中でバスに乗る予定の上千本口バス停に向って、急峻な七曲坂を登って行く。しかし残念なことに沿道から見える吉野の桜の大部分を占める「シロヤマザクラ」の桜はどこを見ても咲いていないではないか。
 木の枝を見ると固い蕾み状態である。開花が例年に比べ遅れているとの情報で、当初日程を5日ほど遅らせてやって来たのだが、それでもまだ早かったようである。

 強大な伽藍金峰山寺

金峯山寺の仁王門(国宝)が迎えてくれる

 世に有名な吉野の桜に対する思い入れが深かっただけにガックリきたが、桜はダメでも史跡の宝庫の山である、見所はたくさんあると自分自身に言い聞かせ歩を進めることにした。

 急勾配の七曲坂をすぎ、旅館やみやげ物店が軒を連ねる尾根上の道を進み、金峯山寺の仁王門近くまで来ると、何と!満開の見事なピンク色の枝垂れ桜が、数本だが咲いているではないか!枝垂れ桜はヤマザクラに比べ開花時期が早いようである。これなら部分的だが枝垂れ桜だけは楽しめそうである。

金峯山寺の蔵王堂(国宝)

 やがて目の前に立ち塞がるように金峯寺の仁王門が迎えてくれる。圧倒的なスケールで国宝に指定されている門だ! ここは7世紀の末、役行者によって創建された金峯山修験本宗の総本山で、この寺と吉野山一帯の霊場と参詣道全体が世界遺産に登録されたばかりである。
 仁王門の石段を上がり、同じく国宝の本堂の蔵王堂にお参りし、ゆるやかな尾根道を進む、狭い道の両脇にはびっしりと土産物店と民宿を兼ねた食堂が並び、観光客が道をふさぎ行き来も出来ないぐらいぐらいの賑やかさだ。やがて、中千本をすぎると、徐々に建ち並ぶ土産店も少なくなり、行き交う人も少なくなると、奥千本までのバス乗り場の上千本口バス停が見えてきた。  

ミニバスで奥千本へ

奥千本への登り坂道

 ここからはちょっと手抜きしてバスに乗車し最深部の奥千本まで行くつもりだ。バス停には何台ものミニバスが待機しており、それに乗る為の登山服姿のハイカーが列を作って並んでいる。補助席も倒した超満員のバスで、杉林の中の細い尾根道を20分ほど走ると、終点の奥千本口バス亭に着いた。バスを降り、大勢の人達とゾロゾロ歩き出すと分岐道には立派な道標が立っており、ハイカーを迷うことなく吉野山の奥深くへ案内してくれる。

奥千本の吉野山の壮地主神「金峰神社」

 道標に従がい奥千本にむかって急峻な坂道を登っていくと、やがて目の前に杉林に囲まれた中に金峯神社が現われた。吉野山の総地主の神を祀っている古社で、中世以降修験道の道場としても栄えたところだ。
 社殿脇の展望台からは眼下一面に吉野や熊野の山々と大和の盆地が一望できる。金峰神社社務所の脇から小径を下っていくと小さな塔が建っている。
 義経隠れ塔と呼ばれており、謀反の疑いで兄頼朝による追っ手がかかった源義経が吉野山のこの地まできて、このお堂に身を潜め発見されると屋根を蹴破って逃れたという故事にちなんで、別名「蹴り抜けの塔」とも言われていると、ガイドブックには書いてある。
奥千本の義経隠れ塔

 
 中を覗き込もうとしたが硬く扉が閉まっており全然見えず!しかし、ここ吉野山奥にも義経の足跡が残っているとは!日本中どこに行っても義経の足跡がある。

 桜を探してみたがやはり奥千本にも1本の桜も咲いていていない!ここもまだ時期は早いようである。

 奥千本から上千本へ下る

奥千本から上千本への下り道
 ここ奥千本からは下千本の近鉄「よしの駅」まで戻っていくのだが、ずっと下りの尾根道を歩くことになる。
まず上千本に続く尾根道を少し下っていくと高城山展望台に着いた。ここからは、はるかに葛城や金剛の山並み、近くには折り重なるように続く、吉野の山々が展望できた。
 さらに下って行くと吉野水分神社が見えてきた。奈良時代かそれ以前から存在した古社で、3つの社殿を一つにつないだ珍しい形の建造(重要文化財)で、水の配分を司る神を祭神としているのだが、子授けの神社としても知られ、豊臣秀吉がこの神社で祈願したら秀頼が生まれた、といわれているありがたい神社でもある。(右下画像)

展望台からの大和盆地クリックすると画像が拡大します あちこちにある道票クリックすると画像が拡大します 珍しい造りの吉野水分神社クリックすると画像が拡大します

花矢倉展望台からピンクに
  染まりだした吉野の桜が

薄いピンクに染まりだした吉野の尾根

 上千本エリアの吉野水分神社からさらに少し下ると、吉野山が全体が一望できる花矢倉展望台がある。
 尾根道にせり出したような展望台からは、咲き始めた桜でピンク色に染まりつつある下千本〜中千本にかけての、すばらしい絶景が目に入ってきた!開花時期が遅れており桜の景観は見れぬものと諦めていただけに、しばし眼下に広がる景観を楽しむことにする。 尾根の鞍部に軒を連ねる金峰山寺蔵王堂や土産店、旅館街の門前町もよく見えるではないか!

後醍醐天皇ゆかり如意輪寺

桜で色づき始めた中千本エリア
 上千本の花矢倉展望台からは、谷向こうの別の峯にある南朝哀史の舞台「如意輪寺」に行くべく、今までの道と別れ、細い急峻な山道に入り込んだ。ここらあたりから如意輪寺にかけては中千本と呼ばれるエリアで、少し長めのハイキング道からは、満開になりつつある早咲きの枝垂れ桜が360度の視界で目に入ってくる。
 登ったり下ったりの山道だが、満開の桜が疲れを感じさせない。ハイカーや花見の観光客がここ中千本あたりから俄然多くなりだした。あちこちで花見弁当をひろげ花見の宴を満喫してる花見客が目に飛び込んでくる。
中千本エリアの満開の早咲き枝垂れ桜


谷底から山の斜面を登ると歴史に名高い、知る人ぞ知る歴史の舞台の「如意輪寺」に着いた。

 ここ如意輪寺は今から1100年ほど前に創建された古刹で、南北朝の動乱時、吉野に皇居を置いた後醍醐天皇の勅願寺で、本堂裏手の山腹には52歳で憤死した後醍醐天皇の墓がある。 さらには「太平記」にも登場する有名なシーンの、後醍醐天皇の忠臣だった世に有名な楠木正成の遺児・正行(まさつら)が登場する舞台だった寺でもあるのだ。

歴史の舞台「如意輪寺」

歴史上の有名な舞台となった如意輪寺

 楠木正行は1347年北朝の足利軍との最後の戦いを前に「帰へらじとかねて思へば梓弓なき数に入る名をぞとどむる」と詠んだ辞世を、この如意輪寺の本堂の扉に矢尻で刻み、大阪・四条畷の戦いで壮絶な最後と遂げたのだ。その時の辞世を弓矢の矢じりで刻み込まれた扉を、600円も払い宝物館で見たのだが、薄汚れていて、あまりはっきりと読み取ることは出来なかった。それにしても高い拝観料だ!
 
境内奥に進むとみごとな枝振りの枝垂れ桜が満開である。
如意輪寺境内のしだれ桜
その桜の木の下には「わが子と最後の別れをして戦いに臨もうとする楠木親子の石像」があった。
 小さい頃何度も読んだ楠正成の歴史小説に必ず登場する名場面を思い出し胸にジーンと迫ってくるものがる。
 しばし境内のベンチに座り満開の桜を鑑賞しながら一服する。
 春の暖かい陽射しが降り注ぐなか如意輪寺裏手にある後醍醐天皇陵に立ち寄り帰途に着くこととした。
 ここからは、てくてく歩き終着点の近鉄「よしの駅」までは、谷底に下り「ささやきの小道」と呼ばれる杉林の中の道を3キロほどを歩く。

中千本から如意輪寺へクリックすると拡大画像になります 楠木親子の最後の分かれ場面クリックすると拡大画像になります 後醍醐天皇陵への道クリックすると拡大画像になります

 なだらかな「ささやきの小道」をしばらく進むと数軒の吉野温泉がある。そこを通り過ぎると臨時のテント村売店が建ち並びハイカーで混雑している終点の「よしの駅」の駅前広場が見えてきた! ここからから再び電車に乗り橿原市のホテルまで戻るのだ。
終点「よしの駅」近くのしだれ桜

 エピローグ

 全国に知られた桜の名所。全山に歴史上の有名人達の足跡が残り、さらには修験道の聖地として世界遺産に登録されたばかりの吉野山。以前に団体ツアーであわただしく中千本まで観光した時、もう一度来て、ゆっくり時間の制約を受けず、吉野山の全てを歩いて見て回ると心に決めていた。
 念願がかない、桜の開花時期を見計らって再度やって来た。春先の寒気が影響して、例年に比べ大きく開花時期が遅れていまい、全山を埋め尽くすといわれる山桜は見ることは出来なかったが、早咲きの枝垂れ桜が満開であった。 中千本エリアまでは、道を埋め尽くすほどの大勢のハイカーに混じってのウオーキングだったが、その後は整備された尾根道を、登ったり下ったりしながら、歴史上の有名人達が残した史跡を見ての、歩行時間5時間ほどの快適なハイキングであった。
                                end

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