歴史を歩く、歴史街道・古道を行く

歴史ロマンを求めて、日本の街道てくてく歩き紀行

日本最古の国道竹の内街道を行く

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歴史街道の目次


日本最古の国道
竹の内街道を行くプロローグ


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 竹の内街道は河内と大和をつなぐ道である。 奈良盆地南部から万葉集にたびたび詠われた二上山の西麓「竹の内峠」を越え、大阪の堺へ通じる日本最古の国道1号とも言うべき街道である。 
 その歴史は、はるか推古天皇が西暦613年に造ったと日本書紀に記され、時の摂政だった聖徳太子は大陸の文化、仏教をこの道を通してとり入れ、政治改革を進めた極めて重要な道であった。 
 遣隋使として知られる小野妹子も、この道を通って大陸を目指し、大陸からはるばるやってきた使者たちもこの道を通って都のあった飛鳥へと向かって行った。
 この街道が通る太子町には聖徳太子のお墓があり、今でも細い坂道がつづき、道沿いには古い大和棟の民家が軒をつらねている。 さらには、この街道筋には孝徳天皇陵、聖徳太子の父、用明天皇陵、推古天皇陵、遣隋使だった小野妹子の墓など、古代史を彩った多くの人々の古墳が集まっており、この道は古代の葬送の道でもあったと言える。
 太子町の聖徳太子の御廟所にお参りし、聖徳太子も歩いたであろう日本最古の官道を、多くの国宝があることで有名な當麻寺まで、ガイドブックとデジカメ片手に歩いてみた。              

             竹の内街道てくてく歩きコース

        黒字ー交通機関利用コース 赤字ーてくてく歩きコース
 橿原市のホテル→近鉄橿原神宮前駅→近鉄「上の太子駅」出発→太子町住宅街→
「聖徳太子」廟所がある叡福寺→古い民家がつづく山田集落→孝徳天皇陵→道の駅
「近つ飛鳥の里太子」→竹の内峠→竹の内集落→當麻寺門前町→當麻寺→
近鉄當麻寺
 駅→近鉄橿原神宮前駅終点


          歩行距離 約14キロ  歩いた歩数24000歩


橿原市のホテルを出て
   近鉄「上の太子駅」へ

 聖徳太子廟所に向かう途中の太子町住宅街

 4月上旬の午前7時半、奈良盆地南部の橿原市のビジネスホテルを出て近鉄橿原神宮前駅にむかった。 駅の構内のコンビニで朝食用にアンパンを2個買い、目的の「上の太子駅」に行くべく390円の乗車券を買い、近鉄南大阪線の電車に乗り込んだ。
 車外を眺めていると左手に、万葉集にたびたび詠われた「二上山」が見えてくる。 この山の裾野を迂回するように電車は走り、出発してちょうど10番目の駅である「上の太子駅」で下車した。
 きょうは、この「上の太子駅」から竹の内峠を経由して當麻寺駅まで、随所に街道情緒が残り日本最古の国道とされる竹の内街道を歩くのだ。街中のいたるところに史跡への標識が
 

 
 駅前からまず「聖徳太子」の御廟所があるといわれる「叡福寺」に向かうことにした。 実は今日までこの太子町に聖徳太子の墓があるなんてガイドブックを見るまで全然知らなかった!
 歩き出したが冷たい風が肌を刺す!今日の天候はこの時期としてはメチャ寒く、うす曇の天気で風が強く、体感温度は5度ぐらいだ! 古い家並みがつづき交差点には、この街が聖徳太子に縁の深い町であることを物語る案内看板があちこちにある。

聖徳太子の廟所がある叡福寺

聖徳太子の墓がある叡福寺
 
 太子町の街道要所ポイントには、この町に点在する古代の史跡までの道標があちこちに立っており、道に迷うことはない。やがて家並みの彼方に「叡福寺」の伽藍が見えてきた!
 叡福寺には、推古天皇の摂政として飛鳥時代に活躍した「聖徳太子」の御廟所がある。 聖徳太子は西暦622年に49歳で斑鳩の宮殿で没し、生前に自ら定めていた太子町のこの地に葬られたのである。
 
 ガイドブックによると、太子が埋葬された後に、推古天皇が築いた叡福寺はのちに法隆寺や四天王寺と並ぶ聖徳太子信仰の中心地となり、多くの参拝者を集めたと書いてある。 しかし境内に入ると今は訪れる参拝者も少ないようで、境内には私を含めて3人がいるだけであった。
 境内奥の聖徳太子廟に行くと、これが日本史に登場する超有名な人物の墓とは思えないような、意外と小さな墓であった。小さな円墳には太子の母と妃も合葬されており、三骨一廟といわれる珍しいものであるらしい。

叡福寺の金堂クリックすると拡大画像 境内にある聖徳太子廟クリックすると拡大画像 聖徳太子のお墓クリックすると拡大画像

聖徳太子廟から竹の内街道へ

街道情緒がたっぷり残る山田集落

 叡福寺を出て太子町住宅街をぬけ、国道166号線を横切り、二股の分岐点を右手にのびる旧竹の内街道に入って行くと、古い虫篭窓の民家が軒を連ねる山田集落である。
 街道はカラー舗装が施され、歩きやすく道に迷うことなく歩ける。 旧道沿いに並んでいる民家は伝統的な大和棟造りで街道情緒たっぷりだ。
 ゆるい坂道を登っていくと「孝徳天皇陵」があった。 このあたりの二上山西麓には、6世紀後半から7世紀中ごろにかけて築かれた、用明天皇陵や推古天皇陵など多くの古墳が集まっており、さながら王陵の谷といったところである。
山田集落にある孝徳天皇陵

 いま、私が歩いている竹の内街道は古代には葬送の道であったとも言える。
 孝徳天皇陵をすぎるとやがて街道左手に竹之内歴史資料館があったので,入館しようとしたら月曜は定休日で見学できず、やっぱり公共施設は見学者本位ではなく職員本位のようだ。
 
 やがて街道は再び国道166号線と合流した。合流地点には道の駅「近つ太子の里飛鳥」があったので、休息をとることにして中に入ると、奥まったところにカウンター形式の喫茶コーナーがあり、地元客らしき二人の男と、カウンターの中にはウエートレスの中年のおばさんが二人おり談笑している。

竹の内峠頂上から左手が万葉に歌われた二上山

 
 私もカウンターに座るとコーヒーを注文し、ウエートレスのおばさんに、「この先の、竹の内峠を越えて當麻寺駅まで、歩いてどのくらいの時間がかかるの?」と聞いてみると、「歩いたことがないので分からない」と答えるではないか。 
 すると、私の隣に座りやりとりを話を聞いていた地元客の男性が口を挟んできて「本当に當麻寺駅まで歩くの?」「かなりの距離あるよ!」と聞いてきた!
 私が「そのためにここまで来た」と答えると、次ぎは「どこから来たの?」と聞き返してくる、私が「札幌からこの竹の内街道を歩くために来た!」と言うやいなや、ウエートレスと客の4人が一斉に叫んだ!「エッー、札幌から来たの!」
竹の内峠を越え国道から旧道に入る


 4人とも、何と!物好きな!というような表情をしているではないか! 札幌からきて街道を歩くという風変わりな人間に興味を持ったようで、矢継ぎ早に質問を浴びせてくる。
 関西方面の旧街道を歩いていると、よく近隣県の人達がウオーキングしているのにぶつかるが、さすがに札幌からというのは私ぐらいで、たまたまゆきずりで会話となると質問攻めにあう。
きょうも彼らの暇つぶしに格好の相手となってしまった!しばし会話のやりとりをして、一服を終えると再び国道を歩き出した。

峠を越え司馬遼太郎の故郷
     「竹の内集落」へ

峠を越えると杉並木の旧道に入っていく
 道の駅を過ぎると「竹の内峠」までゆるやかな坂道の国道を、左に二上山を見ながらしばらく上っていく。頂上付近で昼となったので、道路脇ドライブインで昼食のカレーライスを食べ、峠を越えると、国道から旧道に下りて行く階段がある。
 車の往来がはげしい国道からそれて、杉並木が続く旧道へ足を踏み入れ竹の内集落まで歩くことにした。  やがて峠を下ると「竹の内集落」に入った。
 大和棟の情緒ある農家や商家が軒を連ね、竹の内街道の道中で最も街道風情が残っている道である。

街道情緒が色濃く残る竹の内集落

 この當麻町の竹の内集落は、私の大好きな日本を代表する歴史小説の作家である、「司馬遼太郎」が幼少の頃暮らした町でもあるのだ。 長い歴史のある街道は有名人の往来も多く「松尾芭蕉」もこの街道を歩き俳句を詠んでいる。 
 芭蕉ゆかりの旧跡綿弓塚のそばにある、歴史を感じさせる伝統的建築家屋の休息所でしばし一服し足を休めると、きょうの街道歩きの終点近くにある「當麻寺」に向かうことにした。

この地方独特の大和造りの民家が多い

国宝でいっぱいの當麻寺

 竹の内集落を通り抜ける国道の歩道をしばらく歩いていると、當麻寺の門前町である歴史を感じさせる情緒ある街並みの通りの出た。十字路を左に折れ門前町街並みをブラブラ前に進んでいくとやがて国宝だらけの寺「當麻寺」の仁王門に突き当たった。
 當麻寺は白鳳時代に建立されたと言われる禅林寺で、境内の数多くの伽藍や仏像が国宝に指定されており、見どころがいっぱいある古刹である。とくに境内には白鳳時代に創建され、奈良時代の三重塔(両方とも国宝)を東西二基とも残す全国唯一の寺なのである。

當麻寺の門前町通り

 また、「當麻曼荼羅(たいま・まんだら)」を本尊とする「極楽浄土の霊場」で、古刹の風情をよりいっそう、かもし出している。
 さらには、中将姫が織ったと伝わる国宝の曼荼羅もあるのだ。 また花の寺としても有名で、特に境内にあるボタン園は80種4000株が植えられているのである。時期になると全国から大勢の観光客が訪れることでも知られた古刹なのだ。ちょうど桜が咲き始めた国宝建築物が建ち並ぶ境内をゆったり参観をする。 

白鳳時代の国宝がいっぱいの古刹當麻寺 画像をクリックすると拡大します

當麻寺の山門 満開の桜が映える国宝三重塔 国宝の本堂

国宝だらけの當麻寺の伽藍

 當麻寺参観を終えると、宿泊拠点のある橿原市のビジネスホテルに戻るために、1キロほど先の近鉄當麻寺駅へ向かうと今日の竹の内街道ウオーキングは終わりとなる。

竹の内街道歩きエピローグ

 日本最古の官道と言われる竹の内街道の中央部を、近鉄上ノ太子駅〜近鉄當麻寺駅までの15キロあまりを、てくてく歩いてみたが、あまり知られていない聖徳太子のお墓を拝観し、いたる所に街道風情が色濃く残る山田集落、竹の内集落を通り抜けて、国宝でいっぱいの古刹の當麻寺まで、見どころのある街道であった。
 終点の近鉄當麻寺駅から電車に乗車し、出発地の橿原神宮前駅まで帰り着くと午後3時だった。朝7時半にホテルを出発したので、参観、休息を含めて所要時間7時間ほどのウォーキングだった。

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