旧満州・中国東北三省を行く




瀋陽における朝鮮族のコロニー、コリアタウン

ここが中国?瀋陽のコリアタウン

 九・一八歴史博物館では日本人として、罪悪感と切なさとが入り混じった暗い気持ちで、日本が犯した中国侵略の歴史の一コマを拝観し終えた。
瀋陽西塔地区の朝鮮族コロニー・コリアタウン
 これで今日の瀋陽市内観光は終り、私達を乗せたバスは本日、2軒目の土産物店に立ち寄るべく、市内中心部にむかって走り出した。
 瀋陽駅の北側をバスが走っていると不思議な景観の街並みが現れた。車窓から見えるビル・商店・食堂などの看板が全てハングル文字なのである。

 ここ瀋陽駅北側一帯は、中国にありながら中国とは雰囲気がまるっきり違う「西塔」といわれるエリアで、ハングル文字を使う朝鮮族・韓国・北朝鮮の人々が集まって暮らしている「コリアタウン」になっている。 どこを見てもハングル文字のオンパレードで、ここは中国なのかと疑いたくなるほどだ!。
 いま世界各国主要都市のどこに行ってもチャイナタウンとコリアタウンがあるが、ここ瀋陽のコリアタウンはアメリカのロスアンゼルスに次ぐ世界で2番目に大きいコリアタウンとのことである。

中国東北部における朝鮮族

中国には56種の少数民族がいるが、その中で朝鮮族は約200万人といわれ、その大半が東北三省(旧満州)に居住している。ちなみに一番多い少数民族は中国南部で天下の絶景といわれ、山水画のような景観で有名な桂林の広西省に住むチワン族(1560万人)で、次に満州族(990万人)が2位とつづき、朝鮮族は13番目となっている。
この中国東北地方における朝鮮族の歴史も、過去日本における朝鮮、中国に対する誤った国策の歴史を抜きに語ることはできない!。 1910年日本による朝鮮の併合、さらに1932年には満州国が成立すると、朝鮮半島からは日本の移民政策もあって新天地を求めて満州国に渡る朝鮮人が激増した。
 満州全域(中国東北地方)に様々な職業の朝鮮人が拡散居住していったのだ。
 
しかし太平洋戦争における日本の敗北にともない、満州国の崩壊と朝鮮の解放によって、満州に移住した多くの朝鮮人が祖国に戻ったが、約100万人がその後も中国内に残留し、これが今日の中国朝鮮族の起源となったのだ。
 朝鮮半島と国境を接する遼寧省の省都である瀋陽は、必然的に現地朝鮮族・在中国韓国人(企業駐在員、留学生)、北朝鮮の出稼ぎ部隊などが集まるようになり、現在はこの西塔地区に3万人余りの朝鮮族が居住し別名「小ソウル」といわれるぐらい賑やかな街となっている。
 韓国国旗が描かれた商店

 近年、中国各地を旅していると、韓国系企業が猛烈に進出しているのに目を奪われる!中国の主要都市に行くと、日本企業を凌駕する勢いの韓国企業の看板が目に飛び込んでくる。      
 特に瀋陽では外国企業といえば韓国企業ばかりだ。特にこの西塔のコリアタウンには100社余りの韓国企業が活動し、瀋陽市政府も外資導入の柱として、5年以内にロスアンゼルスを追い抜き世界最大のコリアタウンにする戦略を制定したというニュースも流れているほどだ。

今夜の夕食はコリアタウンで

 もとへ、ハングル文字看板のレストランや商店が林立する、バイタリティ溢れる朝鮮族の街並みを通り抜け、本日2軒目の土産物店に20分ほど立ち寄ると、いったんバスは今晩の宿泊先である政府系のホテルに着いた。
 チェックインを済ませ、部屋でシャワーを浴びると、すぐ夕食への出発時間となった。 再びバスに乗り込むと何と!夕食は韓国料理ということで、レストランの場所は先ほどバスで通り抜けたコリアタウンだというではないか。

商店の看板はハングル文字のオンパレード
 再びバスは朝鮮半島以外では最大級の朝鮮民族のコロニーがある西塔のコリアタウンに向かうと、飲食店が立ち並ぶ繁華街の路上の一角に停まった。 
 バスを降りてから夕食の韓国料理店まで少しばかり歩くのだが、あたり一帯の商店にはハングル文字が林立し、大音量で流す韓国音楽がガンガン耳に響いてくる。とうとう韓国に対抗して北朝鮮国旗が描かれた店まで出現してくるではないか!

夕食は大嫌いな肉料理だ!

 韓国料理店では店内の奥まった個室に案内された。すでに座敷の堀コタツ式テーブルの上には5種類の肉が盛られた中皿が並んでいる。
 乾杯とともに会食が始まった。 実を言うと、私は大の肉嫌いである!幼いころより畜肉類が苦手でどうしても食べることが出来ないのである。テーブルの上に並んでいる料理で私が食べれる物といえば「キムチ」と大根の漬物ぐらいである。
 
 私達7人が座った個室には、部屋の接待当番らしい背が低くて小太りの小姐がおり、かいがいしく世話をやいてくれる。近隣の朝鮮族の農家からの出稼ぎだろうか?若くてほっぺたが赤くどう見ても田舎娘まる出しである。
 私を除いた6人が早速、お盆に盛られている肉をコンロの上で焼こうとすると、彼女は大声で制止するではないか!自分が焼いて皆さんに取り分けて上げるというのである。
 手際よく次々にコンロで焼き、焼きあがると鋏で食べやすいサイズ切わけながら、各自の小皿に乗せてくれる。私の小皿にも焼き上がった肉を乗せてくれようとしたところで私は思わず手を振って言った!「僕の皿には肉はいらない!他の人に上げて!」

 すると彼女は箸に肉をはさんだままびっくりしたように言った!「アイヤー何でだ!うまいぞー!」 私は申し訳ない気持ちで言った!「ごめん!肉が嫌いで食べることができない!」すると彼女は信じられないものでも見たように、目を大きく見開き言った!「こんな美味いものが嫌いだって!」「どうしてだ!???」
 彼女のびっくりした顔を見て、札幌に住む知人の中国人留学生が言っていた言葉を思い出した。「今でこそ中国も豊かになりつつあり肉料理を時折、食べれるようになったが、つい10年ほど前は僕の家では肉料理といえば誕生日と正月ぐらいしか食べることができなかった」と。
 そんな贅沢な肉を食べない私を不思議な者を見る目で、彼女は何故食べぬと不思議がっているのだ。           

 皆の前で彼女に肉が嫌いで食べない理由を長々と説明してもしかたがない!私は言った!「とにかく僕は肉を食べないので皿に盛らなくていいよ!」・・・
 会食が進み、皆が旺盛に焼肉を食べているのを尻目に、私がキムチを肴にしてビールをちびちび飲んでいると、田舎ネエチャンの小姐が私の席にきて小声で言った!「お腹がすくでしょ!何か食べないと!」私が「慣れているから大丈夫だよ!肉が入らない料理あるの?」と聞くと、小姐が「ちょっと待ってて下さい!」と部屋を出て行き、しばらくするとニコニコ顔でお盆に乗せた石鍋をもってあらわれ、私のテーブルの上に置いた。
 中をのぞくと何と!肉抜きの特製石焼ビビンバではないか!私は思わず嬉しくなり謝謝(シエシエ)を連発した。嬉しいではないか!肉を食べない私を一生懸命気遣ってくれているのだ。
コリアタウンの香辛料店

 私は石焼ビビンバをそくさく食べ終えると、まだ皆が夕食途中のところを添乗員に無理をお願いして途中退席させてもらうことにした。
 自由行動をとらせてもらいコリアタウンを散策したくなったのだ。
 夕食を続けている旅仲間に退席挨拶をしてレストランを出ようとしたら、田舎ネエチャンの小姐が店先の路上まで見送りに出てきてくれた。

 私はいろいろ気を使ってくれた彼女にさりげなくチップとして50元札(約750円)を手に握らせてあげた。彼女はお札を見てびっくりし私に返そうとしたが、私が貴女のサービス態度がよかったのでチップです!取っておきなさい!」と言うと、嬉しそうに何度も謝謝(シエシエ)を言いながらポケットにお金をしまった。
おそらく50元といえば彼女が一日働いた日給以上に相当しているはずだ!   
 焼肉店に勤める彼女にとって50元ものチップを貰うなんて、めったにないことだろう!これで少しは日本人に好感をもってくれるだろうか?と一瞬思いつつ夕暮れせまるコリアタウンをブラブラ歩き始めた。

夜は歓楽街に変貌のコリアタウン

 ブラブラ歩きもよいが、地図もないし東西南北もよく分からない!とにかくやみくもに何でも見てやろうとデジカメ片手に大路から路地裏まで、やみくもに歩き回ってみた。犬がそのまま吊るされ売っている

街頭の電柱のスピーカーからは大音響のコリアン音楽が流れ、道を行き交う人の言葉も朝鮮語と中国語が飛び交っている。
 いま中国でも日本同様韓流ブームである。ここ西塔エリアに来ると韓国ソウルの気分が味わえるということで、中国人にとってもホットな観光名所に変貌しつつあるのだ                                                                               
 
 「朝鮮族百貨大楼」の大きな看板が掲げられたデパート、ハングル文字看板の商店が軒を並べている中には、朝鮮族必須アイテムの唐辛子を売る店、朝鮮族食文化を代表する犬肉をそのままの形で吊るして売っている店などが次々と現れる。
 洗浴中心と書かれた看板の店(日本でいうトルコ風呂みたいなもの)の前を通ると、胸元が大きく開いた薄着の妖しげな客引きネエチャンが熱心に声をかけてくる。物乞いまでもが現れ手を差し出してくる。
 ここでは恐らく北朝鮮製の偽札、偽外国タバコ、覚せい剤、偽バイアグラが横行しているにちがいない。

何と!北朝鮮の店までがある

北朝鮮の国旗が掲げられたレストラン
 しかしコリアタウンは何と言っても飲食店が圧倒的に多い!さまざまな飲食店が林立する中にとうとう発見した!何と北朝鮮の国旗を掲げた国営レストランだ!外貨不足の国難を受けて、出稼ぎのためのレストラン「瀋平閣」と書かれた看板が立っている。
 聞いたところによると今この瀋陽西塔のコリアタウンには7〜8軒の北朝鮮国営レストランがあるとのことだ。

 これら北朝鮮の国営レストランには、北朝鮮国内で選別された若く美しく歌と踊りが上手な「喜び組」みたいなウエートレスがいるのだ。
 玄関を出入りする彼女達をさりげなく拝見したが、間違いなく選別されて送り込まれたのであろう、全員均整の取れた体型で美人ばかりだ。
 さらに歩みを進めていると、これまた別な北朝鮮レストランが見えてきた!。平城館と牡丹館という店で、道を挟んで斜め向かい合わせに建っており、将軍様を称える音楽をガンガン鳴らしながら、対抗意識むき出しで通り客の獲得合戦をしているではないか!
 売り上げのノルマがあるのであろうか?売り上げが少ないと将軍様えの忠誠心が足りないといわれ収容所送りになるのであろうか?

ネオン輝く北朝鮮レストラン牡丹館
 興味津々で見ているうちに、北朝鮮のレストランに入り、その経験を日本へ帰ってからの土産話にしたい気持ちが沸き起こった!さらには名物の北朝鮮冷麺も食べてみたい!どうしても入店してみたい!。
 少し離れた場所からレストランの入り口を覗き見ながら気持ちが揺れ動く。
 玄関を見ていると意外なことに客が次々入っていく。結構繁盛しているようだ! 入るか止めるかどうしよう!もう一人仲間がおれば必ず入店するのだが、男一人でテーブル席に座るのもちょっと気が引ける。まして日本人である!美しい喜び組の小姐に鼻の下を長くしていると、うまいこと言われ北朝鮮に拉致されるかもしれぬ!日本では一人寂しく私の帰りを待っている愛妻がいる。あれこれ迷い未練が残るが入店をあきらめる事にした。

北朝鮮レストラン事情

 夜の帳が下り街はすっかり暗くなった。ネオンやカラフルな灯りが店からあふれ出し、ススキノの一角に佇んでいるような気分にさえなってくる。
 これ以上、治安があまりよくないこの街を一人でブラついていると、本当に日本へ帰れぬ事態になるかも知れぬ。散策を打ち切りホテルに帰るべくタクシーを拾い乗り込んだ。
 ホテルに戻るとロビーに中国人ガイドが、私の帰りを心配して待機してくれていた。 彼に先ほどコリアタウンで見た北朝鮮レストランのことを尋ねてみると!彼は何軒かの北朝鮮レストランに入ったことがあるそうで、私に彼の体験談を詳しく語ってくれた。
北朝鮮のレストランのホステス(借用画像)

 彼が言うには北朝鮮レストラン入店客の約半分が現地中国人、3割程が韓国人、残り2割程が日本人と在日朝鮮人ということ。
 店内の飲食物の応対をするホステスは全員が歌い踊り、それを目的にした入店客が大半であること。
 歌う唄の大半は国家と将軍様を称える唄だが、日本人客がいるときには日本のヒット曲も歌うこと。
 更には一つのテーブルに必ずホステスが張り付き、付きっ切りで世話をやいてくれ、あれこれ飲み物や料理を勧めるそうで、必死に売り上げを稼ごうとするそうである。
                                        
 さらには、彼も名物の北朝鮮冷麺を食べたそうで、ホステスが味はどうかと聞いてきたので、お世辞に親指を立ててすごく美味しいと答えてやると何と!ホステスが「それはそうでしょう、我が将軍様のご指導による共和国が世界に誇る冷麺ですもの!」と答えたそうだ。
何とも素晴らしい返答ではないか!かの国の将軍様は料理の指導もするのである。
 こんな会話のあと部屋に戻り眠りに着いたが、このホテルは大連や長春で悩まされた按摩嬢からの攻撃がなくゆっくり睡眠がとれた。

経済発展からみる中国人社会の変化

結婚式のパレード車列

 旅も7日目の朝をむかえた。今日の観光予定は瀋陽から北朝鮮国境方面へ走ること2時間ほどの所にある「本渓鍾乳洞」だ。船で鍾乳洞の中に入れる長さでは世界一とのことである。
バスの出発時間はゆっくり出発の9時ということである。早めに朝食を済ませ私は日課の早朝ウオーキングに出かけることにした。                  高級外車を連ねた結婚式の車列
    
 ホテルを出て大街を歩いていると黒塗りの高級外車の車列が走り抜けていく。ベンツ、アウディ、MBWなどの西ドイツ車を中心に10数台が車列を組み、それぞれの車が風船やカラーテープで飾り立てている。
花嫁を迎えに行く結婚式の車列だ!。朝の8時前から結婚式のギンギラギンに飾り立てられた乗用車のパレードが始まっているのである。

 やり過ごして歩いていると次々と別な結婚式車列が走り抜けていく。今日は中国では縁起の良い日とされる8の倍数の日だ!今日一日は瀋陽市内のホテル、レストランはどこも結婚式で満杯であろう。
 中国人は縁起をとても重要視する民族だ。特に数字の縁起にこだわりを持っており「8」の数字が特に良いとされる。結婚式の日取りは8日から始まってその倍数の日が選ばれ、式の開始時間も10時18分とか38分とかの8がつく中途半端な時間で開催案内されるのだ。とにかく8にこだわる民族なのである。

「現代中国式結婚事情」

 中国における結婚式の時間帯には決まりがある。初婚は午前中の時間帯、再婚者は午後の時間帯に式を挙げるのだ。(何故だかは不明)
 結婚式当日は、まず花婿が新婦を迎えに行く所から始まる。新郎はバラの花など生花で華やかに飾り付けられたリンカーンやベンツなどの黒塗りの高級外車に乗り、新婦を迎えに行くのだ。 
 新郎の車を先頭にして、お供にサイドミラーなどに赤い風船やテープを飾り付けた黒塗りのBMWやアウディなどの高級外車10台ほどに、新郎の家族、親戚、親しい友人などが乗り込んで車列を組み花嫁の自宅に向かうのだ。
 
 花嫁の自宅に着くと花婿は、花嫁の部屋に入ろうとするが花嫁側の一同は、それを阻止しようと花婿側と激しい押し合いをする。妨害をはねのけなんとかドアをこじ開け、中にいる花嫁に早く一緒に出ようと誘う。花嫁はもっとこの家にいたい、家族と別れたくないと駄々をこねる。 花婿は、花嫁に土下座してお願いをする。
 花嫁側の親戚1人々にタバコを1本づつ渡しマッチで火をつけて親愛の情を示しご機嫌をとる。

 親族に説得されやっとのことで部屋を出た花嫁を伴い、花嫁の両親の待つ部屋を訪れる。両親に土下座して、娘さんを幸せにすることを固く約束し、花嫁を抱いて玄関を出て迎えの車に乗る。中国どこでも大なり小なり、こんなセレモニーが行われるのだ。

 ここでさらに重要なセレモニーがある。必ず花嫁を抱きかかえて家を出て外に待機している車に乗せなければならないのである。
 式場に着くと爆竹がバンバン鳴らされ出迎えを受けるなか、これまた車から花嫁を抱きかかえて式の会場まで入場しなければならないのである。
 中国では花婿になるには、ゆうゆうと新婦を抱きかかえ歩くだけの強健な体力が必要なのだ!決してヨロついてはいけない、ヨロついたら終わりなのだ。
 結婚式までに太り気味の花嫁はダイエットして体重を落とし、虚弱な花婿は筋トレで体力をつけなければならないのだ!。私のような虚弱体質では結婚式を挙げることができないのである。

面子にこだわる異常な中国人社会

 話がちょっと脱線するが、中国における結婚式は面子(メンツ)が大きく関係している。中国人ほど面子(メンツ)を重んじる国民はいない!日本人が日常軽く使う単語のメンツとは重みがぜんぜん違う。
 中国人にとっての面子は「自己+見栄+虚栄+プライド+人生」を全部含めた自己の存在そのものなのだ。彼らにとって面子を潰すことは自己の存在が否定されたとみなしてしまうのである。
 面子に自己の存在をかけている人生そのものだから、面子を立てることに命懸けである。 この異常ともいえる面子の維持にかける中国人気質を最も強く実感することがある。どんなにミスをおかしても人に対して謝ろうとしないことである。「すみません、申し訳ありません、御免なさい」などの謝罪の言葉を絶対と言っていいほど使おうとしないことである。

 中国人にとって謝罪することは自分の面子が立たないという思考になるのだ。謝罪をするとは面子が潰れ自己の存在を否定することになると考え、必死になって自己弁護のへ理屈をこね、言い訳ばかりに終始して、絶対過ちを認めようとしないのである。日本人から見たら何とも見苦しい場面に私は何度も遭遇したことがある。
 私は長年にわたり中国人の友人・知人と付き合っているが、今日まで彼らがどんなに謝るべき場面がきても、彼らの口から「すみません」あるいは「御免なさい」の一言を聞いたことがない。

 もとへ!オーバーな表現かもしれないが、この面子(メンツ)を立てることに命をかける中国人気質が、経済発展とともに結婚式費用の異常なインフレをまねきだした。 パレードの車列を組むためにレンタルするベンツを中心とした高級外車は、1台1日2〜3万である。3万円といえば平均的なサラリーマンの月収額だ!これを10数台もレンタルしたら年収近い費用となる。それが年々派手に台数が増えていくのだ。
 結婚記念写真にも年収を超える額を使うようになった。豪華絢爛な記念写真アルバム作成のために、吉日の公園などではプロのカメラマン達を引き連れ、モデルばりの演技で記念撮影しているカップルが、あちこちで散見される。

 さらには、食べることに異常な執着をもっている中国では、大勢の人を招いて食事を振舞う事は、太っ腹と思われ、とても面子(メンツ)が立つことなのだ。逆に、招待者にケチと思われることはもっとも面子(メンツ)を潰す事になり最も恐れるのである。したがって、出来うる限りたくさんの人を呼ぼうとするため披露宴は年々巨大化しだした。
 両親は自分の老後の貯えのほとんどを子供の結婚式費用に使い、すっからかんで老後の生活は子供の世話になるのである。

 最近は宴会で出す料理もどんどん高級化が進み出し、日本近海の高級魚がどんどん高値で中国に輸出され出した。かって生魚は一切食さなかった中国人が、序々にではあるが日本食ブームで刺身も食べるようになってきた。
 恐ろしいことに日本産の高級食材が披露宴の料理に使われだしたのである。中国の13億を超える人口で、仮に1割の裕福な人が日本同様に刺身を食べるようになったら、それだけで日本の総人口を上回るのだ!近い将来、日本の市場からマグロ、アワビ、海老などの魚が消えてなくなるのではないか。中国人の面子のために日本人の大好きな刺身が食べれなくなるのだ。・・・・・・・

巨大な地底湖の本渓鍾乳洞

中国東北地方最大の観光スポット本渓鍾乳洞
 話が少々脱線してしまった!旅の話に戻る!。ウオーキングからホテルに戻るとちょうどよい出発時間となっていた。
 バスは今日のメイン観光である鍾乳洞がある本渓にむかって走り出した。
 瀋陽市内中心部を郊外へ抜けていくのだが、バスの車窓からは先ほどのウオーキング途中でも見たと同じような、華やかに飾りつけされた車列が次々と現れ、結婚式の車列であることを誇示しながら走り抜けて行く。
 今日は中国のどの都市でも結婚式の車列で渋滞になるのではないかと思われるほどだ。
鍾乳洞の地底湖遊覧ボートの桟橋
 
 やがてバスは市内を抜け高速道に入った。鍾乳洞がある本渓市にむけひた走る。
 車窓からは満族自治県と書かれた立て看板がときおり目に入ってくる。街頭で1枚5元(70円)で買った地図を広げてみると、瀋陽市を取り囲むように満州族自治県が点在している、ここはやはり満州族の国なのだ。2時間ほど走ると本渓市に入った。
 ここ本渓市は人口100万人あまりの田舎都市で、かって戦前には日本人が多く住み(約1万人)、石炭と鉄鋼で栄えた町だ。ここから北朝鮮の国境まで200キロあまりである。バスは市内を抜け山間の道をしばらく走ると、やがて本渓鍾乳洞がある国立公園に着いた。

巨大な鍾乳洞の内部

ガイドが言うことには、この本渓鍾乳洞は10名ほどが乗れるボートで洞内奥まで3キロほど入ることができ、本当か嘘か判らないが世界最大とのことだ。
 中国の東北地方における最大の観光スポットらしく、公園内には幾つものリゾートホテルが建ち並び、遊歩道は繁華街並みの人混みの観光客がゾロゾロ歩いている。
 入場ゲートに並び料金表を見てみると、意外と高い入場遊覧料でセット料金一人120元(1740円)と表示されている。
 日本の物価にスライド換算すると1万円を超えるメチャ高い遊覧料だが、どんどん中国人観光客が入場していくではないか。経済発展の恩絵をうけ着実に豊かになりつつある現在の中国がかいま見れる。

このような防寒服を着用して洞内に入る

 遊歩道をしばらく歩くと、山の斜面の崖に本渓水洞と赤い字で彫られ、ポッカリと大きな口を開けた洞窟が見えてきた。洞窟入り口前で大勢の遊覧客がたむろして記念写真を撮っている中をかき分け、私達は洞窟の中に入っていった。
ひんやりとした冷気が身を包む!洞内温度は一年中12度cに保たれているそうで寒いぐらいだ!洞内は湖のようになっており船着場には遊覧ボートが待機している。
 桟橋前に大きな箱が並んでおり、その中にはてんこ盛りに分厚い防寒服が用意されていた。

 この防寒服を着用して洞窟内奥にボートで入っていくのだが、その防寒服がメチャ汚いのである。洗濯なんて一切していないのであろう!汚れで黒光りして、おまけに洞内から垂れ落ちる水滴でじっとりと濡れているではないか!。
 私達は初夏ということで誰もが半袖姿である!しかし、あまりの汚さに着用を躊躇していると、ガイドが「1時間ほど洞内を遊覧するので体が冷え切って風邪を引きますから着用してください」と言う。しかたがない!思い切って異様な臭いのする貸し防寒服を着用した。
 薄暗く鍾乳石が垂れ下がる胴内奥へむかって船は進む。ところどころカラースポットライトで照明された幻想的な鍾乳石が闇の中に浮かび上がる。曲がりくねった水路が3キロほど続く洞内を1時間かけて遊覧して船着場に戻ってきた。

瀋陽市内観光

旧奉天駅(現瀋陽駅)

昼食を公園内にあるサービスの悪いリゾートホテルで済ませ、私達を乗せたバスは再び瀋陽市内に戻るべく走り出した。
 瀋陽市内に入ると日本統治時代に東京駅を模して建設されたといわれ、現在もそまま使用されている瀋陽駅(奉天駅)や満鉄鉄路総局などを車窓観光ながら、今回の中国の旅最後のショッピングタイムとして中国茶の専門店の玄関にバスは横付けされた。
旧奉天大和ホテル(現遼寧賓館)

 今日まで旅行会社のリベート稼ぎのために、うんざりするほどの土産物店に連れ込まれた。しかし、6名の旅仲間は私のアドバイスもあり土産を買いたくなる気持ちを抑制し、今日までそれほど連れ込まれた土産物店で買いあさるような行動はとって来なかった。
 ところが何と!この茶店で美人の売り子を前に、茶芸の試飲を始めた途端!とうとう日本人の持つ悲しい遺伝子が働き出した。日本民族だけが持っている「土産を買わねばならぬ!」という脅迫観念にも似た特異な遺伝子が猛烈に活動を始めたのだ!。もうとまらない!

その9へつづく