歴史を歩く、歴史街道・古道を行く

歴史ロマンを求めて、日本の街道てくてく歩き紀行

古代王朝の発祥地葛城古道を行く

a

歴史街道目次


葛城古道を行くプロローグ


クリックすると詳細コース地図になります。
 
 大和と河内にまたがる、金剛山と葛城山の連山は、古代から神々が鎮座する聖なる山である。  この山の東裾野一帯は、大和朝廷よりもはるか以前に栄えていた「葛城王朝」の故地であった。ここに古代の道として知られる葛城古道がある。
 南北に延びる葛木古道一帯は、1600年以上も昔に、大和朝廷を支え興隆した古代豪族の「葛城氏」や、もっと昔には、「鴨氏」の本拠地だったところである。
 
 山麓の古道からは眼下に奈良盆地が広がり、万葉集に詠まれた大和三山も展望できるロマンの道でもある。 
 さらには、九州の宮崎の高千穂と本家争いをしている神話の「天孫降臨」の地であり、天照大神が治めたと言われる「高天原」はこの「葛城山地」にもあるのだ。
 古代の豪族たちが往来し、各所に神々しい神社や古刹が残る古代の道を、昔に思いをめぐらし歩いてみた。 (この葛城古道の金剛山を挟んだ山向こうの西側は、南北朝時代に活躍した楠木正成の本拠地で千坂赤坂城などの史跡がある。)

             歴史街道てくてく歩きコース

        黒字ー交通機関利用コース 赤字ーてくてく歩きコース

橿原市ホテル→JRうねび駅→御所駅下車、駅前よりバス乗車→風の森バス停下車・徒歩スタート→高鴨神社→高天原→極楽寺→葛城一言主神社→葛城高丘宮跡→九品寺→六地蔵→近鉄御所駅→橿原神宮前駅終点
          歩行距離 約16キロ  歩いた歩数26500歩

起点の御所市風の森バス亭へ

奈良県と大阪府をへだてる葛城・金剛山

 古代王朝が栄えた「葛城古道」を歩くべく、橿原市のホテルから「JRうねび駅」に向かった。230円の乗車券を買い、8時13分発大阪方面行きの電車に乗り込んだ。 天候は快晴である、「葛城山・金剛山」の東山麓を南北に連なる古代の道を歩くには格好の天気だ!

 20分ほどの乗車で「御所駅」で下車する。駅前バス停から奈良交通のバスに乗り、目的のウオーキングの出発地点地点である「風の森峠」バス停で下車した。
いたるところにある葛城古道の道路標識
 
ここから国道を横切り正面にそびえる金剛山と葛城山を見ながら田園風景の中の坂道を登っていくと、分岐点には「葛城の道の道路標識」が建っており、道に迷うことなく歩ける。標識に従って歩いていると正面に、このあたりの古代の氏族・「鴨氏」の氏社の高鴨神社が見えてきた。


 ガイドブックによると、「鴨」氏はこの葛城山地に栄えた古代王朝である「葛城王朝」とつながりが深い氏族で、一族はここから全国各地に移り住み、京都の上賀茂神社、下賀茂神社をはじめ、全国の賀茂、加茂といった地名は、この葛城を本拠とした鴨氏から派生したともいわれている。

全国にある賀茂神社の総社の高鴨神社

 境内に入り石段を上がったところに社殿があり、奥の本殿は重要文化財である旨の説明板がある。しかし、目の前の高鴨神社が日本全国の賀茂神社の総社とは思えないような小じんまりとして地味なものであった。

天孫降臨の地「高天原」へ

 ここからは、神話の高天原に向かって「金剛山」中腹の、のどかな田園が広がる舗装路を、登ったり下りたりしながら北に向かって歩いていくと、眺めが良くなり眼下には奈良盆地が広がり畝傍山も見えてきた。
国道わきには高天原への案内標識があった

 国道を横切り、高天原への案内標識に従い右に折れると、曲がりくねった急な坂道がつづく。 
 
 杉林の中の道を、はじめは元気よく歩き出したが、延々と続く上り坂に、汗が吹き出し息が上がってきた!日ごろの運動不足がたたりだんだん足が重くなり上がらない。持参したペットボトルの水も全部飲み干してしまった。
 道端に腰を下ろし一服したが、のどが渇き疲れもピークに達し足を踏み出すことができない。
 
高天原と彫られた石碑

 これ以上登るのをあきらめ、迂回する道が無いか、地図を取り出し見ていたら、通りかかった農夫らしき男が声を掛けてきた。
「高天原に行くのですか?」私が「そうです」と答えると、「この先のカーブを曲がるとすぐそこだよ!」と親切に教えてくれた。
 すぐそこの声に励まされ気を取り直して再び歩き出すと杉木立の奥に高天彦神社が見えてきた。

神話の里高天原

 この神社は古代に興隆した葛城氏の祖神を祀るところで、葛城氏は仁徳・雄略などの天皇に后をだし、大和朝廷を支えた豪族だ。 
老木に囲まれ小さな古びた拝殿は神秘的で、境内の入り口には高天原・・跡地の石碑があった。 

高天原にある高天彦神社クリックすると拡大画像になります のどかな高天原の葛城古道クリックすると拡大画像になります 神話の里高天原クリックすると拡大画像になります

史跡高天原ほんとかな?・・・

 このあたりの山麓は、神話の天照大神が統治をした高天原といわれているが、つきものの天岩戸はどこにも見当たらなかった。
神社前の道を右に折れて行くと、10戸ほどの古い集落がある。この集落の一軒の農家で空になったペットボトルに水を補給してもらい集落を抜けると、棚田が広がる田園風景が広がってきた。ここら一帯が高天原のようだ!
ロマンに浸りながら、古刹の橋本院の手前まで来ると「史跡高天原の石碑」があった。

 伝承では宮崎県日向の高千穂の嶺が天孫降臨の地と教わった気がするのだが、ここも天孫降臨の地で九州と奈良に2箇所あるなんて!全く知らなかった。 

眼下には奈良盆地が広がる

獣道のような箇所もある古道

 天孫降臨の地とされる、田園風景の高天原から古刹の橋本院の境内を通り抜けると、道は獣道のような悪路に変わった!本当にこの道で間違いがないのか不安になってくる。
 鬱蒼と茂る林の中の道は急激な下り坂がつづき、ひたすら山裾の国道まで膝をがくがくさせすすむ。

 国道にいったん出て、左に曲がり少し行くと、国道から左に入るゆるい坂道が延びている。登って行くと古刹の極楽寺だ。1000年以上もの歴史のある寺で鐘楼門は見ごたえがある。
 つい最近この極楽寺の近くで葛城一族の巨大な宮殿跡が発掘されたと新聞で大きく報道されたのを思い出した!ちょうどよいので見学していこうと見回したがあたりには遺跡らしいものが見えない!残念だがあきらめ先へすすむことにする。
951年建立の極楽寺 風情のある鐘楼門


極楽寺境内からは快晴の天気の下、眼下には奈良盆地が広がり御所市方面と大和三山の一つ畝傍山がはっきり見えた。

 極楽寺前の北に向かう細い道を抜け、再び国道を横切ると、あたり一面柿の果樹園がしばらくつづく、ここら一帯は日本でも有数の柿の産地だ。
 長柄神社の道標を左に曲がり、眼前に広がる奈良盆地を見下ろしながら、しばらく北に向かって歩く。快晴の天候で、爽やかな風が吹きぬけ気持ちよく歩ける。
奈良盆地が広がる、大和三山の一つ畝傍山も見える

 やがて古い民家が立ち並ぶ「長柄の集落」に入って行く。
 重要文化財に指定されている民家などもある歴史の重みを感じる集落だ。突き当たりを西に曲がり国道下のガードをくぐると葛城一言主神社の鳥居があらわれた。さらに進むと一言主神社の社殿へ登って行く階段が現れる。

 葛城一言主神社の祭神は、一言の願いなら何でも叶えてくれると言われる「一言主大神」。せっかくありがたい御利益の神社に来たので何かお願いしようとしたが、よくばりの願いは一言では言い切れず、結局「健康」の一言を願い拝殿前を去った。

伝統的建築物街並み長柄の集落クリックすると拡大画像になります 一言主神社への鳥居クリックすると拡大画像になります 一言主神社社殿への石段クリックすると拡大画像になります

どこまで本当?天皇家ルーツ

綏靖天皇葛城高丘宮跡
 
 神社の境内に登る石段わきの道を北方面へ向かうと、右手にはなだらかな棚田が広がり、左手は杉林である。歩いて間もなく道の左手の杉林側の道わきに「綏靖天皇葛城高丘宮跡」の石碑がぽつんと立っていた。
 ここは第2代目天皇になった綏靖天皇の高丘宮跡の伝承地で、古代天皇家とも深い縁戚関係で結ばれていた葛城王朝の葛城高宮もこのあたりだったと伝わっているところだ。
 記念碑から少し先に進むと屋根つきの休息所があり、お菓子とペット飲料を飲みながら談笑いている中年女性の3人パーティがいた。
 私もここで昼食を兼ねた休息をとることにしたが、目の前の眼下には奈良盆地が見渡せ、盆地中央には万葉集で有名な「大和三山」が見渡せる絶好のビューポイントだ。

 コンビニで買ったおにぎりを食べながら、休息所にいた三人組女性パーティとおしゃべりをしたが、彼女達は大阪から来たとのことで、私が札幌から来たという話に話題が集中し、しばしの旅談義に花が咲いた。

葛城山丘陵地に広がる棚田クリックすると拡大画像になります 万葉集で知られた大和三山クリックすると拡大画像になります 1300年の歴史を誇る九品寺クリックすると拡大画像になります

九品寺の庭園の満開のしだれ桜

 休息を終え、眼下に広がる大和三山を見ながら棚田の畦道を再び歩き出すと「九品寺」のある集落にでる。
 案内標識にしたがい九品寺前に来た。この寺は約1300年前に行基が開創し、空海が中興した名刹で、石段を登った本堂裏手には千体石仏群がある。ぎっしりと並んだ小さな石仏ははるか昔の南北朝の戦いで亡くなった兵の慰霊のために奉納されたといわれている。 境内の庭園には、しだれ桜が春の日差しの下満開に花開きしばし目を楽しませてくれる。
このような石仏が本堂裏手には千体もある


 九品寺からは緩やかな棚田の中の畦道を右側に奈良盆地のパノラマを見ながら、終着点の御所駅にむかって行くと、道をふさぐように六体の地蔵が刻まれた巨大な自然石があった。この道を通る者はいやがおうでもこの六地蔵石にぶつかってしまう。ここをすぎると葛城古道も住宅街に入り込み自然消滅してしまった。3キロほど住宅街の道を歩むと終点JR御所駅に着いた。

自然石に刻まれた六地蔵

 古代の豪族が隆盛し、大和の天皇家とも密接な関係にあった、葛城王朝のロマンに満ちた葛城古道のてくてく歩きだった。
 天候に恵まれ金剛・葛城連山の山麓の道を、眼下に奈良盆地を見ながらのウオーキングであった。あるき始めの高天原神社までの長い登りの坂道には体がついていけず、途中で何度も迂回しようと思うぐらいつらい道だった。
 私はいままで神話の「天孫降臨の地高天原」は九州日向の高千穂地方との認識だったので、別にもう1箇所この葛城の地にもあることに驚かされた。 高天原から終点の御所市街まで、なだらかな山麓の道で右手には奈良盆地の展望が開け、万葉の世界の大和三山(畝傍山、耳成山、香具山)がどこまでも視界に入る、すばらしい古道であった。

歴史を歩く、歴史街道・古道を行く  http://www16.plala.or.jp/yasu310/   古代王朝の発祥地、葛城古道を行く